元中部奄美会会長
有限会社サンライト
(株)グリーンユーティリティESP推進協議会会員
この度、龍郷小学校長:住友智光先生から奄美及び龍郷への応援メッセージの執筆依頼がありまして、その趣旨に大変感動し、うれしく多少なりとも大事な故郷龍郷のお役に立てればとの思いから投稿させてもらいました。
上手にお伝えすることはできないかもしれませんが、私なりに素直に心からのメッセージにしたいと思います。
奄美群島全体を考えながらその中の龍郷への思いを探ってみます。
まずは、奄美群島の非のんにおける地政学的立地条件の素晴らしさを再確認してはいかがでしょうか。
奄美群島は四方綺麗な海に囲まれ、点在している島々が琉球弧として連なり、日本で唯一海中を走る国道58号線として各島を結んでいます。そのことが「道の島」と言われる所以かもしれません。しかもそこは鹿児島県においては気候的には珍しい穏やかな亜熱帯観光地です。その観光面とは別に温暖な地理的優位性を生かした産業生産物の育成は大事な政治の仕事かと思います。例えば、黒糖を原料とする黒糖焼酎、テーチ木の汁と田んぼの泥で染色した泥大島紬等、他いろいろあると思いますが、奄美にしか生産できない産物があります。その奄美だけの産物の育成を中心に考えることは大事なことかと思います。他方、文化面におきましては、「いきゅんにぁかなぁ」節をはじめとした数々の独特な哀愁を帯びた島唄、奄美の八月踊り、奄美神話、民話等々と豊富です。特に八月踊りは企画によっては日本三大盆踊り(阿波踊り・群度踊り・風の盆)に匹敵する要素(躍動感・集客能力)を有していると思います。
それは観光客等の初参加の人でもすぐに自然にその踊りに溶け込める大衆迎含の雰囲気があるからです。その奄美芸能に伴うと思われる民話、神話も大事に引き継いでいけたらいいですね。
他にもいろいろとあると思いますが、上記の奄美の事柄をそのまま龍郷集落にも深く関わっているのも事実です。
龍郷は龍郷柄を中心とした大島紬の発祥の地であり,日本の近代文明の夜明けとなった明治維新の大功労者南洲翁西郷隆盛の第二の故郷といえる集落です。私事ですが,私の小学校時代(昭和26年~31年)には夏休み中のラジオ体操前の午前6時30分までには,毎日幼い仲間と皆で西郷南洲謫居跡周辺の清掃をさせられたものでした。これも西郷さんを敬愛しなさいという先人たちの教えの一例であったと今頃思います。龍郷集落は,その当時から
西郷さんをはじめ文化人にゆかりがあったものと思われます。その為でしょう,龍郷ゆかりんちゅ村と呼ばれていました。そのせいかもしれませんが,集落だけに思い当たる歌詞の歌がありました。私の知っている中でも龍郷小唄があり,龍郷青年団歌です。この2曲はぜひとも歌い続けてほしいものです。
この背景の基、あの「島のブルース」で奄美を全国的に有名にした作曲家渡久地正信先生が育った龍郷集落があったのかもしれません。渡久地先生は,この島のブルース作曲の以前にすでに昭和の大ヒット曲「お富さん、上海帰りのリル」等数々の名曲を出されています。
このような誇りある龍郷集落です。
これからの奄美龍郷の人たち、またそれに関わる方々がそのことを認識され永遠にこの輝かしい事実を啓繋していただけたらありがたいです。そのためには,このことを記念して小さくても継続可能な行事(イベント)を立ち上げてほしいと願っています。
私もこの度の素晴らしい龍郷融資の方々の規格を微力ながら名古屋の地において,仲間を誘い応援していきたいと思います。
この機運が益々盛り上がり発展していくことを祈願して寄稿ととさせていただきます。
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