吹奏楽部とともに
藤平 近義(昭和51年卒)
私が長生高校に入学したのは昭和48年。その当時は、この地域での吹奏楽が今のように盛んでなく、音楽系の部活動が充実している学校も少なかったので、ただただ音楽が好きだった私は迷わず長高に来てしまいました。中学時代に定期演奏会をみたことがきっかけで、ぜひ長生高校で吹奏楽をやりたいと思っていました。そのころは吹奏楽部よりもマンドリン部の方が部員数が多く、横目でうらやましく思いながらもあこがれの吹奏楽部に入部し、勉強そっちのけで練習に励みました。楽器は中学時代にクラリネットとフルートを少しだけやっていたことがあり、高校でもフルートを希望したところ、すんなりパートの希望を通してもらえました。しかしほとんど初心者同然だったので、「音楽祭のプレリュード」や「木星」、そしてメインの交響詩「前奏曲」など、定期演奏会の曲の楽譜をいきなり渡されて初見で練習に参加しても、何もできずにただ見ていた記憶があります。
我々の学年は途中で退部した同級生が多く、最終的に3年の定期演奏会に残ったのは4人だけという、人数的にとてもつらかった時期でした。その代わりにというのも変ですが後輩の皆さんは先輩に頼れないという思いからか、みな大変上手になり、その後のCBCを盛り上げてくれたようです。はからずも反面教師となってしまったようですが、結果的にそれで良かったのかも知れないと、今は自分で自分を慰めています。ちなみに我々が2年生のときに出場したコンクールでは、17~18校出場した中で、13位くらいだった(はっきりとは覚えていません)のですが、翌年は3位(4位?いいかげんですみません)で、あと一歩で関東大会という成績だったようです。あらためて「自分達はヘタだったなあ、それにひきかえ後輩達はなんてウマいんだろう」と思ったものでした。
それから時は過ぎ、まさか自分が教員として母校に来る日がやってくるとは思ってもいませんでした。先輩の秦先生、長谷川先生とともに、OB3名が願間になったというのは吹奏楽部始まって以来のことではないかと思います。先輩方にはいろいろな面で支えていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。特に秦先生には定期演奏会での音楽劇の練習でご指導していただき、本当に楽しい定演をつくることができました。生徒にとってもいい思い出になったのではないかと思います。
とは言っても、CBCは昔と変わらず生徒の自主的な活動が主になっています。私もぜひその良き伝統は残していきたいと思い、活動のほとんどの部分は生徒に任せ、顧問としてたいしたこともせずに今まできてしまいました。もちろん今の時代、願問が先陣をきってやってあげなければならないことも多いのですが、顧問がやってしまえば簡単に済むことでも、あえて生徒にやらせたこともあります。自分が高校の時、練習を見てくれる顧問がいてくれたらなあ、と思ったこともありましたが、そうしてなんでも自分たちでやってきたことが誇りでもあり、また自信にもつながったと思います。これから先も長高吹奏楽部は、卒業してからこの部活にいたことを誇りに思えるような、そんな部活であり続けて欲しいと願っています。