応援メッセージ

佐藤 弥右衛門さん

合資会社 大和川酒造店 会長会津電力株式会社 特別顧問(いずれも喜多方市)

東田 和久さん

有限会社久在屋(京の地豆腐 久在屋代表取締役 

(京都市)

磯貝 剛成さん

一般社団法人日本豆腐マイスター協会 代表理事

一般財団法人全国豆腐連合会 評議員

工藤 詩織さん

豆腐マイスター

斎藤 嘉人さん

新潟大学農学部助教


瀬木  直貴さん

映画監督

(福島県しゃくなげ大使)

青木 一彦さん

桃陰ラガークラブ

(天王寺高校ラグビー部OB会)会長  

松永 敏宏さん

大阪府立天王寺高校ラグビー部(主将)/慶応義塾大学ラグビー部(主将のちに監督)/元ラグビー日本代表/京空株式会社(旧(株)FMI)代表取締役 


犬塚 力さん

大阪府立天王寺高校卒(同窓生)/京都大学法学部卒

中部国際空港株式会社 

代表取締役社長 

鈴木 真也さん

居酒屋 籠太 店主

 (会津若松市) 

歌野 敬さん

有料老人ホーム・ひろんた村母屋施設長/五島塩の会事務局/特定非営利活動法人村づくり会議理事長/元同志社大学大学院ソーシャルイノベーションコース嘱託講師(長崎県上五島町)

浅見 彰宏さん

NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長ひぐらし農園主宰本木・早稲谷 堰と里山を守る会会長

(喜多方市山都町)

佐藤 彌右衛門さん

合資会社 大和川酒造店 会長

会津電力株式会社 特別顧問

(いずれも喜多方市)

原発事故の後、自然エネルギーである再生可能エネルギー発電とその電気の提供する仕事を始めて日本の電気と食料の自給率を調べて観ると、その儚さに愕然とした。長い間日本酒の醸造をして来た蔵元だから原料の米は地元産を使用して来て満足していたが、会津に生きていく為に食する味噌、醤油、食油、その他のものの原料は殆どが2割以下だと知って恐怖さへ感じている。有事となれば日本は一瞬で飢餓状態になる。エネルギー食料も海外からの原料や食品を海外からの輸入に頼って来たからだ。

喜多方の寺町に生まれ子供の頃に頂いたものは美味しく健康な食べ物ばかりだった。町内には豆腐屋、蒟蒻屋、八百屋、油屋、味噌屋、私の家は酒屋、隣の町内には醤油屋、煎餅屋、餡子屋と殆どが地元の原料で造られていた。

祖父は軍人でもあり酒造の経営者でもあったがその反省もあり、小さな島国の日本の人口は七千万人位がちょうど良い、それを超えようとすると他国へ食糧や資源を採りにいったり世界中から輸入しなければならなくなる。足るを知れ、足下の豊かさに感謝して生きろと。教えられたのは「四方四里  身土不二」

小原直樹さんの仕事と会津の豊かさと未来を守る為に最大の支援をしたい。

東田 和久さん

有限会社久在屋(京の地豆腐 久在屋

代表取締役 (京都市)

「日本の未来に残したい豆腐屋」

昭和40年頃には全国で5万軒あった豆腐屋も時代の流れと共に減少し令和に入ってからは五千軒を下回る件数になりました。昭和時代の5万件は各町内に1件から2件は豆腐屋があった時代。農業からの転身で豆腐屋を開業した話を多々聞きます。それだけ開業しやすい職業だったと考えられます。そして、この平成~令和と時代が流れ豆腐製造にも大きな技術革新がありました。今の市場に出廻ってる豆腐は安心安全を最優先に製造された豆腐ばかりが市場を席巻し昭和時代の豆味を感じれる豆腐が少なくなってきました。いよいよ豆腐屋も「日本の伝統産業」になってしまうような勢いも感じます。


その時代の流れの中で素材の味力を技術で引き出し豆腐職人が年々少なくなり技が伝統産業に認定される時代になって来るかもしれません。

豆腐と揚げを未来に伝える事を仕事にしている小原氏は素晴らしい考え方をされています。

「地産地消の請負人」

国産菜種油の希少価値が非常に高く、豆腐屋業界では国産菜種油を使用する事は大きなブランドを創り出す大きなポイントになると感じます。市場に出廻ってる菜種油は科学薬品を使用し効率の良い製造方法で製造されています。小原氏の考え方は昔ながらの製造方法を知りより効率化して人により優しい菜種油を製造するかを模索してると聞きました。会津の自然の中で大豆と菜種油の圃場がある風景は日本の原風景になると思います。是非とも日本のものつくりの起爆剤として小原氏には頑張って頂きたいと思ってます。クラウドファンディングと言う世界で日本の農業から加工業者そして、食べる人に豊かな食生活と幸せを感じて貰える日本の未来を構築するきっかけになればと思います。

皆様のサポートよろしくお願いします。

磯貝 剛成さん

一般社団法人日本豆腐マイスター協会 代表理事

一般財団法人全国豆腐連合会 評議員

油揚げ、厚揚げがんもどき使う油は、大豆やにがり以外にもすごく大事な要素です。


油は大切な日本の食文化であり、丁寧に一滴を搾り出すその技術はとても貴重です。


そこにこだわりを持ちその油を後世に残そうという小原さんの姿勢に非常に感銘を受けています。


ぜひこのプロジェクトを豆腐マイスターみんなで応援したいと思います。

工藤 詩織さん

豆腐マイスター

幼少から豆中心の食生活を送り大学院在学中に「豆腐マイスター」の資格を取得。執筆活動・メディア出演・イベントやワークショップなどを通じて豆腐の魅力や食文化を伝える。TBS系列「マツコの知らない世界」などに出演。著書に『まいにち豆腐レシピ』(池田書店)。

わたしは幼い頃から「豆腐」が好物で、豆腐の美味しさ、楽しさを追いかけ旅する過程で、日本各地の豆腐職人さんと出会いました。そして、小原さんもそのひとりです。


原料や資材の高騰、後継者不足、流通構造の変化で、個人経営の職人手作りの豆腐屋さんは年々減少しています。

それでも、小原さんのように「豆腐屋は天職だ!」だと胸を張り、良質な原料を使って豆腐づくりを行う方々がいるからこそ、個性豊かな豆腐の食文化が守られてきたのだと思います。


そして、小原さんのつくられる油揚げや厚揚げに欠かせない平出さんの菜種油も、地域で受け継がれてきたかけがえのない食文化であり、途絶えてしまえば二度と取り戻すことのできないものだと思います。小原さんの今回の挑戦に、一人でも多くの方が共感し、豊かな食が未来に受け継がれていきますよう心から応援しています!

斎藤 嘉人さん

新潟県燕市、嘉平豆腐店生まれ。高校卒業後、京都大学農学部・大学院農学研究科修了。3年間のweb関連企業での経験を経て、

京都大学大学院農学研究科博士課程を修了、博士(農学)の学位取得。

現在 新潟大学農学部助教

新潟の伝統ある豆腐店で育ち子供の頃から豆腐作りに携わってきました。

安すぎる価格設定や後継者不足、食品ロス問題など、いま豆腐作りには多くの問題があります。

 

私はこれらの問題に科学的な方法で取り組み、豆腐の「価値」を追求することを決意し、京都大学にて豆腐の研究を始めました。

 

大学では作物や食品の品質を傷つけずに測定する「生物センシング工学」に出会い、組織を破壊することなく、豆腐の凝固過程を測る方法を開発しました。 この技術は豆腐製造のロスを減らし、品質向上につながると確信しています。


さらに学生時代から豆腐業界と強いつながりを持ち、日本初の全国豆腐品評会を開催するなど、業界の振興にも積極的に取り組んでいます。


小原さんには、同じ京大出身かつ豆腐に情熱を注ぐ者として、リスペクトを持っています。今回の試みが成功につながるよう、応援しています!

瀬木  直貴さん

映画監督 

(福島県しゃくなげ大使)

地域文化に根差したオリジナル作品をオールロケで製作している。 主な作品に、福島県を舞台にした『春色のスープ』(2008・児童福祉文化賞推薦作品)、環境問題を扱った『KIZUKI』(2008・日本映画批評家大賞国際活動賞)、『ラーメン侍』(2011)、『恋のしずく』(2018)、『いのちスケッチ』(2019)、『スパイスより愛を込めて。』(2023)などがある。 

とうふ屋おはらの豆腐は一度しか食したことはない。その味も食感も忘れてしまったけれど、忘れられないのは、若き小原さんの志と情熱と行動力。ともに映像制作会社に勤めてから、何とまあ、40年近くが経ってしまった。


SDGsという言葉が生まれるずっと前から、彼はその実践者でありました。優秀ゆえに様々な職の誘いもあったろうにそれらに目もくれず、豆腐屋を開いたというニュースには僕は飛び上がって喜んだ。実に小原さんらしい。


その彼が今度は菜種油の伝統の技を継承しようというのだから、応援しないわけにはまいりません。豆腐づくりも油づくりも重労働でしょう。いい歳なんだから身体に気をつけて頑張って。


とりあえず今度、豆腐の味噌漬けを買いに行くよ。

青木 一彦さん

桃陰ラガークラブ

(天王寺高校ラグビー部OB会) 会長 

「使命感と行動の人、小原主将」

小原さん母校天王寺高校ラグビー部の後輩で現在OB会長を務める青木一彦と申します。此度の平出油屋さん菜種油継承の取組みクラウドファウンディングを応援すべく筆を取っております。高校ラグビー部入部時に3年生でチームの主将であった小原さんは高校、大学、社会人の全ての時期を通して私にとって「ラグビー部主将」、正に使命感と行動の人です。

母校天王寺高校は北野高校に次ぐ大阪屈指の進学校で、毎年、東大、京大、早慶など難関大学に学生を送り出しながらスポーツも非常に盛んな高校です。特にラグビー部の1922年創部は大阪では最も早く、既にラグビー部創設100年を越える歴史の中で、全国大会出場19回、優勝2回、準優勝3回の戦績を残した強豪チームでした。

他のライバル校ひしめく大阪の中で全国大会出場を使命とし、主将は日々重圧と責任を負います。小原主将率いるチームは、大阪予選でレギュラー2名を欠きながら強豪と対戦。同点に追いつかれた試合終了間際にトライを許し敗退。相手チームは全国大会で準決勝まで進みました。残念ながら目標にはあと一歩及びませんでしたが、強いキャプテンシーをもってチームを厳しい練習と態度で自らの背中で率いる姿は威厳に満ちていました。一方で勉学を疎かにされることなく、京都大学法学部に進学された努力家であり、皆からの尊敬を集めておられました。

現在小原さんは素晴らしい豆腐を作り続けられ、此度は新たに存続の危機に瀕した大切な菜種油の継承に取り組まれると知りました。詳細は他の方々のご説明にお任せしたいと思いますが、その志と行動は年月を経ても、何ら変わっておられません。義を見て為ざるは勇無きなりを地で行く、根っからの主将です。

決して簡単な道のりではないとは思いますが、必ず成し遂げられること信じて疑いません。

ラグビーは仲間を大切にし、助け合うスポーツ。またぶつかり合いでケガや痛みも伴いますがボールを手で持ちグランドを自由に駆け回る楽しいスポーツです。

小原さんの作られた豆腐を食べましたが、本当ににおいしい!この上ない幸福感に浸りました。厳しい環境下当然ご苦労はおありと思いますが、人々に幸せを届けるおいしい豆腐づくりと大切な菜種油の継承を楽しまれる姿が目に浮かびます。ひたむきに地道に目の前の課題に挑戦される小原主将を心から支援する所存です。

松永 敏宏さん

大阪府立天王寺高校ラグビー部(主将)

慶応義塾大学ラグビー部(主将のちに監督)

元ラグビー日本代表

京空株式会(旧(株)FMI)

代表取締役

【桃陰ラガークラブ(天王寺高校ラグビー部OB会)青木一彦会長による紹介文】

小原さんの母校天王寺高校ラグビー部の後輩の松永敏宏さんによる、大きく影響受けた恩人小原さんへの支援のための文章です。文武両道の天王寺高校ラグビー部が輩出した高校32期主将(高校日本代表選出)の松永敏宏さんは、京都大学に合格するもラグビー継続のため敢えて慶応義塾大学を選択し、4年時には主将として関東大学対抗戦全勝優勝、大学選手権決勝に於いて同志社大の平尾選手との死闘とも形容される決勝戦での終了直前の幻の同点トライや、後の日本代表選手としてフランス遠征等々、当時のラグビーファンなら誰もが知る松永敏宏さんからの応援メッセージです。

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【松永敏宏 記】

1962年1月大阪府羽曳野市碓井で生まれ、生後両親が共働きだったので父方の祖母に育てられ、幼少期、祖母から豆腐代を預かり、祖母宅の前にあった碓井神社まで大きな鈴を鳴らしながら行商に来ていた屋台の豆腐屋さんに豆腐代金を支払い、お椀の中にいれてもらった豆腐を我慢ができず祖母宅に帰るまでに食らいついて歯型の豆腐をいつも持って帰った記憶があります。そのお蔭で、豆腐のことを成人になるまで「チンチン」と呼んでいました。私がそれほど大好きな豆腐屋さんになっておられたのが私の大尊敬する小原先輩です。


(1977年4月大阪府立天王寺高校に入学)

入学数か月前の私が藤井寺中学3年時に、新聞に「天王寺高校ラグビー部が近畿大会に出場」という記事を読み、当時弱小バスケット部に所属していた私は強い運動部で活躍したいと思い、天王寺高校でラグビーができたら良いな、と漠然とした気持ちがあったのですが、母が申し込んでいた大阪市営住宅の抽選で鷹合団地が当たったお蔭で、本来なら行くことができない天王寺高校に出願できるようになりました。この近畿大会に出場され主将として活躍されていたのが、何を隠そう小原先輩だったのです。これも、今から考えると凄いご縁だと思っています。また入学当初、たまたま担任の先生が中学時代の同級生の父親で、私がラグビーをやりたいと言っていたにもかかわらず、サッカーと間違って伝えたようで、サッカー部の顧問だった担任の先生から執拗に勧誘されて、ラグビー部への入部がかなり遅くなりました。そんな中、当初の志通り、ラグビー部に遅れて入部して、初てお会いした小原主将、とても威厳があり、遅れて入部の引け目もありましたので、余計に怖かったです。練習しだした当初はフォワードとして姿勢の練習など、自分としてはあまり面白くない練習が多かったので、無茶苦茶勇気を出して、恐れていた小原主将にバックスに代えてくださいと初めてお願いをさせていただきました。その際、何か言われると恐れていましたが、すんなりとOKをいただき、ビックリしたのを覚えています。

また、小学校時代にスキーをやっていたお蔭で、スキーの大阪府予選に出場したいと我が儘を言った際にも、快くOKをいただき、その結果、インターハイにも大阪府代表として出場できました。このようにみかけはとても怖かったのですが、下級生に対し、凄く包容力があり、優しい主将でした。こんな状態でしたので残念ながら、ラグビーのプレーでは貢献できなかったので、当時受けた御恩に対し今回、何とか少しでもクラウドファンディングで貢献させていただければ、嬉しい限りです。


(2024年4月 とうふ屋おはらの豆腐を初めていただく)

前にも述べました通り木綿豆腐をいただき、50年以上前に羽曳野市碓井の祖母宅で食べたお豆腐を思いだしました。それほど美味しい豆腐が再現されたような気がしてならないし、凄いご縁を感じております。まさに調味料を何もかけずに、本当に美味しかった味を思い出した最高の一品だと確信しています。おかずは豆腐だけで充分という懐かしい味で、本当に絶賛の味で、感動しかございません。

あと、まるでプリン、豆幻郷も無茶苦茶、美味しいです。特にまるでプリンは女性には、たまらないと思われます。これからの人生、私のかけがえのない豆腐となること間違いなしです。そんな私が大尊敬する小原先輩が新たにチャレンジされるこのクラウドファンディング、何が何でも成功させていただきたく、全身全霊で応援させて頂きたいと考えております。

鈴木 真也さん

居酒屋 籠太 店主

 (会津若松市)

私が小原さんの豆腐に出会ったのは18年以上前になる。それは衝撃的な出会いでした。

今まで美味しい豆腐を探してしばらくは南会津や様々な豆腐をたべてきたが、すごい豆腐に出会ったと思った。小原さんの豆腐が体調不良などで配達できない時、又は足りなくなってしまった時などどれだけ買いに行ってきたかわからない。

私はその道に豆腐街道と名付けいまでも通っている。やがて変わりがない豆腐である事に気づく。

平出油屋さんの話しも早くから聞いていた。やはり変わりがないからの決断なのだろう。

歌野 敬さん

有料老人ホーム・ひろんた村母屋施設長 

五島塩の会事務局

特定非営利活動法人村づくり会議理事長 

元同志社大学大学院ソーシャルイノベーションコース嘱託講師

(長崎県上五島町)

私たちの小原君との付き合いは多分35年程になると思います。かつて私が役員を務めていた映像会社に小原君が入社し、その会社の代表の紹介で、自給暮らしを始めていた五島列島の拙宅を訪ねてきたのがきっかけでした。彼にとって”悩める時代”だったのでしょう、映像会社を辞めるに際し、その後の生き方を模索するためいろいろ情報を集めていたのだと思います。その頃私はお節介にも『田舎暮らしネットワーク』なるものを立ち上げ、『田舎暮らし大募集』を計画するなど新たな生き方を提案しようとしていたので、そうした絡みもあったのでしょう。


その後もいろいろ連絡を取り合っていたと思いますが、彼なりにいろんな試みの挑戦していたようです。しばらく後に豆腐屋に挑戦するとの連絡を受け、手作り本格豆腐に不可欠なにがりの供給を依頼されました。塩業自由化を見据え、いち早く自然開塩づくりを仲間と開始し、販売していたからです。豆腐作りか、大丈夫かなと心配しつつ、ともかくにがり(と塩)を提供しながら、遠く五島からを見守ることになりました。


切れ切れの記憶ながら、その後いろんなことがありました。豆腐作業所で火事を出したり、原発震災で福島を離れ、避難生活を佐賀で送ったり、福島に帰り県知事選、喜多方市長選への積極的関与、頑張って豆腐コンクールで入賞したり、等々、波乱に満ちた人生を送ってきた感があります。


そして今回、また新たな挑戦を始めるとのこと。消えゆく伝統の技を継承する試みで、半端ではないと思いますが、意図には全面的に賛同します。周囲の力強い協力者もあるようですから、何とか頑張ってほしいと思います。

浅見 彰宏さん

NPO法人福島県有機農業ネットワーク理事長

ひぐらし農園主宰

本木・早稲谷 堰と里山を守る会会長

(喜多方市山都町)

著書「僕が百姓になった理由(わけ)」

1996年に千葉から会津に移住し、小原さんと同じ喜多方市の山間部で地域内資源循環型の有機農業を営んでいます。

最初は自分の食べ物を自分で作る自給自足に憧れての移住でした。しかしいざ暮らし始めると力の限界を早々に感じました。そこで自給とは一人で何もかもやることではない。同じ価値観を持つ仲間とつながり、お互いに足りないところを補いながら地域内で自給圏を広げていくことだと考えるようになりました。

そんな折に移住してきたのが小原さんご夫婦です。移住者仲間が増えた喜びはもちろん、素材と製法にこだわったお豆腐屋を始められたことで、食材が豊かな会津でますます贅沢な食生活が送れることになったのです。

さらに私は平飼い養鶏と養豚も行っており、貴重なおからを当農園の野菜や卵、豚肉などと交換してもらい、家畜たちのエサにするという恩恵も受けています。おかげで目標とする地域内の資源循環がぐっと近づいたのでした。

一方で、農村では耕作放棄地や空き家が急激に増えつつあります。景観の美しさと比例して棚田の維持には手間がかかります。しかし食の多様化で米価は1984年をピークに上がりません。山間部の農家はそれでも米を作り続けてきましたが、今や原価割れとなり高齢や農機具が壊れたことをきっかけに次々と離農しています。私の住む地区も例外ではありません。一人での自給が難しいように、一人での稲作も困難です。

このままでは会津山間部の美しい景観や多彩な農的暮らしが失われてしまう。そんな危機感から私は2000年から江戸時代から続く山腹水路「本木上堰」とその棚田を、主に首都圏からのボランティアと一緒に守る活動を始めました。具体的には田んぼに水を引くため農家にとって一番の重労働である「春の堀さらい」作業に来てもらって共に汗を流し、棚田でとれたお米「上堰米」やそれを原料とした日本酒を再生産可能な価格で買って支えてもらっています。キャッチコピーは「浚(さら)って応援、食べて応援、飲んで応援」です。

また堰や棚田の様子、周辺の暮らしぶりを随時発信し、里山の整備や豪雨災害などがあればお手伝いをしてもらうことも。ボランティアの方々にとっては顔が見え安心できる農産物が手に入り、第二の故郷のような安らぎの場を得られます。こうしてお互いを支え合う関係性を創ることができました。

このように生産者の想いやリスクを消費者が一緒に背負って支え、同時に地域と消費者自身の暮らしをより豊かにする仕組みを海外ではCSA(Community Supported Agriculture)と呼んでおり、日本が人口減少していく中で新たな地域活性化の指針になると思っています。

小原さんが目指すプロジェクトもまさにCSAだと思うのです。平出さんが培ってきた搾油の技術や価値を継承し、その油で地域の食文化や健康を支えてきた人たち、さらにこのプロジェクトで生まれた新たなコミュニティが未来を紡ぐ。キャッチコピーは「建てて応援、絞って応援、食べて応援」でしょうか?(笑) 私はそこに加えて原料のナタネを「育てて応援」したい。

豊かな食文化は美しい景観を創ります。耕作放棄されてしまった棚田に、このプロジェクトをきっかけに作付けされた菜種の黄色い花が広がっている。そんな風景を夢見てみたいと思います。

平出油屋のファンの声

なかしましほさん

焼菓子店

foodmood 


五十嵐 加奈子さん

食堂つきとおひさま

(喜多方市)

小田切 忠之さん

酒菜 天味

(会津若松市)

小西 郁さん

天然酵母のパンの店 

くぅべくぅべ

(会津若松市)

佐藤 雪乃さん

カフェ GOD BLESS YOU (ゴッドブレスユー)

(会津若松市)

渡辺 正樹さん

ワインとフランス家庭料理 ココット

(会津若松市) 

小川 美農里さん

農家民宿 Dana Village (ダーナビレッジ)

 (西会津町)

三澤 千可子さん

茶房 千

(喜多方市山都町)

朝倉 玲子さん

株式会社アサクラ

(会津若松市)

大屋 敏男さん

自然食&穀物菜食の宿

タンボ・ロッジ

 (南会津郡南会津町)

滝口 勝典さん

森の中のお野菜レストラン

クオーレ デルソル

 (栃木県那須塩原市)

西本  真理子さん

食堂カフェ  ハレの日

 (会津若松市)

矢口 一二三さん

会津のイタリアン・レストラン リストランテ・パパカルド

 (会津若松市)

山門 夢実さん

カフェ    Baku Table 

(バクテーブル)

  (会津若松市)

飯塚 友美さん

菜食cafe ametsuchi

(福島県磐梯町)

齋藤 真弓さん

空色カフェ

(喜多方市熱塩加納町)

峯岸 佑子さん

一般社団法人 福のもと


佐藤 悦子さん

ローフード&ヘルシーフード Vegemahi(ベジマヒ)  (会津若松市)

豊川 庸平さん

会津の伝統野菜と薬草 

リオリコ農園

(会津坂下町) 

宍戸 佑三子さん 

加藤 仁美さん 

佐藤 由佳さん

薮内 義久さん

食堂ヒトト

(福島市)

小泉真実さん

イタリア料理

Canova Azzurro

( カノヴァ アズーロ)

(いわき市)

堀内 梨沙さん

ベーグルとくらしの店

ホリウチおやつ

(新潟県三条市)

君成田 愛子さん

碧と緑

(鎌倉)

目黒 視美さん

パンとお食事 

こみと屋

(只見町) 


五十嵐 大輔さん

CAFE JIMAMA

(南会津町田島) 

江黒 由佳さん

米粉のおやつ

菓子工房Sucre

(シュクレ) 

(南会津町)


なかしましほさん

焼菓子店

foodmood

foodmoodという名前で焼菓子のお店をしています。

バターのお菓子が大好きだった私が、体調を崩したのをきっかけに、植物性の油を使ってお菓子を作れないかと試作を始めたのは、もう20年以上前、そのきっかけは平出さんの菜種油でした。

ごま油やオリーブ油以外で、油を「おいしい」と感じたのは平出さんの菜種がはじめてです。この油を使うとごはんもお菓子もびっくりするほどおいしくなるんです。それ以来長年foodmoodのお菓子の要として使い続けてきましたが、最後に分けていただいた油もあとわずか。

これからについてまだ答えを出せていなかったので、このクラウドファンディングのお話を聞き、ぜひ応援したいと思いました。

私はもちろんですが、私のまわりのお菓子やさんパン屋さん、コーヒー屋さんまで、あの菜種油の再開を待ち望んでいる人たちがたくさんいます。どうぞ小原さんおプロジェクトが成功しますように。

五十嵐 加奈子さん

ごはんとパンとおやつとみやげ

食堂つきとおひさま 店主

(喜多方市)

お店がopenしてから出会った平出油屋の菜種油と胡麻油。

揚げ油はカラッと揚がりしつこくなく、炒め物は油自体がコクと香りが抜群なので、シンプルに油と塩だけでおいしい!お菓子に使うと、膨らみもよく、しっとりとして優しい風味をまといます。何度か油の工場に見学をさせていただき、テマヒマを惜しまない平出さんの実直な人柄に触れ、油への愛と人への心ある姿が忘れられません。


2年ほど前、平出油屋が閉業することを知った私は、平出さんの話をみんなに聞いてもらいたいと「ありがとう平出油屋」というイベントを開催しました。ありがたいことに2日間で200人以上の方々が集まって、油のことに耳を傾けました。平出さんは嬉しそうに「大変だけど、やりがいのある油作りでした。」と語られました。平出さんの油のおかげで、たくさんの人達の食が支えられてきました。平出さんの油は、それを味わったみなさんの記憶に残り、その代わりはやっぱりありません。


そのイベントの時にも、小原さんは平出油屋の技を未来に繋ぐことを会場のみなさんに呼びかけました。ファンの一人一人が支え、輪になることで伝承する力となり得ます。平出さんの意志をつなぐ小原さんの油が、みなさんに受け入れられることを楽しみにして、その完成、成功を祈ります。

平出油屋の継承を皆様、応援してゆきましょう!またあの味に出会えますように。

小田切 忠之さん

酒菜 天味 店主

(会津若松市)

料理人として長年様々な油を料理に使ってきましたが、平出さんの菜種油は他の油に比べて香りがよく、色合いも上品な黄色で、天ぷらにしてもきれいな色に仕上がり油の旨味も加わります。それだけでなく、油の鮮度が落ちにくいので継ぎ足しながら繰り返し使っても、香りや色が長く持続します。香りがよく油臭さがないので、だし巻き卵などに使ってもおいしく仕上がります。

特に、オリーブオイルの代わりに平出さんの菜種油を使ったアヒージョを店で出していたのですが、大変好評で全部飲み干すお客様も結構いました。平出さんが閉業する前に仕入れた在庫もなくなって、大変困っています。試しに使ったある揚げ油(菜種油ではありません)は煙がもうもうと出て、1日でダメになるので毎日新しい油に入れ替える必要がありました。菜種油もいろいろ試していますが、納得のできるものに出会えていません。菜種油の作り方が違うだけでこんなにも違いがあるのかと改めて驚いています。このプロジェクトが成功して、またあの油が使える日を心待ちにしています。


小西 郁さん

天然酵母のパンの店 

くぅべくぅべ 店主

(会津若松市)

会津若松で小さなパン屋を営んでいます。東京に住んでいた二十数年前、国産オーガニック専門の自然食品店で、妻が平出さんの菜種油を見つけたのが、この素晴らしい油との出会いでした。妻の故郷の会津には、昔ながらの製法にこだわった油があることを初めて知ったのです。

その後私は脱サラし、数年のパン屋修行を経て会津でパン屋を始めることになりました。できるだけ自然な国産の材料を使い、かめばかむほど味の出る、生地の味にこだわったパンを作りたい。そんなコンセプトのもとに開業前から試作を繰り返し、平出さんの菜種油を練り込んだ食パンと全粒食パンの生地が出来ました。

絶妙な焙煎の加減により、美しい黄金色で香りのよい油は、パンに入れても決して主張しすぎず、かみしめた時にほのかに感じる油の味は、平出さんの油ならではのものです。トーストした時の何ともいえない香ばしさも特徴の一つです。以来十二年余り、この油が私たちの食パンにとってかけがえのないものとなっています。

この油がなくなってしまうと知ってから、他の油を試してみましたが、出来あがるパンは味、香りとも全く違うものになってしまいます。

小原さんの今回のプロジェクトが成功し、平出さんの油の技と素晴らしい味が後世に受け継がれることを願ってやみません。

佐藤 雪乃さん

カフェ GOD BLESS YOU (ゴッドブレスユー)店主 

(会津若松市)

2019年に城東町に小さなカフェを開きました。

うちの看板メニューはサンドイッチです。

くうべくうべさんの全粒粉の食パンでサンドイッチを作らせて頂いております。

とても美味しいパンです。

たっぷりのお野菜と相性がとても良いパンです。このパンのお陰でうちの美味しいサンドイッチをお客様に提供出来ているのだと感じております。

一つは平出さんの菜種油を使っているからだと思います。

どうしても平出さんの菜種油は必要かと思われます。


このプロジェクトを聞いた時「やった〜!」と心の中で叫びました。

是非成功させてください‼

応援致します‼

渡辺 正樹さん

ワインとフランス家庭料理 

ココット オーナーシェフ

(会津若松市)

平出さんの菜種油に出会えたのは数年前、飲食店仲間の紹介からでした。

その時点で既に一旦終了の声を聞き、残念だなと思いながらも購入させて頂きました。

当店はフランス料理がベースになっているので、基本的にオリーブオイルを使うのですが特徴的な味と香りの為、特に繊細な日本の食材に対して邪魔になってしまう事が多々ありました。


そんな時、平出菜種油を使わせて頂いたところ、素材の味や香り、コクが深まり大変感動したのを覚えております。

ドレッシングをはじめ、ラタトゥユの野菜を炒める時や野菜スープに数滴たらしたり、タプナードやバーニャカウダなど、個性的なソースや調味料を作る時は特に素材の持ち味が活かされ、いぶし銀のような優れたポテンシャルを発揮てしくれました。


再びこの菜種油が使える様になるのかと思うととても楽しみで、是非とも成功して頂きたいと思っております。

小川 美農里さん

農家民宿 

Dana Village (ダーナビレッジ) 代表

 (西会津町)

私達は動物性食材を一切使用しないヴィーガン料理・お菓子を作っているため、油の性質は味を大きく左右します。


平出油は揚げ物に使っても酸化しづらかったのですが、みんなが大好きだったのは「酒粕のクラッカー」。寺田本家さんのレシピに沿って作ります。平出油は主張しすぎず、子どもから大人まで大好きなおやつになりました!


また、パンやヴィーガンバターの材料にも使っていました。美しい黄金色の油ですがクセが強くなくお腹に重たくもなく重宝しておりました。このクラウドファンディングで油が復活するのを心待ちにしています!


三澤 千可子さん

茶房 千 あるじ 

(喜多方市山都町)

小原さんの平出油屋承継クラウドファンディングを応援します!


私は、小原さんと同時期に会津に移住し、蕎麦一筋にやってきました。14年前に蕎麦カフェを開き、蕎麦シフォンケーキを提供しています。平出油屋さんの菜種油、地元の平飼い卵(今は会津地鶏卵)、国産小麦粉、蕎麦茶、砂糖というシンプルな原材料で、お陰様で好評を得ています。


シフォンケーキの原材料を吟味していく中で小麦粉を国産に、卵は平飼いにと替えていった時、普通の油では物足りなさ、バランスの悪さが気になり「平出さんの菜種油は違う!」との小原さんの言葉で油を切り替えたところ、しっとり感・旨味が格段に良くなりバランスが整いました。今では無くてはならない物となりました。


平出油屋さんの廃業を耳にして、何の対策も頭に浮かばず、在庫を買いに走り回った事を覚えています。

地元の宝を失うのは、勿体ない!!今回、このクラウドファンディングの話を伺い、小原さんの心意気に感動しました。微力ながら、応援します。菜種も、我が家の耕作放棄地に栽培します。


頑張れ 小原さん。一緒に頑張りましょう!

蕎麦シフォンケーキ(平出の菜種油を使用)


朝倉 玲子さん

オリーブオイル・イタリア食材輸入販売

株式会社アサクラ 代表取締役社長

(会津若松市)

平出さんが菜種油を廃業されると聞いた時のことは今も覚えています。私は何度も平出さんの製油所に足を運び、全国のご愛用者や販売する方を見学にお勧めし、レトロな製油工場の趣や製造者・平出さんご自身に会っていただき会津の誇りと皆さんに自慢していました。


ところが、「廃業」と聞いた時のショックと言ったら、、、、

会津の誇りもですが、おいしい菜種油がもう手に入らないのかと思ったら本当に残念でなりませんでした。


しかし、しばらくすると小原さんが受け継がれると聞いたときの驚きは反作用でそれはそれは嬉しかったです。そしていまか、いまか、と待っていました!


小原さんの製法への理解や食品に対する考え方などあの製油所を継承できるのは小原さんしかいないのではないでしょうか。小原さんのお豆腐の味を一度でも食べたことがあれば、そして小原さんがお豆腐屋になったいきさつを知れば、想像できるはずです。


製油所の貴重な機械を受け継ぎ使い続けていただけることにも感動ですし、またあのおいしい菜種油が復活すると思うと胸躍ります。


日本の大事な製油法を継承してくれることにも感謝しかありません。小原さんに受け継いでいただけたらこんなに嬉しいことはありません。

是非この平出油の復活、日本の食文化の継承という意味でもこのプロジェクトは皆さんで応援しなければと強く思います。

大屋 敏男さん

自然食&穀物菜食の宿

タンボ・ロッジ 料理長 

 (南会津郡南会津町)

平出さんの油に出会ってからおおよそ25年。こんなに素晴らしい油は他にはありません。

タンボ・ロッジは「穀物菜食の宿」なので、食事に「動物性食品」は一切使いません。しかし、動物性食品を使った一般の料理に負けないように、おいしく料理を作るためには、平出さんの油が必要でした。どことなく「バター」のような風味と奥深い旨味を持っている植物油は、他では味わったことがありません。いままでタンボ・ロッジの料理やスイーツを支えてくれたといっても過言ではありません。そして、「酸化」にも強く、最後の一滴まで劣化せずに使える魅力も兼ね備えています。今まで何回か、搾油所の搾油風景を見せていただきましたが、その手作り感の素晴らしさ、そして職人技の技術など、目から鱗でした。

ところが数年前に、御存じの通り「廃業」され、ほとほと困り果てていましたが、今回その愛弟子ともいえる「豆腐屋おはら」の小原さんが、クラウドファンディングを立ち上げ、「平出油屋」さんを再興させようという試みにチャレンジされることになり、たいへん心強く思っています。是非ともこのクラウドファンディングを成功させ、実現していただきたいと切に願っています。そのためには協力を惜しまないつもりでいます。どうぞよろしくお願いいたします。

滝口 勝典さん

森の中のお野菜レストラン

クオーレ デルソル オーナーシェフ

 (栃木県那須塩原市)

会津の平出油屋さんが閉業するとお聞きした際に私は動揺しました。平出さんの搾る油は当に唯一無二の油です。一度使うとその虜になってしまうほどの魅力があります。多くの皆様も感じていらっしゃることと存じますが、平出さんの油は第一に酸化度が非常に低いということす。結果、濾過して何度も使える。そして味わい!クセもなく他の素材の邪魔をせず素材にそっと寄り添う感じがします。当店では揚げ物の他に主にスイーツに使用しておりますが、その相性は抜群です。また、家族も平出さんの油の大ファンで揚げ物の嫌いな義母も平出さんの油を使用するようになってからは大好物へと変わりました。


風の便りで小原さんが平出さんの意志を継ぐとお聞きした時は何があっても応援せねばと強く思ったことを覚えております。小原さんを心より尊敬し私どもも出来る限りの支援をしたいと考えます。小原さんのお豆腐には一丁に懸ける熱い思いが伝わるそんな味わいのあるお豆腐です。その小原さんが平出さんの技術を継承して未来へ繋ぐという困難が伴う事業に一歩を踏み出すということに対し、畏敬の念に打たれております。


この事業が無事に進み新たなる進化した油が出来上がることを心より切望しております。また会津の地でこの素晴らしいお豆腐も油もぜひ次世代へ継承していただきたいと切に願います。微力ながら応援しております。そしてこのプロジェクトが無事成功し小原さんが搾る油を心待ちにしております。

 西本  真理子さん

食堂カフェ  ハレの日 オーナー

 (会津若松市) 

平出油屋さんの菜種油を知ったのは大好きな料理家さんのレシピ本でした。どこで買えるのだろうと検索すると、とっても近くで作っていることに驚愕でした。それからお店のお菓子作りやパン作りは平出油屋さんの菜種油。先ずはただただ美味しい。そして、本当に安心・安全で食べられるのが気に入っていました。


小原さんのお話を聞いて、平出油屋さんの菜種油がとても手間をかけ丁寧に作られていたことを知りました。ずっと続いてきていた技術がなくなることは大変悲しく、惜しむ声は山ほどあったと思います。


しかし自ら繋いでいこうとする声をあげることは簡単ではなく、実行し、クラウドファンディングまでやってみようとする小原さんの挑戦に感動しました。応援しかできませんが、小原さんの挑戦はみんなの希望です。


菜種油、また使える日がくることを楽しみにしています。

矢口 一二三さん

会津のイタリアン・レストラン

リストランテ・パパカルド

オーナー  シェフ 

(会津若松市)

平出さんの菜種油は、まだ使用したことがなかったのですが、 自宅用としてごま油を数年前から 使わせていただいております。 


他のごま油と違い、柔らかいごまの風味が特徴で主張しすぎず素材の良さを引き立ててくれます。 和え物や卵料理・炒め物等、 特に小原さんのもめん豆腐で作る麻婆豆腐によく合います。 


イタリアレストランということもありオリーブオイルが主になっておりますが、 小原さんのプロジェ クトが成功することを願い、 菜種油を使用したレシピもこれから考案し、 是非レストランでも使ってみたいと思います。 

また、ごま油も使用できる日を楽しみにしております。

山門 夢実さん

カフェ       

Baku Table (バクテーブル)

料理人 

(会津若松市)

平出さんが閉業されてしばらく経ちますが、戸惑いの声を何度聞いたことか。


代わりになるなたね油を探し回りましたが、同等に使えるものは見当たらず。(価格も含めて)平出油難民は続出中です!


揚げ物のあの香ばしい香りと旨み、食べた後は、もたれることもなくたくさん食べても後悔しません。驚くべきことは、「油は育つ」ということを体感した油も平出さんの油が初めてだったと思います。


「揚油を使った後も捨てずに1割足してあげると良いよ。」と平出さんに教えてもらいました。もうもう、油は汚れるものと思っていたから目から鱗でした。それだけの濃厚な力が油にあったのです。


油搾りの現場も見学させていただきましたが、まるで伝統工芸品を拵えることのように平出さんは長年使い続けてきた搾り機を扱い、油を絞ります。ボタンひとつでその機械が油を絞ってくれるわけではないのです。人間の感覚と共に産み出されていたことに唖然。


残すべきものとは?を考えた時に真っ先にこのなたね油が浮かびます。自分ができることは、小原さんの背中を押すことです。小原さんの絶品お豆腐をコツコツと研究されてきた時のように間違いなく美味しい油がまた生まれるでしょう。楽しみで仕方ないです!

是非、応援させてください。

飯塚 友美さん

菜食cafe ametsuchi 店主

(福島県磐梯町) 

平出さんの油がなくなってしまう。。。このことで,ショックを受ける方や困ってしまう方々が、日本中、本当にたくさんいたと思います。私もそのうちの一人です。


お店では、卵、乳製品など動物性の食材を使わない(vegan)焼き菓子や料理を提供しています。veganのお菓子作りには、平出さんの油は、深みと満足感を出すのに欠かせないものでした。他の油を使うと、全く違うものになってしまいます。


私は北海道で生まれ育ち、福島には結婚を機に移住してきました。北海道にいた時から、平出さんの油を使っていましたが、会津若松で作っている、とまでは意識しておらず、気づいたのは福島県に引っ越してからでした。今は、福島だけではなく日本にとっても、この技術の継承と想いで繋がっていく温かい人間関係は、未来を支えていくことになる思います。


小原さんの受け継いでいく覚悟は、相当なものだと思います、まずは、クラウドファンディングという形で応援をします、そしてまた平出さんの油を使える日を待っています!!

齋藤 真弓さん

空色カフェ 店主

(喜多方市熱塩加納町) 

平出さんの菜種油はとても好きで、一斗缶で買っては、お菓子の製造や調理に使っていました。一般的な国産の菜種油も気になっては購入していたのですが、独特の香りが苦手で、買っては失敗した・・・と繰り返していました。


平出さんの菜種油は、マイルドで使いやすいのに、コクと風味がよく、品質がとてもよいのに、割安に感じていました。お取り寄せしなくても、いつもの買い物圏内で購入できるのも魅力でした。直接、ご主人とお話をしながら購入できるので、その美味しさと質のよさの秘密をもっと知りたくなって、一度、見学と勉強会を開かせていただきました。職人としてのこだわりと技術が、そのまま油に反映されているのがよくわかり、さらに愛着が出たのを覚えています。


そして、その平出さんの菜種油を使って作られた、おはらさんの厚揚げがまた好きで、何よりのご馳走と思っていました。質の良い油を使っているから、油抜きなんていらないどころか、そのまま本当に美味しい。県外の友人たちにもいつもおススメしていました。

平出さんの技術の継承、油の復活をとても心待ちにしています。

峯岸 佑子さん

一般社団法人 福のもと 代表

平井油屋さんの菜種油大好きでした。日本の食文化、文化遺産です、なくしちゃいけない。20代までは油のことなんて気にしていなく、安くて量がたくさん入っているものばかり使っていました。でも、日々のなんとなくの不調がきっかけで食について考えるようになり、まずは体が喜ぶもの、それ自体にエネルギーがあるものを摂ろうと、毎日使うものから見直していきました。特に油はほぼ毎日使います。少しでも良いものを使いたいけど高額なものは続かないし、、油ってピンからキリまで、、しかしなんと、地元会津に昔からの伝統製法で作っている油があったんです。


美味しくかつ身体も喜びそしてお財布にも優しい。めちゃくちゃ手間がかかっているはずなのに。平出さんの心が現れているんでしょうね。 こんな油が身近にあったなんて感謝でした。私は油がなくなると、お店に空ビンを持っていき、搾りたてを詰めてもらってました(なんて贅沢)。そんな直接コミュニケーションしながら作り手さんから買うことができる。そんな風景も素敵ですよね。自分自身の健康はもちろん、子どもにも本物の味を体内にインプットしておいてほしいと日々この油で料理をしていました。そうそう、この菜種油で揚げると胃もたれや胸やけしないんです(個人談)うちの子は、えー!!というくらい天ぷらなどバクバク食べてもお腹痛くなったことない。揚げ物を食べた後の重さがないんです。そんな菜種油が、、平出油屋さんが閉業すると聞いたときはショック、、そして今だに油難民、、


そんな時これまた高郷町でとっても美味しいお豆腐を作っている小原さんが、菜種油を復活させると聞いて希望の光が!!お豆腐屋をやりながら菜種油の復活なんて、本当に強い意志、熱い思い、エネルギーがある人じゃないと行動に移せないと思います!!日本の素晴らしい食文化を残していくためには、この菜種油復活プロジェクトをみんなで叶えていかなきゃいけないと思います。

美味しい油で食卓を豊かに元気に。早く美味しい油が食べたーい!!

佐藤 悦子さん

ローフード&ヘルシーフード

Vegemahi(ベジマヒ) 

 (会津若松市)

子育てするのに地元会津に移住

元々、飲食店経験が長く

食べる事、作る事が大好きでした。


地元で安心安全な物を食べてもらいたいと思っていたら知人より平出油屋を教えてもらいました。


即!購入!

即!感動!した事を覚えてます。


閉業の話しを聞いた時はとてもショックでした。


これから、小原さんのプロジェクトにて平出油屋が復活すると聞き、ワクワクしております!

あの味がまた、食べられる!お店で使える日を楽しみにしてます。

豊川 庸平さん 

会津の伝統野菜と薬草 

リオリコ農 代表

(会津坂下町)  

会津盆地の真ん中あたりで会津伝統野菜を中心とした在来野菜や薬草を、会津の酒粕等を使った土つくりで農薬化学肥料除草剤不使用栽培しています。 


「届けたいのは地の味と力 会津テロワール」をモットーに、歴史や思いがぎゅっと詰まった在来野菜の種を継いでいます。(一部品種を除く) 


力強く個性あふれる会津伝統野菜は地域の昔ながらの調理法「けんちん炒め」でいただくのがとても美味しいです。 


平出油屋さんの菜種油のエグミのないしっかりしたお味は、会津伝統野菜と非常に相性が良く我が家の食卓には欠かせないものでした。不定期に行っているカフェイベント等でも使用させていただいて居りました。 


閉店のお知らせにとてもショックを受けておりましたが、是非どうか小原さんが受け継いでいけますように、そして又次の世代に継承されますように、微力ながら応援します! 

いつか、私達も菜種栽培したいです!

食堂ヒトト

料理担当 宍戸 佑三子さん

お菓子担当  

加藤 仁美さん 佐藤 由佳さん

オーナー 薮内 義久さん

(福島市)

2016年のオープン以来、平出さんの菜種油を使わせていただいておりました。

主に揚げ物で使っていましたが、揚げあがりが本当に軽いのに、旨味が出ていて、シンプルな食材のよさがより引き立つのが本当にすごいなと思っています。また、揚げ物が苦手だったスタッフは、平出さんの油に出会って、揚げ物って美味しいんだなと感じたそうです。


少し弱ってきたら新しい油を継ぎ足せばまたもとどおりに復活するのが、本当に衝撃でした。今まで、油は2.3回揚げ物をしたら捨てるものと思っていましたが、その常識を打ち砕く平出さんの菜種油。平出さんの油じゃないと、なかなかそうはいきません。


またいつか、平出さんの油が使える日が来そうだということで、お店のみんなもとてもわくわくしています。ただただ応援することしかできませんが、プロジェクトの成功を祈っています。


平出さんの伝統技術と美味しさを、福島の方にももっと知ってほしい。そして、こんなにもおいしいものが作られているという事を誇りに思える方が増えたらいいなと思います。

小泉真実さん

いわきのあおい酒場。はたまた、ぽっけにワイン旅する料理屋。

Canova Azzurro

(イタリア料理 カノヴァ アズーロ) 店主

(いわき市) 

いわき市の料理屋

Canova Azzurro(カノヴァアズーロ)と申します。

2003年より、地物で拵えた料理の酒場を営んでおります。

平出さんの菜種油に出逢ったときの筆舌にし難く。喜多方市食堂つきとあおひさま、加奈子さんのひとさらでトリコになりました。


それ以来、炊く炒める揚げる、そしてソースに菓子に。主役もバイプレーヤーとしても、頼りになる心つよき存在。


平出さんの菜種油と胡麻油は、なんとも深い余韻。奥行きのある旨み。厚みある立体的な骨格。

失礼ながら、はじめて真っ当なエクストラオリーブオイルとの邂逅のようでした。異なるのはオリーブオイルは生の果汁。平出の油のジューシーさは、圧搾の技術さることながら、食材のそれとおはなししているのだと、わたしは思うのです。


今回、微力ながらお力添えできましたらと存じます。

丹精に鍛錬されたひかりの結晶を、これからもと望むばかり。

堀内 梨沙さん

ベーグルとくらしの店

ホリウチおやつ 店主 

(新潟県三条市

新潟県三条市で小さな店をしています。


平出油屋さんの菜種油のおかげで出来た、お菓子やパンや料理などの美味しいものがたくさんたくさんあります。「ありがとう平出油屋」のイベントで平出さんのお話を聞いた時、感動と美味しさにすごく納得しました。お菓子に使うとサラッとしているのにしっかりとしたコクを持つものになります。


この油がなくならずに、これからも使えたらこんなにうれしいことはないですし、たくさんの人にも知っていただきたいです。


小原さんの試み、私も応援させて下さい!

成功を心より願っています!!

君成田 愛子さん

碧と緑 野菜料理人

(鎌倉)

〝平出油屋さん〟

そう聞いたのは喜多方にある「食堂つきとおひさま」の開店から7年目のお祝い会にて出張野菜料理人として料理をした時節からだったでしょうか。

当時初めて平出さんの油を使わせていただき「身体が心地良い!」と思い以来使わせていただいています。


野菜は一部の子達を除いて油を持ち合わせていません。食物は分解する時には油を合わせて身体に吸収します。油は重要な手助けをしてくれて野菜本来の味、苦味、、良さを引き出し野菜そのものの美味しさ、見たことのない表情を魅せてくれる。又、じっくりと抽出された平井出さんの油は継ぎ足すことによりその力を増してくれる。奇跡の出会いでした。以来私の身体成分は平出さんの油に支えていただいていると言っても過言ではありません。 


この油がこれからも小原さんの身体の原動力となり、その力が平出さんの油が続いていくこと、、を願ってやみません。末長く愛される一滴を。。

目黒 視美さん

パンとお食事 

こみと屋 店主

(只見町)

油屋さんがイメージしてる味になる、油屋さんがどういう油にしたいかで、焙煎の仕方を変えてる。例えば市販のゴマ油は殆ど焦げの味なんだよね、みたいな話が印象に残っています。


平出油屋さんの油は、パンにいれても料理につかっても、本当に美味しくて。本当に最高でした。

圧搾玉締め製法の油が、また繋がれていく未来は、とても素敵な未来だと思います。


その時は、またその油で、パンや、料理ができたら本当に嬉しいです!

五十嵐 大輔さん 

CAFE JIMAMA 店主

(南会津町田島)

当店看板メニューのチキンカレーを作り始める時に真っ先に思い浮かんだのが平出油屋さんの菜種油でした。

無水調理のチキンカレーはたっぷりの油を使うので、質の良い油を使って作りたいと思っていました。

平出さんの菜種油は風味が良く、素材やスパイスともよく馴染んでくれるので、カレーの開発から10年間使い続けてきたお気に入りの油でした。

廃業の知らせを聞いた時はこの菜種油の風味を感じる味わいのカレーはもう2度と作れなくなってしまうのかと思い、今後どうするか悩んだ事もありました。

今回のクラウドファンディングで平出さんの油が復活してくれたらこんなに嬉しい事はありません。

応援しております。

江黒 由佳さん

米粉のおやつ

菓子工房Sucre

(シュクレ) 

(南会津町)

南会津町で小さなお菓子工房を営んでいます。

店舗のない自宅工房なので長女が1歳の時にオープンしましたが、娘は生後6ヶ月頃には小麦や卵、乳製品にアレルギーがあり、食材について深く考えるようになっていました。


それまで気にしていなかった事、一般的な油は溶剤で抽出しているなど素材がどうやって作られているのかを知り、昔ながらの製法で作られたものがどんなに大切かを知りました。


そして調べると身近(会津若松市)に溶剤不使用、玉締めの圧搾で絞っている平出油屋さんがある事が分かり迷わず買いにいきました。

当時は他の圧搾絞りと比べた事はなかったのですが、香りも味も良くそれからと言うもの菜種油🟰平出油屋さんと決めて数年間ずっと使わせて頂いており、絞りを見学させて頂いたこともあります。

平出さんは絞りの後も重視していて、油を濾すのも和紙なんです。完成するまで全ての工程について余計な事は一切せず、シンプルに一つ一つ時間をかけて作り上げていました。

見学させて頂いた時の動画は今も大切に残しています。


元々マルチアレルギー持ちの息子の為に開発したものの、今やSucreの定番商品になった28品目フリーシリーズのお菓子作りには菜種油が欠かせません。

平出油屋さんが数年前に廃業してしまったので今は他県から他の圧搾の菜種油を取り寄せて使っています。いくつか使っていく中で平出さんのあの油は製法が安心なだけではなく色も香りもとても良く、替が効かない油だと廃業されてから思い知らされました。(この数年の間、圧搾菜種油を何ヶ所か試したが、あの味にはなりません。)


だからこそ、この復活のお話しを聞いた時は本当に嬉しかったですし、微力にもならないかと思いますが、可能な限り応援させて頂きたいです!!

復活、楽しみにお待ちしてます!!

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