日華化学 界面科学研究所 フェロー 松田光夫氏
執筆:新西誠人(多摩大学経営情報学部)
左より、新西、松田氏、中庭
日華化学は1941年に創立した界面活性剤を主業とした化学会社である。この界面活性剤は、越前の名産品である繊維の加工工程で用いられてきた。そして、天然繊維のウールと毛髪は似た性質を持つため、1981年からは毛髪の研究も行われ、主に美容室専売品のヘアカラー、ヘアケア商品やスカルプケア商品などを出している。
創業の地に2017年にオープンしたのがNICCAイノベーションセンター(NIC)である。設計したのは、建築家の小堀哲夫氏。2017年に日本建築学会賞と日本建築大賞をダブル受賞したことで、同年オープンしたNICも大きな注目を浴びることとなった。NICも2018年に日本建築大賞を、2019年に日経ニューオフィス賞を受賞している。
実際、訪れてみると「Bazaar(市場)」をテーマにした天井まで吹き抜けのオープンな空間が広がっている。オフィスのみならず、実験室もガラス張りで、秘密を漏らすまいとする研究所とは思えない。来客数も多く約2年で1万人を超えたという。研究所としては異例の数だろう。VIPが来社されたことから、共同研究につながるケースもあるという。
そんなにオープンにして大丈夫なのだろうか。松田氏は「今まで問題になったことは、ほとんどない」という。写真撮影を1階に限り、来場者情報は社員に通達される。もし何か問題があるならば、ガラス張りの実験室にカーテンをすることもできるという。
このようにオープンを進めたのは社長の「そんなに隠すことがあるのか」という意向によるという。NICができた時には「イノベーション推進部門」を作ったそうだ。部門長である社長や各研究所の所長などがメンバーであり、月1回の会議で即断即決ができる。コロナ禍を経て、今はイノベーション推進会議という名称に代わったが、同じように即断即決で進めているとのことである。
日華化学では、どのようにイノベーションを起こそうとしているのだろうか。そのカギとなるのが「遊び」だ。研究の過程において、計画通りに進めることも大切だが、遊びの中から思いもよらない発見が生まれる。新しい製品や発見は、予想していた結果と異なる瞬間に生まれることが多い。「特に化学分野では、やってみないとわからないことが多いんです。」と松田氏はいう。理論的なアプローチではすでに他者が試みた領域に留まりがちだが、遊びの中では論理を超えた発見が生まれやすい。その結果として、イノベーションが生まれる確率が高くなるという。
この遊び心を促進する一つの試みが「MO-SOミーティング」だ。MO-SOミーティングは、「妄想」を膨らませたモノづくりに自発的に取り組む、いわば放課後の部活動のようなものである。このミーティングの特徴は、特定の目的や目標をあらかじめ設定せず、参加者が自由にアイデアを発想し、それを試行するという点にある。妄想とも言えるような大胆な発想が歓迎され、これが後に実用的な製品やサービスに結びつくことも少なくない。例えば何か「課題」を持ち込まれたら、「部員」それぞれが専門とする分野の知識と技術を使って解決策を提案する。これにより、MO-SOミーティングからは、イベント中止で大量に破棄するしかなかった繊維製品のロゴを除去してアップサイクルできる技術(※)など、複数の成功事例が生まれている。
※ネオクロマト加工 https://www.nicca.co.jp/productinfo/develop/fiber/post_8.html
さらに、松田氏はイノベーションを「新しい組み合わせ」として捉え、異なる要素同士を組み合わせることで意外な結果が生まれるという。異なる背景を持つ人々や企業と交流することは、新たな遊び心を刺激し、意図しない結果を生む場を提供する。MO-SOミーティングは、企業内だけでなく、外部の企業や研究機関、そして一般の人とも連携する場としても機能する。受け入れ部門がない場合にMO-SOミーティングで受けるというケースもあったと言い、積極的に外部との交流を図っていることが伺われる。特に社員の1/6を占める研究者は、一般的にラボに閉じこもりがちである。そこで、異なる背景や知識を持つ外部パートナーと協力することで、組織に新たな視点がもたらされ、これがイノベーションの活性化に寄与するのである。
日華化学のビジネスは、長らくBtoBを基盤としてきた。特に繊維産業などの大手企業に界面活性剤を供給するというビジネスモデルで成長してきたが、このモデルには限界がある。BtoB市場では、価格競争が激化し、買い手の影響力が強いため、利益率が圧迫されやすい。従来の取引先に依存し続けるだけでは、持続的な成長を見込むのが難しくなっている。
一方で、新しい化学製品の開発には、多大なコストと時間がかかる。環境や健康に配慮した製品を開発する場合、安全性を証明するための試験や規制対応が必要であり、これが企業にとって大きな負担となる。また、開発した製品が市場で成功する保証はなく、製品化に伴うリスクも高い。このようなコストとリスクが大きな課題の一つである。
これに対し、日華化学は、一般の人なども巻き込んだオープンイノベーションを進め、新しい領域を探索し続けている。これからの時代、環境負荷の低減や持続可能な社会の実現が求められており、日華化学の持つ界面科学技術はその鍵を握る存在となり得る。オープンイノベーションと多様なパートナーシップを活用し、新たな市場や分野での価値創造を進めることで、BtoBビジネスの限界を突破し、持続的な成長を遂げることが期待される。
日華化学が培ってきた技術力とオープンな企業文化を武器に、新たな挑戦を続けることで、社会的課題の解決と企業の成長を両立するモデルケースとなりうる。今後も同社の動向から目が離せない。
(取材日:2024年9月3日)