【月光の夢】
【月光の夢】
◇◇◇
まだ幼かった僕に、<運命>があるのだと教えてくれたあの時。
それは今でも、昨日の事のように思い出せる。
相手は、雪に閉ざされた祖父母の家で流れた、古い映画フィルムの向こう側に居た。
『お前さんにはわからんさ、俺の事なんてな』
一時間半の映画、そのうちたった数分だけ画面に映った<愛しい人>。
主人公である彼らの眩さに、寂し気に目を細めたその表情から、目が離せなくなった。
何度も何度も、周りが呆れる程に繰り返し同じシーンをねだった。
直ぐ隣で、パチパチと弾ける暖炉の火の熱も気にならない程の高鳴り。
熱い<愛>が、僕の中に宿った瞬間。
僕には分かる。貴方の孤独が。
◇◇◇
「月島さん、ちょっといいかい」
「は~い」
人懐っこい声色と笑顔を携えて、僕を呼ぶ上司の元へ駆け寄る。
「相変わらず犬みたいだなぁお前さんは」
「へへっ、嫌だな~僕は猫派ですよ」
就職が難航しやすい現代としては、比較的スムーズに今の会社に入ることができた。
仕事内容は特筆すべき点もないような平凡な会社。そこに僕、月島悠は馴染めている。
元々中性的な見た目や、無害なやり取りのお陰だろうか。友人こそ多くはないが、円滑な人間関係が望めている。
「ね、ねぇ悠さん」
「どうしたの?」
「あ、新しい詩、読んだよ!」
少し言葉に詰まりながら声を掛けて来たのは、同僚の女性だ。
確か…詩集を読んでいたのを見て、気まぐれに僕が詩を書いている事を教えたのだったか。
「読んでくれて嬉しいな。どうだった?」
「と、と、とっても良かった!綺麗で」
「えっ、えっと…なんだか寄り添ってもらっているような気持ちになって…」
「…そっか!気に入ってもらえたなら嬉しいよ!へへ、また更新したらよろしく」
ニコニコと笑顔で手を振ると、彼女は顔を赤らめながら部署へ戻っていった。
…もしかして、彼女は僕が好きなのだろうか?と一瞬考え、そして止めた。
あまりにも不毛だからだ。
僕の孤独は<今を生きている人間>と共有できる物ではない。
現実を生きるその心の片隅で、<彼>の表情が繰り返し再生される。
人の輪に入りながらも、何処か輪の外にいる冷えた孤独を抱えて、僕は今日も生きた。
◇◇◇
一人暮らしのワンルームへ帰宅すれば、早速映画を流し始める。
「ただいま」
決まった場面で出てくる、孤独を称えた横顔にいつも通り声を掛けた。
画面の向こう側へ語り掛け、決して交わる事のない僕の<愛>を向ける。
『誰かに分かってほしいと思ったことはない』
「今日はね、僕の詩の感想をもらって、正直困ってしまったよ」
『お前さんが俺を決めつけるのは勝手だ。だがな』
「本当に欲しい言葉をくれるのは、誰もいないのに感想なんてさ」
『お前さんにはわからんさ、俺の事なんてな』
「そう。僕の孤独は僕の物で、貴方のモノ」
「貴方ならきっと、僕の孤独(アイ)が分かる」
『一人にさせてくれ』
彼の台詞は幾らもない。登場するシーンもごく限られている。
それらを追う為だけに、何度も巻き戻し、再生しては早送り、そして巻き戻す。
言葉だけでなく<彼>の表情や所作、最早見なくとも再生出来てしまうほどに見たその行動のすべてを何度でも心に焼きつけさせる。
彼の目が世界を映す。<自分の居ない世界>を。
その冷たく悲しい孤独は、僕の目だ。
世界そのものだ。
<彼>と共に夕食を摂り、入浴を終えると、丁度窓から月明かりが差し込んだ。
最早映画のワンシーンであり、決まった映像にそれ以上の色が乗ることなどない。
…はずだった。
薄暗いワンルームに、差し込む月の光が彼の世界を、冷たく象った。
瞬間、もう何度目かも分からない衝撃が走る。
貴方は何度僕を魅了するのだろうか。
世界を何度作り、壊し、孤独を描くのか。
「嗚呼!なんて素敵なんだろう。今なら書ける気がする!」
少し伸びてきた前髪を貰い物のかわいらしいピンで止めて、引き出しからノートと鉛筆を取り出して机に向かう。
一心不乱にノートの上へ鉛筆を走らせる。
貴方<愛しい人>へ向けた、貴方へだけの僕の詩(アイ)。
昼が燃え尽きて 夜空の幕が降りた
人は孤独の海で眠りに就く
繰り返される死の予行訓練
光り輝く黒い羽に包まれて
僕は鴉の夢を見る
誰も知らない鴉の夢を見る
これは昇華される事も、届くこともない。何も望まない。
ただがむしゃらに詩を、愛を刻むだけの行為。
ふぅ、と一息付き見直せば、ノート数ページがすっかり詩で埋まってしまっていた。
一つ一つの文字をなぞり、うっとりと愛に浸る。
「今日も素敵な夜だ」
丁度真上を過ぎた月を見上げ、髪を止めていたピンを取ればサラサラと鴉色の髪が流れた。
少々伸びて来たかも知れない。
「どうしよう?少し切ろうかな」
孤独の理解者へ向けた笑顔は、月に照らされ、空虚な孤独を一層輝かせた。
◇◇◇
「あ、あ、悠さん!」
「わっ!なに?どうかしましたか~」
「えっ、えっと、新作の詩、読んだんですけど…」
あの月夜から数日の後。
僕はノートの詩から、インスパイアしたものをいくつか掲載した。
「な、な、なんだか…」
「うんうん!」
「わ、ワタシには、ちょっと…むず、かしくて…」
「あ、いいんだよ〜!僕は好きで書いてるだけだから、ね?」
困惑する同僚の女性に、どこか困ったような人の懐っこい笑顔を浮かべた。
彼女はしきりに、感想をうまく言えない事、共感が出来なかった事を謝って来た。
だが、いつも通り問題なくコミュニケーションを取っていく。
話題を自然にずらし、業務のあたりさわりのない事を二、三話した後、彼女と別れた。
その後、なるべく人のいない通路を選び、会社の屋上へ向かう。
屋上への扉は施錠されている為、外には出れないものの、人が殆ど来ない。
外につながる扉の前で僕はその身体を丸めてうずくまる。
太ももへ額を押しつけ、口を手で固く抑えつけ、全身を震わせて堪え続けた。
ふと、表で鴉が鳴いた。
その拍子に顔をあげると、<彼>がそこに立っていた。
彼の瞳は<彼>と<僕>を映さない、夜の海だった。
「…嗚呼!」
そうして、こらえ切れなかった歓喜が、口から漏れ落ちる。
ああ、矢張り。
僕の孤独は僕だけのモノで、<彼>だけが分かってくれる<愛>なのだ。
丸めた背中へ、屋上への小さな窓から覗く日光が照らす。
厚いすりガラスで割れた光は翳り、零れ、まるであの日の月光のようだった。
◇◇◇
END
◇◇◇