現役生活を振り返って
中島 友紀子(旧姓:古山)(平成14年卒)
信じられない。高校球児があんなに年下になってしまったなんて。やったぁ授業が休める!と思いながら、球場のスタンドでタコ焼き器なんか叩いていたこと、まだはっきり覚えているのに。あれからそんなに年月が過ぎてしまったの…?と、毎年、夏になると思う。
今年は仕事と子育ての面で余裕ができたので、OB合同に参加することにした。そういえば第1回OB合同は私が現役の時だった。本番のステージ、先輩方との迫力ある音の渦の中で味わった高揚感を、今でもよく覚えている。そのOB合同が24回だなんて…、と、また自分の年齢を振り返りつつ長高へ向かうと、私よりずっとずっと上のレジェンドOBの方もいらっしゃるではないか。冷房の無い中で練習していて大丈夫ですか。私は汗だくで、農家のおばちゃんみたいに首にタオル巻いていますが。隣には制服で涼しい顔の現役生。そういえば私も現役のときは、真夏に外でマーチングをやっていて平気だったなぁ。
部員数も部室の場所も、私が現役だった頃とずいぶん違っていたが、他愛のない会話で盛り上がる子たちを見て、そんな高校生活の些細なできごとが楽しかったのだと、しみじみ思い出した。今日は誰が補習で部活に遅れるとか、休日練習のお昼ごはんにコンビニで買ったあれがおいしかったとか、部日誌に書いたくだらない笑い話…。同期の男の子(もうおじさんだが思い出の中では男の子)は、元気にしていると噂で聞いたり、今どこで何をしているか分からなかったりもするが、女の子(心は永遠に女の子)たちは、今も変わらず友達だ。最近では当時の顧問、藤平先生も交えて、思い出話に花を咲かせながら食事をした。
私が長高吹奏楽部で得たものは、音楽の経験だけでなく、仲間であったと思う。高校時代を思い出したとき、楽しかったなぁと思えるのは、仲間との日々があったからこそ。私は中学時代も吹奏楽部だったが、新しい顧問の先生と部員たちの関係が上手くいかなかった。私はアンコンの成績が良くなかったため、「この大先生がこの学校に来てやったのに、なんだこのざまは!」と先生に怒鳴られた。部長だった私は、部員同士で、また私と先生とで何度も話し合ったが、私と部員たちとの間もだんだん気まずくなってきて、途中でやめてしまった。今思い出しても、辛い気持ちになる。長高吹奏楽部に入らず、あのままだったら、吹奏楽も嫌になって違う人生を歩んでいただろう。
現在は仕事で、小学生が音楽を楽しいと思えるよう奮闘している。長高吹奏楽部のおかげで、今の私がある。長高吹奏楽部を支え続けてくださったOBの方々、私と共に過ごしてくれた先輩、同級生、後輩、そして先生方に感謝するとともに、願う…今の現役の子たちも、仲間と共に楽しい日々を送れますように!
令和6年4月発行 OB会報第31号に掲載