愛されているのだろう、とは思う。もしかすると、そう信じたいだけなのかもしれない。
「ありがとうございました、今日も」
「いや、むしろ時間を作ってくれてありがとう」
玄関先まで見送りに出てきてくれた三木田は、ひかりに対しそう微笑んだ。ひかりもつられて、目元を緩める。
「なんだか色々とバタバタで……ごめんなさい。せっかく呼んでくれたのに」
「とんでもない。むしろこっちが急に空いたからって呼び出したんだし……あ、よかったらこれ」
三木田は手に持っていた、小さな紙袋を差し出してきた。しっかりと封はされていたが、見るからにどこかの土産の品だと分かる。
「さっき言っただろ、仕事で横浜に行ったって。その時に買ったお菓子なんだが……お土産、というにはちょっと大袈裟かな」
「ありがとうございます、いただきますね」
ふと、三木田の顔を見た。初めて出会った時よりも幾分甘く、そして熱い……溶かされそうな目で、こちらを見ている。三十を超えたとは思えないほどの若々しい目だ。
「次、いつ会えそう?」
三木田の言葉に「ちょっとスケジュールがまだ」と、濁しながら返す。三木田は「忙しいみたいだしね」と笑った。
「またゆっくり、お茶しよう。いい茶葉やお菓子、用意しておく」
実際今日も、美味しいお茶を淹れてもらった。まるでひかりの趣味、嗜好に合わせるかのように……彼は、いつだってなんでもしてくれる。
ただ、一つのこと以外は。
「そうですね」
ひかりの言葉に、三木田は満足そうに微笑んだ。
「ごめん、長い時間引き止めて。送れればよかったんだけど」
「いえ、出雲さんももうすぐお仕事の支度しないとでしょう。私のことは気にしないでください、それではまた」
「……うん、また連絡する」
まだ昼の陽が本格的にのぼろうとする前に、ひかりは三木田の家をあとにしたのだった。
三木田との交際は、二年ほど前から始まった。
『……依頼、きた』
独学で学び、宝石鑑定士の民間資格を得たのがひかりが二十歳の時だった。それから十年近くと長い時間かけてフリー鑑定士として実績を積み、ここ最近では個人資産家にリピーターで呼ばれるなどといった機会も増えてきた。
どうしても組織行動が苦手で会社などに属せずフリーで宝石鑑定を行っているひかりからすれば、どんな依頼でもまずは必ず話を聞くようにしている。受け口がメールと宝石コラムを兼ねているSNSのみしかないため、時々怪しい話もあるのだが……彼は正真正銘、大企業三木田グループの社長として依頼をしてきた。
『宝石輸入の部門を開設したので、お力になってくれる人材を探していまして』
あらゆる情報網を駆使して裏を取り、結果として信用した。そもそも大企業なだけあって社長である三木田についての連絡先や顔写真などはすぐに見つかった。写真を見た時の第一印象は「真面目そうだな」とありふれたものだった。
三木田グループの社長自らが営業をかけるのか、と不思議に思ったものの実際に会った彼いわく「外部の人間を招致するわけですから」とのことだった。あまりにまっとうである。こういったまめな人間だからこそ、父から継いだという会社を揺らがせずにいるのだろう。彼はグループの三代目とのことだが、父の代よりも業績を伸ばしているとのことだった。
メールでのやり取りから二週間後、ひかりは三木田グループの本社へと呼ばれた。そこで受付へと向かう前に、……三木田が、出迎えた。彼は一瞬だけ言葉を飲み込むと、愛想よく微笑んだ。
『はじめまして。三木田グループCEOの三木田出雲と申します』
写真よりもずいぶん柔和な印象で、正直驚いた。ひかりもまた、精一杯の愛想笑いを以てして『こちらこそよろしくお願いいたします』と頭を下げた。その時見えた彼の拳が、固く握られていたのは今でも印象に残っている。
結果として彼の部下が仕入れてきたという宝石はほぼほぼイミテーションで、結果を聞いた彼はどうやら情緒が一周回ったらしく声をあげて笑っていた。彼の出来損ないの部下はどうやらすでに加工業者まで押さえていたらしく、その企画すらも一からひっくり返したわけなので……決して、笑い事ではないはずなのだが。それでも三木田からすれば、ひかりはいずれ起こり得た会社の信用失墜を食い止めた恩人となったらしい。
以来、ひかりはたびたび三木田から依頼を受け三木田グループに出入りするようになった。何なら三木田の部下とともに、買い付けにまで呼ばれるようになっていた。何度も『いっそ入社されては』と打診されたが、会社所属になった時の不利益を考えると頷くことはできなかった。
そんなある日のこと。ひかりは、社内の女子トイレの個室に閉じ込められた。
『……え?』
何度押しても、個室の扉が開く気配がない。自分がボケているのか、と思い扉を引いてみても、もちろん開かなかった。
『だ……誰か、誰かっ!』
何度も扉を叩いたが、びくともしなかった。ちょうどそれから十分後には、三木田との打ち合わせが予定されていた。その事実に、さすがに焦りが募っていった。
しかも、よりにもよってスマートフォンを待合室に置いてきてしまっている。そもそも持ってきていたところで、彼に助けを求めるのも……と思った、矢先だった。
『雪城さん、いらっしゃいますか⁉︎』
三木田の声だった。はっとして、『います!』と声を投げる。すると、足音が近づいてきた。同時に、何かを動かす音がした。
『もう、大丈夫です』
三木田の声が聞こえてきて、恐る恐る扉を開けた。すると彼は、安心したように息をついた。
『よかった……いつも十分前にはいらっしゃるから、何かあったのかと思いまして』
ふと、三木田のすぐ隣を見た。そこには、大きなダンボールが置かれていた。中には、ひかりにはよく分からない機械のようなものが詰められていて……明らかに、とても重いと分かる。
『それは……』
『わかりません。ここの前に置いてありました』
見るからに嫌がらせでしかないが、理由が分からない。そんなひかりに、三木田は『申し訳ない』と声を絞り出した。
『……実は、その……君を良く思わない社員がいる、というのは知っていたのですが』
『どういうことですか?』
三木田いわく、ひかりがあまりに三木田グループに出入りしている上三木田と行動をともにしていることから邪推している社員が何人もいるらしい。それも……全員、女性だそうだ。それを聞き、ようやく納得した。
『三木田社長、人気なんですね』
本当に何も他意なく、そう言った。しかし彼からすれば、どこか気まずかったらしい。
『社長をしている身としては、ありがたい話ではあるのですが。しかし、まさかこうやって君に直接被害がいくだなんて』
『こちらこそ、お手数をおかけして申し訳ないです。とりあえず出ましょうか、三木田社長ずっと女子トイレにいることになっちゃってるし』
その言葉にハッとしたのか、三木田は『確かに』と言ってそそくさと外に出た。ひかりも、それに続く。
その後は怖い思いをさせたお詫びに、と食事に連れていかれ。それ以来何度も『相談が』『新しいお店に行きたい』と何度も食事に誘われるようになった。あまりに頻度が多いので、五度目の食事で理由を聞くと。
『ちょうど、今日お伝えしようと思っていて。あの、俺たち』
そこから、交際を申し込まれた。まさかとは思ったが、彼の実直さはよく知っていたし原因が彼にあるとはいえ助けられた身だ。断る理由はなかった。
そうだ、彼は実直だ。嘘をつくのが……下手すぎる。
三木田の家を出て、タクシーに揺られ数十分。雑居ビルが立ち並ぶ街角で、ひかりは降車した。
似たようなビルが多いせいで、一年経った今でも未だに少し迷いそうになる。しかし地上に出ている「四階 アダマス」という看板を目印にさえすればあとは大丈夫だ。
裏手に周り、螺旋階段をのぼっていく。四階分あがるのは、最初こそきつかったが今となってはもう慣れた。古びた扉とは裏腹に最新式を採用したナンバーキーに八桁の数字を入力して、開錠する。
「ゆかりちゃん、おはようございます」
「おはようございます、満倉さん」
中へ入ると、シャツとスラックスというラフな姿の男性がにこやかに声をかけてくる。彼は自分より後に入ってきたもののしっかりしていて、ひかりにとっても信用のおける黒服である。
「今日の指名のこと聞いてます?」
満倉は電子煙草を吸うこともやめずに、タブレットをいじりだした。頷くと、「そんじゃ準備よろしくです」と、こちらを見ずに言い投げてきた。いつものことなので、とりあえず荷物をロッカーに預けて更衣室へと向かっう。
……宝石鑑定の仕事の傍ら、この仕事を始めてちょうど一年だ。さすがにもう、色々と慣れてきてしまった。慣れてきてしまう自分にも、当初は苛立っていたものだったが……それも、最初だけだ。
今日会った途端三木田が「可愛い」と褒めてくれた新品のワンピースを脱ぎ、この店で着るために買った別のワンピースに着替える。これだけは、三木田には見せられない。
着替えを終えると、備え付けの棚に置かれたバッグのうちの一つを適当に取る。中身を確認していると、満倉が「ゆかりちゃん」と声をかけてきた。
「すんません、もう来てます。出れます?」
「あ、はい」
時計を見ると、予定より五分ほど早い。一応許容範囲ではあるので、中身の確認を終えるとひかりは慌てて店の入り口まで向かった。満倉がやってきたひかりに「じゃ、いってらっしゃーい」と軽く声をかけると……入り口を、開けた。その向こうに、いたのは。
「やっほ、久々」
「……ツカサくん」
天満ツカサは「二ヶ月ぶりくらい?」とへらへら笑いながらエレベーターのボタンを押した。本来これはひかりの役割なのだが、彼はよくこれをする。満倉もべつに何も言わず、入り口を閉めた。
エレベーターに乗り込むと、どんどん下へと下がっていく。ツカサは防犯用に取り付けられた鏡で、自身の綺麗に染め上げられた髪を整えていた。
「最近売り上げどーよ、まあ予約状況的に上々そうだけど」
「そうそう、最近またランク入ったの。久しぶりに」
「お、やるじゃん」
こういった軽い会話をしていると、あっという間にエレベーターが地上に到着した。すると、さりげなく手を出される。何の抵抗もなく、それを握り返した。最初のうちはそれすらできず、確か彼に笑われていた。
「僕んとこ先月やばくってさぁ、久々に落とすと思った」
「え、言ってくれたら行ったのに」
「いやマジで呼ぼうかと思ったんだけど、最後一撃で……」
まだ夕方にもなっていない、明るい時間。ツカサと会うのは、いつもこの時間だった。単に、彼は夜から仕事があるからなだけなのだが。
店から徒歩三分もかからないような、安いラブホテル。その中に、二人で入るのももう何度目だろう。
「アダマスです」
受付の窓口にそう告げると、無言で鍵を手渡された。受け取ると、すでにツカサはエレベーターを呼んでいた。慌てて駆け寄ると、ちょうど到着したところだったらしい。
「ほら、おいで」
……もはやどちらが接待するか分からないような、甘い声だった。
続きはこちら、DLsiteもしくは紙の本購入(中の人について。のページでお好きな通販サイトを選べます)へどうぞ。