-使用にあたり-
●この台本は、1話・2話の通し版です。
●配役は推奨です。配役・人数など変更して、自由に演じて頂いてもOK。
※ただし、配役・人数を変更した場合、台詞バランスがかなり偏ります。
変更される際は、一緒に演じられる演者様、皆様がご了承の上で、ご使用ください。
●推奨の配役は、台詞バランスを考慮しています。
※役名の前に付いている数字(①-⑥)は、最後まで一貫しています。
※途中で配役が変わりますが、通して(①-⑥)の役を演じて下さい。
※PCなどで、キャラの色付けするとき(F3など)
①-⑥の数字を検索対象にすれば、わかりやすいです。
●この台本の上演時間は、約80分です。
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【登場人物】
南方 仁(みなかた じん) 【1話① 2話③】
東都大学附属病院脳外科医 38歳。
友永 未来(ともなが みき)【1話⑤ 2話⑥】
仁の婚約者。現在は植物状態。 30代。
橘 恭太郎(たちばな きょうたろう) 【1話② 2話①】
徳川旗本の剣客の武士。咲の兄。 20歳。
橘 咲(たちばな さき) 【1話④ 2話⑤】
旗本橘家の娘。 16歳。
橘 栄(たちばな えい) 【1話⑤ 2話⑥】
恭太郎と咲の母。 40代。
坂本 龍馬(さかもと りょうま) 【2話②】
土佐藩藩士。 26歳。
佐分利 祐輔(さぶり ゆうすけ) 【2話①】
紀州の出身の若い医師。 20代。
千葉 重太郎(ちば しげたろう) 【2話①】
幕末の剣客。 30代。
野風花魁(のかぜ おいらん) 【2話⑥】
吉原「鈴屋」の花魁。未来と瓜二つ。
彦三郎(ひこさぶろう) 【2話②】
吉原「鈴屋」の店主。
喜市(きいち) 【2話④】
枝豆を売る少年。 9歳。
妙(たえ) 【2話⑥】
喜市の母。
野口(のぐち) 【1話②】
東都大学附属病院の研修医。
杉田(すぎた) 【1話③】
東都大学附属病院の医師。
博美(ひろみ) 【1話④ 2話⑤】
東都大学附属病院の看護師。
玉田(たまだ) 【1話③】
南方仁が担当している患者。
先生 【1話②】
東都大学附属病院の医師。
警察 【1話②】
侍A 【1話③】
侍B 【1話③】
侍C 【2話①】
江戸藩家中(えどはんかちゅう) 【1話③】
町娘 【2話⑥】
男 【2話②】
武士A 【2話①】
武士B 【2話①】
禿(かむろ) 【2話⑤】
籠屋(かごや) 【2話①】
謎の声 【1話③ 2話②】
ナレーション 【1話⑥ 2話④】
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【前半(1話) 配役】3:3 ※途中、後半(2話)から配役は変わります。
①仁(♂)
②恭太郎/野口/警察/先生(♂)
③杉田/玉田/侍A/侍B/江戸藩/謎の声(♂)
④博美/咲(♀)
⑤未来/栄(♀)
⑥ナレ(♀)
----前半 本編---------------------------------------
⑤未来 :私たちは、当たり前だと思っている。
思い立てば、地球の裏側にでも行ける事を。
いつでも、想いを伝える事が、出来る事を。
平凡だが、満ち足りた日々が、続くであろうことを。
闇を忘れてしまったような夜を。
でも、もし、ある日突然、その全てを失ってしまったら……。
鳥のような自由を、満たされた生活を、明るい夜空を失ってしまったら……。
闇ばかりの夜に、たった一人、放り込まれてしまったら……。
あなたはそこで、光を見つけることが、出来るだろうか。
その光を、掴もうとするだろうか。
それとも、光無き世界に、光を与えようとするだろうか。
あなたの、その手で。
■現代/東都大学附属病院 病室■
⑥ナレ :ここは、東都大学附属病院。
南方仁は、この病院で脳外科医として勤務している。
仁は、後輩の野口と共に、自身が担当医を務めている患者・玉田と
病室で話をしていた。
③玉田 :どうして、先生が執刀してくれないんですか?
ずっと、診て下さっていたじゃないですか。
①仁 :いやぁ。難しい手術なんで。
③玉田 :どうしても、やって下さらないんですか?
①仁 :杉田先生は、私なんかより腕が立つ先生だし、絶対にその方がいいです。
玉田さんのためです。
■現代/東都大学附属病院 宿直室■
⑥ナレ :宿直室。
カップ麺にお湯を入れている仁に、野口が話しかける。
②野口 :どうして先生がオペしないんですか。
そりゃ、杉田先生は凄いですよ。
けど、玉田さんは、先生を信用して……
仁 :(被せるように)
あちっ!!
あはは、お湯が指にかかっちゃった。
……俺、結構、不注意でさ。
たまに、お湯を入れすぎちゃったりして、よく火傷すんの。
そういう奴なの。
②野口 :はぁ?
④博美 :南方先生!
救急の患者さんですけど、診ていただいてもいいですか?
①仁 :はいはい。すぐ参ります。
■現代/東都大学附属病院 オペ室■
⑥ナレ :救急車で運ばれてきた患者は、性別は男性、年齢は不明。
顔面は殴打され、内出血が多数あり。
右前額部から後頭部にかけて、裂傷があるとの事だった。
仁と、数人の医師が、患者のレントゲンを見ている。
①仁 :急性硬膜外血腫だけど、変なもん、くっ付いてるね。
②先生 :松果体部から脳室にかけて、もともと腫瘍がありますねぇ。
①仁 :他の先生は?
②先生 :脳外科は、南方先生だけです。
先生だったら、この位置の摘出、朝飯前でしょう。
①仁 :……。
……緊急開頭して、血種除去。
術中、脳室で脳実質に損傷が無ければ、そのまま腫瘍を摘出します。
⑥ナレ :仁の指示により、緊急手術が始まった。
②野口 :麻酔、完了しました。
①仁 :ではまず、硬膜外血腫の除去手術を始めます。
開頭します。
……よし、血種を除去しよう。
……では、続いて、腫瘍の摘出を行います。
……よし、腫瘍が見えてきた。
……!!
……こ、これは。
⑥ナレ :現れた腫瘍を見て、仁や他の医師たちの手が止まった。
②野口 :……これ、胎児の組織成分ですか?
頭蓋骨内の封入奇形胎児?
②先生 :いや、幼児や子供には、こういう例もあるというが……。
この患者はどう見ても成人だし。
①仁 :とにかく、摘出して病理診断に回そう。脳実質で……
(激しい頭痛が襲う)
ぐっ!! ぐぁ!!
④博美 :南方先生?
どうかされました?
①仁 :(荒い呼吸)
……いや、大丈夫だ、続けよう。
⑥ナレ :仁の執刀により、硬膜外血腫ならびに腫瘍の摘出手術は無事終わった。
その後、摘出された胎児型の腫瘍は、病理診断へ回された。
■現代/東都大学附属病院 休憩室■
⑥ナレ :博美が、休憩室でコーヒーを飲んでいる。
そこに野口がやってきた。
②野口 :南方先生って、どうして、あぁなんですか?
手術、全然下手とかじゃないのに。
面倒くさいんですかね。
④博美 :野口君が、ここに来たのって、今月からだっけ?
②野口 :はい。
④博美 :じゃあ、まだ知らないのか、友永先生の事は。
②野口 :なんすか?
④博美 :友永先生は、外科の優秀なお医者さんで、南方先生の恋人だった人。
学生時代から知り合いだったらしいんだけど、3年前、友永先生が
この病院に来た時から、付き合いが始まって。
いよいよ結婚かって時になって、脳幹部に腫瘍が見つかったの。
②野口 :脳幹部に、腫瘍ですか。
④博美 :絶望的だったんだけど、南方先生は、手術をする事にしたのよ。
■回想■
<会議室>
③杉田 :南方、これは絶対に無理だぞ!
①仁 :大丈夫です。
サブオクシビタルアプローチと、トランスコンディーラーアプローチを……
③杉田 :(被せるように)
腫瘍は脳幹部に食い込んでるんだぞ!
周囲の脳幹を傷つけたら、どうするつもりだ。
これは手術じゃなくて、実験だ!!
①仁 :何もしなくても、死を待つだけだろ!!
……これは、患者の望みでもあるんです。
この手術が成功すれば、これから何千人っていう人たちが
希望を持つ事が出来る。
もし、成功しなくても……。
……その礎となれるなら、本望だと、そう言ってました。
……続けても、いいですか。
④博美 :その頃の南方先生は、脂の乗り切った状態だったし……。
友永先生も、南方先生を信用していたし。
皆が、奇跡を信じる事にした。
<手術室>
③杉田 :思った以上に、腫瘍が動脈を巻き込んでるな。
どうする南方。
……やめた方が、いいんじゃないか?
①仁 :……続けます。
③杉田 :南方!!
①仁 :主治医は俺だ!
……小脳を切除する。
■回想終わり■
④博美 :……手術の結果は。
腫瘍は除去できたんだけど、その時に動脈を傷つけて
大量出血起こしちゃって。
その結果、友永先生は、植物状態になってしまったの。
それから南方先生は、難しい手術は他の先生に預けるようになったの。
でも、その代わり、他の先生たちが手術に集中できるように、
通常業務の数をこなし、夜勤も交代してあげたりしてね。
私は、南方先生を責める気には、なれないな。
②野口 :……。
■現代/友永未来の病室■
⑥ナレ :仁は、未来の病室に来ていた。
ベッドに横たわっている未来。
病室には、缶ビールが何本も置いてあった。
①仁 :……未来、今日さぁ、凄いもん見つけたんだよ。
胎児性奇形腫。……ふふ、見てみたいだろ?
……どうだ、起きてみないか?
⑥ナレ :仁は、缶ビールを1本手に取った。
①仁 :そろそろ飲んでくれませんかねぇ。
……あんなに飲みたがってたくせに。
……なんとか言えよ。不愛想だなぁ、ふふ。
■現代/病院の屋上■
⑥ナレ :病院の屋上。
すぐ目の前には、神田川が悠々と流れている。
仁は、夜景を眺めながら、未来との日々を思い出していた。
■回想/病院の屋上■
⑥ナレ :手術を明日に控えた未来。その傍らに仁が立っている。
⑤未来 :私さぁ……。
この屋上から見える夕日が、世界で一番綺麗だと思うんだよね。
①仁 :ふふ、それ言い過ぎだろ。
南の島とか、ヒマラヤとかさ。
もっと凄い夕日なんて、いくらでもあると思うけど。
⑤未来 :わかってないなぁ、もぉ。
この病院で良い仕事して、その充実感を感じながら見る。
だから綺麗なんじゃない。
①仁 :あぁ、そういう話。
⑤未来 :ふふ、あと、これが付くと、さらに綺麗に見えるんだけど。
①仁 :おい、ビールはまずいだろ。
⑤未来 :ふふ、ちょっとだけ!
①仁 :だめだって! 明日手術だろ?
⑤未来 :1本。1本だけ!
ねぇ、付き合ってよ!
①仁 :だめだって!
⑤未来 :いいじゃない!!
これが最後かもしれないんだから!!
①仁 :……。
⑤未来 :……ごめん。
仁先生をさ、信用してない訳じゃないのよ?
でも、ほら、もしもっていうか……。
……あ、ごめんね。
本当は、私が一番、信じててあげなきゃいけないのに……。
仁先生だって、凄いプレッシャーなのに、
必死で平気なフリしててくれてるのに……。
(涙ぐみながら)
でも……でも、怖くて。
……こんなに怖いんだね、手術される方って。
私、今まで全然わかってなかったよ。
……いい勉強になった。
①仁 :(そっと未来の手を握る)
……俺も怖いよ。……すげぇ怖い。
失敗したらどうしようって、そればっか考えてる。
でも、そういう時は、あれを思い出すんだ。
……未来の好きな言葉。
⑤未来 :……神は、乗り越えられる試練しか、与えない?
①仁 :……あぁ。
⑤未来 :……そっか。
(涙をぬぐいながら)
うん、そうだったね。ふふ。
①仁 :あ、手術終わったら、新婚旅行、ヒマラヤに夕日でも見に行くか。
その思い込み、正すために。
⑤未来 :やだ。ここで一緒にビール飲んでもらう。
思い込みを、正すために。
ふふふ、あははは!
(未来と一緒に笑いあう)
①仁 :ふふふ、あははは!
-間-
■現代/東都大学附属病院■
⑥ナレ :翌朝。回診を終えた仁のもとへ、野口が訪ねてきた。
②野口 :南方先生、すいませんでした。
何も知らないで、偉そうな事言って。
……でも。
俺はやっぱり、玉田さんは先生がオペするべきだと思います。
こんな事、考えたくないですけど……。
もしもの時、全然知らない先生に失敗されたんじゃ
玉田さんも浮かばれないって言うか。
あんな事があって怖いのはわかりますけど、医者は患者のために、
その恐怖と、戦うべきなんじゃないですか?
一緒に恐怖と戦うから、尊敬されるんじゃないんですか?
「先生」って呼ばれるんじゃないですか?
失敗して傷付かない人間なんて居ないですよ。
……先生は卑怯です。
先生のやり方は、自分の代わりに、
他人に傷付いてもらってるようなもんじゃないですか。
①仁 :……その通り。
②野口 :え?
①仁 :その通りだよ。
……お前は、俺みたいな医者になるなよな。
(仁の携帯が鳴る)
……お呼びだ。
(仁、電話に出る)
……はい、南方です。
②野口 :……。
■現代/東都大学附属病院 処置室■
④博美 :あ、南方先生! 警察の方がお越しになってます。
②警察 :どうも。
①仁 :あの、なにか?
②警察 :昨日、救急で運び込まれた患者について、幾つかお伺いしたい事が。
①仁 :あ、はい。
-間-
①仁 :患者の傷は、何か鋭利な刃物で頭部に切り付けられたものと思われます。
頭がい骨骨折と、急性硬膜外血種を起こしていたので、
緊急手術を行いました。
顔面に無数の打撲傷があり、人相ははっきりしませんが……。
年齢は30代から40代、身長は180センチ程度、中肉、
血液型はA型RHプラスです。
②警察 :意識は?
①仁 :まだ戻っていません。当分は絶対安静が必要です。
②警察 :意識が戻り次第、署の方へ連絡してください。
①仁 :あの、どうして彼は襲われたんですか?
②警察 :それが、全く分からないんです。
とにかく、身元を証明するようなものが何もなくて、
本人から事情聴取するしかない状態で。
せめて意識が戻って、名前くらいは言ってくれると助かるんですがね。
他に何か、身体的特徴のようなものは、なかったでしょうか?
①仁 :手掛かりになるかどうかわかりませんが、
腫瘍が見つかったので摘出しました。
②警察 :腫瘍?
①仁 :非常に珍しい、胎児の形をしたものです。
②警察 :胎児?
①仁 :もしかしたら、本物の胎児かもしれないんですが……
(激しい頭痛が襲う)
ぐっ!! ぐぁ!!
②警察 :だ、大丈夫ですか?
先生!?
①仁 :はぁ、はぁ、大丈夫です。
……最近、寝不足なんで。
②警察 :お大事にしてくださいね。
では、何かありましたら、連絡お願いします。
①仁 :はい。
■現代/東都大学附属病院 宿直室■
⑥ナレ :その夜。宿直室にいる仁のもとへ、杉田が訪ねてきた。
③杉田 :よう。
①仁 :杉田。
③杉田 :見てきたよ、例の腫瘍。
①仁 :あぁ、凄いだろ。あれ、どう見ても胎児だよなぁ。
③杉田 :あぁ、斉藤教授も興味持ってたみたいでさ。
早く組織細胞診断に出せ~とか、学会に間に合わせろ~とか、うるさくてな。
①仁 :あはは、そうだろうなぁ。
③杉田 :で、まぁそう言われたんだけどさ。
お前、やってみたら?
①仁 :え?
③杉田 :いや、こういう症例に当たるなんてさ、ぶっちゃけ凄いチャンスだと思うし。
……お前のこんな状態、未来ちゃんだって喜んでないと思うぞ。
①仁 :……現場の医者はいつも足んないし、介護もあるし。
論文書く余裕があったら、正直寝たいよ、ふふ。
③杉田 :そうか。まぁ、気が変わったら、いつでも連絡くれ。
あ、そうだ。これ渡しとくよ。
①仁 :ん?
③杉田 :こないだ机整理してたら出てきたんだ。
じゃあな。
①仁 :あぁ。
⑥ナレ :仁は渡された封筒を開けた。中には、未来と病室で撮った写真が入っていた。
ピースサインをする未来と、寄り添う仁。
二人とも笑顔で写真に納まっていた。
じっと写真を眺めていた仁だったが、またしても頭痛が襲ってきた。
①仁 :(激しい頭痛が襲う)
あぁ!! ……なんだこれ!!
うぅぅ、うぁぁ!!
■現代/東都大学附属病院 病理検査室■
⑥ナレ :頭痛が治まった仁は、病理検査室に居た。
瓶に入ったホルマリン漬けの胎児性奇形腫を眺めていた。
①仁 :……チャンスかぁ。
⑥ナレ :その時、瓶の中で胎児の目が見開いた。
①仁 :うわっ!!
⑥ナレ :あまりの衝撃に、仁は思わず目を背けた。
再び、瓶に視線をやるが、胎児は元の状態に戻っていた。
①仁 :……疲れてるのかな。
②野口 :南方先生!!
①仁 :野口。どうした?
②野口 :例の患者が、病室から居なくなりました。
①仁 :……え?
■現代/東都大学附属病院■
⑥ナレ :仁は患者の病室へ向かった。しかしそこは、もぬけの殻。
病室も、ナースステーションや薬品棚も、酷く荒らされている状態だった。
仁も、院内を探し回っていたが、後方から物音がした。
振り返った仁の足元に、小さな薬瓶が転がってきた。
どうやら、屋上へ続く非常階段から転がってきたようである。
仁は、階段を駆け上がっていく。
すると、階段の踊り場で、蹲る患者を見つけた。
①仁 :大丈夫ですか!?
戻りましょう、まだ安静にしていないと危険です!
どうしてこんな事したんですか、なぜ……
⑥ナレ :患者の身体を起こそうとした、その瞬間。
患者の脇に、例のホルマリンの瓶が抱えられているのを仁は見た。
①仁 :……どうして、これを?
⑥ナレ :刹那、激しい頭痛が仁を襲った。
①仁 :うぅ!! うあぁぁ!! あぁぁぁ!!
⑥ナレ :痛みで蹲る仁。すると。
③謎の声:戻るぜよ。
……戻るぜよ、あん世界へ。
①仁 :……え?
⑥ナレ :患者は、瓶と医療品が入ったバッグを抱え、非常階段を昇り始めた。
①仁 :あ!! ちょっと!!
待ちなさい!! 待て!!
⑥ナレ :階段の上で患者を捕まえたが、強引に腕を振りほどかれてしまう。
その時、ホルマリンの瓶が、患者の手から離れ、放り出された。
その瓶を追いかけ、掴もうとした仁は、階段から激しく転げ落ちてしまう。
①仁 :うわぁぁぁぁぁ!!
-間-
■江戸時代/林の中■
⑥ナレ :あれから、どのくらいの時間が過ぎただろうか。
気絶していた仁は、ゆっくりと目を開けた。
①仁 :ん……。あれ?
……どうなってんだ?
⑥ナレ :仁の目の前に広がる光景。
そこには、都会の喧騒や、ネオンの光は一切なかった。
森の木々が風に揺れる音、虫の音。
仁は、林の中に倒れていたのだ。
仁は、胸ポケットに入れていたペンライトで、辺りを照らす。
①仁 :……どこなんだよ、ここ。
⑥ナレ :ふと足元に落ちていた医療バッグを見つける。
①仁 :……あの男、なんだってこんなものを。
③侍A :待てぇ!! 逃がすな!!
⑥ナレ :竹藪の奥から声が聞こえた。
仁は、ペンライトを照らしながら、竹藪の奥へと向かった。
①仁 :おーい!! 誰か!!
助けて下さい!! おーい!!
⑥ナレ :奥へ進んでいくと、侍らしき数人の人影が見えた。
竹藪の陰から状況を伺う仁。侍たちは、刀を交えているようだ。
③侍A :逃がすか!! えやぁ!!
②恭太郎:うぅ! やぁ!!
③侍A :おりゃあ!!
②恭太郎:えいっ、やぁぁ!!
①仁 :…‥なんだ? 時代劇?
何かの撮影なのか……。
②恭太郎:おりゃあぁぁ!!
③侍A :ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!
⑥ナレ :一人の侍が斬られた。血しぶきを浴びた仁。
①仁 :こ、この血は……本物?
③侍B :そこに居るのは誰か!!
①仁 :え、あ、いや、私は偶然……。
③侍B :怪しいナリをしおって。
見られたとなっては、生かしておけぬ!
覚悟!!
⑥ナレ :侍は、仁めがけて、刀を振りかぶった。
①仁 :うわぁぁ!!
③侍B :(背後から恭太郎に斬られる)
うぅぅぅ!!
⑥ナレ :刹那、刀を振り上げた侍が目の前に倒れる。
②恭太郎:怪我は!?
①仁 :え? あぁ、いえ!
②恭太郎:では逃げろ!! 早く! 早く!!
①仁 :あぁ、は、はい!!
⑥ナレ :仁は腰を抜かしながら後ずさりした。
②恭太郎:うぁぁぁぁぁ!!!
⑥ナレ :仁を助けてくれた侍が、別の侍に額を斬られた。
斬られた侍は、その場に崩れるように倒れた。
③江戸藩:おい!! 何をしておる!!
⑥ナレ :林の奥から、複数人の男たちの声が聞こえ、侍たちはその場を後にした。
仁は、額を斬られ倒れている侍の元へ駆け寄った。
②恭太郎:うぅぅ。
①仁 :大丈夫ですか?
②恭太郎:忠兵衛は……。そこの、供の者だ……。
⑥ナレ :視線の先には、もう一人、侍が倒れていた。
仁は、その侍のもとへ行き、脈をとるが、すでに事切れていた。
①仁 :……残念ですが。
②恭太郎:そうか……。そなたは?
①仁 :私は、医者です。
②恭太郎:……私は、助からぬな。
①仁 :いえ、無理ではないと思います。
②恭太郎:……助かるのか?
①仁 :手術さえ出来ればの話ですが……。
②恭太郎:どうか、侍のくせに、女々しい奴と、笑わないでいただきたい。
……今ここで、私が死ねば、お家はお取り潰し……。
母も妹も、路頭に迷う……。
はぁ、はぁ……頼む……。
私はまだ、ここで死ぬわけには、いかぬのだ……。
⑥ナレ :林の奥から、複数の男が駆け寄ってくる。
③江戸藩:江戸藩家中の者でござる!!
これは一体、どういう事か!!
②恭太郎:(起き上がり)
ぐっ……はぁはぁ……。
ゆ、湯島四丁目裏通り、樹木谷に住む、小普請組(こぶしんぐみ)、
小笠原順三郎氏藩内……
橘、恭太郎でございます!
三人の見知らぬ者に襲われ、供の者が、斬られてしまい……
⑥ナレ :橘恭太郎と名乗った侍は、そのまま、その場に再び倒れてしまった。
仁は、急いで恭太郎の容態を確認する。
③江戸藩:橘殿!! どうなすった!! しっかりなされ!!
おい、お主は何をしておる!! 奇態なナリをしておるが、西洋人か!?
①仁 :私は医者です。
③江戸藩:医者? 蘭方医か?
①仁 :この人、急性硬膜外血種の可能性が高い!
30分から、最長でも1時間以内にオペしないと手遅れになります!
③江戸藩:きゅ、きゅうせい、こう? おぺ?
ええい、何を言っておるのだ、その方は!!
①仁 :とにかく!! 一刻も早く彼を運んでください!!
⑥ナレ :仁と江戸藩家中の男たちは、恭太郎を担ぎ走り出した。
林を抜け、街へ飛び出した仁。
そこに映る光景は、ビルが建ち並ぶ、いつもの東京のそれではなかった。
平屋の家屋が並び、土や砂利の路面。
時代劇でしか見た事のない景色に、仁は戸惑いを感じた。
①仁 :……これは、夢か?
だとしたら、なんて長い、生々しい夢なんだろう。
■江戸時代/橘家 家の前■
③江戸藩:よし、着いたぞ。ここに降ろせ。
御免!! 橘殿!!
⑥ナレ :仁たちは、一軒の邸宅へ到着した。
歳の違う2人の女性が、家の中から血相を変えて飛び出してきた。
⑤栄 :忠兵衛!! 恭太郎!!
あぁ、何故、このような事に!!
④咲 :兄上!!
⑤栄 :咲、何か掛けるものを……
①仁 :(被せるように)
そのまま、中へ、部屋の中へ運んでください!!
息子さんは、まだ生きているんです!
⑤栄 :い、生きてる!?
①仁 :すぐにオペすれば、助かる可能性が高い。
⑤栄 :あの……
①仁 :処置に入らせてください。
⑤栄 :お、おぺ、とは一体、何を……
①仁 :オペとは、手術の事です。
⑤栄 :しゅ、しゅじゅつ……
①仁 :治療です! この怪我を治すという事です。
④咲 :あの、貴方様は一体……。
①仁 :南方仁といいます。外科の医者です。
④咲 :あの、蘭方医の方でございますか?
⑤栄 :蘭方医!?
①仁 :(被せるように)
話はあとにして下さい!!
この症例は、30分から遅くても1時間以内に処置しなければならないんです!
(腕時計を見て)
あぁ、もうあと30分もない!
息子さんを助けたければ、すぐに部屋に運んでください!
お願いします!!
⑥ナレ :そう言うと、仁は邸宅の中へ駆け込んで行った。
■江戸時代/橘家 土間■
⑥ナレ :土間で、治療に使えそうな道具を物色している仁。
様々な道具を、恭太郎の妹・咲の前に並べた。
①仁 :これと、これと、これと、これを、熱湯で煮て下さい!
④咲 :金槌を、煮るのでございますか?
①仁 :そうです! 出来るだけ早くお願いします!
④咲 :あの、こんなものを、どのようにお使いに?
①仁 :お兄さんの頭の中には血が溜まってる。
それを取り出すために使うんです!
④咲 :これで、血を?
①仁 :包帯とかガーゼってありませんか?
④咲 :が、がー?
①仁 :あぁ、ちょっと箪笥、失礼します!
⑥ナレ :仁は、おもむろにタンスの引き出しを開け、一枚の大きな布を取り出した。
①仁 :こ、これだ!!
これもすぐに煮て、煮た後に20センチ角に切っておいてください!
④咲 :に、20センチ角?
①仁 :えぇっと……。
(手で大きさを作ってみせ)
これぐらいです、これぐらい!
それが、ガーゼというものの代わりになります。
④咲 :これが、ガーゼなるものに……。
①仁 :それから、これ借ります!
⑥ナレ :仁は、血しぶきを浴びた白衣を脱ぎ、箪笥に入っていた着物を羽織った。
①仁 :消毒薬ありますか?
④咲 :し、消毒とは?
①仁 :焼酎ありますか?
④咲 :は、はい。
⑥ナレ :仁は、焼酎を受け取ると、恭太郎が横たわる部屋へ走り出した。
襖を開けると、恭太郎の母・栄がいた。
■江戸時代/橘家 恭太郎の部屋■
⑤栄 :言われた通りに致しましたが、このような設えで、よろしゅうございますか?
①仁 :暗いなぁ。照明はこれだけですか?
⑤栄 :は?
①仁 :あ、いや、結構です。
では、この部屋から出て行ってください。
⑤栄 :ここに居ては、ならぬのでございますか?
①仁 :息子さんを助けたければ、言う通りにしてください。
⑤栄 :……。
■江戸時代/橘家 土間■
⑥ナレ :咲は、仁に言われた通り、金槌や大きな布を、釜で茹でていた。
そこに栄がやって来た。
⑤栄 :それは、大工道具ではありませぬか!
このようなものを、如何に。
④咲 :存じませぬが、手術なるものに使うので、煮ろと先生が。
⑤栄 :あの蘭方医、一体、恭太郎に何をするつもりじゃ!
■江戸時代/橘家 恭太郎の部屋■
⑥ナレ :その頃、仁は着々と手術の準備をしていた。
手元にある医療バッグから、医療器具や注射、手術用手袋などを取り出した。
①仁 :局所麻酔薬キシロカインまで入ってるのか、ありがたい。
⑥ナレ :焼酎を消毒薬に見立て、恭太郎の額の傷口に塗る。
大きな布をマスク代わりにして、局所麻酔を打つ。
襖の向こうで、咲の声がした。
④咲 :ノミと金槌、ヤットコをお持ち致しました。
①仁 :ありがとうございます。
部屋には入らないで、そこに置いてください。
④咲 :……あ、はい。
⑥ナレ :仁は、咲が持ってきた工具たちを確認する。
①仁 :……本当に、大工道具だな。
⑥ナレ :仁の脳裏に、未来を手術した時のトラウマがフラッシュバックする。
仁は、目を瞑り、深呼吸をして、ゆっくりと次の言葉を絞り出した。
①仁 :……神は、乗り越えられる試練しか与えない。
⑥ナレ :メスを手に取り、いざオペを開始しようとした、その時。
④咲 :(襖の奥より)
おやめくださいませ母上! 先生は入るなと!!
⑥ナレ :襖を開け、栄が入ってきた。
①仁 :……出て行ってくださいとお願いしたはずですが。
⑤栄 :説明もなしでは、納得できませぬ故。
①仁 :室内は、なるべく清潔にしておきたいので。
⑤栄 :無礼な! 私が不潔だと仰るのでございますか!
①仁 :そういう事ではないんです。
⑤栄 :(被せるように)
蘭方医など、医者を騙った人殺しも同然!!
信用なりませぬ!!
⑥ナレ :栄はそういうと、小刀を手に取った。
⑤栄 :もし、恭太郎を死なせたら……。
この場で其方を殺して、私も自害いたします!!
①仁 :……いいでしょう。
その代わり、何を見ても、取り乱さないでください。
⑥ナレ :仁は、ついに恭太郎の額にメスを入れた。
皮膚を切り、捲り上げる。そして火箸を手にする。
⑤栄 :ひ、火箸などで、何をなさるのでございますか……。
①仁 :止血です。血を止めるんです。
⑥ナレ :煮えたぎった火箸の先を傷口に当てる。
栄は、思わず声を漏らした。
開頭するため、ノミを額に当て、金槌で叩く。
その音が響く度に、栄は悲鳴にも似た嗚咽を漏らす。
栄は、明らかに取り乱していた。
⑤栄 :……な、なにが……なにが、手術じゃ!
頭をかち割って、助かるわけがなかろう!!
⑥ナレ :栄は小刀を振り上げ、仁を襲う。
仁はギリギリで躱し、栄の腕をとる。
栄は、尚も仁に刃を向けている。
①仁 :(栄の腕を制止しながら)
息子さんの頭の中には血が溜まって……
⑤栄 :(被せるように)
恭太郎に、何の恨みがある!!
①仁 :それを取り除くためには……
⑤栄 :(被せるように)
この人殺しぃ!!
①仁 :人殺しじゃなくって……。
話を、聴いてください!!
⑥ナレ :仁は、栄から小刀を取り上げ、腕を振りほどいた。
そして栄を引き摺り、恭太郎の傷口を見せつけた。
⑤栄 :何をなさるか! おやめなさい!!
①仁 :見えますか!!
ここに、血の海がありますよね。これが血種です!
放っておくと、この血が脳を圧迫し、
貴女の息子さんを死に追いやるんです!!
⑤栄 :……。
①仁 :貴女の敵は私じゃない……この、血の海です!!
⑥ナレ :栄は、涙を流し、力なく座り込む。
①仁 :……すいません、時間がないので。
(襖の奥に向かって話しかける)
……妹さん、そちらに居らっしゃいますか?
④咲 :は、はい!
①仁 :これ以上、時間がかかると、お兄さんの命が危ない。
手伝ってもらいたいんですが、貴女は血を見ても平気な方ですか?
④咲 :……平気でございます。
咲は、武士の子でございます!
①仁 :では、清潔な着物に着替えてきてください。
④咲 :はい!
⑤栄 :……南方様。
私も、お手伝いを。
①仁 :……はい。
-間-
⑥ナレ :気持ちが落ち着いた栄と、咲の手伝いもあって、手術は無事成功した。
①仁 :それでは、縫合します。
⑥ナレ :傷口を縫い合わせていく仁。その手先を、咲はじっと見つめていた。
①仁 :(腕時計を見て)
よし、間に合った。
⑥ナレ :仁は、そう言って、ひとつ大きなため息を吐いた。
-間-
⑤栄 :これで、本当に治ったのでございますか……。
頭の穴は、開いたままではございませぬか。
①仁 :穴は、問題ありません。あとは経過次第。
三日、無事に過ごせれば助かります。
④咲 :三日、無事に過ごせれば、兄は助かるのでございますね?
①仁 :はい。
④咲 :ありがとうございます、先生。
母上、兄上は無事に命を取り留め……
⑤栄 :(被せるように)
まだ、助かったわけではございませぬ!
三日は、わからぬという事でございますよね。
①仁 :……。
-間-
■江戸時代/橘家 応接の間■
⑥ナレ :時間は既に深夜。咲は、仁のために寝床の準備をしていた。
④咲 :私たちの父は、4年前、コロリで亡くなったのでございます。
①仁 :……コロリって、コレラの事ですか?
④咲 :コレラ、とも言うのでございますか?
①仁 :あぁ、いえ、気になさらずに……。
④咲 :西洋から来た流行り病という事でございましたので、
蘭方医の治療を受けたのでございますが。
よく分からぬ処方をされた挙げ句、命を落としてしまったのでございます。
それ以来、母は、西洋のものは何でも毛嫌いするようになり……。
言い訳にしかなりませぬが、母の無礼を、哀れと思って、
お許しいただければ!
……。
……先生?
⑥ナレ :仁は、すでに寝息を立て、眠ってしまっていた。
咲は、少し笑顔を見せ、仁にそっと布団をかけた。
その時、ふいに仁の右手が目に入る。
咲は、先ほどの仁の手さばきを思い返していた。
---------【ここから、配役が変わります】----------
【後半(2話) 配役】3:3
①恭太郎/武士A/武士B/侍/佐分利/千葉/籠屋(♂)
②龍馬/謎の声/彦三郎/男(♂)
③仁(♂)
④ナレ/喜市(♀)
⑤咲/博美/禿(♀)
⑥栄/未来/野風/妙/町娘(♀)
---後半 本編---------------------------------------
■現代/東都大学附属病院 病室■
④ナレ :南方仁は東都大学附属病院に勤務する脳外科医である。
朝。自身が勤める大学付属病院の病室で目を覚ます仁。
頭には包帯が巻かれていた。
⑤博美 :気が付きました?
③仁 :……これは。
⑤博美 :昨日、先生、非常階段から落ちて、急性硬膜外血種の手術したんですよ?
覚えてないですか?
③仁 :……覚えてるよ。
階段から落ちて、そのあと、江戸時代にタイムスリップして。
斬られた侍を手術して……。
⑤博美 :はぁ?
……ふふ、あはははは!!
③仁 :いや、本当なんだって!
④ナレ :その時、一人の医師が部屋に入ってきた。
⑤博美 :あ、先生! ふふふ、聞いてくださいよ、南方先生がね。
③仁 :(医師の顔を見て驚く)
……未来!?
⑥未来 :私が執刀したのよ?
③仁 :……未来。
■江戸時代/橘家■
③仁 :……未来!!
……はぁ、はぁ、はぁ。……ゆ、夢か。
④ナレ :仁が目覚めたのは、まぎれもなく、橘家の一室だった。
あたりを見回すが、趣のある和室と着物を着た自身の姿があるのみだった。
③仁 :(自分の顔を何度も叩く)
あぁ、あぁ! うあぁぁぁぁ!!
④ナレ :走って表へ飛び出すも、やはり江戸の街並みが広がっていた。
道端で大根を持ち歩く女性、帯刀する侍。
まぎれもない”江戸時代”の光景を目の当たりにし、仁は呆然とする。
⑤咲 :お目覚めになられたのでございますね。
③仁 :……。
……あの、今は何年ですか?
⑤咲 :文久2年でございますが。 ※文久2年(1862年)
③仁 :……江戸時代、ですか?
⑤咲 :ふふ、ここは、江戸でございますが。
③仁 :あぁ、えっと……。
……将軍様、あ、いや、上様?
⑤咲 :え?
③仁 :いや違う。えっと、うーん……。
……黒船は、もう来ました?
⑤咲 :えぇ。たしか、10年程前かと。
③仁 :……。
⑤咲 :食事の用意をいたしましょうか。
③仁 :……はい。
-間
③仁 :これが、普通の食事なんですか?
⑤咲 :は?
④ナレ :目の前に出された宗和膳。
器には、5合はあろうかという大量の白米と、
わずかな漬物とみそ汁が置かれていた。
③仁 :あ、いや、あの。お、おかずとかは。
⑤咲 :……申し訳ございませぬ。
当家は旗本とはいえ、無役の150石獲(こくど)り故……
③仁 :(被せるように)いやいや、そういう意味ではなくて。
……こんなに、ご飯ばっかり食べるもんなんですか?
⑤咲 :……は?
③仁 :あ。あぁ、いいです、いいです。
いただきます。
(一口食べ、頬張りながら)
……美味い! 釜で炊いてるからかなぁ、全然違います!
⑤咲 :釜で炊かぬ方法が、あるのでございますか?
③仁 :……。
あぁ、いや~ははは。
(漬物を一口食べ)
うん、これも美味いなぁ。
⑤咲 :……。
あ、そういえば。
(咲、時計を取り出し、仁に差し出す)
これが兄の部屋に。
③仁 :あ、どうも。
⑤咲 :それは、何をする道具なのでございますか?
③仁 :……まぁ。 ……はい。
⑤咲 :あの、髷は、お結いになられないのでございますか?
③仁 :……まぁ。 ……はい。
⑤咲 :あの白いお召し物は、異国のものでございますか?
③仁 :そうですねぇ、ある意味。ふふふ。
⑤咲 :では、あの長崎の方にでも行かれたので……
⑥栄 :(被せるように)恭太郎が目覚めたようでございます。
■橘家/恭太郎の部屋■
④ナレ :恭太郎の部屋。仁は恭太郎の頭部の包帯を巻き直している。
③仁 :経過は良好です。
このまま、もう少し安静にしていて下さい。
⑥栄 :(1両を包んだ紙入れを差し出す)
南方先生、この度は、ありがとうございました。
③仁 :……あの、これは?
⑥栄 :お礼でございます。
③仁 :いやぁ、結構です、そんな。
⑥栄 :そのようなわけには、参りませぬ。
③仁 :いや、本当に。
私も、恭太郎さんに命を助けてもらったので。
ですから、本当に。
⑥栄 :……では、せめて籠をお呼びいたします。
お住まいはどちらでございますか?
③仁 :あぁ~、あはは……。
……すいません、覚えてないんです。
⑥栄 :覚えてないとは、どういう事でございますか?
③仁 :林の中で転んだ時に、頭を打ったせいかもしれません。
ほとんど、記憶が無くて……。
⑤咲 :あ、そういうお話、聞いた事がございます。
⑥栄 :お名前は、覚えてらっしゃいましたよね。
③仁 :……えぇ、まぁ。
⑥栄 :(疑いの眼差しで仁を見る)……。
③仁 :あぁ、覚えてたり、覚えてなかったり……。
⑥栄 :ずいぶん、都合のよろしい事で。
③仁 :あは、あはははは。
①恭太郎:身元を、お調べしましょうか?
蘭方医なら、そんなに数が多いわけではございませぬ。
調べれば、すぐにわかるかと……
③仁 :(被せるように)あ、あぁいやいやいや、大丈夫です!
私は、蘭方医ではないので。
⑤咲 :え?
(咲と同時に)
⑥栄 :は?
①恭太郎:蘭方医では、ないのですか?
③仁 :はい。 ……あ、いや、その。
すぐ、思い出すと思いますんで。
あの、本当に、お気遣いなく、あはは、お気遣いなく。
④ナレ :仁は、そそくさと恭太郎の部屋を後にして、別の間に移った。
■応接の間■
③仁 :……そういえば。
あの患者、どうしてあんなものを持ち出そうとしたんだ?
★(回想)★
②謎の声:戻るぜよ、あん世界へ。
★(回想終わり)★
③仁 :……あの人を見つければ、戻れるのか?
あの、胎児性腫瘍の標本は……。
……あれ?
そういえば、医療パッキンはどこだ?
■恭太郎の部屋■
④ナレ :仁は医療バッグを探して恭太郎の部屋に入ろうとしたが
中から、3人の会話が聞こえ、廊下で立ち止まった。
⑥栄 :南方様は、当分ここに居らっしゃるおつもりなのですかね。
⑤咲 :お住まいの方も思い出せないと仰っていたし、
暫くの間、ここに居ていただいては?
⑥栄 :嘘なのではないですか? 話がおかしいではありませぬか。
名前は覚えているのに、住んでいる所はわからぬ。
身元を調べるのも、あの嫌がりよう。
もしかしたら、お尋ね者なのではないですか?
⑤咲 :そんな方には、とても見えませんが。
①恭太郎:(ゆっくり起き上がる)
例え、そうであっても。
私にとっては、命の恩人でございます。
お世話をするのが、人の道かと。
⑥栄 :ですが……
①恭太郎:(被せるように)主は私でございます!
⑥栄 :……ならば!
主らしく、思慮深い行動をしていただきたいものでございますねぇ。
①恭太郎:しているつもりでございますが。
⑥栄 :そうでございますか。
恭太郎さんが襲われたのは、「勝(かつ)」とかいう、
異国贔屓の所に通ってるからではございませぬか?
軽佻浮薄(けいちょうふはく)な流行にのるから、
こういう事になるのではございませぬか!?
①恭太郎:勝先生の御思想こそ、これからのこの国を立ち行かせる、
唯一の道でございます!
⑥栄 :これ以上、主を失くしては、橘家の行く末が危ぶまれまする。
③仁 :(襖越しに聞いている)……。
⑥栄 :南方様には、感謝しております。
ですが、物騒な事には、関わりたくございませぬ。
……私は、最期に父上と約束いたしました。
何があっても、橘家を守り抜くと。
⑤咲 :……しかし母上、父上が生きておられれば、きっと……
⑥栄 :(するどい視線を咲に向ける)……。
⑤咲 :……あ、いえ、なんでも。
-間-
■応接の間■
④ナレ :それから四半刻、現代でいえば30分程が経過した。
⑤咲 :南方先生、お忘れ物が……
④ナレ :咲は、医療バッグを持って応接の間を訪れたが、仁の姿は無かった。
宗和膳の上に目をやると、食べかけの白米の傍に手紙が置かれていた。
③仁 :(手紙)
お食事、ありがとうございました。
身元を思い出したので、これにて失礼いたします。
⑤咲 :……先生。
-間-
■林の中■
④ナレ :仁は、タイムスリップした後に目が覚めた林に来ていた。
③仁 :あいつが居れば、戻れるはずだ。
あいつに連れて来られたようなもんなんだから。
おーい、ホルマリン君っ!
……どこ行っちゃったんだよ。
(溜め息)
……なんで、こんな目に遭わなきゃいけないんだよ。
(下に流れる川を見つめる)
……ん? この場所……。
……これって、神田川?
……。
また落ちれば……。戻れる?
④ナレ :仁は、谷底に流れる神田川に向かって、一歩、二歩と
崖のような斜面に向かって歩き出した。
そして、今にも谷へ飛び込むかと思われた刹那。
②龍馬 :やめんかぇ!!
④ナレ :男が、仁に向けて声を出した。
その声を聞いた仁の脳裏に、またあの声が蘇る。
★(回想)★
②謎の声:戻るぜよ、あん世界へ。
★(回想終わり)★
②龍馬 :やめんかぇ!! 何しちょるがぜ!!
④ナレ :その男は、仁に抱きつき、そのまま芝に寝転がるように倒れた。
③仁 :ぬわぁぁぁ!!
②龍馬 :おまんは、阿呆かぁ!!
人間はねゃあ、急がんでも、いつか死ぬるがじゃき。
ほっちょいても、いつかは死ぬるがを、わざわざ苦労して死ぬるなんぞ、
阿呆のする事じゃ!!
③仁 :違いますよ!!
②龍馬 :おまんは、そんな事もわからんかぇ。
③仁 :いや、死ぬつもりなんかありませんから……
②龍馬 :(被せるように)この阿呆! 阿呆! 阿呆がぁ!!
③仁 :(被せるように)死ぬつもりなんかないって言ってるじゃないですか!!
離せって、離して下さい、よっ!!
②龍馬 :(仁に跳ねのけられる)
うわあぁぁぁぁぁ!!
③仁 :(息切れしている)
はぁ、はぁ、はぁ。
②龍馬 :(息切れしている)
ほいたら、何しとったがぜ。
どう見ても、死のうとしちゅう風にしか見えんかったぜよ。
③仁 :家に帰ろうと思ったんですよ。
②龍馬 :家に?
③仁 :はい。
②龍馬 :(下に流れる川を見つめ)
おまんの家は、この谷の底にあるがかぇ。
③仁 :……そうです。
②龍馬 :……。
……たっはははははははは!!
ほぉか、ほぉか。
いやぁ、それは邪魔をして、すまんかったのぉ!
ははははは!
③仁 :いえ。
②龍馬 :……おまんは、武士じゃないがかぇ。
③仁 :私は、医者です。
②龍馬 :医者ぁ?
ほぉか。 医者が命を粗末にするわけがないのぉ!
③仁 :そうですよ。
②龍馬 :いや、まっこと、すまんかったぜよ。
阿呆は、わしの方じゃったのぉ。
あっはははははは!!
④ナレ :男は、笑いながら去っていく。
③仁 :……あの!!
②龍馬 :んん?
③仁 :……名前、教えてもらえますか?
あ、いや。
貴方の声が、聞こえたんですよ。
②龍馬 :あぁ?
ほりゃぁ、ほうじゃろう。
③仁 :そうじゃなくて!
②龍馬 :わしか?
わしゃあ…‥
①武士A:おーい!!
もぉ、どこ行きゅうがぜよ。
おまんはそれやき、どこからも、はぐれるがじゃあ!
行くぜよ!!
②龍馬 :おぉおぉ、すまんすまん!! 今行くぜよ!!
③仁 :あぁ、ちょっと!
②龍馬 :(仁に振り向き)
今度、おまんの家、教えてくれ。
わしゃあ、しばらく江戸におるき!
④ナレ :そう言うと、男は再び走り出し、藪の奥へと姿を消した。
仁は、しばらく呆然と立ち尽くしていたが、ふと我に戻った。
③仁 :あぁ。名前!
あの!! 名前を!!
④ナレ :仁は、男の後を追い、走り出した。
林を抜け、街まで戻ったが、男を見つける事は出来なかった。
③仁 :……どこ行っちゃったんだよ。
④ナレ :建ち並ぶ家屋の裏通りから、路地を抜けて、表通りに出てみれば。
そこには、行商人や町民で賑わう江戸の光景が、これでもかと視界に入る。
③仁 :……すごいなぁ。
⑥町娘 :旦那ぁ! 変わった頭だねぇ。
なんだいそりゃあ、新しい流行りなのかい?
③仁 :あ、いや。
⑥町娘 :まぁいいや。黒米稲荷(くろごめいなり)はこっちだよ!
③仁 :黒米稲荷?
⑥町娘 :黒米稲荷だろ? 食べに来たんだろぉ?
ほらごらんよ、皆、夢中でたべてるよ。
今、これを食べなきゃあ、江戸っ子とはいえないよぉ。
ほら、並んだ並んだ!
③仁 :あぁ、あの、ちょっと私は……。
④喜市 :おじさぁん、枝豆買っておくれよぉ!
⑥町娘 :邪魔するんじゃないよぉ、喜市!
④喜市 :枝豆の方が美味いよぉ~!
③仁 :ごめん、ちょっと今、それどころじゃないんだ。
④喜市 :じゃあ、ゆで卵はどう?
ゆで卵は、おっかさんが売ってるんだ!
④ナレ :喜市と呼ばれた少年が、仁の腕を引っ張る。
その時、仁の視線の先に、先ほど林で出会った男の姿が映った。
③仁 :あ、ちょっとごめん!
④ナレ :仁は、喜市の手を振りほどき、男の方へ走り出した。
④喜市 :ちぇっ、けちんぼぉ!
馬に蹴られて死にやがれぇ!!
④ナレ :その刹那、侍の乗っていた馬が喜市の前で急に暴れ出した。
侍が必死で止めようとするが、馬の勢いは収まらず。
前足が、喜市を蹴ろうとした瞬間。
女が喜市を庇い、身代わりとなって頭を蹴られてしまう。
庇った女は、その場に崩れるように倒れた。
④喜市 :おっかさん!!
-間-
③仁 :あの、ちょっと待って!
②龍馬 :おぉおぉ、おまんは、さっきの。
③仁 :あの、貴方……。
②龍馬 :わしか。わしは土佐の……
①侍C :無礼者!!
③仁 :(侍の方を振り返る)
①侍C :急に馬の道を塞ぐから、こういう事になるのだ。
以後、気をつけぇい!!
③仁 :(男の方に向き直り)
……あの、ちょっと、ちょっと待っててくださいね!
④ナレ :仁は男にそう言うと、倒れた女の元へ走って行く。
②龍馬 :……なんじゃあ。
せわしか男じゃのぉ。
④ナレ :倒れている女は、額から出血しており、
傷口はザクロのようにパックリ割れていた。
④喜市 :お、おっかさん……。
おっかさん!! 死なないで、おっかさん!!
おっかさぁん!!
④ナレ :野次馬が集まる。
皆、口々に「もうだめだ」「これは助からない」などと口走っている。
仁が野次馬を押しのけ、女の姿を見つけた時、一人の男が女の前に現れた。
①佐分利:ちょいと見せてもらえまっか?
②男 :なんだおめぇ、医者か!?
①佐分利:医者やなかったら、わざわざ出てくるかいな。
(女の頭を見て)
……あぁ、こら厳しいなぁ。
どこが切れとるんやろ。
③仁 :(佐分利を押しのけ)
ちょっと失礼!
①佐分利:おっと! 何しはるんでっか!
③仁 :ST2のブランチが切れてるなぁ。
①佐分利:え、えすちー、ぶら?
③仁 :(喜市に向かって)
ボク。お母さん、すぐに手当てすれば助かるぞ。
④喜市 :ほ、ほんとに?
①佐分利:余計な事、言いないな!
こんな血ぃ出とって、助かるわけありまへんがな。
私の経験では……
(女の額から出血が止まっている)
血ぃが……!
何で、止まっとるんや!?
③仁 :(女の額の傷口付近に指を当て)
圧迫して、止血しているだけです。
(野次馬に向かって)
あの!!
この人を、手当て出来る場所に運ばなければなりません!
どなたか、手助けしていただけませんか!!
⑥町娘 :運ぶったって、どこへ。
②男 :店先を汚されちゃ、縁起が悪ぃなぁ。
④ナレ :野次馬たちは、顔を見合わせるだけで、なかなか動かなかった。
そこへ。
②龍馬 :おぃ、どけどけどけどけ!!
おい、先生!!
運ぶのは、この板でもええがかぇ?
③仁 :はい!!
②龍馬 :ここに置いてもええがかぇ!?
③仁 :いいです! 頼みます!!
②龍馬 :おぉ!!
(板を下ろす)
おぃ野郎ども、聞いたかぇ!?
とっとと運ぶんじゃあ!!
(佐分利に向かって)
おまん、そっちを持つんじゃ、そっちを!!
①佐分利:え、あ、あぁ!
③仁 :お願いがあります!!
②龍馬 :お? おぉ!!
③仁 :湯島の、樹木谷の、旗本の橘さんのお家に、手術の道具があります!
②龍馬 :しゅ、しゅじゅ、しゅじゅちゅ?
③仁 :あ……。この人を治すための道具です!!
それを、取ってきてもらえませんか?
一刻を争うんです!
②龍馬 :勿論じゃあ!!
……けんど、場所がぁ。
①籠屋 :えっほ、えっほ、えっほ。
②龍馬 :お!!
おいっ! そこの、籠屋の兄(あん)ちゃん!!
おんしらだったら、わかるろぉ!!
湯島の樹木谷の、旗本の橘さん。
行けるか? ほぉか!!
③仁 :どなたか!!
清潔な着物を、貸してもらえませんか!?
④ナレ :籠屋と土佐の男は、橘家へ向かった。
①籠屋 :えっほ、えっほ、えっほ。
あのぉ、乗られたらいかがですかぁ?
②龍馬 :(走っている)
はぁ、はぁ、こっちの方が、早いがじゃろぉ!!
うぉぉぉぉぉ!!
-間-
■番所■
④ナレ :喜市の母は、番所へ運ばれた。
仁は、町民たちに、治療に使えるものを持ってきてほしいとお願いした。
町民が番所に次々にやってくる。
お酢や、沸かしたお茶などを持ってきた。
①佐分利:このお茶は、どないしはるんでっか?
③仁 :お茶に含まれるカテキンは、滅菌作用があるんです。
①佐分利:(仁の手元に近づく)へぇ……。
③仁 :あ、あの、清潔を保ちたいんで、あまり私には近づかないで下さい。
①佐分利:あ、はい。
⑥妙 :(苦しんでいる)
うぅぅ……あぁぁ……。
④喜市 :……おっかさん、大丈夫だよね?
③仁 :あぁ、大丈夫だ。
……頼んだぞ、土佐の人。
-間-
■橘家の前■
①籠屋 :えっほ、えっほ、えっほ。
旦那ぁ、もうすぐですぜ!
……あれ?
もしや!! 橘様のお嬢様でいらっしゃいますか!?
⑤咲 :……当家に、御用でございますか?
②龍馬 :おぉぉ!!
おまん、しゅじゅちゅ道具ちゅうが、分かるかぇ!?
⑤咲 :……はい。
②龍馬 :名前はぁ……。
あぁ、ようわからんが、わからん医者から言いづかったんじゃ!
しゅじゅちゅ、道具、ちゅうがを持ってきてくれっちゅうて!!
⑤咲 :何か、あったのでございますか?
②龍馬 :馬に蹴られた女子がおって、一刻を争うそうじゃ!!
⑤咲 :承知いたしました!
②龍馬 :おぉ!!
④ナレ :咲は屋敷に入り、医療バッグから道具を出し、風呂敷に包んだ。
⑥栄 :何をしておるのです、咲?
⑤咲 :戻ったら、お話しいたします。
⑥栄 :南方様のところへ行くのですか?
勝手な真似は許しませんよ、咲!!
⑤咲 :……あとで、説明いたします、母上。
⑥栄 :咲!!
④ナレ :咲は、止める栄を振りほどき、屋敷を出た。
栄は、畳の上に落ちている、今朝の仁の手紙と、
残された医療バッグを手に取った。
屋敷の前では、咲を待つ土佐の男が、まだかまだかと待ち構えていた。
⑤咲 :お待たせをいたしました。
②龍馬 :おぉ!!
⑤咲 :……。
②龍馬 :ん?
はよぉ、はよぉ渡してくれんかぇ!!
⑤咲 :私も、一緒に参ります。
信用しないというわけではございませぬが、これは、
南方先生の大切な物でございます。
……私も、ご一緒に!
②龍馬 :……ほいたら、おまんは、籠に乗ってくれんかぇ。
-間-
④ナレ :咲たちは、仁の待つ番屋へと急いだ。
①籠屋 :えっほ、えっほ、えっほ。
おっと、お嬢様、一旦下ろしますぜ!
⑤咲 :え? どうしたのですか?
①籠屋 :すいませんお嬢様、降りていただけますか。
あれでさぁ、あれが通り過ぎるまでは走れねぇ。
④ナレ :咲の視線の先には、大名行列が見えた。
⑤咲 :……別の道は、無いのでございますか?
①籠屋 :折り返すと、倍かかっちまう。
②龍馬 :産婆じゃ。産婆じゃちぃ言え。
産婆じゃったら、通してもらえるじゃろうから。
⑤咲 :……。
②龍馬 :ほぉれ!! はよ行かんかやぁ!!
⑤咲 :はい!
④ナレ :土佐の男に促され、咲は走り出した。
①武士B:無礼者!! 貴様、何やつじゃ!!
⑤咲 :……さ、産婆でございます!!
④ナレ :咲は、大名行列の横を走り去っていく。
次第に、空から大粒の雨が落ちてきた。
■番所■
④ナレ :急なにわか雨で、街の人々も散り散りになり、先ほどまで賑わってた町は
一気に、寂しい佇まいとなった。
喜市の母・妙は、先ほどまでは息苦しそうに声を上げていたが、
今はぐったりしている。
④喜市 :……おっかさん、死んでないよね?
大丈夫だよね?
③仁 :……大丈夫だ。 意識を失っているだけだ。
①佐分利:私の経験では、このような状態の輩は何日も持たない……
③仁 :(被せるように)このような状態になっているのは、脳震盪です。
脳震盪は、脳が衝撃を受けて、一時的に意識を失ってるだけです。
大丈夫です。
①佐分利:しかし……
③仁 :黙ってて下さい!!
(喜市に向かって)
……大丈夫だ。大丈夫だから。
④喜市 :うぅ……。
③仁 :……早くしてくれ、土佐の人。
④ナレ :外はどしゃ降りになってきた。
咲は、雨に打たれながらも、懸命に走った。
途中、泥濘に足をとられ転んでしまっても、立ち上がり、また走り出した。
-間-
④ナレ :番所の中で、妙が意識を取り戻した。
④喜市 :おっかさん!!
⑥妙 :……こ、ここは?
④喜市 :番所だよ! おじさんが、おっかさんを治してくれるって!
③仁 :道具が着いたら、すぐに治療しますから。
⑥妙 :お、お医者様……。どうか、どうか、おやめ下さいまし。
(息苦しそうに)
わ、私のような、貧乏人には、薬代を払う事は、出来ませんから……。
③仁 :でも……。 このままでは、死んでしまいますよ?
⑥妙 :はぁ、はぁ……。そ、それが私の、じ、寿命なのでしょう。
③仁 :お代は結構ですよ……
④喜市 :(被せるように)薬代はオイラが払うよ!!
(泣いている)
働いて、必ず、払うから!!
だから、どうか……。どうか、おっかさんを、助けて下さい!!
⑥妙 :き、喜市……。
③仁 :……わかった。
それでは、代金として、枝豆をいただこうかな。
④喜市 :届けるよ……。 オイラ、一生でも届けるよ!
⑤咲 :南方先生!!
お待たせいたしました、手術道具でございます!!
③仁 :……!!
……咲さんが、どうして?
⑤咲 :お手伝いを……。
ささやかながら、お力になれることもあるかと存じます!
③仁 :……助かります!
⑤咲 :清潔な着物に着替えます!
③仁 :はい!!
-間-
④ナレ :咲の着替えも終わり、仁は手術道具を並べている。
しかし。
③仁 :……あれ?
⑤咲 :どうなさったんですか?
③仁 :キシロカインが……。
⑤咲 :きしろ、かいん?
③仁 :麻酔です。 手術の痛みを感じさせないようにする薬です。
これくらいの箱に入った。
⑤咲 :箱……。
……!!
申し訳ございませぬ! 籠を飛ばして、もう一度取って参ります!!
③仁 :どれくらいかかりますか?
⑤咲 :雨が降っているので、一刻は。
③仁 :すいません、一刻というのは、どれぐらいの長さですか?
⑤咲 :どのくらい、と言われても、一刻は、一刻。
③仁 :じゃあ一日は何刻ですか!?
⑤咲 :え、えっと……。
③仁 :……すいません、イライラして。
⑤咲 :いえ。
⑥妙 :……あの。
痛みを感じさせない、薬がないと、し、しじつと言うのは、
出来ないのですか?
③仁 :いや、出来ますが……。 頭の血管を縛るんですよ。
……気の遠くなるような痛みなんです。
⑥妙 :大丈夫です。 私、辛抱だけは、得意なんです……。
③仁 :痛みのあまり、死ぬこともあるんですよ?
⑥妙 :どうせ……。 このまま、死ぬはずだったんですから。
はぁ、はぁ、はぁ。
③仁 :……。
……わかりました。
喜市くん、君は、出て行った方が良い。
④喜市 :……。
⑤咲 :すぐ終わるから……
④喜市 :(被せるように)オイラ頑張る!!
……おっかさんと一緒に、頑張る!!
③仁 :……。
①佐分利:……私が、この子を見ときます。
③仁 :……。
……わかった。 じゃあ、一緒に頑張ろう。
④喜市 :うん。
③仁 :(佐分利に向かって)
この子を、お願いします。
①佐分利:はい!
-間-
④ナレ :仁の執刀が始まった。 麻酔薬なしで、傷口に触れていく。
想像を絶する痛みに、妙も思わず悲鳴を上げる。
⑥妙 :あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
③仁 :大丈夫ですか?
⑥妙 :うぅぅ!!
③仁 :咲さん、妙さんの肩を、しっかり押さえておいて下さい。
⑤咲 :……は、はい。
④ナレ :傷口を消毒し、縫合が始まる。
一針、二針と縫うたびに、妙も声にならない苦痛の叫びを発する。
最初は目を背けていた喜市だが、母の頑張りに応えるように
逃げず、細目ながらも、母の姿をしっかと見守っていた。
③仁 :……妙さん、もう終わります。
あと一か所、あと一か所だけです。 もう少しですから。
④ナレ :仁が最後の縫合を始める。
⑥妙 :うあぁぁぁぁぁぁ!!
④喜市 :……。
①佐分利:(喜市に向かって)
大丈夫か?
⑤咲 :頑張って下さい、妙さん! 頑張って!!
⑥妙 :うぅぅ、うぅぅ!!
⑤咲 :頑張って、妙さん!!
⑥妙 :あぁぁ、ああぁぁぁぁぁぁ!!!!
④ナレ :痛みに耐えかねた妙が、大きく身体をひねると、仁は動揺し、
手から医療機器を落としてしまう。
③仁 :……すいません、手が、滑ってしまって。
⑥妙 :(荒い息)
⑤咲 :先生、妙さんの様子が。
③仁 :……痛みが強すぎるんです。 やっぱり、麻酔がないと。
④ナレ :苦しむ妙を前に、仁の手が止まった。
脳裏によぎるのは、やはり、未来の手術を失敗したあの光景だった。
妙を、未来と同じような目に合わせてしまうのだろうか。
苦しみ、今にも意識を失くしそうな妙と、
植物状態になった未来の顔が重なった。
①佐分利:……おい、どないしたんでっか?
⑤咲 :先生?
③仁 :……。
⑤咲 :先生!!
④喜市 :……ち、ちちん、ぷいぷい。 ちちんぷいぷい……。
ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)。
ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)!
⑥妙 :き、いち……。
④喜市 :ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)!
⑥妙 :喜市……。
③仁 :……これは?
⑤咲 :痛み除けの、おまじないでございます。
……言葉の、麻酔でございます。
④喜市 :ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)!
ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)!
⑥妙 :あぁ……、喜市……。
④ナレ :瀕死の妙が、喜市に手を伸ばす。
その手を、喜市が力強く握り返す。
④喜市 :ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)!
ちちんぷいぷい、御代(ごよ)の御宝(おんたから)!
④ナレ :喜市が、おまじないを唱える度に、妙の表情が少しずつ穏やかになっていく。
喜市は、涙を流しながら、何度も何度も、おまじないを唱えた。
③仁 :……。
……すいませんでした。
妙さん、もう少しですよ。頑張りましょう。
⑥妙 :は、はい……。
④ナレ :仁の手が、再び動き出した。
喜市のおまじないに、妙だけでなく、仁も励まされたのだ。
-間-
■林の中■
④ナレ :仁は、妙の手術を無事に終わらせた。
神田川の上に燦然と輝く夕日を眺めながら、仁は未来を想っていた。
③仁 :(モノローグ)
……未来。
信じられないだろうが、俺は今、江戸に居る。
手術をしていると人殺しに間違われる世の中で、満足な道具や薬も無く、
手術をする羽目になっている。
……とても簡単な手術だ。今なら、まず失敗する事は無い。
でも、そんな手術に、ここでは青息吐息だ。
これまで手術を成功させてきたのは、俺の腕じゃ、なかったんだよ。
今まで、誰かが作ったきてくれた、薬や技術、設備や知識だったんだ。
そんなものを失くした俺は、痛みの少ない縫い方ひとつ知らないヤブだった。
14年も医者をやって、俺はそんな事を知らなかった。
自分が、こんなにもちっぽけだった事を、俺は知らなかった。
謙虚なつもりだったけど、俺みたいなヤブが、
出来る手術だけを選ぶなんて……。
考えてみれば、随分ふざけた話だと、君は、ずっと、
そう言いたかったのかもしれないな。
もしかして、これは、物言えぬ君からの、俺への罰なのか……?
⑤咲 :どこかへ行ってしまったのかと思いましたよ。
③仁 :……。
⑤咲 :どうかなさったのですか、先生?
③仁 :……ここ、よく来る場所だったんです。
⑤咲 :先生は、このあたりに住んでいたって事でございますか?
③仁 :(涙がにじむ)
……。
……でも。 ……でも、ここじゃ、ないんです。
ここじゃ、ないんですよ……。
こんなに……、こんなに、美しいところじゃ、ないんです……。
こんなに美しくては……、いけないんです……。
⑤咲 :……。
③仁 :(モノローグ)
だとしたら、もう、帰してもらえないだろうか。
……わかったから、もう。
ここの夕日が、世界一美しい事も、もう全部、わかったから……。
帰しては、くれないだろうか。
⑤咲 :……。
帰りましょう。
③仁 :……帰る?
⑤咲 :日が暮れると、厄介でございますから。
③仁 :……。
あのぉ……
⑤咲 :(被せるように)
いつか、すべて思い出されて……。
ご自分の家に、戻ってしまうかもしれませぬが。
それまでは、橘の家が、先生の家でございます。
③仁 :……。
……はい。
④ナレ :咲は仁に微笑みかけると、二人、夕日を背に歩き出した。
-間-
■橘家■
④ナレ :仁と咲は、橘の屋敷の前に帰ってきた。
咲は、母の顔が頭をよぎり、玄関先で足を止め大きく深呼吸をした。
③仁 :……あの、なんでしたら、馬小屋でも。
⑤咲 :と、とんでもない。兄の恩人にそんなこと。
③仁 :でも、お母様の手前も……
⑤咲 :母は、私がなんとかいたします。
⑥栄 :私が、なにか?
⑤咲 :母上!
……母上、私は、母上は間違っていると思いま……
⑥栄 :(被せるように)
間違ってるのは、貴方でございます。
⑤咲 :私の、どこがでしょう?
⑥栄 :客人を、このような場所でお待たせするなど言語道断!
⑤咲 :母上……。
①恭太郎:どうぞ、中へ。 咲、湯の支度を。
⑤咲 :……はい、兄上!!
■橘家/仁の部屋
④ナレ :咲、栄、恭太郎。
橘家の温かい心遣いに、仁は目頭が熱くなった。
……その後、仁は、屋敷の一室を使わせてもらう事になった。
タイムスリップする前、杉田から渡された写真を眺めていた。
③仁 :どうしてるかなぁ、未来。
④ナレ :穏やかな表情で写真を見つめていた仁だが、突如、険しい表情になる。
③仁 :あれ……、ピースが、逆?
③仁 :(モノローグ)
俺はこの時、ある可能性に気づいた。
本当だったら死んでいたはずの人の命を救う。
もしかして、これは、歴史を変えるという、
神をも恐れぬ行為なのではないだろうか。
だとすれば早く、一刻も早く、戻らないと……。
-間-
■吉原■
④ナレ :華々しく着飾った、美しい女性たちが溢れかえっている。
ここは江戸・吉原。
両手で持った万華鏡を覗く、ひときわ艶やかな花魁が居た。
②彦三郎:街で、手品師のような医者の話を聞いたよ、野風。
⑥野風 :ふふ、ふふふ。
”医者のような手品師”の間違いじゃありんせんか、親父様?
⑤禿 :野風花魁、お茶屋から呼び出しでありんす。
⑥野風 :……あい。
④ナレ :その花魁は、野風と呼ばれた。
この野風花魁が、今後の仁の運命を動かす重要な人物になるとは
この時はまだ、誰も思ってもいなかった。
-間-
■桶町/千葉道場■
④ナレ :さらに場所は変わって、桶町にある千葉道場。
②龍馬 :産婆じゃちゅうたがまでは良かったけんど、
その後、真かと詰められてのぉ。
わしゃ、一応、脱藩の身じゃきのぉ。
わははははは!!
①千葉 :はぐれてばっかりじゃのぉ、お主は。
このご時世、一人では何も出来んぞ。
②龍馬 :……わかっちゅう。
①千葉 :わしらはな、斬ろうと思うとるんじゃ。
②龍馬 :誰をじゃ?
①千葉 :幕府の癌よ。
軍艦奉行、並(なみ)、勝麟太郎。 ※勝麟太郎=のちの勝海舟
②龍馬 :……ほぉ~。
-間-
■湯島/橘家■
④ナレ :数日後。
④喜市 :先生、先生!!
持ってきたよ、枝豆!
③仁 :あぁ、ありがとう。
④喜市 :おっかさん、あれから少しずつだけど、元気なってきてるよ。
先生、ありがとぉ!!
また、明日も枝豆届けるね!!
④ナレ :そう言って、喜市は駆け出した。
③仁 :……早く(現代に)戻らないとなぁ。
④ナレ :そう呟きながら歩いていると、喜市が立ち止まっていた。
④喜市 :あれぇ、なんか、人が少ないなぁ。
④ナレ :表通りに出た仁と喜市。
いつも活気で溢れていた街だが、この日は確かに人通りは少なかった。
仁も、不思議そうに辺りを見渡す。
すると、偶然にも、土佐の男の姿を見つける。
③仁 :……あ、あの人!
④ナレ :仁は、男を追いかけ走り出した。
④喜市 :ははっ! また走って行っちゃったよ。
⑥町娘 :じゃあ何かい?
④喜市 :……ん?
⑥町娘 :こんなに人が出ないのは…。
②男 :本当らしいぜ。 また、コロリが出てきたって。
④喜市 :……えぇ? ……コロリ。
-間-
③仁 :(走ってる)
はぁはぁ、あの、あのぉ!!
②龍馬 :ん? なんじゃあ、また、おまんかぇ!
……ひょっとして、わしに惚れたがかぇ?
③仁 :(息切れしている)
貴方……、貴方、誰なんですか?
②龍馬 :わしかぁ?
わしゃ土佐の、坂本龍馬っちゅうモンじゃ。
③仁 :さ、坂本……、龍馬!?
③仁 :(モノローグ)
歴史を変えてしまうかもしれないその前に、
一刻も早く戻らないとって思ったけど。
もしかして、俺はすでに、歴史の渦の真っただ中に、
巻き込まれているんじゃなかろうか……。
----完----