我が青春  昭和40年代の思い出

植草   (昭和45年卒)


   私が中学3年生(長生中)の時、2つ年上のK先輩(クラリネット)、K先輩(パーカッション)がクラブ活動の時間(ブラスの時間)に良く来て指導してくれました。その時、小生はブラスの部長をしていたこともあって、長生高校の文化祭には、部員の有志(10数名ほど)と自転車でブラスの演奏会に出かけました。記憶に残っている曲は、ラッパ吹きの休日(S先輩かっこよかった!)、フィンランディアです。音色、迫力、テクニックともに圧倒され、そのころから、長生高校への進学・ブラスバンド部への入部を決意しました。

  さて、長高入学1年の時の思い出は、特にすばらしい3年生の方々です。美人の女性軍団とパワーのある男性軍団、S部長を始めすばらしいチームワークで頼もしい先輩でした。

  最初に、「歓迎ハイキング」で迎えてくれました。行き先は、太東岬の方面であったと記憶しています。楽しい思い出の歓迎ハイクとなっています。また、校内では「ソフトボール大会」をよく催してくれました。「よく遊びよく学べ!」を実践で教えてくれました。

  定期演奏会(第2回)は、校内の体育館(当時は千葉県1位を誇る大きさ)でした。記憶に残る曲は、「ウィーンの森の物語」(K先輩のクラリネットソロ - 音色にしびれました!)そして「闘牛士のマンボ」(同期のI氏(我らの部長)は、入部間もない頃から才覚を発揮、アルトサックスのソロをやってのけました。ブラボーの連発です。)また、夏の高校野球大会には、たしかベスト8位をかけての習志野高校との対戦(ブラバン応援)

このとき惜しくもコールド負け!でした。だって強豪の習志野高校との対戦でした。習志野高校はそのまま全国制覇してしまいました。誰もが記録に残る快挙でした。「野球にはコールド負けはあるけれど、人生にはコールド負けはない!」と自分を慰めたものです。

  夏の合宿は、校内の梨館でした。私たちの代には前に柔道部の事故があった関係から、校外での合宿が禁止となってしまったわけです。

  先輩たちからは前々から「御宿合宿」の思い出(とっても楽しかったそうです。)を良く聞かされておりました。合宿の打ち上げに催される地元演奏会、町の皆さんや海水浴客も大勢会場(小学校)に聞きに来てくれたこと、演奏会の打ち上げには、ダンスパーティまであったことなど伝え聞いていてうらやましいの一言でした。

  そして「秋の体育祭」。(これを最後に3年生は退く)には、3年生の先輩連が、オリジナルのモール(色鮮やかですばらしかったです。)を手作りで作ってくれました。それを全員肩にかけての行進、すばらしい行進でひときわ拍手が大きかったことを記憶しています。

  このように長生高校の伝統である「和して同ぜず!オリジナリティあふれるチャレンジ精神!」、この精神は、今でも先輩たちから教えて頂いたものと感謝しております。

  さて、私たちが3年生になってからの思い出は、まず校舎(教室のみ)が6月(S44 年)に完成し、ペンキの臭いのする新校舎に入りました。このころは3年生が3階で一番高いところから外を見回していました。また、の南総音楽祭は長狭高校でした。そのころ長狭高校では吹奏楽部が無く、私たちの第4回定期徹奏会のテープを寄贈した記憶があります。

  私どもの3年生の時の定期演奏会は、音楽部が3つ(吹奏楽部・マンドリン部・コーラス部)に分かれてから第4回となり、場所を体育館から茂原市民会館(初めて)に移してやること(音等を考慮して)となりました。練習も、朝練(早朝習)、昼練(昼食時練習)、夜練(クラブ活動から夜まで)とよく練習したものです。(これも先輩方からの数えで、演奏テクニックが、1日練習を休むと2日後退するとか?)しかし、夜遅くまで練習をやっていたら定時制の先生から大目玉!!始末書(名前と指印)を書かされる羽目になってしまったことも懐かしい記憶として残っています。

  先輩から受け継いだ定期演奏会、特に、初めての茂原市民会館での演奏会企画、部員はもとよりマンドリン部及びコーラス部の皆さんが照明や受付等一致団結して協力してくれました。これも長生高校のよき伝統です。

  さらに、1学期の終わり頃には、双葉電子(株)からの依頼で「社歌と茂原七夕祭り」のレコーディング(かっこいい!)をしたことも記憶に残っております。

  振り返ってみるとプラスバンド部員であった頃の私(中学・高校)は、音楽と言えば、吹奏楽オンリーでした。そして大学を卒業し、人生を少し積み重ねた頃には、どんな音楽(交醬曲だろうが、ラテンだろうが、またまた邦楽だろうが…何でもすばらしい音楽はすばらしい!)でも楽しく聞けるようになりました。

  今、小生が思っていることは、「音楽は、世界の共通語。」民族が違っても、宗数が違っても、言葉が通じなくても、音楽は常に感動し合えるし通じ合えると思います。このことで、この地球から戦争や紛争が絶対に無くなるものと信じています。(難しいことですが!!)また、音楽は、趣味の一つとしてもっていれば、人生も楽しくなります。楽器を吹いて合奏しているときにだけに味わえる先輩、同期、後輩等々と一緒に演奏できた喜び、感動はお金で買うことの出来ないすばらしい青春の思い出の1ページです。

  現在、小生は「現代尺八」を吹いています。たまに仲間とデイサービスや老人ホーム等に出かけて行き演奏会(ボランティア)を催します。

  出来るだけ多くのお年寄りの方々に生きる勇気や情熱、パワーをあげよう!と思い演奏会を企画し実施していますが、結末は、いつも反対にパワーをいただいてきます。(ぐんでしまいます。情けない!)

  ともあれ、長生高校のプラスバンドを通じて先輩達と会えた喜び、感動の喜び、先輩に教えて頂いた数々の教訓、青春時代にあれだけ燃えた数々の練習、本当にありがとうございました。

  今、私の人生の原点は、オーバーかもしれませんが、長生高校のブラスバンドにあります。

  最後に、長生高校のブラスバンド部の更なる発展と永遠なることを念じ、現役にエールを贈りつつ諸先輩方に感謝を込め、我が青春、昭和40年代の思い出とします。



※平成20年発行「長生高校吹奏楽部の歩み」の寄稿文を一部再編集して掲載しております。