栗原 幸田 小林 島村 増田 矢田 柳内
私たちあじさいプロジェクトでは、災害時に備えて地域住民の繋がりを作り出すことを目指した。現代社会では特に都心部において、地域住民の繋がりの希薄さが顕著になっている。実際、集合住宅においては隣人の顔も知らないという例は珍しくはない。対して、インターネット技術の向上によりSNS等が普及し新しい形の人間関係が台頭してきた。私たちはそうした動向に着目して、SNSを活用した地域住民の繋がりを作り出し、災害時のコミュニティーを形成することを考えた。実際に地方の自治体においてSNSを利用する試みも存在しており、本プロジェクトにはそうした事例を参考にしつつ、SNSコミュニティを運営することを通して、予測される問題点・課題に対する改良を加えることを理想とした。また、あじプロは、学祭である白山祭において松崎ゼミの運営を担いつつ中間発表を行うだけでなく、大学周辺の地域イベントに参加し様々な意見やフィードバックを集めて進めた。
本報告書では、私たちの取り組みを検討したものである。あじプロは、実際のSNS試し運営の経験と、意見やフィードバックを受けつつ実現可能であるSNS運用について検討し、形にしよう試みた。私たちがSNSコミュニティ運営を行う際に経験した困難が存在する。
あじさいプロジェクトの最初の目的は、SNSアプリ「Slack」を利用したオンライン地域コミュニティーの実現可能性を検討することにあった。目的は、人の出入りが流動的な地域では、地元住民たちの既存のコミュニティに、新規住民が参加することが困難であるという問題を解決することにある。この問題は、プロジェクトのメンバーの実体験から見出された。
そのための手段として、既存のコミュニティと異なる別の繋がりを見出し、コミュニティへの参加のハードルを下げることができる方法を検討した。
災害時には、協力関係を築くことができる地域のつながりが不可欠である。阪神淡路大震災ではこうした地域のつながりがボランティアとして活動し、被災者の救助、避難所の運営、瓦礫の除去などに大きな力を与えた。これらの視点から、災害時を見据えたつながりのあり方を考えることになった。
検討の具体的手段として、2-2で述べる背景から、地域コミュニティの課題を解決するため、地域に住まいを持つ新規住民、通勤、通学等でその地域に活動の場を持っている人々、その地域に関心を持っている人、などが気軽に参加出来る、SNSコミュニティーの作成・運用の実現性を検討し、実際に長野県佐久市で行われている「リモート市役所」を参考に今回のプロジェクトを進めていくことにした。
本プロジェクトはあるメンバーの経験から発足している。そのメンバーは過去に別地域で加入していた町内会での活動を良い経験として捉えており、移住し一人暮らしを始めた後「同じような活動ができたら」と町内会への加入を希望した。しかし「学生さんは忙しいだろうし、町内会費も負担だろう」と断られた経験を持つ。そこには旧住民と新住民の違いが垣間見えた。そうしたところから町内会に変わる地域活動のためのコミュニティの必要性を考え、本プロジェクトの問題関心が形作られていった。
またプロジェクトの参考とした「リモート市役所」は、長野県佐久市の移住者や移住を検討する人々を対象として、移住の経験や市民との情報交換を目的としたオンラインコミュニティである。佐久市各担当課からの情報発信のほか、同市は自然の豊かさをPRポイントとしており市民や職員が四季折々の風景を投稿するなど活発なやりとりが行われている。多くの人々がその街の魅力や特長、また時には課題を共有することで、街への所属意識を高めることにつながる好事例と考える。このプロジェクトでもこの「リモート市役所」に倣い「Slack」アプリを使用したオンラインコミュニティの構築を模索することにした。
私たちは実際に地域コミュニティとして運営する前段階として、およそ40人ほどいるゼミ内でSlackコミュニティーの運営を行うことにした。しかし、すでにゼミ内ではLINEグループが作成されており、先生から学生へのアナウンスの場として存在していた。またその他にも、各プロジェクトの進行や連絡手段としてLINEグループが活用されていたと考えられる。
まずはじめに私たちはそれらの各グループのコミュニケーションをSlack上で行って欲しい旨をアナウンスした。その目的は、ゼミという小規模のコミュニティで試運転をしたいという理由と学祭に出展するにあたっての連絡手段としてグループ間での連携がとりやすいと考えたからである。ここでは、そこから生じた課題をいくつか述べる。
まず、Slackをインストールしている人が少数派であることが課題としてあげられた。さらに、既に同様の機能を持つLINEというコミュニケーションツールが台頭しているため、わざわざ新しい媒体を使用する必要性が低かったと考える。
コミュニケーションの手段として活用するためには、対象のゼミ生にSlackに参加してもらう必要があった。しかし、私たちはSlackへの参加依頼を発表のプレゼンにて複数回行ったが、結果として期待した反応を得られることはなかった。利便性や全体としての連絡をさらに円滑に進めるための方法としての魅力を伝えきれなかったことが原因にあげられる。
そして、Slack上でコミュニティを作るうえで参加者が気軽に雑談できる場やお気に入りの漫画を紹介する場を形式的に設けたものの、あじプロメンバー8人の中で恒常的にそのコーナーを運営出来なかった。コミュニティとしての運営を試みた「おしゃべりの場」であったが、前提として人がいないこと、また話題提供の仕組みを整えることができなかったのである。
さて、現状使っているLINEという媒体から乗り換えてまでSlackを利用するメリットをこちら側から提示できなかった点だけでなく、使い方についてもあじプロメンバーですら使いこなせる人は少なく、使用の協力を依頼するだけで、十分なフォローをすることが出来なったといえるだろう。
以上から、Slackの参加率の低さから及んだコミュニティの過疎化やあじプロメンバーによる使い方の指導不足により、試運転は失敗という結果に終わった。
今後公的な運用を想定した際、課題として残されたSlackを導入するメリットや利便性をいかにして大衆へとアプローチしていくのか。そして、参加後にも継続して関心を引き付けるような仕組みを作るとともに参加者へのサポート体制が求められると考えられる。
白山祭では、展示とパワーポイントを使用した中間報告を行った。展示では、興味を持って見てくれた人に口頭で説明すると共に、実際にSlackに参加していただいたり、グーグルフォームを使ったアンケートを行った。
白山祭を通して集めたフィードバックは以下である。収集方法は、白山祭で直接ご意見をいただいたものと、あじさいプロジェクトの展示に設置したグーグルフォームへの回答から。
「マンションなどが多く立ち並び、お互いの顔を把握しにくい現状では、オンライン上での地域コミュニティが非常に有意義だと感じるものの、現代の若者に合わせた斬新なアイデアであり、既存のコミュニティとの兼ね合いや高齢者がシステムに追いつけるかどうかに疑問が残る。」(60代男性)
「また、実際に地域コミュニティに参加しにくいという経験があり、オンラインの実現にはとても良い可能性を感じるが、情報管理の面で不安がある。」(30代女性)
「活動自体は良いと思うが、携帯電話を所持していない人もおり、情報がすぐに受け取れるのは便利である一方、年齢を重ねるごとに文字が見にくくなり、フォントを大きくすることで情報が正しく伝わらなくなる可能性がある。」(30代女性と70代女性)
「自治体のイベントには参加したことがあるものの、コミュニティが形成されているのは主に高齢者であり、オンラインでは顔を合わせる必要がなく参加しやすい点が良いと感じる。」(30代男性)
SNSを使いこなせるのか、という部分では年齢的な不安点が指摘されていた一方で、ゼミ内でも、Slackという媒体自体の操作性の難しさが懸念される声があげられていた。
上記の意見にもあるように、オンライン上に地域の輪を形成すること自体には、有意義な側面があるといえる。しかしながら、この理念を基に運営の実現可能性を検証していく中で実際の運営には至らなかった。その中で、表出した課題は以下である。
第一に、オンライン上に地域のつながりを作るための場の形成(本プロジェクトではSlackを利用)を試みたものの、いかにしてその場を活性化させ、地域の輪を恒常化させるのかという点だ。これに関して、本プロジェクトのメンバーは、2部生という性質上、就労している人間も多く、時間の制約もあり、活性化のための働きかけが不足していた。プレ運用として、白山祭までの期間においては、Slackのアクセス権限は白山祭関係者以外には解放せず、運営についてのコミュニケーションを取る場としての活用を試みた。しかしながらⅢにおいて言及するように、結論から述べると、円滑なコミュニケーションを取ることは出来なかったといえる。まず、先に述べたようにコミュニケーションツールとしてではなく連絡ツールとしての運用目的で呼びかけたが、実際ログインをした人は少なく、他に連絡手段がある中で、必要性や実用性を訴えることが不十分であった。さらに、運営を持続させる取り組みは、一方的に情報を流すだけでは難しく、またそれすらもメンバーとしては行えてなかった現状がある。オンライン上で地域のつながりを構成する場合にどの様な形で管理・運営を行っていくのか、場を作ることと合わせて検討を進める必要がある。そのためには、場の目的を共有できること、運営方法を明確にさせる必要があるだろう。
第二に、これは管理という点に関わるが、いかにして場の治安を維持するのかという課題である。これはSNS運営においては、普遍的な課題であり、災害時にも役立つ地域の場を構築することを目指した本プロジェクトにおいても重要な課題であった。
災害時において、SNSは情報を迅速に広範囲に伝達する上で大きな力を発揮する。だが、同様にデマについて注意をする必要がある。災害時において悪質なデマは正しい情報の伝達を妨げ、不必要な混乱を生じさせうるからだ。SNSがなかった時代でもデマによる甚大な被害が発生した事例がもちろんあり(関東大震災など)、また近年でも震災時にはSNSにおいてデマ情報が出回ることが話題になる事態も発生している。熊本地震での「ライオンが逃げた」デマは大きな話題になった。(東スポWEB 2016年7月21日)大きな企業が運営するSNSであれば、デマに対応するための人員を常に配置することが可能かもしれない。しかし、本プロジェクトのように少人数で運営を行っている場合において、常にSNS上の問題に対応することは現実的ではない。本プロジェクトにおいては「運営ポリシー」を作成し、Slack上での周知という方法を行った。以下が作成したポリシーである。
「スラック運営ポリシー
皆さまの良識を信頼して運営しています。
以下の点を遵守した当スラックの利用をよろしくお願いします。
・社会通念上、客観的に誹謗中傷と捉えられる言動、書き込みの禁止
・政治的活動、宗教的活動、ビジネスにおける営利目的の各種活動に禁止
議論や情報共有ができる場を目指しています。
参加者同士が互いに尊重し、建設的な議論を行えるようご協力を願いいたします。」
実際コメントや書き込みは少なく、連絡・調整という事項でしか使用されなかったため、検証としては不十分であった。デマや誹謗中傷、差別を生み出す問題は起こらなかったが、前提として使用される頻度が少なかったと指摘されるだろう。想定としても、オープンではないが顔の見える関係より、近い繋がりを想定していたが、運用にあたっては、コミュニティとしての目的や対象範囲によっても変化するといえる。少人数で運営する場合において、デマ対応を含む治安の維持をどの様に行っていくのかは、検討が必要だ。本プロジェクトの段階では、参加者のモラルを信用しての運用となったが、参加者が増えればそれだけ治安に対するリスクが増加することが考えられる。
本プロジェクトは、学生がオンライン上にコミュニティを形成する必要性を感じ、開始した。だが、上記のような課題からも、実際に有効な場を形成するためには学生だけの力では限界があった。今後、本プロジェクトを実現可能なものにするためには、自治体や理念に共感する企業などと協力する必要がある。そしてそうした協力によって、運営の持続性が確保できれば、その中で地域の情報等を発信して繋がりを構築すると同時に、防災に関わる情報も提供し、「自助」、「共助」、「公助」全ての側面で有効となりえる可能性を持ったオンライン上における地域の場をつくり出すことが可能なのではないだろうか。
また、オンライン上に存在する地域の繋がり作るというプロジェクトの想定では、現在の地域コミュ二ティに入れないがSNSに親和性を持つ人たちを包摂できる一方で、日本語が得意でない人や障害を持っている人、地域に馴染めなくSNSの苦手な高齢者、などを包摂することが難しい。言語的側面についてはインターネットの翻訳技術は向上していると言えるが、本プロジェクトのSlackは日本語でしか会話はなされておらず、アクセスできる人が限られていることが課題である。
私たちの関心の前提としては、全ての人を包摂できる社会を作るために何が出来るのかを考えるという視点がある。地域コミュニティという場に着目したのは、一面的ではあるが、新旧住民の溝に疑問を抱いたことがあった。様々な人々を包括できる地域コミュニティは存在しうるのかという問いと同時に、災害などの有事の際にこそコミュニティのつながりは重要なのではないだろうか。もちろんそうした繋がりのためには、オンライン上のコミュニティ形成だけでは不十分だ。自治体のコミュニティ運営の現状などとも併せて検討を進める必要があると考える。
我々は「あじさいプロジェクト」として活動を行なってきたが、これは松崎ゼミの中で複数立ち上げたプロジェクトの一つであった。ゼミでは、我々の他にも複数のプロジェクトが災害時においてソーシャルインクルージョン(社会的包摂)に関連してそれぞれの課題意識を持ちながら活動を行った。
各プロジェクトが自由に活動し、指導教員である松崎先生はプロジェクトが活動をするための場を作り、方法や着眼点の指導、また各議論の調整を行うというスタイルでのゼミ運営であった。この方法の背景には映画「Most Likely To Succeed」があった。
映画は、アメリカの公立学校であるHigh Tech High(ハイテックハイ)の実態を記録したドキュメンタリーである。当校では、従来型の教育と呼ばれる知識詰め込み型の学習、テスト偏重の評価を批判的に検討し、知識をいかに活用するのか、そしてその活用のために必要となるソーシャルスキルを発達させることに重点を置いている。定期テストは存在せず、生徒は教員より与えられた課題(演劇、作品作成、プログラミングなど)に関連して、自分たちでプロジェクトを立ち上げて、実行して完成させる。教員は、プロジェクトに関わる知識や教え、方法や活動の材料、場所の支援をする。そしてプロジェクトの完遂のために生じる様々な困難には生徒自身で取り組む作りになっている。映画では、評価について詳細に示されていないが、評価方法の一つとして学園祭でプロジェクトの成果物を、保護者、地域住民に公開してそこで評価を受けるという手法がとられていた。
この方法を踏襲して運営された松崎ゼミでも、各プロジェクトの中間報告という形で、白山祭で成果物の発表を行い、フィードバックを地域住民、白山祭参加者からもらう場が設けられた。
そして私たち「あじさいプロジェクト」は、Slackを運用してコミュニケーションを取るという目的で、コミュニティ構想の前段階として白山祭の出店準備や全体の会場運営をSlackで行うことを提案した。その中で、映画で映し出された内容と白山祭を通した取り組みには構造的違いがあったことを指摘したい。そこからコミュニティを想定する前に、集団として活動を共にする意味や、そこでの困難さに焦点を当てて白山祭の流れを記述してみたい。災害時は、避難所生活などある意味強制的に見知らぬ他人と活動を共にしなければならない場面が生じるだろう。私たちが白山祭を通して感じたことや考えたことと、有事の際に経験されるコミュニケーションの課題と、決して無関係ではないと考える。この困難さを整理し、解消するための方法を検討することで、コミュニティ作成と、そこにつながるコミュニケーションの在り方を改めて検討する。
実施するまで
白山祭への出展に関する手続きなどの多くをあじさいプロジェクトのメンバーが担った。その背景にははじまりの白山祭の出展受付まで時間がなく、出展受付の提出期限が迫っていることから、その場で動けるメンバーで動き始めたことにある。
手続きに関しては、白山祭当日の出展内容や要項をまとめた書類を白山祭実行委員に提出する際に、初めての出展でわからないことが多く、まとまった時間を授業外で作れる機会が設けられなかったため、ゼミ内で調整ができずに難航した。授業時間外でのコミュニケーションがあれば、出展内容などをもっと細かに詰められ、最初の手続きはスムーズだっただろうし、当日行う内容に関してももっと違うことができ、ゼミ全体の意見を聞くこともできたのではないかと考える。
白山祭のことやゼミに関しての連絡等を途中からSlackを使って行うようにした。最初LINEでの連絡をしていたが、アジプロの都合で、ゼミ全体の連絡網をSlackに変えた。想像していたよりも思うように運営ができず、LINEと併用する形になってしまい、ゼミの皆さんからしたら、情報が錯綜してしまい、大変わかりにくくしてしまったと感じている。あの状態だったら、直接情報伝達した方が早かったであろうし、確実に連絡を回すことができたと考えるが、頭の中で『なぜわざわざ直接連絡しなくてはいけないのだろう。』や『自分は先生や上司でもなく、ひょっとしたら友人でもないのに、いついつまでにこれを決めてほしいとか、当日の役割分担を伺いに行くのは、なんとも上から目線な感じがして偉そうだな』と考えてしまい、直接的なコミュニケーションを避けてしまっていた。しかし直接的なコミュニケーションを避け、SlackやLINEのみでの一方的な連絡が、結果的に私たちを偉そうにしてしまっているのではないかとも思えた。
当日の流れを予想した下準備にも苦戦した。白山祭本番間近になり、目を通しておくべきだった部分等、全体的な粗さなどが表出した。文化祭の参加者説明会は、正直早口で不明瞭だった。白山祭実行委員による、白山祭に参加経験のある人たち向けの説明であり、説明が簡易的なものになるのは当たり前ではあるが、展示を行ったことのない人たちへの配慮も必要であったと感じる。さらに、聞き逃してはいけないという緊張感と、質問のしづらさが存在した。聞き逃したことや質問があったのであれば、質問をしに行くのが正しいと自分でも思うが、聞きにくいと思ってしまい、聞きに行けなかった。実行委員への聞きにくさは、あの青いジャンパーを着ていることによって、同世代であっても自分よりも偉くみえ、青いジャンパーを着ている人たちは、青いジャンパーの人たちで固まっている。仲間で固まるのは当たり前ではあるが、それが閉鎖的なコミュニティに見え、私はその青いジャンパーの群衆に聞きに行くことが怖くなったのだろう。
反省点として
まずゼミ内で、白山祭運営に関する役割分担が出来なかった点をあげる。さらに白山祭運営をしなくてはならないと、勝手に自分たちにその役割を充てていた側面が否めない。だが、ゼミ内で、白山祭に関しての話し合いをもう少しするべきであっただろう。文化祭の手続きや運営に関する役割をやりたかった人もいたかもしれないと考えると、申し訳ないことをしてしまったかもしれないと同時に、力不足であったと考える。
また、ゼミ全体に対しての、白山祭の情報共有が上手く成立しなかった。ゼミの各班が出展をするか否かが不明瞭であり、ゼミの人たちは、白山祭に各班が出展する認識が共有されていたのか、という疑問すら生じていた。私たちが進捗の共有や当日の参加者の確認を行っても返事がない場面が存在した。グループごとには中間報告の成果物は出来ていたし、そもそも全体の運営においてその情報が必要であったのか、という部分まで考える余裕がなかったことに加え、この情報共有の不成立は、結果として、白山祭当日になるにつれ徐々に大きくなっていったズレの原因と考えられる。
当日の話
白山祭当日は、まなキキの方たちと合同で出展をした。初日は、雨だったこともあり、白山祭自体の客足がまばらであった。二日目は初日と比べ、天気は晴れていて、客足も初日と比べると、倍以上になっていた印象だった。白山祭本番では、出展準備の際、各グループの準備や会場の設営はまなキキさんたちの助力もありしっかりと余裕をもってできたと感じている。しかし、当日の私たち松崎ゼミの運営に関しては、人手不足を感じていた。原因として、私たちが最低限、各班の部分だけをやってくれたらいいと言ったことが大きいと思う。ゼミとして「白山祭への参加は任意」という前提があり、ゼミ生の雰囲気として「成果物を学園祭に展示したら終了」というものがあったことがひとつの原因だと考えられる。当日学園祭にどう関わるかは個人の自由であるのは当たり前である。しかし白山祭へ出展することが授業の一環であるからこそ、その目的は授業の単位を取るためであると考える学生もいただろう。
白山祭運営の経験から
上述したような、コミュニケーション不足と、目的意識や必要性の共有の不足からなる困難や問題を私たちは白山祭を通して経験した。これらの大きな理由としてはゼミ全体としてのコミュニケーション不足と考える。私たちは、最後の授業まで所属しているグループの構成員以外の名前と顔が完全には一致していない。他者と何かを行う際に、コミュニケーション不足で他者が全くの他人であり続けた場合より、コミュニケーションを通して少しでも他者のことを知っていた場合の方が共働しやすいのではないだろうか。そうした側面からも、白山祭に協働して取り組む根本が、構築できていなかったのではないだろうか。
私たちは結果としてチームとしても個々人としてもリーダーシップを発揮することは出来なかった。そもそもゼミとして集団の中ではリーダーは求められていなかったともいえるだろう。しかし、今回感じたコミュニケーションのとりにくさの原因として、Slackを使用してのとりまとめを行ったために、ゼミの出店としての主導権が私たちにある構造が出来上がり、そこには権威的な側面があったのではないか。そして権威的な立場であることに気づけなかったことが、一部の人がやっている感につながり、白山祭出店の運営をゼミの課題に出来なかったことに繋がっていると考える。
白山祭の取り組みは先生主導ではなく、学生が主体/主導の授業であり、「Most Likely To Succeed」の生徒のように、主体性と自主的な学びを得ることが出来る、舞台装置となる可能性があった。しかしながら、意図せずとも発生した権力関係に批判的になることができず、主体は確かにゼミ生全員に存在していたはずなのに、疑問が残ったといえるのではないだろうか。
前述でも述べた通り、問題の考察として我々あじプロとゼミ内に大きな認識の違いがあるのではと述べた。そこで、筆者は文化祭後同じゼミの人たちに、自分たちあじプロのふるまいや、スラックの運営方法はどうだったのかを聞いてまわった。そうして帰ってきた言葉はどれも肯定的な言葉ではなかった。「スラックに協力しているのになんであんなに高圧的なの?」「松崎先生のゼミなのになんで仕切っているの?」といった内容であった。認識の齟齬は聞き取りを行ったことで筆者が想像しているより深く、致命的な欠陥を宿していることが容易に感じ取れた。島村君が記述した通りのことが全くそのまま相手に捉えられていた。スラックというオンラインコミュニティの使用感や調査という実績を作るだけに躍起になり、結果、その向こうにいた個人たちに向き合えてなかった。事実、聞き取りを行った一人に、面と向き合ってなぜスラックを使いたいのか、どういったことを形にしたいと考えており、そのために協力してほしいと直接言いに来ていればまた印象が変わったであろうと言われ、そうした誠意が見えず、文面上で高圧的な要求を一方的に送信し、陰でこそこそと自分たちは優秀であり、ゼミのみんなは非協力的だと言っている姿はとても不愉快だったと述べていた。そうした印象を持たれているにも関わらず、傲慢にも筆者たちは問題を映画の観る順番であるとか、授業形態であるといった考察しかできず、今日、1月31日になった。任意による強制力や権力構造、単位形態による授業態度も、私たち以外でそういった意識を感じていた人は誰一人としていなかった。あじプロ内でのみ、そうした概念を内在化し、そうした概念を振りかざしていた。大学生なのだから主体的に行動しろよ。と口を揃えて愚痴をいっていたのが印象的である。自分たちも同じ大学生なのにさも主体的であると述べる言葉は私たちがいかに権威的であったかを象徴していた。そうした意識が内在化された背景としてスラックというコミュニティを管理する立場にあった、文化祭の手続きをあじプロのメンバーが担ったという考察点が挙げられるが、それも筆者が他のゼミの人から話を伺う機会に恵まれたから感じただけであり、推測の域を出ない。
そうして、決して円満とは言えない形で文化祭が終わる中、今もこうして考察を続ける中で、「どうすればよかったのか」という疑問が付きまとう。私たちが行ったことは余計なお世話で、自己責任で、暴走して、勝手に背負って勝手に苦しいと投げ出して怒っているだけのことなのだろうか。任意であるものを突きつけられていると見紛うほど、単位を人質に強制されていると感じたのは、何がそうさせたのだろうか。事実として文化祭の手続きという、私たちにしか出来ない役職が付いてきたことを、自身の努力を肯定することをなぜ相対的に誰かを貶めてでしか出来なかったのだろう。なぜあの時、声をかけなかったのだろう、なぜ助けを求めなかったのだろう、なぜ、信頼することを、歩み寄ることをやめたのだろう。私は「どうすればよかったのか」に向き合わなくてはならないと思っている、なぜなら社会で生きていくためには必要なことだと感じているからである。
本報告書では、あじプロの「Slackを利用した地域コミュニティ」の運用検討の結果と、白山祭の運営の経験から、コミュニティの在り方についてメンバーで議論したものをまとめた。まず反省点として、議論を一つの報告書としてまとめ切れていないことについては言及しておく。各々の反省や思いを言葉で整理することを目的とし、グループでも議論を行ったが十分でなかったといえるだろう。
Slackでのコミュニティ運用の検討では、Ⅱで述べたように、参加者を増やす困難さや、場を維持継続させることの限界といった課題を明らかにした。しかしながら、プロジェクトの企画段階で言及があった、SNSを使用する上でのリテラシー的視点やSlackのSNSとしての特徴、またツールの比較の部分はリサーチ不足であった。また行うことが出来なかったが、ゼミメンバーから使用した感想を統計的に収集することで、より詳細なデータを得ることが可能であったと考える。白山祭を通して得たオンラインコミュニティや、地域コミュニティに対する考え方には、ツールとしての懸念点はあげられる一方、新しい取り組みとして興味を示す声が多くあった。そこから、コミュニティとして、持続可能な体制を構築すること、リテラシー的側面をクリアにし、目的と対象をある程度明確にすることで、既存の地域コミュニティではないコミュニティの在り方を模索することは可能ではないかと考える。
そして白山祭の経験からは、権力関係とコミュニケーションという議論が生まれた。事務的な手続きを担ったことからは、大学における学生としてのイベントに参加することの組織的な側面が、またゼミのメンバーとしての参加や、まなキキとの共同イベントとして参加することには協力関係の構築が必要不可欠であることが分かった。時間的制約のなかで、どのようにコミュニケーションを構築し、コミュニティの運営に生かすことができるのだろうか。無自覚の内に生じる権力関係は、コミュニティのあり方そのものを左右しうる。そうした中で私たちが、あじプロとして目指したコミュニティ形成の在り方は、はじまりは新旧住民との距離感への疑問であり、様々な背景を持つ人が既存の自治会よりも気軽に参加することができ、いざという時には役立つ繋がりを作ることにある。
結果として、SNSでコミュニティを作り運営することは様々な面からみて、ハードルが高いといえる。そしてSNS上だけでなく、対面でのコミュニティの構成も、それを担うメンバーによって、良くも悪くも変化する。合う合わない、得意不得意はあれど、有事の際には否応なしに、コミュニケーションを取らなければならないだろう。白山祭はそうした場面に通ずるものがあったと同時に、まなキキの方々をはじめ、来場してくださった方々と交流し、同じ時間を共有出来たことはとても貴重な経験だったのではないだろうか。
最後に、それぞれの時間的制約の中で一緒に活動をすることができたメンバーに感謝を伝えたい。本当にお疲れさまでした!そして指導のなかでたくさんの議論の場と、経験をくださった松崎先生に感謝を申し上げ、報告書のまとめとする。
参考文献
東スポWEB、2016、「熊本地震『ライオン脱走デマ』で逮捕!現地が迷惑した罪の大きさ」2016年7月21日、https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/152125