表向きはニート、本性は犯罪代理人
本当の自分を探すこと、存在を消すことも、全てを諦めている
ネガティブですぐ諦める癖があり、この世界も自分も、何もかもを諦めている。
最初から希望を持たない人物。
彼は、死ねずとも望んではいるため趣味を持たないが、紫陽花を見かけるたびに綺麗だと思って、つい見てしまうようだ。
ゆらりと、独りの青年が歩みを進める。
———その青年に、名はなかった。
行くあても、記憶も、存在する理由も持たない青年がいた。
彼は、服には成れずとも、身体を隠すものとしては上出来な大きいボロ布を纏っていた。その布は、汚れによるものなのか、それとも元からなのか、判別がつかない程に黒い。
そんな衰弱した青年の目に、可燃ゴミの袋が数個映る。それらの袋は大量のゴミを抱え、皆丸々と太っていた。
———刹那、彼は手を伸ばした。
青年は必死に袋の中を漁った。側から見ればあまりにも汚らわしい異常者だ。まるで烏のように、ゴミを漁り続ける。加えて、黒い布、黒い毛髪を纏う姿は、より烏を思わせる様だ。
かっこいいだとか、信仰すべきだとか、そのような烏には成れない。強欲にゴミを漁り、汚いなどと嫌われる烏だ。
「お兄さん、どうしたんだ。無くし物でも?」
「ぁ、……。食べ物が……欲しくて……、」
開き切ったゴミ袋はそのまま、青年はピタリと手を止めた。驚いた顔で、声の主の方へと顔を向ける。
丸くしたその目に映るのは1人の老人。背はそれなりにあるが、少々腰が曲がっていて、顔は険しい。だが、怒っている様子もなく、むしろ心配している様子だ。
老人は目線を下の方、青年の方へと向け、両者の目線はゆるりと合った。
「そうか。つまるところ、食べ物も、家も、頼る者もいないんだな」
「……」
「どれ、そう長くは無理だろうが、私のところで腹だけでも満たしなさい」
見ず知らず、さらに小汚い青年を、老人は嫌悪せずに手を伸ばした。日が沈む前に行こう、と。
日も通さぬ程の黒目が、僅かに光を帯びた。そんな目を持つ青年を、茜色が照らす。
日が沈む頃、オレンジと紫が綺麗なグラデーションを作る、綺麗な夕方の空。
———所謂、黄昏時の空。
そんな美しい色は、青年が最も憎み、最も欲するものでもあった。
老人の協力もあり、青年は少しすると保護施設での生活に落ち着いた。
今となってはだいぶ楽で、安心のできる生活だ。寝床も、食も、頼る人もいるのだから。
———ある夜、不思議な夢を見る。
黒い霧がかかったような、曖昧であるが存在は確かに認識できる視界に、一人の人物が佇んでいた。
その人物は、こちらを見ているような気がした。顔は判らない。性別も何もかも。
1つわかること、それは名前だ。烏鐘艶留(うがねえんる)という名前。
起きてもそれだけははっきりと覚えている様だ。漢字までも、不安にすらならない程に正確に、脳裏にこびりついている。
青年に名前はない。どうも不便で、不安になる要素の1つであった。
そんな心は、夢に出てきた名前を使用することを提案してくる。別に問題はないだろうと、僅かに存在した悩む時間を放り、青年はその名を貰うことにした。
無名という足枷から解放され、心の隙間を埋めたのも束の間、青年は気づいた。
『名前しかないじゃないか。』
何かを埋めると、空いた箇所が目立ってしまう。そんな現象に青年は直面してしまったのだ。
さらに言うと、その名前は本名ではない。夢に出てきた人物、つまりは架空の人物の名という可能性すらある。
———本当の名前も、家族も、戸籍も、何もない。
———自身の存在は、認められていない。
———俺は、何者なんだ?
青年は、今まで必死にしがみついていた生を、一瞬にして棄て去った。
足掻いても、上には行けない。もう、青年は最底辺ですらなかったのだから。そんなことは、青年も理解し切っていた。
もういっそ命をも放ってしまおうと自殺を試みるが、そう簡単ではなかった。どうも死ねない。僅かな希望が邪魔しているのか、ただ単純に怖いのか、それすら分からないままだ。
青年は、死ぬことを諦めた。しかし、生きることも諦めた。
”まともな人生”を諦めたのだ。
彼なりのけじめとして、保護施設から姿を消した後、所持していたなけなしの金で、両腕にタトゥーを刻んだ。
これですっぱりと諦めることができる。もう失うものもない。無駄な希望などは、一切合切捨て去ってしまおう。
完全な独りに成り果てた青年は、正式に烏鐘艶留を名乗り、犯罪を肩代わりすることで命を繋いだ。
———否、命を諦めた。
死ぬことも、生きることも、人生も何もかもを諦めた。
心の隅で探していた”烏鐘艶留”という人物も、正直忘れてしまいそうだ。もう、諦めたものは諦めたのだから。
絞首刑でも、敵討ちでも、なんだっていい。この諦めた人生を、終わらせてはくれないか。
正当な職業ではないが、彼はこれを仕事とし、依頼人から対価を貰い犯罪を代行している。
その対価は基本金銭であるが、場合によっては他のものを要求することもある。
「犯罪を肩代わりする仕事なんて無い。俺は所謂ニートかもな」
「あれ……カラス……。地獄は鬼だもんな……? はは、笑えねぇや。……そのゴミ箱、俺も漁っていいかな」
「お、雨だ。雨雲さんちょうど通ったんだし、俺のこと洗い流してってくれよ。全部全部汚れてさ、みっともねぇんだ」
「紫陽花ってどこでも咲いてるけど、それにしちゃ豪華な花だよな。別に詳しくないけどさ」