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LABEL: BLOG
DATE: 01/27, 2026
BLOG POST
TITLE:
悪は存在しない / Evil Does Not Exist
RELEASE-DATE:
09/04, 2023
DIRECTOR:
濱口竜介
COUNTRY:
Japan
STORY REVIEW
CAUTION: SPOILERS!
全体の総評としては、「とても美しい映画だった」という印象。
個人的には、同監督作品の〈ドライブ・マイ・カー〉よりも、こちらの方が興味深い作品だった。
まず特筆すべきは映像美。
水田や雑木林の植生などを見れば、日本の風景であることは疑いようもないが、遠景の効果的な使い方や印象的な光のおさめ方など、映像撮影のセンスが優れており、良い意味で邦画らしくないように感じられた。
画づくりが洋画的であるというよりも、素朴に美しい風景を画面におさめようと努めたことで、結果的に邦画によくある俳優中心の画づくりから遠ざかったという印象を受けた。
そして何より面白かったのは、この映画の終わり方である。
賛否はあるかもしれないが、考えれば考えるほど、私にはこのエンディングこそが本作の真価のように感じられた。
21 世紀も 4 分の 1 を過ぎた現在、人類科学の発展は加速の一途をたどっている。
人間たち、特に都市部に生活する人びとにとり、「自然」という存在はあまりにも遠く、あくまで科学の管理下に置かれたものとして在る。
しかし、その発展がどれだけ進もうとも、人類の故郷が地球という豊かな星であり、そして人類がそこで生まれた何億という生物種のひとつに過ぎないという事実は覆しようがない。つまり「自然」とは、人類がそれを科学によって克服しようとすることさえも、その摂理のなかに含んでしまう、より高次元な規則なのだ。
人類——ホモ・サピエンスという生物種にとって、知性とは、巨体や屈強さの代わりに手に入れることのできた武器である。
その武器をふるう目的は、全生物種にとっての目的である「種の繁栄」と何ら変わりはない。
人類の進化、つまり知性と科学の発展の歴史さえも、「種の繁栄」という、生物としては何の変哲もない目的を果たすために遂げられたに過ぎない。
ホモ・サピエンスが科学によって種族間のヒエラルキーから逸脱し、他の生物種よりも高次の存在となった、というのは、人間のプライドを保つための都合のよいナラティブだと、私は考えている。
この「人類神話」を前提として疑わないことは、人類と自然との関係において、人類の側に大きな危険をもたらすだろう。
人類は科学によって自らの生存圏を確保したが、しかしそこから一歩踏み外せば、たちまち「理性」——あるいは「悪」の存在しない、混沌の世界の法則に巻き込まれるのである。
本作はまさに、そんな薄氷の上に成り立つ理性的な人間社会への警鐘を鳴らす映画であり、かつそれを半寓話的に表現するためには、あのエンディングが必要不可欠だったのではないかと感じられる。
鑑賞後に残る、不気味さでも悲しさでもない、寂寞とした感情は、ミヒャエル・エンデの『モモ』の読後感に近い印象もある。
"私たちがいま踏み込もうとしているのは、どこだ?"
そんな漠然とした不安。
均衡を欠くことの恐ろしさ。
それが、あのエンディングに集約されていたのではないだろうか。
実際には、それほど小難しい話ではないのかもしれない。
しかし、鑑賞後に私が思い返したのは、エンデやミシェル・フーコーが示唆した「現代社会が失った非秩序」についての哲学であり、それを解釈として受け取ることができるのが本作だったように思う。