【今日晴天也!】
【今日晴天也!】
◇◇◇
目が痛くなる程の白い通路を、白衣をはためかせつつ歩き、まずは滅菌室へ向かう。
1分間の密室と消毒の嫌な匂いに耐え終え、消毒で乱れた金髪のボブカットを軽く整える。
中性的で男女どちらか分からないが整ったその顔は、まだどこか眠たげな表情のままに、胸元の<研究助手>の名札を揺らしつつ足を進めた。
足を踏み入れた先の部屋には『触手研究室』の看板がデカデカと掲げられている。
「はよーs…」
「助手くん遅いよ!あと50秒で寝ちゃう所だった!」
入室した途端、挨拶を遮り声を掛けられる。
30〜40代だろう、くたびれた白衣にぼさぼさの黒髪を適当に一つに纏めた男から、<助手くん>と呼ばれた人物は、
露骨に嫌そうな顔をしつつ即座に切り返した。
「アンタはそのまんま永眠でもなんでもしたらいいだろ」
「冷たいなぁ」
「というか今回は何日寝てないんだ」
「今回はまだ2日かな?」
「寝ろ、ボケ」
助手は自身が<アンタ>と呼んだ科学者の近くへ、無造作に置かれた椅子に腰かけた。
そのままくるりと椅子を回し、背後に設置した冷凍庫のドアを開ける。
「ちょっと!新作の苺フレーバー買っとくって言ってたよな?!」
「あれぇ~?バナナじゃなかったっけ?」
「い・ち・ご!!!」
大きな声で科学者を怒鳴りつける助手の声を聞いた周囲の研究員達は、
「今日の始業時間か」「いつもが始まった」と一つ伸びをして、各々の纏めていた書類を手に実験へと移行していく。
前回の触手実験での約束は“苺”フレーバーだった件を喧々諤々文句を言われつつ、科学者は飄々と告げた。
「いやまぁ実を言えば、さっきまでいい感じの触手ができそうで…」
「ずっとここに居た、と?」
「おふこ~す」
「じゃあ誰かにでも頼んで買わせとけ!!」
「ちょっと大がかりになったから、その場にいた子達に助力頼んでたんだよ~」
「で?今そいつらは?」
無言で科学者が指さした先には<実験室>と書かれた札…もとい、実験にバツ印が記され、<えっち触手お試し室>と書かれた場所がある。
その閉じ切った扉の向こうから、悲鳴とも泣き声とも形容しがたい人間らしき声が響き渡っていた。
「残りは先に限界が来て寝ちゃったよね~」
「あっそ。ほんと、俺の他にも頑丈な人間つくりゃいいのに」
「えぇ~…それは解釈違いだからな~…」
助手は特大の舌打ちをしながらも、バナナフレーバーのアイスを開けた。
「あれ、結局食べるの?」
「…バナナに罪はない。というかこれも食べたいやつだし。」
「じゃあアイス食べたらじょs「苺」」
「キミって融通効かないよね。」
「どの口が…」と毒づきつつ、バナナフレーバーを口に運ぶ。
さわやかな甘さと、散りばめられたバナナチップの濃厚さが絶妙にマッチしている。美味い。
一瞬とろける様な笑顔を浮かべた後、黙々と食べ進める助手を尻目に、科学者は書類を漁り始めた。
「いや~今回はうまくエッチに作れたと思ったんだけどなぁ~失敗か」
「…(アイス、うまっ)」
「次にデータを取るならAの部分とBの部分の配合を入れ替えてからかなぁ」
「…(ちょうぜつ、うっまぁ)」
「準備として必要なもののリストはここにあるし、一時間もあれば…」
「…(バナナアイス、うまー)」
アイスを頬張り続ける助手を、見た科学者は「話聞いてないね〜」と肩を竦めた。
そして、そんな助手を尻目にまた机に向かい始め、ガリガリと読みにくいメモを何枚か書き上げ、他の研究員に対し渡す。
そうしてふらりと研究室を後にした。
◇◇◇
「…はぁ、美味かった。って、アイツどこ行った?」
アイスを最後まで堪能した助手が顔をあげ、傍にある科学者の椅子が空白になっている事にやっと気が付いた。
キョロキョロと研究室を見渡すと、そっと赤紫色の触手が伸び、先端を助手へと向けて話しかけてくる。
「助手さん、助手さん。多分仮眠室の方だと思いますよ」
「なんだよ…一声かけろよな」
触手実験の副産物で生まれた彼(?)は、知能を有し会話が可能な触手だ。
副産物は器用に本のページをめくりながら、「アイスに夢中だったから…」とつぶやくが、特に大きく文句を言う気もないようだ。
「そういえば助手さん!聞いてください!」
「あ?」
「この新しく取り寄せてもらった触手本…人間×触手って謳ってる癖に、開始3ページで触手×人間になってるんです!?」
宿した知能により、人間にえっちな事を…と考えられていた副産物は、触手が人間を襲うようなシュチュエーションは地雷だった。
そんな副産物の訴えに心底どうでもいい顔をしながら助手は答える。
「どうでもいい」
「どうでも良くないです!謳い文句が3ページで!詐欺です!」
おそらく本体が収納されているだろう、触手の根元の銀筒を触手でペチペチと叩きながら、抗議する副産物。
「読むの止めればいいだろ」
「残りのページに希望がまだあるかも知れないと思うと…」
「じゃあ黙って読んでろ」
「後2ページしかないんです」
「うるさい。もう本を捨てとけ。クソ触手」
「うぅ…」
銀筒から飛び出た数本の触手をすべて悲し気に垂れさせた副産物は、本を静かに閉じた。
しおしお・・・と萎れている副産物を横目に、研究員が助手の元へ駆け寄ってくる。
「あの、萌黄さん」
「うん?何?」
「所長から指示メモもらって、その通り設定出来たんですが…仮眠室に行っちゃったみたいなんで、すみませんが呼んで来てもらえませんか?」
「はぁ〜…仕方ねぇな。いってくる。」
研究員からの声掛けに応じ、気だるげに席を立った助手は一度研究室を後にした。
◇◇◇
「仮眠室にいねぇじゃねぇか!」
仮眠室へ向かった助手は、科学者が来ていないと言われてしまった。
少しイラだった足取りで研究室へ向かう道中の通路を、もう一度進んでいく。
その道中、窓の向こうの空間の中で、白い何かが視界に入り一度足を止めた。
そして、大きく溜息をついてから、近くにある大きな扉を開いて芝生を踏みしめる。
丁度研究室と仮眠室の間に設置された、休憩スペースになっている中庭だ。
白を基調とした施設内で唯一の緑が生い茂る場所で、休憩や仮眠をとる人間も多い。
周囲の生垣や花壇は、ささやかな風によって穏やかに揺れ、吹き抜けになっている上空には青々とした空が広がる。
太陽の光を、中央に据えられた一本の木の枝葉が一心に受け、砕けた木漏れ日がその下に設置された木製のテーブルと数脚の椅子を照らした。
「…何やってんだ、コイツ。」
その木漏れ日の下、椅子の手前の芝生に白い塊…もとい、科学者がうつ伏せに倒れている。
倒れている向きを考えれば、仮眠室へショートカットを試みたが、暖かな日差しに負けて倒れこみ寝落ちたのだろう。
「起きろ変態野郎」
「グハッ!?」
うつ伏せのまま、ほぼ身じろぎもせずに眠り続ける科学者の横腹部を、助手は容赦なく蹴り上げた。
「キ、キミさぁ…もう少し優しく…」
「はぁ?こんなところで転がってるのが悪いんだろボケ。」
いてて、と横腹を押さえながらヨロヨロと起き上がる科学者の姿を、眉間にしわの寄った不機嫌そうな表情で仁王立ちしたまま助手は吐き捨てる。
「仮眠室にたどり着く前に倒れるまで、寝ずに作業すんなよダリィ」
「いやぁ~…今日、あったかくて気持ちよかったから、つい」
「つい、で倒れこむな!」
声を荒げ、ハァと大げさに溜息をついた助手は、傍に設置された椅子に腰かける。
「研究員が呼んでたぞ。アンタが頼んでたんだろ?」
「おお、もう調節が終わったんだ。それは上々」
その一言で痛みから回復したのか、上機嫌気味に答える科学者。
そのまま木の根に隠れるようにして設置されている冷蔵庫から、水のペットボトルを二本取り出すと助手の向かい側に座った。
「行かねぇのかよ」
「今回の調節後の実験、絶対に助手クンにお願いしたいんだよねぇ~」
「嫌」
間髪入れず返答する助手に、水を軽く投げて渡しながら科学者が続けた。
「え!そんなバッサリ〜…そういわずに!ね?」
「前回の礼がなってねぇ奴に言われても」
「それはごめんって…ちゃんと研究員クンにさ、買いに行っておいてってメモを渡したから、その研究員クンが帰って来たら苺味、あるよ?」
「それは前回分だからな?」
受け取った水を軽く口に軽く含み、吐き捨てる様に助手が告げる。
科学者もそれに続き一口喉を潤してから、なおも食い下がる。
「お願いだよ~今回は絶対えっちな触手になってるんだって!」
「…俺がえっちになること求めてる様な言い方、どうにかしてほしいんだが?」
助手の背筋にゾワゾワと嫌なものが這い上がったのか、両腕を高速でさする。
そんな助手の様子には気にも留めず、科学者は専門的な言葉をスラスラと続けていく。
「さっきの実験を踏まえて、遺伝子配合パターンをAからBへ変えてもらったんだ!それによって分泌される配合液の割合が…前回は良くない方向に向かっちゃったから、まぁあれはデータとして売っちゃうとして…」
彼…科学者は、<非力な人間がえっちな触手にえっちな目に合うのが見たい>という、ただその一点に全力で技術を注ぐマッドサイエンティストである。
彼の思想は兎も角、生物科学の技術は一級品なのだろう。
その証拠に、こんな下卑た理由でもこの研究所が継続しているのは、彼にとっての失敗作を莫大な資金と引き換えに買われていくからだ。
その技術は軍事的運用に転移できる…つまり、優れた<兵器>へと姿を変えている。
「(また始まったよ…一個もわからん。こんな技術買うとか、世も末か)」
一方の助手といえば、<科学者の助手>という立場ではあるものの、とあるきっかけで巻き込まれ、肉体を強化されてしまった一般人。
そんな助手にとって、えっちな事をする触手を求めては居ない点は勿論の事、そういった触手がどういった科学力、プロセスで生み出されているのかについて理解がない。
「細かい話はわからねぇから端的に言え」
「えっちにドロドロに身体も思考も溶かしちゃう♡みたいなのって良いよね!」
「それで肉も骨も溶かすんだろ。オチは見えてんだよ」
…実験台として毎回ひどい目にあっている助手が、それを理解する気はない。
というのが有り体に言えば正しい認識だろう。
「前回も前々回も…ずっと失敗してんだろ。懲りねぇな」
「男のロマン、夢は追うものでしょ!」
「せめて目のハイライト付けてから言ってくれ」
「もぉ~我儘だなぁ」
「どっちがだ!!!!」
やれやれと肩を竦める科学者に、ドンと机を叩いて抗議する助手。
穏やかな中庭に二人の声と机を叩く音がこだまし、通りかかった研究員達が一瞬足を止めた。
しかし、休憩スペースの二人の姿を確認すると「なんだいつもの事か」と直ぐに行動を開始した。
「兎も角、今回は絶対に嫌だ」
「ずいぶんと深くヘソ曲げちゃったなぁ」
「あぁ?」
「そうだなぁ〜…じゃあ、ほら!君が今一番気になってるお店のケーキ」
ピクッと助手の肩が跳ね上がる。
脳裏にキラキラと美味しそうに飾り付けされたケーキがよぎる。先日、お気に入りの店で数量限定でジェラートケーキが発売されたばかりなのだ。
「それでどう?」
「…」
「ねぇ〜いいでしょ!ほらほら、これ!」
白衣に突っ込んでいたスマートフォンを軽く操作し、助手の脳裏に浮かんだケーキと全く同種の物を見せつけてくる。
そのケーキは、バニラ、チョコ、バナナと季節のジェラートで芸術的な層が、周囲には季節のフルーツがふんだんに使われている。
何度見ても美味しそうだ。その分値段は張るが、絶対に食べたい奴だった。
「よし!これで今回も決まり!」
「おい何勝手に決めてんだよ」
「えぇ?だって、これでやる気が出た!頑張るぞ!って顔したよ?」
「…してねぇ」
「そうと決まったら研究室にゴーだ!」
「人の話を聞け!!!!」
ガタン、と勢いよく椅子から立ち上がり、芝生を歩き始めようとする科学者。
合わせて席を立ちながらその肩を助手に強く掴まれながら科学者が続ける。
「…あれ?じゃあ要らない?」
「…要らない、とは言ってない」
「だよね~」
「チッッ」
盛大な舌打ちと共に、助手は芝生の上を歩き始める。
それと共に、行く手を阻む手が無くなった科学者も、楽し気に歩みを進めた。
「はぁ、楽しみだな…助手クンが溶かされていくの!」
「…絶対に上級リョナラー御用達になる」
「そんな事にはならないって!さぁ!頑張ろう!」
「(何で毎回こんなに自信がもてるんだ…)」
話の内容に見合ってない優しい風につられて、上を見る。まぶしい程の青空だ。
しばらくはまた、こんな綺麗な青を見る時間も無くなるだろう。
「どうしたの助手クン」
「別に」
声を掛けられ、助手は科学者を一瞥する。あまりにも青空が似合わなすぎる、死んだ目の男だ。
しかし助手も、どれだけ痛くひどい目にあっても、自身の好きなものでつり合いを取ってしまう。
科学者とは別の意味で常軌を逸した精神力にも、やはり青空は似合いそうになかった。
「(頭の中はイイ天気してんだろうな。全くヤになるぜ)」
「あ、今私の事バカにしたでしょ?」
「うるせぇゴミ。行くぞ変態」
「あまりにも罵詈雑言」
中庭の休憩スペースを出て、白一色の研究所の通路へと戻ってゆく。
「さ、ケーキ目指して頑張ってね」
「…ジェラートケーキだ。あと、実験前に絶対苺食うからな」
短い休憩を終え、二人は日常である研究室へと戻っていった。
◇◇◇
END
◇◇◇