-使用にあたり-
●台詞バランスがかなり偏っています。
※台詞バランス重視の場合、1話・2話 通し版(推奨配役あり)をお勧めいたします。
●この台本の上演時間は、約40分です。
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『仁 -JIN-』 1話
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【登場人物】
南方 仁(みなかた じん)
東都大学附属病院脳外科医 38歳。
友永 未来(ともなが みき)
仁の婚約者。現在は植物状態。 30代。
橘 恭太郎(たちばな きょうたろう)
徳川旗本の剣客の武士。咲の兄。 20歳。
橘 咲(たちばな さき)
旗本橘家の娘。 16歳。
橘 栄(たちばな えい)
恭太郎と咲の母。 40代。
野口(のぐち)
東都大学附属病院の研修医。
杉田(すぎた)
東都大学附属病院の医師。
博美(ひろみ)
東都大学附属病院の看護師。
玉田(たまだ)
南方仁が担当している患者。
先生
東都大学附属病院の医師。
警察
侍A
侍B
江戸藩家中(えどはんかちゅう)
ナレーション
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【1話 配役】3:2:1
①仁(♂)
②恭太郎/野口/警察/先生(♂)
③杉田/玉田/侍A/侍B/江戸藩/謎の声(♂)
④博美/咲(♀)
⑤未来/栄(♀)
⑥ナレ(不問)
---本編---------------------------------------
⑤未来 :私たちは、当たり前だと思っている。
思い立てば、地球の裏側にでも行ける事を。
いつでも、想いを伝える事が、出来る事を。
平凡だが、満ち足りた日々が、続くであろうことを。
闇を忘れてしまったような夜を。
でも、もし、ある日突然、その全てを失ってしまったら……。
鳥のような自由を、満たされた生活を、明るい夜空を失ってしまったら……。
闇ばかりの夜に、たった一人、放り込まれてしまったら……。
あなたはそこで、光を見つけることが、出来るだろうか。
その光を、掴もうとするだろうか。
それとも、光無き世界に、光を与えようとするだろうか。
あなたの、その手で。
■現代/東都大学附属病院 病室■
⑥ナレ :ここは、東都大学附属病院。
南方仁は、この病院で脳外科医として勤務している。
仁は、後輩の野口と共に、自身が担当医を務めている患者・玉田と
病室で話をしていた。
③玉田 :どうして、先生が執刀してくれないんですか?
ずっと、診て下さっていたじゃないですか。
①仁 :いやぁ。難しい手術なんで。
③玉田 :どうしても、やって下さらないんですか?
①仁 :杉田先生は、私なんかより腕が立つ先生だし、絶対にその方がいいです。
玉田さんのためです。
■現代/東都大学附属病院 宿直室■
⑥ナレ :宿直室。
カップ麺にお湯を入れている仁に、野口が話しかける。
②野口 :どうして先生がオペしないんですか。
そりゃ、杉田先生は凄いですよ。
けど、玉田さんは、先生を信用して……
仁 :(被せるように)
あちっ!!
あはは、お湯が指にかかっちゃった。
……俺、結構、不注意でさ。
たまに、お湯を入れすぎちゃったりして、よく火傷すんの。
そういう奴なの。
②野口 :はぁ?
④博美 :南方先生!
救急の患者さんですけど、診ていただいてもいいですか?
①仁 :はいはい。すぐ参ります。
■現代/東都大学附属病院 オペ室■
⑥ナレ :救急車で運ばれてきた患者は、性別は男性、年齢は不明。
顔面は殴打され、内出血が多数あり。
右前額部から後頭部にかけて、裂傷があるとの事だった。
仁と、数人の医師が、患者のレントゲンを見ている。
①仁 :急性硬膜外血腫だけど、変なもん、くっ付いてるね。
②先生 :松果体部から脳室にかけて、もともと腫瘍がありますねぇ。
①仁 :他の先生は?
②先生 :脳外科は、南方先生だけです。
先生だったら、この位置の摘出、朝飯前でしょう。
①仁 :……。
……緊急開頭して、血種除去。
術中、脳室で脳実質に損傷が無ければ、そのまま腫瘍を摘出します。
⑥ナレ :仁の指示により、緊急手術が始まった。
②野口 :麻酔、完了しました。
①仁 :ではまず、硬膜外血腫の除去手術を始めます。
開頭します。
……よし、血種を除去しよう。
……では、続いて、腫瘍の摘出を行います。
……よし、腫瘍が見えてきた。
……!!
……こ、これは。
⑥ナレ :現れた腫瘍を見て、仁や他の医師たちの手が止まった。
②野口 :……これ、胎児の組織成分ですか?
頭蓋骨内の封入奇形胎児?
②先生 :いや、幼児や子供には、こういう例もあるというが……。
この患者はどう見ても成人だし。
①仁 :とにかく、摘出して病理診断に回そう。脳実質で……
(激しい頭痛が襲う)
ぐっ!! ぐぁ!!
④博美 :南方先生?
どうかされました?
①仁 :(荒い呼吸)
……いや、大丈夫だ、続けよう。
⑥ナレ :仁の執刀により、硬膜外血腫ならびに腫瘍の摘出手術は無事終わった。
その後、摘出された胎児型の腫瘍は、病理診断へ回された。
■現代/東都大学附属病院 休憩室■
⑥ナレ :博美が、休憩室でコーヒーを飲んでいる。
そこに野口がやってきた。
②野口 :南方先生って、どうして、あぁなんですか?
手術、全然下手とかじゃないのに。
面倒くさいんですかね。
④博美 :野口君が、ここに来たのって、今月からだっけ?
②野口 :はい。
④博美 :じゃあ、まだ知らないのか、友永先生の事は。
②野口 :なんすか?
④博美 :友永先生は、外科の優秀なお医者さんで、南方先生の恋人だった人。
学生時代から知り合いだったらしいんだけど、3年前、友永先生が
この病院に来た時から、付き合いが始まって。
いよいよ結婚かって時になって、脳幹部に腫瘍が見つかったの。
②野口 :脳幹部に、腫瘍ですか。
④博美 :絶望的だったんだけど、南方先生は、手術をする事にしたのよ。
■回想■
<会議室>
③杉田 :南方、これは絶対に無理だぞ!
①仁 :大丈夫です。
サブオクシビタルアプローチと、トランスコンディーラーアプローチを……
③杉田 :(被せるように)
腫瘍は脳幹部に食い込んでるんだぞ!
周囲の脳幹を傷つけたら、どうするつもりだ。
これは手術じゃなくて、実験だ!!
①仁 :何もしなくても、死を待つだけだろ!!
……これは、患者の望みでもあるんです。
この手術が成功すれば、これから何千人っていう人たちが
希望を持つ事が出来る。
もし、成功しなくても……。
……その礎となれるなら、本望だと、そう言ってました。
……続けても、いいですか。
④博美 :その頃の南方先生は、脂の乗り切った状態だったし……。
友永先生も、南方先生を信用していたし。
皆が、奇跡を信じる事にした。
<手術室>
③杉田 :思った以上に、腫瘍が動脈を巻き込んでるな。
どうする南方。
……やめた方が、いいんじゃないか?
①仁 :……続けます。
③杉田 :南方!!
①仁 :主治医は俺だ!
……小脳を切除する。
■回想終わり■
④博美 :……手術の結果は。
腫瘍は除去できたんだけど、その時に動脈を傷つけて
大量出血起こしちゃって。
その結果、友永先生は、植物状態になってしまったの。
それから南方先生は、難しい手術は他の先生に預けるようになったの。
でも、その代わり、他の先生たちが手術に集中できるように、
通常業務の数をこなし、夜勤も交代してあげたりしてね。
私は、南方先生を責める気には、なれないな。
②野口 :……。
■現代/友永未来の病室■
⑥ナレ :仁は、未来の病室に来ていた。
ベッドに横たわっている未来。
病室には、缶ビールが何本も置いてあった。
①仁 :……未来、今日さぁ、凄いもん見つけたんだよ。
胎児性奇形腫。……ふふ、見てみたいだろ?
……どうだ、起きてみないか?
⑥ナレ :仁は、缶ビールを1本手に取った。
①仁 :そろそろ飲んでくれませんかねぇ。
……あんなに飲みたがってたくせに。
……なんとか言えよ。不愛想だなぁ、ふふ。
■現代/病院の屋上■
⑥ナレ :病院の屋上。
すぐ目の前には、神田川が悠々と流れている。
仁は、夜景を眺めながら、未来との日々を思い出していた。
■回想/病院の屋上■
⑥ナレ :手術を明日に控えた未来。その傍らに仁が立っている。
⑤未来 :私さぁ……。
この屋上から見える夕日が、世界で一番綺麗だと思うんだよね。
①仁 :ふふ、それ言い過ぎだろ。
南の島とか、ヒマラヤとかさ。
もっと凄い夕日なんて、いくらでもあると思うけど。
⑤未来 :わかってないなぁ、もぉ。
この病院で良い仕事して、その充実感を感じながら見る。
だから綺麗なんじゃない。
①仁 :あぁ、そういう話。
⑤未来 :ふふ、あと、これが付くと、さらに綺麗に見えるんだけど。
①仁 :おい、ビールはまずいだろ。
⑤未来 :ふふ、ちょっとだけ!
①仁 :だめだって! 明日手術だろ?
⑤未来 :1本。1本だけ!
ねぇ、付き合ってよ!
①仁 :だめだって!
⑤未来 :いいじゃない!!
これが最後かもしれないんだから!!
①仁 :……。
⑤未来 :……ごめん。
仁先生をさ、信用してない訳じゃないのよ?
でも、ほら、もしもっていうか……。
……あ、ごめんね。
本当は、私が一番、信じててあげなきゃいけないのに……。
仁先生だって、凄いプレッシャーなのに、
必死で平気なフリしててくれてるのに……。
(涙ぐみながら)
でも……でも、怖くて。
……こんなに怖いんだね、手術される方って。
私、今まで全然わかってなかったよ。
……いい勉強になった。
①仁 :(そっと未来の手を握る)
……俺も怖いよ。……すげぇ怖い。
失敗したらどうしようって、そればっか考えてる。
でも、そういう時は、あれを思い出すんだ。
……未来の好きな言葉。
⑤未来 :……神は、乗り越えられる試練しか、与えない?
①仁 :……あぁ。
⑤未来 :……そっか。
(涙をぬぐいながら)
うん、そうだったね。ふふ。
①仁 :あ、手術終わったら、新婚旅行、ヒマラヤに夕日でも見に行くか。
その思い込み、正すために。
⑤未来 :やだ。ここで一緒にビール飲んでもらう。
思い込みを、正すために。
ふふふ、あははは!
(未来と一緒に笑いあう)
①仁 :ふふふ、あははは!
-間-
■現代/東都大学附属病院■
⑥ナレ :翌朝。回診を終えた仁のもとへ、野口が訪ねてきた。
②野口 :南方先生、すいませんでした。
何も知らないで、偉そうな事言って。
……でも。
俺はやっぱり、玉田さんは先生がオペするべきだと思います。
こんな事、考えたくないですけど……。
もしもの時、全然知らない先生に失敗されたんじゃ
玉田さんも浮かばれないって言うか。
あんな事があって怖いのはわかりますけど、医者は患者のために、
その恐怖と、戦うべきなんじゃないですか?
一緒に恐怖と戦うから、尊敬されるんじゃないんですか?
「先生」って呼ばれるんじゃないですか?
失敗して傷付かない人間なんて居ないですよ。
……先生は卑怯です。
先生のやり方は、自分の代わりに、
他人に傷付いてもらってるようなもんじゃないですか。
①仁 :……その通り。
②野口 :え?
①仁 :その通りだよ。
……お前は、俺みたいな医者になるなよな。
(仁の携帯が鳴る)
……お呼びだ。
(仁、電話に出る)
……はい、南方です。
②野口 :……。
■現代/東都大学附属病院 処置室■
④博美 :あ、南方先生! 警察の方がお越しになってます。
②警察 :どうも。
①仁 :あの、なにか?
②警察 :昨日、救急で運び込まれた患者について、幾つかお伺いしたい事が。
①仁 :あ、はい。
-間-
①仁 :患者の傷は、何か鋭利な刃物で頭部に切り付けられたものと思われます。
頭がい骨骨折と、急性硬膜外血種を起こしていたので、
緊急手術を行いました。
顔面に無数の打撲傷があり、人相ははっきりしませんが……。
年齢は30代から40代、身長は180センチ程度、中肉、
血液型はA型RHプラスです。
②警察 :意識は?
①仁 :まだ戻っていません。当分は絶対安静が必要です。
②警察 :意識が戻り次第、署の方へ連絡してください。
①仁 :あの、どうして彼は襲われたんですか?
②警察 :それが、全く分からないんです。
とにかく、身元を証明するようなものが何もなくて、
本人から事情聴取するしかない状態で。
せめて意識が戻って、名前くらいは言ってくれると助かるんですがね。
他に何か、身体的特徴のようなものは、なかったでしょうか?
①仁 :手掛かりになるかどうかわかりませんが、
腫瘍が見つかったので摘出しました。
②警察 :腫瘍?
①仁 :非常に珍しい、胎児の形をしたものです。
②警察 :胎児?
①仁 :もしかしたら、本物の胎児かもしれないんですが……
(激しい頭痛が襲う)
ぐっ!! ぐぁ!!
②警察 :だ、大丈夫ですか?
先生!?
①仁 :はぁ、はぁ、大丈夫です。
……最近、寝不足なんで。
②警察 :お大事にしてくださいね。
では、何かありましたら、連絡お願いします。
①仁 :はい。
■現代/東都大学附属病院 宿直室■
⑥ナレ :その夜。宿直室にいる仁のもとへ、杉田が訪ねてきた。
③杉田 :よう。
①仁 :杉田。
③杉田 :見てきたよ、例の腫瘍。
①仁 :あぁ、凄いだろ。あれ、どう見ても胎児だよなぁ。
③杉田 :あぁ、斉藤教授も興味持ってたみたいでさ。
早く組織細胞診断に出せ~とか、学会に間に合わせろ~とか、うるさくてな。
①仁 :あはは、そうだろうなぁ。
③杉田 :で、まぁそう言われたんだけどさ。
お前、やってみたら?
①仁 :え?
③杉田 :いや、こういう症例に当たるなんてさ、ぶっちゃけ凄いチャンスだと思うし。
……お前のこんな状態、未来ちゃんだって喜んでないと思うぞ。
①仁 :……現場の医者はいつも足んないし、介護もあるし。
論文書く余裕があったら、正直寝たいよ、ふふ。
③杉田 :そうか。まぁ、気が変わったら、いつでも連絡くれ。
あ、そうだ。これ渡しとくよ。
①仁 :ん?
③杉田 :こないだ机整理してたら出てきたんだ。
じゃあな。
①仁 :あぁ。
⑥ナレ :仁は渡された封筒を開けた。中には、未来と病室で撮った写真が入っていた。
ピースサインをする未来と、寄り添う仁。
二人とも笑顔で写真に納まっていた。
じっと写真を眺めていた仁だったが、またしても頭痛が襲ってきた。
①仁 :(激しい頭痛が襲う)
あぁ!! ……なんだこれ!!
うぅぅ、うぁぁ!!
■現代/東都大学附属病院 病理検査室■
⑥ナレ :頭痛が治まった仁は、病理検査室に居た。
瓶に入ったホルマリン漬けの胎児性奇形腫を眺めていた。
①仁 :……チャンスかぁ。
⑥ナレ :その時、瓶の中で胎児の目が見開いた。
①仁 :うわっ!!
⑥ナレ :あまりの衝撃に、仁は思わず目を背けた。
再び、瓶に視線をやるが、胎児は元の状態に戻っていた。
①仁 :……疲れてるのかな。
②野口 :南方先生!!
①仁 :野口。どうした?
②野口 :例の患者が、病室から居なくなりました。
①仁 :……え?
■現代/東都大学附属病院■
⑥ナレ :仁は患者の病室へ向かった。しかしそこは、もぬけの殻。
病室も、ナースステーションや薬品棚も、酷く荒らされている状態だった。
仁も、院内を探し回っていたが、後方から物音がした。
振り返った仁の足元に、小さな薬瓶が転がってきた。
どうやら、屋上へ続く非常階段から転がってきたようである。
仁は、階段を駆け上がっていく。
すると、階段の踊り場で、蹲る患者を見つけた。
①仁 :大丈夫ですか!?
戻りましょう、まだ安静にしていないと危険です!
どうしてこんな事したんですか、なぜ……
⑥ナレ :患者の身体を起こそうとした、その瞬間。
患者の脇に、例のホルマリンの瓶が抱えられているのを仁は見た。
①仁 :……どうして、これを?
⑥ナレ :刹那、激しい頭痛が仁を襲った。
①仁 :うぅ!! うあぁぁ!! あぁぁぁ!!
⑥ナレ :痛みで蹲る仁。すると。
③謎の声:戻るぜよ。
……戻るぜよ、あん世界へ。
①仁 :……え?
⑥ナレ :患者は、瓶と医療品が入ったバッグを抱え、非常階段を昇り始めた。
①仁 :あ!! ちょっと!!
待ちなさい!! 待て!!
⑥ナレ :階段の上で患者を捕まえたが、強引に腕を振りほどかれてしまう。
その時、ホルマリンの瓶が、患者の手から離れ、放り出された。
その瓶を追いかけ、掴もうとした仁は、階段から激しく転げ落ちてしまう。
①仁 :うわぁぁぁぁぁ!!
-間-
■江戸時代/林の中■
⑥ナレ :あれから、どのくらいの時間が過ぎただろうか。
気絶していた仁は、ゆっくりと目を開けた。
①仁 :ん……。あれ?
……どうなってんだ?
⑥ナレ :仁の目の前に広がる光景。
そこには、都会の喧騒や、ネオンの光は一切なかった。
森の木々が風に揺れる音、虫の音。
仁は、林の中に倒れていたのだ。
仁は、胸ポケットに入れていたペンライトで、辺りを照らす。
①仁 :……どこなんだよ、ここ。
⑥ナレ :ふと足元に落ちていた医療バッグを見つける。
①仁 :……あの男、なんだってこんなものを。
③侍A :待てぇ!! 逃がすな!!
⑥ナレ :竹藪の奥から声が聞こえた。
仁は、ペンライトを照らしながら、竹藪の奥へと向かった。
①仁 :おーい!! 誰か!!
助けて下さい!! おーい!!
⑥ナレ :奥へ進んでいくと、侍らしき数人の人影が見えた。
竹藪の陰から状況を伺う仁。侍たちは、刀を交えているようだ。
③侍A :逃がすか!! えやぁ!!
②恭太郎:うぅ! やぁ!!
③侍A :おりゃあ!!
②恭太郎:えいっ、やぁぁ!!
①仁 :…‥なんだ? 時代劇?
何かの撮影なのか……。
②恭太郎:おりゃあぁぁ!!
③侍A :ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!
⑥ナレ :一人の侍が斬られた。血しぶきを浴びた仁。
①仁 :こ、この血は……本物?
③侍B :そこに居るのは誰か!!
①仁 :え、あ、いや、私は偶然……。
③侍B :怪しいナリをしおって。
見られたとなっては、生かしておけぬ!
覚悟!!
⑥ナレ :侍は、仁めがけて、刀を振りかぶった。
①仁 :うわぁぁ!!
③侍B :(背後から恭太郎に斬られる)
うぅぅぅ!!
⑥ナレ :刹那、刀を振り上げた侍が目の前に倒れる。
②恭太郎:怪我は!?
①仁 :え? あぁ、いえ!
②恭太郎:では逃げろ!! 早く! 早く!!
①仁 :あぁ、は、はい!!
⑥ナレ :仁は腰を抜かしながら後ずさりした。
②恭太郎:うぁぁぁぁぁ!!!
⑥ナレ :仁を助けてくれた侍が、別の侍に額を斬られた。
斬られた侍は、その場に崩れるように倒れた。
③江戸藩:おい!! 何をしておる!!
⑥ナレ :林の奥から、複数人の男たちの声が聞こえ、侍たちはその場を後にした。
仁は、額を斬られ倒れている侍の元へ駆け寄った。
②恭太郎:うぅぅ。
①仁 :大丈夫ですか?
②恭太郎:忠兵衛は……。そこの、供の者だ……。
⑥ナレ :視線の先には、もう一人、侍が倒れていた。
仁は、その侍のもとへ行き、脈をとるが、すでに事切れていた。
①仁 :……残念ですが。
②恭太郎:そうか……。そなたは?
①仁 :私は、医者です。
②恭太郎:……私は、助からぬな。
①仁 :いえ、無理ではないと思います。
②恭太郎:……助かるのか?
①仁 :手術さえ出来ればの話ですが……。
②恭太郎:どうか、侍のくせに、女々しい奴と、笑わないでいただきたい。
……今ここで、私が死ねば、お家はお取り潰し……。
母も妹も、路頭に迷う……。
はぁ、はぁ……頼む……。
私はまだ、ここで死ぬわけには、いかぬのだ……。
⑥ナレ :林の奥から、複数の男が駆け寄ってくる。
③江戸藩:江戸藩家中の者でござる!!
これは一体、どういう事か!!
②恭太郎:(起き上がり)
ぐっ……はぁはぁ……。
ゆ、湯島四丁目裏通り、樹木谷に住む、小普請組(こぶしんぐみ)、
小笠原順三郎氏藩内……
橘、恭太郎でございます!
三人の見知らぬ者に襲われ、供の者が、斬られてしまい……
⑥ナレ :橘恭太郎と名乗った侍は、そのまま、その場に再び倒れてしまった。
仁は、急いで恭太郎の容態を確認する。
③江戸藩:橘殿!! どうなすった!! しっかりなされ!!
おい、お主は何をしておる!! 奇態なナリをしておるが、西洋人か!?
①仁 :私は医者です。
③江戸藩:医者? 蘭方医か?
①仁 :この人、急性硬膜外血種の可能性が高い!
30分から、最長でも1時間以内にオペしないと手遅れになります!
③江戸藩:きゅ、きゅうせい、こう? おぺ?
ええい、何を言っておるのだ、その方は!!
①仁 :とにかく!! 一刻も早く彼を運んでください!!
⑥ナレ :仁と江戸藩家中の男たちは、恭太郎を担ぎ走り出した。
林を抜け、街へ飛び出した仁。
そこに映る光景は、ビルが建ち並ぶ、いつもの東京のそれではなかった。
平屋の家屋が並び、土や砂利の路面。
時代劇でしか見た事のない景色に、仁は戸惑いを感じた。
①仁 :……これは、夢か?
だとしたら、なんて長い、生々しい夢なんだろう。
■江戸時代/橘家 家の前■
③江戸藩:よし、着いたぞ。ここに降ろせ。
御免!! 橘殿!!
⑥ナレ :仁たちは、一軒の邸宅へ到着した。
歳の違う2人の女性が、家の中から血相を変えて飛び出してきた。
⑤栄 :忠兵衛!! 恭太郎!!
あぁ、何故、このような事に!!
④咲 :兄上!!
⑤栄 :咲、何か掛けるものを……
①仁 :(被せるように)
そのまま、中へ、部屋の中へ運んでください!!
息子さんは、まだ生きているんです!
⑤栄 :い、生きてる!?
①仁 :すぐにオペすれば、助かる可能性が高い。
⑤栄 :あの……
①仁 :処置に入らせてください。
⑤栄 :お、おぺ、とは一体、何を……
①仁 :オペとは、手術の事です。
⑤栄 :しゅ、しゅじゅつ……
①仁 :治療です! この怪我を治すという事です。
④咲 :あの、貴方様は一体……。
①仁 :南方仁といいます。外科の医者です。
④咲 :あの、蘭方医の方でございますか?
⑤栄 :蘭方医!?
①仁 :(被せるように)
話はあとにして下さい!!
この症例は、30分から遅くても1時間以内に処置しなければならないんです!
(腕時計を見て)
あぁ、もうあと30分もない!
息子さんを助けたければ、すぐに部屋に運んでください!
お願いします!!
⑥ナレ :そう言うと、仁は邸宅の中へ駆け込んで行った。
■江戸時代/橘家 土間■
⑥ナレ :土間で、治療に使えそうな道具を物色している仁。
様々な道具を、恭太郎の妹・咲の前に並べた。
①仁 :これと、これと、これと、これを、熱湯で煮て下さい!
④咲 :金槌を、煮るのでございますか?
①仁 :そうです! 出来るだけ早くお願いします!
④咲 :あの、こんなものを、どのようにお使いに?
①仁 :お兄さんの頭の中には血が溜まってる。
それを取り出すために使うんです!
④咲 :これで、血を?
①仁 :包帯とかガーゼってありませんか?
④咲 :が、がー?
①仁 :あぁ、ちょっと箪笥、失礼します!
⑥ナレ :仁は、おもむろにタンスの引き出しを開け、一枚の大きな布を取り出した。
①仁 :こ、これだ!!
これもすぐに煮て、煮た後に20センチ角に切っておいてください!
④咲 :に、20センチ角?
①仁 :えぇっと……。
(手で大きさを作ってみせ)
これぐらいです、これぐらい!
それが、ガーゼというものの代わりになります。
④咲 :これが、ガーゼなるものに……。
①仁 :それから、これ借ります!
⑥ナレ :仁は、血しぶきを浴びた白衣を脱ぎ、箪笥に入っていた着物を羽織った。
①仁 :消毒薬ありますか?
④咲 :し、消毒とは?
①仁 :焼酎ありますか?
④咲 :は、はい。
⑥ナレ :仁は、焼酎を受け取ると、恭太郎が横たわる部屋へ走り出した。
襖を開けると、恭太郎の母・栄がいた。
■江戸時代/橘家 恭太郎の部屋■
⑤栄 :言われた通りに致しましたが、このような設えで、よろしゅうございますか?
①仁 :暗いなぁ。照明はこれだけですか?
⑤栄 :は?
①仁 :あ、いや、結構です。
では、この部屋から出て行ってください。
⑤栄 :ここに居ては、ならぬのでございますか?
①仁 :息子さんを助けたければ、言う通りにしてください。
⑤栄 :……。
■江戸時代/橘家 土間■
⑥ナレ :咲は、仁に言われた通り、金槌や大きな布を、釜で茹でていた。
そこに栄がやって来た。
⑤栄 :それは、大工道具ではありませぬか!
このようなものを、如何に。
④咲 :存じませぬが、手術なるものに使うので、煮ろと先生が。
⑤栄 :あの蘭方医、一体、恭太郎に何をするつもりじゃ!
■江戸時代/橘家 恭太郎の部屋■
⑥ナレ :その頃、仁は着々と手術の準備をしていた。
手元にある医療バッグから、医療器具や注射、手術用手袋などを取り出した。
①仁 :局所麻酔薬キシロカインまで入ってるのか、ありがたい。
⑥ナレ :焼酎を消毒薬に見立て、恭太郎の額の傷口に塗る。
大きな布をマスク代わりにして、局所麻酔を打つ。
襖の向こうで、咲の声がした。
④咲 :ノミと金槌、ヤットコをお持ち致しました。
①仁 :ありがとうございます。
部屋には入らないで、そこに置いてください。
④咲 :……あ、はい。
⑥ナレ :仁は、咲が持ってきた工具たちを確認する。
①仁 :……本当に、大工道具だな。
⑥ナレ :仁の脳裏に、未来を手術した時のトラウマがフラッシュバックする。
仁は、目を瞑り、深呼吸をして、ゆっくりと次の言葉を絞り出した。
①仁 :……神は、乗り越えられる試練しか与えない。
⑥ナレ :メスを手に取り、いざオペを開始しようとした、その時。
④咲 :(襖の奥より)
おやめくださいませ母上! 先生は入るなと!!
⑥ナレ :襖を開け、栄が入ってきた。
①仁 :……出て行ってくださいとお願いしたはずですが。
⑤栄 :説明もなしでは、納得できませぬ故。
①仁 :室内は、なるべく清潔にしておきたいので。
⑤栄 :無礼な! 私が不潔だと仰るのでございますか!
①仁 :そういう事ではないんです。
⑤栄 :(被せるように)
蘭方医など、医者を騙った人殺しも同然!!
信用なりませぬ!!
⑥ナレ :栄はそういうと、小刀を手に取った。
⑤栄 :もし、恭太郎を死なせたら……。
この場で其方を殺して、私も自害いたします!!
①仁 :……いいでしょう。
その代わり、何を見ても、取り乱さないでください。
⑥ナレ :仁は、ついに恭太郎の額にメスを入れた。
皮膚を切り、捲り上げる。そして火箸を手にする。
⑤栄 :ひ、火箸などで、何をなさるのでございますか……。
①仁 :止血です。血を止めるんです。
⑥ナレ :煮えたぎった火箸の先を傷口に当てる。
栄は、思わず声を漏らした。
開頭するため、ノミを額に当て、金槌で叩く。
その音が響く度に、栄は悲鳴にも似た嗚咽を漏らす。
栄は、明らかに取り乱していた。
⑤栄 :……な、なにが……なにが、手術じゃ!
頭をかち割って、助かるわけがなかろう!!
⑥ナレ :栄は小刀を振り上げ、仁を襲う。
仁はギリギリで躱し、栄の腕をとる。
栄は、尚も仁に刃を向けている。
①仁 :(栄の腕を制止しながら)
息子さんの頭の中には血が溜まって……
⑤栄 :(被せるように)
恭太郎に、何の恨みがある!!
①仁 :それを取り除くためには……
⑤栄 :(被せるように)
この人殺しぃ!!
①仁 :人殺しじゃなくって……。
話を、聴いてください!!
⑥ナレ :仁は、栄から小刀を取り上げ、腕を振りほどいた。
そして栄を引き摺り、恭太郎の傷口を見せつけた。
⑤栄 :何をなさるか! おやめなさい!!
①仁 :見えますか!!
ここに、血の海がありますよね。これが血種です!
放っておくと、この血が脳を圧迫し、
貴女の息子さんを死に追いやるんです!!
⑤栄 :……。
①仁 :貴女の敵は私じゃない……この、血の海です!!
⑥ナレ :栄は、涙を流し、力なく座り込む。
①仁 :……すいません、時間がないので。
(襖の奥に向かって話しかける)
……妹さん、そちらに居らっしゃいますか?
④咲 :は、はい!
①仁 :これ以上、時間がかかると、お兄さんの命が危ない。
手伝ってもらいたいんですが、貴女は血を見ても平気な方ですか?
④咲 :……平気でございます。
咲は、武士の子でございます!
①仁 :では、清潔な着物に着替えてきてください。
④咲 :はい!
⑤栄 :……南方様。
私も、お手伝いを。
①仁 :……はい。
-間-
⑥ナレ :気持ちが落ち着いた栄と、咲の手伝いもあって、手術は無事成功した。
①仁 :それでは、縫合します。
⑥ナレ :傷口を縫い合わせていく仁。その手先を、咲はじっと見つめていた。
①仁 :(腕時計を見て)
よし、間に合った。
⑥ナレ :仁は、そう言って、ひとつ大きなため息を吐いた。
-間-
⑤栄 :これで、本当に治ったのでございますか……。
頭の穴は、開いたままではございませぬか。
①仁 :穴は、問題ありません。あとは経過次第。
三日、無事に過ごせれば助かります。
④咲 :三日、無事に過ごせれば、兄は助かるのでございますね?
①仁 :はい。
④咲 :ありがとうございます、先生。
母上、兄上は無事に命を取り留め……
⑤栄 :(被せるように)
まだ、助かったわけではございませぬ!
三日は、わからぬという事でございますよね。
①仁 :……。
-間-
■江戸時代/橘家 応接の間■
⑥ナレ :時間は既に深夜。咲は、仁のために寝床の準備をしていた。
④咲 :私たちの父は、4年前、コロリで亡くなったのでございます。
①仁 :……コロリって、コレラの事ですか?
④咲 :コレラ、とも言うのでございますか?
①仁 :あぁ、いえ、気になさらずに……。
④咲 :西洋から来た流行り病という事でございましたので、
蘭方医の治療を受けたのでございますが。
よく分からぬ処方をされた挙げ句、命を落としてしまったのでございます。
それ以来、母は、西洋のものは何でも毛嫌いするようになり……。
言い訳にしかなりませぬが、母の無礼を、哀れと思って、
お許しいただければ!
……。
……先生?
⑥ナレ :仁は、すでに寝息を立て、眠ってしまっていた。
咲は、少し笑顔を見せ、仁にそっと布団をかけた。
その時、ふいに仁の右手が目に入る。
咲は、先ほどの仁の手さばきを思い返していた。
---1話 完----