宝塚医療大学保健医療学部
本論稿の主たる目的は、フランスにおけるアンシアン・レジーム期の体罰について考察することである。まず、予備的考察として、体罰という日本語がフランス語においていかにして表現されるかということを論じた。ついで、フランス語における体罰に相当する語の原初的な意味および内在する意味を、語源学的観点から分析した。これらの考察からフランス語において体罰に相当する語は、人が犯した悪や罪、あやまちを罰することにくわえて、悪を清算し、人間をよりよく、聖なるものへとする、いわば主体の変容という観点を含んでいたことが明らかになった。つづいて、フランスのアンシアン・レジーム期における体罰が学校教育においていかにして実践されたかを論じた。当時のフランスにおいては、キリスト教、とりわけ『旧約聖書』の影響により体罰が正当化されていることを明らかにした。このような体罰の正当化に対し、それを否定した 16 世紀の思想家にして随筆家のモンテーニュ『エセー』の議論を分析しながら、その体罰否定論を詳述した。以上のような考察を経て、体罰は、フランスにおけるアンシアン・レジーム期における教育の本質であったと結論づけた。というのも、子どもは動物のようにしつけられる必要があり、キリスト教においては、子どもは原罪のためにねじ曲がった存在であり、体罰によってより良い存在へと導いて行く必要があったからである。いっぽう、モンテーニュに起源を持つ体罰否定論は、教育思想に即座に取り入れられなかった。体罰否定論が実現されるのは、18 世紀の近代教育学の誕生を待たなければならないことを明らかにした。
キーワード:アンシアン・レジーム,体罰,キリスト教,モンテーニュ