お昼を食べて、15時のアカデミア美術館開館までアカデミア美術館の北西にフラーリ聖堂まで歩く。そこから時計回りにアカデミア美術館に戻る。大運河は乗り合いゴンドラのトランゲットで渡った。
最初のカルメル派は総督ドメニコ・ミケーレの時の1125年にヴェネツィアに来た。教会は、聖母マリアの被昇天の称号の下、1286年から建てられ、16世紀に再建された。修道院は1810年に解散。
サンタマルタ・デル・カルミニ教会の鐘楼。17世紀に崩壊の危機に瀕し、ジュゼッペ・サルディ(1624-1699)により1676年にバロック様式で改装。塔の頂上にあるMadonna del Carmine(マドンナ・デル・カルマイン。カルメル騎士団のパトロンである聖母マリア)の元の像は、1982年の落雷の後、ロマーノ・ヴィオの新しい像に置き換えられた。
サンタ マルゲリータ広場.14世紀の家屋に囲まれ、ドーソドゥロ地区の非常によく知られた出会いの場。小さな店、バー、レストラン、小さな魚市場など、手つかずのヴェネツィアが特徴の非常に活気のある場所。北側には、カ・フォスカリ大学の講堂がある。南側にはバルナバ広場、南西側にはカルミニ教会がある。アカデミア美術館から600m。
ちなみにイタリア語で広場はpiazzaだが、ベネチアにはpiazzaの名の付く広場はpiazza san marcoぐらいで大体はcampo。campoはもともと「畑」を意味し、昔はcampoに畑を作り農作物を育てていた。またベネチアの大学生でcampoはこの広場を指す
。
スクオラ・デイ・カルミニは、共和国時代の8つの偉大な学校の最後。ベルガモ出身のベルナルディン・ソアディの「コンフラタニティ・シヴ・スコラ・ディ・ライチ・ソット・イル・ノメ・デッラ・グロリオサ・ヴェルメロ・マリア・デル・モンテ・カルメロ」という修道院として1594/3/1に設立。1767年4月27日の10の評議会の法令によって、未成年者向けの「カーメルの祝福された聖母の学校」はスクオラ・グランデに昇格。
ドッチオーネ。雨樋の雨樋の機能をもつ、怪物などをかたどった彫刻。樋嘴(ひはし)、フランス語でガーゴイル)。パリのノートルダム寺院やバルセロナの聖ファミリア教会のものが有名。これはサンタマルゲリータ広場北のサンタマルゲリータ講堂のもの。
左の3階の右
1階右
サンタマリア講堂は9世紀にサンタ・マルゲリータに捧げられた教会として建てられ、後に劇場で改装され、聖人の殉教者を表す天井の美しい絵画がある。これは入口の案内板。西側にある。
サンパンタロン教会は、聖パンタロンの殉教と黙示録を描いた巨大な天井画でよく知られる。ジャン・アントニオ・フミアーニが1680年から1704年にかけて創作。その他、アントニオ・ヴィヴァリーニとジョヴァンニ・ダレマグナによる聖なる釘の礼拝堂の聖母の戴冠式、少年を癒す聖パンタロン、ヴェロネーゼの作品もある。教会のHPはこちら
小アジアのビテュニアに聖パンタレオンという医師がいた。4世紀、彼は殉教したが、その後、ヴェネツィアの守護者、とりわけ船乗りと漁師の守護者になった。イタリアではこの名前はすぐさまヴェネツィア人のあだ名「パンタローネ」になる。パンタローネはコメディア・デラルテにおける登場人物の一人で、長ズボンをはき、「気が多く好色で浅ましい吝薔家だが常に策略家の召使の標的になる老人」や「滑稽なほど偽善的な人物」、はたまた「目的を果たすためにはどのような姿にもなりどのような役回りもこなす男」であった。この痛風を患い、頻りに鼻をすすり、咳き込み、疾を吐く鉤鼻の老人が、世界でもっとも着られている衣服に自らの名を与えた。。
トノロ菓子店。1886年にミラノで創業した菓子店で、地元学生を中心に人気を集めている。独自のレシピで作るクリームを用いたドルチェが自慢。小さなスペースでコーヒーやお菓子を気軽につまむこともできる。14時ぐらい。
虐待する方法
私たちの忍耐(ラテン語)
生クリームを使ったお菓子がここの名物
フラーリと呼ばれるべネチア最大の教会
スクーラ・グランデ・サン・ロッコ(大同心組合)は1478年に設立された慈善活動の組合。1480年に名前にグランデが追加された。その後、ティントレットに旧約聖書と新約聖書のエピソードを描かせた。ベネチア共和国の崩壊を生き延びた古代の大学校の中で唯一。建設以来ほとんど変化していない建物の元の場所に60以上の絵画が保存されている例外的な場所。
1494年に完成したペストの守護聖人である聖ロッコを祀った教会。内部にはティントレットが若い頃に描いた聖ロッコをテーマにした絵が飾られる。ファサード中央にはGiovanni Maria Morlaiter(ジョヴァンニ・マリア・モライター)のペスト患者を癒す聖ロッコペスト患者を癒す聖ロッコ。左はLorenzo Giustiniani(ロレンツォ・ジュスティニアーニ、1380/7/1-1456/1/8)の像で彼はヴェネツィアの総主教の称号を最初に冠したイタリアのカトリック総主教で1690年に教皇アレクサンドル8世によって聖人を宣言された。右はGregorio Barbarigo(グレゴリオ・ジョヴァンニ・ガスペア・バルバリゴ、1625/9/16–1697/6/18)で、聖人として崇拝されているイタリアのカトリック枢機卿と司教
Giovanni Marchior(ジョヴァンニ・マルキオーリ 1696/3/30-1778/1/2)によるGerardo di Sagredo di(ジェラール・ド・サナード、ベネチア出身のハンガリーの司教で殉教者)。右はPietro Orseolo di Giovanni Marchioriは23番目の総督であり聖人。
1階は土産物屋と両替(このHP作成の2021/9はかばん屋)
聖マルコ礼拝堂
Cappella di san Pietro(聖ペテロ礼拝堂)。1432年に建てられ1464年に埋葬されたベネチア司教ピエトロ・ミアーニを記念し、エミリアニ礼拝堂としても知られる。
1 カウンターファサード
2 十字架の礼拝堂
3 カノバ記念碑
4 総督ペーザロの記念碑
5 カ・ペーザロのマドンナ
6 聖ペテロ礼拝堂
7 聖マルコ礼拝堂
8 ミラノ礼拝堂
9 聖ミカエル礼拝堂
10 フランシスコ会聖人礼拝堂
11 合唱団とオルガン
12 長老
13 総督トロンの記念碑
14 13世紀の十字架
15 ティツィアーノの思い込み
16 総督ドジェ・フランチェスコ・フォスカリの記念碑
17 洗礼者聖ヨハネ礼拝堂
18 コルベ神父の礼拝堂
19 ベルナルドチャペル
20 デッド・キリスト
21 ベリーニのサクリスティとトリプティクの祭壇
22 サクリスティ(聖遺物)
23 遺物の祭壇
24 チャプターホールへの入り口
25 右のトランセプト壁
26 ヤコポ・マルチェッロの記念碑
27 聖カタリナの祭壇
28 サン・ジュゼッペ・ダ・コペティーノの祭壇
29 神殿におけるイエスの呈示の祭壇
30 ティツィアーノ記念碑
31 パドヴァの聖アンソニー祭壇
1231年、総督ヤコポ・ティエポロの下で、市は修道士のフランシスコ会に属す修道院と教会の設立のため、土地を寄付。この建物は小さすぎることが判明し、1250年に3つの教会の建設が始まり、1338年に完成。設計はヤコポ・エレガの下で始まり、息子ピア・パオロによって完了。サンマルコに次いで2番目に高い鐘楼は1396年に完成。ジョヴァンニコーナーの後援の下、サンマルコ礼拝堂を1420年に追加。1432-1434年に司教ヴィチェンツァ・ピエトロ・ミャニは、鐘楼の隣にサンピエトロの礼拝堂を建設。ファサードは1440年に完成。1469年に主要な祭壇が奉献。1478年、ペザロ一家がアプスの礼拝堂を委託。1492年5月27日、教会はサンタ・マリア・グロリオサの名前で奉献。
パイプオルガンの歴史:1483年からある。ジローラモ・ディルータ(1586-1589)とジョヴァンニ・ピッキは1593年から1629年まで、30年以上にわたり奏者を務めた。1708年にヴィンチェンツォ・コロネッリ神父による聖堂の合唱団を描いた彫刻は聖堂が合唱団の周囲の壁に向かって2つオルガンがあったことを示す。左のオルガンは1732年にジョヴァン・バッティスタ・ピアッジャによって作られた。右のオルガンは1795-96年にガエターノ・カリドによって作られた。
サン・トマ教会。最初は修道院で973年に聖セルギウスとバッカスの称号の下に建てられた。1395年に初の改修を行い。1538年に聖トーマスに捧げるものとして再建された。 1652年ジュゼッペ・サルディにより新しいファサードが建設された。左はSan Teodoro 右はSan Teodoroの像、いずれもPaolo Callalo(1965/8/16-1725/6/26)による
トランゲットとはフェリーの意。ゴンドラに安価に乗ることが出来る。14時半ごろ。
サンマルコ側、こちらの停留所もS.Tomaと同じ名前
バポレット乗り場のSant' Angelo近くの4つ星ホテル。これは南側で北側が大運河に面する