ひとみしりなくせに、おしゃべりで、やたら調子にのる子どもだった。

通信簿には「落ち着きがない」と書かれることが多かった。

着席していることはできたが、授業があまりに退屈で、おしゃべりするか、筆談するか、教科書の別なところを見たりしていた。

つまり、授業を無視することに精を出していた。

体罰が当たり前だったので、毎日のようにビンタされていたが、先生を怖いと思ったことはなかった。それよりはるかに母親が怖く、家ではおとなしくしているひとりっ子だった。

勉強もまあまあ出来たので、いきなり当てられてもすらすら答えられた。そもそも授業を聴いていなければ答えられないような問題は存在していなかった。

教師にとってはむかつくガキだっただろう。なにしろ、あらかじめ教科書を先回りしていた。授業の進行やスピードやムードがとにかく面白くなく、自分で教科書を読んだほうがスムーズに頭に入った。

廊下にもよく立たされたが、一緒に立たされた友だちとコックリさんなどして、充実した時間だった。

別に何かに反抗していたわけではなく、単に退屈への耐性がなかっただけなのだ。

映画や小説には、僕のことをわかってほしい、と言わんばかりの子どもがよく登場するが、そんな子ども、実際にいるのだろうか。あれは大人が描いた虚像ではないのか。先生にも親にも、自分を理解してほしいと思ったことがない。

小学5、6年の担任はずいぶん悩んでいたらしいことを、あとで母親から伝えられた。能力はある。だが、その能力をどう伸ばすことができるのか。東京の学校に行ったほうがいいのではないか。そんな相談があったらしい。先生にも親にも迷惑をかけた。

だが、学校は好きだった。友だちとおしゃべりしたり、一緒に下校したりすることを楽しみにしていた。

大学で、初めて授業が面白いと感じた。心理学、哲学、社会学の講義は毎回いちばん前で聴いた。ノートもとらずに、ただ脳に染みこませる快感だけがあった。授業が面白くなるかならないかは、教師の性格によるものではない。それは技術なのだ。善い先生の授業が面白いとは限らない。

人格者の退屈な話を我慢して聴けるようになったとき、わたしの子ども時代は終わった。

いまも初対面のひとと話すのは苦手だ。心を許した相手の前だけ饒舌になる。褒められると嬉しい。

変わっていないところはまるで変わっていないが、失ってしまったものは間違いなくある。

みんな、そんなもんだろう。