原作:井上 靖
【登場人物】
大林勘助(おおばやし かんすけ):後の山本勘助。30代前半。諸国を放浪する浪人者。 隻眼で片脚を引き摺っている。
ミツ:葛笠村の百姓の娘。伝助の妹。20歳前後。偶然出会った勘助と心通わせていく。
伝助(でんすけ):ミツの兄。20代後半。葛笠村の百姓だが、飢饉もあって戦に赴いている。
平蔵(へいぞう):葛笠村の百姓。20代後半。ミツに惚れている。伝助たちと戦に赴いている。
太吉(たきち):葛笠村の百姓。20代後半。伝助や平蔵と共に戦に赴いている。
-武田-
武田信虎(たけだ のぶとら):甲斐の国主。勝千代の父。40代前半。武力重視で甲斐の国を統一した。
板垣信方(いたがき のぶかた):武田家家臣。40代前半。勝千代の傅役(世話役)。
甘利虎泰(あまり とらやす):武田家家臣。40代前半。
原虎胤(はら とらたね):武田家家臣。30代後半。「原美濃」「鬼美濃」と呼ばれることがある。
教来石景政(きょうらいし かげまさ):武田家に使える武士。武川衆を束ねる。20代前半。
勝沼信友(かつぬま のぶとも):武田家の武将。信虎の弟。40代前半。
赤部下野守(あかべ しもつけのかみ):武田家家臣。
前島昌勝(まえじま まさかつ):武田家家臣。
勝千代(かつちよ):後の武田信玄。信虎の嫡男。10代前半。
大井夫人(おおいふじん):信虎の正室。勝千代の母。
-北条-
北条氏綱(ほうじょう うじつな):相模・北条家当主。50代前後。
北条氏康(ほうじょう うじやす):氏綱の嫡男。20代前半。
北村右近(きたむら うこん):北条家家臣。
【配役】♂5:♀1:不1 約40分
勘助(♂):
ミツ/大井(♀):
伝助/甘利(♂):
平蔵/板垣/北村/武士A/武士B(♂):
太吉/信虎/原/氏康/武士C(♂):
赤部/前島/勝沼/教来石/氏綱(♂):
ナレ/勝千代(不問):
------【 本 編 】------
勘助 「疾き事、風の如く。徐かなる事、林の如く。侵掠する事、火の如く。動かざる事、山の如し。
某は、蒼き月影の如く。御館(おやかた)様は、燃ゆる日輪の如し。
恋は、散りふる花の如く。心は、仄暗(ほのぐら)き森の如し。
宿敵は、天翔(あまか)ける龍の如く。戦は……、戦は、我が人生の如し。
某の名は、武田信玄が軍師、山本勘助である」
■甲斐・葛笠村■
ナレ 「ここは甲斐の国。勘助が、甲斐の国に初めてやってきたのは、天文4年の事。
まだ大林勘助と名乗り、諸国を放浪する浪人者に過ぎなかった。
その年、甲斐の国は飢饉であった。
甲斐・葛笠(くずかさ)村。野を駆ける百姓がいた。彼の名は伝助」
伝助 「(走っている声)」
ミツ 「兄(あに)やん!戦、行くんけ?」
伝助 「おう!行ってくらぁ!」
ミツ 「戦ぁ行っても、敵の大将の首でも獲らにゃあ、うみゃあ事もねぇだに」
伝助 「首が獲れなんだら、兵糧でも武具でも、なんでもぶん獲ってくるだ! 敵の領地まで行きゃあ、乱捕りも出来るだに。
ミツ、おまんは用心して待っとけ!」
ミツ 「兄やん!!」
ナレ 「ミツを残して、伝助は他の百姓と共に戦場へ向かった。ミツは我が家へ戻ってきた。すると家の中から物音が。
恐る恐る近づくミツ。陰から覗き見ると、見慣れぬ男が水桶の水を飲んでいた」
ミツ 「誰じゃ!何をしとるだ!!」
勘助 「……旅の者じゃ。すまんが、食い物を恵んでもらえぬか」
ミツ 「……食いもんなんか、ねぇでごいすよ。食えそうなもんしか口にしてねぇだに」
勘助 「食えれば良いのじゃ!」
ナレ 「男の必死な形相を見たミツは、半ば呆れながら食事の準備をし始めた」
ミツ 「どっから来たでごいすか?」
勘助 「ん? あぁ、京の方よりな。それより、皆、戦に行くのか」
ミツ 「盗みに行くずらよ、盗んだもん身に着けて。……食ったらすぐに出ていくがいいでごいすよ。
どこで戦になるか分かりゃしねぇだに」
勘助 「お!おぉ、すまんな!(飯を喰う)」
ナレ 「自身が差し出した飯に喰らいつく勘助の胸元に、何か光るものを見つけたミツ」
ミツ 「そりゃあ、なんでごいす?」
勘助 「ん? あぁこれか。これは摩利支天。戦の神じゃ」
ミツ 「摩利、支天……」
ナレ 「ミツは、おもむろに、勘助が首からぶら下げている摩利支天に手を合わせ、そっと目を閉じた」
■万沢口・近辺の林■
ナレ 「その頃の甲斐の国主は武田信虎、信玄の父である。
信虎は、甲斐一国を統一し、さらに勢力を伸ばそうと、駿河の今川、それと同盟する相模の北条
その二大勢力と敵対していた。
ことに今川は、駿河、遠江(とおとうみ)を治め、三河にまで進出していた大国であった。
勘助が木陰で座っていると、伝助たち百姓が後方より声を荒げた」
平蔵 「くそぉ!!どけぇ行っただ!!」 ※どけぇ=どこへ
伝助 「このまま突っ込めぇぇぇぇ!!」
勘助 「待てぇぇ!!」
ナレ 「勘助が武装した百姓たちを呼び止めた。すかさず百姓たちは、勘助へ槍の矛先を向ける」
勘助 「深追いすれば死ぬぞ。この先、敵の伏兵が待ち構えておる。たかが小競り合いで死ぬこともなかろうて」
伝助 「小競り合いだと!!」
勘助 「あぁ!待て待て!! 敵も味方も総攻めは仕掛けておらぬ。さしずめ敵は位詰(くらいづめ)じゃ」
伝助 「あんだと?」
平蔵 「くらい…づめ、ちゅうのは何じゃ!?」
勘助 「敵はおよそ1万5千。武田はせいぜい、5千か。今川は、その数を武田に見せつけ兵を退かせたいのじゃ。
このまま小競り合いを続け対峙が長引けば、甲斐の御館様、必ずや兵を退くことになろう」
伝助 「御館様が負けるっちゅうんか! 許せねぇだに!!」
勘助 「まぁ待て待て待て待て! おぬし、百姓が死ぬことはなかろうて」
伝助 「おみゃあ、何もんだ」
勘助 「ただの浪人者だ。(立ち上がる)主らの陣場(じんば)へ案内せぇ。主らの大将は誰じゃ? 強いか?
ん? おいおい、何をする!!」
伝助 「うるせぇ!!」
勘助 「わしを捕えて何とする!! 見当違いじゃ!!」
■万沢口・武田軍本陣■
ナレ 「場所は武田軍本陣。武田は今川と対峙し、すでに数日が過ぎていた」
信虎 「位詰(くらいづめ)には、奇襲を取るが上策であろうな」
板垣 「夜襲を、仕掛けまするか?」
信虎 「荻原常陸介(おぎわらひたちのすけ)が生きておれば、そう申すであろう」
板垣 「はぁ」
信虎 「荻原に死なれてからは、我が本陣は口を失のうたようじゃ」
ナレ 「荻原常陸介(おぎわらひたちのすけ)とは、信虎の右腕ともいえる参謀であった。
信虎は、その軍師的存在を失っていた」
前島 「御館様、申し上げます!
今川氏輝、相模の北条に援軍を請い、北条氏綱、明朝より小田原を出陣との知らせにござります」
信虎 「今川め。我が軍勢を万沢に引きつけておき、背後の郡内(ぐんない)より北条を攻め入らせる策であったか」
甘利 「して、その数は?」
前島 「数はまだ、定かではありません」
信虎 「前島、その知らせ、其方(そち)の物見によるものか?」
前島 「畏れながら、敵の物見によるものにございます」
信虎 「どういう事じゃ?」
前島 「敵の武将、福島越前守(くしまえちぜんのかみ)殿、我が軍に内応してございまする」
信虎 「なにぃ!?」
板垣 「福島(くしま)?」
甘利 「福島(くしま)といえば、飯田河原(いいだがわら)合戦の総大将。福島上総介(くしまかずさのすけ)の同族。
我らが仇敵(きゅうてき)ではないのか? よもや今川に誑(たぶら)かされておるのでは、あるまいのう」
前島 「福島(くしま)殿は、今川家の家督を氏輝が継いだ折より、我が前島家と密かに誼(よしみ)を通じてまいられた」
甘利 「頼りない主君に逆心を抱いたか」
信虎 「前島! よぉした!」
前島 「はっ! では、某はこれにて!(去る)」
信虎 「板垣、使い馬を原美濃(はらみの)が元に走らせ、其方(そち)と共に、郡内、勝沼勢に合力させぃ!」
板垣 「はっ!」
信虎 「今川氏輝。聞きしに勝る、臆病者じゃ」
■万沢口・武田軍前備えの陣■
ナレ 「場所は、武田軍前備えの陣。勘助は、そこで捕えられていた」
原 「今川の間者(かんじゃ)か。その首、伝助にくれてやる。覚悟致せ!」
勘助 「お待ちくだされ!! 某、間者ではござらん。ただの浪人者にござる」
原 「浪人だと? 名は何と申す」
勘助 「大林勘助。此度の戦に出くわし、是非ともお味方にお加え頂きたく。お願いつかまつる!」
原 「元は、いずこの家臣じゃ」
勘助 「いずこにも仕えておりませぬ。三河より出でて15年。諸国を経巡(へめぐ)り、修行中の身にござる」
原 「三河の生まれか。ならば何故、今川に仕(つか)ぬ」
勘助 「強き方に味方するは、浪人者の常にございまする」
原 「ふっふ。その顔はどうした。見せろ」
ナレ 「原が、勘助の眼帯を剥ぎ取る」
原 「……おぬし、眼をやられておるのか」
勘助 「幼き頃に疱瘡(ほうそう)を患い、見えぬようになり申した」
原 「脚も引き摺っていたようじゃが、その眼その身で、何を修行していたと申すか」
勘助 「兵法の奥義にございまする」
原 「は、はは、ははははははは!! よぉ言うた!!」
ナレ 「原は、勘助を蹴り飛ばした」
原 「見ろ。主の兵法など、戦では何の役にも立たぬわ。はははははは!!
申してみよ。その隻眼で敵の動きをどう見たか」
勘助 「敵の足軽が、お味方の陣に駆け入るところを見申した。敵の武将に、お味方に内通するもの在らぬとは限りませぬ」
原 「なに? この語り者めが!!」
ナレ 「原が刀を振りかざし、今まさに勘助の首を刎ねんとしたその時、本陣から放たれた使い馬がやってきた」
武士A 「申し上げます! 北条の援軍、明朝にも小田原を出陣!
板垣様と共に、郡内勢に合力せよとの御下知にございまする!」
原 「明朝だと? 出陣する前に何故わかった?」
武士A 「はっ! 今川方の福島越前守(くしまえちぜんのかみ)殿、我らに内応したとの事にございます」
原 「……! 郡内に合力せよとの下知、あい分かった。兜を持ってまいれ」
武士A 「はっ!」
原 「伝助! その者の命、しばらく預かっておけ」
伝助 「はっ!」
原 「すぐ板垣様の元に参る! 馬を牽けぇぇぇ!!」
間
ナレ 「それから、一刻(いっとき)ほどが経った」
伝助 「くそぅ。次は北条が相手か。……ん?」
ナレ 「厠から帰ってきた伝助は、捕らえられていたはずの勘助が居ないことに気づく」
平蔵 「(寝息)」
伝助 「お、おい平蔵、平蔵!!」
平蔵 「……んん?」
伝助 「あ、あの浪人者は、どうしただ!?」
平蔵 「ん? あれ、さっきまであそこに寝てたんだけんどなぁ。そりゃぐっすりと…」
伝助 「馬鹿たれがぁ!(殴る)」
平蔵 「ぬわぁ!!」
太吉 「伝助ぇぇぇぇ! 平蔵ぉぉぉぉ!!
今川のやつらが、乱捕りを始めただ! 川を北の方に、葛笠村の方へ向かっとるだに!!」
伝助 「っ!! おい、おみゃあら、起きろ! 起きると言うとるんじゃ!!」
ナレ 「伝助は、雑魚寝している百姓たちを叩き起こし、平蔵らと共に、急ぎ葛笠村へ向かった」
■甲斐・葛笠村■
ナレ 「その頃、戦に出た農民や浪人たちは、自力で兵糧を調達しなければならず、敵地であれば、一帯の民家を襲った。
これを乱捕りと呼ぶ。凶作や飢饉などに苦しむ百姓たちにとっては、まさに食うための戦であった。
伝助たちの暮らす葛笠村でも乱捕りが始まった。村は、兵糧を奪う武士たちや、逃げ惑う女子供で入り乱れていた。
ミツも、武装した男に追いかけられていた」
赤部 「待てぇ。はははは、待て待てぇ!」
ミツ 「いやじゃ! あぁ!」
ナレ 「ミツは橋の上で転んでしまった」
ミツ 「あ、ああ、いやじゃ」
赤部 「大人しくせぇ」
ミツ 「いやじゃあ!」
勘助 「(赤部に斬りかかる)ふん!!」
赤部 「ぐっ!! ……なんじゃあ貴様」
ナレ 「男に斬りかかったのは勘助だった。男は、刀の柄頭(つかがしら)でミツのみぞおちを突き気絶させ
そのまま勘助と向き合った。一瞬の静寂ののち、互いの刀が重なり、激しい金属音がこだました」
勘助 「ふっ!!」
赤部 「はっ!!」
勘助 「だぁあ!!」
赤部 「うぉりゃあ!!」
勘助 「……貴公、駿河の浪人か?」
赤部 「……お主も、只の鼠ではねぇな」
ナレ 「二人の打ち合いは激しさを増した。しかし、橋の向こうより伝助たちが駆け付けるのが見えると
男は、渋々その場を立ち去った。勘助は、気絶しているミツを抱きかかえた。」
平蔵 「ミツやん!!」
伝助 「おみゃあ!!」
ナレ 「ミツを抱えている勘助に、槍の矛先を向ける伝助たち」
勘助 「おい!待て!!」
伝助 「やれぇ!!」
ナレ 「一斉に伝助たちが勘助に襲い掛かる。逃げ場を失った勘助は、橋から転落し、下を流れる川の中へと消えていった」
■万沢口・武田軍前備えの陣■
教来石「原殿」
原 「これは教来石(きょうらいし)殿、ご苦労にござる」
教来石「北条の援軍が攻め寄せてくると聞いたが」
原 「さようにござる。明朝、我ら郡内で迎え申す。この地は教来石殿の武川(むかわ)衆にお任せ申した」
教来石「あい分かった。……ところで、物頭(ものがしら)の赤部下野守(あかべしもつけのかみ)殿をお見かけせなんだか?」
原 「いや。……赤部殿がいかがいたした」
教来石「夕べ、陣から消え申した。この先で、今川の雑兵による乱捕りがあったようだが」
原 「まさか。また悪しき癖を出されたか」
■甲斐・葛笠村■
ナレ 「勘助は、ミツの家に居た。裸で眠っている勘助の顔を、笑顔のミツが覗き込んでいた」
勘助 「(寝ている)‥‥う、う、んん
ミツ 「気が付いたでごいすか?」
勘助 「ん? ぬおわあああ!!」
ミツ 「兄(あに)やんから聞いたんだけんど、おみゃあ様、諸国を旅する御浪人様なんでごいすか?」
勘助 「あ、あに……兄やん? 兄やんとは誰じゃ」
ミツ 「伝助兄やんでごいす」
勘助 「……あぁ、あの者の妹か」
ミツ 「ミツでごいす。おらを助けてくれたぁで、兄やんも、おみゃあ様には有難く思っているでごいす」
勘助 「……其方(そち)が、手当てしてくれたのか」
ミツ 「てゃあした事はなかったずら。だけんどおみゃあ様、あんまし剣術は強くにゃぁな」 ※てゃあした=たいした
勘助 「なぜじゃ」
ミツ 「ほんだけ傷があったら、生きてんのが不思議だぁわ。兄やんも戦で傷があるんだけんど、そこまではにゃぁだ。
百姓の兄やんより多いだに」
勘助 「己一人の武勇など、戦で勝つには、何の役にも立たん。腕自慢は、すぐに死ぬ」
ミツ 「おみゃあ様も死にかけたでにゃぁか。ふふ。着物は洗うで、兄やんの貸すずら」
勘助 「……伝助は、いずこじゃ」
ミツ 「あそこずら。水場でみんなと寝ずの番をしとるだに」
間
平蔵 「伝にぃ、本当に大丈夫だか?ミツやん一人で」
伝助 「あんの身体じゃぁ、何も出来はしねぇだに」
平蔵 「どうして分かるだ!!」
太吉 「平蔵はミツを好いとるだになぁ。けんどミツは、お侍(さむりゃあ)を好いとるだに、平蔵には鼻もひっかけねぇだ。
はははははっ」
平蔵 「うるしゃあ!! おらも手柄を立てて、侍(さむりゃあ)になるんじゃ!」
太吉 「ん? おいっ!」
ナレ 「そこに勘助が現れる」
伝助 「ミツは、どうしたでごいす」
勘助 「眠った」
平蔵 「……」
間
伝助 「ミツの母親も、乱捕りで殺されたぁずら。ミツは、まだ4つで。ミツを助けるのがやっとだったぁだ。
今川が、飯田河原まで攻め込んできたぁ時ずら。わしらの父やんも兄やんも、その戦に行って、死んじもうただ」
勘助 「……お前はそれでも、戦へ行くのか」
伝助 「戦にでも行かなんだら、甲斐の百姓は生きていけにゃぁだ。……おみゃあ、夕んべ、なんで此処に来ただ?」
勘助 「三河に、帰るためだ」
伝助 「三河へ、帰(けぇ)るだか」
勘助 「わしもそろそろ仕官せねばならんでな。継がねばならん家があるのじゃ。
なれどこの身、手ぶらでは仕官も容易ではなかろうて」
伝助 「三河で、今川の家臣になるっちゅうのか」
勘助 「ふん、ただの家臣ではない。陣取り、城獲り。わしは軍配の道を究めたいのじゃ」
伝助 「……?」
勘助 「……。おぬしに言うても、分からんだろうなぁ」
伝助 「分からにゃあ」
ミツ 「きゃあああああ!!」
平蔵 「!! 敵じゃあああ!!」
ナレ 「ミツの悲鳴を聞きつけ、急いで村へ戻る勘助たち」
伝助 「ミツ!!」
ミツ 「兄やん!! 昨日の男ずら!」
ナレ 「そこには、昨日ミツをしつこく追っていた、あの男が立っていた。伝助たちは、男に槍を向け取り囲む」
赤部 「な、なんじゃなんじゃ!!」
ナレ 「男は、刀を大きく振るい威嚇した。その時、伝助が口を開く」
伝助 「赤部様? 赤部様でごいすか?」
赤部 「あん?」
太吉 「あ、そうじゃ、物頭(ものがしら)の赤部様じゃ!」
勘助 「……ほぉ。武田の家臣か」
伝助 「ここで、何をしとるでごいす」
赤部 「ん? うん、いやぁ、み、見回りじゃ、うん」
ミツ 「嘘じゃ! おらが寝とったら乗っかかってきただ!」
赤部 「何を申すか!」
勘助 「おぬし、このわしを覚えておろう」
ナレ 「勘助の強い視線に、つい目を逸らした赤部。百姓たちも何かを察し、槍を握る手に力が入る」
赤部 「たわけ! このわしが乱捕りしたと申すか! 申してみよ!!
このわしを、誰じゃと思うておるか! 武田家直臣、赤部下野守(あかべしもつけのかみ)ぞ! んん?
わしは、賊から主らを護るために此処におるのじゃ。それを何じゃ!!」
伝助 「でも、ミツは」
赤部 「ミツが何じゃ。その女は、わしを、誘うてきたのじゃ。兵糧を恵めと言われてなぁ」
ナレ 「しかしミツは激しく首を横に振る」
赤部 「まぁ、実を申すと、わしとその女は、前から通じておる。わしは時折忍んで、ここへ来ていたのじゃ。
それを、今になって拒むとは、どういう了見じゃ?ミツ」
伝助 「……ミツ、おみゃあ」
ミツ 「嘘じゃ!」
太吉 「でも赤部様が」
ミツ 「嘘じゃ嘘じゃ!!」
赤部 「あぁもう隠さぬでもよいミツ。これからは堂々と、わしに奉公せぇ」
平蔵 「……ミツやんは、そんなにお侍(さむりゃあ)を好いとるだか」
ミツ 「平蔵やん!! ……嘘じゃ。……それにおら、内股に大きな腫れもんがあるでよ。
痛(いてゃ)ぁし、恥ずかしいし、男を近づけんのじゃ」
赤部 「いやいや、腫れ物はあったが、障りはなかったぞ」
ミツ 「ふ、ふふふ。したりじゃ。そんな腫れもんねぇだに!」
ナレ 「ミツは着物を裾から捲り上げ、大衆の面前で太ももを晒した」
ミツ 「ははは!! あはははは!!」
ナレ 「伝助たちは目配せしながら、今まさに赤部へ襲い掛かろうとした」
勘助 「待て! 待て待て待て待て。この者を殺したところで、それが知れたら、この村は只では済まんぞ」
伝助 「けんど、このまま逃したら……」
勘助 「それもまずい。この者は、いずれ其方(そなた)らを殺すであろう」
赤部 「くっ!」
伝助 「じゃあ、どぉすりゃいいだ」
勘助 「ん~。そうじゃのぉ~」
ナレ 「百姓たちの槍が赤部を囲む輪の中に入っていった勘助は、持っていた木刀で赤部の後頭部を打ち、気絶させた」
勘助 「とりあえず縛って、隠しておくのじゃ」
ナレ 「とそこへ、馬の駆け音が聞こえた。伝助たちは慌てて赤部を近くの小屋へ運び入れる。馬に乗ってやってきた兵士は
『原様は山中(やまなか)へ向かった。北条が攻め込んできた。おぬしらも急いで向かえ』と告げた」
勘助 「山中……」
■甲斐・郡内 都留郡山中■
ナレ 「場所は、甲斐の都留郡(つるぐん)山中。武田の別部隊が、北条軍の侵入に備えていた」
原 「しっかり刺せ!! よぉしよし。小田原共に馳走する『もがり落とし』じゃ。粗略があっては甲斐の名折れぞ!」
ナレ 「もがり落としとは、いわゆる落とし穴で、掘った穴の中に切り裂いた竹を幾本も突き刺し
落ちた敵兵に深手を負わせる罠である。
もがり落としは、相模との国境である籠坂峠と、山中湖畔の陣との間にある、都留郡山中の林道に仕掛けられた」
■甲斐・府中 躑躅ヶ崎■
ナレ 「信虎が今川軍と対峙している万沢口は、山中湖畔から富士を挟んだ反対側に位置し
二つの戦場から幾山を隔てたところに武田の本拠地、甲斐府中があった。
ここは、躑躅ヶ崎(つつじがさき)の館。仏像を前に、一人の若者が読経をしていた。
武田勝千代。のちの武田晴信、信玄である」
大井 「勝千代、ここに居たのですか。父上の御武運を祈っていたのですね」
勝千代「母上。甲斐の領民は今年も飢餓に苦しんでいると聞きまする。
斯様な時に長陣いたせば、飢饉はますます深まりましょう」
大井 「国を富ます為に他国へ目を向けるのも、乱世の倣(なら)いにございましょう」
勝千代「兵は詭道(きどう)なり。戦は所詮騙し合いだと、孫子は説かれていまする。
父上のように、策も講じずただ強敵に抗うのでは、兵をいたずらにかき集め、年貢も増やし続けねばなりませぬ」
大井 「書物から知りえぬ戦の道を、父上はご存知なのです。
其方(そなた)も来年になれば、その事、目の当たりに致しましょう。
その折こそ、父上から学ぶ事も多いはず。今はいたずらに、口を挟んではなりませぬぞ」
■甲斐・郡内 山中湖畔■
ナレ 「2千もの兵を率いて、郡内、山中湖畔に陣取るのは勝沼信友。信虎の弟である」
勝沼 「勝千代は息災であるか?」
板垣 「は。来年はいよいよ元服召されます故、ますます文武に研鑽されておられまする」
勝沼 「聖人の肖像を造り、日夜礼拝する程か。学問への執心ぶりは聞き及んでおるぞ」
板垣 「師の岐秀元伯和尚(ぎしゅうげんぱくおしょう)が、舌を巻かれる程にござりまする」
勝沼 「ははは。それは良き事じゃ。武芸の方も、其方(そなた)が傅役(もりやく)であれば安泰であろうの」
板垣 「滅相もない事でござりまする。ただ……」
勝沼 「ん?」
板垣 「御館様は、その学問への御執心ぶりを、些か疎まれておられるように存じまする」
勝沼 「兄者が? 出来の良い倅を嫌うておるか。面妖な事じゃのう。されど、分からぬでもない。
兄者は武力を重んじる主君じゃ。十四で家督を継ぎ、身内に謀(はか)られ、いわば戦によって育てられた。
その戦で屈服させた同族の娘を正室とし、あの勝千代が産まれたのだ。
兄者の人生は、まさに内憂外患、合戦続きじゃ。
なれど、その武力で統一されたこの甲斐の国、思慮深き者に継がれてこそ、兄者の苦労も実を結ぶというもの。
案ずる事もなかろうが、この戦が終われば、わしから兄者をお諫(いさ)めしてみようぞ」
板垣 「勝沼様、なにとぞ、お願い申しまする」
勝沼 「うむ」
■万沢口・武田軍本陣■
ナレ 「万沢口、武田軍本陣」
信虎 「赤部が、消えた?」
教来石「は。三日前より陣中から姿が見えぬようになってございまする」
信虎 「どういう事じゃ」
甘利 「三日前の夜と言えば、今川の乱捕りがあった日にござりまするな。
もしや、今川の雑兵に、討ち取られたと申すのか?」
教来石「いえ、畏れながら……」
信虎 「(遮るように)さては、武田に反旗を翻したのか。今川の軍門に下ったのじゃ」
教来石「畏れながら申し上げまする」
信虎 「して。側近の其の方らは、残ったのか? 武田に残って、今川の間者となったか?」
武士B 「違いまする!!」
教来石「御館様!!」
信虎 「でぇい!!」
武士B 「ぐわぁぁああ!!」
ナレ 「信虎は、甘利虎泰、教来石景政らをはじめとする家臣の目の前で、赤部の側近の一人を斬った。
さらに返す刀で他の側近を斬り落とす」
信虎 「主人の罪は、家来の罪。郡内からの知らせはまだかぁ!!」
■甲斐・葛笠村■
ナレ 「場所は、ミツの家」
勘助 「籠坂かぁ……」
ナレ 「地図を広げ、なにやら考えに耽(ふけ)る勘助に、ミツがお椀を差し出した」
ミツ 「このままずっと、甲斐に居たらいいずら」
ナレ 「勘助はお椀を受け取り、飯に喰いつく」
ミツ 「……なぁ。勘助は、人の首を刎ねるところを見たことはあるだか?」
勘助 「……。」
ミツ 「見ただか!?」
勘助 「……。見た」
ミツ 「恐ろしかったろう。人のする事じゃねぇだに」
勘助 「恐ろしくはない。見れば、恐ろしくは無くなる。武士にとっては、虫を潰すが如きじゃ。それも人だと、よぉ分かる。
まぎれもなき、人の倣いじゃ。さすれば、人に仏の慈悲など求めぬようになる。用心深くもなる。
要するに、寿命が延びるという訳じゃ。何事も、己の眼で見ることが大事なのじゃ」
ミツ 「なんだかさっぱり分からにゃあ」
勘助 「お前が武士(もののふ)を好むのも、分からんな(飯を喰う)」
ミツ 「……おら、百姓が嫌じゃ。戦に行っても行かなくても、虫みてぇに死ぬずら。つまらねぇだよ。
おら、お侍(さむりゃあ)の嫁になりてぇんじゃ」
勘助 「……。(飯を喰う)」
ミツ 「勘助! おらも一緒に連れてってくれにゃあか? おらも連れてってくれよぉ」
勘助 「……。お前は、わしの眼を見て、何とも思わんのか」
ナレ 「勘助が眼帯を自ら外す。生々しい傷跡が残り、既に開かぬ左眼をミツに見せた」
勘助 「これが、恐ろしくないのか」
ミツ 「見えない眼が、恐ろしいのけ?」
勘助 「……。わしに近づく女子は一人もおらぬ」
ミツ 「なんでおらを助けてくれただ?」
勘助 「お前を助けたのは、この摩利支天だ。わしではない。……おかげで傷も癒えた!」
ミツ 「三河へ、帰(けぇ)るだか?」
勘助 「その前に、山中に合戦を見に行く。相模の北条、その戦ぶりを見てみたいでな」
ミツ 「……」
■甲斐・郡内 都留郡山中■
原 「物見はまだか。狼煙はまだ上がらぬのか。北条はまだか!」
ナレ 「北条軍の侵攻を迎え撃つため、山中の林の中で身を潜める武田勢。しかし狼煙は上がらず、原たちは焦れていた」
原 「面妖至極にござる。もう待てぬ。拙者、兵を引き連れて山へ向かい申す」
板垣 「待て。もはや知らせ無きが知らせじゃ。北条の軍勢はもう、すぐそこまで来ておる」
間
ナレ 「ミツの家を後にし、山道を進む勘助。しかし背後に気配を感じる。振り返るとミツが後を付けてきていた」
勘助 「(ため息)其方(そち)は連れてゆかぬ」
ミツ 「戦へ行くんじゃ」
勘助 「あ?」
ミツ 「戦を見に行きてぇだよ」
勘助 「馬鹿を申せ!」
ミツ 「おら、目の前で、お母やんを殺されたぁだ。姉(あね)やんは拐(かどわ)かされたんじゃ。
(半泣き)おら……戦が恐ろしいだよ。おみゃあ言うたでねぇだか、この目で見たら恐ろしいもん無くなるってよぉ。
言うたずら! おら、戦が怖えだよぉ。見てぇだよぉ!!(走り出す)」
勘助 「!! おい!!」
ミツ 「きゃあああ」
ナレ 「駆けだしたミツが、腰を抜かして倒れ込む。そこには、武田軍の物見の屍があった。
不意に、数本の矢が降ってきた。さらに騎馬隊が勘助たち目がけて駆けてくる。勘助はミツを庇いながら言った」
勘助 「モノを申すな。よいか!」
ナレ 「ミツは震えながら頷いた」
北村 「武田の間者か!」
ナレ 「声をかけたのは、北条家の家臣、北村右近であった」
勘助 「ち、違うでごいす。ただの百姓でごいす」
北村 「ここで何をしとるのか」
勘助 「へ、へぇ。山中に、帰(けぇ)るところでごいす」
北村 「その眼、どうした」
勘助 「え、疫病にかかって、つぶれたぁでごいす」
北村 「……。もうよい、下がれ!」
勘助 「へい!」
ナレ 「ミツを抱え、北村の横を通り過ぎる勘助」
北村 「待て!! ……女は、置いていけ。置いていけぇ!!」
ナレ 「恐怖で首を横に振るミツを抱きしめていた勘助は、その手をすっと離した。
ミツの肩に手をやると、そのまま北村の方へ押しのけた」
ミツ 「勘助!!」
勘助 「達者で、暮らせや」
ミツ 「達者でいられるわけ、ねぇずら!!」
ナレ 「勘助は、ミツに背を向け、振り返ることなく歩き出した」
ミツ 「勘助! 勘助ぇぇ!!」
ナレ 「勘助の後姿目がけて、北村は矢を構えた。それを察した勘助は、咄嗟に藪の中へ逃げ出した」
北村 「追え! 逃がすなぁぁ!!」
ミツ 「待っておくりょ! 勘助!! 待っておくりょおお!!」 ※待っておくりょ=待っておくれよ
間
ナレ 「奥の方から人や馬の足音が聞こえた。板垣と原は、臨戦態勢に入る」
板垣 「放て!!」
ナレ 「一斉に矢が射かけられる。面を喰らった北条軍が武田軍に向かう。しかし、『もがり落とし』の罠に悉く落ちていく。
優勢に立った武田軍は、板垣が、原が、北条軍を攻め立て、一気に蹴散らしていく。
その様子を、藪の陰から勘助は見つめていた」
勘助 「あれが板垣か」
伝助 「勘助? おみゃあ、ここで何しとるだ!」
勘助 「戦を見に来た」
伝助 「ミツは?」
勘助 「知らん」
伝助 「旦那にゃあ、おみゃあは死んだと言うただ。三河へ帰(けぇ)れ。二度と甲斐へは……」
勘助 「(被せ気味に)おい、おかしいぞ、伝助」
伝助 「何がおかしいだ」
勘助 「北条じゃ。物見を皆殺しにする用心深さを見せながら、ここではあまりに油断しておる。
……っ!! ……後ろじゃ。北条は、後ろから攻めて参る!!」
伝助 「なっ!」
勘助 「伝助、旦那に知らせるのじゃ。手柄になるぞ!」
伝助 「……?」
勘助 「早よぉ行け!!」
伝助 「お、おぉ!」
ナレ 「武田軍の猛攻に、北条軍は次々と敗走していく」
原 「板垣様、御館様の援軍を待つまでもありますまい。北条勢は敗走し始めておりまする。
一気に本陣まで攻め入りまするか?」
板垣 「いや待て。……解せぬ」
伝助 「旦那さまぁ!! 後ろでごいす!! 北条は後ろから来るでごいす!!」
原 「伝助!」
板垣 「美濃、ここはおぬしに任す」
ナレ 「そう言うなり、板垣は、山中湖畔、勝沼長友の陣へ向かって馬を走らせた」
板垣 「勝沼殿!! 敵は湖じゃ!! 湖でござるぞ!! 後ろじゃ!! 後ろでござる!!」
勝沼 「なにぃ!?」
ナレ 「勝沼が後ろの竹林の先に見える湖に目をやる。そこには何十隻とあろう船が浮かんでいた。
やがて、勝沼の陣へ向け、一斉に矢を射かける。開戦。武田軍は後手に回り、勝沼もその矢に倒れた」
板垣 「勝沼殿! 勝沼殿!! 誰か!!」
ナレ 「板垣の呼びかけも、迫りくる北条軍にかき消された」
板垣 「おのれ北条!」
ナレ 「湖を渡り切った北条の軍が、浮足立った武田軍に襲い掛かる。その様子をじっと見据える親子がいた。
相模の国主・北条氏綱と、嫡男・氏康である」
氏康 「父上。わずか2千の兵で、8千の我らに正面から立ち向かうとは。
甲斐の武田、打つ手を知らぬ愚か者と言うほかござりませぬな」
氏綱 「侮るでない氏康。甲斐は小国ながら強い。よくよく弓矢が強ければこそじゃ。
あれで謀(はかりごと)に強き側近でもおれば、いずれ天下に号令を掛けんとする軍勢にもなろうぞ」
勘助 「(小声)相模の北条、合戦上手と見受けたり!」
ナレ 「勘助は、戦場で力尽きた北条の兵士から、旗を盗みとった」
間
ナレ 「場所は、山中の林のとある開けた地。北条軍の北村右近が小さな陣を構えていた。
ミツは北村に捕らわれ、木に縛り付けられていた」
北村 「武田のやつら、二刻(ふたとき)も持つまい」
武士C 「北村様、早馬のようです」
北村 「ん?」
ナレ 「北村は立ち上がり、前方に目をやると、一頭の馬がこちらに向かってくる。
馬上には、北条の旗を揺らめかせ、うなだれるように武士が乗っかっている」
北村 「深手を負っているのか。馬を止めてやれ」
ナレ 「盾を構えていた兵士たちが、その手を下ろし、馬を止めようとしたその時。馬上の武士が起き上がった」
北村 「!! お、お前は!!」
ナレ 「乗っていたのは勘助だった。弓矢を引き絞り、北村目がけて放つ」
北村 「ぐぁ!!」
ナレ 「矢は北村の喉を射止めた。その場に倒れる北村。他の兵士にも勘助の矢が次々と刺さる。
馬から降り、最後の兵士を刀で斬った。そのまま、木に縛られたミツの縄をほどいた。
ミツは泣きながら勘助に抱きついた」
ミツ 「勘助! 勘助!! (号泣)うわあああああああああん!!」
■甲斐・葛笠村■
ナレ 「夜。ミツの家。勘助とミツは布団に寝転んでいる」
ミツ 「勘助、この摩利支天、おらにくれにゃぁだか?」
勘助 「これは高野山に参篭(さんろう)していた護り本尊じゃ。みだりに人に授ける事は出来ん。
地獄に落としても、拾いにいかねばならんものじゃ」
ミツ 「地獄なんちゅうもんが、本当にあるだか?」
勘助 「いずこにも在る」
ミツ 「おら、良い嫁になるだに」
ナレ 「そう言いながらミツは勘助に抱きついた。そして勘助もまた、ミツを優しく抱きしめた。その時だった」
赤部 「おらああああ!!」
ナレ 「扉を豪快に蹴破り、赤部が襲ってきた」
赤部 「この野郎!!」
勘助 「おぬしは! ミツ!!逃げろ!!」
ナレ 「丸腰の勘助目がけて赤部は刀を振り乱す。勘助はなんとか躱しながら外へ出ていく。
家の前で鉈(なた)を手に取り、そのまま藪へ駆け出す勘助を赤部は追う。
藪の中。追いついた赤部が目の前に立ちはだかり、物凄い形相で勘助を睨む。
観念したのか、勘助は持っていた鉈を藪へ放り投げた」
赤部 「でやああ!!」
ナレ 「赤部が勘助に向かい太刀を振りかざした。しかし」
赤部 「ぐっ!!」
勘助 「はぁ、はぁ、はぁっ!」
ナレ 「勘助は、鉈で予め割いていた竹で、赤部の喉を突いていた。血を吐き、その場に屈する赤部。
その様子を木陰からミツも見ていた。勘助は、赤部の刀を手に取ると」
勘助 「……その『み首級(しるし)』、頂戴つかまつる! でやああああ!!」 ※み首級=みしるし=首の事
ナレ 「一太刀一閃。勘助は、赤部の首を刎ねた。ミツは思わず目をつむった。
返り血を浴びた勘助が、ミツに振り返りこう言った」
勘助 「これが戦じゃ!!」
間
ナレ 「半刻(はんとき)が過ぎた。ミツの家の近くにある花畑。ミツはしゃがんで花を摘みながら、そっと語り出した」
ミツ 「……兄やんが、富士の梨木平(なしのきだいら)に戦に行った時、この花が山に咲いとるのを見たんじゃあ言うとった。
初めて戦に行った時ずら。初めて……人を殺した時ずら。
戦で何とも思わんかったけんど、夜になってこの花見たら、悪い事しただなぁって思えただよ。
……勘助。戦で人を殺した時は、こうして花を摘んだと思やぁいいずら。
恨みがあって殺したんじゃねぇだに。そう思えるだに。
……この花は、人の暗(くれ)ぇ心にも、また咲くずら」
ナレ 「そういうと、すっと立ち上がり、勘助の胸に顔をうずめるミツ」
ミツ 「勘助。おらには見えるだに。勘助の中に咲いてる花が。だから……だから勘助が怖くねぇだに!」
ナレ 「ミツはそう言うと、そっと涙を流した。勘助は、ミツの心内(こころうち)を察し、強く、そして優しく抱きしめた」
間
ナレ 「翌朝」
ミツ 「勘助? 勘助!!」
ナレ 「ミツが目覚めると、勘助の姿は無かった。あわてて勘助を探すミツ。
すると、家の前の小さな木に、勘助が首から下げていた摩利支天が掛けられていた。
それを見つけたミツは、涙を堪えながら、遠くに見える山に向かって呟くのだった」
ミツ 「勘助……。待っとるじゃ。……地獄で、待っとるだに」
ナレ 「かくして勘助は、赤部下野守の『み首級(しるし)』を土産に、故郷の三河・牛窪へ向かった。
風林火山。その旗は、まだこの世に存在もしていなかった頃の話である」
--つづく--