株式会社山谷産業 代表取締役社長 山谷武範氏
執筆:新西誠人(多摩大学経営情報学部)
左より、中庭、山谷氏、新西
燕三条は金物の製造が特に有名である。キッチン用品や刃物、キャンプ用品など、各家庭に1つは燕三条で作られた製品があるに違いない。メーカーが多く商品も多ければ、その分、卸の数も多くなる。そんな卸の組合である三条金物卸商協同組合の加盟企業だけでも130社を超える。組合の理事長であり、また株式会社山谷産業の代表取締役を務める山谷武範氏に山谷産業と組合について話を聞いた。
山谷産業は、1979年の創業。それまではトラックの運転手などをしていた父親が漁具の販売を開始したのが始まりだ。海からそんなに近くはない三条において、どうして漁具から始まったのだろうか。「この近辺に漁具を作るメーカーが集まっていたから」と山谷氏はその理由を明かす。特に、その当時、漁具が鉄からステンレスへの移行する過渡期であり、周りのメーカーも、商品の材質をステンレスに変更してきた。これが事業参入時の追い風となった。
山谷産業は、当時、両親と親族、友人という6畳一間で事足りるほどの規模だった。主なお客さんは、大手の卸が行かない規模の漁協や問屋である。北は北海道から西は福井まで父親が営業して回った。ところが、母親が病を患ってしまい、父親が営業に行けなくなってしまったのだ。FAXで注文を取ることはできるが、ジリ貧になってしまうのは目に見えていた。
そこで注目したのがインターネット販売だ。2002年当時、そこまでインターネット販売は一般的ではなかった。父親からの指示で当時入社していた弟たちがヤフーオークションで販売してみたのが始まりだ。載せたら売れたことで、インターネットで物が売れるということを確信した。最初はオークションから始めたが、ヤフーショッピング、楽天市場、アマゾンと徐々に販売するECプラットフォームを増やしていった。とはいえ、当時は、情報が確立されていないので、手探りで販路を広げたという。
そして、インターネットで売れるとわかったら、他の商品も売ろうということになる。そこで、地場である三条の刃物メーカーなどの商品も扱わせてもらうようにしたという。当時は、金物はホームセンターなどで買うのが当たり前の時代。インターネットなんかで売れるはずがないと、メーカーは快く商品を出してくれず商品を揃えるのが大変だったという。
インターネットで販売できるとわかると、他社の参入など競争が生じるようになる。また、メーカー自らがインターネットなどで販売するようになり、卸が不要ではないかという意見も出てくる。さらに、2009年のリーマンショックや2011年の東日本大震災など社会的な課題も生じた。そこで、2013年にプライベートブランド(PB)としてペグ(テントを張る際に使う杭)を販売し始めた。山谷産業のペグは、当時、黒しかなかったペグをカラフルにし、また、芯の部分が丸いと回ってしまって、打ち込む時や引き抜く時に問題があるところを、楕円形にするなど、顧客の声を拾って改良した商品だ。しかも、卸直販ということで、市場価格よりも安価に投入したところ、これが大ヒット。更に2016年の経産省が行ったふるさと割を活用し、3割引きで販売したところ、新潟県で1位を取る月もあったり、全国で10位以内に入る月もあった。
今では、ハンマーや包丁、カップなど、幅広いPB商品を扱っている。この開発において、お客さんの声をどのように取り入れているのだろうか。山谷氏は「SNSやインターネット」を活用するという。お客さんの声を丁寧に拾い上げ、そこから商品の改良や企画を行う。
またクラウドファンディングを利用した販売も6回行っているという。最初はテスト販売のような形で始め、今までに数千万の売り上げを上げているというが、山谷氏は「予定数を超えて注文が起こったときのほうがきつい」と漏らす。製造の能力には限界がある上に、納期に間に合わないと、お客さんからのクレームが激しいからだ。
最近は、クラウドファンディングは、テスト販売という意味合いが薄れてきているという。それは、クラウドファンディングで売れたからと言って、他のECプラットフォームで売れるとは限らなくなっているからだ。ECプラットフォーム毎に、お客さんが分かれているようになってきており、売れるものや売り方が変わってきているのだ。
山谷産業では、アニメとのコラボ商品も出している。例えば、アウトドアを楽しむ女子高生を描いた「ゆるキャン△」やモンスターなどを調理しながら探検する「ダンジョン飯」などだ。これは、アニメ好きな社員が企画書を作成。権利を持つ会社に持ち込んで商品化をするという。根強いファンにはたまらない商品だろう。
様々な企画をして、安泰かと思えばそうでもないという。日本は少子化が進み、若年層の可処分所得が少ないことが気になるという。そこで、海外へも目を向け、台湾やドイツでの展示会に参加しているという。海外では、特に包丁が注目されるそうだ。
燕三条地域の産業がこれほどまでに成長を遂げた背景には、地域内の協力と連携が欠かせない。地域の金物卸業者を中心とした三条金物卸商協同組合は、かつては400社を超える金物関連企業が集結し、燕三条の産業を支えてきた。しかし、時代とともに市場環境が変化し、現在では130社ほどに減少している。それでもまだ多い方だと感じるが、最盛期のころを思うと、その衰退は明らかだ。当時は全国からバイヤーが集まり、地域の体育館を貸し切って展示会を行うなど、活気に満ちていた。しかし、時代が進むにつれて市場の構造が変わり、インターネットの普及や流通の合理化により、卸業者の存在感が薄れていった。
卸は、かつては、市場調査や顧客の声をメーカーに伝えるなど、製品開発において重要な橋渡し役を担ってきた。しかし、インターネットの普及やメーカーのブランド力向上により、卸の機能が縮小し、卸不要論が台頭するようになった。それゆえ、組合の役割もまた、大きな変遷を遂げている。組合としての役割や存在意義が問われることとなり、組合を存続させるべきかという議論も繰り広げられたという。
そこで組合だからこそできることを行っている。例えば、今まで参加しなかったような展示会、例えばハンドメイド品などの展示会であるホビーショーへの参加を企画しているという。まったく異なる展示会で本物の刃物を展示することで、どのようなことが起こるか楽しみだ。また、最新の物流システムである自動倉庫の視察なども行い、刺激を受けたという。
山谷産業は、他のインターネット販売業者とどう差別化を図っているのだろうか。これについては「卸だが、ブランドを作ってリアルな店舗を持つところ」という。確かに、燕三条では、メーカーがリアル店舗を持ち、マルチチャンネルで販売しているところはあるが、卸ではあまり聞いたことがない。とはいえ、他の地域にリアルな店舗を持つ予定はないという。「一度検討しましたが、賃料などを考えて断念しました」という。
インターネット販売、卸によるPB戦略など、時代の最先端を行っているように思うが、山谷氏は「たまたま」と謙遜する。とはいえ、「たまたま」と言うには、そこには確かな戦略と判断力があったことも否定できない。山谷氏は、インターネットの可能性を見出し、いち早くその波に乗り、さらには市場のニーズを的確に捉えた製品企画を行ってきた。PB商品を展開する際にも、単に既存製品を模倣するのではなく、顧客の声を反映させた機能改善を行い、デザイン性や価格戦略で競合と差別化を図っている。このような柔軟な対応と顧客志向の姿勢が、山谷産業を今日の成功に導いたのだろう。
燕三条地域の産業がこれからも発展し続けるためには、山谷産業のような企業が引き続き革新をリードし、地域全体が共に成長していくことが不可欠だ。地域に根ざしつつも、グローバルな視点を持ち、未来を見据えた戦略を進めることが、今後の燕三条地域の産業の持続可能な発展の鍵となるのではないか。
(取材日:2024年8月21日)