「体の痛みと
ゆっくりそっと握手する」
ゆっくりそっと握手する」
~※底本=「フォーカシング健康法」
P80 身体症状へのフォーカシング~
当ラボ主宰者は、19歳のときに重量物を持ち上げときに起きた椎間板性の腰痛に、その後、ストレス性の腰痛が加わり、以降、複合的な腰痛との付き合いが始まりました。
その頃、リエゾン療法という整形と精神の連携療法の存在を知りましたが、近隣でそれをおこなっている医療機関はなく、自分で両科の併行受診を始めました。
『「カウンセリングや精神科受診はしたけど…」という方へ』でも書きましたが、内科外科的な生体的不具合は最優先して担保すべき中、そのQOLの改善や疼痛の軽減に日頃できることをずっと模索して行き着いたのが上記底本的なアプローチの発見でした。
痛みは、なんらかの不具合があることを伝える体からの信号です。痛みは辛いので、早く取り除きたいと思うのは当たり前の思いですが、そこで早々に鎮痛剤などで痛みを抑え込んでしまうと、体からの信号は無理やり抑え込まれたことになります。
私感として痛みという信号は2層構造になっていて、ひとつは不具合そのものによる痛み。もうひとつは痛みという信号を「まだ」とらまえてもらえていないという訴えとしての痛み、という構造と思っています。そこでまず後者=痛みという「訴え」をとらまえる試みをおこないます。個人的な体験としては、こうして「訴えをとらまえてあげること」で、当初感じていた痛みの3割程度は減衰することが多い。つまり、当初感じていた痛みは、不具合そのものが発する痛みが割り増しされているケースが多いです。
鎮痛剤は痛みの除去について手軽ではありますが、胃腸や眠気等の副作用を思うと飲まずに済ませられれば一番いい。私は鎮痛剤に頼るかどうかも判断は、この「訴えをとらまえてあげる」試みのあとにおこなうようにしています(※個人的には鎮痛剤の使用機会は随分減りました)。
当ワークでは、上記の底本に沿って、痛みを取り除くことを目的とせず、ただじっくり感じ、その変化をみつめてゆきます。こうしてみつめることで、「訴え」が起こしている痛みは霧散していくことがままあります。コツは、痛みを消そうと思わず見つめること。その『結果として』、訴えが起こしている痛みは霧散していきます。