、
授業のありかた
教師のありかた
高校のありかた
などを、県をこえて、職種をこえて、教科をこえて学ぶための会です
教育関係者はどなたでも参加できます
よかったらいっしょに学びませんか
◾️ページ内のリンク
今やっている授業で本当にいいのか
そもそも、
高校自体このままでいいのだろうか
そのような悩みや疑問が
頭をよぎりながらも、
日々の業務に忙殺されている
また、孤業化の中、
これらのことを校内で同僚と聴き合い、
学び合う機会がない
このような高校教師の声にこたえるために
県をこえた研究会を
立ち上げることになりました
2024年1月12日
事務局・発起人一同
代表 永島孝詞(麻布教育研究所)
千葉県立勝浦若潮高校 昭和11年の授業風景 [https://www.chiba-c.ed.jp/kws/index.html]
I 実践から学ぶ
最新の方式で、具体的な授業実践から学ぶ。高校だけでなく、小中学校や大学も含め事例研究を行い「Learning」を探究したい。
II 教育学から学ぶ
文献や論文の輪読を通じて、実践の裏付けとなる知識や理論のバージョンアップをはかりたい。
III 世界の現状から学ぶ
世界のハイスクールの現状から、日本の高校の常識・当たり前を見直してみたい。
IV 疑問や悩みの共有から学ぶ
「なぜ」「そうはいっても」仲間との対話を通して交流したい。
第23回学習会
令和8年1月19日(月) 19:00-21:00
オンライン開催
(Ⅱ教育学から学ぶ)
文献購読「子どもたちのための体育をつくる哲学」 坂本拓弥 著 大修館書店
サブタイトルは、「身体・遊び・テクノロジー」です。
この本で採用する「哲学する」ことの定義は、「真の哲学とは世界を見ることを学び直すこと(メルロ=ポンティ)」です。
そして、『体育を「哲学する」こととは、
児童生徒と関わる一人ひとりの教師が(who)、
日々の体育授業という場において(where)、
より良い授業を実現するために(why)、
そう望むときはいつも(when)、
体育の世界を新しく見ることができるようになることです(what)。
そして・・・「結局それをどのようにしてやればよいのか(how)」を探究していくことです。』
(第1章(p7)より)
この本は、タイトル通り体育について書かれた本です。コロナ以降の変革で体育はどのように変わったでしょうか。他教科の皆さんも違和感はありませんか。この本では、体育の教師が、体育という教科を深く見つめ直し、体育教師の自己批判的思考から体育を哲学していきます。「身体」「言葉」「主体」「体育嫌い」「ICT活用」「eスポーツ」「触れる」「個別最適」「体育への抵抗」など、子どもたちを育てる観点でまとめられていますが、他教科の先生にもつながる内容です。
2026年は、サッカーワールド杯、野球のWBC、冬季ミラノ五輪などスポーツ祭典の年です。年初めに、「体育」をベースに「授業」を「教科」を哲学することについて一緒に学びませんか。
目次は以下の通りです。
第1章 体育は「哲学」で生まれ変わる?
第1節 体育を「哲学する」ことの輪郭
第2節 「内破する思考」とは何か
第2章 子どもたちは身体として生きている?
第1節 体育と「身体の教育」
第2節 身体とは何か
第3節 主体としてのからだ
第4節 身体の教育と子どもの心
第3章 体育は「嫌い」で問題ない?
第1節 「体育嫌い」はいない?
第2節 「体育嫌い」から「新しい身体の教育」へ
第4章 テクノロジーはただの道具ではない?
第1節 デジタル教材の「活用」
第2節 テクノロジーの落とし穴
第3節 eスポーツはスポーツか
第4節 体育とeスポーツの関係
第5章 体育の「プロ」
第1節 体育教師とはどのような人か
第2節 体育教師とは何をする人か
第3節 デジタル時代の体育教師に求められること
第6章 言葉は子どもたちの身体に触れている?
第1節 体育授業における言葉
第2節 言葉の二つのレベル
第3節 言葉が伝わらないという難問
第4節 身体の触れる言葉
第7章 触れようとすると触ってしまう
第1節 「触れる」の多様性
第2節 「触れる」が溢れている体育
第8章 遊びは意味がないから意味がある?
第1節 「触れる」との隠れたつながり
第2節 時間の幅と奥行
第3節 「個別最適な人材」の問題
第4節 個別最適な遊び?
第9章 体育も人間も5.0にならない?
第1節 トトロに会えない現代社会?
第2節 コントロールできないことの意味
第3節 Societyは5.0にならない?
第4節 人間は全然変わっていない?
第10章 体育は「抵抗」しながら進んでいく?
第1節 体育の課題とは何か
第2節 「抵抗」という視点の可能性
第3節 「抵抗」という三つの次元
第4節 体育を「哲学する」ことの実践的意味と面白さ
当日は、第5章、第6章、第7章、第8章を中心に購読する予定です。
申し込みは右のグーグルフォーム(現在、作成中)から
ご質問は、お気軽にお近くの事務局・発起人まで
次回以降は下記の日程で開催予定です。
1/19(月)
文献輪読「評価への抗体としてのドキュメンテーション(浅井幸子(東京大学教育学研究科教授)著)」
ーII 教育学から学ぶー ーV 疑問や悩みの共有から学ぶー
最大30名が参加しました。
・アセスメントとエバリュエーションの違い
・ポートフォリオとドキュメンテーションの違い
・質という概念の問題点
・社会構成主義と社会構築主義の違い
・言語表現のみに着目する問題点
・人とモノの区別の問題点
・授業研究とドキュメンテーションの違い
が話題になりました。
とても難しい論文でしたが、
イタリアが評価という概念をどのように変容させながら、子どものために教育学と授業を高度化していった流れを感じることできる会になりました。
一方で、消化しきれない部分も多いため、引き続き、別の文献にあたったり、実際の授業の生徒の姿から、本論文の指摘することを、どう実践的にとらえるかを行っていくことになりました。
文献輪読「手の倫理(伊藤亜紗(東京工業大学教授)著 講談社)1章・4章・5章」
ーII 教育学から学ぶー ーIV 疑問や悩みの共有から学ぶー
教育において
視覚と聴覚が重要視される中、
触覚の役割について考えられた会でした
生徒をみる なのか
生徒をきく なのか
生徒にふれる なのかという
更には、主体的・対話的・深い学びの背景をなす
学習の3位一体論(自己・他者・モノ)*
で考えると
自己をみる・他者をみる・モノをみる なのか
自己をきく・他者をきく・モノをきく なのか
自己にふれる・他者にふれる・モノにふれる なのかという
*主体的に自己、対話的に他者、深い学びにモノを対応させていると言われています
更には、実際のそれぞれの教科で、高校の授業の中で、上記をどう日常的に実現するのかを
ブレイクアウトルームで、検討しました(小学校算数の事例をたたき台にしながら)。
参加者からは、生徒にしてもらいたい「わからないことの探究」を自分自身が体験する会だったという声も寄せられました。
「新年度に入って、困っていること」 ーIV 疑問や悩みの共有から学ぶー
「僻地や選択科目での、少人数(1~3名)クラスでの授業のあり方(どう個別指導にしないで授業を展開するか)」
「共通の授業改善をどんな内容・課題で提起すれば良いのか」
「非常勤講師がいない」などの悩みが事前に出され、意見交換を行いました。
学校全体で授業改革に挑戦している高校が小中に比べ圧倒的に少ない現状で、どうすれば各学校で有志で授業研究を行っていくことができるのかを中心に交流しました。
対話的実践としての学びを各学校で行うために、
① 学校の授業がどの程度「一斉授業」から「主体的な学び」に転換しているのかを、学校評価アンケートの
調査項目の工夫によって、生徒の声を元に、全校で共有している学校の実践例
②「対話的な学びの授業」を受けた生徒に、その授業の良さを発信してもらう、という新鮮なアイディアを共有することもできました。
従来の方法に引っ張られすぎない新しい授業研究のあり方は?
従来のスタイルとは異なる「形態」「内容」の授業研究会を、各学校の実態に沿って自主的に組織するにはどのようにすればよいのか。
新しいアイディアを持ち寄り、この会で「交流」し「学び合う」ことができるように、今後も引き続き考えていきたいと思います。
テーマ:校内有志での、授業の研究のあり方の模索1
文献輪読「授業研究入門(稲垣忠彦(東京大学名誉教授)ほか著)」 ーII 教育学から学ぶー ーIV 疑問や悩みの共有から学ぶー
Ⅰ-3,Ⅰ-4 を中心に輪読を行いました。
参加者が、気になった部分、よくわからなかった部分を取り上げ、全体で読み直し意見交流を進めました。学術的な文献の、単語や一行の文章の奥深さを知ることができる、輪読の良さを体感できた多くの気づきを得た会でした。例えば、「協同」「対話」「探究」「会話」「伝達と説明と語りの違い」「教室の事実は中心ではなく周辺で生起」「見識」「鑑識」「教師の専門職性は何か」「教室と職員室の関係」など。また、長崎県立平戸高校での実践例などとの接続の議論もありました。
参加者から、例えば以下のような感想や振り返りがありました。
・「対話」の英語訳が直訳ではなく、collaborative learning なのはものすごく納得できました。
・教室言語への注視、職員室での言葉の質の重要性を再確認しました。
・多忙だったり、疲れていたりすると自身の授業に対して何もアイディアが浮かばす、従来通りで、という状況になることがあります。(F1マシンを技術開発 するデザイナーたちはそれを"conventional"と表現していました。)その状況を避けるために「状況と対話する reflective practice」の考え方を授業の中で具体化していかないと、と考えました。
・reflective practiceの授業研究の意味が「物語的認識」として表現されることに非常に納得がいきました。また「物語的認識」を持てるようになるまで、自身の授業実践の中でたくさんの失敗を積み重ね、たくさんの経験を得ることも非常に大事だと思いました。
・以前、「レベルの高い課題の進め方や作り方を教えて」という技術的なことについて質問されたことがあります。高い課題を通しての、それぞれの生徒の学びの個別性(同じ課題から、人によって違うことが学ばれることなど)に向き合うことや、自分と生徒の間にある関係性に「省察」を重ねることかな、と悩みながら答えました。学校で授業研究を開催する場合に、その2つを成立させることが求められると思いますが、つい効率性を追求してしまう心理にどう向き合うかを考えなくてはならないなと思いました。
永島先生から、今回の内容をより深く理解するための参考文献の紹介がありました。
①コラボレーションについて
「敵とのコラボレーション」アダム・カヘン 英知出版
②対話
「ダイアローグ」デヴィッド・ボーム 英知出版
③発表的会話の問題点と探索的会話
「Exploratory Talk for learning」Douglas Barnes Sage Inc.
④専門職の再定義
「The Reflective Practitioner」Donald Schon Routledge
⑤教師における知識
「Knowledge and Teaching」 Lee Shulman Harvard Educational Review
指導技術を生徒にあてはめて、授業を行うのではなく、省察的実践(状況との対話、状況に応じて状況を変えてそれによって生徒が学ぶことを支える授業)を行う専門性を高めるには、どのように校内有志授業研究を行っていけばいいのか、がまだはっきりつかめないため、
次回は、今回に引き続き「授業研究入門」のⅡ(特にⅡ-1, Ⅱ-2(1)(2))を中心に読み進め、高校で「授業づくりを支え合う校内での有志の会」を実現する道を模索してみたいと思います。具体的に「このように」「こうことを」やってみたらという視点で、成功例から失敗例まで、様々な経験を持ち寄って学び交流したいと思います。
テーマ:校内有志での、授業の研究のあり方の模索2
報告「長崎県立平戸高等学校 公開授業研究会から学んだこと」 ーⅠ実践から学ぶー
事務局より2名のメンバーが参加してきました。急遽学習内容を変更して、報告会をさせていただきました。
以下、参加者の声の抜粋になります。
・ビジョン共有の土台のもと、子どもの学習環境(座席配置)と教師の学習環境(授業研究会)を担保することが、学校全体としても有志の会としても大事にしたいことだと学んだ。これは管理職の力によるもの、というより研修担当教員の力、人柄、想い、真摯さが大きいと思う
・子どもの生活環境(生徒指導で縛られない)、教師の生活環境(評価されない、切れられない)ということが、大事だと感じた
・校内有志の会というのは「自分が授業の専門家になるための(専門家として伸び続けるための)有志の会」ということ
・高校現場こそ、生徒たちから学ぶ姿勢がとても大切だと感じた。授業も部活も行事も生徒会も生徒が行うものとして教師がそのアシストをする。その時、教師同士の助け合い、学び合いの場が「校内有志の会」(授業検討会のみではなく、もっと広い意味合いで)ではないのかと思った。
・「校内有志の会」は「学校改革」と切り離して考えると実現するのにそんなにハードルは高くないのでは。授業に悩んでいる教員は多い
・教室の中にいる子どもの姿から学ぶ
・共有するビジョンに基づいて、個々人が研究・追究を続ける自由度の重要性、共有すべきことと、個人の自由度との両立が大事だと
・(自身の経験より)授業研究というものが何もない学校に転勤したとき、途方に暮れかかったがまずは色々な機会を捉えて授業を観に行くことにした。5年間で140時間程度観て、どの授業でも色々な発見があり刺激を受けた。だが、職員室に戻ると多くの先生方がPCに向かって仕事をしているのが現状だった。「PCよりも、楽しいことや学べることが教室にはある」そういう思いを共有できるのが「校内有志の会」ではないかと思った。
・授業の難易度は教師の子どもに対する期待や信頼関係から生まれ、授業の質は授業研究という定期的な研修と多様な職員構成から生まれるのだと
・生徒支援部という分掌名変更の効果は高い
・授業研究の頻度がかなり重要
・「教員自身が楽しそう」であること
・自分の学校の生徒から学ぶことの重要性
・試験のような座席を変えることからはじめないと
・有志の会、私は学習観を共有できる先生方と始めることに意義があると考えました。有志の会のメンバーが一人二人と増えていき、管理職の支持を得られたらメインストリームになっていく芽が生まれると、考えました。
テーマ:生徒指導と授業づくりの関係論 ーI 実践から学ぶー
話題提供1
大久保明彦(元長崎県立平戸高校 生徒指導主事・教務主任・研究主任・保健体育科)
話題提供2
西尾明(元広島県立佐伯高校 校長・保健体育科)
今回も急遽内容を変更して、生徒指導と授業づくりがどう関係しているのかについて2名の先生方に話題提供をしていただきました。
・スマホ会議の反響には驚きました(携帯のマナー講座を生徒に託したのがスマホ会議)。当時の同僚にも今日の発表を共有しました。生徒指導担当の孤独さをどう変えるか、反対派との対話、分掌の壁の乗り越え方、中学校訪問と生徒指導の関連、生徒指導新聞など、生徒指導のもつアプローチを皆さんと共有できたことが何よりです。拙い発表に最後までお付き合いいただき感謝です。(大久保先生)
・ここまではセーフここから先はアウトということを細かく細かく決めて、徹底的に守らせる生徒指導から、自分たちでルールをつくっていくことをサポートする生徒指導は、小中の「道徳」「学活」の授業づくりの系譜を継いでいることがわかった。
・生徒・教師・保護者の、三者の緊張関係を、どう対立ではなく、近づけていくかが生徒指導なのだと驚いた。
・教師にとって居心地のよい学校をつくるために、従来は生徒指導を利用しているところがあることがクリアになった、だから、三者関係に緊張が走るのだと。
・「生徒主体」という抽象的な表現を、「生徒が失敗から学ぶ」という具体的な言葉に変えたことで、生徒に対して様々なアプローチができるようになったということが一番印象に残った。
・かなり困難を抱えている生徒たちに、中学校への発信を任せることの凄さを感じた。外からの目を常に教師が気にしている生徒指導から、生徒たちが外に目を向ける機会をつくっていて、またその発信が、生徒たち自身が授業についてを選んでいるというのが本当にすごい。
・教師にとって「気づく力」は大切だが、これが教師の力としてあまり評価されないのはなぜなのか考えさせられた。
・これまでの生徒指導が、いかに、授業づくりを邪魔していたか。
・生徒指導から生徒支援への発想の転換が必要。
・生徒と一緒に、生徒指導をつくる達成感。
・西尾先生も大久保先生も共通しているのが、通信の重要性。口頭で言いたいことを言うのではなく、通信を出すことによって、みなとビジョンを共有していくのだとわかった。
・ビジョンと価値観は、似ているようで異なるので整理する必要があることを感じた。これをしっかり認識していないと、校内での対立を生んでしまうと思う。
・教師も生徒も、変わったことや実験的なことを行っても、責められない、その雰囲気をつくるのが生徒指導の役割なのだと思った。
・失敗が起きたときに、どういうこととどういうことがつながって失敗につながったのかを、クリアにして、出会いと学びにつなげていく生徒指導。
・生徒への信頼、同僚への信頼をどう授業研究以外の方法でも回復させていくか。
・校則を守らせるではなく、マナーをつくってもらうことを通じて、先生と生徒との関係をつくるという点が新鮮でした。校則は、教員→生徒の一方通行ですが、マナーなら対等になりますね
・生徒支援と授業づくりの相性のよさを感じます。ただしマナーであれば、守らない自由も保障する必要がありますね。
・大久保先生の実践から、生徒は無条件に信頼しなければいけないということを学びました。
授業ビデオによる授業研究会 「高校2年(6月)・文系・化学」 ーI 実践から学ぶー
今回は、授業の専門家になるための子どもから学ぶ会と合同で行いました。様々な校種、立場の参加者とともに学ぶことができました。以下、参加者の声です(直後のアンケート記入者のみ)。
・ある生徒の学びを支えるための教師の介入のタイミングと資料の準備の大切さを学びました。また、合同開催であったため、小中学校の先生ともともに学ぶことができました。また、今日の授業ビデオにおいて、教師が待つことの重要性も話題となりました。同じグループで協議をした小学校の先生が「小学校の教員はこんなに待てない」と言っていました。待つか待てないかということは、学校種による違いということよりも、学校全体で授業研究に取り組んでいるかどうかに関わることだと学びました。多くの仲間と授業研究に挑戦できるコミュニティづくりを考えていきたいです。
・それぞれのスタイルで、個として自分のペースで粘り強く学び続けている生徒の姿。彼らに対して必要最小限の働きかけは行うものの、待つことができている教師の姿。両者が作り出している安心感・充実感に満ちた教室の雰囲気。最初は、状況が分からず戸惑いが大きかったが、最終的には、このような理解に至った。
かたまっている生徒をどう見るか。また、色々喋っている生徒をどう見るか。ブレイクルームで見方を交流し合うことで、自分の理解が揺さぶられ深まった。
一方的に説明を続けるというような「名人芸」の授業ではなく、良い意味での余白が大きいため、見ながら考えること感じることが多かった。レベルの高い課題を、教室の中でどう活かしていけるか。この点についても、教材の厚みということを考えた。
・生徒が安心して学ぶためには、何よりも生徒を信頼するということが大切だということが再確認できました。前回の大久保先生のお話しと合わせて考えると、授業の場面だけでなく様々なところで、無条件で信頼されるという経験を積み重ねてきている生徒たちなのですね。
コロナの3年間を境に、授業の重点が個別最適化にシフトされた中で、AIドリルでは不可能な、オンラインでは不可能な、生徒集団がありそこに教師が存在することが不可欠な授業を見せていただきました。
文脈に応じた学び、課題設定における教師の役割の重要性など考える様々な手がかりを得ることができました。ありがとうございました。
・課題は「水分子が折れ曲がっているのではなく、真っ直ぐだったらどうなるか」という理系化学の探究課題だった。授業が始まってまず、先生はこの大問だけ言って資料を配布して黙ってしまう。外の鳥の声が聞こえて静寂が続く。7,8分くらいたつと斜め向かいの女子生徒達がアイコンタクトして少し首を横に振る。また静寂。15分くらい経ち、男子生徒A君が「ぜったいわかる」というような前向きなつぶやきが聞こえて先生とやり取りの声。20分すぎに先生は分子模型を配布して少しずつ生徒達が動きだす。時間をやり過ごしているだけに見えたもう一人の男子生徒B君が、模型を見て先生とやり取りを始める。生徒どうしでボソボソ会話したりプリントを覗き込んだりし始めるけれど、基本、自習しているような静寂。気がつけば外から部活?のかけ声が教室に響く。そして終了。号令でそそくさと片付けるB君(ちょっと気分が乗らなかったかな)と隣りの生徒とプリントを見ながら授業後もまだ話しているA君が対照的だった。でも大問に付いている振り返り課題は皆さんトライできていたそう。
・課題の構成を聞いて、先日第6回の学習会で伺った課題を大問にするという意味も納得した。
・一斉授業では大量発生するB君にどのようにアプローチするか。検討会では内外で意見が割れたそう。きっと彼を良く知る人は知っているからこその意見だったと思うし、そう思えるほど彼を理解できているのが素晴らしいと思った。
・それぞれの生徒が焦らず課題に向き合い続ける姿が印象的。それぞれが自分のペースで学ぶ、自然体な姿とはどういうものか再認識した。
・教科書の文系範囲では今回の大問への素材となる知識は出てくるものの、大問自体を考える機会がない(理系範囲)。でも今回の課題の解答が「水に砂糖も塩も溶ける、水が気体にならず液体として飲める、カップラーメンが食べられる、水に氷が浮く、電子レンジで水だけあったまる...」などなどの身の回りの現象の根拠になるとわかれば、文系理系レベルの差に関係なく、学んでほしい、考えてほしい内容だ。科学的な説明ができなくても(ここはレベルに合わせて)、目の前に起きる現象が、目に見えない分子構造に由来している自然界の階層性に納得してくれるだけで市民レベルで十分である。でも一般に受験に関係ない、時間がない、やる気がないといって遠ざけているのが現実だ。しかしこの先生は生徒を信じて、この時間でそこに切り込み、生徒達もそれに応えている。あの静寂のなかでみんなで考えた時間は、効率重視で意志に関係なく詰め込まれ、自分のペースに関係なく追いまくられている生徒の時間と、明らかに違う価値が、今後出てくるだろうと感じた。
・男女の席がピタッとつき、教材の距離も近く、安心感のある教室で学びが展開され、時として1人で時として誰かとという自分の学び方が保証され、先生の声が小さくではなく、決して生徒を邪魔しない、どこか先生も呟いているようで、それを遠くから聞いている生徒もいて。きっといて。また困難な生徒の支え方も課題があるからこそ、資料に支えられる自分がいて、どこかワンレーンの学びではドロップアウトしてしまいそうな子も化学の本質(今回は沸点?)に入り、分かる分からないより、どうやったら先生の課題に辿り着けるか、これかなぁと考えながら物語を見ているような授業でした。また、他校の仲間も今回初めて参加して、『自分の授業が今のままでいい、間違っていないという感覚と先生方の生徒の学びを見る様子に驚いて、もっと生徒を見なきゃ』と言っていました。ありがとうございました。
・時間講師の立場で中学3年の社会を担当してます。生徒に提示する課題が生徒の学びを深めるものになり得ているのか、生徒はその課題からどれだけ本質に迫る学びをしていくのか、そんなことを考えながら授業を構想しています。 今回の学習会では探究課題と教師の待ちについて話題になりましたが、改めてその大事さや難しさから自身の授業をふりかえる機会となったように思います。また、生徒を見る、見えるということに関しても、さまざまな見とりをそれぞれの先生方がしており、なるほどと思う部分が多々ありました。いろいろな校種の先生と交流できたことを嬉しく思います。 次回以降もできるだけ参加しようと思います。今後とも宜しくお願いします。
・学んだことは「なぞり」と「かたどり」の重要性についてである。なぞりを模倣とするならば模倣がまだできない生徒が見られた。その生徒には個の学びがなぞりであることを経験として獲得するために教師の支援が必要である。また,かたどりではある女子生徒のワークシートの記述量が時間を追うごとに増えているところからグループ内で直接対話していなくても協同的学びの場を通して個の学びが発展していた。 さらに考えたことは学校内部の発言と学校外部の発言の差異についてである。初めての授業参観者と日常的な授業参観者には視点の違いがある。その違いが差異となり,見えないものが見えてくる契機を与えてくれるところにこのような授業研究会の意義を実感する。当然のことながら参加者全員の差異から学ぶことが大切であるが,視点という立場は授業研究において重要な役割を果たしており,今回の授業研究から内在性と外在性の視点について考えることにつながった。
・教科の本質をふまえた課題に一生懸命取り組む生徒のまなびに向かう姿勢づくりは、一部の先生だけでなく、学校全体として取り組まれている結果だと思い学校のパワーを感じました。その一方、大学受験等を想定すると、教科書の内容を進む必要もありますので、毎時間1つの課題という訳にもいきません。バランスをふまえた課題の与え方はどうするべきなのか?継続して考えようと思いました。 ありがとうございました。
「一斉授業が大半の学校で、自分や一部の先生だけ一斉授業でない授業をすることの困難さとその模索」 ーⅣ疑問や悩みの共有から学ぶー
授業がうまくいかない、って職員室で言えるか、授業がうまくいかないときどうしているか、授業に関して感じた理不尽や違和感など、皆さんで事例を持ち寄って学び合いました。短縮開催でしたので、その背景となる構造まで話すことはできませんでしたが、以下が参加者の方々のエピソードより学んだことです。
・ともに働いていた同僚が(すごい実践をされていた同僚)、異動した先では、授業がうまくいかないと感じているということを聞いて、しかも、その原因が、生徒がそう言っている、というよりも、同僚教師に評価されない(もしくは否定される)ことで、うまくいっていないのではないかと感じてしまっているということを聞いて、授業というものは、教員個人の資質だけで行っているものではないということを改めて考えさせられた。昔の同僚である若い先生に学校という組織が質を高められる構造になっているのかを突き付けられたように感じている。
・去年の4月、2年のあるクラスの授業後、生徒が前にやってきて、「先生がグループにしてくれたおかげで、初めて数学が分かった気がしました。ありがとうございました。」と少し大きめな声で伝えてくれたことがあった。周りでそれを聞いていた生徒も多く、その後すごく授業がやりやすくなった。その生徒には、こちらのほうこそありがとうと伝えた。というようなエピソードがあったが、このように、生徒をサポーターにというアイディアは積極的に追及してみようと思った。
・生徒が一斉授業以外で、どう感じているかを、よいこともわるいことも声を吸い上げて、例えば授業通信のような形で生徒に返していくというようなことは、すぐにでも可能なのでチャレンジしてみようと思う。
・学校全体で授業研究会がやれなくても、授業研究会として生徒から学ぶ、生徒の声にならない声をきけるようにすることができなくても、匿名のアンケートをとるなどして、生徒の声を拾うことはできるのではないかと勇気をもらった、普段、声をあげない生徒の気持ちを拾うことの大切さを再認識した。そういう生徒たちの声は授業前後にも、とても出るのではないか、表情などを含め、その時間に起こる事にもっと目を向け耳を傾けてみようと思った。
・学校ぐるみで授業研究に取り組めておらず、でもその一方で、一人で挑戦している先生も多くおられる(ような気がする)。その場合、校内の有志会を立ち上げることの重要性をあらためて感じた。
・学べていない子どもをつくらない、このことが、結局は、生徒をサポーターにしていくことにつながるという原点に出会うことができた。子どもたちがその授業のサポーターである。これらは授業に臨むときの基本的なスタンスではあるけれど、具現化することは容易ではない。だからこそ、毎日の教室に行くことの楽しさにつながると考えた。
・生徒たちを無理やり関わらせる学習に違和感があったが、それは、協力(cooperation)と協働(collaboration)を混同しているからだということがわかった。みんなで一つのものをつくるような協力ではなく、個人学習・個人探究を支え合う、わからないときや集中がきれたときに人のを見る聞くという淡い関わりである、協働という概念が、学んでいない子をつくらないことにつながることがわかった。
テーマ:校内有志での、授業の研究のあり方の模索3 ーII 教育学から学ぶー
文献輪読「授業研究入門(稲垣忠彦(東京大学名誉教授)ほか著)」
今回はⅡ-1, Ⅱ-2(1)(2)を中心に輪読を行いました。
・教員は学びに対する分離的な認識が克服できていない。本来、「学ぶ楽しさ」「基礎基本」「受験学力」「思考力・判断力・表現力」等は、バラバラな
ものでない。これらは一体化して考えるべきものなのに、それが別のものとして考えられている。そのため無意味な対立が激しくなっている。
・教員が政治的権力であることへの無自覚さ。それゆえに、生徒の学びを保障できず、一方的な講義形式の座学を行っていることに問題意識を持てない。
・子どもの「個別的」「長期的」成長を話題にできる教員集団の意識の改革が必要。
・教師の学びの場であるはずの授業研修が、学術的・学問的な性格が希薄で、個別の経験に基づいた持論・各論をぶつけるだけの場になっている。
・授業と同様に、研修も「孤独」「競争」「協力」の場にならないように注意したい。
・輪読を通して、学力というものが益々分からなくなった。内的な意欲、我々にとっては当たり前の価値観も現場では全て数値化されてしまう。しかし、
参加されていた小学校教諭の方の『学びのエピソード』という学力に負けない価値観が大事だというお話しに、ハッとさせられた。
・授業研究会の歴史も明治時代の均一化(授業の定型モデル)から何も変わってきない現状を感じつつ、教育センター(義務的)や研究テーマによる管理
職の助言など各学校での研修によって知識が第一とされる志向が強化されたように感じた。途中のブレイクアウトでも『どういう研修がそれらを強めて
しまうか』でもそれぞれの方から意見をいただき、開放的な会話の重要性を再確認することができた。学校という場所が、どういう場所としてあるべき
か、深く考えることができた。
・30年前の授業改善に向けた文章が未だに違和感なく読めてしまう高校現場に改めて気づき、驚いた(中学はここまでではないと思うが)。
・日本の教育改革、授業研究の歴史をみて、教師の自律性の重要性を再認識した。ブレイクアウトでの話を通じて、学校全体で授業研究会を行う場合の、
教師の自律性の保障の大切さと同時に、その難しさも改めて考えさせられた。
・生徒に対して、主体性や質の高い学びを要求するなら、教師に対しても主体性や質の高い学びを保障すべき。
・教師が生徒に及ぼす影響力は大きい。
・「新しい学力観」とは何なのか。生徒の思考力、創造性を育成することなのか。何が生徒にとって大事なのかを日々考えて教師自身が授業をしないとい
けない。だが、今の教師にその研究をする時間があるのか、時間さえあれば研究ができるのか、学ぶ授業ができるのか疑問に思った。今回学んでみて、
「専門職としての教師」についてますます悩みが深くなった。
・輪読の司会の難しさを痛感した。授業と同じように、教師はどうしても沈黙を恐れてしまうので、参加者が思考している間に司会は進行しなければと考え、話してしまう。そうすると参加者の思考が遮断される。輪読司会を通じて、「生徒が学ぶ・考える授業」についても考えさせられた。
テーマ:授業内容を再考する ーII 教育学から学ぶー
文献輪読「論理的思考の文化的基盤(渡邉雅子(名古屋大学教授)著)」
「 『論理的思考』の文化的基盤 」の序章・7章1節・7章2節(加えて、参考資料としてP106,P107,P148,P149,P168,P169のフランスとイランの小論文の事例)を通して、高校において、どのような授業を行う必要があるのか、現在の高校教育や各教科の教育の問題点を考え、日常の授業にどういかしていくか、を考えました。
・輪読の奥深さを学びました。本文に戻って、本文をもとに、わからないことや気づきを共有したいと思っていても、ついつい自分の経験や直感をもとに話してしまう自分がいました。それでも、他の人が本文に戻してくれると、自分もその文から考えることができ、そしてわからないことが増えていくことも経験できました。仲間とともに輪読する良さも実感できました。
・安心安全な学びの場について、学びましたです。些細なことでも、わからないことでも、受け入れてもらえる、何でも言っていいんだと思えるからこそ、自分のつぶやきを共有できました。
・ブレイクアウトルームにて、現在外国からの参加者が文化の違いによる論理性を実体験から話され、著書との共通点や違和感からさらに謎が深まった。笑。今まで論文は世界共通だと思っていたのでフランスの『前提を疑い別のあり方を考える』という既存のものを変える考え方に衝撃を受けた。これが日本に値付けば今までとは違う教育文化が生まれるのではと期待が持てた。
・輪読では、分からないことが増えれば増えるほど良いという指摘が強く印象に残っています。分かったつもりにならず、大部な1冊なので、機会を見て再読したいと思います。
・国語科教員として改めて感じたのは、日本の国語教育の表現教育は、小学校~中学校段階では、作文、感想文、生活文あるいは日記指導等々、自分の内面を見つめるということに主眼を置いてきたということです。そこに良さもあるけれども、共感的、道徳的という評価になってしまうのでしょう。それにしても、7章の他国と比較しながらの議論は、現場では全く思いも寄らないことなので非常に刺激を受けました。(本県の指導主事の言説というのは、「学習指導要領」に基づくエンシャーであったのだいうことも再認識しました。)
・輪読の面白さ、難しさが少しずつ分かってきたように思います。自分の読み方が極めて日本的な見方考え方をしていることにも改めて驚きました。日本の高校生が、フランス的なものの見方考え方表現の仕方ができるようになるには、どうすれば良いのか興味が湧きます。特に彼らの政治的な成熟を考える上で重要なテーマだと思います。
・分からないことが増えるほど良いという点、生徒には授業でそう伝えているのに、いざ自分のことになると全く逆のように感じました。生徒の気持ちに寄り添って、丁寧に伝えていきたいです。
・「輪読」で気づかされました。批判的に、または問いを立てながら読む事が出来ない。どうしても、素直に読んでしまう。良い経験をしました。
・論理的思考は、理科では「探究」と結びつきますが、そこではアメリカ(エッセイ)型のみ学びます。科学の考え方がその型なので、それはそれで良いのですが、今まではアメリカ型の思考しか無いと思っていました…。皆が科学者になるわけでもないのに偏りすぎている。フランス型のバカロレアも知りたくなりました。
テーマ:不登校生徒の現状について学ぶ ーII 教育学から学ぶー / ーⅣ 疑問や悩みの共有から学ぶー
話題提供:大阪府立大阪わかば高等学校 ミンハス千春 首席 外国語科(英語)
田端祐介 2年次担任 生徒会主担 理科
浦野泰地 4・5年次担任 社会科 進路部
金山翔貴 3年次担任 国語科 多文化担当
参考資料:文部科学省国立教育政策研究所「不登校、長期欠席を減らそうとしている教育委員会に役立つ施策に関するQ&A h24.6」
大阪府立大阪わかば高等学校の先生方に大阪わかば高校の現状、先生方が考える課題についてお話していただきました。
・本校の現状を整理しながらお伝えすることで、今まであいまいに感じていた問題点がより具体的なものとして分析することができました。このような機会があったおかげです。どうしたらいいのか分からないこともそのままお伝えしました。そのおかげで他の先生方との交流で学ぶことが多くありました。生徒がここが居場所と感じてくれる学校づくりをするためにまた明日から生徒から学ばせてもらおうと思いました。(発表者)
・自身の視点で授業と不登校を話されている点に共感できた。どこの学校も同じような取組になっているんだと再確認できた。なぜ授業を変えることができないのか、なぜ不登校が改善できないのか、この問題の頑丈さに悩む。わかば高校の先生、ありがとうございました。ちなみに『なんか行けるように』は、本日本校の授業アンケートでも『なんか楽しかった』『なんか眠くならなかった』と重なった。ここに何かがありそうな気がする。
・不登校、そして外国にルーツのある生徒、いろいろな背景をもつ生徒たち全員と向き合い、生徒たちのことを思って日々悩んでおられるわかば高校の先生たちから、誰1人見捨てないことを学びました。
今の自分の仕事と照らし合わしてみると、大人に対して欠如モデルで考えてしまいっていることに気づきました。そうではなく、大人も力を発揮できる環境を整えていくことを自分はできていません。それは学校で研修主任をしていたときに、子どもには優しくなれても、同僚に対して優しくなれなかったことと関係があるように思います。心の底のどこかでで、欠如モデルで物事を考えてしまう自分がいるのだと思います。その思いが今でも続いていることにやっと気づくことができました。わかば高校の先生たちのように、目の前の相手をことを考え、環境を動かして整えていくか、大人相手にも実践していきます。
・わかば高校の先生方、ありがとうございました。とても学びの多い時間になりました。お忙しい中で準備してくださり、恐縮してしまいましたが、ご自分の整理にもなったとお聞きして救われ、学びあえて良かったです。学校とは、教師とは何か、改めて考えさせられました。グループ内で出た言葉で、「環境を変えると言っても、我々に社会や学校はなかなか一人では変えられない、でも授業は一人で、自分で変えられる」というものがありました。皆で活力を頂きました。ありがとうございました。
・高校教育の困難を集中して受け止めている中で日々奮闘されている姿に頭が下がります。
最近、不登校の生徒に対して安易に転学をすすめる風潮が広がりつつあるのを感じます。学校でなんとかしようというハードルが年々下がってきています。教師だけでなく保護者も。
今日報告してもらった不登校生徒とは、量も質も異なりますが、重なる部分も多々あると感じました。コロナ禍をはさみ、世の中が大きく変化して、今後ますます増加することが予想される不登校生徒に対して学校が変わることが何より大事だと再認識しました。最高の授業で生徒を迎えるというのを広げていきたいと思いました。
・もう30年近く前になりますが、定時制に赴任し、9年間過ごしました。全員あわせても40人いくかいかないかの少人数。色々な生徒がいましたが、ほとんどの生徒にとっては、セカンドホームでした。環境作りはなかなか捗らなかったものの、教職員全体で欠如モデルで評価を行わないことは少しずつ共有できていきました。4年間のうちで、生徒たちが、大きく変わる瞬間が訪れることを、みんなで見守りながら過ごしていました。
そんな牧歌的な夜間定時とは違って、わかば高校が直面する現実は、とても厳しいものがあります。しかし、現状を、どう見るかについては、やはり「学ぶことは楽しい」「学ぶことは希望である」というところから考えていくことが必要なのだと再確認できました。
現任校での自分の教員としての仕事についても、その観点から常に検証が必要だということも。
・現状を必死でこなしていらっしゃる感じで、胸が詰まりました。結果の出ない、終わりの見えない生徒支援の疲労と迷い。それが、授業教材を探してワクワクする教師冥利の楽しみを奪っている気がして心配です。そんな先生方を見ている生徒さん達も、先生方を心配しているのではないかとも思います。
テーマ:教職のジェンダーについて学ぶ ーⅡ教育学から学ぶー ーⅤ疑問や悩みの共有から学ぶー
文献輪読
「女性校長はなぜ少ないか 女性管理職のキャリア形成(浅井幸子 (東京大学教育学研究科教授) ほか著)」
「教職の女性化と脱性別化の歴史(杉山二季(埼玉県教育委員会総合教育センター指導主事)ほか著)」
(出典:教師の声を聴く(学文社)第四章及び第五章)
・管理職について学ぶ場と管理職が学ぶ場について、考えました。
本文の中に、同僚との関係性ができていると、管理職試験を受けづらいとありました。私自身はその記載に違和感がありました。その違和感の背景には、管理職(特に校長)の仕事が不明瞭であり、管理職の仕事について学ぶ機会がないことがあると学びました。参加者の中からも、そのような声がありました。
また一方で、管理職同士がつながり、支え合えるような環境がないのではないかと考えました。管理職研修はあるにしても、普段から支え合えるような環境をどうつくっていくか、さらに考えてみたいモヤモヤが生まれました。
また、校長、教頭という管理職だげでなく、指導主事についても、同様のことが言えるのかもしれません。教師の延長線上に管理職があるとするならば、指導主事も同じと考えられます。本文の中には指導主事のやりがいについても記載がありました。それは私自身も経験したことですので、とてもよくわかります。
管理職や指導主事という仕事を知らない人がたくさんいる現状にどう向き合うか、これからも考えてみたいです。
さらに管理職を教師の延長線上と考えるならば、早い段階で研修主任や教務主任など、学校全体のことを考えて動く立場になることが大事になるのかもしれません。それは文献に登場したことでもあります。立場を通して管理職を学ぶ、ということがあるのでしょうか。
考えたいことがどんどん出てくる会となりました。
・自身の教師時代を振り返り、女性性の教育志向だったことにこの著書から気付かされた。また、自身は現在管理職をしているが、『管理職になる前の研修ってあるの?』『一体、どんな仕事をしてるの?』に明確に回答できなかった。どこか現在の管理職不足問題と繋がっているような気がする。(初めての感覚でした)また、ある高校の初代校長が対話的学習を提案された時、それが短期的ニーズと長期的ニーズに分かれてしまった。長期的は少数派だったが、当時を振り返ると、なぜ分裂が起きたのか、なぜ短期と捉えたのか、などこの著書から管理職としての新たな実践の難しさや先生方の志向の違いなど、それらを体験として振り返られる著書でした。
・管理職だけではなく、教員自体の業務内容の不明確さについてもあらためて行き当たりました。学校教育を進めるためにということで言えば、どんどん業務に含まれるものがふえていきます。
本来、管理職というのは、自分達はこの枠組みの中で、学校を運営していくということを明確にする役割を担う存在だと思われます。が、どうもそうはならず、外部の声に引っ張られて、率先して境界線を曖昧にしてしまいがちです。
・(文献より)米国は前から特に初等教育が賃金も地位も低く女性が多いという事だったが、「女性」という言葉が「地位が低い」という意味で出てくるのが気になった。
日本の教員は、昔は地位は低くなかったと思うが、今はかなり落ちている。この事と「女性化」という言葉が何か関係があるのか、疑問に思った。
・自分のキャリアを考えるとき、管理職になれない立場であり、管理職のことは考えられていなくても、身近なミドルリーダーをモデルとして、自分のキャリア、教師としての生き方を考えることができるのではないか。どういった人に憧れ、影響を受けるのか、女性であることは関係あるのか、などもっと探ってみたと思った。
・学校は性別を捨象しながら、そのことによってセクシズムを再生産する。それゆえ女性教師と男性教師の複雑で見えにくいかたちでジェンダー化されている。(6ページ)
いきなり(?)で始まる文献ですが、小・中・高と男性・女性をクロスして考えるながら41年間の経験を振り返る良い機会になった。
・管理職、特に校長について
2012年に安西高校・彦根西高校の授業研に参加するまで、「ビジョン」という言葉を使って学校を語る経験が全くなく、校長になって学校を変えるなどという発想はなかったと思います。では、自分が30代の時にその経験をしていたら校長になりたいと思ったかどうか、本を読みながら、みんなの話を聞きながら考えました。やはりそれまでに魅力的な管理職に出会う経験をしてきたかどうかというのは大きいと思います。その点では自身はあまり恵まれていなかったようで、勝山高校で当時の校長に出会ったのは50歳を過ぎてからでした。学びの共同体を紹介したのは私ですが、当時の学校が抱えていた問題への危機感を共有していたことから、教務主任をいう立場もありほぼ毎日校長室で語り合った記憶があります。「どの生徒も一人にしない。どの教師も一人にしない。そんな学校にしたい。」と語る校長でした。(残念なことに去年5月に亡くなられました)
私が心がけたのは、「校長を一人にしない」ということでした。昨日の話の中で、孤独な校長の話がありましたが、危機感とビジョンを共有していれば、もしかしたらその相手は教頭でなくても、年齢が離れていても構わないようにも思いました。私は4歳差でした。でもやはり、校内で、できれば複数いるといいでしょうね。でもこれがなかなか難しい。特に今のように、校内で評価・被評価の関係があると。
・生徒や保護者のニーズに応えない問題
本当に重要な論点だと思います。学びの専門家としての成長が前提にはなりますが、学校はもっと自信を持たないとダメですね。個別最適化なんて、ニーズに応える教育の典型でしょう。
・今まで「学校を変えた魅力的な管理職」に出会ったことがない。なので、自分自身、管理職を、目指そうと考えたことがない。
・女性は男性のような社交マナーを身に着けないと管理職になれないのか。また県によって、校種によって管理職になるルートが違うことに驚いた。管理職として行う仕事は同じなのに、なり方が違うのは違和感がある。
テーマ:授業改革をはじめた教師の声からこれからの教師を支える視点を見出す ーI 実践から学ぶー
ミニ文献輪読+ミニシンポジウム
「教室から始める学校改革 (出典:令和7年度全国高等学校教頭副校長会研修会 予定資料)」大久保明彦著(長崎県立長崎明誠高校教頭) *明誠高校の先生方も参加
・大久保先生たち4人の先生のお話を聞きました。3人の先生たちが授業改革に挑戦されたことが何より素敵なことだと思いました。挑戦するからこその葛藤や新しい悩みが出てくるのだと学びました。
また、その挑戦を引き出した大久保教頭先生の働きかけがさらに素敵です。途中質問もさせていただきましたが、教頭という立場だからこそできたことだけでなく、大久保先生ならではの経験、思いなど様々なものがつながって、挑戦を支えることができたのかなと考えていました。立場と思い、そのバランスだったり、もっと考えてみたいことも出てきた時間となりました。
・この度は「教室から始める学校改革」というテーマに興味を持ち参加させていただきました。最近、「教室という場所」から教育について考えています。また、林竹二先生の「教育の再生を求めて」から学校改革を捉え直しています。本日の明誠高校の実践報告では教頭先生と3名の教師の言葉に感激しました。それぞれが自分の言葉で小さな物語を伝えていて、このような実践者が増えることが教育には必要だと学びました。特に、谷川先生の語りを通して「学び続ける教師」を育てる重要性を実感しました。学び続ける教師の言葉によって教師はつながるのであり、教師の同僚性は専門職としての資質であることを再認識しました。最後に、本研究会の存在を広報するなど、さらに参加者が増えることを祈念しています。本日はありがとうございました。
・大久保教頭先生を含め4人の先生のお話を聞きました。3人の先生たちが授業改革に挑戦されたことが何より素敵なことだと思いました。挑戦するからこその葛藤や新しい悩みが出てくるのだと学びました。また、その挑戦を引き出した大久保教頭先生の働きかけがさらに素敵です。途中質問もさせていただきましたが、教頭という立場だからこそできたことだけでなく、大久保先生ならではの経験、思いなど様々なものがつながって、挑戦を支えることができたのかなと考えていました。立場と思い、そのバランスだったり、もっと考えてみたいことも出てきた時間となりました。
・寺田先生は『授業から学校を変えよう』との言葉がきっかけだったと言われたが、実は教頭と言う立場より私の背景を見られていたこと。永田先生は『一斉授業ではどこか退屈さがあったが、協同学習で授業への研究心が持てるようになり、それをありがたく感じるようになり、今はもっと広がればと思う』永田先生は、教員2年目ではあるが、自身の喜びと学校に対する次の指針を示している。このことは授業改革が単なる技術論ではなく、教師を育てるツールになっている。谷川先生は『昔から一斉型にはモヤモヤしていたが、この協同学習をもっと掘り下げられるようになると楽しくなるような感じがする』谷川先生の掘り下げるは、おそらく質の高さを求めている。私も管理職として今後の研修がより一層高まるように尽力せねばと感じた。さらに寺田先生は教頭の言葉で印象に残っている部分を聞かれ、『点数ではなく取組を変えよう』だったそうだ。取組に優位性が持たせられることが、今、時代が求めている授業の本質があるように感じる。
・実践者は、何かと不安定さを感じている。生徒の学びが見えるようになったから、授業準備に対し不安が生じ、同僚性の必要性を感じるようになる。改めて授業改革というものが、技術論でないことが確認できた。
・職員室で、教員は、〈評価のための言葉〉〈個別(にレッテルを貼って分類するため)の言葉〉を発しがちになるが、そこに疑問や違和感を持つところから、日々の授業について考え直していくための契機が生まれる。そのような教師の言葉に注意するところから、授業改革をスタートする。これこそが、教育現場ならではの研究のあり方だと感じました。評価的な見方から脱却するために、授業のあり方を考え直し、たとえば大問授業への挑戦等の意義を実感していく。ただし、協同的な授業であっても、生徒も教員も、評価的な見方に陥ってしまう危険性は孕んでいる。授業の中で起こっていることを、どのように捉えていくのか、それを考える上で、たとえば、非言語コミュニケーション(お互いの指さし)に着目していく。そのことで「つなぐ、つながる」ことを、実感的に理解する。この点にも感銘を受けました。広島県の高校でも、かなり世代交代が進んで、かつてよりもかなり若い世代の先生方が増えています(自分自身は生徒急増期の採用だったので、それが落ち着いてからは下の世代がほとんどいないという時期が長く続きました)。ただ、そのような若い世代の先生方も、PCは使うけども、また、「話し合い」はするけれど、基本的な授業スタイルとしては非常にオーソドックスなままであることが多いように認められます。これをどうバージョンアップしていくか。コロナ禍後、学習指導要領の「主体的で対話的で深い学び」という基本方針も、高校現場ではあまり意識されなくなっているように感じます。教師自身が、自分の経験したものとは違う「学び合う授業」に出会うということが、偶然ではなく、必然として起こるようになることがさらに増えて欲しいと感じました。
・寺田先生が、グループの授業で「先生わかった!」と笑顔を見せてくれた生徒を見て自信を感じたとおっしゃっていました。そういった経験を同僚と交流することができる場面が増えることで拡がりが生まれるように思いました。また、教頭先生から言われたから安心して実践できたというのも新鮮でした。管理職に言われたことだから失敗してもいいかなみたいな。ただそこはとても難しくて、大久保教頭先生の人柄でもっている部分が大きいように思いました。残念ながら、生徒だけでなく教師も評価される対象になってかれこれ20年ほど経ちますが、職員室に同僚性をつくることがますます難しくなっています。授業が変われば教師の言語が変わる というのは面白い視点だと思いました。ただ一方で、教師の言語が変われば授業が変わるという面もあるように思いました。新しいスタイルの授業を考える、授業での生徒の学びから学ぶ、それを表現する言葉はもしかしたら新しく作っていくことが必要なのかもしれませんね。例えば「大問授業」のように。うまくは言えませんが。大久保教頭先生、貴重な機会を与えていただいてありがとうございました。
・とても充実した学びの機会になりました。長崎明誠高校の先生方の語りは長崎県の実態を考えると大きな変容だと感じました。寺田先生がブレイクアウトルームで言っていましたが、大久保教頭先生の働きかけがなかったら続かなかったと言っていました。管理職の存在の大きさを感じる機会となりました!
授業ビデオによる授業研究会「高校1年(4月)・定時制・英語」 ーI 実践から学ぶー
1月に実施した第11回学習会において、『せっかく合格して入学した高校なのに、1回目の授業は出席したのに、2回目3回目の授業から欠席し、そのまま不登校になる生徒が少なからずいます。どうしてなのか、どうすればいいのか、多くの教員が悩んでいます。「この空間は、自分が居られる場所じゃない」と生徒が判断する前に、何かできることはないのか。個別の支援ではなく、授業で、教室で支えることはできないか。』という提起をもとに、大阪わかば高等学校の4人の先生から現状報告を受け交流する機会を持ちました。その中で、「一度しかない1回目の授業を、1年間で最高の授業にして生徒を迎えよう」という提起がなされました。
今回、4月最初の授業でこの困難な課題に大阪わかばの先生方にチャレンジしてもらいます。まったく関係性のできていない生徒との授業を、ビデオで撮影し授業研究会を行うという前例のない企画で開催しました。
・今回の授業を通して、授業で生徒を支えることの大切さを学びました。多様な背景を持ち、何かの縁で同じ教室に集まった生徒の心を少しずつ溶かしていくような授業でした。一人では孤独で学べなくとも、仲間とつながることで学びに向かうことができる生徒たちの姿から、教師の口頭指示をどう減らしていくか考えたいです。それは職員研修や他の場面でも活用できると思います。また年度1回目の授業から記録に残していくことにチャレンジしてくださった先生方に感謝です。
・今日の授業で2つのことを学びました。開始から10分、ほぼ生徒は誰とも関わりません。先生が金髪の生徒、3人がけの端の生徒の記述を読み上げた時、金髪の生徒の後ろの女子生徒、3人がけの隣の隣の男子生徒の表情がパッと明るくなりました。これは緊張と孤独から解かれた瞬間だったように思います。以降のペアワークでは孤独ではない自分を確かめるような活動に見えました。素晴らしい授業(試み)だったと思います。2つ目は、外国ルーツ生のピュアさです。と同時に日本ルーツ生に同様のことが成立するのかと思いました。警戒心が上回るであろうと。なぜ成立しないかを授業の中で支えようと志向することに意味があると思いました。わかば高校、素晴らしい実践だったと思います。
・はじめの10分は生徒どうしの緊張感が伝わってくるようで、見ていて手が冷たくなってしまいましたが、ペアワークで見せてくれた関わりや笑顔にホッとして、嬉しくなりました。でも、新しい課題が出るとまた硬い雰囲気になってしまうあたりが、彼等の困難さをしめすように感じました。
・最初の授業で授業の受け方や評価の付け方を話したりするけど、生徒にしてみれば、どの教科も毎時間同様になるから、最初からゲンナリしてしまう、やはり最初の授業はもっと考えた方が良い、という意見があり、ハッとしました。
・今回の授業は、成立させること自体に非常な困難が予想されるものでした。生徒たちは、日本語も英語もネイティブではなく、また、たまたま教室に集まっただけ。その前提条件を考えると、自分が授業者だとしたら、かなりひるんでしまいそうです。教育方法的に見れば、様々な疑問や改善点があったかもしれません。しかし、あのあたたかく柔らかな教室を、授業者と生徒のみんなが、どのようにして生み出すことができたのか――今回の授業に関しては、もう一度そこに着目してビデオを見直したいと感じました。
・ 共有のためにまず個人で考えを作り,それをペアやグループで活動の領域を広げるよくあるやり方ではなく,順番を変えることで人とのつながりが自然に,無理なく進んでいくことが今回のビデオを見ながら学ぶことができました。事前の情報で不登校が多いと伺っていましたが,そんな雰囲気や空気感を感じさせることがないような気がしました。
・今回の授業者の試みは、1年の最初の授業で生徒たちの学校への期待(「どうせ何も変わらないだろう」という)をどう裏切り、生徒たちに「今までの授業とは何か違うかもしれない」と思わせることができるかというテーマに挑戦したものだったと私は解釈しました。そのチャレンジが成功したことは、授業の始めと終わりの生徒たちの表情の違いから十分に分かりました。それは100分という長い授業の中に、英語を使った数多くのゲーム的な関わりを入れていくこと、そして相手を頻繁に変えることによって、退屈させずしかもクラスのほとんどの人と実際に関わるといった工夫によって可能となりました。一方で、そのために先生の指示、説明が多くなり、そのたびに生徒たちの思考が途切れてしまう様子が見られたのは気になったところで、今後の課題かと思いました。でも最初の授業としてはすばらしい授業だったと思います。勇気ある貴重な授業を見せていただき有難うございました。
・学んだこと・考えたことは、『教科の本質的な学び』を通して生徒が『必然的につながる』ことの大事さです。年度最初の難しい授業を公開くださり、深く感謝申し上げます。多様な生徒と向き合いながらも、ともにこれから1年間授業を進めていくのだという教師の思いを伝える授業だったのではと思います。多様ゆえに教師と生徒、生徒相互がその多様性を尊重しながらという教師の思いが『respect』という単語に象徴されていたのではと思いました。最初は表情も硬かった生徒の表情が、エンカウンター的な手法を取り入れた活動を通し、お互いが出会うことができ、授業が進むにつれ、豊かな表情に変容していく様子がビデオから十分に伝わってきました。とくに今回のように年度初めの授業をどのように考えるかは、本当に難しいものですね。
・生徒相互が授業を通してどのような出会いをするのかは、その後の授業づくりを考える上からもとても大事なのだと改めて感じることができました。
・生徒たちは関わりたいという気持ちを持っていました。どうやってかかわるのかわからないままそこにいました。先生がかかわり方を示したことで、少しずつかかわることを体感していきました。まだ関わりたいと思ったところで授業が終わって、また次回関わることができると保障がされました。明日もまた学校に来て、関わりたいと生徒は思ったと思います。生徒の居場所になるかもしれませんね。
授業ビデオによる授業研究会「高校1年(5月)・定時制・英語」 ーI 実践から学ぶー
その後の生徒たちの様子から学びたいという声が多く届いたため、前回に引き続き、入学1か月後の同じ英語コミュニケーションⅠの授業ビデオ(大阪わかば高等学校)から学びました。今回の授業は9回目の授業でした。
・学んだこと、考えたことは、自分自身が日々実践している授業が、生徒にとってどんな時間・空間となっているのかについて改めて深く見 つめ直してみることの大事さ、さらには、『学び合いのある授業』が生徒を繋ぐという思いを改めて強く実感することができたということです。前回に続いての授業公開、わずかの間でこんなにも生徒が変容していることに驚きました。教師と生徒との信頼関係が構築されているのはもちろんですが、生徒相互にもその関係性が確かなものとしてできているのだと思います。それぞれの生徒が、仲のよい友人が別にいるといった話がありました。つまり、『授業』というフォーマルな場でお互いに関わることが自然にできているということになります。その関係性を成立させているのは、自分自身が『教室・授業』という場で受け入れられている、受けとめてもらえているという安心感やフラットな関係性であり、だからこそ関わり合うときのハードルが低くなっているのではと思います。1日の大半を過ごす教室・授業のなかで、こうした時間・空間がもてるということは、そこに自分がいる価値があるのだということにもつながるわけで、生徒自身の心にもそうした思いが根付いてきつつあるのでないでしょうか。だからこそ、学校から足が遠ざかってしまうことなく、授業に参加することができているのだと思います。今後の生徒の変容、継続して見ていきたいと思いました。わかば高校の先生方、貴重な提案を有難うございました。
・教室環境に応じて学び方は一人でも複数でも良く、それを生徒が決められるようにする環境づくりが大事だと思いました。
・わかばの先生方の授業で生徒を支えようとする熱量に感服。参加者の声に耳を傾ける姿にもです。こういう先生が増えて欲しいです。そしてわかば高校の授業を見て、生徒たちの表情に違いを感じました。冒頭は授業者に助けられてる安心感が読み取れ、徐々に仲間を助けている、助けられている表情に変わっていきました。脱落者が減っているという授業から表情を学ばせていただきました。素晴らしい授業、実践、ありがとうございました。
・ 教室内の雰囲気については、参加者の多くが指摘したとおり、穏やかで親和性が高まっている。この授業だけで集まってくるメンバーだという事実から考えると驚くべき事である。
・このメンバーが取り組んでいる学習課題も、教科書を学ぶというのではなく、このメンバーに合わせて考えた内容を、毎時間少しずつ組み上げて行っているということも感動した。たしかに一時間目の内容も、今回のビデオにつながるものだったことを思い出す。今回のビデオを見ながら、自分も定時制に勤めていた頃に、年齢も生活経験もバラバラなメンバーが共に学べる学習課題とはどんなものか――〈働くこと〉×〈学ぶこと〉×〈生きること〉の関係について考えていくことを柱としながら、あれこれ単元学習を試行錯誤しながら実施していたことを思い出した。果たしてそれらが、教科の本質的な学びになっていたかどうかについても、あらためて考えた。
文献輪読 ーII 教育学から学ぶー
「教師と学生が知っておくべき教育方法論・ICT活用(北樹出版)」の第9章
『レッスンスタディ(授業研究)の学校文化 (永島孝嗣(麻布教育研究所)著』
・p81「「子ども」を観察することと「子どもの事実から学ぶ」ことは同義ではない。」この一文を今回は深く考えることができた。同時にレディによる二人称アプローチについても考えることができた。教師の専門性はここが一番重要だと思った。
・授業改革の実践者には、後から理解できるもの、再確認できるものがある。私の体験として20年前のことだが机間巡視や発問、導入・展開・まとめなど授業の進め方を先輩教員や県教委の指導主事から学んでいた。それが欧米の影響だったこと。大正時代から昭和初期においては、その欧米の流れとは全く違う授業が語られていたこと。そのような授業の歴史を理解することで現在の自分を再確認できた。また、評価についてはこの会でもイタリアの幼児教育から学んだが、それが驚きで、それまで量的な評価に終始していた自分を改めさせられた。論文から得た視点ではあるが、前者は体験により自身の知識が肉付けされるのに対し、後者は理論(本を読む)が先となる。この相互の感覚が妙に楽しいのも事実。現在は、授業改革の実践者から、実践者を発掘、育成する立場に変わったが、妙な楽しさは変わらない。レッスンスタディを読み進めながら、その感覚を思い出した。
・国語科については、ジャンプの課題というのは存在せず、テクストを読み深めていくことがジャンプになる。このことを今回の研究会では、実感的に理解できた気がします。ある部分を参加者が色々と議論していくことで理解が深まったり、そこから別の部分や他の文献で気になっていた部分について、そういうことかと掘り下げるきっかけを得たり、自分の理解のズレを補正できたり。本来的には、教室の中でこのような活動が生まれなければならないのだけれど、「解説者」が出しゃばって行きがちになる。そうならないためには、テキストや学習課題の準備に、さらに手間暇かけたいと感じた。
・観察すると見る、など一つ一つの言葉の意味を考え、じっくりと学ぶことができた。輪読のときの間や沈黙を今まで以上に待てるようになってきたのではないか。
教師経験の長い先輩の先生方のお話も、それぞれの地域や学校によって歩んできた歴史が違っていた。それぞれの人の歴史が違うからこそ、テキストを読んでも解釈の違いがうまれ、その違いがとても心地よいものだと学んだ。
・ 以前に読んだ「授業研究入門」と合わせ、日本の授業研究の歴史について、明治から現在までがつながった。自分自身は「授業の科学化・教科の現代化から学校の危機へ」以降しか経験がないが、大きな歴史の流れを踏まえた上で現状を俯瞰して捉えることの大切さを知った。10年20年後から現在を振り返った時に、後悔することがなるべく少なくできるような方向を選択することはどのようにすれば可能なのか、そんな観点から考えてみたいと思う。
・「教師の語りと同僚性」より
授業研究が同僚性を育むことを通じて、日常においての語りの共有によって教師の学習が成立する可能性・・・この視点をきちんと位置付けた授業研究のあり方、持ち方を今後ぜひ共有したい。
・ 時間切れになり「学校文化とレッスンスタディ」の部分を読み込むことができなかったが、ハーグリーブスの専門的資本の三番目「判断資本(decisional capital)」の重要性と現在の学校の状況下でそれを実現することの難しさを痛感しながら、この15年を過ごした。どうすれば良いのか、今後ぜひ研究したい。
・輪読の方法・形態から学んだこと
三つのポイントを踏まえたやり取りの中で、一人で文献を読むより遥かに深く読み取ることができることが実感できた2時間でした。教室での応用だけでなく、学校で職員室で授業研究の輪を広げる上で、このような輪読での文献購読はとても有効だと思いました。 「もっと早く知っていれば」 若いみなさんは、今後ぜひチャレンジしてみてください。
文献輪読:「不断の学校改革 −区立中学校の挑戦21年−」 ーI 実践から学ぶー
1章「概要編(大西泰・横山暢勇・冨塚賢二・吉見啓佑・藤村英郷・岡本明久・藤玉裕貴・茅原直樹 著)」P.6~P.47から学ぶ
・今回の研究会では、二つの点について自分なりに考えるところが多くありました。
一つは、「自分のペースで学ぶ」ということです。学習者主体を根源的に考えれば、たしかにここに辿り着きます。しかし、正直なところ、授業のあり方を考える時に、これまでの自分には、この着想はありませんでした。学習者に任せる時間は長く取ることを心掛けてはいたけれど、50分の枠組みを意識して、教員側のペースを優先させる時間帯は間違いなくありました。どのようにすれば「自分のペースで学ぶ」ことを具体化できるのか、今後の楽しみが増えました。
もう一つは、資料と課題についてです。終わってから一人での振り返りの時間に、単元学習(主題単元、表現単元)という形であれば、既に何十年も前から、自分なりに取り組んできたということに気付きました。国語の教科書は、現行教科書ではかなり改善されてきましたが、かつてはほとんどは「文種」や「時代別」単元が主流でした。主題性や問題意識はかなり乏しかった。さらに、現場では、そのような単元構成も無視して、単に教材をつまみ食いして、年間の授業計画を何となく決めてしまうことが(おそらくは現在でも)一般的でした。そんな現状に飽き足らず、使用教科書に組み合わせる資料を、教室に持ち込むことを、しばしば実行していました。なるほど、それを「自分のペースで学ぶ」に繋げられるように考えていけば良いのかと、これまでの自分の経験に新しい光を当てられた気がします。
なお、今回の研究会では、二之江中学の授業研についてはあまり議論することはできませんでした。しかし、本書に書かれている授業研の実施方法を確実に遂行していくことは、簡単にできるものではなく、それを継続して取り組んでいくところに、二之江中の凄味を強く感じました。
・教えるということ、同僚とのつながり、について学びました。
教える=話すこと、という固定概念を払拭するのは難しいかもしれないと考えていました。課題と資料を用意して、環境を整えていくこと、それが教師の仕事だよ、とみんなが思えるようにするにはどうすればよいのでしょうか。子供も教師もそして保護者も巻き込む必要があるのかもしれません。
そして、同僚との関わりについても考えました。参加者の中で「昔の自分はニ之江中のように同僚と関われなかった」とおっしゃっていた人がいました。私も同じです。過去の自分を振り返ると、やり方を押し付けたりして、分断を生んでいたことがありました。自分のやってることが正しいという勘違いが原因だとかもしれません。また、分断を生むような関わり方は今でも続いている気もしています。他者を自分の力で変えようとするのでなく、その人の環境を整え続ける、そんな考えで普段から生きていきたいです。
・ 今回の学習会でとても刺さったのは「教えること」の議論でした。教えるとは先生が生徒に知識を教える、というだけでなく、課題を出したり資料を選んで渡したりして見守る事も教えるという事ではないか、というものでした。ちょうどp.41に次の記述がありました。
「「コの字型机配置」中心から「4人グループ」中心にシフトチェンジして、そして「課題は難しすぎるから取り組まないわけではない」とし、そして「資料はヒントではない」とし、今の取り組みに進化していきました。」
これと併せて考えると、教えることが「進化」したのではないか、と思えてきました。以前から私は、一方的に教えなくなることの喪失感?を感じることがありました。その感覚が、今回、教える事が進化していると捉えることで変化してきていると感じています。よい機会を頂きました。
・第1章は内容が簡潔に整理されているため、1回目はスーッと読んでしまいました。しかし、それぞれの先生は転勤時には多分普通の先生だったのだと考えると、文章になっていない悩みや挑戦の歴史が想像できて、二之江中学では大変なことが行われていることに驚きます。第3章をきちんと読まずに理解しようとしていたことが反省点です。Deliberationの内容の深さも含め、様々な思いや経験を一冊の書籍にまとめてくれた二之江中学の先生に感謝しかありません。輪読を通じて、第1章の内容を深めることが出来ました。あらためて3章すべて読み直して、この本をもっと広く多くの先生に届けたいと思いました。ありがとうございました。
・授業前の準備と授業中の振る舞い、「指導」「支援」「ファシリテート」では表現できない教師の行動を、「教えることの進化」と捉えるとスッキリします。他の適切な表現があれば良いのですが。
終盤の校内の民主主義の徹底の問題は本当に重要な問題で、過去に中心課題として捉えていなかったことが実践の大きな弱点だったと実感しました。学校改革を始めるにあたって、まずは最重要な課題だという位置付けが必要ですね。今の学校現場でそれをどう実現するのか、難しいけれどきちんと提起しないとダメですね。
「一人でもはじめられる授業改革」ー教育学のこれまでの蓄積と最新の理論に学びながらー
日時:8月24日(日)13:00〜15:00 *オンラインとのハイフレックス開催
会場:大阪府立阿倍野高等学校
講師:永島 孝嗣 先生
感想(一部抜粋)
・これまでも様々な場で、授業改善・授業研究に関する講演等に接してきました。また、それほど多くはないけれども、自分自身でも話をさせてもらう機会がありました。自分の中には、たぶん混沌とした状態で、「授業」観というものが存在していると思います。
今回の研究会の永島さんのお話をうかがいながら、授業に対する見方の解像度が、一段階上がった気がします。モヤモヤとしたままの状況を、自分なりに言語化するための手がかりを与えてもらった感じです。
授業づくりに関する創意工夫と、生徒を観察して的確に働きかける力。それらの原点を確認するとともに、失敗を繰り返しながらも日々挑戦しつづける楽しさを実感し続ける。加えて、これらを支える基盤作りのためには、教育学の先行研究を学ぶ必要があることも再認識できました。これまで研究会で取り上げた各文献もあらためて読み返し始めたところです。
・今回の会については、構想から実質1ヶ月程度で、会場・オンライン70名を超える人が集まった。それだけ、授業づくりに悩んでいる先生が多くいるんだと思う。
悩んでしまうと、ついつい一人になってしまう。学校内でつながれなくても、校外で繋がって学ぶ場として、この会の存在価値を実感できた。
子どもにとっての環境を整えるとともに、教師にとっての学びの環境も整えていきたい。
運営として徹しなければならないところ、ついつい学びに夢中になってしまい、反省。
・大阪15校ですか?大阪全高校の6%になるのかな。この1ヶ月の周知でここまでの参加は多いとみていいですよね。それだけニーズがあるってことですよね。学校単位での授業改革は多少ハードルがあっても個人のニーズはありのようですね。それと永島先生から平戸のエピソードが出て、当時のことを色々考えていました。子供たちは他者との関係を欲していた。問題事案の背景はほぼスマホの時代です。その生徒たちがコの字によって変化した。今思えば座席って大きいですね。そしてグループを誰も実践しなかったにも理由があり、それは先生たちが生徒を信用していなかったんです。(笑)けど、教師の胸のどこかには、一斉型を改善したいはあって。それらは授業研で図っていきました。
つまり、1人で始められるの講義を受けて、座席を変える、は個人の挑戦に任せ、授業研はオンラインで担っていく?そう思った次第です。学校の取組は学校に任せて。みんな胸のどこかには、何か持っていると思います。
・公立高校での教育について「どの子も一人にしない、学べる学校」という哲学のもと、教育方法が考えられていると感じました。(日本の状況は?自分の働き方は?と突きつけられました)日本の人権や教育について考えさせられました。Education4.0について、self-pace Learning、Accessible learningの理解が深まりました。紙でできることは紙で!など根拠となる資料や考えを紹介しながら分かりやすく教えて頂き、素晴らしい講演会でした。
・授業における環境面、特に座席配置が及ぼす効果を、再確認できました。どちらかといえば、授業の課題設定や、教員の関わり方がまず第一というように私の中で考えてしまっていたのですが、今回の講義では、極論で言えばまずはせめて座席から、というようなお話だったと思いますので、自分の発想を改めるべきだなと感じました。以下のようなお話も、自分にとって特に大きな学びとなりました。
日本的なグループ活動と、主体的、対話的で深い学びにおけるグループとは、どのような点で性質が異なるか。
学習者が課題を投げ出す際の最も大きな要因は、「隣の子はもう出来た」という事実。
テスト隊形での一斉授業の弊害は、教師側にこそより大きい。
・確かに教員の中には、自分が教えることによって生徒に分からせたい、指導を通して生徒の考えを変えてやりたい、と考える傾向が見られる。自分たちは強制されることを過度に嫌うのに。環境を整えることによって、生徒がより良い方向に向かう支援をするという考えには大いに共鳴する。
・自分が授業で実践している「グループワーク」で、グループワークの目的や意義を再確認できたことがとてもよかった。また、座席についての考え方や新学習指導要領の考え方、「知識の機能」と先に出会い、「知識」を学ぶという授業展開はとても参考になりました。
・「授業を変えようとするとつぶれる」ということ。学習の環境を変える。・医者は一般人が望む治療はしない。⇨知見をもとに判断する。教師も一般人とは異なる教育学をもってあたることが大切だということ。
「専門職としての教員という仕事」(ーⅢ世界の現状から学ぶー)
令和7年9月18日(木) 19:00-21:00 オンライン開催
報告会「オーストラリア クイーンズランド州 University of Southern Queensland Global Teacher Program 2025研修に参加して」
発表者 大阪府立大阪わかば高等学校 首席 ミンハス千春
サザンクイーンズランド大学にある学齢期専門の英語教育機関でTESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages)研修を受けながら、ESL(English as a Second Language)授業観察、公立学校・職業訓練学校での授業観察を行いました。観察中は、日本の教室の風景と何が違うのか、また、教室での教師の役割にはどんな特徴があるのかに着目しました。どの授業でも教師は生徒をlearnerとしてrespectしていました。そんなことは当然のことだと考えられるかもしれませんが、目の前の授業は私のこれまでの認識を大きく覆すものでした。今回の報告では、授業観察について主に報告します。
学校等訪問
1.EDENS LANDING state school
2.Brisbane Bayside State School
3.TAEF Queensland
感想
・授業が教えるではなく、学びを引き出す授業スタイルに改めて我々が目指している授業が確認できた。また、職員室がない中でな教師のつながりに関心を持てた。goodティーチングという研修でつながっていたことに教育の質の高さを感じた。我々であれば、生徒指導論や部活動、むしろ雑談でつながっている。(笑)このように世界との違いが鮮明になるにつれ、情けなく感じてしまったのは私だけではないだろう。そして教師の指示に従わない生徒への指導も紹介され、自己分析を基本とした、改善ノートで何がいけないのかを生徒がわかるまで指導されるということだった。これは専門的な知識を持った方の手法のような気がした。ジャージを着て、熱く語ればどうにかなる、という我々とは違うな。他にも支援を要する生徒の存在や教室環境など隅々までご紹介いただき、大変有意義な会だったと思います。
・8月の研究会と同様に、日本の教育現場における〈教育学的な知見の乏しさ〉について、痛感しました。逆に言えば、現場教員が、この点を積極的に学ぶことによって、大きく成長できる可能性があるということです。課題作りは言うまでもなく、つなぐことや、待つこと、ポジショニングやポーズその他、慣習的な振る舞いではなく、「なぜ」「何を根拠に」と自問しながら、授業を創造しなければと再認識したところです。「かけがえのない貴方」として接することにしても、そうですね。そのような問題意識を持たせてくれる場として、共通の話題として語り合える場として本会があることに大いに感謝したところです。
・教師としての共通言語の大切さを学びました。報告があった学校のように、思いや理念そして理論をしっかりと共有できていれば、仮に職員室がなくても教師の協働が生まれるのだと思います。自分自身が学校で研修主任をしていた時は、共通言語を持たずに、方法論ばかり強制しようとしていたのかもしれないと、今になって振り返っています。海外の学校を知ることで、過去の自分とも対話できた、そんな機会となりました。
・話題を提供していただきありがとうございました。
教師の役割、ownership of learning、などなんかわかったような気がするのですが、まだ自分の中での理解の解像度が低く、もっと詳しく学んでいきたいと思いました。
・ミンハス先生の報告、非常に内容の濃いもので圧倒されてしまい、なかなか言葉で表せない思いでした。本当にありがとうございました。感謝です。
学んだこと、さらに考えたことは、Good Teaching 教師の役割 座席の工夫と独自性 数種類の課題設定 何かを教える存在にはならない 潜在化と顕在化 つなぐということの具体的意味などとてもたくさんありました。何よりオーストラリアの学校(教師)がこうしたことをふまえた教育活動、実践を徹底して進めていることにとても驚きました。教師としての資質の高さや学校としての目指す方向性が明確であることだと思います。常に授業に関して同僚といろいろ検討したり振り返りもしているとの話もありました。日本では研究のための検討はするけれど、こうした日常的に授業づくりについて良くも悪くもさらけ出してというのは、なかなかなく、そうした面でもすごいものだと感心しました。
この学習会に参加して1年になりますが、いつも教師としてどう授業づくりや目の前の生徒に向き合っているのかを鋭く、厳しく突きつけられている気がしています。それだけに皆さんからたくさんの刺激を受けており、自分自身が授業づくりに向かう力をもらっています。
文献購読「敵とのコラボレーション」(ーⅡ教育学から学ぶー ーV 疑問や悩みの共有から学ぶー)
令和7年10月20日(月) 19:00-21:00オンライン開催
文献購読「敵とのコラボレーション」 アダム・カヘン 著 英治出版
・今回のテキスト本は、やや難解な部分もありましたが、学んだこと・考えたことは以下の通りです。
【1】自分では何気なく読み進めていた部分や語句等も、輪読で改めて読んでみると、なるほどそういうことなのかと気づかされることが多くありました。『関わり・主張・愛』あるいは『ストレッチ・コラボ』などが話題になっていましたが、自分の解釈や捉え方などとの差異を通し、深く考えることができ、改めてもう一度読み直してみたいと感じました。それと同時に、授業についても通じる部分もあるのかなと感じました。つまり、他者と授業を参観することを通し、自分では気づかない(見とれない)ことも、他者と授業を見て事後に協議を深めることで、実に多くのことに気づかされ、学ぶことが多い。今さらながらですが、『他者の力を借りて学ぶ』ということの意味に気付かされました。
【2】また、『コラボレーションとは…』ということの意味・捉えも同様です。実務家の著書であり、そのまま学校現場・教育の現場にいかすことは当然、難しい面があります。しかし、例えば、授業づくりなどについて同僚の先生方とどのような関わりをしているのか、また、自身の授業で生徒はお互いにどんな関わりをしながら学んでいるのかという視点です。
p.90では、『…統一性がなかったからこそ、豊かで価値あるコラボレーションをなしえた。……一つのビジョンやロードマップをもたず……コラボレーションを実現した。』の部分です。生徒間の関わり・コラボな学び(コーポレィティブではない学び)を大事にした授業(学び)を考える上で、その内容・質的なものを私たち教師がどう見とっていくのかも大事なのではということも考えながら、参加していました。
有難うございました。次回もよろしくお願いします。
・中学校で授業研究を学校全体で推進する難しさを改めて思い出しました。教師が授業について学びがないのを痛感していた。
・今度の学習指導要領改定について中教審の部会で、「余白」が謳われて教師の専門性の向上を求めている。現状の教師の文化に響くのか、実効性があるのか、これからも考えていきたいと思いました。
・久しぶりの読書会(輪読会)でしたが、自分と違う読み取り方に触れるのはやはり刺激的で、楽しい時間でした。ありがとうございました。
皆さんと話している中で、昔、教頭二人制の高校で教頭をしていた時、教頭同士で基本的な考え方はだいぶ違うのに、目の前の生徒や職員に対してするべきことではなぜか意見が一致した経験や、何人かで国語の試験問題を作っていて、最後には「なんだこの作者、言葉の定義が途中で変わってて、これじゃ問題にできねぇよ。」という愚痴大会になったりという経験を思い出しておりました。
本を読んでいて一番驚いたのは、いくつもの国の危機的な場面で活躍しているファシリテーターがいるんだ、ということでした。
・研究会を終えて、2・3・4章の冒頭に出てくるジョンとメアリーとボブとジェーン一家のエピソードをもう一度読み返しました。これらのエピソードは、簡単な内容ですが、これまでのコラボレーションとストレッチ・コラボレーションの違いを具体的にイメージさせてくれるものです。これらについては、教材化できるのではないと感じました。どのような資料と組み合わせれば良いかについては、まだまだアイデアが必要ですが、〈関係〉について考えを深めていくためには有効な手がかりになると考えます。
研究会中に改めて読み返している際に、新しく付箋を貼ったのは、74ページの「複雑で意見が分かれる状況で協働する場合の典型的な出発点は、解決策は何か、それどころか問題が何かさえも、参加者の間に合意がないことなのだ。現状とその理由、そのために誰が何をする必要があるかについて参加者それぞれにそれぞれの真実がある」。学校の中でも、色々な問題・課題があるけれど、それに対する取り組みがなかなか進まず功を奏すことがないのも、スタート地点に関して、このような認識を持てていないからかとも気付きました。
その他にも、今回の範囲外ですが、165ページの「人のことが気になって自分の気が散っていると気づいたら、そのたびに単純な問いに戻ろう。次にしなければならないことは何だろうか?」等、色々なところに付箋を貼ってしまいました。
・自分だけでは手にすることがないような本に出会えるのが輪読の醍醐味ですね。今回の本は、さぁーっと読みやすいのに、「?」がたくさん出てくる不思議な本でした。みんながどういう風に読んだのかを交流したいと思いながら読みました。「必然的に現れる豊かさと対立」これに10年前に出会っていたら、何かが変わっていたのかもしれないと、あれこれ余韻に浸る夜になりました。
今回の範囲ではありませんでしたが、145ページの4つのモデルはわかりやすく参考になります。深める必要があると思いました。
・1章、3章、5章と範囲を絞ったが難解だった。これまでの輪読では、どこか自身の体験との重なる部分や自身の違和感が優位だったが、今回の著書はそうはいかない。誰にでもある経験だ。だから本文理解を非常に楽しみにしていた。豊かさという概念、立場の違いによる主張という受け止め、噛み合わない共通言語、融合という作法、進む中での変化など、1人では理解できないものを学ぶことができた。輪読を進めながらあることに気づいた。私は、他者や反対派との時間共有は容易である。それより価値観が違う者同士をいかに同じ目標に導き、そのための絵のようなビジョンが大事なことに気づいた。これから多様な価値観が集う学校を束ねていきたい、と思わせられました。
文献購読(ーⅡ教育学から学ぶー)
令和7年11月26日(水) 19:00-21:00オンライン開催
以下の2冊の文献購読です。
(1)「乳幼児におけるかかわることと心への気づき(ヴァスデビィ・レディ(講演録))」(「発達心理学の新しいパラダイム(中山書店2017)」の基調講演p1〜p44)
(2)「「二人称的アプローチ」入門(佐伯胖(著))」
(「「子どもがケアする世界」をケアする(ミネルヴァ書房2017)」の第1章p33〜p77)
私たちは、普段学校で生徒や保護者そして同僚に接するときに、どのような「向かい方(アプローチ)」をしているでしょうか? 今回の2冊の文献購読で、一度一緒に振り返って考えてみませんか。
(二人称アプローチについて学びたいという声が、9月のオーストラリア報告の研究会での協議の中にあがり、それには、『「驚くべき乳幼児の世界(how infants know minds)ヴァスデビィレディ著」ミネルヴァ書房2015』が適切なのですが、本書が難しく、また入手が難しい書籍なので、本書の解説本である、(1)と(2)で代替することになりました)
・今回は、本書の中に使われている言葉の理解にかなり苦労しました。それは何故なのか、研究会の中で気付いたのは、文章を、三人称的にとらえ過ぎていたからかと気付きました。自分の実際の行動や体験、考える手がかりになる個別的な事例、そういうものと結び付けながら考えることで、「二人称的なかかわり・アプローチ」に関して、少し理解が深まった気がしています。
遠くから観察するのではなく、もっと近付いてかかわる。ただし、自分の考えで相手を塗りつぶすのではない。「良くなろうとしている存在」をかかわりの中で、自分を「からっぽ」にして共感する。ただ、この「からっぽ」にして、共感して受け止めるというのは、なかなか大変です。その難しさについて、学校の中で、前向きに経験を重ねていくことが大事だと考えます。
今回のテキストのタイトル―「子どもがケアする世界」をケアする―の意味することについても、参加者で確認していくことが、今回の研究会の出発点として必要だったという反省もあります。
・二人称アプローチについて考えました。かかわりとアプローチの違いなど、いまだに納得できていないこともあります。しかし、自分と同じところで他の人も悩んでおり、安心して読み進めることができました。子どもに対してよりも、周りの教員や大人に対して二人称アプローチができないという自分の課題も改めて明確になりました。日々の仕事から見直さないといけませんね・・・
・自分が見たことと誰もが納得する形で示すこととの違いを感じた、楽しい読書・読書会でした。
多くの方が発言しやすいように話題を広げようとしたつもりが、かえって狭めたのではないかと反省しています。
・ 『二人称的かかわり』と『二人称的アプローチ』、『感情』と『情感』、『同感』と『共感』、『2.5人称アプローチ』など、語句が難解でちょっとしたニュアンス・意味を理解するのに正直なところ苦労しました。
・冒頭、今回の学習会の趣旨として、『対生徒・対保護者とどういう関わりを築いていくことが大切なのかを考える機会に…』という話がありました。保護者との関係ということで思ったのが、担任していた頃の自身のことです。生徒指導などで保護者と話す場合、私が留意し、大切にしていたのは問題行動の事実は事実として伝える、しかし、どうしたらその生徒がより良い方向に進んでいけるかを共通の土俵で保護者と考えるという姿勢です。保護者なりの思いや主訴などをじっくり聴く、保護者の困り感に寄り添うと言ってもいいかもしれません。
佐伯先生の著書のp.44に『…自分自身をからっぽにして、そっくり丸ごと相手の中に入る……共感の原点は……他者の原点を慮る…』という一節がありますが、上記のような自身の経験が思い浮べていました。
授業における生徒との関係性にも当てはまることが多々あるのだと思いました。例えば、学びでつまづいている生徒の『わからなさ・困り感』に共感し、『慮る』という姿勢なのだと思います。
いずれの場合も、『二人称的に』ということを意識しながら、どう関わっていくことが大事なのかと…。『よくなろうとしている存在』として一人ひとりの生徒を見る教師の力や姿勢が根底ですが…。参加者から『二人称的アプローチ』と『形成的評価』についての話題も出されていましたが、校種も同じ中学校ということで共感できる部分も多々ありました。
・2人称的アプローチを初めて学ばせてもらいました。とても参考になりました。物事を俯瞰して見る、考えることと比較して考える術を知りました。赤ちゃんの研究に限らず、人が関わる活動を調べることでは、とても重要だと考えました。
別件ですが、先日、自閉症の東田直樹さんの「自閉症の僕が飛び跳ねる理由」をドキュメンタリーで放送されていました。(NHK,再放送)その本を読んで、自閉症の子を持つ英国の作家が翻訳し、世界に広がりました。
この作家は、自分の子どもの気持ちを知る、感じていることの手がかりにしていました。これは、今回の学習会との関連で、「1人称的アプローチ」に近いのかと思いました。間違いかもしれませんが、今回の本を読んだことで、見方が広がりました。 加えてですが、東田直樹さんの本を読んでみるのはどうでしょうか。
第22回学習会 授業研究会(ーⅠ実践から学ぶー)
令和7年12月23日(火) 19:00-21:00オンライン開催
授業ビデオから学ぶ「高1(6月)・長崎県立平戸高校・英語」
8月24日に大阪で実施した永島先生の教育学講義「一人でもはじめられる授業改革」の中で、その結論として以下の3点が提起されました。
①日常で毎日挑戦する
②最低月一回の「子どもから学ぶ授業研究」
③文献購読
参加された多くの方から、講義の中で紹介された「大問による授業」について「目から鱗」「もっと詳しく知りたい」「自分もチャレンジしたい」など積極的な声が多く寄せられました。その声に応え、今回は講義の中で紹介された長崎県立平戸高等学校のビデオから学びたいと思います。
「大問授業ってどんな授業?」「座席の効果をこの目で見たい」「1分ルールって?」など、実際の授業ビデオから一緒に学びませんか。なお今回は、初めてビデオ授業から学ぶ方にも「学びやすい」内容になるように、「教室の生徒の学ぶ姿から学ぶとは」「ビデオによる授業研究ってどうするの」など、開始にあたり永島先生からビデオによる授業研究についてミニレクチャーもお願いしています。
内容
①平戸高校の紹介と授業の背景について
大久保明彦 先生より(元 平戸高校研究主任・現 長崎明誠高校教頭)
②授業のビデオからどのように学ぶか、その留意点
永島孝嗣 先生より(麻布教育研究所副所長)
③授業ビデオ視聴
④研究協議
冬休み直前の日程ですが、3学期の授業に活かす機会となる内容にしたいと企画しました。ぜひ義参加ください。
また、大問による授業に挑戦された方はぜひ授業ビデオを撮影し、この会での共有にご協力ください。併せてよろしくお願いします。
感想
・授業ビデオを見ながら不思議な感覚になりました。うまく表現できないのですが、万華鏡を覗き込んでいるような感じ。みんなキラキラしていて、全員から目が離せなくて困りました。19人の生徒が自分のペースで自分のやり方で課題に向かい合いチャレンジしている教室が、入学後まだ2ヶ月の教室とは奇跡です。夏の講義で、学びの三位一体が強調されていましたが、本当にその大切さが目にみえる授業でした。三つを有効に利用して学べている生徒、残念ながら有効に利用できていない生徒の姿から、一つでも欠けるとうまくいかないというのが実感できました。廊下側の男子生徒、終業のチャイムがなる直前に開いていた辞書は国語辞典ですね。最後までなんとか理解したい、出来るようになりたいという気持ちを持ち続けた彼のような生徒に、個別指導ではなくどのように接するかというのは難しい課題ですが大切な課題ですね。授業者の先生に感謝です。ありがとうございました。
彼のような生徒にとって、高校への入学は人生の分岐点になるのでしょうね。本当に日本中の高校生がこんな学校で、こんな授業を受けることができればいいのですが。同じことは、教員にとっても言えますね。教員人生が大きく変わりますね。
本校から、今回2名の方が初めてビデオ研に参加されました。夏に永島さんの講義を聞いて興味を持った数学の教師です。大問授業を見たいというのが動機です。声をかける前にすでに申し込んでおられました。二人とも授業に感動していました。3学期に活きる内容で感謝しています。ありがとうございました。
・一人一人が全く違うやり方で問題に向かう静かなスタートだった。単語帳を見る子、文法書に手を伸ばす子、タブレットを見つめる子。静かに戦っている雰囲気。
20分ほどたって資料が配られて静寂が破れ、そこここで会話や笑い声。でもしばらくすると静寂、また課題に向かう。10分位経って先生の簡単なヒント、また教室の空気が変わる、はじめより温かい雰囲気。生徒と先生が信頼感でつながっているのが見ていて伝わる授業だった。
大問の設定に関して、先生は生徒のつまずきをヒントにしながら、心配なグループの事も考えながら探されていた。クラスの「旬」を上手く捉える大切さに気づく事ができた。
・自分にとっては、社会や理科の大問のイメージが強く、とらえ方が限定的であったと、今回の学習課題から改めてそう感じました。生徒のつまずきに対して、何らかの手立てを考える――それは一般的にも行われることです。しかし、つまずきを大問の学習課題へと変換昇華することは決して一般的なことではありません。まして、入試問題の設問の最後の要約的な問へと結び付けるというのは。学習者が学び続けられるということが、大問作りに何より必要な条件であることも再認識しました。うまくいかないこともあるかもしれないけれど、学習者を信じてチャレンジする勇気を持つことは何より大切ですね。それにしても、提示された学習課題に対して、教室の一人ひとりが、じわじわと学びに参加し、それが教室のほぼ全体へと広がっていくというプロセスには感動を覚えました。また、そのような教室の中でも、なかなか学べていない生徒の存在に気付くという冷静さを持つことは極めて大事なことだとも感じました。
・授業者を始め現職員や旧職員の体験を聞けたことは大きかった。生徒のつまづきから次時の狙いを見つけ課題を探しているとの授業づくりを聞き、まるで授業が生鮮のような感じさえした。生徒が生きる授業があるとすれば、教師の観察力にあるのだと確信した。また、授業ビデオの中で、窓側(3人)の1人の男子生徒が、女子の会話に耳を傾けていたのが印象的で、もしあの座席が市松模様でなかったら(同性横並び)、男女の間に壁が生まれていたのではと思った。それだけ平戸高校の教室は環境が整えられているという証である。また、辞書についても導入期は、『めんどくさい』など定着しなかったが、授業の難易度や分からないことでの生徒間の支え合いによって、ここまで醸成したのではと捉えた。多くの方が、授業で辞書を使わせたいと思っても容易ではないことが、今後の実践から分かるであろう、それだけ平戸高校の授業改革は、特筆すべきである。
・現在、授業者は生徒指導主事をしているとのことである。生徒への目の向け方が、授業でのつまづきに重きを置かれていた。関わりに対し称賛し、思考に対し称賛し、つまづきに対し手を差し伸べ、支援に失敗すると教師自らが改善を図るという感じであった。つまりこの先生は、教室の中での生徒の小さな動きに目を向け、それが生徒との信頼に繋がっていた。これまで生徒指導の専門性は、早期発見や対応など事案の経験則に起因していたが、授業を通しての仕草や呟きに専門性が及ぶ?そんな予感を抱かせる先生だった。いや、学校あげての授業改革だった。こういう学校が増えたらいいなぁ。
・授業を見る力の衰えを自覚しました。継続は大切。という自分のことは措いて、「自習のような授業」の可能性を見せていただきました。以前平戸高校の授業を見せていただいた時、「理想の学習合宿」だと思ったことを思い出しました。長崎県外の方には伝わりづらくてごめんなさい。
授業動画を見て、分からない単語を1つ1つ調べながら、課題に一生懸命取り組む生徒たちの姿に感銘を受けました。おそらく1人ではすぐにリタイアしたであろう生徒も、分からなさをグループで共有しながら、最後まで考え続けていました。
多くの教師は「教師がどういう方法で教えるか」という視点で授業を組み立てますが、大問授業は「生徒が何を学ぶか」という視点で、ねらいを明確にしてから授業を組み立てている点が重要だと感じました。
・疑問に思ったことは、そのねらいは生徒に伝わっているだろうか、「この課題を解きたい!」という興味関心をどのように引き出しているのだろうか、という部分です。最初にプリントを配布してすぐに課題に取り組ませたので、生徒たちが抵抗なく解き始めたことに驚きました。慣れているから出来ること?もしくは、普段は授業の最後に何か説明や振り返りなどもしている?
・評価者にならないように見る、ということから、最近自分のリフレクションが知っていることからコメントしているように思えて、改めて子どもから学ぶことの難しさに直面しています。自分の授業でも、思ったようにならないことが多く、悩みが尽きない(子どもの学びの環境づくりの複雑さ、容易でなさ)感じです。2学期にうまくいったと思える授業がほぼなく、もう一度原点回帰で子どもの声(内なる声)を聴くことを3学期の自分のテーマにして実践に取り組んでいこうと思います。
・【平戸高校の歩みについて】
平戸高校の授業改革の歩みについての説明がありましたが、生徒の座席の変遷等、着実に歩みを進めてきた取り組みが素晴らしいと感じました。私自身も研修担当として授業改革に取り組んだ経緯がありますが、高等学校での難しさを多少なりとも知っている(経験している)だけに、積み上げ、継続してきた実践の重さを大久保先生の言葉から感じることができました。
【授業ビデオと大問形式の授業】
現在、中学1年生の社会を担当していますが、私も大問中心の授業にチャレンジしています。例えば、オセアニアの単元では、『オーストラリアが白豪主義を撤廃、APECの設立を提唱するなどアジア諸国との経済的結びつきを強めている背景としてどんなことが考えられるか』といったものです。イギリスのEUとの関係強化、また地理的な位置関係などから考察するというものです。大問を考えるなかで、基本的事項や知識的なものを獲得していくイメージで設定しています。
私が大問を考える場合は……、
◆教科の本質として生徒の思考や学びに耐えうるものか
◆大問に取り組むことで知識的なものを獲得できる学びの構造・課題になっているか
◆大問に取り組むうえで、生徒相互がある意味、フラットな関係性(学力が高い生徒も、課題を抱える生徒も同じ土俵で)の中で学ぶことができるようなものであるか……などです。
このオセアニアの単元での授業づくりの上で、永島先生にも相談しながらでしたが、『課題が自分(教師)の手のひらに生徒をのせるための課題になっていないか』『ワークシートの結果、生徒の学びの経路が一本道になっていないか』といった助言をいただきました。大問づくりをしていく上での重要な示唆をいただくことができました。
・平戸高校の授業ビデオを見て感じたのは、課題に対してあきらめることなく学ぶ姿、またグループ内で関わる姿でした。とくに課題を抱えているであろう生徒のつぶやきを、同じグループの生徒が受けとめることで、その生徒も何とか学びを継続する姿が見られました。『生徒同士でお互いの学びを支える』ということなのだと思います。また、教師がプリントを配付して補足の解説をしたり、ヒント的なミニ講義を何度か行っていましたが、説明が多すぎず、さりとて少なすぎず……、生徒の学びを見るということができているが故のタイミングと内容だったのではと思います。こうした部分からも、自分自身の授業づくりの上で学ぶこと、参考になることが多々ありました。有難うございました。
・1.大問の作り方として、本日のつまづきから次回の授業を考えるという話があった際に、自身は生徒が今日の授業でどういう点につまづいているのか?把握出来ていないなぁ〜と反省しました。
2.辞書に向き合う姿がとても新鮮で、その辞書を学校全体として調達した取り組みと知り教員間の目線合わせも大切なことを学びました。
3.生徒がより高い学習課題に取り組む姿勢づくりをどのように作っていけばよいのか?考えさせられる授業でした。
・一人では取り組めない授業研に参加することができ、授業研の大切さをあらためて感じることができました。また、自分の子どもたちから学ぶ力が落ちていて、やはり、授業研をやって日々学び続けることが大切だと感じました。
・辞書の重要性。 感想になってしまうが、頑張っている皆さんを見るとまだまだ頑張らなきゃなと思わされます。
事務局・発起人
角野進 (大阪府立阿倍野高等学校・数学科)
ミンハス千春(大阪府立大阪わかば高等学校・英語科)
吉岡拓也 (神戸市教育委員会(文部科学省出向中)・数学科)
玉木雅己 (広島県立海田高等学校・国語科)
大久保明彦 (長崎県立長崎明誠高等学校・教頭・体育科)
小松寛 (東京都私立開成高等学校・理科)
連絡先 21_highschool_jimukyoku@googlegroups.com
(2025年6月1日追記)
上記の連絡先にメールをお送りいただいても、エラーになってしまう状況にあったことが判明しました。
申し訳ございませんでした。
現在は、復旧しております。
第17回学習会で輪読した文献「不断の学校改革 −区立中学校の挑戦21年−」がAmazonで購入できるようになりました!
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