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第11回「海外若手研究者の日本留学レポート!」
基礎生物学研究所・名古屋大学
キム ウンチュル (KIM, Eunchul)
私は韓国で博士学位を取得した後、2015年10月から皆川先生の研究室 (基礎生物学研究所) で光合成生物の集光システムにおける調節機構の研究を行っています。大学院課程のうち、熊崎先生 (京都大学) との共同研究のため京都で滞在した期間を含めると約 6 年近くを日本で過ごしました。したがって、今は、韓国での研究室生活 (大学院生活) 6年、そして日本での研究室生活6年のバランスをとる時期になっています。本稿では私が日本に来た経緯そして日本での留学生活を通じて感じた点を中心にお話したいと思います。
1. 日本に来る前、そして来ることになった経緯の話
私は大学で物理学を専攻し、物理、化学、材料工学、経済学分野の教授が集まって新設したエネルギー科学科という融合·複合学科で博士号を取りました。博士課程では太陽電池、光触媒のような光エネルギー変換システムにおけるエネルギー電子伝達ダイナミックスを研究し、その過程で細胞だけが持っているフィードバック調節機構に興味を持つようになりました。そんな中、私がM2であり論文がまだなかった時期であるにもかかわらず、指導教授の配慮で2010年に北京で開かれた国際光合成学会に参加することになりました。当時の私はまだ若く(22歳)、国外で学会に参加したのは初めてでとても不慣れな雰囲気を感じました。しかし、当時の指導教授は、「学会に参加した時は研究室の者同士で集まらずに別々に回りながら新しい人脈を作ることだ」と言って全然気を遣ってくれなくて、最初は非常に困った状況でした。しかしそのおかげで熊崎先生, 柴田先生, 浅井さん, 近藤さん、野地さん及び日本の学生たちと夕飯を一緒に食べる機会を持つようになり(どのように夕飯を一緒に食べるようになったかは記憶がありません...,たぶん私がかわいそうに見えて連れて行ったのだと思います…)このような縁が今まで続いています(図1)。結果的に見ると、学会で学生を放置していた指導教授の戦略が成功したと思われます。また、そこで現在のボスである皆川先生のステート遷移に関する発表を通じて、博士号の主要研究アイデアを得ました。その後、ステート遷移研究を行って得た中間結果を、奈良で開かれた国際学会で発表しました。そこで熊崎先生とのディスカッションを通じて共同研究を構想するようになり、このような縁が日本で研究を始めるきっかけになりました。
2. 学生として京都での話
博士の指導教授、熊崎先生、寺島先生のご配慮のおかげで、京都に住みながら実験を行う機会を得ました。このとき京都で研究した経験は、研究結果だけでなく私の考え方にも大きな転換点になりました。私が感じた最初の印象は、先生たちが学生たちにフレンドリーで遠慮なく過ごしているという感じ(韓国に比べて)を受けました。これを通じて、学生たちがより自分の意見を表出しやすい環境だと感じました。特に、私が在留した研究室の学生たちは皆積極的な感じでした。このような環境は私を変え、韓国に帰った時、指導教授は私が日本に行ってきたら自信がついたと言いました。
2-(1) 研究の話
京都では熊崎先生の分光顕微鏡を使って、室温で生きている植物細胞のステート遷移を空間的に分析する研究を行いました。当時の私はprotoplast isolation技術を習得していたので、protoplastを活用することで細胞壁などによる散乱を減少させ、イメージングのクオリティを高める方法を取りました。伊福先生の協力を得て、protoplast状態でもステート遷移が起こることを検証し、蛍光再吸収の量を定量化して補正する方法を開発しました。その結果、室温下における光化学系Iと光化学系IIの蛍光スペクトルを分析する数式等を開発することに成功しました。これにより、光化学系Iと光化学系IIの間にあるアンテナ分配機構の空間的、定量的な解析を可能にし、ステート遷移のメカニズムを解明しました。(Kim et al. 2015 PCP)
2-(2) 生活の話
初めて外国に住んで過ごす生活でしたが、教授、学生たち、そして事務職員の方々がとても親切にしてくださって、大きな不便なく過ごすことができました。特に毎日の昼食を熊崎先生と一緒にとったことが記憶に残っています。この時間を通じて研究及び生活に対する話をよく交わし、日本文化および言語についてもたくさん学びました。学生たちともよく飲み会をしながら楽しい時間を過ごし、この過程を通じて居酒屋のメニューを早く読める特技を習得しました。いまさら感じますが、京都は外国人留学生が生活するにはベストな環境だったと思います。日本の雰囲気を感じられる観光地とおいしい食べ物が多く、観光客が多いため日本語ができなくても生活に大きな不便はなかったです。
3. ポスドク研究員として岡崎での話
博士学位を取得した後、岡崎にある基礎生物学研究所・皆川先生の研究室で研究を始めました。最初は短期間の契約でしたが、皆川先生のサポートで外国人学振PDとNIBBリサーチフェローを受けることができ、現在まで研究を遂行できるようになりました。私が研究室に初めて合流した時は多様な分野(分子生物学、生化学、構造生物学、生理学など)を専攻した研究員がいて(図2)、より早く多様な分野を理解することができたと思います。
3-(1) 研究の話
私は、藻類(緑藻:Chlamydomonas reinhardtii、紅藻:Cyanidioschyzon merolae)および植物(シロイヌナズナ、ホウレンソウ)の光捕集システムおよび光防御機構を研究してきました。緑藻はストレスによって誘発される集光性タンパク質(Light-harvesting complex stress related: LHCSR)を用いて光化学系IIの過剰エネルギーを散逸する光防御機構を調節しています。緑藻のLHCSRはUVで発現が誘導されるLHCSR1と青色光で発現が誘導されるLHCSR3があります。しかし、LHCSR1とLHCSR3がどのように光化学系IIの過剰エネルギーを散逸しているのか、またその作動メカニズムは不明でした。私たちはLHCSR1とLHCSR3を持っていない変異株を用いて生化学および分光分析を行い、LHCSR1およびLHCSR3の作動メカニズムを明らかにする研究を行いました(Kim et al. 2017 JBC、Kosuge et al. 2018 PNAS)。また、光化学系タンパク質複合体のような膜タンパク質複合体内結合の強さを分析するための新しい分析方法を開発し、膜タンパク質間結合の強さという新たな視点での分析を可能にしました(Kim et al. 2018 JPCB、Kim et al. 2019 JPCL)。さらに、植物の光化学系II集光性タンパク質(Light-harvesting complex II: LHCII)の特徴である正電荷を帯びたN-ターミナルがLHCII依存光防御機構に重要な役割をしていることを明らかにしました(Kim et al. 2020 JPCL)。そして、半結晶性アレイ形態のPSII超複合体(PSII超複合体の三量体)を分離することに成功し、PSII超複合体の配列形態によって集光性質が調節されることを明らかにしました(Kim and Watanabe et al. 2020 JBC)。
3-(2) 生活の話
硏究員という身分での硏究室生活は、学生という身分の時と比べると少し差がありましたが、京都と同じように皆さんの親切さに支えられて早く慣れることができました。特に、人で混雑しているソウルや京都と違って、人通りが少ない岡崎の平和な生活に魅力を感じました。しかし、京都とは違って岡崎では外国人や観光客が少ないため英語だけで生活するのには不便さが多かったです。そこで、私は研究室の外部では英語を使わないという覚悟で生活しながら日本語を習いました。日本語を覚えるためには、子供のように聞き、噛み、習いましたが、その度に研究室の人達が親切に説明してくださって感謝しています。そういうみなさんのおかげで、今年日本語検定能力試験1級を獲得しました。
4. 日本での生活の中で違うと感じたこと
全世界の国を比べると、日本と韓国はかなり近くて似たような点が多いですが、それにも違いがあるので、このパートでは私が研究室の生活と日常生活で感じた違いについて話そうと思います。まず、私の経験を通じてすべてのことを一般化することはできないので、その点を考慮して見ていただきたいです。
4-(1)研究室生活で違うと感じたこと
「日本の大学院生は学生(?)、韓国の大学院生は被雇用者(?)」
日本と韓国の研究室生活を通じて一番先に感じたのは大学院生に対する認識の違いでした。韓国での大学院生は学科(大学)と指導教授の研究費から給与(理工系の場合はほとんどが)を受ける被雇用者(?)のような立場でした。給与は指導教授の決定によって大きく左右されるので雇い人の立場のようになりますが、別にアルバイトをしなくても生活が十分に維持される程度でした。そのため、指導教授は大学院生がアルバイトをするのを良い目で見ない雰囲気でした(私はアルバイトしている大学院生は見たことはありませんでした)。一方、日本では多くの大学院生がアルバイトをして、授業料や生活費を自費で支払っているという話を聞いて驚きました。そのため、韓国の大学院生は経済的余裕があるが自由が不足し、日本の大学院生は経済的余裕が不足しているが自由があるという感じを受けました。どちらも長所と短所があると思います。
「日本ではキムさん、韓国ではキム博士」
韓国の大学院生は被雇用者のような立場で厳しい過程を歩きますが、博士号を授与すると呼称が「○○博士」に変更になりました。同じ研究室でも年上には○○博士様、年下には○○博士と呼びました。また、教授(助教と准教授を含む)の場合は、助教も○○教授様という呼称で呼ばれていました。一方、日本では学生が博士を呼ぶときはもちろん、助教と准教授を呼ぶときも○○さんと呼ぶことに少し驚きました。最初は適応できず研究室の助教と准教授にも先生と呼びましたが、今はある程度システムを理解して呼ぶ方法を考えています。呼び方である程度フラットな関係を持って研究をするのは良いことだと思います。
4-(2)日常生活で違うと感じたこと
「食文化の違い」
食文化に関する話ですが、私は最初から日本の食文化にすごく早く適応しました。日本の食べ物だけ食べても生きていけるぐらい日本の食べ物が好きです(図3)。その中で、韓国に一時帰国した時、日本食文化に適応していた私に起こった変化を見つけました。私がいつも注文して食べているお弁当は辛さがほぼゼロのため、それに適応し、辛いものが食べられなくなっていました。この変化から、日本の食べ物の中では辛いものが少ないこと(私がいつも注文しているお弁当屋さんが特別かもしれないですが)を感じました。
そして、ご飯を食べる時のお茶碗の持ち方に違いがあります。日本ではお茶椀を手で持って食べるのがマナーだと学びましたが、韓国では手で持たない方がマナーで持つのはむしろ良くないと考えられます(特に年上の人の前では)。京都で熊崎先生と韓国の指導教授と一緒にご飯(和食)を食べる時も、熊崎先生は手で持って韓国の指導教授は手で持たないままご飯を食べていましたので、私はどうした方が良いのかを少し悩んだ記憶があります。結局、ここは日本なので、日本のルールに従う方を選びました。その後は、韓国の指導教授も気づいて、同じ方法でご飯を食べました。
「カラスが多い」
京都と岡崎が特別かもしれないですが、カラスがすごく多いことに驚きました。韓国のソウルにはカラスはあまりいなく(実際に見た記憶がないです)、ハトが多いです。この点は今も適応できなくて、ちょっと怖いです。
5. 終わりに
この原稿を執筆するのは、私が再び初心を思い浮かべる刺激になりました。韓国では光合成研究者がほとんどいなくて、光合成を研究するのはすごく孤独でしたが、日本では優秀な研究者が多く、とても楽しく研究ができました。特に、ひらがなも読めなかった私が、今まで研究を続け、日本で生活ができたのは、多くの方から配慮と支援をもらったおかげだと思います。最近は両国の政治的な関係があまり良くない状態ですが、それにかかわらず研究室の皆さんも光合成学会の皆さんもそして研究所外部の皆さんもすごく親切にしてくださって、心から感謝しています。特に、私の研究と生活にご支援くださっている皆川先生と熊崎先生に感謝の気持ちを伝えたいです。私がもらった分を光合成研究会と日本の社会に恩返しするために私の役割で貢献できるように頑張ります。最後に、この原稿を執筆するきっかけを下さった若手の会会長の清水隆之先生と渡辺麻衣先生にこの場を借りて深くお礼申し上げます。
図1 北京で晩ご飯中の写真
(2010年 国際光合成学会)
図2 基礎生物学研究所環境光生物学研究部門のクループ写真(2017年度)
図3 好きな日本の食べ物