何かを伝えることの難しさ

興味が全て

私は子供の頃、自分の伝えたいことがうまく伝わらずにとても憤りを覚えることが多々ありました。

言葉使いも稚拙だったということもありますが、一番のストレスは伝えたい真意をくみ取ってもらえなかったことです。


その時から時を経た現在でも「何かを伝える」ということの大変さに気づくことが多々あります。

特に私が日々もどかしさを感じるのは、「言葉は熱を完全に伝えることができない」という点です。


自分の中の情熱を燃やしながら発言した内容であっても、聞き手側の受け取り方次第ではその真意の半分も理解されていないということは、よくある話です。


例えば、「このマシンのおかげで私が長年苦しめられてきた反り腰による寝つきの悪さから解放されたのです!!」と、マシンのメリットを力説しても、当人がいたって健康体で、これまでに反り腰にかかったことが無ければ説得力は半減します。


私が経験してきた中で、人が話に興味を示す時は次の場合がほとんどでした。


1.自分に利益があるか


2.自分の親しい人にとって利益があるか


当たり前の話ではありますが、人は損得勘定で動く生き物です。

自分にとって利益がない話は基本的に聞きたくありません。
ですが、家族友人など、自分にとって近しい存在の利益になることには興味があります。

それ以外の話は基本的には興味がないはずです。


なぜならば、興味がない話はそもそも思い出せないからです。


そこで、「言葉は熱を完全に伝えることができない」という点に戻ります。

相手と自分の熱量に大きな隔たりがあれば、話していて虚しさを覚えます。

逆に、ともに熱量がある場合はその相乗効果は無限大です。


もし仮に、相手と話が合わない、どうやっても興味が湧きそうにないな、と思ったら、私の場合は話題を変えるか、なるべく早めにその人から離れるようにしています。


自分の情熱や時間は有限ですので、伝えるにふさわしい相手以外には必要な労力は注がないようにしてみると、ストレスから解放されます😌