「匙屋に徹す」‐日々の暮らしに寄り添うカトラリー 燕物産株式会社
捧 吉右衛門氏 燕物産株式会社 代表取締役社長
執筆:野坂美穂(多摩大学経営情報学部)
燕物産株式会社(以下「燕物産」)は、日本で初めて金属洋食器の製造を専門化したメーカーとして知られ、スプーンやフォーク、ナイフなどのカトラリーを一貫して手がけてきた。「匙屋(じゃじや)に徹す」という経営理念のもと、100円の商品から1万円を超える高級品まで幅広く展開しており、全国的にも稀有な存在である。代々、初代「捧吉右衛門(ささげきちうえもん)」の名を受け継ぎ、最近では現社長の捧和雄氏が十代目として襲名された。
私たちはここ数年、何度か燕を訪れていたものの、長い歴史を持つカトラリー産地であることは知っていたに過ぎず、実際にカトラリーメーカーを訪問するのは今回が初めてであった。恥ずかしながら、カトラリー業界について不勉強なままでの訪問となったが、捧社長は業界全体の構造から同社の歩み、そして現在の取り組みに至るまで、ひとつひとつ丁寧に説明してくださった。
燕物産株式会社
燕物産の歩み―輸出から国内市場への転換
燕物産株式会社の歴史は、1751年に初代捧吉右衛門が金物屋を創業したことにさかのぼる。1911年(明治44年)には、社長の祖父、八代目当主が銀座十一屋商店から洋食器の製造を依頼され、日本で初めて金属洋食器の製造が始まった。
大正期に入って約十年が経つ頃、同社は最高級品の「月桂樹」シリーズのカトラリーを手がけるようになる。これらは著名レストランにも広く採用され、今日まで100年に渡り「月桂樹」の製造を続けている。その後、燕物産の製品は国内市場において着実な存在感を示していった。戦後には、カトラリーは海を越えて輸出されるようになり、生産量の約8割が主にアメリカやヨーロッパへと向かった。しかし、1985年のプラザ合意以降、円高の進行と海外生産拠点の変化により、輸出は急速に縮小し、かつての市場構造は大きく変化した。
こうした環境変化を踏まえ、燕物産は1993年に国内市場へ再び重点を置く決断を下した。戦後から1980年代までの輸出依存型の事業モデルにおいて、燕のメーカーの多くはOEM生産に依存していた。燕物産も例外ではなく、自社ブランド製品の開発に積極的ではなかったが、新たに6パターンのデザインを開発し、自社ブランドとして国内販売を強化する方針に舵を切ったのである。OEMという匿名性の高い製造から、自社ブランドとしての「顔」を取り戻すことは、産地企業が国際分業の波に呑み込まれないための重要な戦略の一つであったといえる。その背景に、技術を維持・深化させるには、自らの名を掲げた製品を通じて市場と直接向き合う必要があるという認識があったのではないだろうか。
歴史と協力で支えられる燕のカトラリー業界
燕のカトラリー業界全体は縮小傾向にあるが、各社は独自の歴史、技術、デザインに基づく差別化を図ることで市場の棲み分けを行っている。例えば、百貨店向け販売に強みを持つ企業や、輸出向け高級品を手掛ける企業など、各社の専門性は互いに補完的であり、横から容易に介入することは困難であるという。一方では、単独での生産が難しい場合もあり、各社は協力関係を築きながら業務を遂行している。捧社長は、現在のこの状況を「共生関係」として評価しており、組合活動や協力体制を通じて、各社が互いに和やかにものを考えられる良い時代になったと述べている。
このように、個々の企業が独自の特色を持ちながらも、全体として産地としての魅力を維持している様子は、これまでの長い歴史のなかで培われた強みが柔軟に活かされているといえるだろう。
手仕事の現場から見る、磨きに宿る技術と誇り
燕物産では、燕地域の他企業と同様に、分業体制で生産を行ってきた。生地の製造、プレス、研磨といった主要工程は自社で手がける一方、手磨きなどの工程は外部の職人に委託していた。戦後、アメリカ向け輸出が好調で産業が華やいだ時期には、磨きの仕事だけで家が建つほど繁栄した職人もいたという。しかし、その後の輸出減少や手取りの低下、後継者不足や高齢化の進行により、産業全体にしわ寄せが生じるようになった。こうした状況を受け、ここ10年ほどは内製化の動きがいっそう顕著になっている。
内製化における最大の課題は「手磨き」である。とりわけ、材料を切った際に生じる切断面のザラつきを取り、艶を出す工程は、一本一本すべて職人の手作業で行う必要がある。技能の習得には適性にもよるが、繊細な装飾が施された「月桂樹」シリーズの場合は一人前になるまで約10年、一般的な製品でも少なくとも3年を要するとされる。全国的に職人不足が深刻化するなか、近年は燕物産に「職人に憧れて」入社する若者が増えているという。
実際に手磨きの工程を間近で見学させてもらったが、職人たちの集中した眼差しや研ぎ澄まされた手の動きからは、「技術を守り、製品に魂を込める」という姿勢が強く伝わってきた。また、検品工程では、ごく小さなキズさえも見逃さず、やり直しの印が丁寧に書き込まれており、そこには妥協を許さない手仕事の現場があった。長年培われた職人技と、それを次世代に受け継ごうとする意志は、日々の仕事の中に静かに息づいている。
手磨きの現場
燕物産における国内販売チャネルの構造と戦略的展開
燕物産の国内市場は、主に業務用(ホテル・レストラン)、ギフト(百貨店)、ノベルティ、社員食堂向け、医療関係の五つに大別される。これらに向けた販売チャネルは、さらに四つに分類される。
第一に、給食や医療関係向けのOEM生産である。売上の半数以上を占め、月17万本の生産量のうち10万本以上がこの分野に割かれている。単価は低いものの、年間を通じて安定した受注が見込める点が特徴である。
第二に全国に60店舗を展開する小売りチェーンを通じた中古品市場への供給である。この小売りチェーンは、業務用飲食店の閉店時に設備・什器を一括で引き取り、中古品として再販売する企業である。カトラリーや食器が中古だけでは十分に揃わない場合に、燕物産の商品が不足分を補う形で流通している。この中古品市場との取引は、売上全体においても無視できない規模となっている。
第三に、製陶業界で国内トップクラスの陶磁器メーカーとの業務契約である。同社のカトラリーと陶磁器を組み合わせた抱き合わせ販売を通じ、ホテルやレストラン向けに納入している。この契約により、従来は問屋が握っていた価格・掛け率の決定権や商品選択の主導権に対し、メーカー側が一定の影響力を行使できるようになった。抱き合わせ販売は一見すると古典的な手法にみえるが、現代の流通構造においては、メーカー主導で流通をコントロールするための戦略的手段といえる。これについては後ほど改めて触れたい。
第四に、BtoC向けの販売である。個人向けオンライン販売の強化に加え、百貨店でのポップアップショップ展開など、新たな販売チャネルの開拓が進んでいる。これまで業務用中心であったことを踏まえれば、百貨店市場にはまだ成長の余地が大きい。業務用にとどまらず多様な販路を模索する姿勢は、変化する市場環境に柔軟に対応する燕物産の戦略を象徴している。BtoC戦略の強化は、企業ブランド価値の向上や消費者との直接的な接点の確保という観点からも、今後ますます重要性を増すだろう。
価格決定の背景にある産地と問屋の関係
そもそも、価格の決定権は誰が握っているのだろうか。カトラリーの価格は、材料の選定や仕上げ工程、供給体制の安定性など、複数の要素によって左右される。たとえば、使用するステンレスの種類やニッケルの含有量、さらに磨きや研磨の方法によっても価格は大きく変わる。中高級品には18%のクロムと8%のニッケルを含むステンレスが用いられ、仕上げも機械研磨、バフ研磨、ガラ研磨、バイブレーション仕上げなど多様である。こうした加工の違いが、そのまま製品価値の差として反映されている。
国内市場はすでに成熟しており、また競争も激しかったため、かつては容易に値上げできる環境ではなかった。しかし、この15年ほどは材料費の上昇や為替変動、輸入品の供給不安などが重なり、「安定して供給できる」という点で燕産品の価値が再評価されつつある。その結果、値上げをしても市場が受け入れる場面が増え、国産品としての信頼性と価値がより明確になった。こうした変化を通じて、これまで価格決定の主導権が少しずつ産地側へ戻りつつあるといえる。
一方、流通における問屋の役割も見直されている。近年では「問屋は不要なのではないか」といった意見も聞かれるが、カトラリー業界において問屋の存在は依然として大きい。特に燕の問屋は、単なる中継機能にとどまらず、総合商社のような役割を果たしている。社員食堂からホテル・レストランまで、幅広い商品を一冊のカタログにまとめて提供できる体制は、メーカー単独では実現しがたい大きな利便性を提供している。この仕組みが、業界全体の流通を支える重要な基盤となっているのである。また、近年はメーカーが自ら企画したオリジナル商品を問屋に提案するなど、より主体性のある協働関係も形成されつつある。
過去を振り返ると、かつて問屋は圧倒的な力を持っていたという。商品が存在しても、価格や掛け率の決定権は問屋側にあり、メーカーが主導権を握ることは難しかった。しかし現在は、状況が変わりつつある。たとえば陶器メーカーとの販売チャネルでは、同社が自社製品とカトラリーをセットで納入する場合でも、地元問屋を通して一定割合で取引が行われることがある。これにより、燕物産は自社商品の安定供給を確保しながら、競争優位性や交渉力を維持している。
さらに今後は、製品納入にとどまらず、陶器メーカーとの関係を通じて、メーカーとしてBtoCの形でホテルやレストランへ直接働きかけ、補充・修理、銀食器の磨き直しやメッキ加工といったアフターサービスの提供も視野に入れているという。
このように、燕物産の流通戦略は、単に問屋に依存するのではなく、メーカー・問屋・陶器メーカーという複数の主体を柔軟に組み合わせることで、安定供給と交渉力を同時に確保する仕組みへと進化していることがわかる。
日々の暮らしを豊かにするデザイン
燕物産のカトラリーは、テーブルナイフ、フォーク、スプーンといった基本形状をフランス式サイズに基づいて設計している。とりわけ、デザートスプーンやデザートナイフ、デザートフォークといった名称のカトラリーは、本来フランスを中心とするヨーロッパでデザート用として発展してきたものだ。しかし、日本ではそれらが日本人の手の大きさや食文化に合わせて受容され、日常的に使用される主要な道具として定着してきたという。こうした変化は、道具が異文化環境に適応しながら生活に溶け込んでいくプロセスを示す好例である。ヨーロッパ由来の形状であっても、日本の食習慣に即した機能調整やサイズ変更を施すことで、自然な使い心地や快適さが生まれている。
今年、同社は Good Design 賞を受賞した。これまで業務用製品を中心に展開してきたため、社長自身はデザイン評価をそれほど重視してこなかったようだが、家業に戻られたご子息がこうしたデザイン賞に挑戦したいと提案したことがきっかけとなった。その結果、受賞に至り、企業ブランドの価値向上や販路拡大の可能性が大きく広がった。特に、ホテル・レストラン市場が低迷する中、この受賞は BtoB・BtoC 双方において同社の存在感を示す重要な契機となるだろう。
さらに、医療関係との取引から生まれたユニバーサルデザインの導入も注目に値する。「誰もが使いやすい製品」を目指したこの取り組みでは、内部を空洞化して軽量化した「最中(もなか)」と呼ばれる形状を採用しているほか、右利き・左利き双方に対応するデザインとすることで、使用者の利便性を高めている。これは単なる機能性向上にとどまらず、社会的価値や製品の包括性を高める試みとしても評価できる。
以上のように、燕物産のカトラリーは、日本の生活文化に寄り添い、日常をより豊かにする存在として位置づけられる。
「つくる」と「使う」の一致が生む、本当の使いやすさとは
燕のカトラリー産業は、長い間、外貨獲得を目的とした輸出産業として発展してきた。しかし、地場の職人たちは高度な製品を生産しながらも、当時の暮らしの中ではスプーンやフォークを日常的に使うことはほとんどなかったという。
ヨーロッパブランド向けに製造を行う現在の中国やベトナムでも同様で、職人は高い技術力を持ちながらも箸文化の中で生活しているため、カトラリーを日常的に使う経験が乏しい。その結果、生活者の視点からみた本当の使いやすさや機能性を十分に理解することが難しいという構造的な問題がある。
この状況は、製品の価値を正しく伝えるためには、つくり手自身が日常生活の中で道具と向き合う経験を持つことが不可欠であることを示している。つまり、「日々の食事で使い続けてこそ、日本人にとって本当に使いやすく心地よいカトラリーとは何かが体感的に理解できる」ということである。
最近になって、燕の産地でもようやく食文化としての側面を意識する動きが見られるようになったという。捧社長は、「カトラリーは単なる道具ではなく、機能性・使いやすさ・美しいデザインによって初めて食器としての意味が生まれる」と語られた。
人の一生に寄り添うカトラリーへの想い
最後に、捧社長は、「匙屋(じゃじや)に徹す」という経営理念を何よりも大切にしているという。「人は生まれたときにベビースプーンを手にし、年を重ねて箸が使えなくなれば再びスプーンを使い、結婚の際には新しい食器を揃える。カトラリーは人生の節目に寄り添う存在だからこそ、その良さを伝えたい」と語り、その想いは強く伝わってきた。
単に製品を市場に供給するのではなく、日本の家庭に深く入り込み、日常生活の中で認識され、理解され、受け入れられることを目指す姿勢は、品質や価格だけにとどまらず、文化的・生活的価値を重んじる経営哲学の表れであるといえるだろう。
AIが取って代わる職業が増える現代においても、職人の手仕事が生み出す価値は決して失われない。だからこそ、捧社長はこれからも「匙屋(じゃじや)に徹す」という理念を揺るぎなく貫いていくと静かに語られた。その言葉には、日常の食卓にそっと寄り添い、人々の暮らしの中で存在し続けることへの深い思いが込められているように感じられた。
左から、中庭、捧吉右衛門社長、野坂、新西
(取材日:2025年10月31日)
燕物産株式会社:カトラリーの老舗 - 燕物産株式会社