植物間会話に関与する
青葉アルコール
地球上で生物の中で,動物の占める割合は0.4%程度で,植物が84%を占めるという.人は0.01%に過ぎないらしい.動物は植物を食し生命を維持している.人間は食物連鎖の頂点に立って200万年が経過した.その間,植物は生理活性な香り化合物を作り出してきた.人間が,その単離,分子構造,活性発現機構等を解明できるようになったのは,20世紀になってからである.さらに,匂いを感じる嗅覚の仕組みが解明されたのは最近である.2004年,「におい」を検出する受容体タンパク質の実態を明らかにし,受容体からの情報がどのように脳に送られるかを突きとめた功績に対して,ノーベル医学生理学賞(米国人科学者2名)が授与された.
最近,植物間コミュニケーションの存在を示唆する現象が次々に明らかにされているが,その本質は香り化合物であるという.以下に示す例は,京大の2015年頃の研究である.
植物は虫に食べられると特別な香り物質を作って環境中に放散し,害虫の天敵を呼び寄せる機能があることが報告されている.さらに,周 りのまだ食べられていない植物がこの香りを受け取ると,「仲間の植物が虫に食べられている. 天敵を呼べ」と思われるような反応を示す.植物は逃げることができないので,変わりの手段をとるしかない.このように香りを介した植物間の会話はコミュニケーション(plant-plant communication),植物間シグナリング (plant-plant signaling),植物の立ち聞き(eavesdropping plant)などと呼ばれている.この現象は,「2000 年頃より紛れも無い事実として報告されてきている」とのことである.
植物が「危険を知らせる香り」を受け取り,防衛するためには,香りを受け取る巧妙なメカニ ズムが存在するはずであるが,その詳細についいては明らかにされていなかった.京大の研究グループはトマトとその害虫のハスモンヨトウを用いて,トマトの株間でも空気中の 香りを介したコミュニケーションがあることを実証し,香りを受け取る仕組みの一つと防衛の仕組みを世界で初めて明 らかにした.次図はその概念図である.
トマトやナスなど多くの作物に被害を与える害虫の一つであるハスモンヨトウの食害を受けている植物(左側の植物)からは様々な「香り化合物」が放散される.そのうち,緑で囲ったヘキセノール(青葉アルコール)という香り物質は,空間を隔てた隣の食害を受けていない植物に取り込まれ,糖と結合した配糖体(下図右側)へ と変換され,蓄積される.この配糖体はハスモンヨトウの生育を阻害することが明らかになった.
疑問点)受け取ったヘキセノールの量は微量のため,受け手側で増産するものと思われるが,その後の研究報告には以下のように記載されている.
ヘキセノールは隣の食害トマト由来だろうか,あるいは食害トマトの香り化合物を感じた受け手側のトマトが作ったのだろうか.筆者らは重水素標識ヘキセノールを合成し,無傷トマトに曝露して生成したヘキセニルビシアノシドのアグリコン部分の重水素標識率を解析した.その結果,受け手植物のヘキセニルビシアノシドのアグリコン部分はほぼすべてが標識されており,受け手植物は環境中に漂ってきたヘキセノールを取り込んで配糖体化したことが明らかとなった.
ヘキサノールについて(折りたたみ文書) 右端のVをクリック
別名青葉アルコール(leaf alcohol).京都大学の武居三吉により緑茶の香り成分として発見,命名された.正式な化合物名は, (Z)-3-ヘキセン-1-オールまたは cis-3-ヘキセン-1-オールでる.
沸点 156 ℃の無色の液体で,野菜など植物の青臭い香りの主成分である.上述の様に,ストレスに対する植物の防御機構に関わっていると見られている.木の葉やハーブ油にも含まれ,香水などの原料として工業的に生産されている.酸化されると,アルデヒド体,cis-3-ヘキセナールを生じる,その異性体,trans-2-ヘキセナールは青葉アルデヒドと呼ばれている.これらはアルコール体よりも強い香気を持ち,同様に香水の用途に用いられる.
アルコールの異性体である trans-2-ヘキセノール (trans-2-hexen-1-ol) も,香料として用いられる.
trans-2-ヘキセノールは沸点 156–158 ℃の無色透明の液体で,cis 体と比べてリンゴに似たフルーティーな香気を有する.参照元:Wikipedia
ヘキせナールの構造
配糖体の構造
一方,トマトが食虫植物であることが英国科学者により明らかになっている(2009年).
Attack of the killer tomatoes? | Features - Tahlequah Daily Press (2009)
食虫植物と言っても,ウツボカズラのような葉先から伸びた蔓の先の捕虫袋を持つような食虫植物ではない.茎や葉の表面に産毛のような毛が生えていて,これに捕捉された虫は土に戻り,根から吸収され植物の栄養分になるという,
同種植物間のコミュニケーションに加えて,異種植物間のコミュニケーション,および動物とのコミュニケーションもあるという.さらには,植物間には,空間ばかりではなく,地下茎を介したコミュニケーションも存在するらしい.植物が虫に食われると,揮発成分を出して,虫の天敵を呼び寄せるということは何となく納得できるが,植物の会話を動物の会話と同列に扱っているという印象を与える記事が多くなった.しかし,このような見解に対しては,反論があり,哺乳類が痛みを感じるような,複雑な脳組織の機能と同様なネットワークの活性化による反応ではなく,もっと単純なものであるという.以下はその一例を紹介した記事である.
「植物は意識を持たない」と科学者がわざわざ論文で主張する理由とは? - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20190704-plants-dont-think/
研究グループは植物の電気信号伝達機能は隣接細胞と伝達があるわけではなく、あくまで「他の細胞とコミュニケーションをしているわけではない」と主張。「植物の神経伝達は自然淘汰を経た遺伝的なプログラムで、動物の脳と比較することは脳機能の本質である驚くべき複雑さを無視している」と非難しています。
哺乳類は痛みを受けると体性感覚や、大脳新皮質・扁桃体・視床下部・脳幹などの大規模なネットワークを活性化させ、感覚的・認知的・感情的なさまざまな反応を引き起こします。一方で、「植物が痛みを感じるのか?」というトピックにおいては、植物も刺したり切ったりといった刺激に対して反応を示すといわれますが、これは「痛み」を感じているわけではなく、あくまで生物の有する基本的な特性で、意識とは関連性がないと研究グループは主張しています。
Fruit Herbivory Alters Plant Electrome: Evidence for Fruit-Shoot Long-Distance Electrical Signaling in Tomato Plants, Front. Sustain. Food Syst., 20 July 2021
植物に「意識」はあるのか? - GIGAZINE
https://gigazine.net/news/20180611-plant-consciousness-debate-limitations-mind/
香りが防御反応を引き起こすことは確実のようだ.香りを受け取った後は,電気的信号の情報ネットワークが機能するはずである.最近,思考や意識等の非物質的な現象を理解するにあたって,「生物系の電気的次元」に関する表現を容易にするために「エレクトローム」という新しい用語が使用されるようになった,「ゲノム」、「プロテオーム」、「ペプチドーム」、「メタボローム」、「コネクトーム」などと同様に,「エレクトローム」はすべての無機イオン (H +、K +、Na +、Ca 2+、細胞のレベルから生物全体のレベルまで、あらゆる生命体のCl -、HCO - ) ベースの電気的作用 (= イオン電流)を意味するらしい.植物に,思考にもとづいた擬人的な行動が存在するのか,今後の研究の進展が楽しみである.
参考資料
隣接する食害植物由来の青葉アルコールの取り込みと配糖体化 ... 2014
植物間の香りを介したコミュニケーションの仕組みの解明に成功 2014
植物がかおりで危険を感じ取るしくみ– 隣接する被食害植物からのかおり化合物を取り込み,配糖体化することで来るべき害虫に備える 杉本貢一, 松井健二, 高林純示, 化学と生物 53(3) 138-140 2015年
被食者の匂いに応答した植物の防御反応発現メカニズムを解明 ... 2022
植物の空間コミュニケーションから生命の神秘を紐解く 2021
【プレスリリース】匂いを介した植物間コミュニケーションは ... 2021
植物間コミュニケーションを活用したダイズ栽培技術の確立 2017
植物の地下での情報のやりとりを発見~地下茎で繋がった植物 ... 2022
The cell's self-generated “electrome”: The biophysical ... - NCBI
(2022.11.17)