【棘の城】
【棘の城】
◇◇◇
長い人の一生において、数多くの言葉が発され流れていくのだろう。
未だ長くない生を歩く僕の中にも、それは等しく流れていく。
時折、言葉は流れず杭のように心へと打ち込まれ、留まる事がある。
打ち込まれた杭はまるで棘のように、心を苛め続けるのだ。
「ヨミ?ふぅん…男か女か、分かりにくい名前だねぇ」
きっと、その人にとって何気ない一言だった。
そして、ボクにとってそれは。
鋭利な棘であり、始まりだった。
◇◇◇
「坊や、そろそろ帰るわよ」
「あ、お母さん!はぁ~い!」
夕暮れの公園によくある親子の会話が響く。
にぎやかに遊んでいた子供達は「じゃあね」「また明日」「ばいばい」と口々に帰路へ付いていった。
そんな光景をぼんやりとベンチに座り、ヨミは遠くで眺めていた。
「…ねぇ」
「…?ど、どうしたの?」
不意にヨミへ子供の1人が声を掛ける。
「帰らないの?」
「…そう、だね」
「ふぅん…」
投げかけられた問いかけは、ヨミの心を一層暗くした。
今のヨミは帰りたくて仕方がなかったからだ。
しかしヨミが本当に帰りたい場所…大切な誰かの居る場所はとうの昔に失われている。
両親は事故で死に、大切に思い続けた親友も病気に倒れ、もういない。
子供は興味なさげにヨミの隣に座った。
正直ヨミはどうしたらいいか分からず、混乱する。
子供の変化は目まぐるしく、ヨミにとって理解しがたい存在だ。
「俺も帰らない!」
「…どうして?」
「うーん…友達と、喧嘩しちゃってさぁ…なんかまだ帰りたくない」
「…そうなんだ。友達と」
「でもアイツも悪いんだ!」
幼い口調で些細なすれ違いを大げさに話す子供の話を聞きながら、目線を落とす。
今日の出来事を脳裏で繰り返した。
あれから少しの時間が経つが、まだ指先が震えている。
◇◇◇
根無し草でふらふらと生きるヨミと、細く長く繋がっていたインターネット上の知人に『会おう』と誘われたのだ。
彼はヨミにとって、貴重な話し相手の1人で、大きな変化を与えることも、恋や愛の話を解くこともしなかった。
豊富な趣味から数多くの知識から披露される彼の話題は尽きることもなく、話す事が苦手なヨミにとって、彼の話を聞く時間は<楽しい>と思える時間だったからだ。
「キミが好きなんだ。ヨミ」
「…それは…」
それなのに、ヨミと出会った彼は、真っすぐとした目線でそう切り出したのだ。
ヨミの頭は混乱し、上手く返事ができず、息が詰まった。
「…勿論知っているよ。キミが変化を恐れる事も、こういった話が苦手な事も」
「そ、それなのに、どうして…」
「でもワタシなら、キミを理解してあげられるよ?」
「ッ!?」
そういって彼はヨミの手を掴む。
手のひらは熱く、じっとりと皮膚に伝わる感触にゾワリと肌が粟立った。
男の性が、
欲が、
鋭利な棘が、
ヨミの心を土足で荒らして行く。
「ねぇ、ヨミ。受け入れて」
「…無理、です」
「ワタシを否定しないで」
「…嫌だッ!」
ドンッ、と彼の手を払い胸を押して駆け出した。
彼を見ると追いすがることはなく、ヨミの背中に向けてただ不敵に笑った。
「ねぇまた、会ってくれるよね。キミは結局、1人で居る事ができないんだから!」
耳を塞ぎ、只管、
声から、
彼から、
逃げ出した。
◇◇◇
「…おい、聞いてんの!?」
「あ、うん…」
無遠慮な子供の声はヨミの意識を引き戻す。
夕焼けはそろそろ夜を連れてくるのか、冷たい風が2人を撫でれば子供は身体を1つ震わせた。
「うわ、さっむ……アッ!」
子供の声に釣られて前を向くと、公園の入口に母親らしき女性と共に小さな子供が控え目に立っていた。
話に出ていた友達はあの子なのだろう。
「…迎えが、来たみたいだよ」
「しょうがねぇなぁ…じゃあな!」
勢いをつけ立ち上がる子供の背中を見送る。
母に叱られ、小さな子に泣かれ、言い訳を並べながらも、どこかホッとしたように愛に包まれていく子供をぼんやりと見つめた。
「…良かったね」
手をつなぎ、街中へ消えていく背を見届けながら、言葉が零れた。
その眺めは、ヨミの心に焼き付いて。
棘をまた1つ残した。
◇◇◇
空を見上げれば星が瞬き、静かで冷たい闇が周囲を支配していた。
あれからどれほど時間が経っただろう。
すっかり無人になった公園で、側に立つ街灯が惨めに鳴いた。
「…そろそろ…」
ー帰らなければ、と身体は訴える。
「…何処へ…」
ー帰りたい場所は、もう何処にもない。
「…何処に…」
ー自分は一体、何処へ帰るというのだろう。
「…あれ…?」
気が付けば、頬に涙が伝っていた。
ぐっと鼻の奥がツンと痛み、身体が震える。
自身の膝を引き寄せ、誰もいない公園のベンチの上で独り、丸くなる。
締め上げられた喉から嗚咽すら漏れず、薄く開いたままの唇から音のない悲鳴だけが零れた。
頭を埋めた太ももに、震える生ぬるい吐息と、湿った空気が満ちていく。
ー嗚呼、暖かい
先ほどまで響いていたにぎやかな子供の声も、
遠くから聞こえていた街の喧噪も、
風に揺れていた木々のざわめきも、
届かない。
ヨミへ届き、
響き、
暖めるのは、
ヨミ自身だけだった。
ーどうして、こうなってしまったんだろう。
僕は、ただ、生きているだけなのに。
全てを拒絶したいわけでないのに。
それなのに。
決め付けられる。
変わってしまう。
世界は僕を待ってくれない。
棘が心を全て覆いつくす。
閉じ込められて。
帰り道も忘れて。
…僕は、独りだ。
それなのに、世界は、僕を繋ぎとめている。
広い広い世界で、今、ただ独り。
誰にも知られない不器用な涙は、声もなく静かに滑り落ち続けた。
◇◇◇
END
◇◇◇