白川下流域の洪水を制御するために計画された阿蘇立野ダムが完成し,2024年から運用を開始するという.予備的な調査が実施されたのは1969年(昭和44年)である.昭和54年(1979)に実施計画調査が開始されると,湖底に沈む温泉場は廃業あるいは高台へ移転した.計画には賛否両論があり,由緒ある戸下,栃木等の温泉場周辺の環境破壊を危惧する見解が表明された時期もあった.平成5年(1993)長陽村との「地域整備事業促進のための協定書および確認書」が調印され,工事は本格化した.この間の事情については2012年の本ブログで取り上げ紹介した.その後,2016年の熊本地震ではダム建設予定地周辺は甚大な被害を受け,建設自体が危ぶまれたが,技術委員会によるゴーサインによって平成30年(2018)本格的な工事が開始された.当初,完成は2022年であったが,追加工事のため1年延期され,2023年令和5年5⽉21⽇(⽇)に⽴野ダム本体打設完了式が 開催された.総事業費はこれまでの917億円から約243億円増の約1160億円に膨らんだ.工法は黒部ダムと同じ柱状工法が採用された.
流水ダムは,通常は白川の水をそのまま流し,大雨による増水時にさばききれなくなると水がたまる方式である(図入り説明).本体の高さは87メートル,最上部の長さは197メートル,貯水量は1,010万立方メートル ,集水面積 約383Km2, 湛水面積 約0.36km2,満水時には,南阿蘇鉄道(白川第一橋梁)の橋脚土台部分は水に浸かるらしい(参考画像 西日本新聞).
満水時の位置は次図(引用元 )で想像してみてほしい.なお,白川第一橋梁の両端はトンネル(犀角トンネル,戸下トンネル)であったが,地震による損傷のため,架替工事の際,犀角山トンネルは撤去され,山は崩され,平場になった.
計画が発表された当時,私も立野ダム建設に違和感を感じたひとりである.南阿蘇へ行くには,旧国鉄高森線を利用するか,あるいは立野から谷底へ下り川を渡って「七曲り」を登る道しかなかった.昭和30年頃,肥後大津に住んでいた伯父に連れて行ってもらったことがあるが,「七曲り」の桜,旅館の横の川原に温泉プールがあったのを記憶している.この旧道沿い の戸下温泉,栃木温泉,それらを囲む北向谷原始林(関係者しか立ち入ることのできない保護林)が湖底に沈むことなど想像することができなかった.ところ が,計画から30年近く経って状況は大きく変化した.明治時代に漱石,徳富兄弟が泊まった戸下温泉の「碧翠楼」は水没予定地になるため,早々に廃業してしまった.また栃木温泉の小山旅館は高台へ移転した(熊本地震による休止後,再開).昭和45年(1970),阿蘇大橋(現在は新阿蘇大橋)が開通し,旧道を通る車が少なくなり,観光客の動きが変 化したのも影響したものと思われる.その後,平成15年2003には俵山トンネルが完成し,南阿蘇へのアクセスは大きく変化した.なお,長陽大橋は1997年(平成9年)に開通.
黄色枠の説明 左端中心:[立野ダム],中心近く:[阿蘇長陽大橋],旧温泉旅館は橋桁付近,[第一白川橋梁]:南阿蘇鉄道の鉄橋(立野駅から1500m)上部中心近く:[新阿蘇大橋],右下隅:[移転した栃木温泉]
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熊本地震で被災した新阿蘇大橋(2021年3月7日復旧),長陽大橋(2022年3月11日復旧),鉄道施設(橋梁2022年5月25日復旧),トンネル,線路)が次々に復旧し,7月15日には南阿蘇鉄道が全線開通する.南阿蘇村はダム周辺流域や渓谷の地質的な見どころを生かした新しい観光振興策を検討しているという.
阿蘇地域の地震復旧は一段落したが,問題がなかったわけではない.国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界ジオパーク」に指定されている阿蘇の立野峡谷(南阿蘇村)で,阿蘇山の溶岩でできた「柱状節理」が,国が行う熊本地震の復興工事で壊されていたことが後になって判明した.熊本復興事務所によると,崩落した阿蘇大橋を架け替えるための工事用道路新設の際,高さ約70メートル,幅約110メートルにわたり,柱状節理を含む岸を削った.県担当者は「早期復旧・復興を果たすために,やむを得ない状況だった」と釈明したという(産経フォト).立野ダムの広報写真(フォトフレーム)に「柱状節理」の文字が記載されているのは,その点を配慮した工事であることを言いたいためであろう.
柱状節理
溶岩が凝固する際にできる柱状の割れ目であり,立野峡谷では黒川の岸に露出し,その景観が魅力となっている.
温泉の歴史
熊本藩年表稿によると,戸下温泉は湯之谷温泉と同時に細川重賢の治世時に整備されている.
寳暦9年(1759)細川重賢 6月9日 布田手永永野村湯谷温泉湯小屋宿谷取建,栃木温泉同前にし1年銀1貫500目宛上納の事(湯谷温泉始まる)
明治時代になると多くの文人等がこれらの温泉を訪れている.
国土交通省九州地方整備局が熊本県の白川上流で建設を進めている立野ダム(南阿蘇村・大津町)の本体工事が大詰めを迎えている。工事用道路の整備など建設事業着手から40年、4月には本体のコンクリート工事が終わる見込み。その重みで洪水をせき止める巨大な塊が、立野峡谷にそびえている。
立野ダムは熊本市など下流域の洪水を防ぐことを目指す治水専用。ダム本体に3門の放流孔がある流水型で、ふだんは白川の水をそのまま流し、大雨による増水でさばききれなくなると水がたまる。本体の高さは約90メートル、最上部の長さは約200メートルある。
総貯水量は約1千万立方メートルに達し、満水になると上流にある南阿蘇鉄道の鉄橋が橋脚の土台部分まで水没するという。
工事は、5年前に完成した仮排水路トンネルで白川の水を下流に流しながら進められ、工事用の大型車や建設に携わる人たちも放流孔を抜けて上流側と下流側を行き来してきた。
1月末から放流孔に川の水を通すため、15日には「放流孔を歩いて通る最後のチャンス」として、ウォークイベントがあり、地元立野地区の住民や県内外からの応募者ら計150人が約60メートルの「ダム通り抜け」を体験した。
「圧巻でした。これだけのものができあがったことに感心しています」。イベントに参加した立野の新所区長、山内博史さん(69)は、こうこうとライトをつけて夜も休むことがない工事を見守ってきた。「大雨の時にどれだけ力を発揮してくれるのか。被害を少なくできた時にこのダムを造った意味が出てくる」
熊本地震で被災して復興に向かう立野地域で、ダム工事も一歩一歩進んできた。農業用水が使えなくなった田畑は工事用の資材や機材などの置き場に。旧東海大学阿蘇キャンパスの学生がいなくなったアパートには工事関係者が住み込み、地域の祭りに参加する姿も見られた。
南阿蘇村で食料品店を営む井手一誠さん(61)は、ダムを知ってもらうきっかけにと、日本酒や焼酎に「立野ダム」のラベルをつけて売っている。この日は放流孔をバックに知人らと記念撮影するなどイベントを満喫。「感無量です。完成後は地域のために役立ってくれるはず」と、インフラ観光の拠点としてダムに期待を込める。
谷底から少しずつ高くなっていくため、ダムの姿は近くからでも目につかなかった。その完成に近い姿を体感してもらおうと、立野ダム工事事務所が招待イベントを企画。甲斐公久所長は「現場のみんながこの日が来ることを心待ちにしていた。今後は、上流での水遊びなどダムの利活用につなげていきたい」と話していた。
現在、工事はダム本体だけでなく、漏水を防ぐため両岸の岩盤にセメントミルクを注入する作業も進んでいる。4月の完成後は、そのまま梅雨や台風時期の大雨に対応。設備の安全性を最終確認する試験湛水(たんすい)は秋に行う予定で、貯水量いっぱいまで水をため、最上部から水をあふれさせるという。(城戸康秀)
(2023.7.1)
立野ダム展望所
立野駅から500mの距離にある「立野橋梁」と立野ダムを入れて撮影できるようにフォトフレームが設定されている,
上流および下流から見たダムの姿