このゼミでは、有事の際にコミュニティがどのように共同性を発揮し得るのかという観点に基づいていたこともあり、フィールドとして東洋大学近辺における地域を設定して考えてみることをゼミ生に求めて始まりました。東洋大学白山キャンパスのすぐ隣には歴史ある白山神社が居を構えていますが、6月には「あじさいまつり」と呼ばれる行事が開催されるとあって、ゼミ内でもボランティアを募り参加しました。
「二ブしゃかwithまなキキ」と題した出展は、当該ゼミだけではなく、教員が所属するLearning Crisis研究会による「学びの危機プロジェクト」とも共同で出展・企画運営・開催されました。
学びの危機プロジェクトは、新型コロナウイルス感染症が拡大した2020年にたちあげられた障害や事情があって学びづらさを抱える子どもたちの学びの支援を行うプロジェクトで複数の大学に所属する大学生・大学院生によって運営されています。今回の文化祭では、まなキキのオンラインの家庭学習支援で継続的に学ぶ子どもたちの作品も、当該ゼミ所属学生の成果物とともに紹介させていただきました。
不特定多数の、老若男女さまざまな方々に、自分たちの作品を見ていただき感想をうかがえる機会はなかなかあることではありません。とはいえ、「感想やフィードバックをいただく仕組み」にも工夫が必要で、大学祭の企画そのものは、10月に同様に開催された津田塾大学祭(当該ゼミ生の出展はなくまなキキ単独企画)の運営メンバーと白山祭のために集まったまなキキメンバー、当該ゼミ生有志、その他企画に賛同して集まってくださった大学生・大学院生によって検討され、実践されました。
当該ゼミ生による成果物(中間報告の位置づけ)とまなキキで学ぶ子どもたちの作品が企画のメインコンテンツでありながら、その他に株式会社19の安藤将大氏の講評(1日目)や複数のテーマを挙げた哲学対話的なディスカッションの試み(1日目)、成果物発表会(2日目)のイベントで構成されていました。
展示内容とフロア説明がされています
二日間に及ぶ学祭のタイムテーブルを紹介
白山祭では、それぞれのプロジェクトが参加者に持ち帰ってもらう「トレカ」を用意していました。
バターランプの作り方
非常時用品としての蝋燭
備蓄食品のレシピ紹介
便利なアプリ紹介
便利なアプリ紹介2
そもそも「レク」とは?
2日間にわたって開催された文化祭は、盛況のうちに終えられたものの、こうした企画の開催にあたっていくつかの反省点、論点も残しました。
(1)コミュニティの成員同士のつながりの希薄さ
今年度のゼミ生の人数は例年よりも多く、42名という大所帯で構成されていました。どのような人が同級生として同じゼミに所属しているのか、それをじっくりと知り合う機会もないまま、プロジェクトごとにグループに分かれて企画を進めていく形でゼミを運営することとなってしまいました。
ところが、文化祭という一つの大きなイベント運営を前に、求められていたのは出展団体の内部における連携や協力であったように思われます。
この人はどのような得意分野があって、どのような苦手があるのか――など、その人柄を知る機会が極端に少ないこともあって、頼ったり頼られたりするその間合いも把握することが非常に困難であったように思われます。私自身も、当日の参加や協力については、それぞれの学生の諸事情を鑑みると教員として「強制力」を発動することはできませんでした。「強制力」が働かない場において、現場を仕切るのは、責任感や必要に迫られた個人に限られることになってしまいます。精一杯、一生懸命踏ん張る中で、「やりきれなさ」や「徒労感」が一定の許容度を超えてしまうと、一気に不満が噴出します。これは日常生活における家族運営にも現れる問題の一つといえるかもしれません。また、もしかしたら避難所運営などの現場でも同様の現象が起こっているのかもしれません。
最終的に、負担感を一定の個人に強いながらも、文化祭は無事に終えることになりました。ある程度達成感を持って「終わりよければすべてよし」で終えられた人もいれば、複雑な「モヤモヤ」を抱えて終えた人もいたかもしれません。それは、とても望ましくないことであったと思います。もしも、「頑張りすぎてしまう人」とより理解して関われていたら、強制的にでも休んでほしいと伝えられたかもしれません。あるいはほかのゼミ生にもっと気軽に頼って依頼をして助け合うことを促せたかもしれません。
もっと互いを知りあう場や機会を持つことができていたら、もっと交流する機会を持つことができていたら、という反省点がまず挙げられました。
(2)教員—学生間の権力関係がもたらす歪つな関係性――「必修授業」のスピンオフ企画に由来して
一方で、学祭出展の企画は、ゼミ生にとっては中間報告の場として位置づけられており、授業の一環という認識がもたれていました。ゼミは4年生の必修の授業のひとつであり、この授業の単位が認められなければ卒業することができません。そこに無言の強制力が発動しなかったかと言われれば、否定はできなかったように思います。そもそも、大学という場は、「学びたい個人」が学ぶ場です。強制して学ぶ場ではありません。大学はカリキュラムを用いてある内容について学ぶために必要な項目を細分化し、各授業に反映させ、その修得を学生に求めます。その内容は丁寧に吟味され設定されていると思われますが、ゼミは特に、その意味や意義が担当講師によって分かれ、標準化し難いものであったように思います。その意味で、少なくとも学ぶ学生が最初から納得して参加していたとは言えない可能性もあったでしょう。
私自身は、ゼミはある種安心して自分の意見を表明し、議論し、考えを深めていくことができる場として位置づけてきました。特に本学二部の4年ゼミは卒業論文執筆ゼミとしての位置づけはされておらず、取り組む内容について担当講師が自由に決定することができる状況であったため、今回のようなテーマを設定するに至りました。授業内では、「一緒に作り上げていく」というスタンスは明示していたつもりですが、それでも、「評価される個人」と「評価する個人」という権力関係が意識されてしまう以上、自由な発言はし難いものであったのかもしれません。受講する学生にとって、自らに立ち返り、考え、議論する機会を与えうるテーマ、トピックスを設定すること、その具体的な形としてプロジェクトの立案と運営に携わってもらうことが自分にとってのゼミ運営の基本形であり、そのプロジェクトを学術的な観点から評価する以上でも以下でもないものと考えていましたが、「評価する/評価される」関係性は、あるイベントを協働するような場にも発動し得るものとして捉えられ、ともすればフラットな議論を損ねる要因として、あるいは議論し続けることを放棄する際の「言い訳」として用いられてしまうような危うさを持っていることが意識されることとなりました。
なぜこの場を共に過ごすのか――その理由が”与えられる単位”のみになってしまうと、一気にその関係性が淡白なものになってしまいます。どんなに「評価する側」が、フラットに向き合おうとしても、最終的には確かに成績を付ける側に在り続ける以上、「評価される側」からすると、教員なんぞは「対等などとは到底いえない存在」でしかないのかもしれません。「評価」というしがらみから脱した個人対個人としてリスペクトしあう関係性は、個人が「立場」に位置づけられる以上成立し難いものなのかもしれません。しかし、避難所などの場でも、職場の上司—部下、雇い主—従業員、教員—生徒/学生といった雑多な「立場」の人が混沌と居合わせることになるはずです。やはりそこでも同じような非均衡に私たちはとらわれ続けることになるのでしょうか。アンバランスな関係性から脱するためのあり方は丁寧に考えていかねばならないことなのかもしれません。
(3)”没頭する”時間確保の困難性から、”没頭する”きっかけの確保へ
同じように「学校」で、プロジェクトに取り組み、発表会の場を通じて地域の人たちに評価してもらう場を設けている事例として、米国カリフォルニア州サンディエゴにあるハイテックハイという公立高校の取り組みがあります。『Most Likely to Succeed』という映画で、その取り組みが紹介されていますが、今回の企画は、ハイテックハイにインスパイアされる形で提案したものでもありました。やはり、トピックスを提示して、その関連する内容に生徒たちがプロジェクトとして取り組んでいくものですが、映画の中で描かれたのは、教員が伝達事項として必要な知識を伝えていくようなやり方ではなく、学ぶ側が対象に没頭していく過程で「知りたいこと」「知らないことにはいてもたってもいられない」を立ち上げて、教員はそのフォローに徹するというものでした。教育とはgardeningに近いと作中では語られます。植物は育てている人の思う通りには根を張らないし花も咲かせません。植物が、植物としていきいきとその魅力を発揮できるように環境を整えることがgardeningです。教育も同様であるべきでは?という問題意識がハイテックハイ創設者にはあり、その実践の形のひとつが、プロジェクト報告会です。とても魅力的だと感じました。
ただ、大学の授業の中での再現は、授業が週一回90分×15回という制約上非常に困難なことでした。先週自分が何をしていたか、何で盛り上がっていたか、思い出してエンジンがかかるころには、残り時間は一時間を切っている、ということもザラです。「没頭」することが難しければ、「知りたいこと」や「知らないことにはいてもたってもいられない」ような事柄が湧きたつことも難しくなるでしょう。(1)で挙げたようなお互いを知りあう時間を設け難かったことの背景には、こうした事情もあったように思われます。ただし、教員として想定していたようにはプロジェクトが推進されなかったことだけは共通していました。自分がなんとなく見立てていた着地点には全く至らず、予想外の展開を遂げていったプロジェクトも多く、恐らく授業外の時間を割いて、個別に「没頭」してくださった時間も少なからずあったのではないかと思います。少なくとも「やらねばならない課題」としてではなく、「自分たちが必要だと思うこと」、「自分たちがやりたいと思うこと」としてプロジェクトを起ち上げ、実践してもらうように設定したことだけは、「没頭」し、その過程で試行錯誤し、自分なりに何かを掴んで腑に落とす入口として機能し得たのかもしれません。結局、教員は無力で、生徒や学生を「なってほしい」姿に変えることはできません。ただ、機会をつくり、何かを掴みとってほしいと励ましてフォローすることしかできないように思われます。既存の「知識」を効率よく手渡すことからは、新たな発見は生まれません。いかにうまく合理的に知識提供するかの技術ばかりが問われがちですが、あるトピックスを共有して、ともに試行錯誤する中で見出せるブレイクスルーに、新たな知見が備わり、学ぶ側、教える立場に立つ側双方にとっての「学び」にもなりえるのではないかと思います。高等教育機関、ひいては社会学を学ぶ場である以上、問うべき課題から言い訳せずに向き合い、議論できる環境が求められているのだろうと思いますが、そこではもはや教員の存在感は限りなく薄くなっても、あとは学ぶ本人さえいれば、なんとかなってしまうもののようにも思われます。
担当教員の頼りなさもあって、ゼミ生の皆さんにはいろいろと不安な思いも不愉快な気持ちにもさせてしまったことがあったかもしれません。一方で、4月から1月までの一年足らずの時間をかけて、ゼミ生のみなさんに助けられ、支えられて成り立つこのゼミのあり方が出来上がり、私じしんもゼミ生の人柄や癖のようなものを少しずつ知ることができました。
ある意味、学祭は一つのハイライトでした。そして学祭はとても楽しかったですが、「うーん」とモヤモヤさせる気持ちを残したことも事実でした。でも、ほとんど互いを知らない集団が、十分腹を割って話をするには時間もなく、物理的に個体数が多すぎる状況の中で、モヤモヤしながらもある経験を体験した、ということに意味があるように思います。なぜなら、もしも同じメンバーでもう一度何かをする、となったら、もう少しましなやり方が提案できるかもしれないし、実際に運用することができるかもしれない、と思えるからです。ただ、恐らく残念ながら同じメンバーでの「二度目」はないでしょう。「卒業」という節目がある組織の切なさでもありますが、「息の合わせ方」がようやくわかってきたかも、と思っても、再び「息を合わせる」機会は基本的には訪れません。
ただ、私たちが生きていく現場、地域は、否応なく長期的に付き合う場になるのだろうと思います。ゲスト講師として12月にいらした柴田邦臣先生は、能登半島の「祭り」が何のためにあったのかについて考えを語られていました。そしてそれは、六月のあじさいまつりでも、白山地域の人々にとっても祭りがどのような意味をもつものなのか考えたこととも重なるところがあったように思います。私たちはよくも悪くも、失敗を繰り返しながら「息の合わせ方」を身をもって学んでいくしかないのだろうということです。学祭への参加は「任意」であったため、その言葉の意味がどれくらい共有できるかは人によって異なると思います。苦労しかなかったように思えるような経験のご褒美は、その経験が自分にとってどのような意味をもたらしたのかが実感できたときにはじめて得られるのかもしれません。ここに書いていることは私なりの経験の理解でしかなくて、もしかしたら全く別の角度から、オリジナルの意味を見出す方もいらっしゃるかもしれませんが、少なくとも、「息の合わせ方」は初めから私たちは知り得ず、経験を通じて高め合い、活かすことができるものである可能性を見知った、ということは事実の一つとして挙げられると思います。
学祭に限らず、もう少し小規模な集団であるプロジェクトの内部でも、グループで活動する以上、制約やモヤモヤがあったと思います。それは、同様の理由で意味があるものであった、と考えてもよいと思います。ゼミ生のみなさんが、その運用の過程でどれだけ頭を悩ませて、試行錯誤したか次第で、得られた理解や経験の質は変わってくるでしょう。でも、「息の合わせ方」で試行錯誤した経験は、まったく別のコミュニティで同様の機会と遭遇した時に、きっと役に立つものになると思います。そのコミュニティや集団の構成要員は変わっても、自分のかかわり方を他者に対して配慮することはできるはずだからです。とはいえ、出来事は私からのinputからだけでは成立せず、私以外の他者からのinputもあり、相互作用を通じて変化する振る舞いや言動の積み重ねで構成されていきます。だからこそ、繰り返し同じ地域に暮らすメンバーで「息を合わせる」練習が重要になる、という指摘に納得できるように思います。特に、柴田先生からは災害とはシミュレーション通りの対応/マニュアル的対応では対応できないからこそ「災害」なのであって、そこにemergencyとcrisisの違いがある、と指摘されていました。crisisへの対応は、事態にあわせて工夫や配慮が求められるということに他なりません。一人の力ではできることに限りがあります。でも、それぞれの人が自分の持ちうる力を最大限に発揮できたら、cirisisに対峙することができるかもしれない。だからこそ、さまざまな事態にあっても、柔軟に、それぞれの人が最大限の力で対応できるよう「息を合わせる」練習を積むのです。
いざというとき、自分の力が発揮できるかどうかは、「息の合わせ方」にも影響をうけますが、それとともに日々どのように考え、生きたかもやはり重要になるのだろうと思います。その場に「居合わせる」だけではだめで、どれだけ真剣にコミットしたか、で私たちに備わる経験値は変わってくると思えるからです。苦労して、頭を悩ませたり、どうしたらうまくいくのか考えた経験が、「私自身の今後のありよう」を文字通り形作るのだと思います。
人数が多くても、開講時間に制約があっても、それなりに真剣にコミットして、「没頭」する機会を持つことができました。与えてくださったのは、ゼミ生の皆さんのほうかもしれません。少しでも皆さんの心にも何かを残す時間と機会になっていれば幸いです。一年間おつかれさまでした。