株式会社高秋化学 代表取締役社長 高橋靖之氏
執筆者:野坂美穂(多摩大学経営情報学部)
創業92年という長い歴史を有するめっきの老舗企業、株式会社高秋化学(読み方:「たかしゅうかがく」。以下、「高秋化学」と略称)。その事業は、スプーンやフォークなどの装飾めっきから、H-Ⅱロケットの部品や航空機の部品等に施される機能めっきに至るまで幅広く手掛ける。近年では、BtoCの事業にも着手され、2022年12月には、3Dプリンター樹脂造形品にめっきをする技術の特許を取得された。
ここで、装飾めっきと機能めっきの違いについて、我々一般の者には分からないため、簡単に触れておきたい。装飾めっきは、アクセサリーやジュエリーなどに装飾されるめっきのことであり、製品の見栄えや美しさを増すために施し、その他にも防錆(ぼうせい)・抗菌作用なども得ることができる(注1)。他方、機能めっきは、金属が持つ本来の能力を引き出し、付加価値を与え、具体的には、耐食性や耐熱性の向上、電気伝導性の向上、ハンダ付けが可能になるという(注2)。めっきの防錆(ぼうせい)や抗菌作用は、装飾めっきも得られるが、本来は機能めっきに該当するそうだ。
今回は、四代目である代表取締役社長、高橋靖之氏にお話をお伺いした。
左より、野坂、新西、高橋靖之社長、中庭
高秋化学は、1931年に創業。初代の高橋秋三郎氏は、元々は食器の研磨の職人であったが、当時は、めっきを施す企業があまりなかったことから、まだ誰も手掛けていない銀めっきを始めた。初代の秋三郎氏は、当時でいうハイカラであり、茶道や生け花、草野球から乗馬に至るまで、その趣味は多方面にわたっていたという。銀めっきは洋食器製造では欠かせない工程であったことから、初代の秋三郎氏には「先見の明」があったと捉えられるが、先に述べたように、好奇心旺盛で新しいもの好きな性格が高じてのことではなかっただろうかと、高橋社長は語られる。
燕三条には、めっきならめっき、研磨なら研磨など、顧客の要求に応じて一工程から複数工程を行う工程外注の専業企業と、マシンニングセンターといわれるような保有する設備で図面通りの穴あけや研削を行い、機械加工を中心に行う企業が集積する。高秋化学では、初代が研磨をやっていた名残から、現在も尚、めっきに加えて研磨作業(主にめっき後のバフ研磨)も請け負っているが、そうした企業は珍しいという。
精密部品へのめっきについては、H-IIロケットの開発段階時(昭和60年頃)、大手メカニカルシールメーカーが高秋化学に出入りしていた商社にめっきの相談をし、その大手メーカーからH-IIロケットエンジン部品へのめっき試作依頼があったことが始まりだという。元々は別のめっき屋で試作をしていたが、そこでは求められる性能が得られなかったため、他のめっき屋を探してていたところ、その商社が高秋化学を紹介したという経緯がある。
その後、NASDA(現JAXA)からの依頼があり、それ以降も継続してロケットのエンジン部品や航空機エンジン部品のめっきを行ってきた。このようにして、宇宙航空関連産業との関係性を築きあげてきた。そもそも、なぜNASDAから声がかかったのかをお聞きしたところ、一言でいえば「巡り合わせ」であり、当時、ロケットのエンジン部品への特殊な貴金属めっきができる企業を探していたNASDAが、高秋化学の評判を聞きつけてとのことである。
高秋化学では、もともと真鍮材や銅材、洋白(いわゆるニッケルシルバー材のことで、昔はこの洋白材で洋食器を製造しているところが多かったとのこと)などで作られた洋食器に必須の工程であった銀めっきや金めっきといった「装飾めっき」を施す仕事を請け負っていた。だが、時代の移り変わりとともに洋食器の需要は減少し、それに伴い、めっきの需要も減少した。そのうちステンレス製の洋食器が世に出てきて、「単価も安くあがるから、めっきをしなくてもよい」というお客さんが次第に増えてきたという。このような状況下で、「これから洋食器のめっきだけで食べていけるのか」と不安を抱いてた頃に、たまたまNASDAから依頼があり、その話を受けたそうだ。
その時から、「機能めっき」への挑戦と高度化が始まる。顧客要求の機能に合致するめっき皮膜を析出させるためにめっき液の建浴、管理規定、工程、更にそれらを維持する為の管理基準および仕様の制定や考え方については、航空宇宙の仕事から得られたという。特に航空宇宙産業では、いつ誰でも同じ仕事が出来るような仕組みを構築するという考え方が浸透しており、それだけに誰が読んでも理解できるめっき処理仕様書づくりや文書は、ある意味では「技術継承」にも繋がるそうだ。一方では、NASDAの仕事を引き受けた当時、食器等の仕事しかしてなかった企業が突然このような仕組みづくりに取り組むのには相当ハードルが高かったのではないか、また要求される規格も、原本は英語文書からきているものも多数あるため、航空宇宙産業独特の定義や考え方についていくこと自体が大変だったのではないかと、高橋社長は当時の社長のご苦労に思いを巡らした。
高橋社長は、アメリカに7年半の留学、中国に1年半の留学をしていたことがあり、海外経験が豊富である。中学2年生の頃に、親御さんにシカゴとニューヨークへ旅行に連れて行ってもらったことがきっかけとなったそうだ。先代である現会長は、「最後は自分で考えて決めなさい」という方針であったため、自ら留学を決意。こうした海外でのご経験は、結果的には現在の仕事に十分に活かされているという。
留学当時に、ゼネラルエレクトリック(GE)社が高秋化学の監査を行う目的でアメリカからやって来ることになり、そのタイミングで当時の社長から1週間こっちに戻ってこいと要請を受けた。「わざわざアメリカから、うちみたいな20人規模の会社へ来なければならないなんて、どういう事なんだ。」と思い、そこから実家の仕事に本格的に興味を持ち始めたという。もし、このGEの監査に立ち会っていなければ燕市に戻ってこなかった可能性もあったかもしれないと、高橋社長は当時を振り返る。
帰国後は、東京・湯島や京浜島にあるめっきの学校で学んだ後、高秋化学に入社。そして、2017年1月には、代表取締役社長として就任された。その際に、社是を「Go Beyond.」にしたが、これは現状維持で満足するのではなく、更に超えていく姿勢をしめすことを高秋化学のアイデンティティにしたかったから。伝統を覆すことに成長があるのではと考えられており、100年企業にする為にも、高秋化学に対して変化と挑戦を邁進していきたいという。その考えの中でつくった新しい姿勢のひとつが、「誰も出来ない仕事、誰もしたくない仕事を率先すること」。
この新しい姿勢を示す出来事の一つとして、2022年12月14日に、3Dプリンター樹脂造形品にめっきをする技術の特許を取得。燕三条地場産業振興センターからの依頼を、他社ができないと断ってきたなかで、高橋社長は「まずはやってみよう」と引き受けた。開発当初は、メッキを樹脂に密着させることが難しかったが、2年の歳月をかけて課題をクリア。
高秋化学には、昔から「できるかどうかは分からないけど、断らずにとりあえずやってみる」という社風がある。この社風は今も色濃く残っており、DNAとして受け継がれている。高橋社長は、「私自身、どうやったら断らずにできるかを常々考えていることが、他社との差別化につながっている」という。難しいことにあえて挑戦しようという決断は簡単なことではなく、多くの人はそこでビジネスチャンスを逃してしまうが、高秋化学は決して後ろに下がらない。
「はなからできないと決めつけるのは簡単だけど、できなかったことができるようになる方が達成感は大きいし、それが後々の強みになるのではないですかね。そういう風に私の性格上、そちらの方向性にシフトしちゃいますよね。たった、それだけの差だと思うんですよね。」(高橋社長)。高橋社長は「それだけの差」というが、その他大勢にとっては「計り知れないほどの差」であるだろう。
このようにして、高秋化学は三条市内や燕市内の競合他社とはバッティングすることなく、また価格競争に陥らない方向へとシフトしている。
残念ながら今日では、めっき市場全体の需要は縮小傾向にある。高橋社長は、めっきする=コストアップになるため、どうしてもしなければ成り立たない機能などが発生しない限りは、めっきはますます省かれるのではないかと、この先の需要を見込む。他方では、以前から、めっきをしたのと同等の機能や外観を持つ素材の開発が様々な領域で行われてきた。コストパフォーマンス志向になりつつある世の中で、できるだけめっきをしたくないという考えが、一部の異業種のなかでは浸透しつつあるようだ。その反面、めっきをすることがやはりどうしても必要な場合もあるというが、その需要が拡大するわけではなければ、めっき業界の仕事はおのずと減少するだろう。
本来、めっき業などの加工業は、問屋や商社、およびメーカーが仕事を持って来てくれるのを待つというのが一般的であるが、高秋化学では、商社や問屋を通さずに、「工場直」のやり方を他社に先駆けて行ってきた。商社や問屋から来る仕事を待つだけでは、問屋側の価格交渉力が高まり、明日も仕事を持ってきてくれるという確固たる保証があるわけではない。だからこそ、高秋化学は随分早くから、特に先代の社長の時代には頻繁に、単独で展示会に出展してきた。潜在的な顧客となりうる企業とのマッチングの場において、自らの製品のサンプルやできることを示して、自ら市場を開拓していくことが必要であるという。近年では問屋の数が激減し、「工場直」が当たり前となってきているという現況からすれば、先代の社長もやはり「先見の明」があったのではないかと高橋社長は述べる。
このように、今日の仕事が明日もあるという保証が一切ないからこそ、高橋社長はBtoCへの参入も必要であると考え、ニーズを自ら開拓している。具体的には、先述の特許を取得した3Dプリンター樹脂造形品へのめっき技術を応用したサービスの拡大に加え、抗菌めっき技術KENIFINE™(ケニファイン)における処理槽の拡大や適用商品の開発強化である。抗菌めっき技術KENIFINE™(ケニファイン)とは、株式会社神戸製鋼所が開発した、従来の抗菌材の10倍以上の抗菌性と50倍以上の防かび性、さらに防藻性、抗ウイルス性を持つ特殊ニッケル抗菌めっき技術のことであり、高秋化学では2002年にケニファイン技術をライセンス取得し製造している(注3)。これまでの製品としては、病院内の器具、抗菌プレート、台所用品、健康器具等があり、また粉末そのままとして抗菌スプレーやマスク、多目的抗菌テープやインソール等に用いられるなど(注4)、その用途は幅広い。
現在は、BtoBが全体の9割を占めているため、BtoCの販路開拓はまだ不慣れとのことだが、誠実にお客さんと接することでノウハウが溜まり、お客さんに対していいもの、お客さんが欲しいものを提案していかなければならないと考えられている。HPにも記載されている通り、「誠心誠意」が創業以来の高秋化学の社是であった(注5)ことからも、何よりも誠実さを大切にしながら顧客を第一に考えるのもまた、創業時から受け継がれるDNAではないだろうか。
今後は、Bto BとBtoCの双方で「営業型の提案」を行うことで、最終的にはメーカーになることを目指されている。
BtoBの事業では、知識や経験も豊富であるため、手法や工程などの具体的な提案をすることができる。だが、現実的には、一般的に顧客が仕様や設計を決めたりする場面に、めっき業などの加工業者が呼ばれることはほとんどなく、顧客の要求することだけを、つまり顧客が持ってきた仕様通りにできるかできないかで、仕事を請けてきた側面がこれまでは多かったそうだ。これからはできる限り仕様や設計の場になるだけ参加して、提案をできるようにしなければ業界もなかなか変わらないのではないかという。
時代も変わり、ある工程を請け負う専業の企業が様々な理由で廃業する場合も生じてきており、例えば、「○○めっきが出来ます。」という提案よりも、「こういった商品を製作出来ます。アッセンブリーやパッケージングまで一貫生産出来ますよ。」と提案した方が顧客に好まれるケースが増えてきていると、高橋社長は実感されている。他の工程もできる企業となれば、めっき業者としては単価もあがり、顧客も納期短縮や運賃の削減になり、双方にとってメリットがある。
他方、BtoCにおいても、消費者に対してどのような利をもたらかを考えると、やはり機能面を重視しているものが多い。そこで、付加した機能に見合った価格設定ができるような営業提案をしていかなければならないという。このように、我々は何が出来て、新規のお客さんに対してどのような利をもたらせるという具体的提案を営業活動の中で実施していかなければ、新規の仕事を獲得するのは難しいと高橋社長は述べる。
92年という長い歴史の中で、変わらないものもあれば変わるものもある。「断らずにとりあえずやってみる」という社風や、顧客に対する誠実さは、創業時から変わらずに受け継ぎながらも、BtoCの市場開拓や特許取得など飽くなき挑戦を続けている。「温故知新」、そんな言葉が思い浮かぶ。
100年企業となるまでに既に10年を切っているが、その間にも高秋化学は絶え間なく変化し続けるのであろう。
(取材日:2023年9月6日)
【参考資料】
(注1)三条ものづくり学校HP「スプーンからロケットまで。好奇心とめっきで広がるものづくり」https://sanjo-school.net/spblog/?p=2642
(アクセス日:2023年12月18日)
(注2)三条ものづくり学校HP「スプーンからロケットまで。好奇心とめっきで広がるものづくり」https://sanjo-school.net/spblog/?p=2642
(アクセス日:2023年12月18日)
(注3)高秋化学HP「KENIFINEとは」 https://www.takashu.co.jp/koukin/
(アクセス日:2023年12月19日)
(注4)高秋化学HP「高秋化学のKENIFINE歴史」 https://www.takashu.co.jp/koukin/
(アクセス日:2023年12月19日)
(注5)高秋化学HP「会社案内 ご挨拶」 https://www.takashu.co.jp/repair-company/
(アクセス日:2023年12月19日)