「背水の陣(はいすいのじん)」は、背後に水を背負って退路を断つことで、全力で戦う覚悟を示す故事成語です。これは、中国の前漢時代の将軍韓信(かんしん)が用いた戦術に由来しています。以下に、この故事の詳細な解説をします。
「背水の陣」とは、韓信が趙軍との戦いで、自軍を川の前に配置し、背後に川を背負わせて退路を断つことで、兵士たちに生死をかけた覚悟を促し、勝利を収めた戦術です。この戦術により、兵士たちは逃げ道を絶たれたため、全力で戦い抜き、敵軍を打ち破りました。
韓信は大胆な戦術を用い、逆境を乗り越えて勝利を手にしました。「背水の陣」は、その勇気と決意を示すエピソードとして、広く知られています。
「背水の陣」は、絶対に退けない状況や、退路を断って決死の覚悟で物事に臨むことを指す際に用いられます。非常に困難な状況に立ち向かう際に、自らを追い込んで全力で挑む姿勢を表す成語です。
この故事は、『史記』の「淮陰侯列伝」に記されています。
(『史記』淮陰侯列伝より)
信乃使万人先行,出,背水陣,趙軍望見,以為漢軍必敗,皆笑信。信既引兵渡水,併気益奮,士卒皆殊死戦。趙軍不得行水,遂敗。
「韓信は一万人の兵を先に送り出し、川を背にして陣を敷かせた。趙軍はこれを見て、漢軍が必ず敗れると思い、皆が韓信を笑った。しかし、韓信の兵士たちは一層奮起し、全力で戦った。趙軍は川を渡ることができず、遂に敗北した。」
舞台は中国の前漢時代(紀元前2世紀)の趙(ちょう)と漢(かん)との戦いです。
韓信は、中国前漢時代の名将であり、劉邦に仕えて数々の戦いで功績を立てた人物です。彼の軍事戦略と勇敢さは、漢王朝の成立に大きく貢献しました。しかし、後に彼はその功績を恐れられ、劉邦の妻・呂后によって謀殺されました。
趙の将軍は、この戦いで韓信に敗れました。趙は強国でしたが、この戦いでの敗北は国力に大きな打撃を与えました。
韓信がこの戦術を用いたのは、趙との戦いで兵士たちに最大限の士気を持たせるためでした。趙軍はその頃、数において漢軍を上回っており、韓信はこの不利を覆すために、あえて退路を断つ大胆な戦術を選択しました。
韓信は自軍を川の前に配置し、兵士たちを川に背を向けて配置しました。通常、軍隊は逃げ道を確保して戦うものですが、韓信はこれを逆に利用し、兵士たちが逃げ場のない状況に追い込まれることで、全力で戦わざるを得なくなると考えました。
実際に戦いが始まると、韓信の予想通り、漢軍は死力を尽くして戦い、趙軍を打ち破りました。この勝利により、韓信の名声は一層高まり、彼は劉邦からの信頼をさらに深めました。
韓信はこの戦い以降も、漢の統一に向けて多くの戦場で活躍しました。しかし、劉邦が天下を統一した後、その才能と功績を恐れた劉邦は、韓信を遠ざけるようになりました。最終的に、韓信は劉邦の妻・呂后と丞相の蕭何(しょうか)の策略によって捕らえられ、処刑されました。
韓信の死後、彼の戦術や兵法は長く語り継がれ、特に「背水の陣」はその勇気と決断力を象徴するものとして後世に広く知られるようになりました。