ローマ2日目はアマルフィへ。6時にホテルを出て、6:45発でサレルノへ サレルノに9時16分着、冬はアマルフィ行の船が無いのでサレルノからはバス。
6:20ぐらい
駅前なので朝5:30から開いている。夜は21:00まで
コーヒーとパンを調達
このETR600は2008年に営業運転をスタートした車両で、最高時速自体は250キロに抑えられていますが、その特徴は前回のX2000同様に、車体傾斜機能(チルト機能/振り子式)が付いている点です。ですので高速新線以外のカーブの多い従来路線でも車体を傾けて速く走ることが可能となっています。
イタリアは1960年代に最初の高速列車が登場するまでそれを着手して来なかった。他の欧州諸国と比べて立ち遅れていた。1990年代に巻き返しを図るべく300km/hでの走行を前提とした高速鉄道網の整備に取り掛かり、それまでのETR450,460,480シリーズでは250km/h以上の速度は出せない為、それらに代わる振り子式ではない高速新線上で主に使用することを目的とした列車が開発された。1988年に試作車ETR500-Xが319㎞/hを記録。量産型はピニンファリーナがデザインし、1編成は2両の機関車と4両の1等車、食堂車、6両の2等車から構成されていた。2008年には岡村製作所の椅子が採用されFrecciarossa(フレッチャロッサ、赤い矢)の愛称が与えられた。
イタリア国鉄の夜行列車の意。この車両は2段寝台車
ヴィッラ・リテルノ(ローマの南東、電車で2時間20分)。フラスカリはローマの南東、電車で30分
フィアット(現在のアルストム)が1997年から製造したペンドリーノで知られる振り子電車。ETR460、470,480があり外観は同じ。
ETR470が直流3kVとスイス国内の電化方式交流15kV、ETR460が直流3kV、ETR480は後に建設されるイタリア国内の高速新線(TAV)の電化方式に備え直流3kVと交流25kV50Hzに対応。外観ではわからないので
わが国の振り子電車は自然振り子式だが、この車両は油圧で車体を強制的に傾かせる機構が備わった「強制車体傾斜式」。
横からの姿
Naples Gianturco Station。ナポリの電車と高速鉄道の駅。街の工業地帯にあるジャントゥルコ通りにちなんで名付けられた。
ベスビオ火山、標高1821m
9:16
ローマから260kmを2時間半。
カンパニア州、バジリカータ州、プーリア州地域部門が実施する地元の公共交通機関をSICUREZZA TRASPORTI AUTOLINEE - SITA SUD S.r.l.に移管したSITA S.p.a.(1912年設立)の一部門から生まれた。
南部のティレニア海沿岸にある州。州都はイタリア第三位の人口(96万人)を擁すナポリ。サレルノはサレルノ県の県都で人口14万人。他にカゼルタ県、ベネベント県、アヴェッリーノ県がある。
イエスの聖心の教会。駅前のヴィットリオヴェネト広場の東にある。 20世紀初頭、当時サレルノの郊外に建てられ、ナポリとレッジョディカラブリアの間の線路に近接し、1943年の連合国上陸時に損傷を受けた。2000年に当地に移転。
奥はサレルノヨットクラブ。
サレルノの郵便局
サレルノ市役所
Chiosco della villa comunale di Salerno(市営公園の売店)のレモンシャーベットが名物
19世紀に出来た木造劇場。劇場名のジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813年10月10日 - 1901年1月27日)はイタリアの作曲家。19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家で「オペラ王」の異名を持つ。代表作は『ナブッコ』、『リゴレット』、『椿姫』、『アイーダ』
マッテオ・ルチアーニ(1812-1888)は統一後の初代市長。1860年にガリバルディをサレルノに迎え入れ、1862-74、79-86年に在位。ヴィットリオ・エマヌエーレ通り、都市ガス照明を設置。建築家カサルボレに、希少な植物と背の高い木々の庭であるヴィラ・コムナーレのデザインを委託。ヴェルディ劇場も彼の決断。
1983年に出来たマリーナ
同社は1965年6月19日、会社「カロンテ」の船「マリーナ・ディ・スッラ」がメッシーナからレッジョへメッシーナ海峡渡る日に設立された。観光フェリーボートで1968年以来、今日では実質的な独占権を持つヴィラサンジョヴァンニとメッシーナを吸収。2001年にはメッシーナとサレルノを間も航行。2003年、両社はCaronte & Tourist S.p.A.に合併。2019年1月、英国のファンドが買収。写真のCartour Delta 2011年製、定員1000名26500トン
グリマルディ・グループは、グリマルディ家が所有するナポリに本拠を置く民間海運会社。1348年に3人のグリマルディ兄弟が3隻の船の傭船の保証として貴重な遺物を受け取る最古の記録がある。現在の会社は、イタリアの船主ジョアッキーノ・ラウロが蒸気船会社を始めた19世紀半ばにさかのぼる。息子アキレは業務を拡大し20世紀半ばに世界最大の海運会社の1つになった。当時、ジョヴァンニ・グリマルディは弁護士で、アキレ・ラウロの妹と結婚していた。アメリア・グリマルディ=ラウロは弟のアキレに息子のグイドの入社を頼み、グリマルディ家は海運業に戻った。この息子グイドは、1947年に兄弟のルイージ、マリオ、アルド、ウーゴと共にリバティー船を購入しグループを設立。当時、乗客の大西洋横断旅行はピークに達した。イタリアとブエノスアイレス、カラカスなど 南米航路に焦点を当て60年代初頭、イタリアの好景気に支えらればら積み貨物船とタンカーを強化。現在は130隻以上を有し総面積約620万㎡、22の港湾ターミナルを所有する