フィレンツェ1日目の続き。ドゥオーモを見たのちベッキオ宮殿の前、ウフィツィ美術館の前を通ってヴェッキオ橋へ。15時半に橋に到着。
さらに、橋の南西のカルミネ教会へ。
ジョットの鐘楼から南へ100mのところにある。
トスカーナ人、そして今日では多くのイタリア人にとって、パンフォルテはクリスマスを意味する。シエナ県の何世紀にもわたる伝統であるパンフォルテは、アーモンド、砂糖漬けの皮、蜂蜜に冬のスパイスをちりばめた、独特の風味と食感で作られた濃厚なケーキ。panfore margheritaはアーモンドとヘーゼルナッツが入ったトスカーナ特製の菓子
イチジクとクルミのパンフォルテ
パンペパトは、チョコレート、ドライフルーツ、スパイスで作られたおいしいデザート
パンペパトは、チョコレート、ドライフルーツ、スパイスで作られたおいしいデザートで
Pan di Dnate(ダンテのパン)、Ricciarelli(アーモンドベースのビスケット)、contucci amazetti(ワインの名前+驚いた)、Cavallucci(アニス、クルミ、砂糖漬けの果物、コリアンダー、小麦粉で調理された濃厚なイタリアのクリスマスのお菓子。起源がシエナ語で「小さな馬」の意、歯ごたえのあるビスケットはトスカーナのミッレフィオーリ蜂蜜を使用。Acauciotti(?)
菱型の特性特製リッチャレリ
カントゥチーニ。職人特製 アーモンド入りの固いビスケット
ヌガー ワッコルウィ トゥエル フルーツ添え
ドゥオーモの鐘楼の西から南に伸びる通り
南方向を見る。門のように見えるのはLoggia dei Lanzi4 世紀に建てられた式典用の建造物。大きなアーチが特徴。ルネサンス期の彫像が並ぶ屋外ギャラリーとなっている。
1895年に掲げられた。「世俗的な喧嘩から新しい生活への街の古代の中心が戻ってきた」
奥はムラーノ島のガラス店
以前はオルトのサンミケーレ教会としても知られていたオルサンミケーレ教会は、もともと穀物市場のために建てられた。教会は1階の一部分で他は穀物倉庫で2階はおそらくフィレンツェのギルドによって使用されていた。敷地内には、サンタマリアデルフィオーレ大聖堂とヴェッキオ宮殿の中間にあるカルツァイウオーリ通りに、広大な菜園のある女性修道院があり、原始的な礼拝堂は、8世紀半ば頃にサンミケーレアルカンジェロに捧げられた小さな教会に置き換えられた。右の像はAndrea del Verrocchio (S. Tommaso)、Donatello e Michelozzo (tabernacolo)アンドレア・デル・ヴェロッキオ(セントトーマス)、ドナテッロとミケロッツォによるIncredulità di San Tommaso(信じられないトーマス) 左はLorenzo GhibertiによるSan Giovanni Battista(洗礼者 聖ヨハネ)
Piero di Giovanni Tedesco (attr.)Madonna della Rosa(バラの聖母)
サンカルロデイロンバルディ教会。シニョーリアの命令によりネリディフィオラヴァンテとベンチディシオーネダミによって1349年から建てられ、西向いのオルサンミケーレと同様に、マドンナの母である聖人に捧げられた1343年7月26日に専制的なアテネ公爵の追放に感謝してサンタンナに捧げられた。シモーネ・タレンティが完成させた。サンミケーレヴェッキオまたはサンミケーレアッロルトと呼ばれていました。ゴシック様式のファサードは砂岩で切妻張りで、吊り下げられたアーチと尖ったポータルがある。
通りVia dei Calzaiuoli
いろいろ調べたが店名分からず
ヴェッキオ宮殿。1299年~1314年にアルノルフォ・ディ・カンビオ(Arnolfo di Cambio)という石工により建てられた。当時のフィレンツェは一都市ではなく、フィレンツェ共和国(のちにトスカーナ大公国)だった時期で、ヴェッキオ宮殿は当時の中央政庁として使われていた。また、メディチ家が一時期住んでいた( のちにピッティ宮殿へ引越)。現在でも市役所として機能している。
ピアッツァまたはイルビアンコーネとしても知られるネプチューンの噴水は、バルトロメオ・アマナティの中央像を備えた芸術家のグループにより作られ(1550-1565)、ヴェッキオ宮殿の北西の角近くのシニョーリア広場にある。フィレンツェで最初のこの噴水は水源が非常に少ない地域での水供給の最初の基準で、かつコジモ・デ・メディチの力の記念碑でもある。
ベンヴェヌート・チェッリーニによるメデューサの頭を持つペルセウス。コジモ1世が市侯爵に就任した後に委託され、1545-1554の間に建てられた。ペルセウスは広場に置かれたほとんどの彫像のように、次の政治的な意味を持つ。メデューサによって代表される共和党の経験を分断する公爵の声明を表す。これはレプリカでバルジェッロ国立博物館にある。
ペルセウスはゼウスとダナエー(アルゴス王アクリシオスの娘)の子。妻アンドロメダーとの間にペルセウス(ペルセース)、アルカイオス、ステネロス、ヘレイオス、メーストール、エーレクトリュオーン、ゴルゴポネーをもうけた。ペルセウスはゼウスの血を引く半神であ、神々から授かった魔術的な武具を駆使してメドゥーサ殺しを成し遂げ、その後も多くの困難を乗り越えた。ミュケーナイ王家の創始者となり、死後は星座になったとも言われる
ギリシア神話に登場する怪物。ゴルゴーン3姉妹の1人で名前は「女王」を意味する。姉はステンノー(「強い女」)、エウリュアレー(「広く彷徨う女」あるいは「遠くに飛ぶ女」)と呼ばれ、メドゥーサは三女に当たる。宝石のように輝く目を持ち、見たものを石に変える能力を持つ。頭髪は無数の毒蛇で、イノシシの歯、青銅の手、黄金の翼を持っている。海の神であるポセイドーンの愛人であり、ポセイドーンとの間に天馬ペーガソスと巨人クリューサーオール(「黄金の剣」)がいる。
ペルセウスはセリーポス島で成長し、ディクテュスの兄でセリーポス島の領主であるポリュデクテースがダナエーに恋慕するようになり、邪魔になるペルセウスを遠ざけるためにゴルゴーンの一人メドゥーサの首を取ってくるように命じた。
ペルセウスはアテーナーとヘルメースの助力を受け、アテーナーから青銅の盾を授かり、ゴルゴーンを殺すのに必要な道具を持つニュムペーたちの居場所を聞くためにゴルゴーンの妹であるグライアイ三姉妹の元に行った。彼女たちは生まれつき醜い老女で、三人でたった一つの眼と一本の歯しか持っていなかった。居場所を教えてくれず、この眼と歯を奪い無理やり聞き出した。そしてニュムペーたちから翼のあるサンダル、キビシス(袋)、ハーデースの隠れ兜を借りた。
西の彼方のオーケアノスの流れの近くに住むゴルゴーン姉妹を発見し、アテーナーに手を引かれ、メドゥーサの顔を見ないようにして、盾に映し出されたメドゥーサの姿を見ながら、剣でメドゥーサの首を取った。首を切られたメドゥーサの体から血しぶきとともに翼ある馬ペーガソスとクリューサーオールが飛び出した。ペルセウスはキビシスの中にメドゥーサの首を入れ飛び去った。
作者のベンヴェヌートの像がヴェッキオ橋とウフィツィ美術館の外壁にある。
1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設され、初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築された。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われている[1]。内部は、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」「レオ10世の間」「ゆりの間」などの部屋に分かれている。
「イエス・キリスト、王の王、主の主」、キリストは都市の支配者であり、フィレンツェを指揮することによってキリストを「倒す」ことを敢えてする人は誰もいないことを意味する。
1910年から設置されているレプリカで本物も1873年まではここにあった。今はアカデミア美術館にある。目がハートなのは一緒
ウフィツィ美術館。ペルセウスのあるLoggia dei Lanzの東向いにある。翌日午後に見学。
ウフィツィ美術館の本屋
ヴェッキオ宮殿から続くウフィツィ美術館の前の通りはウフィツィ広場と言われる
アメリゴ・ヴェスプッチ( 1454/3/9 - 1512/2/22)。アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして地理学者。フィレンツェ共和国の公証人ナスタジオ・ヴェスプッチとその妻エリザベッタの息子として生まれる。蜂(vespa)に由来する姓でプラート門に近いオニッサンティ地区に住んでいた。この地区には画家ボッティチェッリとギルランダイオの家もあり、彼らはヴェスプッチ家のために多くの仕事をこなした。オニッサンティ教会にあるギルランダイオが描いたヴェスプッチ家の集団肖像画に幼いアメリゴの姿がみられる。
アルノ川にかかるヴェッキオ橋
この橋が最初に建造されたのは、ローマ時代、カッシア街道を延長してゆく中でアルノ川と突き当たり、アルノ川の川幅が一番狭い場所を選んで架けられた。
文献上の初出は996年。1117年には洪水で破壊され再建された。1218年には隣にPonte alla Carraiaが建造され、「Ponte Nuovo 新橋」と呼ばれた。当橋は再び1333年に流されふたつの橋脚だけが残され、1345年に再建。
堤防のてすりに外灯が並ぶ
ヴェッキオ宮殿からウフィツィ美術館、ヴェッキオ橋を経由してピッティ宮殿まで続く。「インフェルノ」でラングドン教授が走った。
ヴェッキオ橋
南画廊を出て回廊沿いにヴェッキオ橋へ歩く
右端はSignum Florenceという土産物屋
Por Santa Maria(ポール サンタ マリア通り)の北方向を望む。突き当りあたりが
両側には貴金属店が並ぶ。15時半。
ベンヴェヌート・チェッリーニの記念碑
ベンヴェヌート・チェッリーニ(1500/11/3-1571/2/13).イタリアの彫刻家、金細工師、作家。メドゥーサの頭を持つペルセウスもこの人の作品。
ベンヴェヌートチェッリーニ。フィレンツェの金細工職人マイスター。裏面にはNEL QUARTO CENTENARIO DELLA NASCITA 3 NOVEMBRE 1900
生誕400年周年1900/11/3とある
右端の建物は五つ星ホテルPortrait Firenze
サンタ・トリニタ橋。バルトロメオ アンマナーティが設計し、第 2 次世界大戦後に再建された。
カルミネ教会東180m。信号の位置が低い。それほど信号が多くないのでグーグルマップで見つけることが出来た