大泉寺は、室町時代(1401年)に創建され、犬山に600年以上続く禅宗のお寺です。
大泉寺の開創
当山に、天明四年に書かれた一巻の由緒書きがある。そこには、
「室町初期 応永八年(1401年)、無極大和尚が、時の将軍足利義満公の昄依により寺領二十町歩譲り受け、七堂伽藍を建立し、禅道場を開き、禅風高揚の拠点とした。後小松天皇の勅願所とある。後に、中興開山先照瑞初禅師より臨済宗妙心寺派に所属…」
とあり、その足跡をたどることができる。
開山 無極慧徹禅師
観応1/正平5(1350)年~【没】永享2(1430)年12月18日
南北朝時代・室町時代、曹洞宗の僧。肥前の国(長崎県)に生まれ。
先祖は武蔵 児玉党越生氏の出自と伝えられ、父は、かつて、足利義詮に仕え、国変にあって、肥前に移ったのだという。
禅師は、14歳の時 日向の国(宮崎県)の東林寺へつれていき、無著妙融和尚に入門させ、和尚の下で剃髪して修業を積み、「慧徹」という諱を授けられた。
その後寺を出て、著名な僧を訪ね歩くうち、相模の国の最乗寺に至った。そこで、了庵慧明禅師(相模最乗寺開山、總持寺16世)に師事する。その最乗寺で寝食を忘れるほどの修業に励み、「無極」という道号を与えられ、了庵が、慧徹をその法を継ぐ弟子と認めるに至った。
その後、関東の多くの曹洞宗古刹の開山となった。
中興開山 先照瑞初禅師
???~ 【没】天文17(1548)年6月7日
東濃生まれ。先照瑞初は初め、御嵩町の愚渓寺で修業をした。
ついで近隣の名のある寺を巡って、大仙寺3世の功甫玄勲の下に参じた。
しばらくして再び臨済・曹洞の宗派を問わず名僧を訪ね歩いて修業に励み、大仙寺に帰った時にはすでに法嗣とするに足る人にまで成長していた。
大永4(1524)年正月、功甫玄勲より、印可状を付与される。(大仙寺藏)
同年4月、大仙寺4世となる。
天文3(1534)年9月には、瑞泉寺へ、輪住。同4年7月16日に退寺した。又、近くの寺を兼務する傍ら、岐阜県坂祝町の長蔵寺を開創した。
天文11(1542)年には大泉寺に入寺、再興し、天文17(1548)年6月7日示寂した。
塔名:澄光塔