クリックケミストリー

2022年ノーベル化学賞

10月5日にノーベル化学賞の発表があり,「クリックケミストリー(click chemistry)」 の研究者が受賞した.受賞者は,米スタンフォード大のキャロライン・ベルトッツィ氏(55)とデンマーク・コペンハーゲン大のモーテン・メルダル氏(68),米スクリプス研究所のバリー・シャープレス氏(81).シャープレス氏は、野依良治氏らと一緒に受賞した2001年に続き,2度目の化学賞受賞となる.受賞者の業績は,開発,進化,応用まで含まれているが,基本となる「クリックケミストリー」について紹介したい.

「クリックケミストリー」 は,2001 年にスク リプス研究所の化学者によって開発された.この反応は、実験操作が非常に簡便で,目的生成物のみを高収率に与え.副生成物はほとんど生じない,その上,水中を含むどのよう な条件下でも効率よく進行する.さらに,どのようなタイ プの分子でも互いに結合させることが可能であるという特徴を有している.

「クリック」という言葉は,あたかもシートベルトの バックルが「カチッという音を立てて(clicking)」繋がるように,二つの分子が簡単にしっかりと繋がることを意味している.

「クリックケミストリー」に利用される反応は,大別して3種が知られている.

1)エチレンオキシドのような歪分子の開環反応

2)カルボニルの縮合反応

3)1,3−双極子などの環化付加反応

現在,もっとも利用されている反応は3)の1,3−双極付加環化反応Huisgen付加反応)である.

1,3−双極子付加反応とは

一般式.e=dは三重結合でもよい.

1.3-双極子としては,オゾン(a=b=c=酸素),ジアゾメタン(a=b=窒素, c=炭素),ナイトロン(a=酸素,b=窒素,c=炭素),アジド(a=b=c=窒素)等がある.置換基によっては位置異性体が生成する.次図はアジドの例である.e=dは二重結合あるいは三重結合である.

電子の動きを曲がった矢印で示す電子論で説明されることが多いが,置換基効果による反応性の予測等はフロンティア軌道論(HOMO-LUMO相互作用,自由電子模型法ではallylアニオンで近似する)で説明できる熱許容周辺環状反応のひとつである.生成物の安定性(芳香族性)もフロンティア軌道論で予測可能である.

クリック反応にアジドとアセチレンの双極子付加反応が多用されているのは,アジド基およびアセチレン基の導入が容易なうえ,安定であり,水や生体分子と反応しないことなどである.反応自体は,熱許容反応ではあるが,銅触媒があると低温〜室温条件下でも位置選択的に付加体が生成する.

トリアゾールは,ピロールやチオフェンと同様に芳香族性を有する化合物である.安定性フロンティア軌道論(HOMO-LUMO分子分割法による予測が可能でる.

クリック反応
本反応を創薬に応用する場合の概念図(参考資料1の図を引用)である.酵素には各種の受容体があり,それらと
特異的に結合する分子が存在する.受容体と結合する候補分子にアセチレンあるいはアジド基を導入する.図では矢印型受容体を認識する矢型分子にはアセチレン基を,お椀型受容体を認識する分子には丸型分子にはアジド基を導入する,これらを酵素と混合するともっともフィットする候補分子がそれぞれの受容体に結合した三元複合体を形成する.三元複合体においてアジド基とアセチレン基の距離が近ければ,1,3-双極性反応が惹起しクリック反応が完結する.高高親和性分子の生成は質量分析計で検出し,確認する.クリック反応の容器はフラスコ等ではなく,酵素であることに注目.

このテクニック では,酵素内で互いに近接した位置に捕捉される二つ のリガンド分子(酵素の各種受容体に特異的に結合する物質)にアジドとアルキンのタグを付けるこ とがポイントである.そのための手法は既存の化学反応により確立されている.これらのリガンドが同時に酵素 に取り込まれて適切な配向をとり,アジドタグとアル キンタグが十分近くに保持されるならば,容易にトリアゾー ル環が形成され,酵素に結合している二つのリガンド が互いに連結されることとなる.このようにして得ら れる分子は酵素と 2 点で結合するので,1 点で酵素と 結合する分子より高い結合親和性を示す.


具体例(参考資料2, 化学と生物(2012)の記事)

In situクリックケミストリーを用いたアセチルコリンエステラーゼ阻害剤の探索

In situ click chemistry とは,トリアゾール形成反応が標的タンパク質(酵素) のリガンド(阻害剤)作用部位を反応場として,アジドとアセチレン分子が標的タン パク質のテンプレート効果により促進されることを指標に,より親和性の高いトリア ゾール含有化合物を見出す方法である.

In situ クリックケミストリーを用いたAChE阻害剤の探索(資料2の掲載図を引用).PZ5-8はPZ6-8? 注:付加反応の容器は酵素である.

syn-TZ2PA6

Tacrin (T)とPhenylphenanthridinium (P)は,それぞれ AChE活性中心とその近傍のperipheral site(周辺部位)の異なる位置に結合することが知られている.

注:タクリンは,アルツハイマー病の治療のためのコリンエステラーゼ阻害剤として認可されたが,その効果は疑問視されている.

このTおよびPに炭素鎖長 2 ~ 6 のリンカー(メチレン架橋)を介し,末端にアセチレン(A)およびアジド(Z)を結合した誘導体TZ(2 ~6)と PA(2 ~6), および TA(1 ~3)とPZ(6 ~ 8)をそれぞれ組み合わせ,マイクロプレート中, AChEを共存させて室温で 1週間(原報では)インキュベートした. この反応溶液を精製することなく,DIOS mass (desorption/ionization on silicon mass spectrometry)を用いて質量分析したところ,49種類の組み合わせ中,TZ2/PA6のペアーのみ(詳報では,syn-TZ2PA5, syn-TA2PZ6, syn-TA2PZ5も確認)が結合して いることがわかった.

注:Siuzdakらは電解エッチング法により数百 nm の大きさの孔をもつポラスシリコン板を作製し,その上で試料にレーザー光を当てるとマトリックスがなくても高分子量物質がイオン化できることを見いだした.このイオン化法をDIOS (desorption/ionization on porous silicon) と名づけ,DIOS チップは Mass Consortium 社から製品化されている.

この組み合わせの生成物であ るトリアゾールの syn および anti 体を別途合成して阻害活性を比 較したところ , syn 体 ( Kd (eel ) = 99 f m ) がanti体より活性が高くなり,フラグメントのリードである Tacrin(Kd = 18 nm)と Phenylphenanthridinium(Kd = 21 nm)の活性をはるかに凌ぐ,高活性のAChE阻害剤を見いだした.

注: Kdは小さい程結合が強い.単位が異なる.1 fM = 0.000001 nM.Kdウナギ= 99fM,Kdマウス=410fM.

得られた syn-TZ2/PA6 と AChE との共結晶のX 線結晶構造解析を行なったところ,予想通り Tacrin は活性中心 に,Phenylphenanthridinium は peripheral siteに結合し,トリアゾールも活性中心近傍の アミノ酸残基と相互作用していることを確認した.

X線解析図を含め,参考資料4より引用. トリアゾール環は酵素との結合に水素結合,face−face.edge-to-face等の相互作用を介して関与している.構造の詳細は原報(オンラインアクセス可能)を参照.

AChEの活性中心にTacrin(T)が結合した酵素複合体を利用して,周辺部に結合する可能性のある構造の異なる多種類の候補分子を混合物のまま酵素とインキュベーションして,得られた反応物をLC-Massで分離・解析すれば,さらに迅速な創薬が可能となるらしい.

紹介した反応条件下では,酵素を共存させ ない場合,アジドとアセチレンとのクリック反応はほとんど進行しない. これは,アジドとアルキンのタグを付けた二つ のリガンドが同時に酵素 に取り込まれて適切な配向をとり、アジドタグとアル キンタグが十分近くに保持され,トリアゾー ル環が形成され,酵素に結合している二つのリガンド が互いに連結され,AChEが付加反応のテンプレート(鋳型)として機能したことを示している.

従来のランダムスクリーニングによる手法で薬を見出す確率は2万〜3万分の1と言われている.それに代わる創薬の手法としてクリックケミストリーが注目を集めて20年が経過し,ドラッグデザインの手法は大きく変化した.しかし,「合成家の仕事はバイルシュタインの空白を埋めるだけ」と揶揄された合成化学が不要になったというわけではない.合成の目的が明確になり,クリック反応の前後を支えるクロスカップリング,官能基変換や付加環化反応等の分野の一層の進展が期待される.

筆者の在職中の研究テーマは「周辺環状反応を利用した分子設計」であったため,Sharpless氏とMeldal氏の業績を中心に紹介したが,Bertozzi氏の応用研究の詳細については生体直交反応の紹介記事を見てほしい.

追記 逆クリック反応

トリアゾールは芳香族性を有する安定な化合物である.ところが,クリック反応の成績体のトリアゾール環は超音波処理によって原料へ戻ると報告された.Unclicking the Click: Mechanically Facilitated 1,3-Dipolar Cycloreversions, Brantley, J. N.; Wiggins, K. M.; Bielawski, C. W., Science2011, 333, 1606-1609. DOI: 10.1126/science.1207934.

しかし,真偽は疑問視され,現在論文は撤回されている.

論文撤回の記事

mechanically facilitated 1,3-dipolar cycloreversions - PubMed https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov › ...

参考資料

  1. クリックケミストリーの概念と応用 化学と工業, 60(10), 976-980(2007). 特集, M. G. Finn, Hartmuth C. Kolb, Valery V. Fokin, K. Barry Sharpless 訳:北山 隆

  2. 解説 クリックケミストリー, 創薬やケミカルバイオロジーの強力なツール 北山 隆, 馬場良泰, 化学と生物 50(6) 414-422 (2012)

  3. Click chemistry in situ: acetylcholinesterase as a reaction vessel for the selective assembly of a femtomolar inhibitor from an array of building blocks,Angew Chem Int Ed Engl, 2002 Mar 15;41(6):1053-7. Warren G Lewis 1, Luke G Green, Flavio Grynszpan, Zoran Radić, Paul R Carlier, Palmer Taylor, M G Finn, K Barry Sharpless

  4. 複合体のX線解析:Y. Bourne, H. Kolb & K. B. Sharpless : Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 101, 1449(2004). PMCID: PMC341740にアクセスすればオンライン閲覧可能.

  5. 合成化学者による生命現象解明へのアプローチ ∼生体直交型反応の開発-


(2022.10.25)

編集資料

アジドとアセチレンのHOMO, LUMO

アジドのHOMO

アジドのLUMO

アセチレンのHOMO

アセチレンのLUMO

The in situ click chemistry approach to lead discovery employs the biological target itself for assembling inhibitors from complementary building block reagents via irreversible connection chemistry. The present publication discusses the optimization of this target-guided strategy using acetylcholinesterase (AChE) as a test system. The application of liquid chromatography with mass spectroscopic detection in the selected ion mode for product identification greatly enhanced the sensitivity and reliability of this method. It enabled the testing of multicomponent mixtures, which may dramatically increase the in situ screening throughput. In addition to the previously reported in situ product syn-TZ2PA6, we discovered three new inhibitors, syn-TZ2PA5, syn-TA2PZ6, and syn-TA2PZ5, derived from tacrine and phenylphenanthridinium azides and acetylenes, in the reactions with Electrophorus electricus and mouse AChE. All in situ-generated compounds were extremely potent AChE inhibitors, because of the presence of multiple sites of interaction, which include the newly formed triazole nexus as a significant pharmacophore.

芳香族性はNのHOMOとC=C-N=NのLUMOの相互作用で考える.ピロールの場合はNのHOMOとブタジエン(C=C-C=C)のLUMOである.LUMOの両端とHOMOが位相が合うので,電子の非局在化が起こる.C=C-N=NのLUMOはブタジエンのLUMOより低いのでHOMOとの相互作用が強く,トリアゾールの芳香族性はピロールより高いと考えられる.