ベネチアの中心部を歩いて、アカデミア美術館へ。13時に美術館に着くも15時まで昼休み。しかたが無いのでバーカロ(ベネチア名物の立ち飲み屋の総称)で13時過ぎに昼食を取って、北西方向に路地を歩いた。
右奥の鐘楼はサンタ・マリア・デル・ジッリョ教会。赤いのれんはvivaldi e il suo tempo - collezione artemio versari(ビヴァルディと彼の時間
アルテミオ・バーサリ[楽器のコレクター]コレクション) 。音楽博物館で入場無料。
dd mavritio sociisqve dicatvmで調べたが不明。建物は1806年にフェニーチェの建築家ジャンナントニオセルバにより再建されたサン・マウリツィオ教会。
バイオリンは1600年製造、ビオラは1580年、チェロは1730年、コントラバスは1670年製造のものがある
入場無料なので入った
Bartolomeo Ferrari.による
音楽博物館から南に170m歩くと大運河に面するCalle del Dose da Ponteに。向いはパラッツォ・ダ・ムラ・モロシニとパラッツォ・センタニ・モロジーニ2つの宮殿。パラッツォ・ダ・ムラ・モロシーニは15世紀に建てられた。私邸としての機能を保持。宮殿を貴族、芸術家、政治家のための出会いの場にしたことで有名になったアニナ・モロシーニの住居で、カイザーヴィルヘルム2世も訪れた。パラッツォ・センタニ・モロジーニは後で建てられた。
1908年にモネがパラッツォ・ダ・ムラ・モロシニを描いている
奥のドームはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂
サン・スティファノ広場
ニコロ・トマセオはフィレンツェ生まれの言語学者(1802/10/9-1874/5/1)。1822年パドヴァ大学卒業。その後ミラノで活動し、1827年にフィレンツェに移住。1830年にオーストリア批判をしたためパリに移住。のちにコルシカ、ベネチアに移住。1882年にフランチェスコ・バルザーギが制作。
サンスティファノ教会。13世紀に作られた。広場の北にある。
サンビダル教会。1084に設立。
クラシックやバロック音楽コンサートのスペースとして使用されている。泊まったホテルにもここでのビバルディのコンサートのポスターがあった。
コーラス文化/コンサートの季節/ベネチア室内合奏団
正面の建物。ヴネチア音楽高等学校
フランチェッティ宮殿は1565年に建てられ、19世紀半ばにはマルチェロ、グッソーニ、カヴァッリなどの多くの有名なヴェネツィアの家族の住居として使用された。ナポレオン戦争の後、オースリア・ハンガリー帝国がヴェネツィアの領土を獲得、宮殿は1840年にオーストリアの若い大公フレデリック・フェルディナンドの所有になった。現在、ヴェネト科学芸術研究所が所有しており、その一部をコリラ、ラグーン研究所に貸し出し、その他の部分ではイベントや展示会を開催。
奥の橋
コンタリーニポリニャック宮殿は最も重要な初期のルネッサンスの建物の一つ。そのファサードは大理石で覆われ、ジョヴァンニ・ブオーラによって設計された。15世紀後半に誰が宮殿を所有していたかはまだ不明。商人マンゾーニに1758年に売却された文書が残っている。20世紀初頭、ヨーロッパのミュージカル前衛にとって非常に重要なウィナレッタ・デ・ポリニャック王女のサロン、ニー・シンガーがこの宮殿で開催された 。HPはこちら
バポレット乗り場。アカデミア美術館はお昼休みだった。
vini al bottegonはワインの名前
13:30の遅い昼食。いつもならワインのところ、寒いのでエスプレッソ。チケッティは、ベネチアのbàcari(バーカロ・立ち飲み屋)で出される小さなサンドイッチでオリーブや他の野菜のプレート、半分のハードボイルドエッグ、シーフードがパンやポレンタのスライスの上に置かれる。
1つ1ユーロ
直訳すると「影を飲みに行こう」。影(ombra)とはグラスワインで、サンマルコ大聖堂の鐘楼の影で立ち飲みした名残。
Sトロヴァゾ川
他のバーカロでも白衣の人を良く見かけた
サン・トロバッソのsquero(スキーリ、造船所)は 船を作る道具のsquara"スクワラから転じた。17世紀からあるベネチアで最も古く最も有名な造船所で今はゴンドラの製造・修理のみ行っている
奥の尖塔。セスティエールドルソドゥーロ教会は1028年からある。今の建物は1584年に再建されたもの。
サンバルナバ教会。9世紀に建てられ、1105年に火災にあい1350年に再建。ロレンツォ・ボシェッティ設計でマルカントニオ・グリマーニの支援の下、1776年に現在の形で完成。
現在はダビンチ美術館として絵のレプリカやヘリコプターなどが展示されている。
1989年の映画『インディ・ジョーンズと最後の十字軍』のシーンは、教会の正面にあるカンポ・サン・バルナバで撮影され、教会のファサードは架空の図書館として使用されていた。
S.バルナーバ川。真ん中に見える橋(プーニ橋 Ponte dei Pugni)。Pugni(拳)の由来は敵対するニコロッティ一族とカステッラーニ一族が橋の真ん中で出会い、拳で戦ったことに由来する。橋には手すりがなかったので、勝者は寒くて汚れた運河に相手を投げ込むという伝統だった。これらの拳の戦いは、1705年に非合法化された。
S.バルナーバ川の名物。右の橋はプーニ橋
in posizione centrade ma tranquilla (街の中心部だが静かな立地)
ottimo appartamento ai 2 piano(2階の優良物件)
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molto ben tenuto,composto da ingresso,cucina con poggiolo,
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状態の良い小部屋) 25万ユーロただし、本土側