燕三条地場産業振興センター
燕三条ブランド推進部 部長・酒井利昭氏、 企画推進課 課長・和田貴子氏
執筆・野坂美穂(多摩大学・経営情報学部)
左より、酒井部長、和田課長、野坂、新西、中庭
これまで大田区企業を中心にインタビューを行ってきたが、メンバーの間で、「大田区産業集積だけではなく、他の地域の産業集積と比較すると、多様性が浮かびあがり、おもしろいのでは?」という話になった。そこで選定したのが、新潟県の燕三条である。
燕三条といえば、ものづくりのまち―のはずである。
個社へインタビューを行う前に、まず燕三条の産業の概要を把握するため、燕三条地場産業振興センター、燕三条ブランド推進部 部長・酒井利昭氏、企画推進課 課長・和田貴子氏を訪ねた。同センターでは、ビジネスマッチング、海外展開、新商品企画デザイン、技術、特許、IT活用などの企業支援を行っており、各分野の専門家が揃っている。
燕三条は、金属加工を中心とした産業集積地である。部品加工から表面処理、民生品から産業用機械に至るまで様々な業種の企業が集積しており、その地域内で製品製造が完結できることに強みがある。
大田区は、業務用製品でも部分加工を請け負う事業者の割合が多いのに対し、燕三条は民生品で卸・小売りを相手にした事業者の割合が多い。さらに近年、業務用製品をつくっていた加工業者も民生品づくりにシフトする傾向にあるという。
なぜ、民生品にシフトするのか。その理由は、民生品であれば付加価値をのせることができることと、消費者に近い自社が価格決定権を持ちやすいからである。消費者ニーズが多様化・細分化する現代において、付加価値を認めてくれる可能性は限りなく広がっており、事業者はそこに挑むのである。
また、大田区の場合は、1点ものの試作品をつくる事業者が多いことが特徴である一方、燕三条は民生品の事業者が多く、そのほとんどは量産品である。同地域の産業発展は、もともとブランドメーカーから委託され大量生産を行うOEMから始まっているという背景がある。そこから自社製品の製造へと切り替えた事業者もあるが、依然としてOEMを続けている事業者も少なくないそうだ。
なるほど、燕三条と大田区の違いが少し見えてきた。
燕三条の産業といえば、どのようなイメージをお持ちだろうか?例えば、身近なところでは、刃物やキッチン用品などの生活用品を思い浮かべるかもしれない。「では、燕と三条の違いは何か?」と聞かれた途端、多くの人が口ごもってしまうのではないだろうか。かくいう私も、その一人である。
まず、製造業の事業者数・製造品出荷額は、燕と三条を合わせて約1,200社、約7,000億円であり、その内訳として、燕市は677社・4,261億円、三条市は535社・2,826億円(令和2年『工業統計調査』)と、燕市の方が事業者数・製造品出荷額ともに多い。古くから、燕の職人がものをつくり、そこでつくられたものを三条の商人が売りに行くという慣習があり、今でも三条には卸売業者・問屋が多い。
さらに、上記の約1200社以外に、『工業統計』ではカウントされていない一人親方や、従業員2~3人以下の零細の事業所数が多く、そうした零細の事業所を含めると、燕三条には約2500~3000社もあるという。それらの零細事業者は、縁の下の力持ちといえるだろう。
次に、産業の歴史を見ると、燕も三条も、もともと農業が中心であったが、信濃川の氾濫が多かったために、江戸幕府が農業の副業として和釘の製造を推奨したことから「ものづくり」が始まる。それ以降の産業発展については、燕と三条ではそれぞれ異なる経路を辿っている。まず、燕には間瀬銅山があり、会津から槌で薄い銅板を裏から打ち出して、立体製品を作る鎚起の技術が伝わって「鎚起銅器」づくりが盛んとなった。18世紀になると煙管(きせる)や矢立がつくられた。そして、それらの伝統技術が蓄積され、20世紀には洋食器、ハウスウェアなどの金属加工製品の産業へと発展した。これに対して、三条は、和釘から19世紀には農耕具へ、次に利器工匠具、そして20世紀には作業工具へと移り変わった。と同時に、信濃川河川舟運路であった「長岡船道(ながおかふなどう)」で活躍した商人の顔も併せ持っている。中間財としては、燕は精密機械、三条は機器、機械、機械部品を作っている事業者が多い。
燕三条と一括りに考えず、燕の企業と三条の企業、それぞれの特徴と相互の関係を「細かく」見ることが、この「ものづくりのまち」の産業や文化を理解するための、避けて通れぬ道のようだ。
燕は、昔からものづくりの分業が進んでいる地域であり、地域内の職人や事業者に持ち回り、一つの製品を完成させるのだが、そこには「前の人から預かったものを、自分のところで悪くするわけにはいかない。」という考えが根底にあるそうだ。この一人一人の持つ意識の高さこそが、燕三条全体のものづくりの精度を高めるに至った理由なのではないだろうか。
また、他の地域の方々からは、「燕や三条の事業者の皆さんは本当に仲いいですね。」といわれるそうだ。狭い地域の中での地縁・学縁・血縁などのネットワークによって支えられているため、同業者同士でも助け合いの関係ができているという。例えば、同じ研磨屋でも、仕事の依頼がある時に、「うちのとこではできんけど、あそこの研磨屋に行けばいい。」と紹介をすることは、この地域では決して珍しくない。
もう一つのエピソードとして、燕の研磨屋がiPodの磨きを請け負ったことは有名であるが、その際には10数社で手分けをした。10数社もいれば、研磨の技術のレベルはまちまちであるだろうが、お互いに研磨のレベルを擦り合わせ、同業社と一緒にやるという感覚をもって仕事を進めた。より研磨の技術水準の高い事業者があれば、その技術水準をもって仕事の依頼が増えるであろう。しかし、実際にはそうせずに、あくまでも他社の水準に合わせたという。このような皆で作り上げるという仲間意識もまた、燕三条が「ものづくりのまち」として名を馳せるまでに至った理由の一つだろう。
だが、現在では、分業が進みすぎたことによる問題が一部で顕在化している。その問題とは、分業の各工程で利幅が異なるため、利幅が薄く儲からない工程を担う規模の小さい事業者は縮小または撤退を余儀なくされることである。ただ、儲からないといえども、その工程が無くなってしまうと地域内のサプライチェーンが機能しなくなるため、地元の企業が買収・合併することで、工程を存続させるというケースが増えてきているそうだ。
燕三条は、ニッチな分野でのグローバル市場での競争優位性を有する、いわゆる「グローバルニッチトップ企業」がある。具体的な企業名を挙げるなら、新潟精機(特殊な計測器)、田中衡機工業所(特殊な計量器)、遠藤工業(スプリングバランサー等)、フジイコーポレーション(除雪機や草刈り機等)、北越工業(コンプレッサー等)、民生品では、スノーピーク(アウトドア用品)、TWINBIRD(家電製品)、藤次郎(包丁)、吉田金属工業(包丁)など、枚挙にいとまがない。
なぜ、燕三条には、こうしたグローバルニッチトップ企業が多いのか。燕では、昔からカトラリーの注文を海外から受け、そうした企業にインスパイアされて、「自分達も外へ出ていかなければならない」という雰囲気が地域に醸成されているからだという。このような海外志向は企業としてだけではなく、経営者自らも身につけていくべきものとしているという。そのため、経営者の二代目や三代目は海外留学し、ものの考え方や見方がグローバルでセンスのある人が多い。
燕三条は、もともと海外の市場が顧客であったということもあり、デザイン意識の高い経営者が多く、商品のデザインが優れていることも特徴の一つである。GOOD DESIGNに関しては、新潟県が全国7位で、90%近くを燕三条が占める。近年では国内のみならず、ドイツのレッド・ドット・デザイン賞やIFデザイン賞をとりにいく企業も増えてきているそうだ。センター内の展示品を見渡すと、私のような素人目にも、確かに洗練されたデザインの製品が多いことが分かる。
また、デザイナーについては、美大や芸大を出ている人を採用し、企業内でインハウスデザイナーとして人材を育てることが多いが、世代交代した経営者自らがデザインすることもあるという。
燕三条の人は、考え方に関しても、伝統にこだわりながらも、良いものはどんどん取り入れればいいという柔軟性がある人が多いそうだが、グローバルニッチトップ企業やデザイン意識の高い経営者の存在からも深く納得した。
今回お話を聞いて、燕三条のものづくりに対して、より一層の関心が高まったのだが、この「ものづくりのまち」に引き寄せられるのは私だけではないようだ。最近では、「ものづくりをしたい」という理由から、若年層、特に若い女性が燕三条の製造業で働いているという。この人々を引き寄せる燕三条の企業の魅力とは何なのか、今後のインタビューでその謎に迫りたい。
(取材日:2023年7月6日)
燕三条地場産業振興センター:https://www.tsjiba.or.jp/