夏生まれなのに、冬二さんなんですね。
フェイスブックでしかつながっていなかった方とパーティで初対面したとき、そんなふうに訊かれた。
親が変わり者で。冬の次の次の季節は夏だろ、って。そもそも、ひとりっ子ですからね。二、ってのもおかしいですよね。
真っ赤な嘘である。相田冬二は筆名だ。思ってもいなかった質問だったが、咄嗟にすらすら答えていた。詐欺師になれるかもしれない。
名乗るようになって、四半世紀が過ぎた。いまや、わたしを本名で呼ぶひとは少ない。みんな、「相田さん」だ。社会人としては、もはや本当の名前と言える。
雑誌の編集者として働いていた。いちばん思い入れのある映画監督のインタビュー。思いっきり飛ばした文章を仕上げた。だれにも文句は言わせない。それくらい勢いはあった。が、だからこそ緊張もしていた。
原稿はこれでいいんだけどさ。「文:編集部」っていう内容じゃないよな。お前、いますぐペンネーム考えろ。「そのひと」に依頼したことにする。
ダメ出しではなかった。上司からの意外な提案。
一瞬、その監督の過去作にひっかけた名前にしようかとも思ったが、ベタすぎると、おれ自身がダメ出しした。
どうする。浮かんだのは、学生時代好きだった作家の小説の主人公の名前だった。その作品自体にはさほど思い入れがなかったのに、すぐに出てきた。
トウジ。響きがいいじゃないか。たしか、漢字は冬二だったよな。当時、ネットはまだなかった。すぐに確認できなかったが、確信していた。これで大丈夫だと。
冬二の苗字、鈴原は字面が気に入らなかった。そもそも苗字まで拝借したらダサすぎるだろ。トウジの相棒で右腕がいた。あいつの名前はゼロ。作中では、「トウジ」「ゼロ」と呼び合っていた。ゼロはいい。好きなサウンドだ。が、さすがに苗字にはできない。
あいつの本名は。
アイダケンスケ。相田剣介。相田という字面は凡庸に思えたが、つなげてみたら「相田冬二」。悪くなかった。
この名前で生きていく、と思っていたわけではなかった。熟考ではなく、咄嗟だった。
相田冬二はほとんどの文章を反射神経で書いている。もともと落ち着きのない子供だったが、自分で自分につけたやった名前がその習性に拍車をかけた。それはそれで悪くなかったと思っている。
わたしの苗字と名前を生み出した小説家にインタビューすることがあった。名刺を渡しながら、あの、名前をお借りしています、と伝えた。声が震えていた。
あの作品の、あの人物とあの人物を組み合わせた名前だとわかっただろうか。寡作な作家ではない。が、あの小説は大作で労作だ。気づいたはずだと思っている。
別に、そんなの断らなくていいよ。
強面を崩すことなく、ぶっきらぼうに、彼は言った。
承諾を得た、と勝手に解釈している。
相田冬二。わたしの名前。