文章 (文章に関する作品や雑多な分けわからんブツをダダ漏れさせています)

眠った詩人を叩き起こせ!*人は誰しも詩を抱えて生きている。それがひょんな事で零れ落ちるとき。

・ シーナがよかならそれでよか。(by鮎川誠、ではなく後に吉田とやんべの創作と判明)


【ツイートあれこれ】


2012年4月27日

脳味噌はキャッチャーであると同時にピッチャーなんだから、投げろよもっと。


2012年4月30日

服を万引きした奴って、着るのかね?それ心のうんこ付いてるよ。


2012年1月26日

もの作りで大事なのは、いじらないって事だな。いじっちゃったら徹底的にいじり倒してグニュって別のものになるまで、やると。


2012年3月5日

神経質な人間は塵みたいなひとつのきっかけあれば生きていける。しかし塵が多いとキチガイになる。人間世界は塵多し。


2012年5月17日

以前、サイババはインチキだ、というバッシングがあったが、インチキだとかそんな小さい問題どうでもよか。あの顔で手の平こっちに向けられたらひとたまりもない。大事なのはその人が何やってるかではなく、顔だよ顔。


2012年5月22日

動物のように、ただ生きる、てことが出来ない。ほんと人間て貧乏臭いね。


2012年5月23日

ローソン100を出ると、股を開いてパンツ丸出しの5,6歳の女児が自転車のペダルを手でクルクル回して母を待っておった。これぞ本来の人間の姿よ。


2012年5月25日

その時を逃しても、生きてれば似たようなことは時々あるけど、でもその時はもう絶対来んよ。


2012年6月11日

【すてきな目撃情報】長い髪をひっつめ、両腕を前で合わせ、胸を寄せ強調させ、乳首の透けたメッシュのランニングシャツを着て歩く、男性を先ほど目撃しました。


2012年6月14日

糞つまんないアメリカンロックンロールを冗談で流しながらパソやってたら自然に体がリズム刻んでしまった。ま、ま、負けた、アメリカに。


2012年7月19日

【市場写真モデル募集】パンモロぐらい平気な方→露出は相談し魔性。に変更しました。細かいけど、こういうところが紳士的でしょ。


2012年8月14日

人間てやつは、早いとか便利とか、ばっかり求めやがって。だったらメシの錠剤作って食え。そしてすぐ死ね


2012年8月14日

なんでつまんなくなったかしってる?べんりになったからだよ。じぶんでかんがえなくてもいいんだもん。


2012年9月1日

めんどくさいからパンツ1丁もしくは裸で外に出たいな。もういいじゃん、服なんて。


2012年9月10日

絵が売れるとね、その絵は所有者のものになり、破るも燃やすも自由なわけですよ。作家はなんも文句が言えないわけです。だから魂なんて込めちゃ駄目。無心で描きましょう。


2012年9月27日

気色悪いページばかり見てるとホイホイにかかったゴキブリ(ぴくぴくしながら死ぬ)みたいに出れなくなるぞ。中和するためにいわさきちひろ先生やわたせせいぞう先生の画像も観てね。


2012年11月22日

前を歩いておった女高生のスカートが風にあおられ一瞬捲れあがった。水色半けつ。改めてミニスカートの儚さと危うさを知る。が、女高生は何も気にせず堂々立ち去った。さすが、性器が中に入ってる者どもは肝がすわっておる。男はミニスカート1枚穿けずに理屈で生きるのみ。(なんだこの文章)


2012年12月8日

失敗するのが恐いんでしょ?だったらチャレンジしなさい。そしてすべてを失いなさい。


2013年1月10日

最近、世間がおかしいのではななく自分がおかしいのだ、ということに気付いたが、もうどうもできないのでこのまま生きます。


2013年1月7日

ユニクロに30代の夫婦おった。夫がフリース選び手に取る。それを見た嫁が早口で「どれにしたの、え、何それ?くそダサイの!」夫やめるかと思いきや「そうかなぁ」と呟いただけでそのままレジへ。旦那に仏陀を見た気がした。


2013年2月3日

丸ごと、ドブに捨てても大丈夫。


2013年3月7日

消せない失敗や過去を捻じ曲げようとあがく人間。そのいびつさがええのに、なんでみんな隠そうとする。心の処女膜再生してどうする。


2013年3月27日

あなたはオンリーワンである、というインチキではなく、あなたの代わりはいくらでもいる、という儚さをしっかり受けとったほうがええよ。


2013年4月15日

全裸になって鏡の前に立ち、自分が一番醜くく見えるポーズを取ります。それをじっと見る。これがまず最初にあなたがやるべきことです。

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いちば実験室

講義その1 [偶然断片融合の必然化] 

何もせず部屋などでくつろいでいる時、外の物音(子供の声、自動車の行きすぎる音等)が聞こえる。そのいくつかの物音の内『通りすぎる人の言葉』だけをピックアップして並べるという実験。携帯電話、連れ立って歩いている友人との会話。それは非常に短く、そして意味深長に響いてくる。実際にその時話している事の全体を聞いてみればたわいもない話であることが多いのだが、無意味に切断された話の断片と言うものは人の創造力を刺激して様々なドラマを紡いでいく。実際窓辺の人声というものを収集しようと日々を送っていたのだが、あまりにも偶然性が低く(人があまり通らない。会話をしながら通る人が少ない。会話していても聞き取れない。ソレばっかり気にしていたら眠れない。気がおかしくなる。どうしてくれる)収集に無理困難が生じてしまった。そこで何かもっと簡単な方法はないかと思いついたのがTVである。TVのスイッチをランダムに回し、つまらない、無意味、意味深長、等様々なフレーズを一行レベルで書き止め、羅列することで何か新しい空気(世界、作品)を作り出せないものか?と考えた訳である。TVを使った無意識セッションといったところか。ダダの方法論にも似たようなものがあったが、というか要するにダダ(*)である。

(*)ダダ:トリスタン・ツァーラの「ダダイズム宣言」と呼ばれる言葉。ダダとはフランスの幼児言葉で「木馬」の意味。第1次大戦中の1916年、フランスのキャバレー・ヴォルテールで、酒の余興に辞書に適当にナイフを突きたてていたらこの言葉に当たった(多分うそでしょ)。それをこれからの新しい芸術を象徴するキーワードにしてしまおうというアナーキーな運動がダダイズムの始まりである。

実験2001/10/12 pm1:52~4:12 全50目(聞き取れない部分は適当に処理してありますが、なるべく忠実に再現した)

 1 「先送りされてるんじゃないか、あるいはあ」

 2  「コカコーラ、クリスマスに会いましょう」

 3 「ほら、あっという間にこの通り」

 4 「お店の土地登記簿見せてもらったわ」

 5 「一昨日港区の解体処理場で解体された後」

 6 「ありがとうございました」

 7 「でてくるんじゃないかなあって、関わり方ひとつにとっても」

 8 「ことを思い悩んで、先月自殺していることがわかりました」

 9 「さあ、鈴木アグリさんジェックセイベッス二人が乗ったオープンカー」

10 「として宿を支える女将のスミ子さんが」

11 「風が染みる~、あんなに燃えてた日~(歌)」

12 「八十、九十昨年の五月に行いました」

13 「わたくしの個性は情熱的なラテンで行こうと、ふうううふうう(笑っている)」

14 「口開いた、ああうああわうん、口開くね」

15 「戦闘軍2個、以上でございます。小沢君」

16 「じっくりと時間をかけて、肌を健康な状態に導くための」

17 「言われたって、そんなのいっぺんに出来ませんよ!」

18 「反省します。フアッションチェック辛口でお願いしま~す」

19 「が増えてくるって言うのはあ、嬉しいって言うか、みんなと」

20 「日米スプーン曲げ対決、あのユリゲラーに一人の」

21 「一緒にやっていたあパキスタンの友人とかに聞いても」

22 「大変そう、何回も繰り返し練習が行なわれます」

23 「あのお、ですから、オマル氏にとってはアフガン全体の利益」

24 「(BGMがしばらく続いて)とろけますねえ」

25 「共産党はそういう態度とってますが、我々はそういう態度とってないの」

26 「情熱きけうる(?)人は、なんかつながっているって思います」

27 「午前6時日本○○は集中工事に入ります」

28 「鶏~豚豚、鰹節~(歌)」

29 「警察はイタズラとみて調べています」

30 「ふんにいぇなあねえ、とかいにねえでだとおもってみていめす(凄い訛り)」

31 「決まってますねえ。実はうのさんは」

32 「僕ハビシビシ抜キ打チテストヲシマスヨオ!(外人)」

33 「戦いを繰り広げるライバル達、伝説の瞬間を見逃すな」

34 「ファザコンだったと認めるヨウコが運命的な出会いをする」

35 「日本グランプリ!てなわけで」

36 「大地~(歌)」

37 「どうして・・・こんな事に・・・」

38 「官庁とともにですねえ、え~良い感情を持てなくなってきてる」

39 「なにがみえたの~?どんなふうなの~?ねえ~(歌)」

40 「今月2日と翌11日に解体されました牛につきましても」

41 「ソメマル!米問屋の船木屋さんが」

42 「そうだ。反省しろ、反省しろ」

43 「今日の特集です。夢を求め事業に挑戦」

44 「それにしても女に縁の無いつらが揃った」

45 「あのお、現場からですねえ、例えば今アフガンの」

46 「マハア、ウホホヘ、マハア(動物アニメのモモンガの声)」

47 「やっぱり自分が作らないと気が済まなくなって、好きなもんですからねえ」

48 「味作りをしています。そうだったの」

49 「世の中どんどんサトウの切り餅、世の中どんどんサトウの切り餅」

50 「ご隠居」

こうしてひとつひとつ読み進めて行くと、なんでもない言葉やフレーズが並べられた上下の関係によって生み出されるリズムにより、肩透かしに似たオカシミを含んだ空虚を感じる。緊張したフレーズで蓄積された時アホフレーズが滑り込むと何とも言えない馬鹿らしさを得る。これは桂枝雀(故)氏が笑いというものの分析を「緊張と緩和の同居」と名付けたソレに相違ない。しかしそれは予定されたネタであるのにたいして今回のTVフレーズは何が出るかわからない状況で行われた。しかし人間と言うものはそのなんでもないフレーズの中に「緊張」と「緩和」を知らず知らずのうちに見つけ出して「意味」というものを手に入れようとするものなのかもしれない。完全な「無意味」に人間は果たしてついていけるのだろうか?次回はソレを探って行きたい。

注:50のうち同じような内容のフレーズが出てきたが、これは連続約2時間ランダムにチャンネルを回したので仕方がない。(2001.10.12)

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「少女と電線と窓ガラス」(世にも奇妙な物語のタモリ風に読むと俄然臨場感アップ)


あれは私が小学校三,四年生の頃でした。年上の友人の親が経営する雑貨店の前にある小さな砂場のようなところで無心に一人で遊んでいたのです。なぜか友人はそこにいなくて私一人で遊んでおりました。するとそこへ小学1年生ぐらいの少女が通りかかりました。私は別段気にするでもなく砂遊びを続けておりましたが、少女が道端にしゃがみ込んでいるのが垣間見えたので顔を上げました。少女は道のドブのようなものを覆っている網の中を覗きこんでしょんぼり顔をしています。回りを見渡しても誰もおりません。少女と私二人っきりです。思わず「どぎゃんしたと?」と聞くと「十円ば落してしもた」困った表情で弱弱しく呟くのです。その頃から女性には優しい性質でしたので(嘘。よく女の髪の毛を掴んで投げ飛ばしたりしていた)網をどかしてお金を探し出してあげました。少女は「ありがとう」とお礼を言ってそこを立ち去りました。

私は今でもそうですが、こういった親切行為というものをしてあげた後にどうしようもなく恥ずかしくなることがあります。子供時代ですので、より一層の感は強かったと思われます。そこで私はその照れ隠しとでも言いますか、上気した気分をほぐそうと、何故か落ちていた握り飯大の石を誰もいない向かいの畑に思いっきり投げたのです。す、すると・・・!

学校と畑の間には3,4メートル幅くらいの道があり、電信柱があり、電線は学校と畑を仕切るように平行に延びている。私は電線に対して垂直(?)に立っていました。

う~んと、例えば左の手のひらを上にして指を延ばしてください。人差し指が学校、中指が道、薬指が畑、中指と薬指の間が電線として(これで伝わるのか?)、私は中指の付け根付近に立っていて、爪の方角を向いていた。そして畑に向かって石を投げた!

すると、な、ななんと私の投げた石が電線(電線だよ電線!あの細っそい)に当たってそれがロープに飛ばされたプロレスラのごとく跳ね、向かいの学校の職員室の窓ガラスをグワッシャア~~~ン!!!

何故か回りには誰一人としておらぬ、なんとも静かな昼下がりでした。

事件の後、私はどうしたか憶えていませんが、翌日学校へ行くと朝礼で校長が「昨日、誰かが職員室の窓ガラスを割りました。みんなの中にそういう悪い人がいるとは思えません。割った人も悪気があったのではないと思います(だからやった奴はあとで校長室に来いよ、分かったな)」等といった事を喋っておりました。

先生…、あのガラスを割ったのは私ですよ。でも、私が少女のお金を拾ってあげた照れくさ紛れに石を投げたら電線に当たって跳ね帰り、職員室のガラスが割れたなんて言ったとしても、いったいあなたは信じてくれるのでしょうか?真実を、私の真実を…

そして、私はこうした不条理をかかえたまま九州から北海道へ転校していったのです。(完)

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2004年11月28日(日曜) 随筆

夜11:25頃、TVでピアノとバイオリンの合奏?協奏曲?なんか知らんがやっておった。ステジにピアノ弾きとバイオリン弾き、二人とも外人男。それだけなら何とも思わぬはずだが、そこに、ピアノの横付近にグレーのスーツを着用した妙齢の日本女性が座っておる。外人のインタビュ時におる通訳のごたる。何のためにおるのかな?曲の合間に演奏者の思いなどを通訳して観客にでも伝える役目なのだろうかと思っておったら、そうでなかった。演奏が始まり彼女の行動をみておると、なんとそれぞれの演奏者の楽譜を時々めくっておるのだ。するってえとこの女は演奏で手が離せないこの二人に楽譜をめくるが為にスーツ着て待機しておるのか?何やっとるんだ。介護者のごたる。あまりこういった番組(クラシック演奏)を見ることはねえのだが、ときどき何かのはずみで見てしまうこともあったがこんなの初めて。これはどういうことなのだろうか?もしかして一度も演奏したことない曲を一種のインプロとして演奏してるのだろうか。プロである以上、楽譜さえあればどんな曲でもおいどんのセンスにてええ按配に料理するぜ、どうだい凄いだろ!てな一種の平民に対する見せ付け、奢りなのだろうか。ま、そんなことはどうでもよか。私が気になったのはこの女性の存在である。二人の演奏者の楽譜を交互にめくっておるてえことは、同時には無理なわけだから(ピアノもバイオもそれぞれ離れた場所におり、自分の前に設置された譜面台のブツを見ながらプレイしておる)ちょうど互い違いにページを設定しておるのだろう。このズレを利用してそれぞれのページめくる。へ~、こんな仕事があるのだなあと唸らされた。でも、でもだよ、もしね、もしね、かりにだね、こういう見せ付け外人のオーケストラが20人ばかり団体でやって来た場合だね、どうすんの?姉ちゃんてんてこ舞いじゃん。あ、人数増やせばええのか。あ、そうかそうか、突っ込もうと思ったら、自分で解決しちゃった。なんも一人じゃなくてもいいんだよね、あ、そうかそうか。ま、そんな事より、もしこの女性が水着だったらどうなのかな、とか、バニーガールだったらとか、リオのカーニバルな衣装だったらとか、そういうんだったらええのになあと思いながら見てましたら、たった今演奏終わった。盛大な拍手。姉ちゃんは演奏エンドと同時に立ち上がり、サッとその場から消え、さんざん見せ付けるだけ見せ付けた外人演奏者はにこやかに数回カーテンコルみたいなの繰り返す。おいおい、おい、姉ちゃんには拍手なしかい!で、二人の外人は再びそれぞれの楽器の定位置に戻りアンコルを始めた。すると、姉ちゃんがどこからともなくサッと現れ、またもや楽譜めくりの定位置へ。う~ん、なんか腹立つ。戦後間もないころアメリカ人がパンパンの肩を抱いて好きなようにしてるのを遠くからじっと見つめることしかできなかった無念にも似て(いや、知らんけど)。おわり

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●「練習すればいいんだよ」(RECK)

日本ニューウエーブ界の重鎮、レック氏と話しておった際

「俺はパンツ穿かないよ」

「それじゃチャックの時、毛が挟まったりするんじゃないですか?」

の質問に返ってきた言葉。これほどシンプルで心地良く、的確でありながらアホみたいな答えは他にない。


●「ちょっとお尋ねします、どこかで私を見かけなかったでしょうか?」 (越路吹雪の唄より)


●「私、つまんない女なんです」(石田ゆり子)

タモリと99が司会の番組の料理コーナー途中で放ったセリフ。私はこの瞬間にゆり子に恋をした


●「あんな糞みたいな試合・・・」(千葉すず)

どこかの競泳大会終了後、記者会見で。私はこの瞬間にすずに恋をした。

あと、こんなのもあります。

1996年ニュースステーションのインタビュにて「そんなにメダル、メダルというなら、自分で泳げばいいじゃないですか!日本人は、メダルきちがいですよ!」素敵すぎる。


●「アイ ワズ ゲイ」 (ガブちゃん)

有森さんの嬉しそうな、ちょっとドキドキしたような表情での婚約(?)記者会見、そんでいきなりだもんね。なんでこんな場面状況で?てギャップがほろ苦い一品。

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高校時代の話。隣町の不良が紫のシャコタン車に乗って調子こいておったのだが、ある日ボディにでっかく「バカ」と傷を付けられたようだ。何故「ようだ」なのかというと、傷の上から紫のペンキで「バカ」となぞってあったから。隠したつもりらしいが、ペンキがボディ色と微妙~に違う紫だったので。二重に「バカ」を演出。

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大人びた遊び「かくれないんぼ」

2人でやる遊び。ジャンケンで鬼と人を決める。鬼は目を閉じて10数えてる間に人はそこから五歩離れ、隠れない。10数えたら鬼は目を開けて探す。探す相手はすぐそこに見えてる。「み~つけた」と言ってはならない。相手が認めるまで。

鬼「やあ」

人「おう」

鬼「なにしてるの」

人「べつに。お前は」

鬼「人を探してる」

人「そう。誰を」

鬼「お前を」

人「そうか」

鬼「そうだ」

人「俺は見つかってしまったのかな」

鬼「さあ」

人「見つかってるような気がするのだが」

鬼「そうとも言えんよ」

人「そうかな」

鬼「そうだよ」

人「いつまでそこにいる気だ」

鬼「さあ」

人「帰ろうかな」

鬼「どこへ」

人「わからない」

鬼「…(いたわりの眼差しで見つめる)」

人「やはり俺は見つかったのかな」

鬼「どうして」

人「なんか少し悲しい」

鬼「飲むか」

人「もう少し待ってくれ」

鬼「待つさ」

人「ああ、やっぱり見つかってしまったんだな」

鬼「そう言うな」

人「見つけたって言ってくれ」

鬼「さあ」

人「涙が出てきた」

鬼「よくあることだ」

人「わかるのか」

鬼「ああ」

人「ほんとうか」

鬼「ああ」

人「じゃ、見つけられてないのか、もしかしたら」

鬼「そうじゃない」

人「じゃやっぱり見つけられてしまったんだな」

鬼「だとしたら」

人「家に帰って女房に会いたい」

鬼「すぐに会えるさ」

人「どうすればいい」

鬼「どうもしなくていいさ」

人「望みはなんだ」

鬼「べつに」

人「俺は狂ってるのか」

鬼「まさか」

人「どうして俺はここにいる」

鬼「いつもそこにいた」

人「昨日もか」

鬼「明日もだ」

人「あ、見つかった…」

鬼「はい、交代っ!」

(*書いた後で、何じゃこりゃと思ったが、なんとなく好きなので残します)

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●ケンちゃんはお父さんが大好きでした。お母さんが早くに亡くなったのでより一層お父さんに甘えていました。お父さんもケンちゃんを元気付けるためにいつも優しくしていました。お父さんは趣味がありません。仕事から帰ってくるとお酒を少し飲むぐらいです。ですがある日お父さんにもちょっとだけ趣味ができました。ジグソーパズルです。会社の忘年会のビンゴ大会でモナリザのジグソーが当たったのです。仕事から帰ってくるとお酒を飲みながら不器用な指で少しづつピースを揃えていきました。全部で1000ピースです。台紙はケンちゃんが昔幼稚園で使っていた画板に枠を作ってそれにモナリザを仕上げていきました。毎日毎日少しづつ少しづつお父さんは楽しみながらはめ込んでいます。ケンちゃんはそれを見るのがとっても好きでした。そして1ヶ月後、やっとモナリザの最後のピースがパチッと音を鳴らしました。お父さんとケンちゃんは抱き合って喜びました。

「お母さんにも見せようよ」

「うん、そうだな」

二人はモナリザを持って仏壇の前まで来ました。

「お母さん、ほら凄いでしょ」

なんだか二人はほんわかした気持ちになりました。

次の日、ケンちゃんの友達の陽一君が遊びに来ました。ケンちゃんは得意になってお父さんのモナリザを陽一君に見せると

「おえっ、なにこの顔。気持ち悪りい~」

(実話)

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●老朽による剥れや崩壊やらカビやらで危うい日本古代壁画を保管するべくプロジェクトが必死になっておる番組を見た。ヒューマンドキュとして見れば普通に興味あるのだが、どうしても「何故に古いというだけで価値を見出すのだろう人間は?」という疑問が拭えず、ちっとも番組楽しめなかった。崩れればええじゃん、崩れるものは。それが普通だろうに。壁画を最新技術でもって壁から上手く剥がし、保管するらしい。次の世代へ残すのが目的のようだ。あらためて考えると、残すってなんなのだろう?歴史というものは現在の教科書だという部分も確かにある。過去は大切なブツであろう。だが、自然と壊れ行くものを残そうとするのはやはり無理を感ずる。ていうか古いものや数少ないものはそれだけで価値あるみたいな感覚を人間に植え付けるだけで、誰もそんなの必要としてないのでは?価値というものを結局みんな「世間ではどうなのか?」というモノサシしか持ってなくて、本来一番面白く楽しい自分のモノサシを無視してる。古いものからしか受け取れないあの何ともいえぬ時代の味というのは確かにある。だが、そんなブツより大事なのはてめえの感受性である。もっと言えばどんなつまらないブツからでも何かを編み出す能力、どんな状況状態でも何かを見出せる技量、これがあればなんもいらん。世間で価値あると思われてるブツ持って無人島で眺めて暮らせるのかね。羨ましがる奴、同じ趣味を持つ奴、価値が解かってる(と思ってる)奴、そういう輩に囲まれて初めて成り立つが、無人島ではそんなブツ邪魔なだけだ。古いものなんて全部焼いたり叩き壊したりすればええのではないか。無理にすることはねえが自然に崩壊して行くにまかせるのがええと思う。イリオモテヤマネコでもトキでもそのまま全滅させればええのに。昔に比べて医学の発達で平均寿命が延びたり難病が治り易くなったりと、一見良いように思えるが、極端な話そんなのいらん。そんな技術が無かった時代、いきなり斬り捨てられたりした時代、マンモスに踏み潰された時代、そんな時代に死んで行った先輩達に失礼だ。(2004)

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ニュースコラム

「プロポーズ瓦」割られる 

 海岸沿いに設けられた散策路、通称・プロポーズ街道に展示されている「プロポーズ瓦」五枚が、何者かによって割られているのが二十日、分かった。今年四月から三回目の被害で、これまでに延べ四十枚が割られているという。関係者は「悪質ないたずらで、絶対許せない」と憤っている。

 プロポーズ瓦は、縦二十六センチ、横二十一センチ。板状の瓦に、恋人や家族への愛のメッセージを書き、散策路沿いのさくに約二百枚がつるしてある。「瓦(変わら)ぬ愛」とかけた同町の観光企画で、瓦の名産地をアピールしようと、一九九八年から始まった。(地方ニュースより)


●まず何と言ってもネーミングが秀逸。瓦は町の名産ということらしいが、プロポーズはどっから持ち出してきたのか見当がつかない。一種の絵馬のようなノリであるのは解るが、基本的に「愛系」のメッセージにこだわったのが割られた原因だろう。普通の散策路には当然普通の、女に縁がない輩や男に縁のない輩がべれべれ歩いておるものだ。そこに「○○愛してるよ!」「二人がいつまでも幸せでありますように」「ヒロくんこないだはゴ・メ・ン。私のわがまま許してねっ」「愛だけがすべて。Y子結婚しよう!」だのと書かれた二百枚もの瓦がいきなり目に飛び込んでこようものなら「うぐっ」と感ずるのは人間ならば通常の反応である、しかも酒でも入っておればなおさらだ。これまでに200枚中40枚割られたそうだが当然の結果のように思われる。200:40という数字は多分パートナーのいるいないの比率と一致するだろう(嘘)。ましてや瓦というブツは屋根に乗っておるか空手家に割られるという二者択一な存在であるので、当然手に届く位置にあったならばこうなるのは必然だと言ってもええ。

そもそもの原因になっておる「プロポーズ」というネーミングはこの上なく素敵なものではあるが、いったいなんなんでしょう?プロポーズという意味は『申し込み。特に結婚の申し込み』と辞書には書いてあるが、多分このネーミングを選んだ役員はなんとなく「愛」な感じだよね、そうだよね、そうでしょ、といったおぼろげな按配でのネーミングだったのだと推測する。他にも沢山考えられたネームなのにそれを選んだという時点でこの割られ事件は始まっておったのだと言えるね。

そんなことより、割られた瓦に何て書いてあったのかが一番知りたいところだ。もう、むちゃくちゃに「く、く、く~っ、糞~!」てなのが書かれておったのだろうなあ、見たかったなあ。2003/5/17

BADA