サンピエトロ大聖堂、その2エレベータと階段でクーポラに上がる。
世界最大で32mある。エジプトからチルコ・マッシモ(戦車競技場、バチカンの南東3km)に運ばれ、1588年教皇シクトウス5世により当地に移された
左の丸いのは「ルカと天使」
高さ29mの大天蓋を見下ろす
クーポラの内部に出た後、再びクーポラの階段を登る。
クーポラの内部に出た後、再びクーポラの階段を登る。
エレベータから全部で320段ある
東方向のローマ中心部を望む。サン・ピエトロ広場からコンチリアツィオーネ通り(和解通り。1929年2月11日にムッソリーニと強硬教皇ピウス11世の間に結ばれたラテラン条約を指す)がまっすぐテベレ川まで続く。colonnade(列柱、コロネード)の湾曲部分は「楕円」と言われるが、実際はそれぞれの中心がもう一方の円周上にある2つの正円であることが分かる。
南方向を見る。ポール6世ホールは教皇パウロ6世にちなんで名付けられ、イタリアの建築家ピエール・ルイジ・ネルヴィによって鉄筋コンクリートで設計され、1971年に完成。バチカン市国とイタリアにまたがる。屋根の2400枚の太陽光パネルは年間を通じ建物のすべての暖房、冷却、照明の電力を供給
最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。ローマ市内の建築物についてアウグストゥスとアグリッパは明確な役割分担を持ち、アグリッパが建造した神殿はこのパンテオンのみ。2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建され現存する。正面にはアグリッパに敬意を表し M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)と記されている。建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。
1885年、サヴォイア朝によるイタリア王国を成立させたヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父(della Patria)と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。新古典主義の建築家ジュゼッペ・サッコーニが設計を行い、彫刻などの装飾は象徴主義の彫刻家レオナルド・ビストルフィ、アンジェロ・ザネッリらが担当。建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成。ロンバルディア州ブレシア県のボッティチーノから切り出された大理石が使われ、パンテオンと同じコリント式の円柱、噴水、大きな階段が特徴的な構造になっている。建物上部にはクアドリガに乗る勝利の女神ヴィクトリアの彫像が二体配置され、建物正面には国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が設置されている。全体で幅135メートル、高さ70メートル(クアドリガに乗るヴィクトリア像を含めれば81メートル)となり、総面積は17000平方メートル。
135年、「五賢帝」のひとりハドリアヌスが自らの霊廟( Mausoleum Hadriani)として建設を開始、アントニヌス・ピウス治世の139年に完成。霊廟はきれいな円形平面をなし、太陽を象徴したハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置された。しばらくすると軍事施設として使用されはじめ、403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられた。14世紀以降は歴代のローマ教皇によって要塞として強化され、また、同時に牢獄や避難所としても使用された。16世紀前半の教皇クレメンス7世は、皇帝カール5世率いるドイツ人傭兵(Lanzichenecchi)の包囲に抵抗するため、この機能を使用。17世紀前半には教皇ウルバヌス8世がサンタンジェロ城の強化に努め、1667年に教皇となったクレメンス9世は、バロック芸術の大家で旧友のジャン・ロレンツォ・ベルニーニにサンタンジェロ橋の装飾を依頼、橋はベルニーニ自作の2体ふくむ10体の天使像の彫刻で飾られている。サンタンジェロ城の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、時の教皇グレゴリウス1世が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来。その故事を記念して、16世紀にラファエッロ・ダ・モンテルーポ(Raffaello da Montelupo)による大理石製の天使の像を城の頂上に設置した。1753年からはPierre van Verschaffeltによる青銅製の像が設置される。
約700メートル離れたバチカンのサン・ピエトロ大聖堂とは城壁上の通路(Passetto di Borgo)で繋がっているのは「天使と悪魔」ご覧のとおり。
天使と悪魔の舞台
手前の建物がシスティーナ礼拝堂
バチカン放送は、ローマ教皇庁により運営されるカトリック教会の公式ラジオ放送局。短波、DRM、中波、FM、衛星放送、インターネット放送など、さまざまな周波数帯や伝送形式を使って放送を行っている。放送番組は世界61カ国で活動している200名を超える記者によって制作され、番組の内容は国際ニュース、カトリックの教え、特集番組、音楽番組など年間で延べ 42,000時間ほど。
初回の放送は1931年2月12日。呼出符号はHVJ。開局当初は短波2チャネルのみであった。日本語放送は1959年2月から行われ、受信報告を送ると、教皇の写真が入ったカード(ベリカード)が届くことで人気があった。長らく、局全体として「放送言語の拡充はしても削減は行わない」という方針であったが、財政難から方針を転換、2001年ごろから廃止される番組が出始め、日本語放送も同年3月25日で終了。
右下端に聖ペテロ像が見える。もとはバチカン美術館のピーニャの中庭にあった。
ポンティフィカル科学アカデミーとポンティフィカル社会科学アカデミー。奥の建物はバチカン美術館の絵画、その前の庭がGiardino Quadrato
バチカン政庁は、1929年の基本法によって設立された。奥の庭園は奥の方が高くになっており、昔は丘であったことが分かる。近代になってもこの辺は「プラーティ」と呼ばれる湿地のような草原がありしばしばマラリアの発生源になっていた。そのため、教皇が夏に亡くなるとコンクラーベは命をかけて行われた。実際、グレゴリウス15世の死去に伴う1623年のコンクラーベは3週間で8人の枢機卿が死去した。
次の7つの部署がある。インフラ・サービス局、通信・情報システム総局、経済総局、セキュリティサービスと市民保護局、健康衛生局、博物館と文化遺産の総局、郊外の領有地ポンティフィカルヴィラの管理。
バチカン駅。バチカン鉄道は、バチカン市国とその唯一の駅であるチッタデルバチカーノにサービスを提供するため1934年に開通。標準軌で長さ300メートル、2つの貨物側線があり、世界で最も短い国鉄。19世紀半ばのローマ教皇グレゴリウス16世は教皇領内での鉄道建設を認めなかった。彼は「chemin de fer, chemin d'enfer」(鉄の道は地獄への道)と述べた。後継者ピウス9世はボローニャからアンコーナへの鉄道建設を認めたが、この鉄道が完成する前の1861年にイタリア統一運動軍が教皇領の北部一帯を制圧し、王国に併合され、教皇領内を鉄道が走ることはなかった。1858年にフランス南部のルルドに聖母が現われたという「ルルドの奇跡」では、鉄道で各地からの巡礼者が押し寄せ、19世紀の後半には鉄道は巡礼者の重要な足となり、ローマ教皇庁内部の反鉄道・反近代技術論を和らげることにつながった。1929年2月11日のラテラノ条約で、イタリア政府は「バチカン市国」の独立が確認され、バチカン市国内での駅および線路の建設とイタリアの鉄道との接続も承認された。1932年3月、バチカン領内にはじめて機関車が入った。
十字の建物のクロスする部分の下は屋根が低いところがある。
大聖堂のファサードの両側にある
マタイ。、新約聖書の福音書に登場する人物でイエス・キリストの十二使徒の1人。聖書によればイエスの弟子となる以前は徴税人(en)であった。キリスト教会では伝統的に新約聖書所収の『マタイによる福音書』の著者・記者とみなして来たが、近代以降の聖書学では使徒マタイと福音書記者マタイは別人であるとする説が有力
サンピエトロ宝物博物館。9つの展示室がある。1つめの部屋のねじれた柱は、ベルニーニの天蓋のモデルとして役立った聖ペテロの墓の元のコンスタンティヌスの装飾から来ている。9世紀の金色の金属の雄鶏は、かつて古代大聖堂の鐘楼の上にあった。2つめの部屋では、6-7世紀のビザンチン聖遺物箱がある。3号室はアントニオ・デル・ポライオーロのブロンズカタファルク、シックストゥス4世の大葬儀記念碑がある。4号室では、シクトゥス4世のピスカトリーリング、5号室ではセバスチャン・トリジャーニ(1585)の十字架、9号室では、初期のキリスト教のジュニオ・バッソの石棺がある。
スイス人傭兵隊 立哨詰所。サンピエトロ大聖堂の向かって左側の鐘のアーチの前にある。大聖堂の鐘が置かれている部屋の下にあり、ここから教皇は、水曜日に聖ペテロ広場で観客のところに行く時に通る。
この当時はスイス人傭兵隊 立哨詰所の近くの大聖堂の向かって左側にあったが、今は大聖堂でなくサンピエトロ広場の右側にある。
正義の宮殿(最高裁判所)。ペルーの建築家グリエルモ・カルデリーニによって1889年から1911年の間に建てられた。
①シセロ、②パピニアーノ、③ジョヴァンニ・バッティスタ・デ・ルカ、④ジャンバッティスタ・ヴィーコ⑤ガイウス、⑥エレニウス・モデスティヌス、⑦ルキウス・リシニウス・クラッサス、⑧サルヴィウス・ジュリアヌス
最高裁判所前のウンベルト橋から大聖堂
ナヴァ―ナ広場を取り囲む店の一つ