以前,高い歪(ひずみ)を有するカゴ状化合物の単結晶X線解析において,「異常に長い単結合」に遭遇した話を紹介した.すなわち,下図に示す光付加化合物1における1.657Åの単結合である.化合物2でも同様な結合の伸長が観測された.問題の結合は四員環(シクロブタン)の1辺であり,カゴ状のため歪が大きく,隣接したフェニル基同志の反発も大きい化合物である.当時,北海道大学の大澤映二氏の目に止まり,共同研究でアリンジャー分子力場法 (MM) や半経験的分子軌道法 (MNDO) による再現計算を行った思い出深い化合物である.当時は,現在パソコン上で実行できる力場計算 (MM2, MMPI) や半経験的分子軌道計算 (MINDO/3, MNDO) 等の分子計算は,旧制大学に設置された大学共同利用大型計算機センターの汎用計算機で実行しなければならなかった.
その後,立体反発の大きい環化付加化合物や束縛回転を有する化合物の結晶解析を数多く実施したが,最長は1.600Åで,それを超えるような結合伸長を有する化合物にお目にかかることはなかった.しかし.C-C 結合とは異なるが,pyrazolone N,N-dioxide (3 ) において,1.650Åの N-N 結合の存在を見出した.本化合物には嵩高い置換基のよる大きな立体反発や環歪は存在しない.C-C 結合のように標準値といえる比較データが少ないため,結合伸長の原因は反芳香族性(共役安定化のない)によるものと解釈した.間違っていたら誰か反論してくれると思っているが,今のところそのような指摘はない.
そのようなわけで,大学を退職した後も,長い結合についての情報には気をつけているが,CASオンライン等による検索ができないため,専らWeb情報をチェックし続けている.情報の取得がかなり遅くなるが,やむを得ない.
最近の事例としては,化合物4において1.771Åという記録的な長いC-C単結合が報告された.奇しくもこれも北大の研究である.研究代表者である鈴木教授は科研費の報告書で「世界記録に挑戦する化合物:最長の炭素-炭素結合と超原子価」と書いている.
学会の資料を見ると,現在は分子軌道計算による結合伸長の機構解析が進んでいるようである.結論として,密度汎関数法が結合伸長を再現している.
さっそく,この程度の化合物が家庭用のパソコンで計算できるか試してみた.まず,半経験的分子軌道計算PM7では,1.689Åであった.次いで,PM7の座標を用いて,DFT計算(B3LYP/6−31G*) を行ってみた.12時間を要したが,問題の結合は1.787Åであった(CPUはCore i7 2600,GAMESSのPC版である Fireflyを用い,4CPUの並列処理計算を実施).
以下に代表的な結合伸長を有すると言われている化合物を示した.基本骨格としてはエタンのすべての水素原子が嵩高い置換基で置換された化合物群である.炭素ー炭素単結合がシクロブタンのようなひずみを有する結合の場合,結合伸長が増幅される.ギネス記録として認定するにはX線解析の信頼性を検証する必要であると指摘する専門家もいる.その指摘を肯定する研究結果が最近報告された.次稿で紹介したい.
Diels-Alder付加体の例,Z=CO2Me
資料
Substituent Effect in [2σ+2σ+2σ] Thermal Decarbonylation of cage Ketones. Remarkably Effective Elongation of Strained C-C Bond by Through-Bond Coupling, K. Harano, T. Ban, M. Yasuda, E. Osawa and K. Kanematsu, (1981 ・ J. Am. Chem. Soc. ・ 103(9) ・ (2310-2317))
The Role of Through-bond Interaction in Thermal Behavior of Cage Molecules, Y. Okamoto, K. Harano, M. Yasuda, E. Osawa and K. Kanematsu, (1983 ・ Chem. Pharm. Bull. ・ 31(7) ・ (2526-2529))
Enhanced Endo Selectivity in 1,3-Dipolar Cycloaddition of Pyrazolone N,N Dioxides with Dipolarophiles having Etherand Carbonyl Groups. Role of the Remarkably Long N-N bond , Y. Yoshitake, M. Eto and K. Harano, Tetrahedron Lett., 1998, 39, 2761-2764.
Hexaphenylethanes with an Ultralong C-C Bond: Expandability of the C-C Bond in Highly Strained Tetraarylpyracenes (Highlight Review) ,Takashi Takeda, Yasuto Uchimura, Hidetoshi Kawai, Ryo Katoono, Kenshu Fujiwara, and Takanori Suzuki,Chem. Lett. 2013, 42, 954-962.
科学研究費助成事業(科学研究費補助金)研究成果報告書 平成 24 年 5 月 21 日現在,研究代表者 鈴木 孝紀(SUZUKI TAKANORI) 北海道大学・大学院理学研究院・教授 研究者番号:70202132