株式会社フルハートジャパン

中小企業が生き残るための「連携」と「統合」の塩梅-株式会社フルハートジャパン/I-OTA合同会社

國廣愛彦氏 株式会社フルハートジャパン代表取締役社長/I-OTA合同会社代表社員
※2時間の取材の前半1時間ほど、國廣社長のお引き合わせで合同会社町工場総研代表の奥田耕士氏が同席された。

執筆・中庭光彦(多摩大学経営情報学部)

左より中庭、國廣愛彦氏、新西、樋笠 

ワンストップサービスが強み

 國廣社長とお会いしたのは、極東精機製作所の鈴木亮介社長と同じく、大田区産業振興協会が開催した第二回ベンチャーフレンドリー塾(2022年12月)の場だった。その時、私は「フルハートジャパン」と「I-OTA」の二枚の名刺を頂戴し、社長が醸し出すフットワークの軽さが大きく印象に残った。今日は、この二社、すなわち國廣愛彦社長の話である。

 フルハートジャパンのHPを見ると、「鍵管理システム」「ロケットに使うテレメトリ・データロガー」「海外ベンチャー企業が発見した酵素液を大量生産する設備開発」と幅広い開発実績が紹介されている。技術力は高く、半導体製造装置に使われる製品も納入しており、 一部分の加工に特化した企業というわけではなさそうだ。それは、國廣氏も強調されており、フルハートジャパンのように、お客様の希望に合わせた設計開発から材料の仕入れ、アセンブリーまでワンストップで行っている所は大田区でも多くはないという。

 この「ワンストップ」は今回のキーワードだ。その意味は、顧客の曖昧な要望から、設計をし、要求定義と仕様書をつくれること。そう、素人の私は理解した。

 こうしたワンストップサービスの能力は、徐々に自社だけで身につけていけるものだろうか?

 フルハートジャパンは設立が1968年。HP情報を見ると、当初は有限会社三大電機という社名で設立、1978年には、「名称を東亜技電株式会社に組織変更。資本金を1,000万円に増資、新たに設計部門を設け、コンピュータ応用機器(ハード・ソフト)の 設計・製造を開始」とある。ここがターニングポイントの一つではないか。

「ノーと言わない」を支える設計の力

 國廣社長は、父親と自分が似ているのは「ノーと言わない」ことで、できないと思われるような顧客からの要望も引き受けると話された。

 フルハートジャパンは最初、組立、配線、基板製作から始まった。その内、顧客から板金加工の仕事も入ってもノーと言わなかったのだろう。板金をやってくれる人がいないから、自分たちで板金加工も行うようになり、能力の幅が顧客の要求に応じて広がった。

 社員を「より多くのことにトライできる社員がいるので、何を言われても答えられる広い知識を兼ね備えている」と説明された。

 でも、最初からそうだったわけではない。創業当初はケーブルをつくってラジオの配線をしたレベルだが、20人規模になった頃に、設計機能をもたないとこれからはダメだと意識され、社員に設計を学ばせている。

 とはいえ、会社に設計能力が身につくには時間もかかる。

 大きなポイントは、それまで営業を一緒に行っていたある会社が廃業して、設計はやめるので、従業員はそちらで雇ってくれないか、という話が舞い込んだことであった。そこで、言わば企業統合することになり、これより設計のスピードが本格化していく。

 制御はメカで決まるので、メカの設計も行ったと、國廣氏は言う。そして、半導体製造装置のガスを供給する制御の仕事を行った。ガスがあれば配管もあるわけで、そこから計装盤の配管の仕事も行うようになった。

 こう見ると、設計能力をもった技術者を引き受け、顧客にノーと言わずに受注し続けたことは、大きな意味をもっていたと言えるだろう。これが國廣氏の言うワンストップの意味となる。

 本来なら、設計からワンストップで工程を指定するのは、発注者側の機能であるが、それを担っていくことが、フルハートジャパンの強みにつながっているし、國廣氏自身が意識していることでもある。

I-OTAは何を目指す

 その國廣氏が合同会社の代表を務めているI-OTA合同会社は、2018年6月に設立された。HPには「大田区からつながる製造業ネットワーク-モノづくりの課題解決ならI-OTAへ」とあるように、大田区が強力にバックアップしているのかと思ったのだが、実態は、大田区の60社程が参画し自発的に会社を設立したものだ。

「I-OTAは大田区から生まれたプロジェクト型共同事業体です。大田区から世界へ。イノベーターと共に歩み、提案型ソリューションを磨き上げます。」と紹介されているように、高度な技術をもっている大田区をブランド名として使い、私企業の形をとったコンソーシアムである。

 I-OTAの源流には、大田区の技術力を高め、世界にアピールしようという「下町ボブスレープロジェクト」(2011年に始まり、現在も活動が続いている。詳しく知りたい方は、https://www.shitamachibob.tokyo/を見て下さい)がある。國廣氏自身「下町ボブスレー」ネットワークプロジェクト推進委員会第三代委員長を務め、当初より主要な役割を担っていた。

 I-OTAの役割とは何なのか。

 それは、I-OTAというコンソーシアムの中に、フルハートジャパンをはじめとして、ハブ機能をもった会社が揃っているというのが、國廣氏のイメージだ。仲間回しという言葉も、I-OTAのようなコンソーシアムが責任をもって、顧客にソリューションを提供すればよいという。

 まだ出発したばかりの活動だが、現在の國廣氏の思いはどこにあるのか?

 「いまI-OTAは、営業最優先ではなく、仲間探しが最優先と思っています」とおっしゃる。ハブ企業が50社程集まれば、顧客に安心して「何でもできる」と言える。その体制をつくりたいというのだ。

 多様で競争力ある企業のネットワークを整備しないと、競争力あるハブ企業=中心となる企業はつくれない。これにより、自社の強みを融通しあって補完するのがI-OTAというしくみの意味なのだろう。

 とはいえ、この構想とは逆に、中心となる企業が強すぎて、ネットワークとなる企業の多様性が生まれないという悩みも、全国の産業の現場にはある。現に、地域に関係無く、自社と顧客が直接結び付いて上流にポジショニングした企業がネットワークをつくっている企業もおり、現にフルハートジャパンはそうした「うまくいっている企業」の一社だろう。

 「ネットワークの競争力向上」と「仲間づくり」の塩梅のデザインは、研究者の間でも大きなテーマであり続けている。

 フルハートジャパンが目指し、I-OTAが目指す道には、いろいろな課題が待っていると予想される。だが、私には、國廣社長のフルハートジャパンでの成功体験、すなわち外部から素早く技術者を引き入れた企業統合の成功体験、同じく外部からの厳しい要求に苦労した下町ボブスレープロジェクトの体験が、突破口を開くような気がしてならない。

 地域企業とそのネットワークが、時代に合わせて変わる条件について、大いに考えさせられるインタビューであった。

(取材日:2023年4月7日)

大田区中央にあるフルハートジャパン社前景 

株式会社フルハートジャパン:https://www.fullheart.co.jp/home/

I-OTA合同会社:https://i-ota.jp/