フィレンツェ1日目。ベネチアから10時半到着し、駅に荷物を預け、歩いてアカデミア美術館へ。アカデミア美術館で11時半からミケランジェロのダビデなどを30分見学。中は撮影禁止。ドゥオーモまで歩いて12時半に近くのセルフサービスの店(Leonard)でラザニアとパスタ の昼食。
駅の前にある。フィレンツェ中央駅の正式名称の由来にもなっている。
塗料店 大工道具 家庭用品 店、靴底がはがれたのでロシア製の接着剤を買った。
左の三角屋根の建物がMercato Centrale(19世紀に建てられた屋内市場)。この通りには革製品の露店が並ぶ
イル・パピロ。17世紀フランスで考案されたパピエクブという伝統技法を用いてマーブル紙を制作する唯一の店。水と草木から成るクブという溶液の上に絵の具を垂らし、櫛や刷毛で作った模様を紙に転写するため、1つとして同じ物が無い。市内に6カ店あり、これはアカデミア美術館近くのVia Camillo Cavour,店。HPはこちら
イタリアの不動産ポータルサイト
カルフールの系列店
の前を通り過ぎる。ここが入口と気づかなかった
アカデミア美術館の西の通り。右が美術館
アカデミア美術館 ダビデ像
正面にあるのが出口
アカデミア美術館の銘板
当時は写真撮影禁止。①コロッソの大広間にはジャンボローニの彫刻「サビニの女たちの略奪」(1582)やボッティチェリ、フィリピ―ノ・リッピ。②奴隷のギャラリーにはミケランジェロの彫刻、③にミケランジェロのダビデがある。ダビデの目がハートなのをここで知った
ジョットの鐘楼。via de Pucci(プッチ通り)とVia Ricasoli(リカーソリ通り)の交差点で
左の建物。トスカーナ地方行政裁判所
Bischeri家の中世の家屋で、Marquises Guadagniにより徐々に拡大された。ドゥオモ広場を見下ろす宮殿は、19 世紀にアンナ ストロッツィによって現在の姿になった。床面積は 3,400 平方メートル以上に広がる。1700 年代には、記念碑的な階段、1800 年代の初めに、鳥小屋のある庭園が追加された。1871 年、宮殿はマントヴァ支部のマッシミリアーノ ストロッツィ (Massimiliano Strozzi) に渡された。彼はフェラーラのサクラティ (Sacrati of Ferrara) の相続人。後にトスカーナ州が購入し、2008 年から大統領府として使用されている。
教会の北にある
この教会の最初の設計者
フィリッポ・ブルネレスキ。彼は冗談や悪ふざけで他者をからかうことを楽しんだが、発想は鋭く、聡明で機智に富んだ。彫刻家としてはロレンツォ・ギベルティに遅れをとったが、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ建設によって絶大なる賞賛を得た。また、 遠近法の発明やオーダー(古典主義建築の基本単位となる円柱と梁の構成法で独立円柱と水平梁から成る)の発見も、彼のものとされる。
1419/8/16から建設された捨子保育院(スペダーレ・ディ・サンタ・マリーア・デッリ・イノチェンティ)も保育院の運営体である絹織物業組合に、ブルネレスキが所属し設計を行った。サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂は1418年12月20日模型制作・1420年8月7日起工・1434年6月12日完成。仮枠なしでは建設不可能とされたクーポラを、仮枠を構築することなく建設する方法を考案。仮枠を用いずに建築するため煉瓦を水平に積むのではなく、上部の煉瓦層に目地を噛み合わせるため、一定の位置で煉瓦を縦に積むことで矢筈模様(con quello spinapescie =鱗状)に組み上げるように指示した。
ドゥオーモの西200mのこのセルフ食堂でお昼
GIRASOREとは「ひまわり」の意。航続距離120km。日本での販売価格265万円