DNA損傷応答はゲノムの安定性維持に不可欠であり、ATR、ATM、DNA-PKがその中心的役割を担います。ATRはDNA複製ストレスに応答し、ATMとDNA-PKは二本鎖切断(DSB)に応答して細胞周期の制御やDSB修復を担います。当研究室では、一過性のゲノムストレス応答を解析するin vitroアッセイを開発し(PMID: 21870292 )、DSB直後の平滑末端ではATMが活性化し、その後、末端再構成によって一本鎖DNA(ssDNA)が露出するとATRが活性化する「ATMからATRへのスイッチ」機構を解明しました(PMID: 19285939) 。さらに、ATRがssDNA上で活性化される複数の仕組みを明らかにし(PMID: 23684611)、その活性化には「Thr1989」部位の自己リン酸化が必要であることを示しました(PMID: 21777809 )。現在、本研究で解明した活性化機構を基に、ATRによってリン酸化される機能未知の基質を同定し、その機能解析を進めています。これにより、ATRが一過性ストレス応答を通じてゲノム安定性を維持し、がん抑制にどのように関与するのかを明らかにすることを目指しています。
ゲノム不安定性は、ほぼすべての固形がんに共通する特徴であり、腫瘍進行の初期段階で発生します。当研究室では、がん遺伝子による慢性的なDNA複製ストレスがゲノム不安定性を引き起こす仕組みに注目し、解析を行っています。がん遺伝子KRASの活性化はクロマチンの圧縮を引き起こし、DNA複製ストレスを誘発します。このストレスにより多くの細胞は死滅しますが、一部の細胞はATRの発現を亢進させ、PrimPolによる再プライミングを介してDNA複製を再開することで、DNA複製ストレス耐性を獲得することを明らかにしました(PMID: 37591859 )。その結果、ゲノム異常を蓄積しながら細胞がクローン増殖することが可能になります(PMID: 39456601 )。さらに、DNA複製ストレス耐性機構が複数の階層的メカニズムによって維持・制御される仕組みを解明し、これを標的とする新たながん治療の可能性を探求しています。
新規DNA複製ストレス耐性制御因子
DNA複製ストレスは細胞の生存を脅かす要因ですが、細胞は複製フォークの停止(巻き戻し)などの耐性機構を備えています。複製フォークは障害物に直面すると一時的に巻き戻され、修復や特殊なポリメラーゼによる再開の準備が整えられます。当研究室では、DNA複製ストレス下における網羅的リン酸化解析を通じて、複製の停止(巻き戻し)に関与する新規リン酸化因子を同定しました。この因子は、KRAS発現やDNA損傷誘導性薬剤による複製ストレス下で不可欠であり、さらに、がん細胞のみならず正常細胞においても、通常のDNA複製過程で複製フォークの停止(巻き戻し)が常時生じている可能性を見出しました。
我々は、多数のリン酸化因子を同定しており、その機能解析を進めることで、DNA複製ストレス耐性ががん細胞の可塑性や細胞の進化・多様性獲得にどのように関与するかを明らかにすることを目指しています。
薬剤耐性をもたらすDNA複製ストレス耐性機構
EGFR変異肺腺がん患者は、第3世代EGFRチロシンキナーゼ阻害薬オシメルチニブにより大きな治療効果を得られます。しかし、すべての患者が最終的に病勢進行を経験するという臨床的課題があります。これは、「ゲノム変異」を伴う多様な分子的耐性メカニズムによって、がん細胞が適応するためと考えられます。当研究室では、この「ゲノム変異」を引き起こす根本的なプロセスの解明を目指し、DNA複製ストレス耐性機構に着目した研究を進めています。オシメルチニブ処理下で生存する薬剤寛容細胞のDNA複製動態を解析したところ、異常なDNA複製が進行し、これが「ゲノム変異」を誘発する可能性を見出しました。現在、オシメルチニブによるDNA複製ストレスの要因と、それに対する耐性機構を解析し、「ゲノム変異」獲得プロセスに関連するDNA複製ストレス耐性機構の同定を試みています。また、このプロセスを阻害剤で遮断することで、オシメルチニブ耐性がん細胞の出現を抑制する新たな薬剤耐性克服法の創出を目指しています。
遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)は、主にBRCA1/2遺伝子の病的変異によって乳がんや卵巣がんの発症リスクが高まる疾患です。BRCA遺伝子は、二本鎖DNA切断の相同組換え修復や染色体安定性の維持に関与する腫瘍抑制因子です。従来、両アレルの不活性化が腫瘍発症に必要とされる「2 hitモデル」が主流でしたが、近年、BRCA2片アレル変異のみで乳がんが発症し得る可能性が示唆されています。当研究室では、塩基編集法を用いてBRCA2片アレル変異細胞を作出し、DNA複製動態を解析したところ、DNA複製ストレス耐性機構の関与を見出しました。この発見をもとに、BRCA2病的変異保因者の乳がん発症プロセスにおいて、DNA複製ストレス耐性がサイレントなゲノム異常を蓄積させ、ゲノム不安定性の獲得やがん発症に深く関与している可能性を探求しています。さらに、BRCA2のVUS(機能未知変異)の病原性評価に向け、DNA複製ストレス耐性の視点から判定する新たな方法の開発を進めています。
近年のゲノム解析技術の進展により、がん患者の遺伝子変異に応じた分子標的治療が可能になっています。しかし、既存の標的治療が適用できない肺がんも多く、新たな治療法の開発が求められています。SWI/SNF複合体はクロマチン構造の制御を担うがん抑制因子であり、肺腺がんではSMARCA4などの構成因子に欠損型変異が見られます。しかし、これらの変異は直接標的とすることが困難なため、欠損型がん細胞が依存する弱点を狙った新たな治療法の開発が必要です。我々は、SMARCA4欠損肺腺がん細胞が高いDNA複製ストレスを示し、これに対する耐性を担うATRを阻害すると高感受性を示すことを報告しました(PMID: 34316685 )。さらに、PARP阻害剤との併用によりDNA複製ストレスが増幅し、がん細胞の感受性が向上することを明らかにしました(PMID: 39875375 )。これらの成果は、DNA複製ストレス耐性を標的とした新たながん治療の可能性を示しています(PMID: 37189251 )。
現在、さらなるATR阻害剤のバイオマーカー探索や合成致死療法の開発に取り組んでいます。