本コラムは「BASIC言語誕生50年」に掲載しようと思って書いたものである.掲載するのが少々遅くなった.
1964年5月1日,米国ダートマス大学のJ. G. KemenyとT. E. Kurtzによって開発され,「Beginner's All-purpose Symbolic Instruction Code(初心者向け汎用記号命令コード)」の頭文字をとって"BASIC"と名付けられた.
1970年代後半になると,BASIC搭載パソコンが販売され,それまで専門家のものであった電子計算機(コンピュータ)が萬人のものとなった.パソコンの演算機能とは別に通信機能も注目され,パソコンを電話回線で繋ぎ大型計算機の端末機として利用する大学研究室も出始めていた.
当時,私は大学の共同利用施設である九州大学大型計算機センター(箱崎キャンパス)で結晶解析,データベース検索を行っていたので,他学部の研究者と話をする機会に恵まれ,情報交換する中で情報処理技術が薬学領域でも利用されるようになることは容易に予見できた.また実家が薬局であったので,創薬研究重視の先生方より薬剤師業務との関連が見えていたといった方が正確かもしれない.
大型計算機センター通いが日常化する中で,九大病院地区(堅粕キャンパス)に計算機センターの端末機を設置することが決まった.ところが,九大薬学部の教授会は,部屋がないという理由でセンター端末機の薬学部内設置の申し入れを拒否してしまった.計算機センターを利用していた若手教員は上層部の先見性の無さに失望したことは以前紹介した.
その後,熊大へ異動したのを機に,情報処理教育の大切さを上申し,当時の学部長にはそれなりの理解をしてもらえた,しかし,予算がないという理由で早急な実現には至らなかった.簡単に諦めることができず,いろいろ考えた末,大学院生や教員のパソコンを借りて情報処理演習を行うことを思いついた.
とは言っても,新規に情報処理の授業枠を貰ったわけではない.
当時,薬学部は製薬学科と薬剤学科の2学科に分かれていて,薬品製造工学研究室は,製薬学科3年次40名に対して薬品工学実習を行っていた.赴任後,1年次の化学概論で教え始めた「フロンティア軌道論」を実習面でも理解させるため,それまでの実習内容を大幅に見直し,ペリ環状反応の合成実習および反応速度測定をとり入れ,そこで得られた反応速度データを自作の最小二乗法プログラムで処理させることにした.限られた時間内にプログラムを作ることができるか不安はあったが,実習を夏休み直前に設定することで演習時間を増やし時間不足を乗り切ることができた.
学部経費を使わず,教員,院生の 8 ビットパソコンをかき集めて演習を開始できたのは,赴任二年後の昭和59年のことである.
最大の難関と思っていた教授の了解が簡単に貰えたのは想定外の出来事であった.「助教授は教授の女房役」,出しゃばると「どっちが教授か」と叱られていた情況からは予想もつかない出来事だった.私以上にパソコン通の松岡助手(九保大薬学部情報教育担当教授)の全面的な協力を得て,他学部に依存する非常勤教員ではない薬学部出身教員による情報処理教育を開始することができた.
学生,院生,教員から借用したパソコンで情報処理実習を開始 ローテーション方式実習導入
40名の学生を.10名ずつのグループに分け,4個のテーマをローテーションさせると,パソコンが10台とデータ処理用の数台あれば実習が可能になる.教員,院生,他研究室員の協力の下,実習を開始することができた.
1. プログラミング演習
*各種コマンドの習得
*フローチャートの作成
*最小二乗法計算プログラムの作成
基本プログラム
グラフィック処理
2. 周辺環状反応Ⅰ・・・・[4+2]π付加反応(分子軌道計算による反応性予測と合成)
*Huckel計算による反応性予測
*N-PhenylmaleimideとTetracycloneとの環化付加反応
*AnthraceneとMaleic Anhydrideとの環化付加反応
3. 周辺環状反応Ⅱ・・・・[3,3]-シグマトロピー転位反応(転位反応,速度測定,データ処理))
* 原料合成(時間の都合で省略,提供)
* 転位反応速度の測定(卓上UV機器2台利用)
* 溶媒効果の測定
* 活性化パラメータ(エンタルピ-、エントロピ-)の算出
* 最小二乗法プログラムによるデータ処理 (自作プログラムの利用)
4. データベース検索演習
*医薬品情報データベース
*IRスペクトルデータベース
ダートマス大学の場合,当時の大学1年生に4時間程度の集中講習でBASIC言語を修得させたと言われていた.そこで,最小二乗法のプログラム作りに3日程度をあて,時間外もパソコンが使用できるように配慮したため,全員が反応速度データを自作のプログラムで処理し,「最小二乗線」のハードコピーをレポートに貼付させることができた.Huckel法による分子軌道計算では,計算結果からHOMO, LUMOの軌道エネルギーおよび軌道相を抽出し,endo/exo選択性の予測を行った.Cope転位反応速度を紫外線吸収スペクトルで追跡し,自作最小二乗プログラムで直線の当てはめを行い,反応次数を決定,活性化パラメータ,溶媒効果から協奏反応であることを確認した.データベース検索では,赤外線吸収スペクトルデータを利用した構造決定と医薬品情報データベース利用の実際を体験させた.
それまで実施していた薬品工学実習を止めて,分子工学と情報処理工学を導入することを黙認してくれた久野教授,さらに全面的に協力してくれた松岡助手の存在なしには実現できなかった.後日,私の提案を受け入れることで,愛弟子である松岡助手が有機合成化学から次第に情報処理工学へシフトしていくことに必ずしも賛成ではなかったことを知ったが,長年にわたり私立大学薬学部で情報処理教育面で本領を発揮している事実を知ったら許してもらえると思っている.
その後
このような実績をふまえ申請した文科省の教育改善経費(継続)により,実習用パソコン類の導入が実現した.
昭和59年2月
60年2月
4月
61年2月
61年3月
62年6月
平成元年4月
4年7月
12月
5-6年
6年4月
7年6月
8年6月
8年9月
9年6月
平成元年4月
4年10月
5年10月
6年10月
製薬学科薬品工学実習(3年次)において教官, 学 生のパ ソコンを借用した形態でのBASIC
プログラミング演習開始 (最小二乗法, 医薬品在庫管 理, グラフィック処理)
教育改善経費で実習用8ビ ットパソコン導入
情報処理学講義開講 (2年次, 選択2単位) (博士課程設置)
大型ビデオプ ロジェクター による情報処理教育開始
パソコン実行画面提示装置導入
情報処理センター実習開始(2年次)
臨床医薬品添付文書DB (センター共用ファイル)導入
薬品資源学実習で医薬品情報検索実習 (3年次)
医薬品情報データベース検索を実施 (2年次, 於センター)
高解像度ビデオプロジェクター設置 (第一講義室)
薬学部大改修, 情報コンセントの敷設, 高解像度 ビデオ プロジェクター設置(第 四講義室)
情報処理学講義, 実習必修化(1年次2単位, 2年次1単位)
医学部演習室利用開始
薬学部教育用パソコンシステム運用開始 (96台)
医学部図書館に医薬品情報用サーバ設置
全学生, 院生へのメールID交付
以下卒後教育
添付文書データベース導入(総情センター)
薬剤師卒後教育で添付文書データベース検索演習(総情センター)
薬剤師卒後教育(パソコン通信による医薬品情報検索)
薬剤師卒後教育(ファイル管理の実際)
卒後教育および研修
表題のことに関して,「薬学領域の情報化への対応と問題点: 熊大薬学部の取り組み」(薬学図書館 43(2), 107-111, 1998)で,以下のように記している.
情報教育に取り残された薬剤師のために, 主テ ーマ とは別に毎年一回ずつ 「パ ソコ ン入門」や「添付文書データベースの検索」などの実習 (総情センター) を実施 した。 ところが, 情報教育は薬剤師研修の点数の対象 になっていないと聞いて驚いたことがある。町の薬局が雑貨屋から脱却 し, 薬剤師が街角の化学者として先進国並みの地 位を確立するのは医薬分業が全国レベルで進展した時であ ろう。情報処理技術はその基盤となるものである。 数回行った卒後教育に開局薬剤師が出 席することはほとんどなかった。 このような背景を考慮した情報教育およびシンプルな薬剤師情報処理システムの構築が緊急の課題といえる。米国ではすでにインターネットを利用した地域薬剤師の教育システムが提供されてい る。
教育の国際化への対応も緊急の課題である。熊薬では毎年外国人留学生やJICA研修生を受け入れているが, 英語版OSを搭載したパソコンが準備できていない。
今なら簡単であるが,当時はネットは遅く,英語OSのPC,アプリがない状態で,JICA 研修生の情報教育をやれといわれ当惑したのを思い出す.実習を引き受けてくれた松岡先生が工夫して乗り切ってくれた.実情を訴えたためか,あるいは研究生のアンケート等のためか,数年後にJICAからパソコンが貸与され,研修期間中の随時利用(メール,ワープロ,ネット検索等)が可能になった.
薬剤師研修におけるパソコン教育は衛藤先生が担当してくれたが,研修受講のポイントに設定されていないと聞いて唖然とした.世話人の先生が他学部出身の上,コンピュータ嫌いであったため気付かなかったのかもしれないが,周囲の薬学部出身の教員がいかに薬剤師業務を知らないかを露呈した.
あとがき
我々の情報処理教育は,社会に於けるIT進歩の歩みより十年早かった.周囲の先生方も英文タイプライターからパソコンワープロに乗り替わる時期で,PCの通信機能等を理解する段階ではなかった.そのため,本来の教育研究のほかにネットワークを含む情報処理機器の保守等を担当してくれた協力者の評価が必ずしも正確ではなく,過小評価さ れたのは残念である.
現在,パソコン,ネットワーク等は空気のような「在って当たり前」の存在になってしまった.数年毎のパソコン機材のリプレイスも「必要なもの」として受け入れてくれる時代になった.当時の苦労を理解してもらうには,その時に戻って同じ経験をしないと絶対に分かってもらえない.幸い協力してくれた他研究室教員を含む先生方が,ITを生かした業務に付いて活躍中であるのは幸いである.協力してくれた方々に心から感謝したい.
参考資料
薬学領域の情報化への対応と問題点,薬学図書館,Vol. 43 (1998) No. 2 P 107-111 (原野一誠).
(2016.1.15)