、
授業のありかた
教師のありかた
高校のありかた
などを、県をこえて、職種をこえて、教科をこえて学ぶための会です
教育関係者はどなたでも参加できます
よかったらいっしょに学びませんか
今やっている授業で本当にいいのか
そもそも、
高校自体このままでいいのだろうか
そのような悩みや疑問が
頭をよぎりながらも、
日々の業務に忙殺されている
また、孤業化の中、
これらのことを校内で同僚と聴き合い、
学び合う機会がない
このような高校教師の声にこたえるために
県をこえた研究会を
立ち上げることになりました
2024年1月12日
事務局・発起人一同
代表 永島孝詞(麻布教育研究所)
千葉県立勝浦若潮高校 昭和11年の授業風景 [https://www.chiba-c.ed.jp/kws/index.html]
最新の方式で、具体的な授業実践から学ぶ。高校だけでなく、小中学校や大学も含め事例研究を行い「Learning」を探究したい。
文献や論文の輪読を通じて、実践の裏付けとなる知識や理論のバージョンアップをはかりたい。
世界のハイスクールの現状から、日本の高校の常識・当たり前を見直してみたい。
「なぜ」「そうはいっても」仲間との対話を通して交流したい。
令和7年7月23日(水)19:00-21:00
オンライン開催
文献輪読「不断の学校改革 −区立中学校の挑戦21年−」
1章「概要編」P.6~P.47から学ぶ
※この本は一般の書店では購入できません。ご購入を希望される方は、事務局までご連絡ください。
1章 概要編
1-1 授業のビジョン
大西泰(R6年度研究主任)
横山暢勇(R5年度教務主任)
冨塚賢二(R5年度代表授業者)
1-1-1 自習のような授業とは
1-1-2 課題 – 大問とは?−
1-1-3 資料 – 教科書に加えてどのような教材が必要なのか?−
1-1-4 教師の役割
1-2 生徒の学びを見る“目”と声にならない声を聞く“耳”を養うための校内研修
吉見啓佑(R5年度研究主任)
1-2-1 授業研究会の目的
1-2-2 授業研究会の日の実際の流れ
1-2-3 授業研究会の年間予定
1-3 教師の葛藤
1-3-1 研究推進部の役割
藤村英郷(R5年度研究進路部所属)
1-3-2 管理職の役割
岡本明久(R5年度副校長)
1-3-3 新規採用者・異動者の悩み
藤玉裕貴(教諭)
1-4 21年の歩みの中で
1-4-1 教師と子どもの変化
茅原直樹(校長)
1-4-2 コロナ禍での苦悩と挑戦
吉見啓佑(R5年度研究主任)
(Ⅰ実践から学ぶ Ⅱ教育学から学ぶ)
申し込みは右から(グーグルフォーム)
ご質問は、お気軽にお近くの以下の事務局・発起人まで
第18回以降は、決定次第お知らせします。
第1回 令和6年2月27日(火)19:00~21:00 オンライン開催
文献輪読「評価への抗体としてのドキュメンテーション(浅井幸子(東京大学教育学研究科教授)著)」
ーII 教育学から学ぶー ーV 疑問や悩みの共有から学ぶー
時間帯にもよりますが20〜30名が参加し
ブレイクアウトを含め
・アセスメントとエバリュエーションの違い
・ポートフォリオとドキュメンテーションの違い
・質という概念の問題点
・社会構成主義と社会構築主義の違い
・言語表現のみに着目する問題点
・人とモノの区別の問題点
・授業研究とドキュメンテーションの違い
が話題になりました。
とても難しい論文でしたが、
イタリアが評価という概念をどのように変容させながら、子どものために教育学と授業を高度化していった流れを感じることできる会になりました。
一方で、消化しきれない部分も多いため、引き続き、別の文献にあたったり、実際の授業の生徒の姿から、本論文の指摘することを、どう実践的にとらえるかを行っていくことになりました。
第2回 令和6年3月21日(木)19:00~21:00 オンライン開催
文献輪読「手の倫理(伊藤亜紗(東京工業大学教授)著 講談社)1章・4章・5章」
ーI 実践から学ぶー ーIV 疑問や悩みの共有から学ぶー
教育において
視覚と聴覚が重要視される中、
触覚の役割について考えられた会でした
生徒をみる なのか
生徒をきく なのか
生徒にふれる なのかという
更には、主体的・対話的・深い学びの背景をなす
学習の3位一体論(自己・他者・モノ)*
で考えると
自己をみる・他者をみる・モノをみる なのか
自己をきく・他者をきく・モノをきく なのか
自己にふれる・他者にふれる・モノにふれる なのかという
*主体的に自己、対話的に他者、深い学びにモノを対応させていると言われています
更には、実際のそれぞれの教科で、高校の授業の中で、上記をどう日常的に実現するのかを
ブレイクアウトルームで、検討しました(小学校算数の事例をたたき台にしながら)。
参加者からは、生徒にしてもらいたい「わからないことの探究」を自分自身が体験する会だったという声も寄せられました。
第3回 令和6年4月19日(金)19:00-20:00 短縮オンライン開催
「新年度に入って、困っていること」 ーIV 疑問や悩みの共有から学ぶー
「僻地や選択科目での、少人数(1~3名)クラスでの授業のあり方(どう個別指導にしないで授業を展開するか)」
「共通の授業改善をどんな内容・課題で提起すれば良いのか」
「非常勤講師がいない」などの悩みが事前に出され、意見交換を行いました。
学校全体で授業改革に挑戦している高校が小中に比べ圧倒的に少ない現状で、どうすれば各学校で有志で授業研究を行っていく
ことができるのかを中心に交流しました。
対話的実践としての学びを各学校で行うために、
① 学校の授業がどの程度「一斉授業」から「主体的な学び」に転換しているのかを、学校評価アンケートの
調査項目の工夫によって、生徒の声を元に、全校で共有している学校の実践例
②「対話的な学びの授業」を受けた生徒に、その授業の良さを発信してもらう、という新鮮なアイディアを共有することもできました。
従来の方法に引っ張られすぎない新しい授業研究のあり方は?
従来のスタイルとは異なる「形態」「内容」の授業研究会を、各学校の実態に沿って自主的に組織するにはどのようにすればよいのか。
新しいアイディアを持ち寄り、この会で「交流」し「学び合う」ことができるように、今後も引き続き考えていきたいと思います。
第4回 令和6年5月22日(水)19:00-21:00 オンライン開催
テーマ:校内有志での、授業の研究のあり方の模索1
文献輪読「授業研究入門(稲垣忠彦(東京大学名誉教授)ほか著)」 ーII 教育学から学ぶー ーIV 疑問や悩みの共有から学ぶー
Ⅰ-3,Ⅰ-4 を中心に輪読を行いました。
参加者が、気になった部分、よくわからなかった部分を取り上げ、全体で読み直し意見交流を進めました。学術的な文献の、単語や一行の文章の奥深さを知ることができる、輪読の良さを体感できた多くの気づきを得た会でした。例えば、「協同」「対話」「探究」「会話」「伝達と説明と語りの違い」「教室の事実は中心ではなく周辺で生起」「見識」「鑑識」「教師の専門職性は何か」「教室と職員室の関係」など。また、長崎県立平戸高校での実践例などとの接続の議論もありました。
参加者から、例えば以下のような感想や振り返りがありました。
・「対話」の英語訳が直訳ではなく、collaborative learning なのはものすごく納得できました。
・教室言語への注視、職員室での言葉の質の重要性を再確認しました。
・多忙だったり、疲れていたりすると自身の授業に対して何もアイディアが浮かばす、従来通りで、という状況になることがあります。(F1マシンを技術開発 するデザイナーたちはそれを"conventional"と表現していました。)その状況を避けるために「状況と対話する reflective practice」の考え方を授業の中で具体化していかないと、と考えました。
・reflective practiceの授業研究の意味が「物語的認識」として表現されることに非常に納得がいきました。また「物語的認識」を持てるようになるまで、自身の授業実践の中でたくさんの失敗を積み重ね、たくさんの経験を得ることも非常に大事だと思いました。
・以前、「レベルの高い課題の進め方や作り方を教えて」という技術的なことについて質問されたことがあります。高い課題を通しての、それぞれの生徒の学びの個別性(同じ課題から、人によって違うことが学ばれることなど)に向き合うことや、自分と生徒の間にある関係性に「省察」を重ねることかな、と悩みながら答えました。学校で授業研究を開催する場合に、その2つを成立させることが求められると思いますが、つい効率性を追求してしまう心理にどう向き合うかを考えなくてはならないなと思いました。
永島先生から、今回の内容をより深く理解するための参考文献の紹介がありました。
①コラボレーションについて
「敵とのコラボレーション」アダム・カヘン 英知出版
②対話
「ダイアローグ」デヴィッド・ボーム 英知出版
③発表的会話の問題点と探索的会話
「Exploratory Talk for learning」Douglas Barnes Sage Inc.
④専門職の再定義
「The Reflective Practitioner」Donald Schon Routledge
⑤教師における知識
「Knowledge and Teaching」 Lee Shulman Harvard Educational Review
指導技術を生徒にあてはめて、授業を行うのではなく、省察的実践(状況との対話、状況に応じて状況を変えてそれによって生徒が学ぶことを支える授業)を行う専門性を高めるには、どのように校内有志授業研究を行っていけばいいのか、がまだはっきりつかめないため、
次回は、今回に引き続き「授業研究入門」のⅡ(特にⅡ-1, Ⅱ-2(1)(2))を中心に読み進め、高校で「授業づくりを支え合う校内での有志の会」を実現する道を模索してみたいと思います。具体的に「このように」「こうことを」やってみたらという視点で、成功例から失敗例まで、様々な経験を持ち寄って学び交流したいと思います。
第5回学習会 令和6年6月25日(火)19:00~21:00 オンライン開催
テーマ:校内有志での、授業の研究のあり方の模索2
報告「長崎県立平戸高等学校 公開授業研究会から学んだこと」 ーⅠ実践から学ぶー
事務局より2名のメンバーが参加してきました。急遽学習内容を変更して、報告会をさせていただきました。
以下、参加者の声の抜粋になります。
・ビジョン共有の土台のもと、子どもの学習環境(座席配置)と教師の学習環境(授業研究会)を担保することが、学校全体としても有志の会としても大事にしたいことだと学んだ。これは管理職の力によるもの、というより研修担当教員の力、人柄、想い、真摯さが大きいと思う
・子どもの生活環境(生徒指導で縛られない)、教師の生活環境(評価されない、切れられない)ということが、大事だと感じた
・校内有志の会というのは「自分が授業の専門家になるための(専門家として伸び続けるための)有志の会」ということ
・高校現場こそ、生徒たちから学ぶ姿勢がとても大切だと感じた。授業も部活も行事も生徒会も生徒が行うものとして教師がそのアシストをする。その時、教師同士の助け合い、学び合いの場が「校内有志の会」(授業検討会のみではなく、もっと広い意味合いで)ではないのかと思った。
・「校内有志の会」は「学校改革」と切り離して考えると実現するのにそんなにハードルは高くないのでは。授業に悩んでいる教員は多い
・教室の中にいる子どもの姿から学ぶ
・共有するビジョンに基づいて、個々人が研究・追究を続ける自由度の重要性、共有すべきことと、個人の自由度との両立が大事だと
・(自身の経験より)授業研究というものが何もない学校に転勤したとき、途方に暮れかかったがまずは色々な機会を捉えて授業を観に行くことにした。5年間で140時間程度観て、どの授業でも色々な発見があり刺激を受けた。だが、職員室に戻ると多くの先生方がPCに向かって仕事をしているのが現状だった。「PCよりも、楽しいことや学べることが教室にはある」そういう思いを共有できるのが「校内有志の会」ではないかと思った。
・授業の難易度は教師の子どもに対する期待や信頼関係から生まれ、授業の質は授業研究という定期的な研修と多様な職員構成から生まれるのだと
・生徒支援部という分掌名変更の効果は高い
・授業研究の頻度がかなり重要
・「教員自身が楽しそう」であること
・自分の学校の生徒から学ぶことの重要性
・試験のような座席を変えることからはじめないと
・有志の会、私は学習観を共有できる先生方と始めることに意義があると考えました。有志の会のメンバーが一人二人と増えていき、管理職の支持を得られたらメインストリームになっていく芽が生まれると、考えました。
第6回学習会 令和6年7月24日(水) 19:00~21:00 オンライン開催
テーマ:生徒指導と授業づくりの関係論 ーI 実践から学ぶー
話題提供1
大久保明彦(元長崎県立平戸高校 生徒指導主事・教務主任・研究主任・保健体育科)
話題提供2
西尾明(元広島県立佐伯高校 校長・保健体育科)
今回も急遽内容を変更して、生徒指導と授業づくりがどう関係しているのかについて2名の先生方に話題提供をしていただきました。
・スマホ会議の反響には驚きました(携帯のマナー講座を生徒に託したのがスマホ会議)。当時の同僚にも今日の発表を共有しました。生徒指導担当の孤独さをどう変えるか、反対派との対話、分掌の壁の乗り越え方、中学校訪問と生徒指導の関連、生徒指導新聞など、生徒指導のもつアプローチを皆さんと共有できたことが何よりです。拙い発表に最後までお付き合いいただき感謝です。(大久保先生)
・ここまではセーフここから先はアウトということを細かく細かく決めて、徹底的に守らせる生徒指導から、自分たちでルールをつくっていくことをサポートする生徒指導は、小中の「道徳」「学活」の授業づくりの系譜を継いでいることがわかった。
・生徒・教師・保護者の、三者の緊張関係を、どう対立ではなく、近づけていくかが生徒指導なのだと驚いた。
・教師にとって居心地のよい学校をつくるために、従来は生徒指導を利用しているところがあることがクリアになった、だから、三者関係に緊張が走るのだと。
・「生徒主体」という抽象的な表現を、「生徒が失敗から学ぶ」という具体的な言葉に変えたことで、生徒に対して様々なアプローチができるようになったということが一番印象に残った。
・かなり困難を抱えている生徒たちに、中学校への発信を任せることの凄さを感じた。外からの目を常に教師が気にしている生徒指導から、生徒たちが外に目を向ける機会をつくっていて、またその発信が、生徒たち自身が授業についてを選んでいるというのが本当にすごい。
・教師にとって「気づく力」は大切だが、これが教師の力としてあまり評価されないのはなぜなのか考えさせられた。
・これまでの生徒指導が、いかに、授業づくりを邪魔していたか。
・生徒指導から生徒支援への発想の転換が必要。
・生徒と一緒に、生徒指導をつくる達成感。
・西尾先生も大久保先生も共通しているのが、通信の重要性。口頭で言いたいことを言うのではなく、通信を出すことによって、みなとビジョンを共有していくのだとわかった。
・ビジョンと価値観は、似ているようで異なるので整理する必要があることを感じた。これをしっかり認識していないと、校内での対立を生んでしまうと思う。
・教師も生徒も、変わったことや実験的なことを行っても、責められない、その雰囲気をつくるのが生徒指導の役割なのだと思った。
・失敗が起きたときに、どういうこととどういうことがつながって失敗につながったのかを、クリアにして、出会いと学びにつなげていく生徒指導。
・生徒への信頼、同僚への信頼をどう授業研究以外の方法でも回復させていくか。
・校則を守らせるではなく、マナーをつくってもらうことを通じて、先生と生徒との関係をつくるという点が新鮮でした。校則は、教員→生徒の一方通行ですが、マナーなら対等になりますね
・生徒支援と授業づくりの相性のよさを感じます。ただしマナーであれば、守らない自由も保障する必要がありますね。
・大久保先生の実践から、生徒は無条件に信頼しなければいけないということを学びました。
第7回学習会 令和6年8月21日(水)18:30~20:30 オンラインと東京会場のハイフレックス開催
授業ビデオによる授業研究会 「高校2年(6月)・文系・化学」 ーI 実践から学ぶー
今回は、授業の専門家になるための子どもから学ぶ会と合同で行いました。様々な校種、立場の参加者とともに学ぶことができました。以下、参加者の声です(直後のアンケート記入者のみ)。
・ある生徒の学びを支えるための教師の介入のタイミングと資料の準備の大切さを学びました。また、合同開催であったため、小中学校の先生ともともに学ぶことができました。また、今日の授業ビデオにおいて、教師が待つことの重要性も話題となりました。同じグループで協議をした小学校の先生が「小学校の教員はこんなに待てない」と言っていました。待つか待てないかということは、学校種による違いということよりも、学校全体で授業研究に取り組んでいるかどうかに関わることだと学びました。多くの仲間と授業研究に挑戦できるコミュニティづくりを考えていきたいです。
・それぞれのスタイルで、個として自分のペースで粘り強く学び続けている生徒の姿。彼らに対して必要最小限の働きかけは行うものの、待つことができている教師の姿。両者が作り出している安心感・充実感に満ちた教室の雰囲気。最初は、状況が分からず戸惑いが大きかったが、最終的には、このような理解に至った。
かたまっている生徒をどう見るか。また、色々喋っている生徒をどう見るか。ブレイクルームで見方を交流し合うことで、自分の理解が揺さぶられ深まった。
一方的に説明を続けるというような「名人芸」の授業ではなく、良い意味での余白が大きいため、見ながら考えること感じることが多かった。レベルの高い課題を、教室の中でどう活かしていけるか。この点についても、教材の厚みということを考えた。
・生徒が安心して学ぶためには、何よりも生徒を信頼するということが大切だということが再確認できました。前回の大久保先生のお話しと合わせて考えると、授業の場面だけでなく様々なところで、無条件で信頼されるという経験を積み重ねてきている生徒たちなのですね。
コロナの3年間を境に、授業の重点が個別最適化にシフトされた中で、AIドリルでは不可能な、オンラインでは不可能な、生徒集団がありそこに教師が存在することが不可欠な授業を見せていただきました。
文脈に応じた学び、課題設定における教師の役割の重要性など考える様々な手がかりを得ることができました。ありがとうございました。
・課題は「水分子が折れ曲がっているのではなく、真っ直ぐだったらどうなるか」という理系化学の探究課題だった。授業が始まってまず、先生はこの大問だけ言って資料を配布して黙ってしまう。外の鳥の声が聞こえて静寂が続く。7,8分くらいたつと斜め向かいの女子生徒達がアイコンタクトして少し首を横に振る。また静寂。15分くらい経ち、男子生徒A君が「ぜったいわかる」というような前向きなつぶやきが聞こえて先生とやり取りの声。20分すぎに先生は分子模型を配布して少しずつ生徒達が動きだす。時間をやり過ごしているだけに見えたもう一人の男子生徒B君が、模型を見て先生とやり取りを始める。生徒どうしでボソボソ会話したりプリントを覗き込んだりし始めるけれど、基本、自習しているような静寂。気がつけば外から部活?のかけ声が教室に響く。そして終了。号令でそそくさと片付けるB君(ちょっと気分が乗らなかったかな)と隣りの生徒とプリントを見ながら授業後もまだ話しているA君が対照的だった。でも大問に付いている振り返り課題は皆さんトライできていたそう。
・課題の構成を聞いて、先日第6回の学習会で伺った課題を大問にするという意味も納得した。
・一斉授業では大量発生するB君にどのようにアプローチするか。検討会では内外で意見が割れたそう。きっと彼を良く知る人は知っているからこその意見だったと思うし、そう思えるほど彼を理解できているのが素晴らしいと思った。
・それぞれの生徒が焦らず課題に向き合い続ける姿が印象的。それぞれが自分のペースで学ぶ、自然体な姿とはどういうものか再認識した。
・教科書の文系範囲では今回の大問への素材となる知識は出てくるものの、大問自体を考える機会がない(理系範囲)。でも今回の課題の解答が「水に砂糖も塩も溶ける、水が気体にならず液体として飲める、カップラーメンが食べられる、水に氷が浮く、電子レンジで水だけあったまる...」などなどの身の回りの現象の根拠になるとわかれば、文系理系レベルの差に関係なく、学んでほしい、考えてほしい内容だ。科学的な説明ができなくても(ここはレベルに合わせて)、目の前に起きる現象が、目に見えない分子構造に由来している自然界の階層性に納得してくれるだけで市民レベルで十分である。でも一般に受験に関係ない、時間がない、やる気がないといって遠ざけているのが現実だ。しかしこの先生は生徒を信じて、この時間でそこに切り込み、生徒達もそれに応えている。あの静寂のなかでみんなで考えた時間は、効率重視で意志に関係なく詰め込まれ、自分のペースに関係なく追いまくられている生徒の時間と、明らかに違う価値が、今後出てくるだろうと感じた。
・男女の席がピタッとつき、教材の距離も近く、安心感のある教室で学びが展開され、時として1人で時として誰かとという自分の学び方が保証され、先生の声が小さくではなく、決して生徒を邪魔しない、どこか先生も呟いているようで、それを遠くから聞いている生徒もいて。きっといて。また困難な生徒の支え方も課題があるからこそ、資料に支えられる自分がいて、どこかワンレーンの学びではドロップアウトしてしまいそうな子も化学の本質(今回は沸点?)に入り、分かる分からないより、どうやったら先生の課題に辿り着けるか、これかなぁと考えながら物語を見ているような授業でした。また、他校の仲間も今回初めて参加して、『自分の授業が今のままでいい、間違っていないという感覚と先生方の生徒の学びを見る様子に驚いて、もっと生徒を見なきゃ』と言っていました。ありがとうございました。
・時間講師の立場で中学3年の社会を担当してます。生徒に提示する課題が生徒の学びを深めるものになり得ているのか、生徒はその課題からどれだけ本質に迫る学びをしていくのか、そんなことを考えながら授業を構想しています。 今回の学習会では探究課題と教師の待ちについて話題になりましたが、改めてその大事さや難しさから自身の授業をふりかえる機会となったように思います。また、生徒を見る、見えるということに関しても、さまざまな見とりをそれぞれの先生方がしており、なるほどと思う部分が多々ありました。いろいろな校種の先生と交流できたことを嬉しく思います。 次回以降もできるだけ参加しようと思います。今後とも宜しくお願いします。
・学んだことは「なぞり」と「かたどり」の重要性についてである。なぞりを模倣とするならば模倣がまだできない生徒が見られた。その生徒には個の学びがなぞりであることを経験として獲得するために教師の支援が必要である。また,かたどりではある女子生徒のワークシートの記述量が時間を追うごとに増えているところからグループ内で直接対話していなくても協同的学びの場を通して個の学びが発展していた。 さらに考えたことは学校内部の発言と学校外部の発言の差異についてである。初めての授業参観者と日常的な授業参観者には視点の違いがある。その違いが差異となり,見えないものが見えてくる契機を与えてくれるところにこのような授業研究会の意義を実感する。当然のことながら参加者全員の差異から学ぶことが大切であるが,視点という立場は授業研究において重要な役割を果たしており,今回の授業研究から内在性と外在性の視点について考えることにつながった。
・教科の本質をふまえた課題に一生懸命取り組む生徒のまなびに向かう姿勢づくりは、一部の先生だけでなく、学校全体として取り組まれている結果だと思い学校のパワーを感じました。その一方、大学受験等を想定すると、教科書の内容を進む必要もありますので、毎時間1つの課題という訳にもいきません。バランスをふまえた課題の与え方はどうするべきなのか?継続して考えようと思いました。 ありがとうございました。
第8回学習会 令和6年9月25日(水)19:00~20:00 短縮オンライン開催
「一斉授業が大半の学校で、自分や一部の先生だけ一斉授業でない授業をすることの困難さとその模索」 ーⅣ疑問や悩みの共有から学ぶー
授業がうまくいかない、って職員室で言えるか、授業がうまくいかないときどうしているか、授業に関して感じた理不尽や違和感など、皆さんで事例を持ち寄って学び合いました。短縮開催でしたので、その背景となる構造まで話すことはできませんでしたが、以下が参加者の方々のエピソードより学んだことです。
・ともに働いていた同僚が(すごい実践をされていた同僚)、異動した先では、授業がうまくいかないと感じているということを聞いて、しかも、その原因が、生徒がそう言っている、というよりも、同僚教師に評価されない(もしくは否定される)ことで、うまくいっていないのではないかと感じてしまっているということを聞いて、授業というものは、教員個人の資質だけで行っているものではないということを改めて考えさせられた。昔の同僚である若い先生に学校という組織が質を高められる構造になっているのかを突き付けられたように感じている。
・去年の4月、2年のあるクラスの授業後、生徒が前にやってきて、「先生がグループにしてくれたおかげで、初めて数学が分かった気がしました。ありがとうございました。」と少し大きめな声で伝えてくれたことがあった。周りでそれを聞いていた生徒も多く、その後すごく授業がやりやすくなった。その生徒には、こちらのほうこそありがとうと伝えた。というようなエピソードがあったが、このように、生徒をサポーターにというアイディアは積極的に追及してみようと思った。
・生徒が一斉授業以外で、どう感じているかを、よいこともわるいことも声を吸い上げて、例えば授業通信のような形で生徒に返していくというようなことは、すぐにでも可能なのでチャレンジしてみようと思う。
・学校全体で授業研究会がやれなくても、授業研究会として生徒から学ぶ、生徒の声にならない声をきけるようにすることができなくても、匿名のアンケートをとるなどして、生徒の声を拾うことはできるのではないかと勇気をもらった、普段、声をあげない生徒の気持ちを拾うことの大切さを再認識した。そういう生徒たちの声は授業前後にも、とても出るのではないか、表情などを含め、その時間に起こる事にもっと目を向け耳を傾けてみようと思った。
・学校ぐるみで授業研究に取り組めておらず、でもその一方で、一人で挑戦している先生も多くおられる(ような気がする)。その場合、校内の有志会を立ち上げることの重要性をあらためて感じた。
・学べていない子どもをつくらない、このことが、結局は、生徒をサポーターにしていくことにつながるという原点に出会うことができた。子どもたちがその授業のサポーターである。これらは授業に臨むときの基本的なスタンスではあるけれど、具現化することは容易ではない。だからこそ、毎日の教室に行くことの楽しさにつながると考えた。
・生徒たちを無理やり関わらせる学習に違和感があったが、それは、協力(cooperation)と協働(collaboration)を混同しているからだということがわかった。みんなで一つのものをつくるような協力ではなく、個人学習・個人探究を支え合う、わからないときや集中がきれたときに人のを見る聞くという淡い関わりである、協働という概念が、学んでいない子をつくらないことにつながることがわかった。
第9回学習会 令和6年10月21日(水)19:00~21:00
「校内有志での、授業の研究のあり方の模索3」ーII 教育学から学ぶー
文献輪読「授業研究入門(稲垣忠彦(東京大学名誉教授)ほか著)」
今回はⅡ-1, Ⅱ-2(1)(2)を中心に輪読を行いました。
・教員は学びに対する分離的な認識が克服できていない。本来、「学ぶ楽しさ」「基礎基本」「受験学力」「思考力・判断力・表現力」等は、バラバラな
ものでない。これらは一体化して考えるべきものなのに、それが別のものとして考えられている。そのため無意味な対立が激しくなっている。
・教員が政治的権力であることへの無自覚さ。それゆえに、生徒の学びを保障できず、一方的な講義形式の座学を行っていることに問題意識を持てない。
・子どもの「個別的」「長期的」成長を話題にできる教員集団の意識の改革が必要。
・教師の学びの場であるはずの授業研修が、学術的・学問的な性格が希薄で、個別の経験に基づいた持論・各論をぶつけるだけの場になっている。
・授業と同様に、研修も「孤独」「競争」「協力」の場にならないように注意したい。
・輪読を通して、学力というものが益々分からなくなった。内的な意欲、我々にとっては当たり前の価値観も現場では全て数値化されてしまう。しかし、
参加されていた小学校教諭の方の『学びのエピソード』という学力に負けない価値観が大事だというお話しに、ハッとさせられた。
・授業研究会の歴史も明治時代の均一化(授業の定型モデル)から何も変わってきない現状を感じつつ、教育センター(義務的)や研究テーマによる管理
職の助言など各学校での研修によって知識が第一とされる志向が強化されたように感じた。途中のブレイクアウトでも『どういう研修がそれらを強めて
しまうか』でもそれぞれの方から意見をいただき、開放的な会話の重要性を再確認することができた。学校という場所が、どういう場所としてあるべき
か、深く考えることができた。
・30年前の授業改善に向けた文章が未だに違和感なく読めてしまう高校現場に改めて気づき、驚いた(中学はここまでではないと思うが)。
・日本の教育改革、授業研究の歴史をみて、教師の自律性の重要性を再認識した。ブレイクアウトでの話を通じて、学校全体で授業研究会を行う場合の、
教師の自律性の保障の大切さと同時に、その難しさも改めて考えさせられた。
・生徒に対して、主体性や質の高い学びを要求するなら、教師に対しても主体性や質の高い学びを保障すべき。
・教師が生徒に及ぼす影響力は大きい。
・「新しい学力観」とは何なのか。生徒の思考力、創造性を育成することなのか。何が生徒にとって大事なのかを日々考えて教師自身が授業をしないとい
けない。だが、今の教師にその研究をする時間があるのか、時間さえあれば研究ができるのか、学ぶ授業ができるのか疑問に思った。今回学んでみて、
「専門職としての教師」についてますます悩みが深くなった。
・輪読の司会の難しさを痛感した。授業と同じように、教師はどうしても沈黙を恐れてしまうので、参加者が思考している間に司会は進行しなければと考え、話してしまう。そうすると参加者の思考が遮断される。輪読司会を通じて、「生徒が学ぶ・考える授業」についても考えさせられた。
第10回学習会 令和6年11月18日(月)19:00~21:00
授業内容を再考する ーII 教育学から学ぶー
文献輪読「論理的思考の文化的基盤(渡邉雅子(名古屋大学教授)著)」
「 『論理的思考』の文化的基盤 」の序章・7章1節・7章2節(加えて、参考資料としてP106,P107,P148,P149,P168,P169のフランスとイランの小論文の事例)を通して、高校において、どのような授業を行う必要があるのか、現在の高校教育や各教科の教育の問題点を考え、日常の授業にどういかしていくか、を考えました。
・輪読の奥深さを学びました。本文に戻って、本文をもとに、わからないことや気づきを共有したいと思っていても、ついつい自分の経験や直感をもとに話してしまう自分がいました。それでも、他の人が本文に戻してくれると、自分もその文から考えることができ、そしてわからないことが増えていくことも経験できました。仲間とともに輪読する良さも実感できました。
・安心安全な学びの場について、学びましたです。些細なことでも、わからないことでも、受け入れてもらえる、何でも言っていいんだと思えるからこそ、自分のつぶやきを共有できました。
・ブレイクアウトルームにて、現在外国からの参加者が文化の違いによる論理性を実体験から話され、著書との共通点や違和感からさらに謎が深まった。笑。今まで論文は世界共通だと思っていたのでフランスの『前提を疑い別のあり方を考える』という既存のものを変える考え方に衝撃を受けた。これが日本に値付けば今までとは違う教育文化が生まれるのではと期待が持てた。
・輪読では、分からないことが増えれば増えるほど良いという指摘が強く印象に残っています。分かったつもりにならず、大部な1冊なので、機会を見て再読したいと思います。
・国語科教員として改めて感じたのは、日本の国語教育の表現教育は、小学校~中学校段階では、作文、感想文、生活文あるいは日記指導等々、自分の内面を見つめるということに主眼を置いてきたということです。そこに良さもあるけれども、共感的、道徳的という評価になってしまうのでしょう。それにしても、7章の他国と比較しながらの議論は、現場では全く思いも寄らないことなので非常に刺激を受けました。(本県の指導主事の言説というのは、「学習指導要領」に基づくエンシャーであったのだいうことも再認識しました。)
・輪読の面白さ、難しさが少しずつ分かってきたように思います。自分の読み方が極めて日本的な見方考え方をしていることにも改めて驚きました。日本の高校生が、フランス的なものの見方考え方表現の仕方ができるようになるには、どうすれば良いのか興味が湧きます。特に彼らの政治的な成熟を考える上で重要なテーマだと思います。
・分からないことが増えるほど良いという点、生徒には授業でそう伝えているのに、いざ自分のことになると全く逆のように感じました。生徒の気持ちに寄り添って、丁寧に伝えていきたいです。
・「輪読」で気づかされました。批判的に、または問いを立てながら読む事が出来ない。どうしても、素直に読んでしまう。良い経験をしました。
・論理的思考は、理科では「探究」と結びつきますが、そこではアメリカ(エッセイ)型のみ学びます。科学の考え方がその型なので、それはそれで良いのですが、今まではアメリカ型の思考しか無いと思っていました…。皆が科学者になるわけでもないのに偏りすぎている。フランス型のバカロレアも知りたくなりました。
第11回学習会 令和7年1月20日(月) 19:00~21:00 オンライン開催
テーマ:不登校生徒の現状について学ぶ (ーII 教育学から学ぶー / ーⅣ 疑問や悩みの共有から学ぶー)
話題提供:大阪府立大阪わかば高等学校 ミンハス千春 首席 外国語科(英語)、
田端祐介 2年次担任 生徒会主担 理科、
浦野泰地 4・5年次担任 社会科 進路部、
金山翔貴 3年次担任 国語科 多文化担当
参考資料:文部科学省国立教育政策研究所「不登校、長期欠席を減らそうとしている教育委員会に役立つ施策に関するQ&A h24.6」
大阪府立大阪わかば高等学校の先生方に大阪わかば高校の現状、先生方が考える課題についてお話していただきました。
・本校の現状を整理しながらお伝えすることで、今まであいまいに感じていた問題点がより具体的なものとして分析することができました。このような機会があったおかげです。どうしたらいいのか分からないこともそのままお伝えしました。そのおかげで他の先生方との交流で学ぶことが多くありました。生徒がここが居場所と感じてくれる学校づくりをするためにまた明日から生徒から学ばせてもらおうと思いました。(発表者)
・自身の視点で授業と不登校を話されている点に共感できた。どこの学校も同じような取組になっているんだと再確認できた。なぜ授業を変えることができないのか、なぜ不登校が改善できないのか、この問題の頑丈さに悩む。わかば高校の先生、ありがとうございました。ちなみに『なんか行けるように』は、本日本校の授業アンケートでも『なんか楽しかった』『なんか眠くならなかった』と重なった。ここに何かがありそうな気がする。
・不登校、そして外国にルーツのある生徒、いろいろな背景をもつ生徒たち全員と向き合い、生徒たちのことを思って日々悩んでおられるわかば高校の先生たちから、誰1人見捨てないことを学びました。
今の自分の仕事と照らし合わしてみると、大人に対して欠如モデルで考えてしまいっていることに気づきました。そうではなく、大人も力を発揮できる環境を整えていくことを自分はできていません。それは学校で研修主任をしていたときに、子どもには優しくなれても、同僚に対して優しくなれなかったことと関係があるように思います。心の底のどこかでで、欠如モデルで物事を考えてしまう自分がいるのだと思います。その思いが今でも続いていることにやっと気づくことができました。わかば高校の先生たちのように、目の前の相手をことを考え、環境を動かして整えていくか、大人相手にも実践していきます。
・わかば高校の先生方、ありがとうございました。とても学びの多い時間になりました。お忙しい中で準備してくださり、恐縮してしまいましたが、ご自分の整理にもなったとお聞きして救われ、学びあえて良かったです。学校とは、教師とは何か、改めて考えさせられました。グループ内で出た言葉で、「環境を変えると言っても、我々に社会や学校はなかなか一人では変えられない、でも授業は一人で、自分で変えられる」というものがありました。皆で活力を頂きました。ありがとうございました。
・高校教育の困難を集中して受け止めている中で日々奮闘されている姿に頭が下がります。
最近、不登校の生徒に対して安易に転学をすすめる風潮が広がりつつあるのを感じます。学校でなんとかしようというハードルが年々下がってきています。教師だけでなく保護者も。
今日報告してもらった不登校生徒とは、量も質も異なりますが、重なる部分も多々あると感じました。コロナ禍をはさみ、世の中が大きく変化して、今後ますます増加することが予想される不登校生徒に対して学校が変わることが何より大事だと再認識しました。最高の授業で生徒を迎えるというのを広げていきたいと思いました。
・もう30年近く前になりますが、定時制に赴任し、9年間過ごしました。全員あわせても40人いくかいかないかの少人数。色々な生徒がいましたが、ほとんどの生徒にとっては、セカンドホームでした。環境作りはなかなか捗らなかったものの、教職員全体で欠如モデルで評価を行わないことは少しずつ共有できていきました。4年間のうちで、生徒たちが、大きく変わる瞬間が訪れることを、みんなで見守りながら過ごしていました。
そんな牧歌的な夜間定時とは違って、わかば高校が直面する現実は、とても厳しいものがあります。しかし、現状を、どう見るかについては、やはり「学ぶことは楽しい」「学ぶことは希望である」というところから考えていくことが必要なのだと再確認できました。
現任校での自分の教員としての仕事についても、その観点から常に検証が必要だということも。
・現状を必死でこなしていらっしゃる感じで、胸が詰まりました。結果の出ない、終わりの見えない生徒支援の疲労と迷い。それが、授業教材を探してワクワクする教師冥利の楽しみを奪っている気がして心配です。そんな先生方を見ている生徒さん達も、先生方を心配しているのではないかとも思います。
第12回学習会 令和7年2月17日(月) 19:00~21:00 オンライン開催
テーマ:教職のジェンダーについて学ぶ (ーⅡ教育学から学ぶー ーⅤ疑問や悩みの共有から学ぶー)
文献輪読
「女性校長はなぜ少ないか 女性管理職のキャリア形成(浅井幸子 (東京大学教育学研究科教授) ほか著)」
「教職の女性化と脱性別化の歴史(杉山二季(埼玉県教育委員会総合教育センター指導主事)ほか著)」
(出典:教師の声を聴く(学文社)第四章及び第五章)
・管理職について学ぶ場と管理職が学ぶ場について、考えました。
本文の中に、同僚との関係性ができていると、管理職試験を受けづらいとありました。私自身はその記載に違和感がありました。その違和感の背景には、管理職(特に校長)の仕事が不明瞭であり、管理職の仕事について学ぶ機会がないことがあると学びました。参加者の中からも、そのような声がありました。
また一方で、管理職同士がつながり、支え合えるような環境がないのではないかと考えました。管理職研修はあるにしても、普段から支え合えるような環境をどうつくっていくか、さらに考えてみたいモヤモヤが生まれました。
また、校長、教頭という管理職だげでなく、指導主事についても、同様のことが言えるのかもしれません。教師の延長線上に管理職があるとするならば、指導主事も同じと考えられます。本文の中には指導主事のやりがいについても記載がありました。それは私自身も経験したことですので、とてもよくわかります。
管理職や指導主事という仕事を知らない人がたくさんいる現状にどう向き合うか、これからも考えてみたいです。
さらに管理職を教師の延長線上と考えるならば、早い段階で研修主任や教務主任など、学校全体のことを考えて動く立場になることが大事になるのかもしれません。それは文献に登場したことでもあります。立場を通して管理職を学ぶ、ということがあるのでしょうか。
考えたいことがどんどん出てくる会となりました。
・自身の教師時代を振り返り、女性性の教育志向だったことにこの著書から気付かされた。また、自身は現在管理職をしているが、『管理職になる前の研修ってあるの?』『一体、どんな仕事をしてるの?』に明確に回答できなかった。どこか現在の管理職不足問題と繋がっているような気がする。(初めての感覚でした)また、ある高校の初代校長が対話的学習を提案された時、それが短期的ニーズと長期的ニーズに分かれてしまった。長期的は少数派だったが、当時を振り返ると、なぜ分裂が起きたのか、なぜ短期と捉えたのか、などこの著書から管理職としての新たな実践の難しさや先生方の志向の違いなど、それらを体験として振り返られる著書でした。
・管理職だけではなく、教員自体の業務内容の不明確さについてもあらためて行き当たりました。学校教育を進めるためにということで言えば、どんどん業務に含まれるものがふえていきます。
本来、管理職というのは、自分達はこの枠組みの中で、学校を運営していくということを明確にする役割を担う存在だと思われます。が、どうもそうはならず、外部の声に引っ張られて、率先して境界線を曖昧にしてしまいがちです。
・(文献より)米国は前から特に初等教育が賃金も地位も低く女性が多いという事だったが、「女性」という言葉が「地位が低い」という意味で出てくるのが気になった。
日本の教員は、昔は地位は低くなかったと思うが、今はかなり落ちている。この事と「女性化」という言葉が何か関係があるのか、疑問に思った。
・自分のキャリアを考えるとき、管理職になれない立場であり、管理職のことは考えられていなくても、身近なミドルリーダーをモデルとして、自分のキャリア、教師としての生き方を考えることができるのではないか。どういった人に憧れ、影響を受けるのか、女性であることは関係あるのか、などもっと探ってみたと思った。
・学校は性別を捨象しながら、そのことによってセクシズムを再生産する。それゆえ女性教師と男性教師の複雑で見えにくいかたちでジェンダー化されている。(6ページ)
いきなり(?)で始まる文献ですが、小・中・高と男性・女性をクロスして考えるながら41年間の経験を振り返る良い機会になった。
・管理職、特に校長について
2012年に安西高校・彦根西高校の授業研に参加するまで、「ビジョン」という言葉を使って学校を語る経験が全くなく、校長になって学校を変えるなどという発想はなかったと思います。では、自分が30代の時にその経験をしていたら校長になりたいと思ったかどうか、本を読みながら、みんなの話を聞きながら考えました。やはりそれまでに魅力的な管理職に出会う経験をしてきたかどうかというのは大きいと思います。その点では自身はあまり恵まれていなかったようで、勝山高校で当時の校長に出会ったのは50歳を過ぎてからでした。学びの共同体を紹介したのは私ですが、当時の学校が抱えていた問題への危機感を共有していたことから、教務主任をいう立場もありほぼ毎日校長室で語り合った記憶があります。「どの生徒も一人にしない。どの教師も一人にしない。そんな学校にしたい。」と語る校長でした。(残念なことに去年5月に亡くなられました)
私が心がけたのは、「校長を一人にしない」ということでした。昨日の話の中で、孤独な校長の話がありましたが、危機感とビジョンを共有していれば、もしかしたらその相手は教頭でなくても、年齢が離れていても構わないようにも思いました。私は4歳差でした。でもやはり、校内で、できれば複数いるといいでしょうね。でもこれがなかなか難しい。特に今のように、校内で評価・被評価の関係があると。
・生徒や保護者のニーズに応えない問題
本当に重要な論点だと思います。学びの専門家としての成長が前提にはなりますが、学校はもっと自信を持たないとダメですね。個別最適化なんて、ニーズに応える教育の典型でしょう。
・今まで「学校を変えた魅力的な管理職」に出会ったことがない。なので、自分自身、管理職を、目指そうと考えたことがない。
・女性は男性のような社交マナーを身に着けないと管理職になれないのか。また県によって、校種によって管理職になるルートが違うことに驚いた。管理職として行う仕事は同じなのに、なり方が違うのは違和感がある。
第13回学習会 令和7年3月17日(月) 19:00~21:00 オンライン開催
テーマ:ミニ文献輪読+ミニシンポジウム
「教室から始める学校改革 ー授業改革を通した教師の声からこれからの教師を支える視点を見出すー (出典:令和7年度全国高等学校教頭副校長会研修会 予定資料)」大久保明彦著(長崎県立長崎明誠高校教頭) *明誠高校の先生方も参加
・大久保先生たち4人の先生のお話を聞きました。3人の先生たちが授業改革に挑戦されたことが何より素敵なことだと思いました。挑戦するからこその葛藤や新しい悩みが出てくるのだと学びました。
また、その挑戦を引き出した大久保教頭先生の働きかけがさらに素敵です。途中質問もさせていただきましたが、教頭という立場だからこそできたことだけでなく、大久保先生ならではの経験、思いなど様々なものがつながって、挑戦を支えることができたのかなと考えていました。立場と思い、そのバランスだったり、もっと考えてみたいことも出てきた時間となりました。
・この度は「教室から始める学校改革」というテーマに興味を持ち参加させていただきました。最近、「教室という場所」から教育について考えています。また、林竹二先生の「教育の再生を求めて」から学校改革を捉え直しています。本日の明誠高校の実践報告では教頭先生と3名の教師の言葉に感激しました。それぞれが自分の言葉で小さな物語を伝えていて、このような実践者が増えることが教育には必要だと学びました。特に、谷川先生の語りを通して「学び続ける教師」を育てる重要性を実感しました。学び続ける教師の言葉によって教師はつながるのであり、教師の同僚性は専門職としての資質であることを再認識しました。最後に、本研究会の存在を広報するなど、さらに参加者が増えることを祈念しています。本日はありがとうございました。
・大久保教頭先生を含め4人の先生のお話を聞きました。3人の先生たちが授業改革に挑戦されたことが何より素敵なことだと思いました。挑戦するからこその葛藤や新しい悩みが出てくるのだと学びました。また、その挑戦を引き出した大久保教頭先生の働きかけがさらに素敵です。途中質問もさせていただきましたが、教頭という立場だからこそできたことだけでなく、大久保先生ならではの経験、思いなど様々なものがつながって、挑戦を支えることができたのかなと考えていました。立場と思い、そのバランスだったり、もっと考えてみたいことも出てきた時間となりました。
・寺田先生は『授業から学校を変えよう』との言葉がきっかけだったと言われたが、実は教頭と言う立場より私の背景を見られていたこと。永田先生は『一斉授業ではどこか退屈さがあったが、協同学習で授業への研究心が持てるようになり、それをありがたく感じるようになり、今はもっと広がればと思う』永田先生は、教員2年目ではあるが、自身の喜びと学校に対する次の指針を示している。このことは授業改革が単なる技術論ではなく、教師を育てるツールになっている。谷川先生は『昔から一斉型にはモヤモヤしていたが、この協同学習をもっと掘り下げられるようになると楽しくなるような感じがする』谷川先生の掘り下げるは、おそらく質の高さを求めている。私も管理職として今後の研修がより一層高まるように尽力せねばと感じた。さらに寺田先生は教頭の言葉で印象に残っている部分を聞かれ、『点数ではなく取組を変えよう』だったそうだ。取組に優位性が持たせられることが、今、時代が求めている授業の本質があるように感じる。
・実践者は、何かと不安定さを感じている。生徒の学びが見えるようになったから、授業準備に対し不安が生じ、同僚性の必要性を感じるようになる。改めて授業改革というものが、技術論でないことが確認できた。
・職員室で、教員は、〈評価のための言葉〉〈個別(にレッテルを貼って分類するため)の言葉〉を発しがちになるが、そこに疑問や違和感を持つところから、日々の授業について考え直していくための契機が生まれる。そのような教師の言葉に注意するところから、授業改革をスタートする。これこそが、教育現場ならではの研究のあり方だと感じました。評価的な見方から脱却するために、授業のあり方を考え直し、たとえば大問授業への挑戦等の意義を実感していく。ただし、協同的な授業であっても、生徒も教員も、評価的な見方に陥ってしまう危険性は孕んでいる。授業の中で起こっていることを、どのように捉えていくのか、それを考える上で、たとえば、非言語コミュニケーション(お互いの指さし)に着目していく。そのことで「つなぐ、つながる」ことを、実感的に理解する。この点にも感銘を受けました。広島県の高校でも、かなり世代交代が進んで、かつてよりもかなり若い世代の先生方が増えています(自分自身は生徒急増期の採用だったので、それが落ち着いてからは下の世代がほとんどいないという時期が長く続きました)。ただ、そのような若い世代の先生方も、PCは使うけども、また、「話し合い」はするけれど、基本的な授業スタイルとしては非常にオーソドックスなままであることが多いように認められます。これをどうバージョンアップしていくか。コロナ禍後、学習指導要領の「主体的で対話的で深い学び」という基本方針も、高校現場ではあまり意識されなくなっているように感じます。教師自身が、自分の経験したものとは違う「学び合う授業」に出会うということが、偶然ではなく、必然として起こるようになることがさらに増えて欲しいと感じました。
・寺田先生が、グループの授業で「先生わかった!」と笑顔を見せてくれた生徒を見て自信を感じたとおっしゃっていました。そういった経験を同僚と交流することができる場面が増えることで拡がりが生まれるように思いました。また、教頭先生から言われたから安心して実践できたというのも新鮮でした。管理職に言われたことだから失敗してもいいかなみたいな。ただそこはとても難しくて、大久保教頭先生の人柄でもっている部分が大きいように思いました。残念ながら、生徒だけでなく教師も評価される対象になってかれこれ20年ほど経ちますが、職員室に同僚性をつくることがますます難しくなっています。授業が変われば教師の言語が変わる というのは面白い視点だと思いました。ただ一方で、教師の言語が変われば授業が変わるという面もあるように思いました。新しいスタイルの授業を考える、授業での生徒の学びから学ぶ、それを表現する言葉はもしかしたら新しく作っていくことが必要なのかもしれませんね。例えば「大問授業」のように。うまくは言えませんが。大久保教頭先生、貴重な機会を与えていただいてありがとうございました。
・とても充実した学びの機会になりました。長崎明誠高校の先生方の語りは長崎県の実態を考えると大きな変容だと感じました。寺田先生がブレイクアウトルームで言っていましたが、大久保教頭先生の働きかけがなかったら続かなかったと言っていました。管理職の存在の大きさを感じる機会となりました!
第14回学習会 令和7年4月21日(月)19:00-21:00
テーマ:授業ビデオによる授業研究会
1月に実施した第11回学習会において、『せっかく合格して入学した高校なのに、1回目の授業は出席したのに、2回目3回目の授業から欠席し、そのまま不登校になる生徒が少なからずいます。どうしてなのか、どうすればいいのか、多くの教員が悩んでいます。「この空間は、自分が居られる場所じゃない」と生徒が判断する前に、何かできることはないのか。個別の支援ではなく、授業で、教室で支えることはできないか。』という提起をもとに、大阪わかば高等学校の4人の先生から現状報告を受け交流する機会を持ちました。その中で、「一度しかない1回目の授業を、1年間で最高の授業にして生徒を迎えよう」という提起がなされました。
今回、4月最初の授業でこの困難な課題に大阪わかばの先生方にチャレンジしてもらいます。まったく関係性のできていない生徒との授業を、ビデオで撮影し授業研究会を行うという前例のない企画で開催しました。
・今回の授業を通して、授業で生徒を支えることの大切さを学びました。多様な背景を持ち、何かの縁で同じ教室に集まった生徒の心を少しずつ溶かしていくような授業でした。一人では孤独で学べなくとも、仲間とつながることで学びに向かうことができる生徒たちの姿から、教師の口頭指示をどう減らしていくか考えたいです。それは職員研修や他の場面でも活用できると思います。また年度1回目の授業から記録に残していくことにチャレンジしてくださった先生方に感謝です。
・今日の授業で2つのことを学びました。開始から10分、ほぼ生徒は誰とも関わりません。先生が金髪の生徒、3人がけの端の生徒の記述を読み上げた時、金髪の生徒の後ろの女子生徒、3人がけの隣の隣の男子生徒の表情がパッと明るくなりました。これは緊張と孤独から解かれた瞬間だったように思います。以降のペアワークでは孤独ではない自分を確かめるような活動に見えました。素晴らしい授業(試み)だったと思います。2つ目は、外国ルーツ生のピュアさです。と同時に日本ルーツ生に同様のことが成立するのかと思いました。警戒心が上回るであろうと。なぜ成立しないかを授業の中で支えようと志向することに意味があると思いました。わかば高校、素晴らしい実践だったと思います。
・はじめの10分は生徒どうしの緊張感が伝わってくるようで、見ていて手が冷たくなってしまいましたが、ペアワークで見せてくれた関わりや笑顔にホッとして、嬉しくなりました。でも、新しい課題が出るとまた硬い雰囲気になってしまうあたりが、彼等の困難さをしめすように感じました。
・最初の授業で授業の受け方や評価の付け方を話したりするけど、生徒にしてみれば、どの教科も毎時間同様になるから、最初からゲンナリしてしまう、やはり最初の授業はもっと考えた方が良い、という意見があり、ハッとしました。
・今回の授業は、成立させること自体に非常な困難が予想されるものでした。生徒たちは、日本語も英語もネイティブではなく、また、たまたま教室に集まっただけ。その前提条件を考えると、自分が授業者だとしたら、かなりひるんでしまいそうです。教育方法的に見れば、様々な疑問や改善点があったかもしれません。しかし、あのあたたかく柔らかな教室を、授業者と生徒のみんなが、どのようにして生み出すことができたのか――今回の授業に関しては、もう一度そこに着目してビデオを見直したいと感じました。
・ 共有のためにまず個人で考えを作り,それをペアやグループで活動の領域を広げるよくあるやり方ではなく,順番を変えることで人とのつながりが自然に,無理なく進んでいくことが今回のビデオを見ながら学ぶことができました。事前の情報で不登校が多いと伺っていましたが,そんな雰囲気や空気感を感じさせることがないような気がしました。
・今回の授業者の試みは、1年の最初の授業で生徒たちの学校への期待(「どうせ何も変わらないだろう」という)をどう裏切り、生徒たちに「今までの授業とは何か違うかもしれない」と思わせることができるかというテーマに挑戦したものだったと私は解釈しました。そのチャレンジが成功したことは、授業の始めと終わりの生徒たちの表情の違いから十分に分かりました。それは100分という長い授業の中に、英語を使った数多くのゲーム的な関わりを入れていくこと、そして相手を頻繁に変えることによって、退屈させずしかもクラスのほとんどの人と実際に関わるといった工夫によって可能となりました。一方で、そのために先生の指示、説明が多くなり、そのたびに生徒たちの思考が途切れてしまう様子が見られたのは気になったところで、今後の課題かと思いました。でも最初の授業としてはすばらしい授業だったと思います。勇気ある貴重な授業を見せていただき有難うございました。
・学んだこと・考えたことは、『教科の本質的な学び』を通して生徒が『必然的につながる』ことの大事さです。年度最初の難しい授業を公開くださり、深く感謝申し上げます。多様な生徒と向き合いながらも、ともにこれから1年間授業を進めていくのだという教師の思いを伝える授業だったのではと思います。多様ゆえに教師と生徒、生徒相互がその多様性を尊重しながらという教師の思いが『respect』という単語に象徴されていたのではと思いました。最初は表情も硬かった生徒の表情が、エンカウンター的な手法を取り入れた活動を通し、お互いが出会うことができ、授業が進むにつれ、豊かな表情に変容していく様子がビデオから十分に伝わってきました。とくに今回のように年度初めの授業をどのように考えるかは、本当に難しいものですね。
・生徒相互が授業を通してどのような出会いをするのかは、その後の授業づくりを考える上からもとても大事なのだと改めて感じることができました。
・生徒たちは関わりたいという気持ちを持っていました。どうやってかかわるのかわからないままそこにいました。先生がかかわり方を示したことで、少しずつかかわることを体感していきました。まだ関わりたいと思ったところで授業が終わって、また次回関わることができると保障がされました。明日もまた学校に来て、関わりたいと生徒は思ったと思います。生徒の居場所になるかもしれませんね。
第15回学習会 令和7年5月22日(木)19:00-21:00
テーマ:授業ビデオによる授業研究会
前回に引き続き、入学1か月後の同じ英語コミュニケーションⅠの授業ビデオ(大阪わかば高等学校)から学びました。今回の授業は9回目の授業でした。
・学んだこと、考えたことは、自分自身が日々実践している授業が、生徒にとってどんな時間・空間となっているのかについて改めて深く見 つめ直してみることの大事さ、さらには、『学び合いのある授業』が生徒を繋ぐという思いを改めて強く実感することができたということです。前回に続いての授業公開、わずかの間でこんなにも生徒が変容していることに驚きました。教師と生徒との信頼関係が構築されているのはもちろんですが、生徒相互にもその関係性が確かなものとしてできているのだと思います。それぞれの生徒が、仲のよい友人が別にいるといった話がありました。つまり、『授業』というフォーマルな場でお互いに関わることが自然にできているということになります。その関係性を成立させているのは、自分自身が『教室・授業』という場で受け入れられている、受けとめてもらえているという安心感やフラットな関係性であり、だからこそ関わり合うときのハードルが低くなっているのではと思います。1日の大半を過ごす教室・授業のなかで、こうした時間・空間がもてるということは、そこに自分がいる価値があるのだということにもつながるわけで、生徒自身の心にもそうした思いが根付いてきつつあるのでないでしょうか。だからこそ、学校から足が遠ざかってしまうことなく、授業に参加することができているのだと思います。今後の生徒の変容、継続して見ていきたいと思いました。わかば高校の先生方、貴重な提案を有難うございました。
・教室環境に応じて学び方は一人でも複数でも良く、それを生徒が決められるようにする環境づくりが大事だと思いました。
・わかばの先生方の授業で生徒を支えようとする熱量に感服。参加者の声に耳を傾ける姿にもです。こういう先生が増えて欲しいです。そしてわかば高校の授業を見て、生徒たちの表情に違いを感じました。冒頭は授業者に助けられてる安心感が読み取れ、徐々に仲間を助けている、助けられている表情に変わっていきました。脱落者が減っているという授業から表情を学ばせていただきました。素晴らしい授業、実践、ありがとうございました。
・ 教室内の雰囲気については、参加者の多くが指摘したとおり、穏やかで親和性が高まっている。この授業だけで集まってくるメンバーだという事実から考えると驚くべき事である。
・このメンバーが取り組んでいる学習課題も、教科書を学ぶというのではなく、このメンバーに合わせて考えた内容を、毎時間少しずつ組み上げて行っているということも感動した。たしかに一時間目の内容も、今回のビデオにつながるものだったことを思い出す。今回のビデオを見ながら、自分も定時制に勤めていた頃に、年齢も生活経験もバラバラなメンバーが共に学べる学習課題とはどんなものか――〈働くこと〉×〈学ぶこと〉×〈生きること〉の関係について考えていくことを柱としながら、あれこれ単元学習を試行錯誤しながら実施していたことを思い出した。果たしてそれらが、教科の本質的な学びになっていたかどうかについても、あらためて考えた。
第16回学習会 令和7年6月24日(火)19:00-21:00
テーマ:教師自身の学習機会としての授業研究
文献輪読:
「教師と学生が知っておくべき教育方法論・ICT活用(北樹出版)」の第9章(永島孝嗣(麻布教育研究所)著)
『レッスンスタディ(授業研究)の学校文化』
・p81「「子ども」を観察することと「子どもの事実から学ぶ」ことは同義ではない。」この一文を今回は深く考えることができた。同時にレディによる二人称アプローチについても考えることができた。教師の専門性はここが一番重要だと思った。
・授業改革の実践者には、後から理解できるもの、再確認できるものがある。私の体験として20年前のことだが机間巡視や発問、導入・展開・まとめなど授業の進め方を先輩教員や県教委の指導主事から学んでいた。それが欧米の影響だったこと。大正時代から昭和初期においては、その欧米の流れとは全く違う授業が語られていたこと。そのような授業の歴史を理解することで現在の自分を再確認できた。また、評価についてはこの会でもイタリアの幼児教育から学んだが、それが驚きで、それまで量的な評価に終始していた自分を改めさせられた。論文から得た視点ではあるが、前者は体験により自身の知識が肉付けされるのに対し、後者は理論(本を読む)が先となる。この相互の感覚が妙に楽しいのも事実。現在は、授業改革の実践者から、実践者を発掘、育成する立場に変わったが、妙な楽しさは変わらない。レッスンスタディを読み進めながら、その感覚を思い出した。
・国語科については、ジャンプの課題というのは存在せず、テクストを読み深めていくことがジャンプになる。このことを今回の研究会では、実感的に理解できた気がします。ある部分を参加者が色々と議論していくことで理解が深まったり、そこから別の部分や他の文献で気になっていた部分について、そういうことかと掘り下げるきっかけを得たり、自分の理解のズレを補正できたり。本来的には、教室の中でこのような活動が生まれなければならないのだけれど、「解説者」が出しゃばって行きがちになる。そうならないためには、テキストや学習課題の準備に、さらに手間暇かけたいと感じた。
・観察すると見る、など一つ一つの言葉の意味を考え、じっくりと学ぶことができた。輪読のときの間や沈黙を今まで以上に待てるようになってきたのではないか。
教師経験の長い先輩の先生方のお話も、それぞれの地域や学校によって歩んできた歴史が違っていた。それぞれの人の歴史が違うからこそ、テキストを読んでも解釈の違いがうまれ、その違いがとても心地よいものだと学んだ。
・ 以前に読んだ「授業研究入門」と合わせ、日本の授業研究の歴史について、明治から現在までがつながった。自分自身は「授業の科学化・教科の現代化から学校の危機へ」以降しか経験がないが、大きな歴史の流れを踏まえた上で現状を俯瞰して捉えることの大切さを知った。10年20年後から現在を振り返った時に、後悔することがなるべく少なくできるような方向を選択することはどのようにすれば可能なのか、そんな観点から考えてみたいと思う。
・「教師の語りと同僚性」より
授業研究が同僚性を育むことを通じて、日常においての語りの共有によって教師の学習が成立する可能性・・・この視点をきちんと位置付けた授業研究のあり方、持ち方を今後ぜひ共有したい。
・ 時間切れになり「学校文化とレッスンスタディ」の部分を読み込むことができなかったが、ハーグリーブスの専門的資本の三番目「判断資本(decisional capital)」の重要性と現在の学校の状況下でそれを実現することの難しさを痛感しながら、この15年を過ごした。どうすれば良いのか、今後ぜひ研究したい。
・輪読の方法・形態から学んだこと
三つのポイントを踏まえたやり取りの中で、一人で文献を読むより遥かに深く読み取ることができることが実感できた2時間でした。教室での応用だけでなく、学校で職員室で授業研究の輪を広げる上で、このような輪読での文献購読はとても有効だと思いました。 「もっと早く知っていれば」 若いみなさんは、今後ぜひチャレンジしてみてください。
事務局・発起人
角野進 (大阪府立阿倍野高等学校・数学科)
ミンハス千春(大阪府立大阪わかば高等学校・英語科)
吉岡拓也 (神戸市教育委員会(文部科学省出向中)・数学科)
玉木雅己 (広島県立海田高等学校・国語科)
大久保明彦 (長崎県立長崎明誠高等学校・教頭・体育科)
小松寛 (東京都私立開成高等学校・理科)
連絡先 21_highschool_jimukyoku@googlegroups.com
(2025年6月1日追記)
上記の連絡先にメールをお送りいただいても、エラーになってしまう状況にあったことが判明しました。
申し訳ございませんでした。
現在は、復旧しております。