認知症の人と介護家族が一緒に集まり、交流し、元気になる場です。楽しいワークショップやイベントを企画しています。
*4.6.7.8.10.11.3月の第3日曜日、13~15時30分まで。
会場:大阪府支部(大阪市天王寺区味原町7-6)ほか
*会員の方は無料、非会員の方は資料代500円をいただきます。
※管理栄養士から学ぶ自宅で行う食事介助(計画中)
認知症の人も、家族も、お子さんも、ご近所さんも、だれでも一緒に楽しめる「くじ引きドローイング」を関西で初めて開催します。
①各テーブルにはホストがひとり
②家族は同じテーブルに座らない
③各テーブルで軽い自己紹介
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④くじドロ開始(ひとり2回ぐらい)
⑤テーブル内で作品発表
⑥テーブル単位で参加者が感想を発表
⑦ホストはテーブルを代表して参加者の感想を発表
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⑧テーブルを「本人」「家族」「支援者」に分けて、それぞれのテーブルで「今日の気づき」について話し合う
⑨感想を参加者シートに書いて提出
おわり
だれでも一緒に楽しめる「くじ引きドローイング」を関西で初めて開催しました。
TYさん(作業療法士)
くじドロを体験して楽しいだけではなく、他の人の絵に対する考えや思いを知ることができてとても学びの時間となりました。認知症の人、またご家族が参加された時、行動や気持ちにどのような変化がもたらされるのか、今後のくじドロの活動が楽しみです。
TIさん(臨床心理士)
認知症の人は5分前のことは覚えていなくても、数十年前のことははっきり覚えていたりしますよね。くじびきドローイングのお題はそんな昔の記憶を(偶然に)刺激して、脳のある部分を活性化する可能性はあるかもしれないな、と思いました。そして、そのことは当人にも、そのまわりの人にもちょっと嬉しいことなんじゃないかなと思いました。
世話人
くじびきドローイングを「本人と家族の一体的支援のつどい」に取り入れた理由は、介護される本人と介護する家族、というほぼ固定された関係を解く、緩めることで、思い込みから見えなくなったことに気づくきっかけになるだろう、そんな媒体になる力を持ったアートワークだと感じたからです。絵を描くことから縁遠くなった人は多いでしょう。コンプレックスがあって描くことを拒否する人もいるでしょう。それでもいいのです。この場にどのように参加するかは一人一人違っていい。眺めてて、感想をポツリいうだけでもいい。もちろん夢中になって描いてもいい。びっくりするような絵を描いて、褒められたりすると誰だって嬉しくなる。煮詰まって、息詰まるような家庭内介護の辛さから、ひと時の開放感を本人も家族も共に感じて欲しいのです。ワークショップの最後には、それぞれのグループに分かれて語り合いの時間を持ちます。アートワークのあとのこの時間がたまらなく心地いい。次回は8月21日お待ちしています。
本日のお題
さるすべり(百日紅)で滑ったサル 世界の平和とアジアンヘイト うし 温泉でプハァ〜 お母さんに叱られたプーチン大統領 志を学んでいる青年 長州の高杉晋作が日本の総理大臣になっている姿 おいしいうた 革命前夜に聞いた音 カリン(花梨)の花を見て喜んでいる娘のかりんちゃん 大好きなアイス 好きな歌(曲)のシーン ぶさいくなパンダ 抱きしめたい人 ラーメン食べたいよ
だれでも一緒に楽しめる「くじ引きドローイング」を関西で初めて開催しました。
岸和田市のSさん
お題の発想が個性的であったが、描く人の発想もさらに個性的で楽しかった。自分は絵心がないので心配だったが何とかなったし、楽しめた。
大阪市の当事者Hさん
絵を描いて楽しかった
家族介護中のTさん
何十年かぶりに色鉛筆で絵を描きました。日ごろ使っていない頭の部分を使って新鮮です。
家族介護中のSさん
(くじを書いてくれた)相馬市のどういう方が、どういう思いでこの言葉を書いたのだろうと考えることが、SNSとは違う感覚のつながりを実感できました。また、自分が書いたお題がワークショップの中で絵になったことも不思議な感覚でした。
大阪市のKさん
とても楽しかったです。人の絵を見て感じること。笑顔になりました。人と人がつながり円が縁になる取り組みに感心しました。
大阪市の当事者Nさん
いろいろな方がいて、私も元気をいただきました。ありがとうございました。
家族介護中のTさん
お題にあわせて絵を描くのに発想力が必要で、次のお題を考えることにも発想力が必要であるなど、脳の活性化に非常に効果的だと思いました。また是非参加したいです。
大阪市のMさん
久しぶりに絵を描いて楽しかったです。同じテーブルの人に影響を受ける自分がいました!また参加したいです。
大阪市のHさん
うまい、下手、点数関係なしに絵を描くのは素敵です。
本日のお題
笑顔 犬 かたつむりのデュエット 至福のひととき カップラーメン お化け みんなでしたいこと 革命 幸せな瞬間 フルーツパンツ くじに当たり続ける 猫のかつおぶしっぽいおなら お気に入りの時間 納豆の未来 宇宙 めいろ ザリガニが鳴くところ 火星での3292年最新トレンド家電 お金持ちの坊主 逃走中 仮面ライダーの真似をする いろいろなかたちの月 あなたの夢 あこがれの人 好きなおやつ 宇宙人との結婚式 フルーツパンチ 昼ゴハンおいしかったなー ギャルが生まれた瞬間 世界に一つだけの花 のんびりできる場所 将来の自分の似顔絵 消しゴムが飛行機になったら 仲がいいね ふしぎなとびら 犬の顔 初めてレモンを食べた時の顔 ジパングとレイン 自分が飛んだらどんな気持ち 楽しく踊るろくろっくび ピカチュウの靴をはいている男の子
お天気のいい日曜日、参加者は少なめでしたが、そのぶんたっぷり話をしてもらえました。
Hさん(初参加の大学生)
認知症と住まいというテーマで卒業論文を書く予定。今回は、卒論のデータ収集の一環として参加。認知症の人を介護するというのは大変だという思い込みがあったが、今日他の人の話を聞き、ユーモアのある考え方や介護をされていることが分かった。介護は大変なだけではないことに気づいた。
Mさん
今月90歳になる母が軽度認知症の様相を呈す。自身は福祉関係の仕事をしている。仕事と介護の両立でストレスもあり、ガス抜きのために参加した。母親は家でテレビを見るばかりなので、テレビに置き換わる様々な刺激を投入していこうと思っている。最近は、本人が楽しめるような歴史漫画を買ってきたり、頻繁に外出してコンサート、映画、落語などの芸能鑑賞を楽しむ機会を作っている。非日常を楽しんでもらうことで、本人の認知症が改善するんではないかと期待している。
Tさん
母が認知症。大阪フィルハーモニーのコンサートに連れて行ったとき、翌日になっても「あの音楽は良かった」と言っていた。テレビで聞いた音楽はすぐ忘れてしまうのだが、クラシック音楽の生演奏は記憶に残るようだ。
介護の工夫で言うと、亡くなった父と母はすごく仲が良かった。そのため、今は母が悲観的な事を言い始めたら、そんな母に「お父ちゃんやったら、こういうこと言うんちゃうかなー」と言って、母の沈んだムードを変える。時々、母は「頭が悪くなってしまった」と言って、自分の頭をグーで叩いてしまう時があるが、そんな時には「あほちゃいまんねん、パーでんねん」のギャグを言って笑いにかえる。洒落をきかせた介護をしている。
Iさん
認知症の母は昨年亡くなった。母が何度も親戚の消息を聞くので、時々こんなクイズをしていた。母のきょうだいについて、「○○叔父さんは、今、生きてるか、死んでるか、どっちでしょう?」「うーん、死んでる?」「ブー!生きてます」不謹慎ではあったが、子どもに還った母と私の二人だけの間で笑いを添えていたと思う。
Mさん
バリアフリーというのは、責任や事故のリスク回避にはいいけれど、、脳の刺激が少なすぎると思う。床が平らなだけでは、気をつける緊張感もなくなってしまう。段差を予測したり、用心する脳の働きまで奪うのではないか。認知症に関してはバリアフリーし過ぎないほうがいいのかなと思う。
Kさん(世話人)
久保田競という脳神経研究者が大学生を使った実験で、人が歩くときと、早歩きするときと、走るときでは活性する脳の部位が変わることを発表した。走った時に初めて前頭前野が活性する。走った時は一瞬からだが宙に浮く。すると脳は着地した地面の変化に対応するために視覚聴覚嗅覚などを使って予測を始める。その働きをするのが前頭前野で、脳に大きな刺激を与えてくれるらしい。
Iさん
人工股関節を入れている。身体障害者としては、バリアフリーが有難いと感じる。また、ケアマネジャーとして働いた経験から言うと、認知症の人が入居する施設の構造がたとえバリアフリーであっても、物を拾うときに転倒してしまう人もいる等、平地なら安全というわけでもない。バリアフリーのメリットデメリットについては難しいところがある。
Yさん
右足の付け根が痛くなり、一時は寝ていても辛い状態となった。その時は杖をついて歩行したが、数メートル歩いてはどこかに寄りかかりと、休憩を何度も必要とした。杖以外にも歩行器などを試してみた。するとシルバーカーが一番使い勝手が良かった。最悪の時から比べて状態はいくらか改善し、割と歩けるようになったが、長距離の歩行や階段は今でもしんどい。
Sさん(世話人)
全てには一長一短がある。コルセットもつけると楽になると言われる反面、筋力が落ちるという具合に、バリアフリーについても然り。私も最近転倒した。健常者でもバリアフリーは有難い。
Kさん(世話人)
今は建物が洗練し過ぎて逆に使いにくくなった部分がある。例えばホテルは、トイレが見えにくい位置に設置されて、サインもモダンでお洒落すぎてかえってわかりにくくなったりする。また、トイレに頻回に行きたがる認知症の人がいるが、それはトイレの場所が見えず不安なことと関係している。トイレが見える場所にあれば、訴えは減ると思う。
浅田さん
非常勤でゆっくりの部屋の運営に携わった。自分が提案した俳句の会では、来所者が即興で俳句を作り、互いに評価し合った。もう一つ提案した紙芝居は、ゆっくりの部屋のメインイベントになったと思う。来所者が考えたストーリーで紙芝居を製作した。一緒に時間をかけて作った紙芝居を2度公演することができた。ゆっくりの部屋でケアサポーターの立場で、いい経験をさせてもらった。
村上さん
非常勤でゆっくりの部屋の運営に携わった。来所者は将棋やマージャンをされるが、自分は全くできなかったので、人に聞いて少し勉強した。この1年は元永さんのダンスのワークショップに付き添いするなど、少しはお手伝いができているかなと実感。元永さんに助けてもらったと思う1年だった。
元永さん
ピアサポーターとしてゆっくりの部屋の運営に携わった。最初は何をすればいいのか全く分からないままピアサポーターになったが、活動中は自由に遊ばせてもらった。閉所になって残念だが、また何かの形で大勢で楽しくできたらいいと思う。
家村さん
ゆっくりの部屋がなくなることはショック。昨年、ゆっくりの部屋メンバーも聴きに来た支部主催の音楽会にて、自分と妻がギターとキーボード演奏をした。妻は認知症で言葉でのコミュニケーションが難しく、人と何かすることが限られている。そんな妻が演奏後に誇らしげな顔をしていたと他の演奏者から聞いた。音楽会を開いてくれた支部に感謝する。
認知症の人の自主性を尊重する場であったゆっくりの部屋であるが、その理念を継承するかたちで4月からおれんじドアおおさかが開設される。おれんじドアおおさかの活動について意見を出し合った。
網屋さん
地域と関わっていろんな活動が出来ればいいのではないか。おれんじドアおおさかだけに限らず、大阪一円で障がいの有無に関わらずサロン的活動が広がっていけばと願う。
辻さん
行政と連携しながら、既存の社会資源サービスのなかにうまく組み込まれるような形で運営すれば、より多くの人に開かれ、公共性を高められるのではないかと考えた。
森さん(夫)
認知症の人のだけが集う場所になると閉鎖的になると思う。地域の子どもも巻き込んだりして、一緒になにか活動できたら楽しいだろう。来所する人が自由にできて、いつでもいけるような場になればいいと思う。
森さん(妻)
認知症の本人が、自分の思い入れのある服を着て、プロにメイクをしてもらいファッションショーをするのはどうか。メイクをして、セットしてもらうと、きっと本人も楽しいだろう。または思い出の写真を発表して、自分の人生を語ってもらうイベントなどがあればいいなと思った。
角村奈緒
12月中旬に行われた〔つどい〕に私は初めて参加しました。認知症移動支援ボランティ育成講座を受講した私は実習の一つとして参加しました。この日はワールドカフェというワークショップで、参加者とテーマの{おでかけでの心配事}を話し合うというものでした。決められた時間内で同席の方と意見を交わすのですが、始めに軽く自己紹介をする時に、(色んなタイプの人が参加しているんだなー)と思いました。家族の介護をしていたので経験を活かせたらという人、介護中の人、仕事で福祉・医療・介護をしている人、両方の人など様々でした。
テーブルを移動し参加者の話を聞くにつれ、自分が考えた事も思った事も無い意見を聞く事がありました。また、自分が話した時に「あーそういう風に思った事ないなー」という事もありました。誰かの意見が自分の価値観に新しく影響を与え、また自分の意見が誰かの手助けになる事。認知症とか社会福祉ボランティアとかってなかなか実際に関わってみないと分からない事だらけで、どのように関わったら良いのか分からず怖かったり、訳の分からない不安が多かったりもします。でも、身近に感じてもらうには、このような場所で友達や家族以外の人と話をし、意見を交わし交流を持つ事から始めるのが大切なのかもしれないと思いました。
私は普段から高齢の方や認知症の方と関わる事が多い仕事をしているので、日常に近いものがありますが、社会福祉が日常生活に身近に感じられる他の国に比べ、日本はまだまだ難しいのかなと思っていました。でもこの[つどい]に参加して、仕事としていなくてもボランティアという形で、「誰かの手助けになれば」と思っている方がおられ、話をする事ができとても勉強になる有意義な時間でした。参加出来て良かったです。
2021年10月10日(日)つどいの会 12:45-15:10
森ノ宮医療大学の松下太教授を講師に招き、認知症の人が外出する際、その介助の留意点について講義が行われた。
まず、認知症の特性に配慮する必要性を指摘された。認知症の人は外出した際、自分がどこにいるのか、何をしているのか等が分からなくなり、不安になったり興奮状態になったりすることがある。さらに、いつもは難無く歩けても、外出先の足場が悪かったり緊張してしまって、歩けなくなるというような状態変化が起こりやすい。外での転倒トラブルの発生率が高くなることも指摘されている。このような認知症特有の障害や状態変化に対応するため、介助者はさまざまなリスクを想定し、できるだけリスクを減らしていく配慮が求められることを教授された。
具体的な環境のリスク因子としては、地面の凹凸や、傾斜、滑りやすいかどうか、車の通行状況、道路の広さや、階段・段差の有無、トイレの有無など多岐に渡る。これら、リスクとなりうる環境を下見の段階でできるだけ把握し、その対応策を考えておくことが重要である。ただ、リスク低減ばかりに気を取られるのではなく、移動の目的地や寄り道が認知症の人にとって楽しめる環境であるのかどうかの目配りを忘れてはならない。リスクと楽しさのバランスを考慮して、ホリスティックに外出先の環境をアセスメントしていく必要があることを説明された。
次に外出先での支援・介助方法について実習も交えて講義された。認知症の人への声かけの基本は、その人と同じ目線か、やや下から上へ向かう目線で近い距離で話しかけること、手の持ち方は、認知症の人の腕を手のひらで下から支えるように持ち上げるのが良い、といった具体的かつ実践的なコミュニケーションのコツが伝えられた。
歩行困難を抱えた認知症の人の外出介助の方法についても指導があった。杖を使用する認知症の人の介助については、杖の長さの調整について詳しく説明された。良い高さとは、体重を預けられる高さであり、その目安として身体より少し前に杖をつき、その時に肘が20-30度に曲がる程度の長さだと言う。その他、杖を購入する際の確認ポイントなど、実用的アドバイスが詳しく説明された。
次に車椅子の移動介助について、車椅子の広げ方から、段差昇降、坂道の介助、テーブルへ移動する際の注意点、車椅子に乗る人の手の位置など、介助者が注意や配慮すべき点を細かく指導された。各注意事項に対して、用意された車椅子二台を使いながら、良い例と悪い例をデモンストレーションした。特に悪い例については、どのような危険や弊害があるかを説明し、それらの注意点を踏まえ、受講者も実際に車椅子を操作する実習時間が設けられた。さらに車椅子での良好な姿勢保持の方法についても講義があった。良い座位姿勢を維持するためには、座位保持装置や車椅子の改善・工夫、クッションやマット等の導入、適切な体位変換の介助が必要であることが強調された。良い姿勢の取り方についての説明があり、体位変換するコツや楽に変換できる福祉用具が紹介された。
最後に、認知症の多くの疾患が進行性であり、それに伴いさまざまな認知機能が失われていくが、笑う能力というのは最終段階まで残っていることを話された。認知症の人の笑顔を大切にした介助をする心がけの大切さを説かれ、講義は終了した。
この講座「作業療法士から学ぶ外出時の介助の留意点①」は共同募金助成金により実施いたしました。
井口 直子
「作業療法士から学ぶ外出時の介助の留意点」に参加するまで、作業療法士については、なんとなく知ってるくらいの感覚でした。身体の損傷に対して機能訓練をするのが理学療法士で、普段の生活において、どんな動作をしているのかを踏まえて機能訓練するのが作業療法士なんだろうという認識です。
しかし、今回のお話で、身体機能だけを切り離して訓練するものではないということがわかりました。「作業とは、対象となる人々にとって、目的や価値をもつ生活行為を指す」との言葉がありましたが、まずは、対象となる人々にとっての目的や価値に寄り添うことが第一に据えられていると改めて知りました。
私は今年の一月に母を天に送りました。母に認知症の症状が出始めてから十五年の月日が経っていました。急激な進行ではなく、加齢とともに徐々に進んでいったので、家族としても母の高まる不安や時折の不穏症状、自分自身が母の症状を受容することについて、試行錯誤しながら、チューニングするような感じで対応してきたように思います。しかし、それらの対応には、認知症高齢者に対して普遍的に留意すること、うちの母のケースだからよかったこと、というのがあると思います。
例を挙げると、私は母にふざけて、「お母さんは、忘れんぼやなあ」とか、「ほんまは全部覚えてるんとちゃう」といってからかっていました。それが冗談ですむかどうかは家族のキャラや関係性によるので、話としては微笑ましくても、人に勧められるものでもありません。
今回のお話をお伺いして、認知症の方に寄り添う普遍的な心構えと、本人・家族の状況に応じたカスタマイズということに思いをはせていました。
有意義な学びの場を提供してくださり、ありがとうございました。
世話人 魚谷 幸司
「作業療法士は使える。」8月のつどいでおこなわれた講演を聞いた私の感想です。
私はこれまで約25年、仕事として認知症の人の介護に携わっています。そして勤務先からの命令や自己研鑽のために、数多くの認知症の人の対応に関する話を聞いてきました。ただ、そんな私でも作業療法士の方からの話は初めてだったことから新鮮な気持ちで聞くことができたと思います。
作業療法士自体は私が目指していた仕事の1つでもあったことから仕事の内容はおよそ理解をしていたつもりでしたが、その中に認知症の人との接点は見あたりませんでした。しかし今回の話を聞かせていただき、作業療法士は介護する家族や私のような介護を仕事とする者にとっての強い味方であることがわかりました。
ではどのような点でそう思ったのか、それは認知症に対する見方です。個人的な意見かも知れませんが医師を中心とした医療職と呼ばれる人は「できない」ことに焦点をあて、それを治療などで治そうとします。したがって常識的に考えてこの先ずっと治ることのない認知症に対しても、何とか治そうという発想から薬の早期承認との話になるのです。そして私の浅い知識の中では作業療法士=リハビリの専門職、つまりできないことをできるようにする仕事と考えていましたが大きく違っていました。
まず本人の意思を尊重することを考えられていました。その上ででできることに着目されておられ、その視点の中心にあったのが「生活」なのです。そして認知症の人にとって何より大切なこと「楽しむ」ことも考えておられているのです。家族や介護職と同じ視点を持ったまま、一方で身体的な面など違う専門的な視点でも物事を見ることができるのが作業療法士と言えることがよくわかりました。長く介護の仕事をしている私には悔しいですが「作業療法士、使えますよ」
今回は、2月に開かれた移動支援ボランティア講座の報告会であったため、普段のつどいの会とは異なる形式で会が進行した。
つどい参加者たちは5つのテーブルに分かれ、テーブルごとにグループワークを行った。ワークの内容としては、まず初めに、2月ボランティア講座の受講者で、講座にて配布されたテキストにある実習記録用紙を提出した4名が、記録した内容をつどい参加者全員の前で発表してもらった。
この実習記録用紙には記載すべき項目が4つあり、一つ目は「事実」で、記入者が認知症に関する事柄で見聞きしたことを書く項目である。二つ目は「課題」で、その「事実」に対して感じたことや考えたことを書く。三つ目は「立案」で、その「課題」に対してどんな関わり方があるのかを書く。最後が「実施」であり、「課題」や「立案」に対して、実際にできそうなことを書くというもので、発表者4名からこの4項目を記入した記録用紙を事前に提出してもらっていた。
一人目の発表者は、家族会に来ていたある介護者の事例を取り上げ、家族会で人と人がつながることで、介護者が精神的に孤立しないことの重要性を報告した。また、自身の介護経験から、認知症の人と外出した時に、介護する側とされる側が異性の場合には、トイレで離れても安心できるように、第三者として移動介助してくれる人がいたら助かるだろうという話をされた。
二人目の発表者は、自身の職場での介護成功体験と、失禁が悩みだという介護者の事例を報告した。介護の成功体験は、意思疎通の難しい重度認知症患者に、目を見ながらうなずき、理解しているというメッセージを送ることで、その人に変化があった話を紹介した。失禁については、トレーニングパンツへの移行や排泄パターンの記録などを提案した。
三人目の発表者は、コロナ禍でリモートでしか面会できない辛さを語った、ある介護者の事例を報告した。社会構造の変容と、感染症の影響で多世代交流が難しい状態になっていることに対して、自身が多世代交流できる機会を作る取り組みをしていることを紹介した。また、認知症が老いることの一つのプロセスであると考え、老いることがリスクとして受け止められない世の中にしていくべきとの考えを示した。
四人目の発表者は、家族の会に参加されていた介護者の介護経験事例を紹介した。ペットの猫を探して、一階と二階を何度も往復すること認知症の方の事例については、安全面から改装工事することや福祉用具などを利用する手立てがあることを紹介した。また、病院でミトンをつけて身体拘束を受けている介護者の悩みについては、病院側に抗議を訴えることは、現状では、残念ながら難しいのではないかとの考えを示した。
それぞれの発表を聞いた後に、グループに分かれたつどいの参加者各自は、感じたことや考えを付箋に書き込み、それを予め用意されていた模造紙に張り付けていった。張り付けた後で、グループ内でお互いの感想を共有し、意見交換した。そして各グループの代表者がどのような意見が出たのかを、全員の前で発表するグループワークを行った。
好天に恵まれた日曜日、蔓延防止対策を施した会場で、世話人含め12名の参加でつどいは開かれました。
Yさん:独身で一人っ子。両親と同居で、お母様77歳が認知症。
3年ぐらい前から物忘れがひどくなり、認知症を疑う症状が出てくる。そして2年前から体験したことを忘れるなど、認知症を確信するような出来事が続くようになった。かかりつけ医師に相談してみたところ、医師は本人の前で認知症とは明言を避けるが、Yさん自身15年くらい介護職に携わってきて認知症の方と接してきた経験から、アルツハイマー病であることを確信している。現在は初期段階であり、お母様も何かおかしいと病識があるという。病識があることで、お母様はYさんに頼って安心感を得たいと依存しようとする一方、自分が娘の負担になっていることに負い目を感じており、Yさん自身がどのような距離感で接していいか分からず葛藤を感じている。お母様は頼りたい気持ちと、頼っている自分がつらいという、いまが一番難しい状況にあると語る。
介護認定については、お母様の自尊心を傷つけてしまうことを懸念するとともに、お父様の性格上申請に猛烈に反対することが予想されるため、認定調査のセッティングをすることが困難で申請していない。
同居しているお父親はやや被害妄想の気があるなど難しい気質で、お父様の存在がお母様にとって一番のストレスになっていると言う。これまでお母様はお父様に従属して生きることを強いられ、多くの責任を課され我慢しながら生きてきた。病識のある今の状況が辛いと思うので、認知症が進んでいって子どもに返ることができれば責任から解放され楽になるだろうと考える。だから早く子どもに返っていけばいいなと感じていると述べる。
Yさん自身はお母様が将来認知症になってしまうことを想定して、介護職に携わるようになった。高齢者介護施設と障がい者介護施設で延べ15年ほど働いてきたが、現在は自宅近くの職場を探そうと求職中である。仕事で得た知識を活かして自宅で色々と工夫して介護しているが、職場の施設利用者さんを介護するのと自分の親を介護するのは全く違うと述べる。親の場合には自分の理性がきかなくなり、余裕がない時には分かっていても、言ってはいけないこと言ってしまったりして、反省すると述べる。
Iさん:母親が認知症で1月に施設で逝去 93歳だった
約15年前に認知症を発症し、お兄様が在宅介護していた。離れて暮らしていたIさんは、1週間に1度実家に帰り介護をしていた。そして7年前にご両親が介護施設に入所。お母様は認知症が進行しステージが上がってくると、不安からか不穏な行動を取っていたが、そんな時にIさんは「大丈夫、大丈夫」と言って、安心感を与えるようにしていたという。更に認知症が進み、言葉では慰められなくなった時には「大好き、仲良しやで」と言って抱きしめていたと言う。そのうち「大好き」という言葉の意味や、Iさんが誰であるかも認識できなくなった時には、そのことに傷つきながらも「大好きってことはこういうこと」と抱きしめて、大切である気持ちを身体で伝えていたと語る。そうすることで、お母様のほうも少し不安が和らいでいた様子であったという。
お母様は亡くなる日の前日は元気にしていた。コロナ禍でも面会できるように施設が対応してくれており、Iさんは毎朝出勤前に面会し元気な様子をみることができた。そして、その日の夜にお母様は施設内のソファで心肺停止の状態で亡くなった。亡くなった状況を鑑みると苦しまずに逝けたのだと察することができ、幸せな生き方であり、93歳の大往生であったのだと感じている。その一方で心に穴が開いたような気持ちがして感傷的になっている。また、お母様が亡くなったことに対して、ご兄弟の間での気持ちのずれを感じており、そのずれに苦しさを感じているとも語る。
既にご逝去されていたお父様が亡くなったときは、命の灯が消えていくかのように徐々に衰弱して亡くなられた。それに対してお母様は元気であった翌日に突然逝く形で喪失したため、気持ちの混乱も大きいものであった。お母様は晩年子どもみたいになっていき、一緒に過ごす時間はまるで子どもと遊ぶかのようで楽しかったと語る。その為、お母様をなくされたことは、子どもがいなくなったような感覚がする。今の悲しみに対する心の支えの一つには家族の会でのK代表の言葉があると述べる。K代表が、施設に入所しているK代表のお母様がK代表のことを忘れてしまい、会いにいっても直ぐに他の人のところにいってしまった時の寂しさがあったが、お母様が施設で楽しんでるのだから自分の寂しさは我慢しなければと思ったという語りを聞き、Iさん自身もお母様が施設で安らかに逝ったのだから自分の寂しさも我慢しなければと思ったと語る。
Yさん:移動支援ボランティア育成講座参加者、義理の母親の介護を経験。
YさんとYさんの奥様はともに末っ子であり、介護をすることがないと思っていたが、家族会議の末に介護をすることとなった。時間などの都合からご兄弟は介護のサポートとして、あまりあてにならない状況であった。Yさんは最初の頃は、義理の息子である自分に多く負担がかかっている状況を理不尽だと感じていた。しかし途中から考えを切替えたことで気持ちが楽になっていく。最期の3年ほどは、お母様に認知症の症状が出始めて、面会時に言動がおかしいなと思うことが続くようになった。ちょうどそのころ施設から、夜中にお母様がベルを鳴らして、職員がとても対応できないのでベルを切っても良いかという連絡を受け、認知症であることを理解し了承した。そうして、施設の要請でYさんの時間が空いた日には、お母様の食事介助に行くようになった。施設のスタッフとは普段からよくコミュニケーションをとっていたので、スタッフの対応に不満を感じることはなかったという。お母様が亡くなった時には、それまで自分がやれることはやったという思いがあったので悔いは残らなかった。自分の世代は親の面倒をみて、子どもには見捨てられる最初の世代だと思っている。子どもに残すものは何もないが、身体が元気でいること自体が子ども孝行だと思っていると話す。
Yさんの実母は小6で亡くなり、父親のほうは名前も知らない。そのことに子ども時代では、なんで自分だけが?という思いがあった。しかし今では自分の同世代が親の介護に悩んでいるのとかを聞くと、自分の親は子ども孝行であったのかもしれないと感じる。真正面に受け止めるのはしんどいから、かわしたりして考えを切り替えている。
世話人H:妻を20年近く介護した
奥様は51の時にアルツハイマー病になった。診断時に医者には長くて10年しかもたないだろうと言われたが、その倍ほど生きた。最期は胃ろうするかどうかという状態になり、当時の支部代表sさんに相談しながら胃ろうすることに踏み切った。家で介護するのは、休みなしで24時間することになるからプレッシャーだった。そういった状況において家族の会で話をすることで気持ちを楽にしていた。家族の会で出会う人のなかに、認知症に加えて、他の病気を患う人を介護している人もおり、その人と比べれば自分はアルツハイマー病だけでないか、この人よりはましだと思っていた。他の人の話を聞いて自分の境遇を慰めていた。
世話人M:夫が認知症 要介護1
1月に旦那さんが認知症の診断を受け、薬は飲まないという選択をして介護をしている。現在、旦那さんは一人で留守番ができる状態である。Mさんは、旦那さんが自分のことを忘れないように、書置きのメモには自分の名前と写真を置いていく。旦那さんからは「なぜ名前と写真を置いているの?」と聞かれるので、「あなたに忘れられないように」と返すと、「まるで自分が認知症みたいじゃないか」と答えるという。
認知症診断を受け、車は息子さんが引き取ることとなった。これに対して旦那さんは息子さんに直接言うのではなく、Mさんに「なんで車を返してくれないのか」と怒るという。また、バイクに関しては認知症診断から1週間後にバイクを運転して骨折したこともあり、旦那さんのバイクは処分した。骨折の原因については、旦那さん自身はガードレールに接触したと話しているが、情況的に少し腑に落ちないところがあり不明である。事故直後、旦那さん自身は大丈夫だと言い、翌日もご飯を作るなど生活にそれほど支障なく過ごしていたが、暫くして足が腫れてきたので、病院で診てもらったところ骨折していることが判明した。骨折には本人もビックリしていたが、翌日には骨折したことを忘れてしまっているという。バイクを処分後、玄関には「バイクはないです。バスに乗ってください」というメモを貼っている。旦那さんはメモを読んで理解できる状態なので、現在はメモ書きである程度対応できているが、今後どうなるか分からない。
骨折したことから手すりをつけるべきだとなり、補助金を得るために介護認定してもらった。その時に生活で困っていることを話して要介護1の認定を受けた。
結婚して40年経つが、改めて振り返ると夫に無関心な状態だったなって思うと述べる。残りの人生は旦那さんを最優先にして生活していくこととする。病院行くときがあったら家族の会や仕事も休んで、旦那さんを優先順位1位にして生活していこうと考えている。
Mさん自身、家族の会などに参加し、周りに沢山仲間がいるので煮詰まったときには話を聞いてもらいながら今後は介護をやっていこうかなって思っていると述べた。Mさんは認知症介護の電話相談の対応をしているが、時間が空いたら、彼女自身、他の電話対応している人たちに相談にのってもらっているという。
認知症の治療をする山本医師の話で、認知症の対応で必要なことは認知症の方が穏やかに、本人が思うように生きるようにさせてくださいということを言っていた。認知症の方が思うような生活にどれだけ付き合ってあげるのかが大事だと思うので、旦那さんの思う生活にどれだけMさんが応えられるか分からないが、皆さんに支えられてやっていこうと思うと語った。
Yさん:介護経験はなし 移動支援ボランティア育成講座参加者
皆さんがすごい笑いながら話したり聞いたりしてて、すごいびっくりしたと語る。Yさん自身はもし自分の夫が認知症になったら穏やかになれないだろうし、隠したがるだろうと思うという。Yさんは以前マンションの管理人業務をしていたことがあるが、その時に住人の老婦人でとてもにこやかに接していたのに、あるときに表情がなくなって、これが認知症なんだと思った経験を話した。その老婦人ぐらいしか認知症の人と接したことがなく、何も分からないまま前回ボランティア講座受けた。講座内容を聞くとハードルが高くてとても自分には出来ないなと思っていたが、今回の会に参加して他の人の経験を聞くだけでも学べることがあると感じた。
つくしの会から2日目の日曜日、大阪府は緊急事態宣言が発令されて「つどい」は中止なのですが、そのことを知らずに来場される方もおられますので私たちは会場で待機します。この日は初参加の若い方がお一人来場、世話人をあわせて5名の集まりでした。
30代前半で祖母の家庭介護を始めた男性Oさん。仕事を辞めて、母の看病、祖母の介護を選択したOさんは、その後介護経験を本にして、昨年11月に『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』が出版されました。わからないことだらけの認知症介護をひとりで奮闘し、祖母は現在療養型医療施設に入院中。母親は原因不明の病で入退院を繰り返しているところ。大変だけど明るくて元気。これからもよろしくね。
第324回つどいのご案内:12月13日(日)12:30〜15:00 於:桃陽会館 〒543-0027 大阪市天王寺区筆ケ崎町2−35
つくしの会から2日目の日曜日、寒いなあ、師走だなあ、と実感した日でした。毎月おなじみの会場は町内の方のご葬儀優先のため使えません。会場を支部に変えて準備をしましたが、参加者は1名、その分たっぷり対話の時間を持てました。
ヤングケアラーのMさんは若年性認知症の母親と同居しています。平日の昼間はデイサービスに通う母親は安定しているが、症状の進行も気になる。同じ質問を繰り返す母親につい声を荒げてしまうが、そのたびに苦い思いを味わう。
それでいいよ、我慢して自分を傷つけたり、相手を責めたりするより、ずっといい。言葉で吐き出して、楽になればいい。家族の会の集まりはそんなためにもあるんだから。
経験豊富な超ベテランの元代表坂口さんの真面目な話から柔らかいネタまで、孫世代のMさんに届いてるよね、きっと。
第323回つどいのご案内:10月11日(日)12:30〜15:00 於:桃陽会館 〒543-0027 大阪市天王寺区筆ケ崎町2−35
つくしの会の2日後に開かれた「つどい」は、夏の暑さが戻ってきました。大阪大学の医学生2名と毎日新聞記者、世話人4名を加えて18名の参加となりました。
◇初参加のFさんは、78歳の祖母が認知症となり、母親が世話をしに行っている。仕事を続けつつ祖母に会いに行く母を手伝いたいと。
◇初参加のKさんは75歳の父親が認知症です。運転免許更新で指摘され、返納されました。メマリーを処方され、量が増えるにしたがってぼーっとしてきたが、このままでいいのかと。母親は認知症の父に上手く対応できずきつくあたる、それを私が注意する三角関係に悩んでいる。
◇初参加のSさんは78歳の母親の様子に気づき、昨年受診し認知症と診断された。真面目な母親は医師のすすめる脳トレに取り組んでいたが、階段から転落し骨折して入院。すると認知症が進行し、脳トレを嫌がるようになり、医師を替えた。認知症を認めない母、少しでも楽しく過ごしてもらいたいと思うがどうすれば、また母の友人に母が認知症であることを伝えるべきかに悩む
◇地元で地域の高齢者の居場所「なすさんち」運営に20年関わるTさんは「母が認知症になった時、迷惑をかけるかもと、周囲に伝えた。助け合いの気持ちで近所や行政を巻き込み認知症の人が集まる場を通して地域づくりをしています」
◇同じくIさんも「認知症の人が集まる場を見ていると楽しそうです。話がかみ合っていないのに皆さん楽しまれている」
◇今回が2回目のIさんは、義母の認知症の薬をアリセプトからメマリーに変更してもらうと、義母の表情がおだやかになった。物がなくなったなどの被害妄想も前回聞いた助言通りに「私は盗ってないよ、一緒に探しましょう」と言ってみると、うまくいって助かりましたと。
◇ Iさんの夫は「ようやく母の認知症を認められるようになった。前回(8月)に来た時はどうしていいのかわからなかったが前向きになれました」と。
◇ 93歳の母親が認知症のIさんは、「お母さんは忘れん坊」と周りに言うことで、知ってもらうようにしている。小さなお子さんを見ると突然近寄って「かわいいねえ」と言ってしまう母親に困惑していたが、私が先に同じことをしてしまえば、母親の行為も異常に見えないので、そうしてるんです、と。なんて素敵なアイデアでしょうか。
◇認知症の母親と離れて暮らすTさんは、前頭葉の萎縮のためか攻撃的な言動により、いくつもデイサービスの利用を断られて困っている。服薬も本人の拒否があってできていない。誰かが側にいないと不安、どうしたらいいのか。
◇認知症の父親を今年見送ったMさんは、親の介護に直面した時は何もわからなくて不安だった。この場のように困っている人同士が助け合うことで本当に救われますと。
◇3年ぶりに参加されたTさんは認知症の妻が今も入院中です。「自分が救われた昔を思い出して、今困っている人の力になりたい、フェイスブックでも発信しているのでどうぞ参考にして下さい」
第322回つどいのご案内:8月9日(日)12:30〜15:00 於:桃陽会館 〒543-0027 大阪市天王寺区筆ケ崎町2−35
梅雨も明けて強い日差しが照りつける中、初めての方が多数参加された「つどい」になりました。(世話人5人、見学者4人、参加者11人 計19人)
◇初参加のIさんは93歳の母親が施設に入所して落ち着いたが、新型コロナウイルスの影響でオンライン面会となってしまった。そのせいか、母親の会話量が減り、食欲も落ちたりで心配したが、最近少しずつ回復してきた。その理由は、母を車に乗せてドライブしたことかも知れない。車窓の景色に発見や驚きがあって表情も明るくなってきたことが嬉しい。
◇初参加のIさんご夫妻、同居する義母の認知症が進行しているようで、被害妄想からの言葉の暴力に耐えられない、と。義母の依頼でしたことを、勝手にしたとなじられ、責められ、一体どうしたらいいのか困惑している。義母の言葉を「否定してはいけない」「失った記憶を補うために訴えていること」と理解しようと思うが、毎日一緒にいるため、そんな時間がずっと続くことが正直しんどい。
夫は、昼間仕事に行くため妻に負担がかかりすぎている事を申し訳なく思う。いつまでこの状態(被害妄想)が続くのかと考えると、辛くて心配である。自分の親でありながら憎く思うこともある。
◇初参加のTさんは90歳の母、約1年前より物忘れが見られ、医師からアルツハイマーと診断を受ける。物がない、盗られたを繰り返す日常で、父と母、母と私(娘)の口喧嘩が絶えない。しっかりしている時もあるだけに、介護認定の申請はしたものの介護サービスの利用をためらっている。
◇Eさん(2回目)の妻は療養型の病院に入院中。口から食べることができず点滴をしているが、その管を抜こうとするため、拘束(手にミトン)をされている。入院時に同意書にサインしたとはいえ複雑な思いだ。脳出血の後遺症から話すことができないため、本人の思っていることを推測するのが難しい。
◇Uさんの妻はグループホームに入居中。入居までは大変なことも多かったが、家族の会の集まりでいろんな話を聞いていたので、実際にびっくりしたこともあったが、助けられたこともある。妻が入居して安心はしたが、今でも後ろめたさを感じる。
◇2回目のSさんの母親は、若年性認知症の63歳。この1か月でも進行している気がする。名前や名詞の言葉が出なくなり、(私の)妹の名前が書けなくなったり、私の誕生日を忘れている。安心を求めて口にしたことが、逆に不安を増してしまった。今はデイサービスにも嫌がらず行ってくれることが安心材料です。
◇初参加のHさんの母親は81歳。今年の3月まではボランティア活動やスポーツクラブに出かける活発な女性だったのに、新型コロナウイルスの自粛生活が始まった途端に問題が発生した。歩きなれた道に迷い、助けてと電話があった時は非常に驚いた。医療機関に相談しアルツハイマーと診断され、好きだったお出かけも怖がるようになるなど、急速に変わった母の姿をまだ受け入れられない。一方で、母自身が忘れないためにと書いていたメモをたくさん見つけた時、忘れる不安に抗っている母の努力に気づき感動した。
◇初参加の高校生Hさんは、同居する祖父母が認知症のようで心配だと涙ぐんでおられました。
◇天王寺区で開業されている歯科医のH氏は「物盗られ妄想で責められる対象は、愛情を持っていた相手だけ、決して憎んだりしないでください」と。
世話人からは、
・今までも多くの方が「殺してしまいたい」「交通事故に遭ってくれないか」などと心の中で思ってしまうものです。
・認知症の薬は治せないうえに、副作用がある。個人差も大きいので、急に怒りっぽくなる場合は医師にやんわり減薬の提案をしてみてはどうか。他の治療薬と同封されていてわからないときは、薬剤師に相談してもいいし、お薬手帳に薬の画像と名前と効能が書かれた書類をもらっているはずだから、どの錠剤が認知症薬かはわかるはず。これまでとは違った状態がみられた場合は薬の影響であることが多い。
・被害妄想で責められる時は、一時的にその場から離れてみましょう
・物を盗られた思いには共感しつつ、私が犯人であることは否定する
・サービスを使うことに遠慮はいらない、専門職なら同じ話を落ち着いて何度も聞くことができる
・認知症に名医はいらない、話をよく聞いてくれる医師が良い
・症状が急に進んだ場合は認知症以外の病気(血腫など)が隠れている場合があるのできちんと調べてもらった方が良い
看護師を目指す学生2人とその担当教員も実習の一環として見学に来られました。介護家族の苦悩に気づいてもらえたようです。
第321回つどいのご案内:4月5日(日)12:30〜15:00 於:桃陽会館 〒543-0027 大阪市天王寺区筆ケ崎町2−35
4月5日の日曜日、会場が桃谷に、日程が日曜日の午後に替わった第一回目の「つどい」でしたが、コロナウイルスの蔓延の影響を受けてか、会場に顔を見せたのは大阪府支部の世話人だけでした。仕方なく、非常事態宣言発令以降の支部の活動について話し合い、当面の集まり(4~5月のつくしの会、支部総会)を中止することに致しました。
そこへ、「つどい」参加を申し出ておられたMさん親娘が来場、ようやく「つどい」らしい時間となったのです。Mさんの奥様は若年性認知症ですが現在もお勤めされています。電車を乗り継いで通勤されているのですが、時々道がわからなくなり、途方に暮れてしまう。そんな時、家族が懸命に救出に行かれるということです。そうは言っても、全員が異なる場所でお勤めしている訳ですから、すぐに駆けつけるなんてできません。
そこで浮上したのが奥様の勤務先と最寄駅の間の徒歩400m問題。この距離を朝と夕方、通勤途上の不安を軽くする「移動支援」があれば本人も家族もどれだけ安心して、過ごせるか。明るい時間帯ならまだ安心ですが、暗くなる季節、時間帯は本人の視野が狭くなっていることから、大きな不安要素なのです。
ここで、「そんなに心配なら仕事辞めたら」なんて多くの人は思うのでしょう。しかし、それは違います。認知症の人が労働と言う社会活動を継続できることが、どれだけ本人の生きる意欲につながってくるか。生きる意欲を失っていく家族とともに暮らすことが、家族にとってどれだけ悲しく、寂しく、辛いことか。そんなせめぎあいに揺らされていても、力を合わせて生きる家族の支援こそ、今私たちが実践すべき活動なのです。
大阪府支部ではMさんの「移動支援」の実現に協力することを約束しました。大阪市住吉区付近の方々どうぞ私たちにご協力ください。
第320回つどいのご案内:2月7日(金)13:30〜16:00
今年度最後のつどい、参加者は世話人含めて10名。はじめに西川代表から5月までの行事予定を説明。ゆっくりの部屋主催の散歩の会、4月以降のつどいとつくしの会の新たな会場、支部総会とバリアフリー展の出展と講演についてお伝えしました。
続いて、認知症サポーターの活動についての意見が浮上しました。国からの数値目標を持たされた自治体が養成講座を開催し認知症サポーターを量産しましたが、その活動実態は見えてきません。(大阪市には20万人が登録済み)職場で半ば強制的に参加させされた方々が90分の講義と引き換えにサポーター認定とオレンジリングを贈呈され認知症ケアのボランティア候補にカウントされる。やる気と成果はお任せで誰もその実績に責任を持たない。制度が動き出して15年経過した今も行政の数値目標だけが上積みされている。
一方で認知症者を家庭内介護している家族は本人とともに外出する機会をなかなか増やせない。外出先での食事やトイレ、不穏や人目を気にするあまり人混みや遠出を避けてしまう。
困ったときに見ず知らずのヒトが手伝ってくれる、助けてくれるとは考えにくいのだ、この国では。その為かそもそも家族が認知症であることを認めたくない、公表したくない方は多い。国とマスコミのネガティブキャンペーンの成果も大きい、罪深いと思う。
それでも外出した際に、見知らぬ誰かがほんの10分傍らで見守りしてくれるだけでもありがたいものなのだ。そんなヒトに行く先々でめぐり会える夢のある先進国ではなかったのだろうか、この国は。
認知症サポーターの方にも言い分はあるだろう。たった90分の講義を受けてオレンジリングを貰っただけで、街中で認知症の人を助けるなんておこがましい。専門職でもない、知識は誰もが見知ったテレビと雑誌からだけなのに、大変な人の世話なんてできないよ。その気持ちはわかります。
どうすればこのアンマッチを解消できるのか。介護中の家族が「認知症家族を介護中、お手伝いいただける方は声をかけてください」と書いたタスキでも肩からかけて外出すればいいのか?勇気も必要だし、かなりダサい。
そこで私たちからのお願いです。大阪府支部は大阪市の委託を受けて認知症者の社会活動推進事業を実践する場を運営しています。この「ゆっくりの部屋」(仮称)では認知症の方と数時間過ごして貰えるボランティアを募集しています。将棋、麻雀、卓球、買い物、散歩など一緒に数時間過ごすだけですが、その数時間できっとあなたの認知症イメージのハードルが下がります。そしてきっと、認知症の人を街中で見かけても声掛けできるようなヒトに変わるでしょう。必要なのは医療知識でも介護スキルでもありません、ちょっとおせっかいな優しさと少しの時間です。
どうか私たちにチカラを貸してください。あなたのおせっかいがひっそりと暮らす家族を救います。
於:大阪市阿倍野学習センター研修室(あべのベルタ3階 06-6634-7951)
第319回つどい:12月6日(金)13:30〜16:00
今回も恒例のワールドカフェ形式の意見交換です。
事前にテーマを決めず、当日の参加者の求めからテーマを設定しました。今回は「いかに平静になるか」でした。若年性認知症の奥様を自宅で介護し続ける男性が言いました。片付けも料理もできなくなってきた妻の手伝いを、フォローをしようとするが、そのことで妻が腹を立ててしまう。米を炊くことを何度も失敗し、美味しく食事できることが少なくなってくる。
仕事から疲れて帰ってきて、調理をして、食事をしたくても、そのことで妻と衝突してしまい、平静でいられなくなってしまう。止めていた煙草をまた吸い始めた。妻に腹を立てても仕方ないとわかっていても、声を荒げてしまう、その自分に嫌悪してしまう。自分のような苦しみと縁のない幸せそうな他者と自分を見比べて、妬みを覚えて更に自分が嫌になる。
支部代表の西川さんは「当事者の家族が苦しみや怒りを覚えるのは当たり前のこと、仕事とする専門職は冷静に対処できて当たり前だが、当事者は自分の気持ちを無理に抑制することはない。危ないと思えばそこから逃げるのがいい。煙草で少しでも気分転換できるなら、それでいい」と。
以前読んだポーリン・ボスの「曖昧な喪失」から、私も多くの示唆を受けたが、悲しみや苦しみを綺麗さっぱり消し去ることなんてできない。立ち直るための工夫や考え方は必要だが、大切な家族を徐々に失っていく過程は、そのこと自体を受け止めて、記憶にとどめて、そしてゆっくりと浄化していけばいいのだろうな、そんな風に思えます。その支援や手伝いをするのが私たち家族の会の役割なのだ。
於:大阪市阿倍野学習センター研修室(あべのベルタ3階 06-6634-7951)
第318回つどい:10月4日(金)13:30〜16:00
「認知症の人と一緒に遊ぶ」ワールドカフェ形式で意見交換
今月のテーマは認知症の人と一緒に遊ぶ」です。6月の時と同様にワールドカフェ形式で開催いたしました。ところが、来場者は2名と5名の世話人だけ。今回は一テーブルのみでのワールドカフェとなりました。
人数が少ないとは言え、家族の介護者の意見や思いはたっぷり聞けました。
テーマに沿った経験を皆さんお持ちですが、なかなか気楽に楽しめないのが本音です。お互いに違う人生を歩んできたのですから同じ趣味や楽しみを共有できるとは限らず、どうしても無理をしてしまうことがあるのでしょう。興味のない遊びを共にすることは苦痛でもあり、介護の辛さとは違った退屈な時間を強いられることになりかねません。
共通の趣味を共に楽しめれば言うことは無く、それならば他者の助けはなくても可能かもしれません。だからこそ、そうでない場合の振る舞い方はどんなことなんだろう?
私のイメージは席を自由に移動できる宴会のような場です。同じ場に安全に居ることが見て確かめられて、誰かと楽しく喋っている、遊んでいる。場と時間を共有して、他の誰かにお任せし、互いに別々に楽しくしている時間というのが、介護中の家族の気楽な時間じゃないだろうか。
ハイキングやピクニックなどのアウトドアでも、映画や音楽会などのインドアでも、家族以外の人に依存しあう時、普段出せない自分が表現できるように思えるのですが、皆さんどう思われますか?
認知症の家族を介護している家族にとり、気持ちを緩められる場と時間の確保は欠かせないと思いました。
於:大阪市阿倍野学習センター研修室(あべのベルタ3階 06-6634-7951)
第317回つどい:8月2日(金)13:30〜16:00
大阪市の認知症施策について
大阪市福祉局高齢者施策部 高齢福祉課 認知症施策担当課長 青木理恵
8月のつどいのテーマは「大阪市の認知症施策」、全国平均より高齢者が多い大阪市の現状確認の上で、国の政策プラス大阪市独自の取り組みが紹介されました。計画としては理解できますが、実施する、対応するのは現場のチームや担当者であり、活躍を期待される市民です。委託事業の「ゆっくりの部屋」に代表されるように、私たち家族の会への期待の大きさが伝わってきました。
於:大阪市阿倍野学習センター研修室(あべのベルタ3階 06-6634-7951)