世界一の刃物メーカーを目指して未来を切り拓く
株式会社ファインテック
代表取締役社長 兼 最高技術責任者(CTO) 本木敏彦氏
経営管理本部本部長 兼 総合企画部部長 本木正敏氏
執筆:新西誠人(多摩大学経営情報学部)
左より、中庭、本木敏彦氏、新西
名刺を切るという言葉を聞いてどのように切ることを想像するだろうか。縦に真っ二つ、あるいは横に切るというシーンを想像するだろうか。しかし、名刺を2枚におろせるといったらどうだろう。つまり、薄い名刺を2枚にスライスするのだ。これを実現する刃物を製造する会社がある。
「切断革命」を旗印に掲げるファインテックは、福岡県柳川市にある切る現場の課題解決に挑み続けている刃物メーカーだ。冒頭の名刺のほかにも、米1粒をいくつにもスライスしたり、髪の毛1本を縦に切ったりと、切ることに関して驚きの技術力を誇る。レトルトのカレーのパッケージの切り口から横にまっすぐ切ることができたら、それは、ファインテックの技術のおかげかもしれない。ファインテックの刃を用い、ハーフカット技術を活用することで食品を保護するパッケージの機能を保ったまま、切るときには、まっすぐに切れるのだ。
この身近な「切る」という行為は、人類が誕生したころから生きるために行われてきた。タンザニアのオルドバイ渓谷から見つかった石器は250万年前のものだという(注1)。切る道具は、人類が初めて発明した道具であり、生きることと密接につながっているのだ。
しかし、ファインテックの本木敏彦社長によると、この「切る」という行為は当たり前すぎて「学問」がない状態なのだという。どういうことだろうか。硬い鉄など、工業で使われるものを切るのに使われている技術は「剪断」がほとんどだという。プレス機などで圧力をかけ、挟み込むことで物体を切る。この「剪断」については工業の発展と共に、研究開発が盛んにおこなわれ、学会も存在する。
一方、ファインテックの切る技術は「切断」という刃物で切る技術なのだ。そしてこの「切断」については学会すら存在しないという。学会がないということは、研究開発があまり行われていないことを意味する。つまり研究者に相談したり、先人の知恵を生かしたりできない。そのため、切る対象に合わせた刃先の形状などの研究開発を自社で行う必要がある。試行錯誤が欠かせないため、刃先などの研究開発は、早くても1年かかり、なかには7年研究しても未だ実現しないものもあるという。
それにしても、ファインテックの刃物はなぜそんなにも切れるのだろうか。実は、ファインテックの刃は、ステンレスではなく、レアメタルなどを原料とする超硬合金だ。この超硬合金はダイヤモンドの次に硬いといわれる。そこに、研究開発の結果生まれた刃先の形状も相まって、切れる刃物が生まれる。「切れないのは男女の仲だけ」と本木敏彦社長は笑いながら教えてくれた。
本木敏彦社長は、構造物の設計をするサラリーマンだった。ファインテックの創業は1985年。日本経済が黄金期を迎え、バブルの足音が聞こえてくる時代だ。当時、九州は「シリコンアイランド」といわれ、半導体事業が盛んに行われていた。その半導体の仕事をやらないかと誘われて、脱サラを決意。創業当初は、半導体や電子部品の金型をメインとしていたという。
そこから刃物に専念することになったきっかけは、リーマンショックだ。リーマンショックは2008年9月15日に起こった世界的な金融危機である。米国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズの経営破綻がきっかけとなったことから、リーマンショックといわれる。このリーマンショックはファインテックにも大きな影響をもたらした。なんと仕事が1/7になってしまったという。倒産の可能性もあったが、「考える時間が増えた」と前向きに捉え、リーマンショックからおよそ5ヶ月後の2009年2月7日、刃物に特化することを決めたという。当然、刃物担当ではない従業員から不安の声が聞こえたが、そこは社長の固い意思で突き進めた。
なぜ、刃物に特化することにしたのだろうか。実は、ファインテックは創業から2年間、赤字が続いていた。そこから黒字化のきっかけとなったのが刃物だったという。創業間もないころ、大手企業から依頼された刃物があったが、技術力が不足しており、その時は作れなかった。創業して2年が経ち技術の向上が進んだ中で再び依頼を受けた。この時には量産化することができた。これが月産3000枚と大きなビジネスになり、黒字化に至った。しかも、刃物は一度採用してもらえると、研ぎ直しながら長い付き合いとなるストックビジネスだ。この成功体験が刃物に特化することにつながった。
本木敏彦社長は、「お客様が欲しいのは刃物ではない。切った断面だ」という。マーケティング理論に「お客様が欲しいのはドリルではない。穴だ」というものがある(注2)。これは、ドリルそのものが欲しいのではなく、サービスとしての結果が欲しいというものだ。では、「切る」ことが欲しいのはわかるが、お客様が欲しい「断面」とはどういうことだろうか。例えば、スマホのディスプレイなどに使われている積層フィルムは、何枚かのフィルムを貼り合わせて作られる。そこで使われるフィルムは硬い素材もあれば柔らかい素材もある。これをまとめて剪断しようとすると、バリやヒゲ、ゴミなどが生じる。しかし、これをナノミクロン単位で揃えられたファインテックの刃物で切断すれば、その切り口はきれいなものになる。これにより、切ったあとに出るバリやヒゲ、ゴミを処理する工程が不要になるのだ。剪断時に出る粉もでないため、工場内もクリーンに保つことができる。このように、断面をきれいに切るという機能を刃物に持たせることが、「切った断面」につながるのだ。後工程が不要になるというパラダイムシフトは、後工程やゴミを減らすためSDGsにも貢献するという。
後処理が不要になるという大きなメリットがあるにもかかわらず、営業には苦労したという。展示会ではお客様に「面白い」と言ってもらえるが、実際に訪問すると会ってもらえない。製造現場で後工程は「当たり前」のこととして捉えられているため、お客様はそこに課題があるとは考えてもいないからだ。そのため、営業するには、その課題に気がついてもらうことから始める必要があるという。
ただ最近では、切断に関するファインテックの知名度も上がってきており、切る現場に課題を抱える会社が、別の大手企業に相談した時に、口コミで紹介してもらえることも増えているという。刃物メーカーとしての技術力が評価されている結果だろう。
超硬合金を使った刃物に特化したのが第2の創業だとすると、2021年からは第3の創業として、医療現場へ参入している。「医療はより直接的に人類に貢献できるんです」と本木敏彦社長はいう。
例えば、内視鏡手術で利用するハサミ。従来は高周波で焼き切っている。問題は一度焼いてしまうと、高周波では切れなくなってしまうことだ。だが、ファインテックの刃物を使ったハサミならば切れる。まだ開発中ということで、医療の現場で使われるのが楽しみだ。
福岡県柳川市で生まれ育った本木敏彦社長は、柳川を刃物中心の研究都市にしたいという熱い思いがある。柳川は、江戸時代からの干拓事業により拓けた町。町の中に水路が張り巡らされ、観光名所となっている。コロナ前は年間140万人の観光客が訪れていたという。
しかし、その柳川市は、残念ながら「消滅可能性都市」といわれている。柳川市の人口のピークは昭和35年。当時の人口は8万6,888人だった。そこから下降を続け、近い将来には3万人を切る恐れがある。人口を増やすのは容易ではないが、下降を少しでも緩やかにしたいという。
そのために、柳川を学術と観光の街である「ブレードバレー」にしたいという構想がある。参考にしたのはドイツのゾーリンゲン。刃物の街として有名なドイツ中西部の都市である。ゾーリンゲンの刃物に関するミュージアムなどを訪問し、柳川を学術と観光が相乗効果を生むような研究都市にしたいと思い立ったという。
ファインテックは、2025年に創業40周年を迎える。それまでに国内製造工場を5拠点化したいという。そして、50周年を迎える2035年には、全世界7拠点化したいという。さらに100周年を迎える2085年には、「1兆円企業」を夢見る。
100周年に向けた事業承継はどのように考えているのだろうか。長男である本木正敏部長は、大学を卒業後、広島県福山市で11年間小学校教諭をしていたが2019年にファインテックへ入社した。本木正敏部長は「社員が誇りを持って働ける会社にしたい」と意欲を見せる。とはいえ、この先、「1兆円企業」を目指すにあたり、従業員がすべて大家族のように振る舞う組織運営には物理的な限界があるだろう。その時、社員一人一人がファインテックの志をもって働くには、行動指針となるバイブルが欠かせない。そこで本木敏彦社長は現在、ファインテックの理念や使命、ビジョンなどを綴った本を執筆しているという。今後、第4、第5の創業をする際に、起業の精神に立ち返ることができるような書籍になるだろう。
250万年の歴史を持つ刃物が、この先どのような進化を見せるのか。ファインテックは世界一の刃物メーカーを目指し、未来を「切り」拓いている。
(注1)Semaw, S. 他. (1997). 2.5-million-year-old stone tools from Gona, Ethiopia. Nature, 385(6614), pp.333-336.
(注2) T.レビット. (1971). マーケティング発想法. ダイヤモンド社. p.3.
株式会社ファインテック:https://www.f-finetec.co.jp/