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雪見酒


ビールを飲むとビールを飲むと小便がどんどんどんどん美くしくなる
黄色みが消え白みが消え
名づけて透明体xは太古の朝にスリップし
幾時代かがありまして今純白に降り積もる



五十路の恋路


まだ明るいうちに
右の眉根の白毛が二本から三本に増える前に、カメがウサギに追い抜かれる前に
九十のおやじが死ぬ前に、ものごころが尾骨にひび割れているうちに
君の声紋のいちいちをいちいち反芻できるうちに
まだ明るいうちに
天気雨が天気雨であるうちに、湖に吹き抜ける風がビールに澱んでしまう前に
やがて酔いつぶれ路上に突っ伏す己を思い描けるうちに、はるかがかなたを越えないうちに
君のこめかみからぼくが剥がれて干からびる前に



幻の69シックスナイン


ぼくがこの魔法の靴とであったのは、泥酔し警官に追われ結局は逃げ切ったのだが、それが現実のことなのか幻覚なのかあるいは夢の一コマにすぎないのか、おそらく一生謎のままだが、その翌朝というか翌昼だ
気がつくとビール腹のオヤジにおたまの底でほっぺたをつつかれていた
お前のイビキにはまいった、本当なら十時には店を開けるのだ、迷惑料としてポケットから五百バーツ頂戴した、これはお情けだ
と放り投げられたのがこの靴だ
晩年を走ることに捧げた輩ならわかると思うが一万メートルの記録を一分縮めるのは並大抵のことではない
ところがこれで走ってみると二分近く縮まった、偶然ではない、翌日もとの靴で走ると記録ももとに戻った、計り間違いではない
翌々朝またこいつで走れば同じ結果が出るではないか
早速二足目を求めて太鼓腹のオヤジをたずねたが、そいつはとっくのむかしに潰れたさあ、と不敵に笑いおまけに手鼻をかんだのだ、話はこれで終いだがこの靴の商標は69シックスナインという
ナイキの靴でかかとをいためミズノの靴で膝をやりアデイダスで肉離れ、こいつらはおなじ穴のムジナだ、足より靴をいたわって靴より金に寄りすがる
さようなら、ナイキのぼったくりシューズ、69の奇跡を体験してからあと靴底が減るのが怖くて履くことはできても走り出すことがどうしてもできない、さようなら、アデイダスの上げ底靴
あしたからぼくは、裸足で走ります
 
 
 
雨と死と祈りと

 
雨が降ると蛍の光を歌った
薄暗い茶の間に仰向けに寝っころがって窓の外を眺めて歌った   
いつも一人だった
八月に雨が降っても歌った、一月に降っても歌った
年がら年中降りさえすればお構いなしに歌った
調子っ外れの歌を歌うなと兄に頭を蹴っ飛ばされた
それでも雨が降れば澱んだ茶の間の板敷きに横たわり祈った
そして泣いた


祈り


年を取るに従い月日の流れが速さを増すように感じる事態というか現象は容易に説明がつく
一年間の記憶量を1と定め仮にxそれまでの総記憶量をyとすればy割るxが一年間の速さ年速になるわけで
例えば四歳児が味わう一年の速さは4割る1イコール4年速、ぼくの現在五十三歳なら53割る1イコール53年速                      
ぼくはこの今を四歳の時の4分の53倍のスピードで生きていることになる
もうだいぶ昔に見たテレビだが人類の直接の祖先ではないナントカカントカ原人は感情を持っていなかったのだそうだ
ぼくらは戦後民主主義教育を真っ向から受け止めた世代だが、ヒトと他の動物の一番の違いは感情を持っているか否かによると習ったような気がするのだが記憶違いだろうか、象や豚や猫や家鴨に感情がないとは思えないが感情を記憶を認識する力、あるいは過去と未来に支配される心と言い換えれば納得できないこともない      
ナントカ原人は怒ることもうれしがることも妬むことも悲しむこともないのだから何かを記憶する必要はない
殺しあう必然も道理も義務も権利もな~んにもない
ただ仲間が死ぬと花を捧げて踊り弔うのだそうだ、それは感情から生じる行為ではなく祈りの一形態なのだと、祈りに似た感情をあえて捜せばいとしさではないかと
ナントカ原人にとってぼくが五十三年を消費して発見した光陰矢のごとしの定理は無味乾燥なものとなる 
彼らは刹那と刹那の間隙をつまりは永遠を生きたのだから



目覚める前の目覚め



浅い眠りの中で君のことを考える
とても幸せ
君がぼくの隣にいるような気がして
雀の鳴く声があしたの方から聞こえてくる
ずっとこうしていたい
このままうつらうつら君を感じていたい
ぼくはうつらうつら寝返りを打つ
君のうなじが宙に泳いだ



雨が雪に変わる朝


寒くなった寒くなってきた
ああ、起きたくない
あしたはもっと寒いんだ
寒くなった寒くなってきた
へその芯からかじかんで
君がどんどんちぢこまる
寒い朝は為す術がない
あまりに寒くて、吐息も凍えて
君に振られてしまいそう



ナワトビ


いとしい人が死んだ
橋から飛び降り水の溜まりにはまって死んだ
ぼくは堤でナワトビをしていた
位置関係からいってその人は、飛び降りる直前にナワトビするぼくの後姿を目に収めたことになる
ぼくはナワトビをする、きのうもしたし、きょうもしたし、あしただってする
いったいあと何回飛べば、ぼくは地球を一周し
あの人を、抱きかかえられるか



あしたは


絵を描こうと思います
近くの雑貨やさんで画用紙を買って、裏の山の方の景色のいい所を捜し歩いて
一日中かかって、一所懸命に



首の解放もしくは開放そして快方


腰部変形性脊椎症の診断を受けるだいぶ前から腰が思うように回らないのに気づいてはいた、が、生活に支障はない
強烈な痺れがへそから足の指先に向かって拡がり四十八時間部屋の中を歩き回った時はどうなることかと思ったが、痺れが去ってしまえばどうということはない
野口みずきのようなフォームで人より速く走ることもできた
が、左側へはごく普通に折り曲げられるのに右側へは一ミリたりとも腰が曲がらない回らない動かないと分かった時は驚いた、えつ!いったいいつからなんだ?
即、その日から腰を回し始めた、右側へは動いてくれないのだから半円を描くようにしかならないが、暇にまかせ酔いにまかせ昼夜兼業でアクビが出てもオクビが出ても辛抱強く続けた
小便の前に回し糞をひっては回し飯を食らっては腹ごなしに回した
だんだんだんだん半月が満月に移行していく、束縛されていた首が自由を謳歌し始める
油を差した車輪みたいにロウを塗りたくった障子のように軽やかに回りスムースにずれる
凝り固まっていた人生がどんどんどんどんほぐれていく、知人に貸した七万バーツのことなどどうでもよくなってくる
大切なのは腰のグラインド、もっと大事なのが首の回転、ぼくの腰は首はもっともっと解放もしくは開放されていく予感がする
気分の良い宵にはジプシー ローズばりに悩ましくキメル
ただ、首が快方に向かうにつれ性欲が減退するように感じるのは、単なる錯覚かあ?



机と椅子


もしも机と椅子があったなら、ぼくの円形脱毛症はこんなに大きくはならなかったろう
部屋にいるほとんどを布団に伏し、時々起き上がってはそいつを点検する、そんなありきたりとは言えない日常が少しは変わるだろう、エロ本に埋もれることもないだろう
机と椅子があったなら、腰かける、息を吸い、そして吐く
ああ、新しい世界! 万年床に横たわり、きょうもあしたに懸想する



眠れぬ夜は


眠ろうなんて野心は抱かず、尿意を覚えたら躊躇なく立ち
心置きなく寝返りを打ち、過去を検証しては、心行くまで落ち込み
手を替え品を替え手枕肘枕をして、将来を見積もり
右脳で興ざめ左脳で青ざめ
ご破算で願いましては、なぜかせんずり
こうなった以上、思うに任せぬ人生を祝してストレッチを一時間
さらば、夜明けともに走り出すのだ



何の脈絡もなく


つい今しがたほんの二、三秒前に見た夢なのだが、願いが叶い和姦した夢なのだが、その相手が分からない
幾多の障害を乗り越えついに結ばれたという感慨を抱いたのだから長年の知り合いだろうに、影も形も再生できない
そんな夢なのに立ってもいない、いや、立つには立つのだ、その気になれば
昔、若い頃、時々、たとえば
赤信号を待っている時とか、湯船に浸かっている時とか、カツ丼なんかを食っている時に
唐突に、何の脈絡もなくアレヨアレヨと勃起してしまうことがあった
それとは何の因果もないが、やがてまもなく唐突かどうかはさておき
何の脈絡もなく、ぼくは死ぬ



ある雨の日の情景


雨が降ると、とりとめもなく雨が降ると、ぼくの心は幼かった頃に帰っていきます
雨音が屋根に響くと母の吐息がそよぎます
ぼくの周りを雨はすべて被い隠してしまい、ぼくはとりとめもなく、詮方もなく
容赦なく雨は降り続き、目蓋は熱く厚くなり、掌はいつしか熱をおび
雨の音を聞きながら炬燵に眠ってしまいそうになると
記憶にないはずの情景へすとんと落ちていくのです
そして、いつかは帰って行くんですね
雨で魂が洗い流された、のっぺらぼうの世界へ



ポロポロ


ぼくは枕をしない、畳の上に、あるいは床に直接、時には大地に、毛布一枚拡げてあお向ける、大の字がぼくの究極の寝姿だ
ぼくは寝返りを打たない、踝で大地を抱え、尾骶骨で交わり、脊柱でそのエネルギーを感じるために
枕は高すぎても低すぎてもいけないとテレビが言った、低すぎると血が頭に滞り顔は浮腫み脳内出血の遠因にもなる、そこで理想の高さを論じていたが枕にゃ端からそんなものは存在しない
枕がなければ、頭に溜まった血は後頭部から大地へ流れ込み地球の深淵を廻りリフレッシュして土踏まずに帰ってくる
貨幣経済以前、人類は枕を持たなかった、夜毎よごとに金銭の勘定をせざるを得なくなってヒトは頭を高くしないと眠れなくなった
確かに大地にすべてを委ねた姿勢は金儲けの算段には不向きだ
と言って、ぼくは枕を侮る者ではない、本を読む時は枕を二つ重ね上の方を更に二つ折りにする
そして、今生きてるということに、ここに在ることに、刹那のない永遠/つまりは死の恐怖に
耐え切れなくなってしまった時は、枕を懐に強く強く強く抱きしめ
ポロポロ、ポロポロ、ポロポロと
意味にならない音声をこぼし続ける



氷水


もうすぐ夏休みが来る、ぼくは氷水、舌を真っ赤にして氷水をのんだ、通りに出してある細長い台に座って
氷水やのおばさんは手桶で水を撒く、ケチ臭く甘露をかける一人暮らしのおまっちゃん、今年の冬乳ガンで死んだ
もうすぐ夏休みが来る
ぼくは氷水
幼い頃の日向臭い思い出に冷えながら知らない店で氷水をのむ
今度の夏休みがぼくの最後の夏休み



思春記


アキレスの話を大関先生から聞いたのは高校一年の時だ
大関先生は端整で四角い顔をした大学を出たばかりの国語の先生で大関という名字がよく似合った
これは本来なら世界史で扱う材料だし、現国の授業は担任の金井先生から受けていたのだが、何らかの事情でその日先生はぼくらの教室に現れた
そして、スタート位置をずらしてやりさえすればカメはウサギに際限なく追いつかれはするけれど追い抜かれることは永久にない
このアキレスの論証をくつがえす定理は未だ発見されていないのだ、と口にアワをとばした
その夏休み以降彼女は学校へ来なくなった、色んな噂が飛び交ったが、そのどれをもぼくは聞き流した



宝くじは買わない


が、今日のコンサートの一番星だ、とてつもなくシャイでシャレている、と高校一年の時の日記帳にある
これはこの前死んだ清志郎の曲のタイトルだが、今はもう歌詞もメロディーも思い出せない
宝くじに当たったら結婚しよう、五十の時ものごころがついてから初めてのプロポーズをタイ人女性にした
当たらなくてもかまわない、相手は答えたが、日本に帰り半年働いて戻ってみるとうやむやになっていて、まもなく会うこともかなわなくなった、実際に当たっていたらこんなふうにはならなかったと、何度独りごちたことか
彼女は手の指のように長く自在な足の指を持っていてぼくをそそった、それを口にすると、このことだけは母親に感謝している、去年死んでしまったが時々指先が疼いて仕方がなくなる、間違いなく母の魂の仕業だ、と宙に掲げピアノを弾くみたいに動かしたのだが
死んだら無、あの世はない、お化けはいないし、魂もない、それこそものごころがついた瞬間からぼくはコチコチの無神論者だったはずだが、それもありかもしれない
ぼくをぼくたらしめているものは我思うゆえに我ありの我だけではなさそうな気もする
ぼくの見る夢は脳と魂の協同作業なのかも知れない、虫の知らせは魂のしゃっくり、逢魔が時は魂の居眠り時、キレるのは脳と魂の連係ミス
ぼくは夢想する、のたれ死ぬ前に買った宝くじが当たっていたと、ぼくから離脱した魂はきっと宝くじに宿るに違いない、運良く死体は発見されどこかに収容されたとしよう、宝くじがただの紙きれなら係員によって一時保管されるだろう、だが魂入り宝くじはその手をすり抜ける
風に吹かれ雨に打たれ雪に埋もり川を下り凪に舞い雲に乗って、この世をさすらうのだ
土の匂いにむせび草いきれに欲情し月夜の冷たさに張り詰め母の温もりに吐息しパクチーの香りに鼻腔をくすぐられるだろう
焼かれて灰になり消滅したはずのぼくが、微かに密かに密やかにそいつを咀嚼する
そして、引き換え有効期間が切れる日、魂の抜け去った宝くじを側らに残し
ボクハホントウニキエテナクナル



嵯峨野めぐり


ひとりだったから歩いたんです
話しかけられる人などいないから急ぎ足だったんです
足が痛いなと感じてもただ歩くしかなかったんです
高山寺の参道も大覚寺の境内も風のように通りすぎたのでした
どこかに腰をおろして一息つく、そんな余裕はなかったんです
のんびり歩くのが苦痛なほど、ぼくはいたたまれなかったんです
足に肉刺ができ破れそれでもまだ歩いたのに
バンドエイドを買って貼りそれからもまだ歩いたのに
ひとりだったから歩いたんです
駆け出しそうになるのをぐっとこらえて急ぎ足だったんです



夢うつつ


あと十年すればぼくは二十八になって、
今でも年寄り臭いといわれるぼくは、もっと老いぼれてしまうのか
結婚して子供くらいいるかしら
あと二十年すれば当然のように三十八で
ああ、あとたった二十年でもう三十八
それでも死ぬのは怖いだろうか、死はもっと生々しいのか
緑は残っているか、資源不足で侵略戦争でも起きるかしらん
地球はあるかしら
あと三十年すればぼくは
ぼくをどうにもできなくて
四十八なんてちゃんちゃらおかしくて
ぼくがぼくに思考停止し
夢うつつ夢うつつ
夢よ醒めろ!
夢うつつ夢うつつ
夢が終わった
@この時五十六歳の自分を想像するのは不可能でしたが、こうして生きているところをみると夢はまだ覚めていないようです



心静かに


いつものように二十時に床に入りそしてもうすぐ四時になるというのに、まだ一睡もできていない、うとうとさえしない
こんな夜はイライラしてたとえばチキンラーメンを食うか食わないかで三十分は心の葛藤があるのに、今夜は空腹を感じない、というか空腹に思いが至らない
普段なら四時に起きてストレッチをし走りだすのだが、雨も少しの熱も睡眠不足も厭いはしないのだが今朝はさぼろう、このままがいい、夜が明けぬのならそれもいい
おいらもいつのまにか五十五になり、この三年の間に兄が死に父が死に友が死んだが、その死を実感できず時々怪訝に思うのだった、ざっくばらんに言ってしまえば、母が死んだ時のような悲しみも慟哭もないのだ、毎日の訃報欄のようにその死はあっというまに通り過ぎた
ところが今夜はどうしたことか、彼らとした話やした事や彼らの身振り手振りが次から次へと浮かんでくるのだ、思い出そうとしなくても、あれっ、こんな事あったっけ?なんてことがてんでんばらばらに脳裏をかけめぐるのだ、相変わらず悲しみは一欠けらもないのだが、そのせいだろう、心は実に安らかだ
もうすぐ五時だがやはり夜は明けるだろう、こんな夜はもう二度とないのではないか、夜が明けても心は安らかだろうか、このまま起きてしまおうか、それとも一眠りすべきか、てなことをあれこれ考えているうち、確かな睡魔がやってきた、その時だ
心静かに、と彼らが言った



至福の雨


今日は雨の降る日、ぼくは家にいる日、夜まで止みそうにない、十時まで寝ていよう
今日は雨の降る日、座布団を五枚重ねて座って馬鹿みたいにぼんやりと外を眺める日
あんまりだから電話する、三十分は話そうと思ったのに十分で終わっちゃった
今日は雨の降る日、お昼にまるはのソーセージを炒める日
あんまりだからたくろうを聴く、五分とたたぬうちに眠っちまったぜ
ぼくは一日パジャマのまま、雨はまだ止まない
今日は雨の降る日、ぼくは家にいる日、雨の匂いに君を想う日



リヤカーを押す


ぼくがタイを好きなのは屋台のせいなのではないか、人のある所必ず屋台は出る、小便の時が少々厄介だが飲むのは屋台だ
昼間の商売を終えた屋台が引き揚げていく、母親が引き女の子二人が後を押す、ようし、それ行け!と心の中で叫ぶ、ベロンベロンの時は~それは昨日のことだった~加勢にだってつく、突然の闖入者に女の子は目をまんまるにし、屋台のおかみはすわ飲み逃げかと目を三角にした
昔うちにはリヤカーがあった、河川敷には畑があった、小学生のぼくは幾度もリヤカーを押した
理不尽にそれこそ理不尽におやじに殴られたその午後も、切れるように冷たいあぶら川の水で洗った大根を積んだそれを
ためらいなく、何を疑うでもなく、突き抜けた空に向かって押した



夏は来ぬ


梅雨空に傘を差し~ひとりで歩いていた
湿ったベッドに横になり~何時間もそうしていた
そしてもう夏
太陽の陽にすべての物体は輝き、ひとびとは明るく笑い
開放の光はぼくの住む町内にも押し寄せ
容赦なく飲み込もうとする
けどおいらは飲み込まれもせず、アッチーチチチーアチとランニングまで脱ぎ
ちゃぶ台に尻
乗せている



寝袋にこんがらがって


ぼくの初めての海外旅行はインドだがその時樋野さんから寝袋を借りた、いや八千円で買うということになった、ボルテージが上がると吃った、いや上がらずとも吃っていた樋野さんは、ある時期、某有名エロ雑誌のハメ撮りのコーナーを受け持っていたらしい
この情報をもたらした安斉も、樋野さんも、某映画専門学校の同級生だが、そこを出て何年過ぎたのか、八広に閉塞するぼくを不意に安斉が訪ねてきたことがある
二人は痛飲した
気がつくと吉原大門警察署の豚箱の金隠しのない便器に跨っていた
調書を取り終え部屋に戻るとぼくが履いていた下駄を胸に揃え安斉が眠っていた
ーもうすぐ二千年だから
何年か振りに安斉から電話があった
ー近いうちに会おうよ
ーいや、だめですよ、太っちゃって、みっともなくて会えませんよ
ーじゃあますます村上龍に似てきたんじゃないの
ーそれどころじゃないですよ、大乃国ですよ、大乃国
村上龍と大乃国が似ているとは思えないが、安斉とはそれきりだ
捨てた記憶も誰かにやった覚えもないのに、樋野さんから買った、まだ未払いの、一度も使うことのなかった寝袋は消失した
一年前必要に迫られ寝袋を買った、安かったせいかその寝袋にはフードがないが、中は思いのほか広いのだ
今ではすっかり寝袋にハマッテいる、ホテルに泊まる時だって寝袋は忘れない
包まるとおのずと観念できるのだ
どんなに酔って帰っても、意識が砕け潰れても起きると寝袋の中にある
弾け散った意識が寝袋にこんがらがって、ぼくに寄り添っている



台風一過


寝床に入ると川の流れる音が聞こえてきた
今日の昼前台風が通り過ぎたから
河原の方はどんなふうになってるんだろう
台風一過の朝は早起きをして朝ご飯も食べずに河原へ飛んでいった
空は青く晴れ上がって、置いていかれた風が仕方なく吹いて
ぼくはいつまでもゴオーゴオーって流れる泥色の川を眺めていた
堤防の脇の清水が湖のようになった時があったっけ
澄んだ水面に太陽の日がこれ見よがしに光っていた    
寝床に入ると川の流れる音が聞こえてきた
今、台風が通り過ぎる
今、清水湖がぼくを通り過ぎて
遠くへ遠くへ、手の届かないところへ行ってしまう



真空地帯


風に吹かれて紙きれが飛んでいった、このぼくを置いてどこかへ行ってしまった
ぼくのポケットには何にもなくて軽いはずなのに、風は冷たく触れただけ
いったい紙きれはどこに行ったのだ、誰も知らない遠くの街だ
ぼくの懐には未練も懸念もけれんもないのに、風は冷たく触れただけ
四十年前に書いた詩が唐突に甦り、と同時にあの紙きれはぼくだったのだと知らされた
十五のぼくは紙きれになってでも遠くへ行ってしまいたかったのだろう
そしていつからかは定かではないが、ぼくはあこがれの街にいるらしい
酒はうまいしネエちゃんはきれいで、義理もしらがみもついでに恥も外聞もないが
まだあの世ではないらしい
時折真空地帯に吹き飛ばされた紙きれにでもなってしまったような
震えようのない寂寞を覚えるのだ、それは小さい頃周期的に襲われた死の感覚に似ていないこともない
それに比べりゃ屁みたいなものさとついさっきも呟いたたのだが



牛舎


牛舎は臭い
五十頭はいる大きな牛が次々と迫力のある放尿放糞をし、ぼくの一週間分位の糞を一度に出してしまう
ぼくは毎朝五時半に起きちびた竹箒でもってそいつを始末するのだ、夕方の四時にもそれと同じ事をする
時々、尿と糞に存分にまみれた自由奔放な牛の尻尾に顔を激しく殴られながら
ぼくは十日間、電話帳にあった牧場に押しかけ殆ど声を発することなく働いてきた
ノン子ちゃんはどうしているだろう
林さんはあれからも一日欠かさず五時半に起きて、林さんより大きな奥さんの愚痴に合いの手を入れては、躍動感溢れる指使いで乳を搾っているのだろう
呑気なノン子能天気
と、奥さんはノン子ちゃんを起こすのだったが
まだ二ヶ月と経っていないのに赤い屋根の牛舎は十年も昔に行ってしまったし
あれほどイヤだった牛舎の匂いも忘れてしまった
あの時着ていたヤッケを着ても帰ってきてすぐに洗濯したから匂いなどしない



歓喜のうた


死んだら何もなくなってしまうんですね、でも今は生きているんです、不安だって苦しくたって何もないよりはまし、心の底からこう考えられたら素晴らしいですね、そう生きていること自体に喜びを感じられたら
小学生の時の出来事を思い出すことはできる、でもその時の心情は思い出せない、やたらとぼんやりするばかりでその時の心情になんかなれっこない、今しかないんですね、今を精一杯やるかどうかは別として、今が楽なのが一番いいです
ただ生きていくより仕方ないのかもしれない、時には平安を持ち、時には押し黙り、時には笑い、時には憤り、ただ漠然と生きていくしかないのかもしれない、不安に満ちた心臓の鼓動を理性で抑えることなどできやしないのだから
それでも死ぬよりはよかんべと軽口が叩けたらどんなにか楽か、人間なんてみんな同じですよね
と、身と心で瞬時に知覚できた時、身も心も歓喜にふるえた



数える


わたしは毎夕、ナワトビを六千回する者だが、数える
百まで数え一に戻り、それを六十回繰り返す
数えると疲れない、つかえない、六千回を跳ぶには四十二分かかるが
数えなければ十分と跳んではいられまい
わたしの不眠症はそんじょそこらのものではないが、数える
同じように百ずつ数える、数えたからといって眠れるわけではないが
眠れなくても数える、眠れないから数える
数えるといつのまにか唱えてる、そうこうしているうちに祈ってる
わたしは<数を数える教徒>なのだ
信じがたい津波に何人もの人が飲み込まれた時も、数えた
ただただ数えた
数えたところでマグマはマグマだが、己の卑小さにおののき、頭を垂れる
ことはできる



君のせい


きのうぼくは空を飛んだ
あのイヤな学校が小さく見えた、あのイヤな奴らが小さく見えた
イヤなものすべてが小さくなって見えなくなった
きのうぼくは空を飛んだ
魔法のじゅうたんで一休みした、小鳥のさえずりがこだましていた、犬の遠吠えも馬の嘶きも
ここではさえずりに変わってしまう
さよなら放送<帰ろ帰ろ>の歌声も選挙カーががなり立てる声も
さえずりとなって立ち昇ってくるのだった
腹も減ったし
昼なんだか夜なんだか朝なんだかなんだかさっぱり分からぬ妙な雲行きになってきたので降りようとしても
身体が勝手に跳ね回ってなかなか降りられなかった
下界は美しいのかも知れなかった
そうさ、君さ
ヒトの分際で空を飛んじまったのは、君のせいさ



新しい朝 <あした>


#気がついてみたらぼくは笑ってた、云々~という歌を昔作った
気がつくとをタイ語で言うと、เมื่อรู้ตัวแล้วだ
ぼくはアル中ではないが酒乱だから、泥酔すれば大手を振って意識を失う
泥酔せずともビールを五本飲めば意識はとぶ
気がつくと山手線内回り電車のつり革に摑まっていた
時計を見ると九時を回っている
いつどこで乗車したのかまったく覚えていない
満員電車に揺られた、ような気がしないでもない
鶯谷でラーメンを食べたのは零時前だった
その間どこでどうしていたのか?
ついつい深酒してしまうのは、気がつきたいからなのか
とにかくつり革を握り締めていたのだ~気がつくと~西船橋駅ホームのベンチの上だった
なんてこともあった
もう四十年近く前の話だが、起きるとと言い換えてもいい
ぼくの中では気がつくとと起きるととは同義語だ
吉田拓郎の歌に新しい朝<あした>というのがあったが
ごくごく近い将来、ひょっとしたら明日
起きることも気がつくことも、そして気がつかないこともない
新しい、まっさらな朝がくる



アル中楽天家ルー・ジャクソン


ルー・ジャクソン、1935年米国ルイジアナ州に生まれる、昭和41年から3年間サンケイアトムズの外野手として活躍、昭和44年5月17日午前0時5分急性膵臓壊死のため東京西新橋の慈恵医大病院にて死亡、33歳黒人
記録を調べてみると、彼から1年遅れで入団したデーブ・ロバーツの方がずっと上だが、何でもないライト前ヒットなのに素知らぬ顔で2塁へ突進する無謀な走塁と、時折バックスクリーンに叩き込むピンポン玉のように空高く舞い上がるホームランを覚えている人は多いと思う
親類がなかなか現れず仕方なく球団が葬式をだしたが、その時の監督別所毅彦の弔辞は楽天家のルーというフレーズで始まる
楽天家のルー、お前は他国で一人死んでいった
楽天家のルー、お前のディナーはビールに焼き鳥
人は誰もがお前を楽天家という
ひとよんでアル中楽天家
ルーの内臓はめちゃめちゃだった
お人好しのルー、お前は人を疑うことに興味がなかった
お茶目なルー、ホームラン賞のビールを大事そうに抱えて
誰もお前を憎めなかった
誰一人お前の飲酒癖には立ち入れなかった
女好きのルー、堀の内やすらぎ館がお前の寝場所
おとぼけのルー、お前にゃ妻子があったはずだが
ひとはみんな口を揃えて言う、楽天家のルーと
さようなら、あの無謀な走塁で天国の遥か彼方へ駆け抜けてくれ



雑詩週間東京    昭和49年6月29日号


<月>どうしてこんなに人がいるんだ、すべての車両が人で埋まってるんだぜ
電車は五分置きに来るんだぜ、線路は無数にあるんだぜ
地球上の人間がみんな集まっても、こんなことありえないんじゃないのか
<火>一つの車両に何人いるんだ、百人ぐらいかい?
みんな知らん振りだぜ、俺だって知らん振りさ、知ってる奴なんて一人もいないんだからな
目の前におふくろがいても知らん振りだったりなんかしちゃったりして
<水>来る電車来る電車満員じゃねえか、一千万個ののっぺらぼうの顔
でもそれぞれが一つの空間を持ってるわけだろ?百個の空間の押し合いへし合い
えっ、どうだい、俺ののっぺらぼう振りは、俺の空間は他の奴らのより魅力的かい?
<木>アパートは蒲田だぜ、会社は萱場町だぜ、給料は五万六千円
上京して三ヶ月、一週間前堀の内で男になった
夕べはコロッケを買いポテトサラダを作って食べた
<金>女を見れば触りたくなる、ある種の女を見るとオートマチックに勃起する
ある種の男を見ると殴りたくなり、ある種の年寄りは蹴飛ばしたくなる
一ヶ月前、初めて入った店で右翼の男に殴られた、絡んだそうだが覚えちゃねえな
<土>西銀座デパート前の広場で浮浪者風の男が酔っ払って何か喚いているが聞き取れない
誰もその男に関心を払おうとはしない、俺にはそのエンギが鼻についた
今日は半ドンで昼飯にビールを四本飲んだ、ワンカップ片手に酔っ払いを見ていたわけだが、エンギなんかじゃなかったようで、ベンチから崩れ落ちるようにして寝ちまったぜ
こらえ切れずに花壇に向けて放尿する、誰もこっちを見なくていいぜ、立小便はエンギだがこの小便は本物だもんね
<日>どうしてこんなに人がいるんだ、日曜日だっていうのによ
えっ、何だって俺は電車なんかに乗っかってるんだ、仕事はもちろん休みさ
満員電車に化かされちまったのかな、俺はどこへ行くんだい?



待つ


ただ待っていると書いてみたかった
待つことは希望だから、生きてることに他ならないから
待っていると呟いてやさしく自分を慰めたかった
今の好い加減な生活に、中途半端な心に
怒ることも笑うことも泣くことも叫ぶこともできぬ、ぬけがらのような自分に
待っていると言い聞かせ逃げ道を与えたかった
どんなにがむしゃらに働いても、どんなに無心に快楽に耽っても、どんなに一心に愛しても
死なない限り、死を待っている日常からは脱却できない
それがどうしたといわれればそれまでだが
あの時は確かに待っていた、そして今も待っている
だって
待つことは希望だから
生きてることに他ならないから



クリスマスおめでとう、そしてよいお年を


早朝空腹に目覚め、いつのまにか降りだしていた雨が腹の奥に強く弱く響く
この雨はきょう一日止まないだろう
きょうできることと言ったら、部屋の隅に寝転んでぼんやり外を眺めることくらいで
そして雨の音に惨めで愚かな自分を嘆くのだ
ああ!どうしてこんなになってしまったんだろう
ぼくはあれ程好きだったのに
考えてみればきょうはクリスマスイブ
考えなくてもあしたはクリスマス
ぼくのどこがなにがいけなかったのか
メリークリスマス
いつまでもどこまでも想い続けてやるさ
そしてハッピーニューイヤー



十八歳、念じる


ひとりぼっちだといった、親も兄弟も付き合いのある親戚もいないといった
お風呂が好きなんだ、ぬるいお風呂に何時間も入ってアイスティーを飲むのが好きなんだ
小説より詩を読む方がしっくりするともいった、でもサガンはいいと、サガンはエリート意識が鼻についてキライだというと、一人でたとえ恋愛はしても最後は一人で強く生きようとするのが好きなんだといった
この六月で26になると、この仕事を始めて四年が経つと、あと半年働いたら小さなお店を出したいと、でも辛い惨めだ、一人でいるとわけもなく悲しくなると、まわりの女と話していると何もかもがむなしくなると、これでいいと思ったんだ、バーやキャバレーで働くよりこの方がいいと思ったんだ
ぼくが初めてだといったら、じゃあヨボヨボになってもわたしを覚えているかも知れないわねと笑った、どっちがと聞くともちろんあなたよわたしはヨボヨボにはならないものと今度は声にだして笑った
何をどう血迷ったのか、その最中にベラベラと喋りまくってなかなか終われないでいると、喋っちゃダメ何も考えないのこの事に熱中するの、黒目がちの目でまっすぐにぼくを見て諭した
朝がつらいといっていた、こんな所には来ない方がいいというような事を二度か三度はいった
あとから気がついたのだが彼女は名刺をくれなかったし、最後まで源氏名<なまえ>をいわなかった、それから半年の間にその店に四回行った、指名はできずとも念ずれば、彼女に当たるように思えたから



息子よ


もうぼくも年だし、最近、死ぬ間際に何て言おうかなんてことよく考えるんだ、という息子の声が聞こえてきた
俺の血が流れている息子ないし娘がこの世にいる確率は0と言い切っても罰は当たらないくらい限りなく0に近いから、これは夢か、俺自身のデッチあげか、神様のヤラセだ
正直に言いましょう、おとうちゃんは数々の嘘を重ねてきました、今度は、二年か三年か四年前に死んだ親父の声だ、和解の手を差し伸べてきたのだろうか
親父のいる家の敷居は二度とまたぐものかと固く誓ったあの夜のことは今でもよく覚えている、覚えちゃいるがすべての敷居を勘定にいれれば一千万回はまたいだろう、敷居を枕に寝たことも何回かあった、小学校の低学年までは尊敬すらしていたのに、ある人に言わせると俺の後姿は親父に生き写しらしい、一般的には年を取れば取るほどに父親の気持ちが分かってくるらしいのだが、別に喧嘩したわけじゃないからな、和解も誤解も後悔もない
それに比べ母親は、一番大切な人だ、一番に愛した人ではないが断トツで好きだった人だ、唯一人心を許した人だ<当たり前か、オッパイ飲んだんだもんな>今も許しを乞いたい人だ、新派くさくなってきたが、おふくろが死んだ時、これで自由だ、誰憚ることなく変態になれる、と思ったのも事実だ
おっと息子を忘れていた、限りなく透明に近い存在の息子よ、死に行く時の捨てゼリフは決まったのかあ
僕って何?



目覚めぬ朝に


目覚めぬ朝はどうしようもない、ちんけな夢でも見るしかないが、夢は生モノナマケモノそうは問屋が卸すまい、ここまで考えて詰まった
目覚めてないのなら考えられないんじゃないか、とすればこれは二重構造の夢だがそれは俺の十八番だが、いつもと様子が違うぞ、普通ならば夢のまた夢と気付いた時すでに覚めているはずなのだ、ところがほっぺたをつねろうにもそのほっぺたがないぞ、人差し指も親指もないぞ、俺の本体が実体が肉体がないぞ、俺は息をしてないぞ、俺にあるのは意識だけだ、その意識が洞穴に吹くような風に浸食され震えている
俺は死んだんだろうか、ならこの意識は何者なんだ?
成仏できないというのがこれなのか、どうすれば成仏できるんだっけ、死んだら無だとばかり思っていたからそこいらへんのとこ勉強してないからな
息をしてないせいか意識が喘いでるぞ、この状況を何とかしてくれ、死なせてくれ、それができないなら生き返らせてくれ、ええい、死にたいだの生きたいだの贅沢は言わないからこの状態を終わらせてくれ
これが例のブラックホールか、俺の意識はブラックホールを落下しつつあるのか、そしてこのままどこまでもいつまでも落下し続けるのか
ガキの頃に見た夢を思い出した、果てのない荒れ地に俺は一人ぽつんといる、俺の横には大砲があるんだ、俺は大砲を撃つ、遠くの方で火柱が上がったかと思うと俺がドカーンと爆発する、俺はまた撃つ、俺はドカーンと、あの時と同じだ、意識が不安に鷲摑みされているあの感じだ
ブラックホールに底はあったんだっけ、そこまで落ちきれば意識は消えてくれるのか
うたた寝で見る落ちる夢より怖いものを俺は他に知らなかったが、この落下感降下感はそれより怖いぞ
けどいつからこうなったのだ、この状態の始まりはどこなんだ?
そうだ、夕べだ、夕べはしこたま飲んだものな、何本飲んだんだっけ、覚えちゃねえな、どこで飲んでたんだっけ
おっ!これだ、こいつだ
俺の実体が駆け戻ってくるぞ、肉体が意識に入り込んでくるぞ、いや、覆い被さってくるぞ
おお、覚めたのはいいがよ、いい年こいて濡らしちまったぜ



そこにあるだけで


今地球をいくつの人工衛星が回っているのか、空の向こうに何個の宇宙ステーションが浮かんでいるのか、知りたいとは思わないが、宇宙ステーションでラーメンすすってもおいしくはないだろうに
この瞬間いったい何万機の飛行機が飛び交っているのか、よくぶつからないもんだ、飛行機なぞ作らなかったら堕ちることはなかったのに、妙な感心をしなくて済んだのに、空襲はなかったし、原爆は落とされなかった
空の向こうは空なんだ、海の向こうは海の向こうさ、どんなふうに遺伝子をいじっても己の尻尾の名残を振ることはできない
酒は百薬の長だが車は百害あって一利なしだ、車がなければ交通事故は起きないのに、軽く升升<二升のことね>飲んだとて酔っ払い運転は不可能だ、遠くへ行きたければ走ればいい、疲れたら休むさ
でも船ぐらいあってもいいか、海にお船を浮かばせて行ってみたいなよそのくに
蒸気船がいけない、産業革命が人類の破滅へのスピードを一気に高めてしまった
貨幣制度がいけない、お金がなければ借金苦はあり得ない、物々交換でどこがいけないのか
働かなくったっていいのだ、米を作るのを労働とは言わない、仕事でもない、この世に仕なければならない事なんて一つもない
ただ米を作るだけさ、歩くように走るように耕すのだ
保険金目当てに殺されることも殺すこともない、売買春だってなくなる、が、物々交換は残る、繰り返すが物々交換の何がいけないのか
恋する、何と身勝手な言い草だろう、愛してる、ああ何て傲慢な物言いだろう
愛さなければ失恋はしないのに、妬むことも恨むこともないのに
愛がなくてもおめこはできるのに
俺たちはそこにあるだけでここにいるだけで満たされているのに



大谷川暮秋


こんなにゆっくり歩くのは
久し振りだよ
川の流れる音がする
君の気色が揺らいだ気がして
振り返ってみたのだが
景色が流れていくだけだ
遠くに空があるだけだ
ことは終わってしまったようだ
川に紛れて渦となり
空に流れて往ったのだ



土踏まずエレジー


土踏まずはかなしい、土踏まずは土が踏めない、コンクリートもアスファルトも踏めない、踏めるのは道端に転がってる小石か犬の糞くらいのものだ
裸足で走り始めてからおいらの走力は飛躍的にアップした
走り終わったあと汚れてない部分が土踏まずだ
なのだが、洗う時、洗い落としているのは土踏まずのような錯覚に陥る
これがおいらの右足の親指だと指し示すことに躊躇はない
が、土踏まずとなるとどうもなんだかね 
検索すると足裏のアーチ形状で片足に三箇所厳密に言えば四箇所あり、なんて出てくるんだもんなあ、ただ、衝撃を吸収しバランスをとるセンサーだというのはわかる
腰から土踏まずを結ぶ二本の線がヒトの二本足走行を美しいものにしている
王貞治の一本足打法の完成は左足の土踏まずで立てたことにある、いや、土踏まずで体を支えているのだと王が意識できた時にある
おいらも着地する時土踏まずでと思うのだが土踏まずに意識を集中するのは至難の業だ、今のところ走りながら数を数えることでお茶を濁している
おいらの土踏まずはあいまいなのだ
同じようの世の中というか世の中のこともあいまいだ、世の中があいまいなのはきっと世の中のせいではあるまい、おそらく誰のせいでもない、もちろん土踏まずのせいでもない
おいらがあいまいなのはおいらのせいだが、おいらの土踏まずがあいまいなのはおいらのせいではないような気がする
土踏まずはかなしいのだ
世の中がこの世が不条理で不合理でふしだらで理不尽ででたらめでまやかしに満ち満ちていることが
あいまいな輪郭でもって、くっきりと、かなしいのだ



風が窓を叩く


音を聞いて
こんな夜中にぼくを訪ねてくるひとなど一人もいないと、これは風の音だとわかっているのに、誰かなと思ったり
風が窓を叩く音を聞いて
風のつくタイトルの曲を数え上げたり
流しに小便をし、風が窓を叩かなかったらちゃんと共同便所に行ったのにと言い訳したり
次はいつ叩くかいつ叩くかいつ叩くかひたすら待ったり
風が窓を叩く音を聞いて
こんなふうにあてどなく思いをめぐらせているひとは世界に何人いるかしら、いればいいのにと独りごちたり
つきあったたった一人の女に思いをはせ、おお何と貧しい青春よと嘆いてみせたり



パパラギ


電話を使わず手紙のやりとりだけでデートを段取りする細々としたつきあいが三年以上続き、どちらからともなく連絡が途絶え三年近く経った頃、彼女から借りっ放しになっていたパパラギというちいさな本が引き出しの奥から姿を現した、これは啓示だと思った
早速便箋に六行ほどの文章を添え送り返すと、日を置かず彼女~電話と彼彼女という表現は嫌いだと二人の意見は一致していたのでここでは便宜上ぼうさんと呼びます~日を置かずぼうさんから返事がきた、実は新婚ホヤホヤなのですとあった、五十を機にそれまでの日記ととってあった手紙は燃してしまったからここにその内容を再現はできないが、ぼうさんは結婚に失敗したのだと思った、その手紙はぼくに救いを求めているのだとしか読めなかった
104番に問い合わせてみると世帯主の下の名前まで分からないと番号は告げられないという、一時間半電車に揺られ手紙にあった何とかコーポを探し当てだんなの名前を確認した、その三日後に電話し会いたいというとぼうさんはやってきた
燃す前にぼうさんからの手紙は一通り目を通したのだがもう何も覚えていない、意外な気がして唯一記憶にあるのが、この前はつまらない映画で不愉快な思いをさせ済まなかったという一節だ、確かにぼうさんの選んだ映画は退屈だったがそんなことを気にするタイプには見えなかった、たとえ気にしたとしてもそれは自分の腹の中に収めておくタイプの人と考えていた、ぼくにはぼうさんのほんの一部しか見えていなかったのだ、だがそのことは人が人と出会って別れるのに、人が人を好きになるのに何の不都合にもならない
一目見て、ぼうさんは不幸な結婚などしていないと悟った、ぼくに助けなど乞うてはいなかった、腰が引きかけたがひるんでは悔いるだけと言い聞かせた、乗りかかった船だ、用意してきたセリフは全部ゲロして楽になるのだ、一回やりたい、やらせて欲しい、やった後の責任は持てない、やって何を感じどう思いどのような行動をとるかはやってみないとわからないから、やって何かを感じ何かを思い思った通りに行動したい、やれば視界がぱあっと広がる気がする
勝手極まりないセリフだがぼうさんが怒ったかどうかは分からなかった、そういうものにはタイミングがあると思うとぼうさんは言ったのだ、それからいくつかの会話をし店を出て横断歩道をひとつ渡って別れた
右側に去っていったぼうさんを見送って二十七年が過ぎたきょう、ぼうさんの顔を思い浮かべることができない、肌の色とか眉の形目の輝き口の在りかた、ひとつひとつなら何とか覚えているのだが、一つに像を結ばない、人の顔になってくれない、ぼうさんの写真は一枚も持っていない、写真って人の顔を忘れないためには便利なものなんだなあ
ただ、会うと肩から提げていた入り口の広い逆台形の少し大きめのバッグの柄と色は今も目にやきついている



八間道路へ


かあちゃんの帰りが待てなくて毎日毎日ねえちゃんと名無し坂またいで八間道路へ
畑に出かけたかあちゃんを涙ながらに追いかけて百円入れた封筒を涙こらえて渡したっけ
めしを炊く朝の匂いに目が覚める
土間にいる母の姿にほっとしてのどに乾きがやってくる
かあちゃん!ひしゃくで水



いずれやすらぐ


A君がガンだと聞いてほんとかよと聞き返した
末期と聞いてうーんとひとつ唸った
A君とはそれほど親しいわけじゃない、が親しくないわけじゃけしてない
いやらしい言い回しになったのはきっとA君に対し何のアクションも起こさなかったからだ
A君は死んだそうだ
早速ひとつの詭弁をデッチあげる
ガンであろうがなかろうが早期でも末期でもステージ3でもエイズでもたいした違いはないのではないか
いやあるだろうがたわいないことなのではないか
俺たちはいずれやすらぐ
やすらぎは巨人より巨大で大鵬より懐が深く玉子焼きより甘美なのだ
果てのない宇宙より広大で京マチ子より包容力があるのだ
ビックバンも、あるとすれば不幸さえ抱擁してしまう  
ヒトも犬もミミズも象もメダカも蝙蝠もシーラカンスも恐竜もお釈迦様もキリストもマホメットも分け隔てなく飲み込んでくれる
おそらくそういう年の頃なのだろう、六十を前にこれまでの人生いったいなんだったのかと考える機会が多い
残るのは悔いだけだ、俺は何も為せなかった
何人かの女を好きになったが、その誰ともやれなかった
家も車も貯金もないし、欲しいと思ったことはないが子供もないし、年金は貰えたとしても三万三千円ポッキリだ
お先真っ暗とはこのことだ、が、それほどの不安は感じない
俺はいずれやすらぎ救われる
ヒトは胎内からひりだされる時、いずれやすらぐと脳天に刷り込まれるのだ
だからどうにかこうにか、時にはラリりつつ、時には切羽詰まりながらも、生を営む



ヒロサワカツミを検索


したら、大学二年の時に帰化したとあった、初めて知ったことだ、また改名したのは知っていたが三度とは知らなかった
フェミニンのテレビCMを見て以来強くひそかにあこがれていた青木エミの元夫、井上順も何度か改名しているはずだ
キックボクサーあがりの新藤栄作が一時期改名していたのは、暇にまかせ新藤栄作と検索してみて知った
だが、新藤栄作をいくら詮索しても、草野球チーム泣いた赤鬼ウイングスで、俺とバッテリーを組んでいたとは出てこない
ヒロサワカツミをどのようにクリックしても、吉原は某店の某女が彼の大ファンでそれでおいらと意気投合したとは出てこない
彼女は爪使いの名手で、背中を掻かれただけでイッテしまったほどだ
もちろん裏を返しにいったが、なぜかヒロヨシというともだちと一緒で、まるで自分の手柄のように彼女の爪を語ったら、なら俺に指名させろということになり、結局、ジャンケンして負けてしまったのだ
ほんとうは、今度は外で会おう、神宮へ行って広沢に喝をいれよう~その年は開幕からなかなか調子があがらないでいた~とデートに誘うつもりだったのに、気が抜けてしまいその後その店には行っていない
ちなみにヒロヨシは膝を爪弾かられただけでイッテしまったそうだ
蛇足だが広沢がFA宣言で巨人へ移籍したのは、古田に二回続けて将棋に負けたためだとする説をぼくは支持する
一回でやめときゃ、バカをみることはなかったのよ、と彼女ならいうだろう



ガラスの破片


夜明け前の街を走っていたら犬に咬まれた、その4日前にはガラスの破片を踏んづけている、もちろん踏んづけた時にガラスの破片と確信したわけではない、その3週間後に足の裏からそいつが顔を覗かせたのだ
タイは野良犬の多い国でどこを走っていても犬に吠えられる、特に夜明け前は番犬と野良犬の吠え合い時だ、ぼくの走るスピードは犬に丁度いいようでよく追いかけられたりもする、夜明け前の街を犬に吠え立てられながら走るのは生きた心地がしない、それで何回コースを変えたことか
タイで犬に咬まれたら狂犬病の心配をすることになる、結局ワクチンの接種は受けなかった、何の保険にも入っていないから最低でも2000バーツはかかるだろう、ぼくは自分の命を2000バーツ以下と判断したことになる
いや、これは正しくない、犬に咬まれたからといって100%狂犬病になるわけではない、確率がある、タイに限れば、タイでの一年間の狂犬病の死者数をその一年間に犬に咬まれた人間の数で割ればいいわけだ、その確率で2000バーツを割った値がぼくがつけたぼくの値段だ
いや、これも正しくない、犬に咬まれた時ぼくはその確率を知らなかったのだから確率も自分で見積もらねばならない、そうだ、咬まれたあと走りながら計算していたのだった、傷は血が滲んだ程度だしどんなに高く踏んでも1%だろうと、2000バーツ割る1%、20万バーツ、日本円にして約60万円、まあ60万の命でも地球よりは重いんだし
何かを踏んづけた方の傷は直径0.2ミリほどの小さな孔キズだ、これは何か鋭いものが中に入ってしまったかと疑ったが、翌日久々に靴を履いて走ってみたら何ともなかった、翌々日はバンドエイドを貼って走った、次の日はレースで念を入れてバンドエイドの重ね貼りで走りそこそこの結果をだした
だが、穴はなかなかふさがらない、その日その日でまれにではあるがズキンとした痛みが走ったり走らなかったり、きっとそいつが寝返りでも打つように足裏での姿勢を変えていたのだろう
保健同人社の家庭の医学ポケット版によると、咬まれてから発病まで10日ないし20日とある
リミットは3月11日、毎日数回傷口の消毒を続けてきたが、その日傷の様子がいつもと違った、穴ではなく3ミリくらいの黒い一本の線になっている、なんだなんだとこすってみたらいとも簡単に剥がれて落ちた、ガラスの破片だった、おそらくビール瓶銘柄はLEO
ほっとした、恥ずかしながら、ぼくの人生これからだと一瞬高揚してしまった、3日3晩扁桃腺肥大の部位に突き刺さっていた鰯の小骨がとれた時よりはるかにうれしかった
昔、上の歯が抜けた時は流しに捨て下の歯は屋根にまくと聞いた記憶があるが、そのガラスの破片はタイガーバームの空き瓶に入れ危険物専用にしているレジ袋の中に捨てた



うたた寝の憂鬱


うつらつらつら幼年時代は
色は匂へど散りぬるを
うららうらうら少年時代は
諸行無常の響きあり
静けさの中で
奥深く、じれったく
ぼんやりと、せつなく
どんよりと、悩ましく



トニー


君が死んだ時
ぼくは六歳と三ヶ月で
そんなこと、覚えてないどころか
小学六年生になるまで知らなかったが
五十七歳のきょうまでに好きになった日本の男優は
赤木圭一郎
トニーと呼ばれた君だけだ
若いのに観念したような雰囲気と
バタ臭い立派な顔が
なんだかかなしかった
こんな世の中イヤケがさして
さっさと海に帰ったんだね
君は永遠の船乗り



馬場当先生のこと


ばばばばばばばば、ばばせんせえがしんでしまった
ぼくも馬場脚本ゼミの一員で卒業してからも数年間は接触があったのだけれど
最後に顔を見たのはいつだったのか、それはどんな折だったのか
てんで思い出せない
<午後の遺言状>で民宿の主人に扮した先生はいじらしくけなげだった
先生は新藤兼人のことをほんとうにほんとうに好きだったのだ
ババババババババ、ババセンセエガイッテシマッタ



テレサテンの時の流れに身をまかせをお願いします


いまさらやりたいこともないが、行ってみたいところもないが
この年になってもあせりのようなものが、確かにある
鎖骨のぐるりに散らばっている慢性化したあせものようでどうも気になる
思うに任せぬずれっぱなしの人生だったが、この人生別に後悔はしていない
あきらめはとうの昔についている、が、未練に似たものが未練がましくある
まちがいなくそこにあるのにその存在を実感できぬ眉間のようで妙に気になる
気にはなるが致し方ないこととわきまえている
把握できぬあせりを、実感できぬ未練を
いったいどうしろというのか!
未練を背負込んだあせりをあせもに滲ませ
あせりに咥えられた未練を眉間に引っ掛け
このままあたふたせかせかしこしこ、朽ちくちていくのだ



ぼくはきみのものじゃない


地球ができた時、尖閣諸島があったかどうかは知らないが
尖閣諸島ができた時、尖閣諸島は誰のものでもなかったはずだ
おいらが生まれた時、母親はおいらを自分のものと感じたろうか
金で買えないものはないとよく言うが
無人島は買えても、日本列島は買えないのではないか
よしんば買えても、まさか地球は買えないだろう、たまさか宇宙は買えないだろう
臓器が買えても、人の心も買えても
ボケ老人の記憶は買えないだろう
アメリカは日本を、一つの州と見做しているか
月を、我が領土と捉えているのか
運良くぼくは売られなかったが、この先も売られはしまいが
お金がなくならない限り、金持ちがいて貧乏人がいる限り
人身売買はなくならないだろう
もしもぼくに所有者があるとすれば
それは母親だ
おふくろは起きてから寝るまで、ばあちゃんの苛めに耐えながら、働き詰めに働いたが
どんなに口汚く罵られようと、いかほどに心身がまいろうと
いつだってぼくの側にいてくれた
ものごころがついてからばあちゃんが死ぬまで
ぼくは確かに母親のものだった
ついこないだ、パスポートの紛失届けを出した時
住民票コードというのがあるのをはじめて知った
いつのまにかぼくは11桁の数字になっていたわけだ
どうも日本はおいらを自分のものと思ってる節がある
だが、言っておく
ぼくはきみのものじゃない
平均余命に従えばあと20年で
ぼくはぼくでなくなり、ぼくはものでなくなり
誰のものでもなくなる



判で押したように


ビールを5本飲むと判で押したように意識が飛ぶ
ウイスキイを1本空けると判で押したようにその翌日を棒に振る
掻巻にくるまると判で押したように母をしのぶことになる
ぼくんちは貧乏だったが、総中流化の流れに乗って高校生になった頃
中流の尻尾にぶら下がった感覚があった
その頃からぼくが35の時に死ぬまでが
母の生涯で唯一時間に余裕のあった時期ではなかったか
小さい頃小説を読む母の姿は想像すらできなかったが
ツボにはまったやつに出くわすと一気に読み上げてしまうのだ
高卒で上京し30を前に荷物を実家に引き上げるまでに7度引っ越した
掻巻の裏地を替えに出てくるのを母は年中行事にしていたから
都合八つのアパートのぼくの部屋を訪れたわけだ
掻巻を繕う母を目にして、タッパに入った稲荷寿司やきゃらぶきやたらのめの天ぷらを
肴に飲むのは、贅沢なひとときだった
10代から何度か問題を起こしたぼくの飲酒を母は快く思っていなかったはずだが
その日は特別のようで、ひどい二日酔いでお茶でお茶を濁していたら
なんだ、きょうは飲まないんかと不満げにいうので、あわてて自動販売機に走ったのだった
母は自分のことを語る習慣を持たない人だったから
どのような少女時代を送ったのかよく知らないが
長女でもあったし、責任感の強い少女であったことはまちがいない     
そのころ働いていた物産店での旅行を一番の、掻巻上京をその次かその次あたりの
楽しみにしていたようだ
ひでおのお陰で東京中見ることができたと、7回か8回聞いた
中学生の頃まで母と二人で歩くのは気恥ずかしかったが、社会人になったらそんなことなく
待ち合わせ場所の西口改札や三番線ホームや北口出口へ、時には自転車で時には徒歩で
いそいそ出かけて行ったのだ
日本酒を一升空ける時は判で押したように8合目あたりで一度吐く
何かの拍子で母が死んだ日に視界が開くと判で押したように
はんだ付けされてしまったように
ぼくは動けなくなる
 
 
 
アルクヨロコビ
 
 
肉離れは癖になるよ、と言われても高を括っていたのだったが
ほんとうだった
56にして初めての肉離れから半年で
右足の太腿、左足の脹脛、右足の脹脛、またまた左足の脹脛と続き
まともに走れた時期がなかったほどだ
保健同人社の家庭の医学ポケット版に肉離れの項目はない
病院へ行く金も按摩を呼ぶ銭もない
どうしたらいいのか
無理にでも走るのか、やっぱし安静が安心か、ナワトビはどうだろう
歩くのが一番なのだった
目覚ましは3時40分にセットしてある
走る時はストレッチを念入りにするのだが
歩きの時は軽く顔を洗い目薬をひとさしして、即、スタートする
7時までの長丁場だからゆっくりでいい
便意を催してもマイミーパンハー問題なしだ
ガソリンスタンド、チェンマイラーム病院、ユニバーシティーアカデミックサービスセンターなどなどすでに数箇所手の内にある
犬に吠えられないよう広く明るい道を選んでは新しいコースを開発する
意外な所に食堂がある、遅くまでやっているのか早くから開けるのか、一度確認しなければならない、ここにはビールが置いてある
土曜と日曜の朝は、バイクの暴走に要注意だ
ついさっきも上半身裸の男が凄い勢いで発車させたと思ったらあっというまにもんどり打った
5時半を目途にペースをあげながら健康公園に突入する、タイにある公園の半分にこの名前がついている
うまく折り合いをつければ一周一キロになる
6時を過ぎて空が明るくなりはじめると、往来は一気ににぎやかになる
ジョキングパンツ乃至タイツ姿の娘もしくは年増の胸またはケツを横目にしてぼくは歩く
団塊、じゃなかった、男根に訴えかけてくる女に出くわすと、7時過ぎでも一周追加したりする
すると女はいなかったりする
朗々と歌いながらしゃなりしゃなり歩く女がいる
#歩く歓びは朝の歓びそれはすなわち生きる歓び、なーのだあ!
と裏声ででたらめに歌ってがなって歩くあるくアルク
 
 
 
棄権の誘惑
 
 
よく人生をマラソンレースにたとえたりするが、同感である
スタートしたのは覚えていない
気がつけばいつのまにか走っていたわけだ
若い頃は、集団から少し離れた位置をひとりぽつねんと走るのを好んだようだ
そして目の前の集団を先頭集団と固く信じていた
ギアをトップに入れさえすればすぐに追いつくものと思っていた
瞬く間に数十年が過ぎ、集団から遠く離れてしまった
まわりに人影はない
あの集団が今も存在してるのかどうかもわからない
ぼかあ、変則ギアのないママチャリだった
近頃わかってきたのだが、負け惜しみで言うのだが
人生に勝ち負けなどないのだ、苦も楽も幸も不幸もない
あるのはスタートとゴールだけだ
これまでにフルマラソンを5回走ったがそのすべてを棄権した
肉離れだけでなく棄権も癖になるのだそうだ、まったくなあ
が、人生マラソンでの完走は間違いない、死がゴールだからだ
自殺を棄権と見做す捉え方もあるだろうが、ぼかあ、ゴールとわきまえる
乗った飛行機が堕ちて死ぬのもひとつのゴールだ
できれば、せっかくここまで来たのだから
高望みとじゅうじゅう承知しているが、宝くじの一等よりむずかしいだろうが
ゴールを実感して死にたい
棄権の誘惑蹴散らして実際にゴールして死にたい
 
 
 
一時しのぎ
 
 
口を開け頭を垂れ、ぼくの一日が始まる
軽薄が襲い笑い、ハッピーな気持ちで一時しのぎ
それはそれでいいとしても一時しのぎ
女を想い
触りたい愛したいと一時しのぎ
荒木食堂の半チャンラーメンで一時しのぎ
3時のおやつには荒木食堂の娘の知的な顔を一瞬のうちに淫らする
圧倒的な太股を拝して一時しのぎ
きょうもまた無為に暮れていくと深く反省
時間稼ぎの一時しのぎ
一日、という言葉の持つ分量にただただ幻惑され
やたらと疲れ、無闇に悔しく
人生は一時しのぎと強引に押し込んでは肩を透かされ
一時しのぎ
口を開け頭を垂れ、ぼくの一日が終わる
 
 
 
僕って何?
 
 
ガキの頃俺はその気になれば
総理大臣にも宇宙飛行士にも簡単になれると思っていた
勉強すれば一番にもなれると思っていた
中学一年の時、競馬の騎手を夢見たが
体重で断念した
中学二年のとき、船乗りになろうと鳥羽商船から入学資料を取り寄せたが
視力でひっかかった
中学三年の時、卒業したら東京に出てラーメン屋の出前持ちをしながら
ボクサーになると言ったが
反対され仕方なく高校へ行った
上京して二年目に青山杉作記念俳優養成所という所に入ったが
訛りをしつこく指摘され半年でやめた
次の年に横浜放送映画専門学院に行き脚本家を志したが
まともなものは何一つ書けなかった
57歳の今俺は何かしらになれたのだろうか
厚生年金は合わせて22ヶ月払ったが定職についたことはなく
社会人になった感覚はない
一刻も早く世の中には出たかったが社会人になりたかったわけではない
俺はいったい何者なのだろう?
夫にも旦那にもなったことはない
冷静に考えると誰かの恋人になれたこともない
おそらくこの先も無理な話だ
だが100%あきらめたわけではない
だっておいらは
いつも夢見るナマケモノ
なのだから
 
 
 
サントリーレッドの青春
 
 
高校二年の冬だった
三学期が始まってから、昼休みに校舎を抜け出し近くにある真ちゃんの家でビールを一本飲みながら弁当を食うのが慣わしになった
といってもその日が三度目か四度目だったと思う
ないと冷蔵庫を開けた真ちゃんがいった、ゆうべはあったんだ、おやじが飲んじゃたんだな、真ちゃんのビールじゃないもんな、サントリーレッドならある、うーんレッドか
ぼくたちは時間を惜しむように弁当を食いウイスキーを空けた
五時限目はサッカーだ、真ちゃんとは同じクラスだがコースが違うので授業は別になる
ぼくはサッカーが得意だ、だがその日は散々だった、いったい何度転んだことだろう
六時限目はリーダーだった、チャイムが鳴ってから五分くらいで異変に気付いた
あとからすれば担当のワタベ先生が来なかったのは幸運だったが、そのことが異変なのではない、吐きたくてトイレに行きたいのに体を動かすことができないのだ、ぼくは机にひろげたリーダーの教科書に突っ伏している、こらえきれずについに吐く、これはえらいことだと必死にすする、半分ほどすすったところで力が尽きた、吐き気はとめどなく襲い、ゲロは教科書を乗り越え机上に溢れた
ぼくは便所の個室の壁にもたれている、扉は開けられたままだ、ここでも吐いたのか学生服の胸が嘔吐物で汚れている
ヨモギタくん、ここに食塩水置きましたからね、吐いたあとは塩水のうがいが一番いいんだからという中年女の声がする、おそらく保健室のサイトウツヤ先生だ
オーシャンに抱きかかえられるようにして教室を出たのはかすかに覚えている、ここに来る前オーシャンとぼくは保健室に寄ったのだろうか
終了のチャイムを壁にもたれた姿勢のまま聞く、掃除当番だろう、男が二人不思議そうにこっちを見ている
そこへオーシャンが飛び込んできた、真ちゃんも一緒だ
二人の肩を借りて引きずられるようにバス停へ歩く
酔いが一気に噴出したのだろう、バスの中でぼくは大声で喋り散らし二人は黙らせるのに大変だったらしい、ぼくが使っている机とその周辺の後始末をしてくれたというノトヤさんも乗っていて、ぼくは何度もしつこく絡むようにお礼を言ったのだそうだ
東武日光駅待合室のベンチに連行される、酔い覚ましだ
これで匂いを消すんだとガムを買ってきてくれたのは真ちゃんだったかオーシャンだったか
フクダレイコがタケザワとつき合ってるの知ってるかといったのはオーシャンだったか真ちゃんだったか
フクダさんとは二ヶ月前に振られるまで三ヶ月ほどつき合った、なぜ振られたのかいまだにわからないが、二股かけられていたとは思わないが、思いたくないが、それにしても少し早すぎはしまいか
そろそろ帰らないとと二人は何度かいった、その都度ああだこうだと引き延ばしてきたがもう限界のようだ、外は真っ暗になっている、二人はカバンを学校に置いたままだ
ふらふらと歩き出したぼくの後ろを二人は連いてくる
前から来た車に向かってさっと走りカシアス・クレイ張りに蝶のように舞おうとしたらよろけた
車がクラクションを鳴らす、二人が同時に腕を取る
何やってんだよ、轢かれたらどうすんだよ、ああ~、何がああだよ、うう~、ったく
そこを曲がればもう家だというところまで来た
いいか、家に入ったら具合が悪いとかいってすぐ寝ちまうんだ、あした一番でカナイ先生に謝るんだ、昼に飲んだなんて言っちゃだめだぞ、二日酔いってことにするんだ、前の日に酔ったおやじに無理やり飲まされたって言うんだと真ちゃんがいう
ほらとオーシャンがぼくの学生カバンを寄こす、ありがとな、オーシャンは飲んでないのにな
ほんとだよ、何をどう詰め込んでくれたのかパンパンに脹れている
まいった、急に冴え醒めてきた頭で呟きながら玄関のガラス戸をそっと開ける、そして真ちゃんにいわれた通り、あのさなんか調子わりいからもう寝っからと茶の間に方に声をかけ、吐寫物をところどころにこびりつかせた学生服のまま、深くベットにもぐりこんだ
 
 
 
ありがたや節
 
 
地球温暖化をタイ語で言うとโลกร้อนだ、人間はそれが人間の仕業と知っている
京都議定書をタイ語で言えばナントカカントカ京都だが、そのナントカカントカはどこへ行ってしまったのか
ホモ・サピエンスの誕生で地球の破滅へのスピードは一気に高まった
俺たちはボタンを掛け違えたのだ
ぼくの好物はカツ丼に牛乳だ
草食動物は草を食み、肉食動物は獲物を襲う
虎は時に人間を襲う、人間は檻を作ったが自らが入ればよかった、人間だけの土地をつくり
柵を張り巡らせその中で暮らせば、他の動物の余計な世話はやかずに済んだ
大きな魚は小さな魚を食い、雌カマキリは雄カマキリを食い殺す
犬は時々人を噛み殺す、人が犬を噛み殺した話はあまり聞かないが、人の口にそれだけの能力がないからだろう
グリーンピースのメンバーはおそらく鯨は食べず、ムスリムは豚を食べない
ぼくはベジタリアンではないが猫とイルカは食べない、いや、食べたことはない
ある人は、動物を殺しては食い荒らし植物を摘み千切っては食い散らすのに耐え切れず、拒食症になる
何教にしろ敬虔な信者に接する機会があると心底羨ましくなるのだが、神は人間が創ったのだとぼくは思っている、その邪悪さを慰めるために、その凶暴性と折り合うために
人は動物を高等動物と下等動物に分け人間を高等動物に分類したが、ホモ・サピエンスのいったいどこが高等なのか
ヒトほど嫉妬深い動物は寡聞にして他に知らない、人間ぐらい欲の皮の突っ張った動物にはいまだかつて会ったことはない、人類より殺し合いが好きな動物がこの世にいるはずはない
そしてそのことを俺たちは常に正当化肯定化してきた
疑い合い、蔑み合い、騙し合い、殺し合い、戦争に明け暮れてきた人類の歴史は必然なのだという
ならば殺されないよう背骨を畳み小さくなって目と目を合わさず世間の片隅でひっそりときょうまで殺されなくてよかったありがたやありがたやと唱えつつ生きていこう
それが人間の業らしい
ならば殺さないようストレスを溜めずそのために快便快眠を心がけ一日三合の玄米とどんぶり一杯の大根おろしを食いそれでも通じがない時は2リットルの牛乳を一気飲みし目と目を合わさず社会の底辺で眠るようにきょうまで殺さなくてよかったありがたやありがたやと感謝しつつ果てていこう
 
 
 
雨音はチョメチョメの調べ
 
 
ぼくの精通は遅く高校一年の時だったがそれからはその遅れを取り戻すべくかきにかきまくった、天使の誘惑や雲に乗りたいを歌っていた頃の黛ジュンの太股でいったい何回かいたことか
自分だけの部屋を持ったことのないぼくが壁に貼ったポスターは一枚しかないがそれは黛ジュンではなく小林麻美だった、小林麻美がいわゆるぼくのアイドルだった、小林麻美でかかないのは彼女を穢したくないからだと一応取り繕っていたが本当は小林麻美ではどうにも興奮できなかったのだ
高校に入ったその日に卒業したら最初の給料でソープランドに行き童貞を捨てる誓いをたてそれをまっとうしたのだからぼくは貞操観念の強い少年だった
上京して数年後に新潮ナントカカントカ<じゃなくて月刊カドカワだったかもしれない>という月刊誌が創刊され渡辺淳一が対談のページを持っていたことがある、それに小林麻美がでた、終わったあとまずまちがいなく渡辺淳一は口説き小林麻美は袖にしたはずだ、その対談でわたしは今じゃがいもみたいな男に恋をしていると告白している、それがザ・スパイダースのドラム弾き、田辺エージェンシーの社長田辺昭知だった
中島らもはコントもエッセイもすごいが小説はこれはすごい小説になるぞなるぞと思わせておいて破綻させたりする、中島らもを中島らもたらしめたのは酔って階段から落ちて死んだことではなくクスリで留置場にぶち込まれてもまったく日和らなかったことだ、清水健太郎がエライのは懲りないからだ、法律がある以上法律は守るべきという固定観念が染み付いてるぼくはマリファナをつきあいで二三度ふかした経験しかなくえらそうには言えないが、たった一度それも大麻で挙げられただけでしょげ返ってしまったスーパースター某某には落胆した
せっかく法律があり国家があるのだから同国人同士のまたは同じ民族間のおまんこを禁ずる法律を各国が作ればいいのにと思う、ついこないだまで南アフリカには背徳法があったのだから不可能なことではない、そうすれば血が混じり合い色も匂いも臭いも観念も混じり合いすこしは戦争が減るのではないか
同級生のチョメチョメさんは高校一年の時すでに高度な性的技巧を身につけているとの噂があった、高校二年の時遠藤賢二や古井戸や泉谷しげるの出演したコンサートを宇都宮まで観に行ったら前座としてチョメチョメさんが颯爽と登場し五つの赤い風船の母の生まれた街を歌ったのだがうまかった、こんなにうまいのになんでおまんこに走ってしまったのか訝ったがハイレベルなテクニックがあったからこそ魂を揺さぶる歌が歌えたのだと今ならわかる
黛ジュンであれほどかくエネルギーがあったのだから直接本人のもとに押しかけ一発やらせて欲しいとお願いすればよかった、限りなく100%に近い確率で拒否されただろうがその事実を手がかりに新しいスタイルというかパターンを発見できたはずだ
固定観念と貞操観念で凝り固まったぼくが少しだけ性におおらかになれたのは皮肉なことだが穴に入れたいという欲求がなくなってからだ、もう三年以上女の穴にも男の穴にもこんにゃくに切り刻んだ穴にも入れていない
フリーセックスという語感だけで、新聞の見出し広告の樹まり子という活字だけでイッテしまった、いや、先走り液でいとも簡単に濡れそぼってしまった昔がなつかしい
チョメチョメさんは斜向かいの席に座っていたこともあったのだから勇気を振り絞りほんのひとなめでいいからなめて貰えないだろうかと一度お願いすべきだった、これも拒否された公算大だがもしかしたらひょっとしたらほんとうにひとなめしてくれたかもしれない、としたらぼくの人生はまったく別なものになっていた
世の中を楽観的に見れば、国家がなくても言葉がなくてもじゃがいもがなくても、小林麻美は田辺昭知と出会い一発やっただろう、何千回も何万回もやっただろう
 
 
 
 
 
ばあちゃんはおっかない人だった、機嫌が悪いと軒先に井の字に積んである二十センチほどの薪を問答無用でまだ幼稚園児のぼくに手当り次第に投げつけるのだ、逃げると見るや物干し竿を薙刀のように構え、薪タッポ背負ワセッツ、と言いながらどこまでも果てしなく追いかけてくるのだ
おやじは人の意見には耳を貸さず死ぬまで我を通したがばあちゃんには頭が上がらなかった、目を覆い耳を塞ぎたくなるような嫁いびりをその目で見その耳で聞いても何も言えなかった、湯呑みを箪笥に投げつけお膳を引っくり返しスイカを土間に叩きつけるだけだった
小学校に上がるか上がらないかの頃、畳を裏返したらばあちゃんのへそくりが出てきた、どうして裏返そうなんて気になったのだろう?神の声を聞いたのだとしか答えようがない、千二、三百円あったが使いでがあった、親しくもない近所の誰それちゃんに大福を奢ったはずだ、約半分使って親の知るところとなり没収されたがばあちゃんには怒られなかった、ショックで寝込んでしまったからだ
お風呂を埋めるのは命懸けだった、どうにもこうにも熱くて入れずばあちゃんに気づかれないよう水量をぎりぎりに絞り鼻歌でカモフラージュしながら埋めていたらどう嗅ぎつけたのか猪の如く飛び込んできて、このでれすけがと背中を引っかいたのだ、そこはみみず腫れとなり長い間湯に浸かると沁みた、悔しくて風呂場の壁のトタン板にえんぴつでばあちゃんのバカと書いた、トタンにえんぴつで書いた文字は消しゴムでは消えない、石鹸で洗い流してもシンナーで拭き取っても消えない
ばあちゃんは東京オリンピックの年ぼくが小学三年の時死んだが、小学六年の時に風呂場を建替えるまでえんぴつの字が色褪せることはなかった
ばあちゃんの葬式で泣かなかったのはぼくだけだ、兄と上の姉はともかく、ついに死んだと共に手を取り喜び合った下の姉まで泣いたのには裏切られた気がした
寝たきりになってからばあちゃんは下の世話をおふくろ以外の人に託すのを拒んだが、そんな理不尽な身勝手が罷り通ったのもおふくろが甲斐甲斐しく看病したからだ
そのおふくろがさめざめと泣くのを見るのはもどかしく歯がゆかった
五十を過ぎてから、ゆで卵の薄皮を剥がすような感じでわかってきたことがある、ばあちゃんの血はおふくろには流れてないがぼくには流れているということだ、おやじとおふくろに血のつながりはないが、おやじの血は、今もぼくを脈打っているのだ
消しゴムでいくらこすってもトタンに書いたえんぴつの字は消えない、ビールをあさってまで飲み続けてもこの血が薄まることはない、ばあちゃんとおやじは貧乏人根性の塊のような人間だったがその血がぼくにも流れている
それに気づいたからといって二人に対する感情に変化があったわけではない、自分以外の者を認めようとしないのも貧乏人根性の為せる業だ
この血とおさらばするには死ぬしかないが、それも満更じゃないと思えてくるからふしぎだ
 
 
 
恋のテキーラ
 
 
これは巫女の一郎じゃなく潮来の伊太郎の橋幸夫の歌だが
凄い切れ味だ
恋のウイスキーじゃ話にならない
恋のウッカはちと重すぎる
恋のバーボンも悪くはないが
ペニーレインでテキーラだって負けちゃいないぞ
リッチモンドでバーモントカレー
平目を肴に平戸で一杯
オランダ坂からスペイン通り
屋根裏覗いて道頓堀へ
生板上がってまな板のコイ
信州佐久の鯉太郎
三こすり半であの世行き
きのうの友はきょうのテキーラ
ジャンジャン横丁、これでおしまい
@恋のテキーラという歌はありませんでした。恋のメキシカンロックを履き違えました。
 
 
 
キスより簡単
 
 
イチローの全盛期にイチローをコキおろすのは勇気のいる作業だった
今北朝鮮をヨイショするのはスットコドッコイにドエレエことだ
だが3代目は実によくやっている
じいちゃんとうちゃんの言いつけをオウムよろしくなぞるだけ、大の大人が見上げたもんだ
寄ってたかって制裁<リンチ>とは何とも陰湿なやり口だ
核は全廃しない限り誰が何個持とうがおんなしことだ
抑止力など犬も食わない糞食らえだ
11トンの星はどこかへ引き返して行ったが
それよりだいぶ小ぶりのやつは雹を蹴散らし豹よりもチータよりも速いスピードでロシアのどこかに落っこちたのだ
一尺を40センチにしろというのは無茶な相談だが
1ダースを11ないし13にするのはキスをするより簡単だ
その時が来たのだ
1列に並べなければ2列に詰めても3段に積み上げても余白が生じる
俺たちは許し合い、キスをし合い
余白にまどろみ
ネムルヨウニイノルノダ
 
 
 
あの時
 
 
週に一度か二度ステーキの食い放題に行くのだが
その店には箸がないのでマイ箸持参で行くのだが
さあ出かけようと箸をポケットに突っ込んだその時
生まれてきてよかったと痛烈に思った
その日から何日過ぎただろう
ミニマラソン大会からの帰り道
余所見している隙に増え続ける セブンイレブンの一つの前を
ママチャリで通り過ぎていたその時
正確に言えばその時から零点二秒さかのぼったあの時
もう死んでもいいんだと明朝体で思った
 
 
 
蒲田狂詩曲
 
 
ひとみでーす、よろしくネ、と豊満な体が横付された時、ぼくは恋におちた
あら、ほんとに来た、その一言で深みに嵌った
昨夜、ハワイ蒲田三号店を出る間際、じゃあ、またあした
と、伏線は張ったが、世の中に、自分を含めたもろもろのことに確信があったわけではなかった、連チャンで押しかけるには三個のワンカップ大関が必要だった
ひとりじゃ来れない店、わたしが出なかったらおねえさんお願いしますと言えばわかるから、昼間働いてるという店の電話番号を聞きだし、そこへ三度電話して外で会う約束を取り付けた、だがこの間に一ヶ月要している、ハワイに来ればいつだって会えるじゃない、と言われれば電話はしにくくなる
何か渡したい物があると言ってたわよね、JR東口の噴水前で待ち合わせをし近くの喫茶店で向き合った
二週間前田舎に帰り詩集を作った、わらばんしにガリ版刷りしただけのちんけなものだが、その中にはひとみさんへという最新作も入れてある、それを手渡すとひとみさんは中を見ようともせず無造作に二つ折りにしハンドバッグにしまい込んだ
その時、昼間働いている店はラッキーという名の麻雀店であり、ひとみさん自身が経営しているのだと知った
それからは最初の客が階段を昇ってくるまでのラッキーがデートの場となった
ひとみさんが店に入り一息入れた頃を見計らい電話する、これから行っていい?いいわよ
中に入るとたいていひとみさんは散らかったままになっている麻雀パイをゆっくり物憂げに並べ直している
ひとみさんて、お尻でかいですよね、でも足首は細いし、脹脛は思い切りよく引き締まってますよね、とかなんとかぼくとしては他愛あることを言いながら他の卓のパイを並べ直す手伝いをする、一度掃き掃除をしようと箒を手にしたら、そんなことはしなくていいから、と即取り上げられた
ひとみという名前もラッキーという名もひとみさんが考えだしたものだ
ひとみさんはキレイな顔をしていたが化粧が濃いのが玉に瑕だった、ラッキーにいる時もハワイで働く時とまったく同じ化粧をしていた、素顔は見たことがないが素顔だと人目を惹きすぎてしまう、それを避けていたのではないか
ボクが十九なんて言うからつい二十一とか言っちゃったけどわたしほんとは二十四なの
二十歳の誕生日にひとみさんは焼肉をご馳走してくれた
ごめんね、店を開けないといけないから、ひとみさんが目の前にいた時間は一時間にも満たなかったがぼくは充たされていた、ひとみさんが追加していってくれたビール二本の他に自腹を切りさらに一本追加した
ラッキーはJR西口商店街の中程の雑居ビルの二階にあったが、その近くの蒲田アポロという
映画館と大家が同じで無料招待券をひとみさんから二度貰ったことがある、蒲田アポロは成人映画と一般映画を交互に上映していたが成人映画の回を選びそれを使った
なんだか身上調査されてるみたい、そう言われてから身の回りのことを聞くのは極力控えたが初動捜査でひとみさんは二年前に北海道は札幌から上京したことが知れている、それから一年後に弟が上京、そのまた半年後に母親が上京する、この時札幌の家は処分している、ラッキーを開店したのはその三ヶ月まえだ、ひとみさんは母親と住み弟は別の所にいる、母親も弟も見たことはないがひとみさんがいう弟であろう男の声は電話で一度聞いている
ひとみさんは働き者だ
十一時には開店のためラッキーに入る、日中はどこかの運転手をしている弟と十八時に交代
してハワイに出勤する、零時前に店がハネルとまたラッキーに戻り弟と交代する、閉店は二時の時もあれば七時、八時になることもあった、ハワイだけでなくラッキーも年中無休だった
どうしてそんなに働くんです?と聞いたことがあったが笑って何とも答えなかった
バイトからの帰り道、JRを東口へと降りる階段でひとみさんとすれ違ったことがある、ハワイの勤務を終えラッキーへ戻る時間帯だったがサラリーマン風の男を抱きかかえるようにしていた、男は屈託なく酔い痴れていた、階段を降りきると東口と西口を結ぶ連絡地下道を一気に走り、西口の階段の脇に身を潜めた、ひとみさんは降りてきたが男も一緒だった、そのままタクシー乗り場へと歩き男を押し込め自らも乗り込んだ
おととい見ましたよ、JRの階段男と上がってくるの、バカね、声をかけてくれたらよかったのに、あれからどうしたんですか、家まで送っていったのよ、あれじゃ送らないわけにはいかないじゃない、メガネをかけた貧相を絵に描いたような小男にぼくは激しく嫉妬した、もっと若く背が高く今でいうイケメンだったらどんなにかよかったろう
ぼくの雀荘通いは約半年続いたが日数としては十五日あったかどうかだ
きょうは疲れているからダメ、来ないで、そう言われることが三度か四度に一回はあった、
頻繁に電話をしてひとみさんの負担になりたくなかった、嫌われたくなかった
一月二十二日のひとみさんの誕生日、半年振りにハワイに行った、ひとみさんはもっと驚きもっと喜ぶはずだったのだが・・・・・、それでも閉店後の約束はなんとかできた
JRの駅からなるべく離れたほうがいいと言うのでぼくたちはハワイのある通りを京浜蒲田の方へ歩き出した、いつまでも歩き続けるわけにはいかないので二、三度入ったことのある天城というスナックに落ち着いた
ぼくのアパートこの店のすぐ裏手なんです、でも居候が一人いるんです、福ちゃんていうんだけど調子のいい奴で荷物まで持ち込んで勝手に居ついちゃって、ぼくとしてはこのあとアパートの部屋は使えないぞと暗に仄めかせたつもりだった
その人、起きて待ってたら可哀相じゃない、呼んできてあげなさいよ
でもそいつ、いつも遅いから多分いないと思います
それでもぼくは、天城から歩いて四十秒の大家と廊下で繋がっている部屋数が四つで家賃が八千五百円の武内荘への路地を走っていた
やっぱりいませんでした、入った店はいつかは出なければならない
送っていきます、いいわ、タクシーを止めるから、じゃあ、タクシーを止めるまで、ぼくの方から強引に歩き出した
もうここでいい、とひとみさんは三回言った、もう少し、とぼくも三回言った
ついに痺れを切らし、いや、勇気を奮い立たせ、右手でひとみさんの左手首を摑み、キスしよう、と引き寄せ、キスがしたい、と顔を近づけた、が、強く握っていたはずのぼくの右腕はひとみさんの軽いひと払いで呆気なく振りほどかれた
酔ってるんでしょう、ボク、酔ってるのよ
ひとみさんは小走りに去っていった、ピンクのカーデガンにスリムのホワイトジーンだった
その後姿がひとみさんを見た最後になった
どの面提げてラッキーに電話し、いったい何を話せというのか
だいぶ経ってから、声をかけるかけないかは棚上げにし、店を開けに出てくるひとみさんを待ち伏せようとラッキーの前まで行ったことがある、ラッキーはフローレンスという名のイタリア料理の店になっていた
その待ち伏せ未遂から一ヵ月後、渋谷にあるグランド東京というキャバレーのダイレクトメールが届いた、二月三十日には北島三郎のショーがあるといったていの案内広告で、その片隅にボールペンで
ボク、久し振り、ハワイ蒲田三号店は閉店になりましたので、現在、ここで仕事しています、NO、77ひとみ
とあった、普通なら仕事していますじゃなく働いていますと書くんじゃないかあ、と頭の中で六回ブツクサしてから、グランド東京に出向いた
ハワイ蒲田三号店の三十倍以上のスペースがあった、ひとみさんは欠勤とのことだった
その日、本番でついたのは安西マリアに似た女で、ぼくは二度飲み直しをし存分にボッキさせたままチークを踊ったが、それはまた別の話だ
だってボクはボクのことボクっていうじゃない
次の給料日の翌日、ふたたび渋谷に出かけた、今度は念のために駅前から電話をいれた
ひとみさんは辞めたとのことだった
 
 
 
無題
 
 
石原慎太郎はまだ生きてるはずだが
石原裕次郎が死んだのは幾つのときだったのか
美空ひばりよりさきだったのかあとだったのか
二人には興味がなかったのでよく覚えてないが
みっつかよっつかいつつかななつ二人を上回ってしまったのは確かだ
兄貴が死んだ歳まであと四年ある
親父が死んだのは九十一か二だがその歳まで生きる過程を想像すると気が遠くなる
いやいやここ二、三年の一年の過ぎるスピードをおもえばあさってあたり平気な顔で九十になっていたりしっちゃたりして
死ぬというのは生まれる前の状態に戻ることだと最近は考えるようにしている
前生がモグラだと覚えている人はモグラに戻り
石川五右衛門と信じてる人は五右衛門に戻り、また大釜で湯掻かれるわけだ
生まれる前のことをぼくは何一つ覚えていない
なにものでもなにかしらでもなかったわけで早い話が無だ
死んで無になるのと死んで無に戻るのとどこが違うのかと人はいうかもしれないが
実際、死んでしまえば同じことなのだが
まだ生きてるうちは無に戻ると考えた方がましというかゆるい気がする
頭と褌はすこしゆるめがいいのだ
 
 
 
折り紙色紙
 
 
折り紙たたんで
はさみで切り抜き
あの子に送ろう
あの子が開くと
ぼくの模様が、ごあいさつ
 
 
 
田中典子<ふみこ>先生
 
 
誰に言われたわけでもないのに
小学高学年の頃から詩を書き始め
大学ノートにいっぱいになったそれを
サトーハチローに送り
詩集にしてくれと頼み込んだ
忘れた頃にサトーハチローの主宰する木曜会から葉書が届いた
もっともっと勉強した方がいいと思うが、どうしても本にしたいのだったら自費出版という手がある、もしノートが必要なら切手代00¥を送れとあった
顔から火が出たのがはっきりわかった
中学二年になり田中典子先生に教わるようになってから概ね4だった国語の成績が5になった
田中先生はぼくをえこ贔屓した
正義感の強い先生は否定するだろうがテストの点が平均を下回った学期も評価は5のままだった
このサイトに書いたアル中楽天家ルー・ジャクソンという詩は、夏休みの課題で提出したルー・ジャクソンに捧げる歌という作文が土台になっている
返却されだいぶ経ってから、あの原稿をもう一度見せて欲しいと言われた、学校の机の奥に突っ込んだままになっていると思っていたそれはどこを捜しても出てこなかった
あなた自身が書いたものなんだからもっと大事にしなきゃだめじゃないの、と思いのほか強い口調で叱責された、先生はあの作文を気に入ってくれたのだ
女の国語の教師に一つのイメージがある、整った顔立ちのオールドミスが多く太宰治を憎からず思っている、というものだ
田中先生は正統派の美人だった、そして独身だった、授業中ブラジャーのヒモが肩口からはみ出ていても気がつかないような人だった、たとえば生徒の誰かにそれを指摘されても歯牙にもかけなかった
中学の教科書に載っている太宰の小説は走れメロスだったが、その授業の時は肩に力が入るのが傍目からもわかった
高校に入って詩集を作るようになった、一人だと量に限りがあるので友達を脅して書かせ日向没弧という同人誌にした
わらばんしにガリ版刷りし表紙と裏表紙に白い紙を使った、あの当時わらばんしが二枚で一円白い紙が一枚一円だった、日曜日に宇都宮へ出かけ映画を見たあと、詩集一冊百円です、と書いた紙を首からぶら下げ横断地下道や足利銀行馬場町支店の前で売った
高校で印刷するのはまずいと判断し、中学時代の担任の生井先生にお願いして宿直の時に押しかけ刷らせてもらった、一号につき二百部刷り、一冊を生井先生に進呈しもう一冊を生井先生から田中先生に渡してもらうようにしていた
その母校の東中学校からアンケート用紙が郵送されてきた、あなたの経験を元に受験生にアドバイスが欲しいというもので、担当責任者が田中先生だった、用紙の裏側に、毎号の詩集のおすそ分けありがとう、初めの頃はコトバのカラ回りが気になったけど、最近のいいですね、素直なあなたの心が見えます、と書いてあった
たったこれだけの文章だがもしこの言葉がなかったら、まちがいなくこのとても詩とは呼べないだらだら愚駄愚駄文は書いていなかった
東京に出て何年かのち、田中先生はベイルートの日本人学校で教えてると風の便りに聞いた 日本には戻ったはずだがその後の消息は知らない
ぼくが中学だった時、田中典子先生はいったい幾つだったのだろう、調べれば分かるだろうが時間を節約し40ということにしよう、年齢差はどちらかが死なない限り拡がりも縮まりもしないから、生きていれば先生は83ということになる
 
 
 
淀川長冶に愛を込めて
 
 
日光劇場、通称日劇が火事で焼けたのは大ニュースだったはずだが、ぼくにはこれといった記憶がない、家族して日劇へ黒澤明天国と地獄を見に行った時、ぼくは覚えてないのだが、帰んべもう帰んべよー、と泣き喚くので上映途中で帰る破目になったのだそうで、それからぼくは映画が嫌いということになった
年に何回かの小学校の映画上映会の時は、映画を見ると気分が悪くなると言って、講堂の板塀に寄りかかり地面を蹴ったりして時間を潰した
日曜洋画劇場の放送が始まったのは中学に上がる前だが、下の姉に合わせてぼくも見るようになった、仔鹿物語アラバマ物語にはいたく感激した、その頃どこかのテレビ局が何の前触れもなしに、といってもぼくが知らなかっただけなのだが、真昼間に禁じられた遊びを流した、冒頭の空襲シーンには度肝を抜かれた
ぼくが嫌いなのは暗闇で映画ではなかったのだ
下の姉はスクリーンを愛読していた、ある時あるページを開き、そこには女優の顔写真が50ほど並んでいたのだが、この中から二つ選べと言った、ぼくが選んだのはバーバレラの頃のジェーン・フォンダアン・マーグレットだった、思った通りだいい趣味してる、と二人の姉は喜び合った、それからは好きな女優はアン・マーグレットと公言するようになりいっぱしの洋画ファンになった 
ララミー牧場の頃は気持ちが悪いだけのおっさんだった淀川長冶が知らぬ間にかわゆく見えてきた、彼のラジオ番組を聴きだしてからは病みつきに、否、ぼくの師匠になった、淀川長治が褒めた作品をけなすような評論家の書くものは二度と読まなかった、師匠の言葉は一言も聞き逃すまいとチュウナーをつまんだまま必死に聴いた、東京に出てきてなにがうれしかったかといえば、雑音のないラジオが聴けることだった、あえて嫌いな表現をするが、淀川長治のラジオで何度生きる勇気をもらったことか
ぼくが自分の意思で小遣いで最初に見た映画は、宇都宮メトロ座にかかった雨の訪問者シシリアンだ、中学二年の時だったがその日は雨降りで、学生服に長靴といういでたちで日光は東武駅前のほていや旅館の玄関に立った、と、それを見た女将が、あら、カッちゃん、ヨモギタさんは学生服よ、と言った、それを聞いたほていや旅館の息子は部屋に取って返し学生服に着替えてきたのだった、この後はほていやの息子に余分な手間を取らせては申し訳がないと私服で出かけるようにした
大脱走は今市東映で見た、高校入試の前々日で小雪のちらつく底冷えのする日だった、場内のど真ん中で七輪が真っ赤に音をたてていた、客は10人いたかどうか、翌日ほていやの息子は38度の熱を出したらしいが、試験は無事通った
案の定今市東映はつぶれ長い間放置されたままだった、どうも気になるので少し気合を入れ事務所兼物置といった部屋に侵入を試みた、机に大正末期昭和初期のキネマ旬報が山積みになっていた、見過ごすわけにはいかなかった、ほていやの息子と山分けにし読み終わったところで交換した
我が生涯のベストワンは明日に向かって撃てだ、これも宇都宮でほていやの息子と見た、その前の日にカトウマサジが近寄ってきて、あした宇都宮へ行くんならこれ使えばいいべ、と鶴田宇都宮間の切符をくれた、マサジに従いそれを使って捕まった、駅員はねちねちしつこかった、正規の運賃を払えばそれで済むと思ったのだが甘かった、日光宇都宮間の往復料金の3倍の金を寄こせというのだ、どう決着がついたのかは覚えていない、親に知らせるぞ、学校に連絡するぞと脅迫し、家の電話番号や担任の名前はては家族構成まで聞き出すのだった、余程暇だったのだろう、一時間過ぎてもまだ駅員は喋り続けていた
ほていやの息子が気がかりだった、ぼくがキセルしようとしていたことを彼は知らない、もしあの時携帯があったなら、先に行ってくれとメールしただろう、ほていやの息子は辛抱強く待っていた、そして信じられないといった顔でぼくを見た
というわけで、館内に入るとポール・ニューマンが後ろ向きで自転車にまたがっていたのだ
生涯のベストワンが上映途中から見た映画だなんて赤い顔して赤面しちゃうが、師匠!どうかお目こぼしを
淀川長治の晩年はホテル住まいだったが、彼の文章は歳を取るほどに凄みを増し縦横無尽になっていく、淀川長治自伝上下はジャンルを超えた比類なき傑作である
 
 
 
ビール瓶の底に
 
 
ぼくが死んだのははじめて入った小さなめしやで、L字形カウンターの長い方の端っこに座りビール一本と焼きさば定食を注文し、勘定を済ますとカウンターに突っ伏しそのままだった
さばと味噌汁はキレイに平らげたがごはんはほとんど手つかずで、コップのビールは空だったがビール瓶の底に三センチほど残っていた
もし突っ伏すことがなかったら、ビール瓶の底まで飲み干し残ったごはんは持ち帰りにしただろう



常識から海へ


吉行淳之介やつげ義春にならって夢日記をつけようと
枕元にえんぴつとノートを用意した
さあここで今さっきの夢を書きつけるのだと起きかけたが
もすこし続きを見てみようとタイセイヲトトノエタ
夢の続きは見たのだろうか
起きたらみんな忘れてた
それなのにノートを開くと 常識から海へと一行
確かにぼくの筆跡でしるされてある





ぼくは骨のある男ではないが焼かれて残るのは骨だ
骨折り損のくたびれ儲けとはどこの馬の骨の戯言か
焼け残った骨は空にさらされ宇宙の塵に還るのだ
魂があるとすればそれは骨に宿るのだ
左右対称は好きではないが
骨は理科室の骨格標本のように左右対称でなければならない
腰部変形性脊椎症の診断で腰を回し始めたことは前に書いた
それから三年以上になるが腰回しは
骨を左右対称に戻す作業なのだ
動かなかった首がどくろ首の如く面白いように回る
後続のランナーの足音が聞こえてきてもじっとしているしかなかったのだが
今は右から左から心ゆくまで振り向いてウインクまでもしてしまう
気前良く抜き去られてしまうのは昔のままだが
左右対称だと息がしやすいのだ
性力に変化はないが っていうかたたないままだが
性欲は有り余る程なのだ
すべてがいとおしいのだ
カラオケのぼくの十八番は霧笛が俺を呼んでいると柳ヶ瀬ブルースだが
三番目に大事な曲が骨まで愛してだ



病み上がりの夜空に


デング熱にやられてエンジンイカレちまった
おいらのポンコツとうとうポシャッちまった
どうしたんだヘヘイ息子よ
うんとかスとかランとか言えよ
LEOで張り倒しては引いたし
CHANGで酔いつぶして天狗は去ったが
めしが食えねえ 心がカユイぜ
病み上がりの八日目の朝まだ
おいらついにシビレを切ったぜ
デングにゃ負けたぜ ホスピタルへ行くぜ
雨上がりの水たまりの街を
おいらのママチャリがイクぜ





君の方に近づいていくと素直な自分が見えてきます
このままどこまでも歩いて行ったらどうでしょう
一定のリズムで押し寄せる波の音は
君の息吹そのものです
波の穂と波間のあいだを君のうなじが揺らぐのです
たゆたううなじにいつまでもぼくは抱かれてました
だからあんまり遠くへ行かないでほしい
できれば波とぼくとの間にいてください
寄せては返し返しては寄せ絶え間なく果てしなく



マル田バツ子からの三通の手紙またはぼくは元気です


目覚める前の目覚め 雨が雪に変わる朝 至福の雨
クリスマスおめでとうそして良いお年を 大谷川暮秋 波
の六篇はマル田バツ子を想って書いた詩だ
今熱があるんです 37.3度 平気だと思ってもおでこを手で押さえると熱が乗りうつって掌までが熱いんです きっと掌の中のいるもうひとりの自分が怒っているんですね よもさんの言うことを素直に受けとれなかった自分に 悪げがあってあんな事持ち出したんじゃないんです それでもあげるよって言ってほしかったんです わざわざとって置いた詩集をくれるというだけでよもさんの気持ちをわかるには十分なはずなのに少女マンガ的にあれこれ想像しすぎてしまったのがいけないんです あれから家に帰ってだけどせっかく持ってきたんだしと渡された詩集に挟んであった手紙を読んだら泣いちゃいました わたし自分が自分らしくいられる時間をもっと落ち着いてよもさんを思える自分をがんばって見つけます だから今日はひどいこと言っちゃいましたが許してください
変な手紙出しちゃったけど うまく書けなかったんだけど わたしの気持ちわかってくれた?
わかったから電話したんだよ だからこうしていま喋ってるんだよ
ぼくをキライと書いた手紙をください 付き合ってる人がいますと付け加えてくれれば鬼に金棒天下無敵です
わたしはよもさんがキライです そしてわたしにはいま付き合っている人がいます
どうしてここがわかったの?家に電話した? バイトからの帰りと思った きょうはバイトじゃないもん エッ子んちへ行った帰りだもん
このまえは久しぶりにみんなと会えて楽しかったです 目つきがちょっと変だったけど 昔のままのよもさんでした 実は今決まりそうなんです だからよもさんの提案はうれしいのですがなしということで さようなら 元気でいてください わたしも元気に生きていきます


 
 
唇によだれ


というとんでもないタイトルの映画が昔あったが内容はまったく覚えていない
主演女優の名前は思い出せそうで思い出せない
こんな時は検索することも覚えたのだが
どうしても知りたいことではなし次回に回そう
小学一年の時の同級生にええという姓の女の子がいた
入学式の日からええさんは車椅子に乗り下半身にギブスを嵌めていた
週に一度しか登校せずそんな日も一時間か二時間でいなくなるのだった
クラスの誰よりも小さく顔の皮膚には張り合いがなかった
ぼくらが二年生になってからええさんは死んだ
やはり同じクラスにびいという女の子がいた
母親同士が知り合いだったのだろう 母に連れられびいさんの家を訪ねたことがある
何故かそこに車椅子にすっぽり収まっええさんがいたのだった
一言二言口を聞いたような気もするが確かな記憶ではない
唇によだれを見たのは小学五六年の時だが
その途中で不意にこの時の場景が甦ったのだ
それからは三年に一遍くらいの割合で唇によだれという題とともにええさんの事を
思い出す
勘違いして欲しくないので断りを入れるが
ええさんが始終よだれをながしていたということではけしてない
よだれとええさんには何のつながりもない



ゆめ #海の節で歌ってください


ゆめはふしぎだ大きいな
月が昇るし日が沈む
ゆめにお舟を浮かばせて
ってみたいなよその国
ゆめは大波荒い波
寄せてどこまで続くやら



種の起源 宇宙にて


なんでコトが起こったのか
起こしたのは誰だったのか
淫乱のおいらに解る道理はないが
起こったコトは必ず終わる
終わりのない戦争がおそらくはないように
あした地球は自爆し太陽は燃え尽き
そして宇宙はブロイラーチックにのたうつ
ぼくの目玉は手足は脳ミソはそこいらに散り消え
あんまり深くてあまりにも暗すぎて
俺のゲノムなぞあろう因果もなく



一瞬の風になれ 野口みづきに捧ぐ


例によって泥酔し
起きると左の足の甲に違和感があった
走ったら二キロが限界だった
それから四週間と二日早い話が一ヶ月走ることもまともに歩くこともできないでいる
一週間飲めなくても
偉大なる飲み志の俺には痛くも痒くもないが
走れないことがこんなにもつらいこととは知らなかった
俺が縄跳びを始めたのは三十で走り出したのが五十の時だ
それは縄跳びだけでは汗が掻けなくなったからだが
そうまでして汗を掻くのはつまりはおいしく飲みたいためなのだが
もしも走りの神様風の精がいるのなら
その昔酒の精バッカスに二束三文で売り飛ばした魂は即買い戻し
熨斗をつけ貴女に貢ぎます
だからどうかもう一度風のように走らせてください
#通り過ぎるあなたが風なら
わたしも今すぐ風になりたい



スカボローフェアが聴こえる


青春時代の真ん中はという歌を青春時代の真ん中で聞いた
二日前偶然にケーブルテレビで卒業を見た
ダステンホフマンがスカボローフェアに向かって赤いスポーツカーを走らせるシーンで涙が止まらなくなった
青春時代にはその時が青春とは気づかなかったが青春時代は確かにあった
青春時代の真っ只中
ぼくは二階に寝ていたのだ
素っ裸で横たわっていたのだ
こらえ切れずに泣いていたのだ
こらえようと陰茎を畳に擦りつけたのだ
その時聞こえてきたのがこの曲だ



殺してはならない


人間には金持ちと貧乏人とがいるが
位の高い人と低い人とがいるが
運のいい人と悪い人とがいるが
平等ではないが
甘えん坊も怒りん坊もいるが
死刑にする人とされる人とがいるが
いくつかの民族に分けることもできるらしいが
優劣(ちがい)はない
ぼくらにできることは
ぼくらにある権利は
死ぬまでそこにある ということだけだ
ぼくらは誰をも殺してはならない
一人一人が殺さなければ
誰一人殺される人はない

追記 きのうたまたまYouTubeで「ライアの祈り」という映画を見て
縄文時代が一万年続いたことに気づき
俺たちも満更捨てたもんじゃないなと安堵しました
一万年続いたそのわけは誰もが誰をも殺さなかったから
だって



パヤオのファラン


西洋がどのあたりで東洋がどこからどこまでを指すのか正確にはいや不正確にも知らないがオーストラリアとニュージーランドは地理的には西洋ではないだろう けれどオーストラリア人やニュージーランド人を日本人は西洋人と見做しているのではないか
この西洋人に当てはまるタイ語がファランだ
女を追いかけチェンマイからパヤオに移った
肘鉄を食らったがパヤオ湖のレイクサイドが走るのに具合がいいのでそのまま居続けることにした
走っている時よく一人のファランとすれ違った 長身痩躯で歳は六十くらいだろうか アロハのような派手なシャツを着 櫛を何日も入れていないような頭だったが厳格といっていい顔つきをしていた
雨が降らない乾季でも左手に傘を携えていた
ラムドアンと花の名がついたぼくの住むアパートの通路でこの男とばったり出くわした あらっ、あなたもこのアパートの住人だったのですか、その思いがおっとという音声になって漏れた
その日から彼はオットーとなった
走っている時だけでなく自転車に乗ってる時も歩いている時もオットーとは繰り返しすれ違った すれ違うくらいだから走っている時や自転車に乗ってる時には追い抜きもした 一杯ひっかけ気分のいい時は追い抜きざまに振り返り手を振ったりした オットーは傘を少し持ち上げる仕草で応えた 極まれに笑みがこぼれた 柔らかな笑みだった 
金が尽きたので日本に帰り四ヶ月働きパヤオに戻った アパートは別なのにした オットーのことなどきれいさっぱり忘れていた
当時パヤオ幼稚園の近くに一見好青年風のマー坊というあだ名の男とラッというあだ名のタイ人の奥さんが切盛りする日本料理やがあった 客がめったに来ない落ち着ける店だったので週に一度か二度のペースで通った
その(ヤン坊マー坊)の主人からオットーが死んだのを聞いた 毎月一日にそれも午前中に部屋代を持ってくるオットーが三日の夜になっても来ないので選挙好きの管理人が合鍵で中を覗いたところオットーは机に突っ伏す格好で死んでいたのだそうだ パヤオ警察からの連絡を受けニュージーランド大使館の職員がやって来たが大使館はオットーの身内と連絡をつけることができず死体は大使館によって処理された 他殺を疑わせるものは何もなく死因は栄養失調となった 
驚いたことにオットーは途方もない大酒のみだったのだ 朝行く店昼に寄る店晩覗く店と三軒の馴染みを持ちそれぞれの店でビールをきっちり三本飲んだ どの店でも聞かれたことには答えるが無口な客だったようだ たまに自分の鼻歌に体をぐらつかせることはあったが
一日にビールを九本飲むのは容易いことだがそれが毎日365日となると話は別だ 偉大なる飲み志を自負するぼくでも三日連続がいいとこだろう
トータルすればぼくがオットーとすれ違ったり 追い抜いたりした数は軽く500を越えるが朝方追い抜こうと宵の口にすれ違おうと千鳥足だったことは一度もない 彼の歩調は揺るぎなく首尾一貫していた
オットーの死は確信に満ちた緩慢なる自殺だったのだ



ママチャリブルース


ブランチはカオマンガイにしようと下に降りたがいつもの場所にママチャリがない
そうだった きのうはしこたま飲んだんだ
パズル合わせをするように切れ切れの記憶を寄せ集め夕べ引っ掛かった店を炙り出す
きのうぼくこの店に来ませんでした?そん時歩いて来ましたか自転車でましたか?
ママチャリ捜しで日が暮れてヤケ酒飲んで夜が明ける
型も色もまったく同じ自転車を二週間前にもなくしてる
手放し運転がいまだに出来ぬ
ああこれがおいらのママチャリブルース
借りたばかりのアパートから15キロ離れた彼女の実家へ
買ったばかしのママチャリを飛ばす
確かこの辺のはず
おとといも彼女のオートバイに跨ってやって来たのだ
ソムタム売りの屋台で訊いてみる
路地の一番はどっちの方です?
あら よもじゃないの?
よく見りゃモッドの妹だ
モッドのうちにはどう行くんでしたっけ?
モッドならチェんマイに行ったわよ
でいつ戻ってくるんです?
遊びに行ったんじゃないよ モッドはチェんマイに帰ったのよ
いったいどういうことなんだ 
チェンマイには厭きたから実家に戻った と聞いたからこの街へ来たのに
花の名前がついたアパートを借りたよ と報告するつもりだったのに
行きはよいよい帰りはこわい
ギーコギーコとペダルが詠う
ああこれがおいらのママチャリブルース



8っちゃん


やっちゃんはぼくになついでいた
やっちゃんには両親と妹とがいたがおとうさんは離婚するか死ぬかして
やっちゃんの周辺から知らぬ間にいなくなっていた
やっちゃん一家はある時期ぼくの家の隣の借家に住み
そこには風呂がなかったのでぼくんちが風呂をたてると親子三人で入りに来た
一緒に入ったことも何度かあった
そんなことでぼくになつきつきあいが始まった
お風呂の時だけでなくやっちゃんは頻繁に我が家に出入りした
やがてやっちゃん一家は東中学校の方に引っ越して行きぼくらは疎遠になった
引っ越す前の話だ
名無し坂の横手は今はシノハラ電気店だが昔はただの原だった
ぼくはそこで素振りをしていた 振りぬいたバットがいつのまにか後ろに来ていた
やっちゃんの頭を打った
血は流れなかったが広い範囲に滲んだ
やっちゃんは大声で泣いたがぼくを責めるそぶりは見せなかった
どうしていいかわからなかった
穴があったら入りたかったが穴はなかった
ほっとくわけにもいかず意をしおかあさんが働く福田ガラス店に連れて行くことにした
道中 逃げられたりしたら大変だと思ったのかやっちゃんはぼくの手を握ったまま離さなかった
四年生になるとやっちゃんが入学してきた
校内で見かけることはあったが言葉は交わさなかった
ただ一度渡り廊下のところですれ違っていったやっちゃんが
ひでおちゃん と呼びかけまたぼくの方へ駆け戻ってきたことがある
蹴躓き転んでしまったのだが記憶はそこでぷっつり消えている
高校生になった
中学の野球部の仲間に誘われ後輩の練習を見に行った
その中にやっちゃんがいた やっちゃんはぼくを認め照れくさそうだった
ぼくが野球部に入ったのは兄を真似てだがやっちゃんはぼくを真似たのではないか
その年の夏休みやっちゃんの勉強を見てくれとおかあさんに頼まれ引き受け
最初の日、野球部は辞めたのだとなんだか怒ったみたいに言った
やっちゃんは石原慎太郎と同じ目をぱちぱちさせるチック症だったが
一ツ橋を出都知事になり小説家でもある慎太郎のようには勉強はできなかった
8という数字を左上から書き始めたのには驚いた
普通は右上から書き始めに向かい右下に降りまた左に寄り元のところへ戻ってくる
中学生にもなってまともな8の字も書けないのかという呆れた驚きではない
水戸黄門にいきなり印籠を突きつけられたような驚きだ
その8の字の書き方は小学に上がる前のやっちゃんにちらし広告の裏を使って押し付けがましくぼくが教えたのだ
頑固なぼくは長い間なんでみんな揃いもそろってへんてこな8の字を書くんだろうと思っていたが 中学の時には普通の8の字を書いていた
出かけようと靴を履いている時やっちゃんのおかあさんから電話があり熱を出したので別の日にしてほしい言われた
別の日はやって来なかった やっちゃんとはそれきりになった 三回教えただけだった
間違って教えちゃったけど正しい8の字はこう書くんだよ
と告白する機会も失われた
先の田中典子先生という詩の中で
年齢差というものはどちらかが死なない限り広がりも縮まりもしないと書いたがこれはおかしい
ぼくの兄はぼくが52の時61で死んだがそして今ぼくは58だがぼくと兄との年齢差は3歳ではなく9歳のままなのではないか
年齢差はどちらかが死んでも双方が死んでも変わりはしないのだ
この場を借りお詫びして訂正します
生きていればやっちゃんは今55でぼくと3歳違いだがどんなふうに8の字を書くのかは
知らない
 
 
 
記憶
 
 
思い出せない記憶は思い出さなくてもいい記憶だと死んだ川中子は言ったが
うまいことを言うなと思った
オリンピックの東京での開催が決まったがこの前の時は夢中でテレビにかじりついた
神永がヘーシンクに押さえ込まれ身動きできなくなったのも 依田のスタート前の後方へのでんぐり返りも 半田の回転レシーブもこの目で見た
閉会後すぐに朝日新聞の真ん中に6ページわたって全記録が載った
それはぼくの宝物になった 思い出しては引き出しから引っ張り出して眺めた
6年の時修学旅行の写真とともにそれが忽然と消えた 半狂乱になって捜したが出てこなかった 取り返しのつかないことをしてしまったと下の姉に八つ当たりした
ぼくは太腿フェチだから女子バレーボールの中継があればすすんで見る
この前のアジア選手権も7チャンネルが生中継したのでタイ代表チームの試合は全部見た
タイは日本との試合を2回とも勝ち2回目の優勝をしたのだがぼくは自然にタイの方を応援していた それはタイに住んでいるとか日本を愛していないとかではなくそこにプルンチットがいたからだ
プルンチットのことは10年前から注目していた プルンチットの太腿は完璧だった
30になりキレイな顔はふけてきたが太腿は今も非の打ち所がない
それにしてもタイではなぜこんなに歯の矯正が大流行なのだろう プルンチットもそうだが代表選手12人のうち5人が矯正中だった
50にして初めてのプロポーズをしたモッドも最後に会った時はいい歳こいて歯の矯正ギプスを填めていた 少し出っ歯なところがかわいかったのに
話は突然変わる
ホモサピエンスは感情を持ったことでボタンを掛け違えたわけだが 感情が言葉を記憶を作るのだが 人間は掛け直すことなく掛け違え続けるのだが その最たるものが国家という概念と貨幣制度を持ってしまったことだろう
あれほど東京オリンピックの記録に固執し
記憶を肴にだらだら文を書き続けるぼくが
60近くになってこんなことを言うのはおこがましいが
こんなことを思うのはのべつ幕なしにではなくほんとうにごくたまになのだが
感情と記憶がなかったらどんなにかよかったろう
 
 
 
サイコちゃんとサイちゃん
 
 
サイコちゃんは同級生の一人と下校するぼくを尾行しぼくの家まで附いてきたことがある
だいたいこのへんだと分かっていたがもっとはっきりさせたかったのだそうだ
知り合ってまもなくサイちゃんは親父は小さい頃に死んだと言った
そのサイちゃんは死んでしまったがおとうさんは90を過ぎた今もぴんぴんとし社交ダンスに精をだしていると聞いた
うちから歩いて30分のところに小学生が画用紙の右上に描くような山がありそのてっぺんには100円を貢と200円にして返してくれる神様がいて正月の2日か3日に詣でる慣わしがあるのだが手塚の光ちゃんと初めて登った時登ったのはそれ1度きりだがサイコちゃんといきちがった サイコちゃんはいきいきしていた ぼくはそのことをぼくがあみだした暗号で日記帳に記し72時間予約再確認のような恋をした
中学時代のサイちゃんはクソ真面目で勉強ができて学級委員でもあったらしいがぼくと知り合ってからは酔うと必ず攻撃的な言動をとった
なので
とここでこの接続詞は使わなくてもよいのだが
なので
その目はサイの目のようにうつろだった
 
 
 
なので
 
 
がおおはやりである
はじめは若い人たちの間だけで流通している言葉だと思っていた
ところがぼくの敬愛する作家の何人かもなので文を使いなので口調で話している
ぼくが気づかなかっただけでなので言葉は太古のあちらからこちらへとずっと飛び交っていたのかも知れない
ぼくなりになので言葉に挑戦してみよう
春が来たから私は眠いをなので文にすると春が来たなので私は眠いだろう
うーん どうもなので文の方がボルテージ高いというか情感豊かなようだ
死期が来たから私は死んだでは死ぬに死に切れないが死期が来たなので私は死んだだったらまあ仕方がないかという気にもなる
ならねえかあ
 
 
 
親友
 
 
一枚の写真がある
校庭の片隅にあったセメントで固めた象の像の背中にぼくとウガジンとウエナカとワタナベが腰掛けている
鼻の所に担任のサイトウジンイチ先生が立っている
この時の先生は今のぼくよりだいぶ年下のはずだがぼくよりはるかに人間らしい慈愛に満ちた大人の顔をしている
ウガジンは写真館の息子で冬場でも半ズボンで通す坊ちゃんだった
ウエナカのおとうさんは東照宮だと聞いた
ワタナベの家はぼくんちに似ていた つまり裕福ではなかった
ぼくらは早々と生涯親友宣言をしてワタさんヨモさんと呼び合った
ある時これから二分以内にウガジンを泣かせて見せると豪語し向こう脛を思い切り蹴り飛ばしてそのとおりにした
またある時は冗談半分のワタさんとの決闘が本気になり砂場の砂にワタさんの顔を三分の一埋め込んだ 泣かす気はなかったのにワタさんは泣いた 酒場でケンカになると一方的に殴られるだけの今とは大違いだ
四年になるとクラス編成があり三人とは離れ離れになった
サイトウ先生は別の学校へ行った
新しい担任とのソリが合わず何かあるとと言っても二回だけだがワタさんらと連れ立って一町離れたサイトウ先生の家へ遊びに行った
このように小学生のうちは何かしらつながりがあったのだが中学に上がると二人は疎遠どころか無縁になった 高校も同じだったがワタさんが何組だったのかぼくは知らない
ウガジンは死んだ
ワタさんの消息や何処?
象の背中に座った時には一番遠い存在だったウエナカとは東京に出てきてから交流ができ今に続いている
余計な話だがある時期チェンマイにある親友という名のカラオケやによく通った
そこのボーイと仲良くなりちょいとひとっ走り日本へ出稼ぎに行ってくると洒落込むとなら手土産に腕時計を買ってこいとのたもうのだった
親友はゴーゴーバーに変身し件のボーイはマネージャーになった
ちなみに親友をタイ語式発音で言うとチンユウとなる
 
 
 
トンダキセキノシャーリーマクレーン
 
 
ビールを五本飲むと判で押したように意識が飛ぶと前に書いた
気がつくと無意識を抜けるとそこは雪国だったってなことも繰り返し書いてきた
それをもう少し書く
上中の家で忘年会をやった時上中は離れで寝起きしていたので離れでガヤガヤしてたのだが小便に外に出起きると茶の間の掘り炬燵にもぐりこんでいたなんてこともあった
離れに茶の間なんぞはない あさっての方からわざとらしい咳払いが聞こえてくるので そうか俺は離れに戻るべきところを母屋に来てしまったのかと仲間のいる離れへと逃げ帰ったのだが あとから話を照らし合わせるとあの咳払いは上中のおかあさんのではなく隣の月井さんのものだったようだ
またあるときは
気がつくと飯場のようなところの板を通しただけの長いすに仰向かっていた
飯場の回りに人家はなく絵の具を溶かし込んだような赤土がどこまでも続いている
ここはどこなんだろう どうしてこんなところにいるんだろうとイヤな予感が立ち上がって来た時奥の方から小学二年生くらいの女の子が現れぼくを見て何か言ったのだ  ぼくは咄嗟にタイ語で挨拶をし飯場の前に止まっていた自分のママチャリにとびのったのだ
アパートからその飯場まで間違いなく10キロ以上はある なぜキロ数までわかったかといえば道行く人をとっ捕まえては パヤオ湖へはどう出るんです?あと何キロぐらいです?と聞き続けたからだ
その日も三日三晩飲み続け最後の仕上げにアパートから歩いて一分半の(くだんのくだる)という飲み屋というか食堂に寄ったのだ そして閉店までそこの主人と話したのだが不思議なことにその会話のひとつひとつを翌日になっても克明に覚えていたのだ 詰め込んだアルコールの量からすれば立ち寄ったこと事態忘れていていいはずなのだ
だからそんときもあしたになればこんなこと忘れてるんだろうなと(くだんのくだる)のノンベエ親父との会話を反芻しながらアパートにたどり着いたのだがカギがないのだった
ここのアパートの夜警は合鍵の管理を任されていない
一ヶ月前夜警さんを誘いカラオケに行った 勤務中にあっさりと誘いに乗っかかってくる夜警も夜警だが誘うほうも誘うほうだ 夜警さんはマイクを握って離さず彼が10曲歌うなかぼくは2曲しか歌えなかった ぐちぐちと三輪タクシーでアパートに帰るとカギがないのだった 合鍵は持たされていないと言う 大家を叩き起こすのもアレなので近くのホテルに行こうとしたら なら俺の部屋に泊まればいいと路地をひとつ隔てた彼のアパートに案内してくれたのだ
起きると見慣れない部屋だったのでどういうことだとポケットを探るとなくしたはずのカギがあったのだった 再び自分のアパートに戻る カギはどうしたと夜警が言う それがあったのだ 
俺の部屋のカギはどうした?ちゃんとロックしてきた まいったあの部屋は中からロックしちゃうと外からは開けられないのだとわけのわからないことをいう
その日の夕方部屋がしつこくノックされるので出てみると夜警が立っているのだった やはりカギは壊すしかなかった 300バーツかかったが100バーツは俺が出すから残りを出せという なので200バーツ払ったのだ
その日の夜警はいつものカラオケ好きの彼でなく若い男だったがカギはやっぱり持っていない そこでロビーのソファーに倒れ込んだが寒くなってきたので共同便所にしけこみうつらつらつらしているうちに背負いバックの中に寝袋があるのを思い出した 久しぶりにパヤオへ遊びに行ったのだが友達のところに泊めてもらおうと詰め込んだのだ 結局は900バーツのホテルに泊ったのだがなぜそんな高いところになったかといえば200バーツのやつは泥酔を理由に拒否されたからだ それをソファーの下に広げこんがらがったりうつらったりのたうったりしているスキマにバックの中に付いているキーホルダーにカギを引っ掛けた記憶がでんぐり返ってきた
カギはそこにあるのだった 一度テントの収納袋に隠しこましたパスポートの存在を忘れ再発行の手続きをしてしまったことがある まったく周到過ぎるのにも困ったものだ それにしても失われたアパートの鍵が二度も続けて復活するなんて トンダキセキノシャーリーマクレーンだと脳みそでつぶやき 堕ちる飛行機は落ちるのだ泥酔するにかぎるのだと奇跡のキーでドアを開け自らの意思で自らの意識を墜落させた
 
 
 
諦念
 
 
 
夕べのことは水に流そう
側溝に流した舐め終えたアイス棒みたいに
 
おふくろは覚えているだけでばあちゃんの苛めに耐えかね二度家出している
一度目はイザワさんちへ二度目はヤマコシさんちへ駆け込んだのだ
その道中は永遠のように感じられたが ナニ はいはいでも行ける距離だったのだ
一山離れた実家にまで逃げ帰るには背中のぼくが重すぎたのだろう
いつだって心配事で満腹だった母は
夕べのこともあしたのことも もろもろのことともろもろのものを
垂れ流しにするしかなかったのだ
 
 
 
もっと遠くの水たまりへ
 
 
あめんぼうはどこに行ったのだろう
最近とんと見かけない
よく言われているように絶滅寸前なんだろか
いや あめんぼうは
となりの水たまりへ となりまちの水たまりへ みずすましのいる水たまりへ
ひとかき ひとまたぎしたのだろう
 
 
 
向上心
 
 
世が世ならこのぼくだってそこそこなのに誰もわかっちゃくれないとひとり孤高にせんずりなんぞをかいているとそんな自分がこんちくしょうにたまらなくあしたはこの世のすべてのものに許しを乞おうと思うのです
みんなと仲良くワイワイがやがややっているとなぜかしら股間のあたりがむず痒くおいらいちぬけたあしたはちょいと斜に構え道行く人を肴にとことん飲んでみようと思うのです
小さい頃の夢は競馬の騎手船乗りボクサーだったりしてそれは叶わなかったけれどその基本姿勢はしたくないことはしないということであり具体的には極力働かないようにしてここまできたのだがこの年になっては働こうにも職はなくもうじき飢え死にするだろうがそんな自分は少しもイヤでなくむしろ誇らしくさあ霞みを喰らってもうひと踏ん張りと思うのです
 
 
 
不良
 
 
青山杉作記念俳優養成所に入った時
最初の授業でお互いニックネームで呼び合おうということになった
赤木圭一郎に傾倒していたぼくは
どうかトニーと呼んでくれといった
俺は大将だと大将はいった
ひとみさんを主人公に蒲田狂詩曲という詩をこのサイトに書いたが
いまその人に恋をしているのだと大将に告げると
よし俺に会わせろ俺がその女を見極めてやるといった
ひとみさんは大将を評してあの人は不良よといった
それはつまりぼくは不良でないということだ
だがどんな人間だって不良時代のそのさなかに死なない限り
一生不良であり続けることはできない
いつのまにか知らぬ間に
大将は善良なる一市民となった
 
 
 
ネットカフェからつぶやき
 
 
例によって泥酔し所帯道具をなくした時パンツもパソコンも失われたそれ以降マラソンのレース情報の検索やこのサイトの更新には近くのネットカフェを利用しているここはタイのチェンマイなのでまず日本語に変換するわけだがこの手続きは自力でできるものの日本語で打ち込めるようにする手順が覚えられないそこで従業員を煩わせることになるのだがはじめは迷惑顔だった店員もこの頃はあきらめ顔で淡々とこの作業をしてくれるだから句読点を取り出すにはどうしたらいいのかと聴けるほどぼくは厚顔ではないまた句読点がこのパソコンに潜んでいるのかどうかもわからないそこでス    ペースを空けることを学習したのだが読点がなくてもスペースを空けなくても意味は通じるだろう鶏が先か卵が先かアダムが先なのかイブなのかは知らないがヒトは一人から二人になり家族を持ち集落を作りそして国家になだれ込んだのだろう国家とは戦うと興奮する遺伝子をインプットされている人間には便利なものだったろうネットがあれば地球に穴を掘り貫通させなくてもブラジル人の足の裏を舐めることはできないがその形状を知ることはできるだろうネットは世界をひとつにしたのだならばもう国家はいらないのではないか必要悪ならぼくの本籍は宇宙国地球県日本市栃木郡さくら市希望が丘字痣でいいのではないか日本語は日本市の方言でありぼくの訛りは栃木区特有の訛りなのだかように言語を一つにするのは不可能だし必要もないが貨幣は一つにしてしまおういちいちドル高だ円高だと一喜一憂しなくてすむ専門家は貨幣を統一すると経済システムが破綻するというがぼくにはその原理も道理もわからない破綻したら物々交換に戻せばすむことだ国家があってもなくても家族はあり続けるかもしれないが国家がなければ家族を守る必要はなくなる世の中のネット上のつぶやきの大半はこじつけだからぼくもこじつけちゃったりしちゃうが国家がなければ法はいらない殺してはならないというただ一つの掟を除いて正当防衛というまやかしの法律はなくなる自衛防衛をしてはならない守ってはならない守るという行為は所詮所有願望だろうテロリストと呼ばれる人たちに殺されても彼らを殺してはならないヒトはひとりきりなのだからひとりきりの他人からひとりきりの自分を守るなんてナンセンスだそもそもひとりきりの他人とひとりきりの自分に何の違いがあるのだろう



さようならぼくは気まぐれ


自分の意思とはかかわりなく生まれてきたのだから自分の意思で死にたい
それは自殺とか自死を意味するのでなく
せめて死ぬ二三秒前までは自分をキープしていたいのだ
そして辞世の句ではないが今わの際にさようならぼくは気まぐれとつぶやき
一発かましたいのだ
だからいきなりうしろから頭をカチ割られたり原爆水爆では死にたくない
では最新作死行錯乱を読んでください
やがて死ぬとかもうじき死ぬとかあした死ぬとか
ぼくの詩には死が頻繁に登場する
それは死に身近に寄り添ってもらって慣れ親しみたいからだ
そうしないとたとえば二週間死の存在を失念しちゃったりしちゃうと
死の恐怖は知らぬ間に膨れ上がって二乗三乗になり王子を抜けて十条になり
正確なカウンターでぼくを叩きのめすのだ
死んだら自分はなくなるのだとものごころがつく前からぼくは皮膚感覚で知っていた
けれど死を手にしたわけではない
いくら試行錯誤してもまた死んだところで死は掴みきれるものではない
それなのに死は無だという観念を野放しにしてきたのは
もし自分という意識が永遠に消えないとしたら己がいつまでもどこまでもついてまわりついに断ち切れないのならそのほうが死ぬよりはるかに恐ろしいからだ
死はまもなく何の解明も許さず正体を白日にさらけ出すこともなく
ブラックホールの天地無用の穴底で、ぼくを千切っては噛み砕き千切っては食い潰し千切っては炙り溶かすだろう


インドへ


はじめての海外旅行インドへはバンコク経由で行った
廃校を利用した宿泊施設遊学舎のバイトで知り合ったコーローさんに
インドはよもさんのためにあるような国だ行けば必ずハマルとそそのかされたのだ
パートナーのミサトさんはインドにいる日本人でコーローを知らない人がいたらそれはモグリよと言った
そのコーローさん一家とカルカッタで別れブッダガヤへ移動した
開口一番俺はムスリムだと宣言したナシムは
おまえは日本人か?これから街中へ行くんだろ?だったらこれに乗れ
と彼が雇ったリキシャにいざないおまけに宿まで見繕ってくれた
渋谷新宿池袋と言いながら近づいてきた唇がやけに分厚い少年ヒラムは
ワタシプロのガイドねワタシアンタが気に入ったただでガイドしてやるお礼はいらないお金もいらない
とその唇をブルブルさせた
二人の親切の押し売りをぼくは拒否することができなかった
ナシムはオクサン殴るネ拳骨で殴るオクサン別れたいけどナシムそれ許さない
とヒラムが言った
日本へ行ったことがあると奴は言っていなかったか?でもそれは大嘘だ奴の言うことはみんなデタラメだ奴の日本語はこの俺が教えたのだ
とナシムは言った
ナシムがぼくに向かって日本語を発することはなかった
君の日本語の先生はナシムなのかと聞いたがヒラムは否定も肯定もしなかった
二人に挟まれ身動きが息継ぎができなくなり予定を早めベナレスへと急いだ
バックパッカーたるもの貧乏旅行でなければならない
コーローさんの教えに従い宿は安いのにした 当然トイレシャワーは共同になる
それが失敗だった
尿意を覚えても便意を催しても部屋の外に人の話し声が聞こえると人の気配を察すると出て行くことができなかった ギリギリまで耐えた
ぼくはノーと言えない日本人だった
そのせいで物乞いの五六歳の少女はぼくの右手の小指を握ったまま迷路のような湿った細い路地を五分間も一緒に歩く破目になってしまった
ハマルどころではなかった 浮き上がっていた
向こうから来る日本人を認めると路地に折れたり店を覘く振りをしてやり過ごした
すれ違うしかない時は顔をそむけた
それなのにインド人のひとりひとりが日本人の誰それに見えてくるのだった
あっちから歩いてくる彼は渥美清を丸くしたような顔だとか
そっちからくる彼女は沼尻さんちのスミちゃんに瓜二つだとか
半年のつもりだったが二週間で引き返すことのした
精神に異常をきたしてしまったのだから仕方のないことなのだと言い聞かせた
一年のオープンチケットはコーローさんが準備してくれたが帰りの便は自分で予約しなければならない
旅行代理店や航空会社の事務所をあっちに行きそっちに行き疲労困憊した
空港では右往左往した アライバルが到着で出発がデパーチャーとは知らなかった
現地で必要に迫られ英語を使っている現場にたまたま居合わせた日本人の一人は
君の英語は片言以前だねと言った
またある男はその英語で海外をうろつくとはいい度胸だせいぜい日本人の評判を落とすがいいと吐き捨てた
一刻も早く日本の地を踏みしめたかった そしてもう二度と外国になんか来るものかと呪文のように唱えるのだった
乗り合わせが悪くバンコクで三泊しなければならなかった
最後の日になった 23時発の成田行きに乗る
宿に頼み20時に空港へのタクシーを予約した
それまではめしを食うにも散歩するにもなるべくホテルから離れないようにしていたが最後だからと歩いて20分のシーロム通りエリアに遠出した
ロビンソンデパートの中にあった成田という日本料理店でカツ丼を食い腹ごなしにチャオプラヤー川の方に歩き出した
向こうから来る女と目が合った その二秒後にはぼくはいきり立っていた テントを張るといった生やさしいレベルではない そいつは天に向かって屹立し下腹に張り付いたのだ
女が接近してくる
!!ホテルを知らない?@@@@ 確かこの辺のはずなんだけど 聞いたことない?
@@@@ わたしはシリーよ あなたは? ヒデオだ わたしは23 ヒデオは? 29だ マレーシアから来たの クアラルンプールのクラブで歌ってるの
いつのまにかシリーはぼくの腕を取っていた ぼくはシリーの横を歩いている
ねえヒデオ時間はある? ないことはないと答えたかったがとりあえずイヤーとだけ言った
ホテルの下がコーヒーショップになってるの 何か冷たいものでも飲まない?
シリーはぼくの返事は待たずにさっとタクシーを止めると中にぼくを押し込むのだった
ボッキを覚られまいとともだちから餞別にもらった刺繍を施した布製の肩下げ袋を股間に載せる だがシリーの左手はバッグを潜り抜け太股を伝いぼくをナデナデするのだ 首に回した右手は左の耳穴をホジホジするのだ 唇が首筋を這い這いするのだ
ぼくだってバカではない これは普通じゃないと思った この辺のはずのホテルに行くのにタクシーを止めるだろうか いや迷ったから止めたのではないか
それにしても一言の英語も話せないのに何故シリーの言うことは聞き取れてしまうのだろう
まさかナシムの話していたのがヒンズー語でシリーのがマレー語ということはあるまい
ついさっきもシリーはぼくの耳たぶを齧りながらヒデオはベーリービューチフルと言ったのだ
着いた所はどう見てもホテルではなく連れ込みモーテルだった
タクシーに乗っている間ぼくはずっと立ちっ放しだった そしてあと三日は萎えそうにない
どこからか現れたボーイが一室に案内する
中に入るとシリーはあっという間に一糸纏わぬ全裸となった ウエストにくびれはほとんどなかったが臍周りも股の付け根もどこもかしこもはちきれそうだった そのオッパイはまるでリンゴを手にした麻田奈美だ
シリーがぼくのTシャツを脱がしスウェットパンツをずり下げる
ここで少し説明する
出発前貴重品をどこにしまうかで悩みに悩んだ 出した結論がサポーターだった
膝用の長いサポーターを二つ折りにし中に入れ折り返しをホックで留め膝の下につける
だからズボンは出し入れがしやすいようにGパンでも綿パンでもなくスウェットパンツにした
シリーの手がサポーターにかかる ぼくはノーと唸ってシりーの腕を振り払う
こんな成行きは想定外だった これでは貴重品の在り処を教えているようなものだ
シリーはサポーターにはさほどの執着を見せずぼくをベットに押し倒す
そうだったわ コーヒーでも飲みましょう
部屋の電話でコーヒーの注文をすますとぼくに乗っかかってくる
と部屋がノックされた
シリーが裸のまま部屋を開けると入って来たのはコーヒーではなく背の高い痩せこけた女だった
あらケイじゃないの ヒデオこれはケイよ わたしのともだち ケイ彼がヒデオよ
シリーが早口でまくしたてる
ハーイヒデオ
とケイも一糸纏わぬ全裸となった
こうなったら三人で楽しみましょうよ
と言ったのはシリーだったかケイだったか
ぼくだってアホではない これは100%変形性の美人局と判断した
起き上がってパンツに足を通す
それを見たケイがすごい勢いでぶちかましにきた もろ差しでがぶり寄りしさばおりの
体勢のままベットへ押し倒す
シリーがパンツを引っこ抜き唇で膝小僧を踝をついばむ
ぼくはイヤイヤでもするように首を振り
身体をよがらせる
ケイの体が離れた
わかったわ ヒデオはわたしがキライなのね シリーの方がずっと美人だものね いいわ二人で楽しめば わたしはシャワーを浴びる
と浴室へと消えた
ケイに代わってシリーが跨がってくる シリーは重たかった シリーの口がぼくの口をこじ開ける 上の前歯の一本が軽度のみそっ歯だった
舌と舌とが絡み合う 陰毛と陰毛とが縺れあう イキそうだった 早く入れてくれよと叫びたかった
膝に異変を感じシリーを払いのけ起き上がった時にはすべてが終わっていた
床にパスポートがチケットが現金が散らばっている すでに服を纏っているケイがハンドバックに何かをいれた シリーがブラジャーをたくし上げている
ぼくもTシャツに頭を突っ込みながら散らばった物を寄せ集める
何しているのよ ヒデオは慌てなくたっていいのよ
ケイかシリーが言った 慌てないわけにはいかなかった この上ここの部屋代まで請求されたらたまらない
二人と競うようにして部屋を出る
二人は入口に止まっていたクルマに乗り込み何処かへ去った
パスポートとチケットを確認する かき集めた現金は十ドル紙幣が一枚と五ドル紙幣が二枚だけだった スウェットパンツの六百バーツは無事だった
そこがどこなのかまったくわからなかった
タクシーを止めるしかなかった 三輪タクシーに交渉すると百バーツだった 宿の女は空港までの車代は二百と言っていた 何とかなりそうだ
ホテルに着いたが20時まで4時間20分あった
1ミリたりともハメていないのにハメ盗られた50万円を少しでも回収しようと
シリーの肢体を思い起こし みっちりと身の詰まった尻の感触を反芻しながらタイ語で言うところの凧上げをした
23時の飛行機は台風の影響で飛べず一晩ホテル待機となるのだがそれはまだ先の話だ
凧上げは二度した

 
 
心ひそかに網走番外地
 
 
ぼくはいかなる主義者でもないからアナーキストではないが
その昔 アナーキズムというコトバの響きについおっ立ててしまったことがある
中学時代に名画鑑賞会で見た雨月物語京マチ子
星より密かに雨よりやさしく恋焦がれたように
国家がある以上奴らに逆らってはならない
長いものにはまかれろだ
おいら 順調にいけばあと一年で生活保護の申請をしても誰にも後ろ指を指されないような境遇に陥る
だけんど貧乏人にもプライドはある
酒は喰らうが情けはいらねえ
ぼくには一つの戦略というか計画がある
どうにも立ち行かなくなったらつまりすっからかんになったら
吉野家で牛丼の並とお銚子一本のただ食いをし刑務所に入るのだ
塀の中で心静かに果てるのだ
だが待てよ
この心ひそかに網走番外地大作戦が賛同者を得
あちらこちらで無銭飲食者が溢れかえってしまったら
銚子一本牛丼並のケチな咎人は弾き出されるかもしれない
そうなったらそうなっただ
そこいらでそこいらへんの雀についばまれよう
その前に言っておきたい
ぼくらはつるんではならない つるめば奴らの思うツボだ
奴らは無視するに限るのだ
国家があろうがなかろうがオカズがあろうがなかろうがマスはかけるのだ
愛がなくてもおめこはできるのだ
カネがなくても国家があっても祈るのに不自由はしないぜ
どうか世界中が平和でありますように
 
 
 
さよなら三角また来て四角
 
 
いいのよいいのよ 放っといて みんなわたしが悪いのよ
郵便ポストが赤いのも 電信柱が高いのも みんなわたしが悪いのよ
最近深酒した翌朝にはこのフレーズが頭に滞って離れない
おそらく彼女は郵便ポストを赤く塗る作業にも電信柱を植え込む仕事にも
従事したことはないだろう
また郵便ポストが赤いことに電信柱が高いことに被害を被っている人も
そんなにはいないだろう
それなのに彼女はポストが赤くて不快に感じる人があると聞くと
詫びをいれるのである
何と潔いのだろう
父性心をくすぐられ放ってはおけなくなる
ついこないだ不妊治療の一つとして第三者の精子提供を受ける方法がずっと昔からあったのを知って驚いた
彼女なら悪いのはあなたじゃなくてこのわたしと見知らぬ男の精子には見向きもしないだろう
養子に迎えた娘が重い腎臓病になっても自分の腎臓を差し出しはしないだろう
そんな不自然な要領はついに受け入れられず自分を責めて泣くだろう
娘が死んだあとも嘆きつつ愁いつつ生き続けるだろう
のたれ死んだあと いや これは彼女ではなくぼくのことだ
死体を解剖されるのにはやぶさかではないが
臓器を他人様に差し上げるのはまっぴら御免のよも助だ
 
 
 
天邪鬼から
 
 
おもてなしが流行語大賞になった
滝川クリステルというファッションマッサージの店の名前のような女に具体的な恨みはないがエラそうな顔をしたおんなだとは思っていた
新明解国語辞典第五版でおもてなしと引いても出てこないがもてなすは心を込めて客に応対する狭義では客に酒食を供することふるまいとある
歓待は心を込めてもてなすこととある
ふるまいと歓待は最早死語になってしまった
たとえばテレビ番組の中で歓待などと口走ろうものならなぜさっきのところおもてなしと言わなかったのだとその司会者や番組進行者乃至タレント否バラエテーラーはクビになるだろう
ソチオリンピックパラリンピックを見た
恩返し感謝集大成元気勇気という言葉で煮えたぎっていた
いったい元気とか勇気はあげたりもらったりするものなんだろうか
借りた金は返すべきだが受けた恩は胸の深くにしまいこみ墓場まで持っていくのが筋なのではないか
人間をひとりきりにすると気が狂うらしい
人間は一人だけでは生きていけないのは確かだし自分は生かされているのだと思える刹那もある
感謝の気持ちは何よりも大切なものだろう
だがそういった本音は退化した尻尾に絡めておくくらいが丁度いいのだ
公共のテレビで全国ネットで涙うるうるで公言しちまったら
その瞬間本音は所信になってしまう
本音と所信が合致する人間はめったにいない
はたちで横浜放送映画専門学校に入った時同級生に三十を三つか四つ超えた和田という男がいた
そいつは女を前にするともてなしてくれるなら気イ使わんと腰使うてやと馬鹿の一つ覚えのように言うのだった
その和田さんから一時間五千円のアルバイトをしないかと持ちかけられローンズワールドから五万円借りてやった
それが縁でローンズワールドとは長い付き合いになった
正月に帰省する時甥姪たちへのお年玉に事欠く時何度もお世話になった
だから海よりも懐よりも深く感謝しているが恩を返そうと思ったことはない
 
 
 
マリアのお告げ
 
 
安西マリアが死んだ
ギーラギーラ太陽がと歌っていた時
何と幸薄いそして胸の薄い女だろうかと思った
夏木マリを残して彼女はテレビの画面から消えた
それ以降同年代の彼女の存在に思いを馳せたことはない
マスコミも忘れていたはずだが死んだとなれば話は別だ
この三年でかなり親しかった男そこそこに親しかった男それなりに親しかった男と立て続けに逝った
予期したほどの動揺はなく三つの死はあぶくに弾けた
安西マリアは自らの死で持ってぼろぼろの俺たちに知らしめたのだ
さあ次はお前たちの番よと 
 
 
 
なんだ行進曲
 
 
宇宙はだれのものなんだ
地球のものではないだろう
地球はだれのものなんだ
アメリカのものではないはずだ
日本はだれのものなんだ
だれのものでもないだろう
つまりはみんなのものなんだ
自給自足がしたいんだ
鋤をかまえるおれがいる
耕す土地はどこなんだ
 
 
 
 
 
秋の新人戦が終わると次の年の三月までカミノケを伸ばしていいことになっている
十一月十七日の将棋の日に十四歳になったぼくは手鏡を壁に吊るしてああでもないこうでもないとヘアスタイルの研究に余念がなかった
と 指先につるっとしてるのに吸いつくような感触がはしった
前頭部のド真ん中が一円玉大に禿げていた
一人で悩むのは一晩が限界だった
打ち明けるとおやじは床屋へと出向いた
生方理容店のノブちゃんは棚の奥からヘヤークロンという毛生薬を取り出した
ヘヤクロを一ヶ月で使い切ると紫電改に切り替えた
ブラシを握り締め暇を見つけては杉浦直樹にならって血が滲むまで叩いた
けれど叩けば叩くほど禿は図に乗り一円玉から五円玉にそして十円玉に旧五十円硬貨についにはピンポン玉大になった
河合病院では???光線を五分間照射したあと患部に直接注射した ペニシリン注射の何倍も痛かった
脱脂綿をあてがわれて診察室を出るのだがある時同じクラスのZさんとすれ違った
全校レベルでも五本の指に入るボーイッシュなZさんはスポーツ万能でほどなくインキンの治療で病院通いをしてるとの噂が流れた
クスリを待つ間そっと脱脂綿を外してみるとケが百本くらいこびりついているのだった
授業中は手でケを押さえいらわずにはいられなかった
いらえばいらうだけケはポロポロと教科書に落ちた
禿は粛々と進行したがケも伸びるので何とか隠し通せた
両サイドのケを真ん中に掻き集めるたこ八郎のような髪形になった
四月になり三年になった
どうにか産毛らしきものがちらほらと生え出した
顧問の市花先生はぼくが坊主にしないことを認めてくれた
その上みんなで主将は小林と決めたのに強引にぼくに直した
小林との間はあとあとまでギクシャクした
自分で拝むのが一番だからと日蓮宗の一派ショブツブッショコネンの信者である母はぼくを身延山へと連れ出した
何回乗り換えしただろう
その日は宿坊に泊まり翌日は夜が明けぬうちから母と行を共にした
せっかくなので拝む代わりに取引をした
こいつをなんとかしてくれたなら
一生結婚できなくても構わないと
一生涯誰からも愛されなくて結構日光大和観光だと
夏の大会が来た
まだ産毛の域を出なかったが一応は生えそろった
思い切り坊主にすることも考えたがしなかった
レフトの大島は納得がいかないのかいきなり帽子をひっぺがし手をケに突っ込むのだった
地区大会の上位二校が県大会に進めるのだが
となると夏休みの大半が練習で潰れることになる
負けちゃうべ そうすっぺが吉新との合言葉になった
それに勝てば県大会だという試合は1対0で負けていた
振りぬいたバットに手応えはなかったが打球はレフトの頭を越え三塁打になった
なんだよまだ息があがっているのに一球目からスクイズかよ
とスタートを切った瞬間勘違いに気がついた
先生は腰、ウエストに手を当てている
つまりウエスト 一球待てのサインなのだ
バッターボックスの大島が憮然たる表情で三本間に挟まれるぼくを見ていた
その帰り道 やったっぺマジで八百長やったんべとしつこく言うのだった
ファーストの神山も口を揃えた
円形脱毛症は癖になるらしく十八までは年に一度どこかしらがなったが慣れたせいかいずれも軽症でそれ以降は無事収まっている
取引は成立し継続中なのだ
その能力はないが仮に今一方的に契約を破棄しても
つまり結婚してももしくは誰かから愛されちゃったりしても
五十八のぼくにほとんどケはなく円形脱毛症にはなりようがない
 
 
 
こぼれる
 
 
どうせ死んで無になるのなら
生きた証などいらないのではないか
生きた痕跡など邪魔くさいだけだろう
生きた証がいらないなら生きる意味もいらない
生きるのが無意味なら苦しみも無意味だ
その刹那にそこにあることが
この刹那にここにいることが
生きるということなのだ
っていうかそれしかないしできない
俺たちはその刹那にそこにあることで
苦も楽も幸も不幸もない等しい宇宙を共有している
死ぬというのは
その宇宙からこぼれて消えて
影も形も跡形もないのをいうのだろう
 
 
 
例によって泥酔
 
 
し 気がつくと飛行機のシートにうずまっていた
と 向こうから真っすぐに満面の笑みで女の乗務員が近づいてきてプリーズ
と なんだか見覚えあるような身に覚えもありそうな半バッシュッを差し出したのだ
足元を見ると裸足だった
この時以外にも搭乗手続きの前に泥酔し所帯道具を詰め込んだスーツケースと背負いバッグの在り処を忘れ っていうか存在を失念しまったくの手ぶらで機内に乗り込んだことが二度ある、雲の上ではビール片手にその身軽さを謳歌するのだが、地上に降りると毛抜きや洗濯バサミや果物ナイフを新たに買わねばならぬことに思いがいたり
泥酔するしか能のない我が身を嘆くのだった
かように泥酔によって失われたものは計り知れないが得たものもある
自己愛で凝り固まった自分をほんの少し客観視できるようになった
俺は俺たちなのだった
俺たちは量子よりもさらに何億倍も小さい はるかなるもの の集合体なのだ
ひとりきりの他人もひとりきりの自分も俺たちなのだ
俺たちは俺を ぼくはぼくたちを
殺してはならない 守ってはならない
 
 
 
とろける
 
 
九月になったら一杯飲もうと思っていた
九月になればというハリウッド映画に主演したロック-ハドソンはホモだったと後で知ったが好きな俳優の一人だった
九月になったのにいいことなんてありゃしないというRCサクセションの歌もある
八月十二日から一滴のアルコールも体内に取込んでいない
八月十一日で八月分の予算を使い切ってしまったからだが
九月分を前倒しして
八月二十日にあるいは八月三十一日に飲んでもよかったわけだ
このへんぼかあ意思がツヲイのだ
だがもうじき六十の弟にタイに行ってくるというと餞別を包んでくれる心やさしい姉に言わせると
アル中というのは毎日飲まずにはいられない状態を指すだけではなく
飲み出したら最後歯止めが効かなくなるのも立派なアル中なんだそうだ
そしてお前の脳の何割かはすでにとろけていると
酔っ払い意識がトンデル隙間にすべって転んで頭を強打し本当に気を失い七十二時間後に気がつくとそこは病室だったという男がいるのだがその男に電話をかけそこで話したことをこの詩のテーマにしようと考えていた
一時間前に四分二十三秒の通話をしたのは確かなのだが何を喋ったのかまったく覚えていない
そのまま気がつかなかったら理想的な死に方だったとつくづく思うのだがそのことを言ったかどうか
いずれにせよ大した事ではない
この世にもあの世にもその世にもタイシタコトなどありはしないのだ
この詩はこれでおしまいだ
ぼかあこれからカラオケへ行くのだ
 
 
 
日光和楽踊りの夜
 
 
動物園で象の鼻の穴を見ていたらボッキしてしまいそれをデートの相手に感づかれどう対処すべきか途方にくれたというスズキヤスオから
大学三年の夏休みは日光プリンスホテルで働くことにしました 伝手があるので君も一緒にどうですか? 
という葉書が届いた
ヤスオちゃんは大学生だがぼくはそうではない
高校卒業後は手を替え品を替えバイトを替えただひたすらふらふらしていた
最初はヤスオちゃんと同じチップがもらえるベルボーイだったが
幾日もしないうちにチップのもらえぬ部屋の掃除にまわされた
あさっては日光和楽踊りだが都合がつくならちょっと降りてこないか
という電話が「サントリーレッドの青春」に登場した真ちゃんからあった
東武日光駅から歩いて二分半のところにぼくの家はあり五キロ北上すると母校の日光高校でさらに進むと和楽踊りが行われる古河電工日光精銅所へたどりつきもっと行けばいろは坂に入り上りきると そこは中禅寺湖でその湖畔に日光プリンスホテルはあった
精銅所が元気だった頃は日光和楽踊りは日光市の最重要行事でその周辺に住む人にとっては正月よりも大きなイベントだった
はじめて冷やし中華を食べたのも和楽踊りの夜だった
やったことないからうまくできねえかも知ンネ
といいながら七十一で死んだ母が作ってくれたのだが
あの晩隣で食べていた少女 あれはいったい誰だったのだろう
和楽踊りの二日間だけ一杯飲み屋に変身する普段は自転車の修理をする店で
あん時のよりおいしい冷やし中華とはいまだ出会えずにいるのだと熱く真ちゃんに語るのだった
櫓に登って俺にも歌わせろと駄々をこねたのは真ちゃんとはぐれる前だったか後だったか
高校生のカップルに絡んだというかちょっかいをだしたのは真ちゃんを捜すのをあきらめたあとだ
胸か尻を触ったかもしれない もちろん女の方のをだ
男が憤怒するのを目の当たりにすると逃げ出していた
だが下駄履きだった 途中で脱ぎ捨てたがあっさり追いつかれぼこぼこにされた
先輩をぼこぼこにするとはいったい如何なる料簡かと憤懣やるかたなかった
制服ではなかったし何の根拠もないがあのふたりは日高生に違いないのだった
後輩にいいようにされたことに櫓で歌えなかったことにぼくは合点がいかないのだった   いつしか日高まで目と鼻の距離になっていた その手前の交番にしけこみいや駆け込み事の成り行きを滔滔と述べ立て男を逮捕すべきだと訴えた
あの時おまわりは二人もいたのにどちらもぼくを相手にしないのだった
そんなこんなで家まで帰るのが億劫になりまたそれは正義に反する気がして
母校の正面玄関の一枚ガラス戸をブチ割ったのだ
門を乗り越えた記憶がないのだがあの当時は門を閉める習慣がなかったか閉める前だったのだろう
肩口を突付かれる感触に目を開けると警官の制服を着た男が立っているのだった
ガードマンの制服を着た男がその後ろでかしこまっている
寄せ集めた机の上に眠っていたのだ
ぼくは三年三組だったがなぜかそこは三年一組の教室だった
九十二で死んだ父は警察に通報した警備員を非難したがマニュアル通りにしたのだろう
手錠こそされなかったがパトカーに乗せられ日光警察署に連行された
呆れるほど長い時間をかけちんたらちっくに調書を取り終えると六十一で死んだ兄が身柄の引き取りに来た
裸足でいるぼくのために持ってきてくれた履物がスリッパなのだった
こうして日本国民であるぼくは日光和楽踊りの翌朝に自らの責任でもって指紋の登録を無事済ませたのである
日光プリンスはそのままやめた
ガラス代の弁償には直接出向いた 知った先生は一人もおらず拍子抜けしたのを覚えている 三千なにがしかをキャッシュで払った
ヤスオちゃんは元気でいるだろか
最後に会ったのは確かM君のおとうさんの葬式の時だった
その前がY君のおかあさんの葬式だ
何を隠そう Y君とはヤスオちゃんのことだ
もう親しい仲間のおとうさんおかあさんはあらかたかたがつきかれこれ五年以上会う機会に恵まれていない
そして折に触れ残念に思うのだがヤスオちゃんが結婚した相手は象の鼻の穴勃起事件の時の彼女ではない
 
 
 
生きいそぎの記
 
 
幼稚園の時はいざ知らず
小学二年の時は早く三年になりたくてしかたがなかった
五年の時は六年になりたかった
中学一年の時は二年になることだけを夢見ていた
矢吹丈にいれあげた三年の時は
あすにでも東京に出てボクサー修業に身を委ねたかった
反対され高校に行ったことは前にも書いたが
入学したその日から卒業の時を指折り数えた
二十二歳の時別に二十三歳になりたいとは思わなかった
三十代の時も四十代にあこがれるようなことはなかった
ただその時のその仕事をその日にでもやめたかった
実際就いたその日に辞めてしまった職は三十を下らない
バイトを変えると気分が変わった
仕事を変えただけで満足できない時は住む場所も変えた
今は最悪なのだ
何かいいことないか仔猫ちゃんは
今ではない未来にいるのだ
きょうは辛いことだらけだが
あしたになれば女ができ
あさってには挿入できるかも知れない
そう信じることで生きてきた
悪魔か天使が
お前の三ヶ月を買い上げるとやってきたら
ぼくは喜んで売る
買い叩かれなければ二年でも三年でも売る
二十年は無理だ
売った途端にお陀仏では元も子もない
二十代の時いつも夢見るナマケモノというキャッチフレーズを考え出し
ひとり悦にはいっていた
今もナマケモノであることに変わりはないが
夢を見るのはむずかしい
ぼくの残り少ない未来は限りなく暗い
生きる上での優先順位は長い間飲酒がトップだった
それを最近走ることと入れ替えた
この懐具合で毎日飲むのは苦行に近い
飲みたくなると飲めば気持ちよく走れないぞと言い聞かせている
生きいそいだツケが今頃回ってきたらしい
やめたいとおらんだところでやめるその仕事がないのだ
この現状を打開するには
明日を明るい日にするには
宝くじに当たるしかなく細々と買い続けているが
ぼくだってバカじゃない
当たるあたらないは二つに一つだが
確率に思いを巡らせば当たらない公算の方が
はるかに高いのはガッテン承知のよも助だ
こうなったら
起きちゃ走り食っちゃ走りひっちゃ走り
昼寝して走りマスかいて走りナイトキャップがわりにも走り
眠れぬ夜を疾走し
となりの町を駆け抜けて
見知らぬ街で失踪するのだ
そして他人の痛みも自分の痛みもわからぬまま
何の脈絡もひっかかりもなく
ケツをまくって死ぬだろう
 
 
 
一週間
 
 
十八で上京し蒲田に部屋を借りてから四十年以上一人暮らしが続いている
一人でいてもさびしいとか物足りないとか感じる性質ではないので
一週間一歩も外に出ないとか一ヶ月誰とも口を聞かなかったなんてことはよくあった
それにともだちも少なくぼくを訪れる人間は滅多にいない
田園都市線は尾山台と等々力のどちらから歩いても六分の
アパートに住んでいた二十代前半奇妙な
一週間があった
月曜日 マサジが家出してきた
大学を出て家業を継いだというか任されたのだが
気持ちの整理はついても整頓がまだのようだった
ここに何度も書いてきたように酔って意識をとばすことくらいぼくにとって朝飯前だが
本当に気を失ったことは一度もない
それなのにマサジは口を聞く間柄になった中二の時すでに二度失っていて
それを誇りにもしていた
このあとマサジは仕事を探すふりをしながら
ぼくのところとクサカリのところを行ったり来たりする
火曜日 二子新地でやきとりやを営む姉が子供を負ぶい何の連絡もなしに訪ねてきた
ぼくが二子新地へ足を運ぶのはしょっちゅうだったが
姉がぼくのところへやって来たのは後にも先にもこのときだけだ
ごくごく普通の会話を二十分ほどして帰っていったが
あれはいったい何だったんだろう
あのときの子供は三人姉妹の一番下だったと記憶するが
ウンチをひとつ六畳一間にこぼしていった
水曜日 午前0時 ナベさんがやってきた
ナベさんは渋谷道玄坂ガードわきのちっちゃな赤鬼という居酒屋の常連中の常連で
ぼくはそこで何度も働いた
何度もというのは赤鬼に飽きるとよそへ働きに行きそこが厭になると復帰するのだ
そういったことを経営者は容認していた
やめる時にはもう戻るものかと心ひそかに誓うのだったが
ナベさんは葉山から通勤していたが繰り返しくりかえし最終電車に乗り遅れた
どうもなるべくなら家に帰りたくないようだった
夜をやり過ごす場所を何箇所か押さえていて
九時ごろ店を出て行ったナベさんがすまないねえと閉店間際に戻ってきて
客席にまどろむのだった
 うちの良二はそちらにおりますかしら
という電話が週に一回か二回店のピンク電話にかかった
そんなナベさんを一度でも部屋に泊めたのは失敗だった
味をしめナベさんは頻繁にやってきた
三夜連続で来たこともあった
人を介しそれとなくソレしてもらうとナベさんの足は止まった
だからその日は久方ぶりの登場だった
馬場脚本ゼミの新年会の流れで 平塚競輪に行ったときのことだ
ナベちゃんはどうしてる?  と声をかけられ
葉山と平塚のことでもあるしてっきりナベさんのことだと思い込み
詐欺に引っかかった
そのあと男がナベちゃんと言うべきところをワタナベちゃんとも言ったので
ああこれがあの有名などうしてる詐欺と気づいたのだが
時すでに遅しだった
典型的なマザコンのナベさんの本名はワタナベではなくナベサワだ
さほど酔っていなかったのだろう
その日は口数が少なかった
五時ごろ目を覚ますといなくなっていた
木曜日 マサジ以外はだれも来なかった
新聞の勧誘もなかった 勧誘をうまく断るコツは最後まで丁寧に応対するとこにあるのだが
それがわからず三年後にえらい目にあう
あまりにもしつこいので面倒くさくなりトイレに引きこもると
勧誘員は勝手に部屋に上がりこみ
ぼくがギブアップするまで帰らなかった
金曜日 午後十時部屋がノックされるので出てみると女が立っていて
わたしのこと覚えてる? と言った
とにかく東京に出たかったので高卒後おやじのコネでとある会社に就職した
計画通りそこは三ヶ月で辞めてしまうのだが
そん時の背広が洋服ダンスで息を潜めていた
唐突にこれを着なければという強い思いに捉われた
せっかくの背広で定食やではアレなので
中目黒のキャバレーへと出っ張った
背広が効いたのかパートナーを口説くのに成功し
女は朝の六時にぼくの部屋から出て行った
それが一年近く前のことで
仕事をやめたら十二キロ痩せたという女はまるで別人だった
やはり六時に部屋から出て行った
土曜日 マサジが敬愛するお姉さんの旦那が上京してきた
このお姉さんは受験勉強の疲れから石油ストーブにガソリンを入れてしまい
家を燃やしてしまうのだが
体育の授業中にその知らせを受けたマサジは顔を輝かせスキップでも踏むように
燃え上がる家へと帰っていった
炎の先の煙が校庭からも見えた
義理の兄貴の説得にマサジは待ってましたとばかりに応じ
顔を輝かせはしなかったが何だか意気揚々と引き揚げていった
中ジョッキ二杯とサイコロステーキをご馳走になったからそれはそれでいいのだが
日曜日 マサジの家出を肴にほていやの息子クサカリと飲んだ
 
 
 
雨が簫蕭と降っている
 
 
中学の国語の教科書に載っていた三好達治の詩の一節だ
阿蘇山のカルデラで馬が二頭雨に打たれている
といった内容ではなかったか
題名も思い出せないが
この一行の前では
このサイトにああだこうだとあることないこと書き殴ってきた
ぼくの拳は粉々に砕かれてしまう
雨が簫と降っている
このフレーズを脳の中天でお縄にかけた時
三好達治は喝采しただろう
雨が簫簫と降るのならすべては仕方のないことなのだと
 
 
 
 
とりかえしのつかない夢
 
 
借りていた五万円をスーパーに行くときに使っている手提げ袋に裸のまま入れ
返しにいったのだがあがり込んで将棋を指してるうちに忘れてしまいそのまま
持ち帰ってしまったのだった
引き返そうと中を覗くとカラッポだ 底が切り裂かれている
とりかえしのつかないことをしてしまったと激しい動悸に襲われる
そこは電車の中なのだがその友人のところへ行くのに
電車になんか乗っただろうか
それで夢だと気づくのだがとりかえしのつかないことをしてしまったという
自責の念は消えない
その友人から五万円は借りていない
その友人からちょくちょくちょこまか借金していたのは遠いとおい昔のことなのだ
それなのに
うつらうつらと半睡半醒の中
しつこくひつこく執拗に必要にあくまでもかたくなに
ぼくは悔い続けている
 
 
 
星影のテネシーワルツ
 
 
ゆるキャラに詳しいわけではないがフナッシーくらいは知っている
若松劇場 アラジン劇場 西船橋OS劇場と
船橋方面はストリップ小屋の宝庫だった
ぼくの二十代は生板ショウの全盛期で
その関東の雄が西船OSだった
道順も最寄の駅も忘れてしまったがいつ行っても超満員で
つごう二十回はジャンケンに参加したが
一度も勝ち上がれなかった
さあ輪になってジャンケンしてワルツを踊ろう
ヘネシーという名のウイスキーを知ったのは
横浜駅東口スカイビル地下のパブレストランで
安斎と和田さんが一緒だった
樋野さんもいたかも知れない
横浜放送映画専門学院はスカイビルにあり
この三人と親しく交わった
四十年会ってないがこれからも会うことはないだろう
ナンシー シナトラはファザコンで
荒木一郎はマザコンで
江利チエミはアル中で
千昌男の奥さんはシェパードだった
さあ輪になってジャンケンしてワルツを踊ろう
星影のテラスで今夜は踊ろう
 
 
 
日光下駄円舞曲
 
 
中村雅俊はGパンに下駄履きで有名になったが
ぼくはそのはるか以前から下駄にGパンの男だった
ぼくのは日光下駄といい普通のより細身で足を載せる部分が畳敷きなのだった
暑苦しいのでGパンは二十三でやめたが
下駄は三十すぎまで履き続けた
マル田バツ子とのデートもパパラギのぼうさんとのデートの時も下駄履きだった
蓬田さんは下駄が似合う そして足が速そう
とぼうさんは言った
ぼくのファーストキスは十九の時だった
マル田バツ子ともぼうさんともキスはただの一度もしたことはなく手を握ったこともない
その日は高円寺にある俳優養成所を半年でやめたぼくの送別会で
その店は中に便所がなくとなりの家作との隙間を身をよじるようにして進まねばならない
例によってもっと飲まねばと人差し指で喉チンコをチンチンして吐き上げ
路地を引き返すと向こうから来る土屋コンナと正対する破目になった
わたし トニーのこと ずっと前から好きだったの
そのセリフが終わらぬう
二人は口を吸いあっていた
そのあまりにもの気持ちの良さに
ぼくはうろたえ一気に発情し土屋コンナに恋をした
トニーというのは養成所におけるぼくのあだ名で
十数年後にたまたま知るのだが土屋コンナはこのときの感想を
トニーの口はとにかく臭かった
と語ったそうだ
勘違いしてほしくないので断りを入れるが
臭かったのはぼくの口臭ではなく口腔に残っていた吐きたての吐瀉物のことだ
翌日バイト帰りの土屋コンナを高円寺の駅で待ち伏せ
羅生門という喫茶店で向き合った
ぼくより一歳年下の土屋コンナは
ヨウトワタシアアナッチャウラシイノ トニーイガイノサンニントハサイゴマデイッチャッタノ
と言った
もちろんその夜ははしごした はしごの最後に
表だったら土屋コンナはぼくに好意らしきものを抱いた瞬間があった
裏ならそういったことはまったくなかった
のだと 右足を思い切り蹴り上げ
夜空に
日光下駄を放り上げた
 
 
 
もっと歩けばきっと
 
 
またまた自転車をなくしてしまったので 歩いている
チェンマイ滞在はあと二ヶ月だけなので買うのもなんだし 歩いている
タイ人はタイに住む日本人の大半は十メートル先のコンビニへ行くのにもオートバイを走らせるが
ぼくも百メートル先のコンビニまで自転車を漕いでいた
今は
市営グランドへ走りに行くときも
健康公園へ縄跳びに行くときも
市場へ買出しに行くときも
歩いている
「くだんのくだる」という飲み屋兼食堂へ行くときも
気がつけばそこは病室だったという料理好きの男のところへ行くときも
歩いて行く
酒量にも酔い方にも変化はないが 自転車の時より
心が若干余計に弾む
ロシアの農夫の病気に
ある日突然鋤を放り出し地平線に向かってひたすら歩き続けてしまう
というのがあるが
農夫は仕事が嫌になったのではない
地平線に沈む夕日を手にしてみたくなったわけでもない
ただ歩きたくなったのだ
歩き出したら止まらなくなったのだ
ぼくも十年位前起きたら無性に歩きたくて霧降高原よりずっと向こうの六方沢まで行ってしまったことがある
つまり上はTシャツだが下はパジャマ着のまま往復二十二キロを朝飯も食わずに歩き通したのだ
ついでに自慢するがぼくの家と六方沢の標高差は六百メートルだ
その昔高田渡や加川良なんかが
いくら歩いてもいくら歩いても 悲しい気持ちは変わらない
ああああ まっぴらさ
と歌っていた
だがこれはあくまで若い時だけの話だ
年をとれば悲しみなぞという屁にもならない感情は三こすり半で 否
三歩と半歩でズボンの裾からこぼれ落ちる
年寄りには人生に飽いたわけでもないのに
ふさぎこむしかないときが飽かずにやってくる
そんな時こそ歩くのだ
歩いて歩けばふさぎの虫は死んだふりをしてくれる
もっと歩けばきっと
思い出し
笑いを
するだろう

 

きんせんか
 
 
自由が丘にきんせんかというバーがあった
等々力にムラナカという女の子が いや おんなが住んでいた
九品仏にそのともだちがいた
この二人にクサカリを交え四人で飲んだことがあった
銭湯で体を洗っていた時多分音は出ないだろうと
ちょいと軽めのオナラをしたら小指先大のミが出てしまい
それがプカプカと排水口へ流れていくのを
ミをちぢ込ませて見ていたという話しをその時しておおいに受けた
その一週間くらい前
クサカリときんせんかへ行った
ぼられた
この野郎と思った
一週間くらい後
この野郎という思いを抱えたまま一人で行った
この前はいなかった女の子が いや おばさんがいた
おばさんの顔も家がどっち方面だったかも忘れたが
歩いて行ける距離だった
途中の公園でぼくらはペッテングをした
家に着いてからも牛乳を飲みのみまたペッテングをした
入れさせてはもらえなかった
始発電車が走る時間になった
ちょっとそこまで送ってあげる
と女がいった
向こうから男が一人歩いてきた
ほら あれがわたしのダンナ
と女はいった
男はぼくたちに軽く会釈をして通り過ぎていった
ムラナカさんはぼくに好意を持っていた
ぼくもその千分の一か五百分の一くらい好意をまといつけていた
ムラナカさんとおばさんには何のつながりもひっかかりもとっかかりもない
ただムラナカさんを思い出す時は
セットで
きんせんかが
よみがえる

 

 
あした
 
 
モローという黒木和雄の映画があった
あした原爆で死んでいく人たちが悪い予感のかけらもなく
きょうをそれぞれに生きている
という映画だった
なぜ 原爆は落とされたのだろう
なぜ 原爆を廃棄しないのだろう
なぜ 人は戦争をするのだろう
なぜ 自爆テロは繰り返されるのだろう
宗教に殉じるのは勝手だが
宗教のために人を殺してはいけないのではないか
宗教を国家と言い換えて
何ら差し支えはない
ぼくはまだそれを持てないでいるが
自殺する勇気があるのなら
ひとり死んでいくのがスジだろう
いくら考えてもどんなに想像しても
自爆テロをする人の特攻を命じた人間の
心情がわからない 風景が見えない
国家がある以上人が人を裁くのは仕方のないことかも知れないが
殺しちまうのはあんまりだろう やりすぎだろう
ここに人間が百人いたらうち八十人は嫌うだろう
だけんど誰かを殺そうとか殺したいと思ったことはない
これだけはエラそうに言わせてもらうが
ぼくは生まれる前から
人は人を殺してはならない
ということを知っていた
なら
人は豚を殺していいのかと問われれば
小首を傾げ聞かなかったことにするしかないのだが
人間性善説性悪説どっちを取るかと問われれば
ためらうことなく性善説だ
そうでないと
ぼくのこれまでの人生は このサイトは
崩壊する
人は人を殺してはならない
そう信じて生きてきた
生きていさえすればあしたはやってくる
そう信じて生きていく
 
 
 
 
おにぎりと日本語とカオパン
 
 
パヤオは県庁裏の平屋建棟割長屋のひとつを借りおにぎりを握って売ったが
売れなかった
右隣のフレッシュジュースやも
左隣のカオマンガイやもそこそこなのに
ぼくのところは
さっぱりだった
おにぎり一個13バーツと書いたホワイトボードに
日本語教えますとボール紙をぶら下げたが
このボール紙はおにぎり以上にタイ人から無視された
日がな一日店先でテレビを眺めては時を通過させた
時々思い出しては売れることのないおにぎりを
ついばみついばみ
ほどなくついばみながら飲むようになった
となれば店をたたむのは時間の問題だった
ただそれからもシャッターを下ろすと昼間でも
一切合財が見えなくなる穴倉に四ヶ月
住み続けた
ウラの排水溝は流れが悪く蚊の絶好の住処だった
一日二十四時間三巻の蚊取り線香を同時に
フル稼働させた
床に直接置いたテレビをフリチンで床に寝転んで
見つめ続ける他にすることがなかった
なぜフリチンかといえばとにかく暑いからだ
言うまでもないが上半身にも糸くず一本身につけなかった
知人から大量にDVDを借りてきて見ていたのだが
やがてそれを映す機能が損なわれた
この長屋は???という機器を取り付けないと
テレビは5チャンネルしか映らない
5チャンネルはタイ陸軍の持ちモノだ
どう見ても軍隊の宣伝としか思えない映像が
しばしば流れた
ぼくはタクシンもインラックも嫌いだが
今のプラユット チャンオーチャーだって好きではない
貨幣価値の差を利用して三十年タイに通っているぼくが
こんなことを言ってはナンだが
タイの政治家にろくなのはいない
それにもまして日本の政治家はクソばかりだ
世界中どの国にもまともな政治家は一人もいない
これはいったいどういうことなんだろう
たとえば万人から尊敬を集める高尚な人間も
政治家に成り下がった途端
下卑る
一ヶ月に二度自転車で四分走って五分歩いて十分の
カラオケの店が軒を並べるコの字形の広場に行き
ウサを晴らした
八軒の店ぜんぶやっつけたところでチェンマイに
引き返すことにした
おにぎりが売れなかったことと日本語を習いに来る人が一人もいなかったことに
関連があるのかないのかはわからないが
とりあえずおにぎりは日本語で
タイ語に訳せばข้าวปั้นカオパンだ


橋幸夫と佐分利信

 
 
母は橋幸夫のファンだった
小学校の修学旅行の母へのお土産は
橋幸夫のブロマイドつき折りたたみ式鏡だった
三ヶ月もしないうちにその鏡はぼくの机の上にあった
母の影響で御三家の中ではぼくも橋幸夫が一番好きだったが
奪い取ったわけではない
母に上げたものがいつのまにかぼくの手の中にある
そうしたことはよくあった
橋幸夫以外にも母が好きになった芸能人は何人かいるはずだが
他で知っているのは佐分利信だ
戦争中女学生は少女たちは工場へ働きに行かされた
母にもそういった時期があった
そこの管理を担当していた兵隊から来る年賀状を
母は大切にしていた
と言うより その人から年賀状が届くそのことを
大事に抱えていた
たぶんその兵隊と佐分利信は似ていた
母の実家を継いだ弟のモリゾウさんを
子供心に大好きだった
そのモリゾウさんが
姉やんは責任感の強い人だから
と言ったことがある
母を知る人なら誰もが感じることだが
あえてそう言わずにはおれなかったのだ
モリゾウさん以外にも
母には妹がいて弟がいたが
一番下の弟は若い日に自殺した
母は自らが死ぬまで
その弟のことをずっと不憫に思っていた
母はそういう人だった
 
 
 
時々それは
 
 
何の前触れもなく
カマイタチのように襲い掛かってくるのだ
逃れようと
布団に潜って息を止めたり
スカそうと
虚空の一点を必死に見据えたり
風呂場に駆け込み
呻きながら
何遍も何遍も
顔を洗っていたりする
やがて
五臓六腑を〆あげ
毛穴という毛穴をかっぱじき
ちりちりとぢんぢんと
臍のぐるりを煎り炙る恐怖感は少しずつゆるやかに
去ってゆき
おずおずおどおどおっかなびっくり
追おうとしても
ありがたいことに
すでにそれは手遅れなのだ
 
 
 
バナナの木の下で
 
 
バナナと卵は似ている
小さかった頃は高級品で、まるまる一本まるごと一個口にできることはめったになかった
いつの日かきっと思う存分心ゆくまで食ってやるのだと
何度夢想したことだろう
値段もさほど上がっていない
それなのに今は、バナナに限っていえば
フルマラソンを走る前とか
走り続けるのを放棄したあと~ぼくはこれまでフルマラソンに10度出場しうち棄権が9回という市民ランナーの風上にも置けない男だが~給水所で先を急ぐランナーを尻目に
西瓜と交互に頬張るくらいだ
似ていないところもある
卵を見ても別にほっとするようなことはないが
バナナを目にすると、その色形にほっと一安心というか、心やすらぐ
バナナはバカ正直に正義感あふれている
一月二月を日本で過ごすとどんなに用心しようが
必ず両耳のヘリが霜焼ける
そんな所で野たれたくはない
野たれ死ぬならバナナの木の下がいい
キスより簡単という詩は実際にバナナの木の下で
つくったのだ
 
 
 
ナワトビ パート2
 
 
ぼくのナワトビは不死身だ
かれこれ二十五年同じナワトビを使っている
これを買った時あまりに具合がいいので
おまけにもうひとつ買っておいた
ところが四半世紀経っても壊れてくれない
これじゃあ二本目が無駄になってしまうとスペアナワトビに切り替えた途端
所帯道具詰め込んだスーツケースとともに紛失してしまった
一本目をないがしろにした罰が当たったのだ
完璧すぎてこれを作った会社は採算がとれず潰れてしまったが
いくら丈夫で長持ちでも、地面に床面に直接ぶつかる部分は磨り減る
ぼくは針と糸でもって修繕する
一週間に一回年に五十二回これまでに千三百回以上縄に糸を通してきた
縄に針を当てると不思議と心落ち着く
どんなに頑丈でも
取っ手のところは割れたり欠けたりする
そのときはテープを貼ったり輪ゴムで巻いたりして補強する
このサイトのごく初期のナワトビという詩は母のことを書いたのだった
まだ少年だったころの一時期、カメラに凝ったことがある
姉の寝顔や繕い物をする母の後姿を撮ったりした
気持ちの悪いことをするなと姉には怒られたが
母は、よく撮れてるけどなんだかかあちゃんじゃないみたいだ
と言った
その写真は五十の時に燃してしまったが
今でも、その時、母が着ていた服の柄とか、周辺の有り様は
克明に詳細に焼き付けることができる
そんな母の後姿を透かし見ながら
きょうも縄に針をさす
こころが
しずかに
ほどけてゆく
 
 
 
仕方のないタイ国バス事情
 
 
タイと日本のあいだを行ったり来たりしだして三十年になる
このサイトを定期的に覗いてくれてる人は親兄弟親戚知人を含めても世界に二十人はいないと踏むが
どうもただの泥酔男と思われてる節があるので
ここらで一発タイの文化や伝統に対するわたくしの見識
というかスタンスを披露したい
ついこないだまで少なくとも三十年前にはタイに酔っ払い運転を取り締まる法律はなかった
バンコクの路線バスの運転手がストローでチュウチュウいわせながら缶ビール片手にハンドルをいらっているのを見た時には驚いた
そして長距離バスでもないのにしょっちゅうガソリンスタンドに寄り道をする
給油するのではなく、兎を撃ちに行くのだ、糞をするのである
運転手によっては三十分以上戻ってこないのもいて
先を急ぐ乗客は仕方なくバスを取り替えるのだった
停留所で後続のバスが追い抜きざまにサイドミラーをへし折って行った時のことだ
我らが運転手は一瞬の躊躇もなくそのバスを追いかけだした
いきなりバス同士のカーチェイスが始まったのだ
これは長期戦になると見たのだろう
運転手は一度バスを止め
車掌に、ご覧の通りだ、悪いが諸君はここで降り次の94番に乗り換えてくれ
と宣言させ、再び追跡にかかったのである
そんなタイのバスに乗車を拒否されたことがある
ドンムアン発成田行きの便に間に合うようにチェンマイから乗ったところ
お前は酔いすぎてるから乗せてあげない
と引きずり降ろされたのだ
それが最終であしたの朝まで待っていたら飛行機は成田に着いてしまう
仕方なく三輪タクシーで空港へ駆けつけバスの六倍の運賃を支払い
~興奮したせいで少しは酔いも醒めたのか~乗機拒否されることもなく機上の人となったのだが
今度はドンムアンで時間が有り余ってしまった
仕方なく鉄道駅の方に出てまた飲みだし、挙句の果てにチケットを消失させてしまうのだが
泥酔自慢になってしまうのでこの後は書かない
いつからか酒気帯び運転を取り締まる法律も整備され罰則も年々強化されているが
それでもタイのバスはよく事故ル
谷底へ落っこちたり崖に体当たりしてひっくり返ったり
二桁以上の死者のでる事故が年に二桁回数以上起こる
そんな時不思議と運転手は生き残ってほぼ百パーセントその場から遁走する
そのあとどうなるのかは知らないがぼくだって逃げる、と思う
彼らは悪くない
彼が運転士になったのは稼ぎたいがためだ、稼がないと生きていけないからだ
悪いのは彼らではなく、貨幣制度だ、貨幣経済以前
俺たちはお金がなくったってごく普通に暮らしていた
詭弁めいて聞こえるかも知れないがぼくはセメントでいっている
生まれたての赤ん坊に何の責任があるだろう
自己責任なぞあっち向いてホイだ
彼らとて同じことだ、三つ子の魂百までだ
俺たちのはるかかなたの祖先たちは何らかの権利を行使して
マンモスを追っていたわけではないだろう
責任を感じてあるいは義務を果たそうと
おまんこに明け暮れたわけでもないだろう
もともと俺たちには責任とか義務とかといったものはなかった
そんなものはどこかのだれかがあとからでっち上げたにすぎない
遅まきながら、っていうか、今さら仕方もないが
就学就労の義務はどこかのだれかに、たとえば、安倍ノミノ晋三君に手鼻を添えてお返しする
この世には苦も楽も幸も不幸もない
俺たちには義務も権利も自由も責任もない
あるのは
俺たちが手にすることができるのは
仕方のないことだけなのだ
だから何の理由もなくどこかのだれかにとっつかまって殺されても
それは仕方のないことなのだ
ただ拷問だけは勘弁してほしい
イタイのはイヤだ
猿轡を噛まされ両手両足を括られ
あの手この手でいたぶられるのを想像するとそれだけで気が狂いそうになる
でも映画なんかを見ていると気が狂うようなことはなく、運よく気を失っても
水をぶっ掛けられるとすぐ正気にかえってしまう
やるのなら、早漏で、否、速攻でお願いします
ほんとうはどこかのだれかにも俺を殺す権利も筋合いもへったくれもないのだが
これも、しゃあない、ことなのだ
 
 
 
だんだんどんどん
 
 
人が死んで行く
このサイトの登場人物で死んでしまった人を列記してみる
(唇によだれ)のええさんが小学二年の時に死んだ
次の年ばあちゃんが死んだ
おふくろが死んだのは三十五の時だ
五十代に入ると今の日本列島の活火山のように一気に活発化する
(いずれやすらぐ)のA君が死に
あにきが死におやじが死に
何の断りもなく川名子が死んだ
淋しいサイの目をしたサイちゃんも死に
今年の二月には
あの人は不良よとひとみさんが言った大将が
建設現場で居眠り運転のダンプカーに突っ込まれ
死んだ
という電話を大将の弟のヒロヨシからもらった
ぼくが知らないだけで死んでしまっている人もいないとはいえない
どうせ死んでしまうものを
わざわざ殺してどうしようというのだろう
戦争でひといきに何十万も殺して何の意味があるのだろう
とここまで書いて気がついた
どうせ死んでしまうのだから
己の都合で殺したってかまいやしない
我が身は痛くも痒くもない
というのがいにしえからの国家の論理言い分なのであった
だんだんどんどん
どっどっどっ どっどっどっと 怒涛のように
国家が権力がハヂシラズアベノミノシンゾウが増長する
なりふりかまわず厚顔無恥に
殺してしまえとふんぞりかえる
 
 
 
件名 途中経過報告 to nile10101010@yahoo.co.jp 日光図書館からメール
 
 
三月末、鬼怒川温泉観光ホテルの洗い場として働くが入寮したその部屋に布団がなかったため寒さに耐え切れず三日でやめる
浜ちゃんが家に電話をくれたのはこの時
四月末、近所のラーメンやに雇って貰えたのだがメニュウが覚えられず四日でクビになる
少年だった頃のあの暗記力はどこへいってしまったのか
そして五月末からまた福島で働く予定
一年前一日でやめてしまった除染作業ではなく除染作業車を誘導する警備員として
さてどうなることやら
このメールは図書館のパソコンから打っています
時々、チェンマイ発信頑張る親父の子育て日記、チェンマイ田舎新明天庵便り、KOYAMARANDOを覗いています
それで北海道のあの人が(年季の入った赤ら顔はくっきり覚えているのに名前を失念)
奇跡を呼び寄せることなく死んでしまったのを知りました
ただブログに入りこもうとするとそれはできません
図書館のインターネットを利用するには図書カードが必要なのですが福島に行ってそれが取れるかどうかわからないので
返信はいらないぜ
遅くとも十二月までには帰るでしょう
可能ならこれをそのまま満ちゃん浜ちゃんに移送してください
きっとあしたはやってきても
あしたはけっしてきのうではない
ってことはきょうはなるようにしかならないってことだ
なるようになってしまったいまこのときに
なみなみと心満たして 乾杯!                by 世も末
 
 
 
働くな  おいらのブルース


おいら
働くために生まれたんじゃない
豊かな老後の保障が欲しくて生れ落ちたわけでもない
働くな
いったい何遍何度言い聞かせたことだろう
労働は罪悪
貨幣制度が諸悪の根源
心やさしきテロリストよ
造幣局を踏み潰せ
銀行金行を焼き払え
ATMを爆破しろ
おいらのキッスで米一合と交換だ
働くな
夕べも一杯やりながら老骨に唱え念じた
嗚呼それなのにきょうも葛尾村で
誘導棒を振り回している
おいら



空気を読むな  ひとはだれもがひとりぼっちのバラッド


空気は吸うものです 浴びたりもします
天気図ならまだしも空気なぞ読んだところで屁のつっぱりにもなりません
イジメられたらかくれましょう
シカトされたらこもりましょう
布団に潜って己の息を心ゆくまで嗅ぎましょう
ボクもキミも七十億分の一の存在同士
だれもボクの代わりにはなれません
この世のどこにもキミ以外のキミはいません
ひとはだれもがひとりぼっちだけれど
今この時を同じ刹那を共有している
閑話休題
もっとルーズに恋をして
もっともっと自分に素直に



歯の話を少し


右上の奥歯二本がイカレテいる
一本はぐらつきもう一本は半分以上欠けてしまった
抜け落ちるのは時間の問題だ
治療すべきかどうか迷っている
金銭面での気がかりは無論だが
それより何より 一年か十年なのかは知らないが
残された人生との兼ね合いだ
二本なくなったところで大した影響はないのではないか
今後誰かと奥歯にまで届くような接吻をいたす羽目に陥ることは
まずない
と言い切ってしまうのには微妙なためらいもある
葛藤ってほどではないが
もっと真摯に悩むのか 知らん振りを決め込むのか
判断しかねている



地下室 のメロデ イー  変ト短調


家を建て替えたのはおふくろが死ぬ三年前だ
おやじが死んでから何年過ぎたのかおやじに対する感情に変化はないが
前の家の茶の間の掘り炬燵の下はおや じが作った地下室になっていて
クリスマスだ正月だ誰それちゃんの誕生日だといってはパーテイーをして重宝した
トの誕生会の時、トは子守を頼まれたのだと姪だという三歳位の少女を連れてきて
ああだこうだとことあるごとに少女の口に舌を差し入れてみせるのだった
トは二十歳を前に六方沢から身を投げた
この地下室でのパーテイーの音頭を取って段取りするのが手塚の光ちゃんだった
光ちゃんとは小学4,5,6年中学2,3年と同じクラスだったが親友宣言をする程の仲ではなかった
それなのに何かしらのイベントがあるとぼくの隣には必ず光ちゃんがいるのだった
小学5年の時、取っ掛かりは忘れたが
じゃあ行ってみんべかと浅草まで行ってしまった
花やしきで遊び寄席を覗きバナナの叩き売りに聞き入り露店でがま口とドライバーセットを買い
帰ってきた
日光浅草間が¥220だった
ぼくらの学年は4クラスあった、例えば6年4組はサッカーが強くベーゴマなら我が6年1組で
その双璧がぼくと光ちゃんだった
総合力ではぼくの方が上だったと今でも自負しているが
空中っ取りだけは敵わなかった
おまんこのやり方を教えてくれたのも光ちゃんだ
手塚左官店の惣領である光ちゃんの説明は微に入り細に入り具体的で
その口からゴッピョウという言葉が飛び出すごとに
ぼくは身構えざるを得なかった
だが未だにゴッピョウが何を指し示すのか正確なところはわからない
中学2年の時には、県大会に出場したバスケット部の応援に県体育館に行ったのだが
いつの間にか二人は後楽園で世界水上大サーカスショーを見ていたのだった
帰り、宇都宮から先の電車がなくなってしまったのだがそのあとどうしたのか
はっきりした記憶がない
3年の運動会の仮装ムカデリレーでは同じ組になった
ぼくらは手塚左官店の倉庫に立て篭もり
黄色いヘルメットに黒テープで革マルとか中核とか貼り付け
セメントのこびり付いた角材を引っ張り出し
パレットの裏に脱ぎ捨てられてあった地下足袋を掻き集め
それらを身につけ、これは各自が持参したタオルで口元を覆い
走った
手にした角材のせいでスピードには乗れなかったがまちがいなくぼくらが一番受けた
三十歳の前後頻繁におもらしをした
トイレに間に合わなかったりおならのつもりがビチグソだったり
我慢の限度を超えているのにトイレを目指すから
便所にたどり着いた途端、はたまたパンツを下ろした瞬間にやってしまう
ままならぬ肛門は信用せず野グソならぬ街グソで対抗した
駐車場の車と車の間に身を潜めあるいは側溝に屈み込んで
ぼくはその後も、マレーシアのマラッカでタイはチェンマイ郊外チェンダオでラオスビエンチャンメコン川沿いの草叢で二度、アジアを股にかけ街グソをキメテいる
その日は街グソさえも間に合わず仕方なく最寄の公衆トイレに押し入りパンツを脱ぎ捨て
水洗の水でケツを洗い
歩いているとクラクションに呼び止められた
振り返ると手塚左官店の軽トラから光ちゃんが顔を覗かせていた
正直に、実は今さっきもらしてしまったのだと打ち明けると
ならこれから俺んちで飲むべと云うのだった
その時、光ちゃんの奥さんを初めて見たのだがまったくのタイプで
うっかり漏れそうになるのをじゃなかった惚れそうになるのをぐっとこらえた
このことよりあとだったかさきだったか仕事先の岐阜県で光ちゃんが足場から落ちて
死んだ、というニュースが走った
実際のところ光ちゃんは奇跡的な復活を遂げるのだがそのせいで一気に太った
だが果たしてその正体は、あの地下室のパーテイーの頃と
寸分違わぬメロデイーなのだ



おしんこ哀歌


高卒で上京し親父のコネで入った茅場町の共同ビル三階にあった産業新潮社を予定通り三ヶ月で辞め
満を持して選んだバイトが蒲田は東口、ミカドというキャバレーのウェイターだった
赤坂のミカドと関係があったのかどうかは知らない
もしかしたらひょっとすれば運がよけりゃあわよくばホステスと懇ろになれるかもしれないとの期待というか下心は十二分にあった
入って三日目に、とあるホステスがぼくに向かっておしっこおしっこと訴えるのだった
おそらく新入りの子なのだろうとぼくはトイレの方を指差してあげた
とそのホステスはいったい何なのよこの新人はと喚き散らすのだ
彼女はお新香を注文したのだ
まだピカピカだったぼくの自尊心は罵詈雑言に耐え切ることができず
三日で無断退職した



件名 途中経過報告 to nile10101010@yahoo.co.jp 日光図書館からメール2


警備員の仕事は8月21日でやめました
都合46日働いたことになります
そんなことより上記の「地下室のメロデイー」という詩はもう何ヶ月も前に書き上げてあったというか
打ち込んでいたのです
ところが保存しようとしてもずっと保存中の表示が出たままでうんともすうともいいません
ここ日光図書館でネットが使えるのは30分ずつ4回だけです
2時間30分を経過したところで、何とかしてください
とぼくは係員に泣きつきました
電波が弱いせいなのか係員もどうにもならないようでした、そして
あなたは自分のパスワードを使って今の操作をしていたようだが、それは禁じられてることなのだ
というのです
そう指摘されなお詩の更新をするほどぼくは厚顔ではありません
それに比べぼくより1学年下の安部晋三君の面の皮は不気味に分厚く薄汚く得体の知れないいやらしさをかもしだしているのだが
それはさておき¥19.800の中古パソコンを買いました
ここではWi-Fiサービスがあるのです、で、これを打ってるわけです
仕事をやめたあとは
レベル7の肉離れで1ヶ月半棒に振りました
さらに肉離れの快気祝いに裸足で走ってガラスを踏んづけ中に破片が入り半月フイにしました
おまけに原因不明の右足甲の痛みで2週間がムダに過ぎました
気がつけばもう10月半ばです
12月にはチェンマイに行きます、あとひと働きするにはどうも中途半端なようです
それでも今年は、3日、4日、46日とみんなで53日働きました
去年は7日でした、おととしは1日です
どうぞ誉めてやってください
では12月3日午後5時「くだんのくだる」で会いましょう
あしたは来ないかもしれない
あしたが来なければきのうは
澱んで滲んでぼやけて擦れて剥がれて消える
今この時をおのれの存在を信じる信じないはおのおのの勝手だが
ぼくは信じる
信じちまった悲しみになみなみと心満たして
カンパイ!                       by世も末




あきらめろ  OILANO世界平和宣言


競馬の騎手、船乗り、ボクサー
おいらの夢はことごとく破れた
おいらはあきらめたのだろうか
あきらめたとすれば、いつ、どこで、どういった手順で
多分無意識にあきらめたのだ
自分でいうのも何だがおいらにはあきらめることに関して天才的なところがある
その後も、役者、小説家を目指した
それなりの努力もしたがあきらめた
あきらめるのに努力はいらない
夢は夢のままがいいのだ
うっかり現実になってしまったら面倒なだけだ
面倒は面倒を生むだけだ
一ヵ月後に還暦を控えるおいらには何の望みもないが
ロト6は買っている
買ってはいるが99.99999999999%当たるとは思っていない
なら何故買うのかと問われれば買うお金があるからだと答えよう
生活保護をくれるならそれにこしたことはないが期待はしない
貰えなければ刑務所に入るまでだ
入れてくれないなら野たれよう
若い頃のごく一時期結婚願望があった
それよりもはるかに長い期間恋愛願望があった
想い想ってくれる女と朝となく昼となくやりにやりまくってひとつになりたいと切に願った
あきらめるしかなかった
今は穴に入れたいとも思わない
起つには起つし時々はマスもかくのだが
あきらめきってわかったのだが人は人を殺してはならないのだ
あきらめたおすと少年だった頃よりくっきりと知覚できる
人を殺すのはいけないことだと
おいらの観念は俺たちの観念ははっきり指し示している
殺すなと
観念とは考えることだ
考えるとはあきらめる、あきらかにきわめることだ
間違いなく仏教の、そしておそらくイスラム教もキリスト教もその
いわんとするところは、あきらめようねってことだ
わかりやすく伝えようと枝葉をつけすぎかえってわかりにくくしてしまった
人間がある限り戦争はなくならないと多くの人が言うがそんなことはない
俺たちひとりひとりがあきらめれば争いはなくなる
イマジンの世界が本当になる
毎朝走るのを一番の喜びにしてるおいらが言うのはおこがましいが
体に不都合があるからと他人様の臓器を求めてはならない
あきらめるとは頼らないこと
結婚もできず孕ませた経験もないおいらが言うのは筋違いかも知れないが
子宝に恵まれないからと他人様のモノを代用してはならない
あきらめるとはこころしずめること
海に浮かぶ人も住めない蟻のチンポほどの島を
我がモノだと主張するのはたいがいにしろ
互いにあきらめあえばそれでいいのだ
この地球はお前らのモンじゃない
この世に安全なんてものはない、ないものを保障はできない
望んではならない、奪ってはならない、守ってはならない、維持してはならない
国境はいらない
さあ、おのおのがた、世界平和宣言の
スローガンを叫ぼう
あきらめっぺ!




一行詩   われらホームレス予備軍いざ出陣の時


こころしずめてあきらめる、野たれ花たれ極楽へ



酒とグルメな日々


タイでは月約5万円、日本だと3万円で生計をたてている
もちろん衣食住費交通費おいらに何の断りもなく徴収される税金すべて込みだ
ただ日本でのバヤイ姉の所に住まわせてもらえるので住居費光熱費はただになる
あと4日で還暦の弟にタイに行ってくるというと餞別をくれる
そして、おまえの脳の大部分はすでにとろけてしまったと教え諭してくれる
心優しい姉には感謝の言葉もない
さてそんなおいらだが酒は毎日飲んでいる
飲むのは味も素っ気もない焼酎<豪>だ
味も素っ気もないくらいだから身体に負担はかからない
そしてもうひとつ最近覚えたのが家出少年マサジがいうところのウイスキーまがいのウイスキー<凛>だ
37と度数はちょいと低いが、つるつるとそうめんのようなのどごしだが
この数字に偽装はないと信じよう
味も素っ気もないところはチェイサー〈追い水>でカバーする
今凝っているのは97度のお湯にミツカン酢を数滴たらしたやつだ
究極の調味料は酢と醤油でキマリだ
白菜の酢醤油煮さえあれば他に何もいらない
見切り品のあぶらげがあればそこに加える
oh!書いてるだけでよだれがこぼれた



仕方のないおいらの心象事情


戦争に行けたなら強姦ってやつをしてみたかった
慰安婦のはしごがしたかった、飢えて人肉を食らいたかった
召集令状が来たら山へ逃げ込み身内に地獄を味あわせたかった
そしてそのまま朽ちたかった
こんなふうに書きつつ実は知っている
ぼくはもうじき還暦だが、その気になれば強い志さえあれば
傭兵になれるのだ
真剣に化学を勉強すればATMに
爆弾を仕掛けることだってできるのだ
でもそれはしないだろう
人を殺してはならないという信念に基づいてではなく
面倒が先にたって
戦争反対と書いたゼッケンを腹とか背中に貼り付け毎朝走ったり
電車に乗り込もうかと考えることもあるが実行はしていない
だいいち恥ジカシイシ
ただ十八の頃から一貫して感じてることはある
おいらのような人間は
もしあるのなら
正しい戦争、正義のテロリズムの犠牲になっても
仕方ないんだと



物を持たない


ミニマムライフがブームである
おいらはその草分け的存在だろう
60年生きてきながら
子供も恋人も車も、無論のことマイハウスも持ったことはない
腕時計は40年来嵌めてないしネクタイは42年間買っていない
ミニマリストの思想を突き詰めれば消費しないということだ
ミニマリズムは資本主義貨幣経済へのレジスタンスなのだ
ただ食わないと死んじゃうから食費はいかんともしがたいが
1月30日にタイから帰ってきて10ヶ月外食は一度もしていない
不憫に思ったのだろう、同居している姉がヒャッキン寿司へ連れてってくれた
目指すはエンゲル係数100%だが
替刃と石鹸は買わないわけにはいかない
おいら、35の時からずっとスキンヘッドで
いわゆるハゲカモフラージュスキンヘッドなのだが
以来生きるのが楽になった
最後の一本が抜け落ちるまで剃り続ける所存だ
断るまでもなく石鹸は体を洗うためではなく
シェービングクリーム乃至フォームの代わりだ
さあ、おのおの方
ミニマリストの合言葉をかまそうじゃないか
@エンゲルケイスー
@ニコラスケイジ



イジメを生き抜く3ガナイの掟


ガンバラナイ
ガマンシナイ
ガッコヘイカナイ



夢の途中


今、いくつもの国がひしめきあっているが
ひとつに収束する、というより国家という概念が剥がれ落ちる
その過程、途上なのだ
愛国心などヒトも食わない糞食らえだ
俺たちは人間だ、生き物だ
ナニ人だって、ナニ教だって、北でも南でも
イじゃないか
愛するのは自分だけでじゅうぶんだ
自分を愛せれば
きっと
あきらめられる



おやじへ、の悪口はこれでおしまいの巻


いまだにおやじはキライだし
許せない
っていうか釈然としない
ただ、ずっと前から、時々、こんなふうに
考えることがあった
もしおやじと俺が入れ替わったら
<ぼくが彼女で彼女がぼくで>のような身体の入れ違いではなく
おやじが生まれた年に俺が生まれ
俺が生きた時代をおやじが生きたなら
俺はおやじよろしく
日光市議会議員選挙に六回立候補してことごとく落ち
おやじは俺がこのサイトに書いてるような詩を
脳ミソに描いたかも知れない



歯の話のつづきを少し


おかげさまでぐらついていた歯は無事抜け落ちた
ごはん粒を噛んでる時に
抜けたというかこぼれたのがわかった
軽い達成感があり、ほっとした
死ぬ時も
こんなふうに
達成感はいらないが
ほっとできたらな
と、思う



ナワトビ パート3   ナワラー宣言


日本からまたまたタイのチェンマイにきて二つのレースを走ったのだが
といっても10キロのミニマラソンだがどうもぱっとしない
イヤな予感はあった
日本で一度だけタイムを計った時
気持ちよく走れたのに
たった7キロの距離なのに、全盛期より3分近く悪かった
ぼくはそれを肉離れの後遺症のせいにしてあとは計らなかった
年をとれば衰えるのは当然だし
ぼくはあきらめのいい男なのだが
はい、そうですかと納得できるものではない
加齢以外の何か原因があるのではないか
一つだけ思い当たることがある
走ることにかまけてナワトビをおろそかにしていた
早い話ぼくは、ナワラー、ナワトビ男なのであった
30でとび始めてから20年以上1日最低6000回はとんできた
走りだしてからも走ったあと3000回こなしてきた
それが知らぬ間に、マラソンの完走もできないくせに
いっぱしの市民ランナーぶって走ることを主題にしてしまった
肉離れが癖になったのもきっとそのせいだ
ぼくの人生の三大転機は
円形脱毛症になった時とスキンヘッドにした時とナワトビを始めた時なのだ
今、ここに宣言する
俺は断じて市民ランナーなんかじゃない
俺は一介の、ナワラーだ
走れなくなっても俺はとびつづけるだろう
そしてポックリと
逝くのだ



ビエンチャンアンタッチャブル


ビエンチャンに観光ビザを取りにきたのだが
コトバはいらないのではないか  邪魔臭いだけだ
ビエンチャンには1月1日に着き2日が土曜で3日が日曜だったから
4日に申請して5日に受け取った
そして今タイのチェンマイに戻る途中なのだが
俺は一人の男とずっと一緒ですでに144時間以上行動を共にしている
俺たちは次第にコトバをなくし鼾の掻きあいで意思の疎通を
計るようになった
気持ちはコトバを創造してもコトバは気持ちを捏造できない
世界に言語は70億万語あるが ひとひとりひとりがそれぞれの言語を持っていて然るべきだが
ヒトの気持ちにさほどの違いはないはずだ
いうまでもなくおまんこにコトバはいらない 煩わしいだけだ  
コトバが絡まない方がよりしとどに濡れ和える
それは行為のみで意図を気持ちを我が身を伝え届かそうとするからだろう
そもそも<ビエンチャンアンタッチャブル>と題名をつけながら
俺は正確にも曖昧にもアンタッチャブルの意味を知らない
偶然に知ってしまえば話は別だが
これからもすすんで知ろうとはしないだろう



オイさんに捧ぐ


今はもうつき合いはないが、昔、ぼくが哲とあだ名をつけた
ぼくよりもだいぶ若いタイ人の友人がいた
哲の彼女がオイさんだった
ぼくは二人を結婚前から知っていたし離婚した後も
知っていた
オイさんには妹と弟が一人ずついて弟はおかまだった
オイさんのご両親と一緒にご飯を食べたこともある
まったくの偶然だが離婚後のオイさんが
ぼくの借りたアパートの敷地内で洗濯屋を営んでいた
時期もあった
ひとは老いる
オイラも老いる
老いをホイルで包みフライパンにオイルはしかずボイルせず
老いを炒るのだが
弾けてはくれない
オイスターソースをぶち込んでも
おいしくはならない
老いては子に従えと言ったところで
オイラに子はない
老いると置いてきぼりにされがちだが
置いていくものは
何もない
哲の糖尿病が悪化してつき合いは途絶えた
オイさんのその後も知らない
オーイ、オイッ!
老いては死に従い給え



転んでしまった


左目から落ちていったのだろう
左目が完全にふさがってしまった
目から出血しそいつがまつ毛にこびりついてよけいに開かなくする
転んだのは覚えていない
気がつくと部屋にいた 目に違和感があった
鏡に映すと左目が潰れていた
さっきまで飲んでいた男に電話をすると
お前は転んだのだと言われた
それ以外何を喋ったかは記憶にない
歩いていたのか自転車に乗っていたのか
下に降りて自転車の有無を確認する気にはなれない
目を潰したのは初めて入った店で右翼に殴られて以来だ
<雑詩週間東京>という詩にそのことを書いているが
あれはウソだ
俺が殴られたのは蒲田ではなく高田馬場で
18ではなく27の時だ
その時は近所の庄やでバイトをしていたのだが
どどめ色に腫れ上がった目で、右か左か忘れたが
出ていくと
頼むから2、3日休んでくれと言われた
かような状況で俺は昨夜
研いであった米に水を差し簡易炊き込みご飯を作っている
一合弱食べた
タイで炊飯器を買うと
セットで蒸し器というか蒸し籠が付いてくるのだが
それでキャベツと茄子としいたけと人参を蒸かしてもいる
このことは褒めてやっていい
それにしても痛い
だがしかしこれが生きるということなのだろう



ぼけ助の夢


年を取ると夢まで老いぼれてしまうのか
最近、多感で多汗であった頃に繰り返し見た
落下する夢と追われる夢をまったく見ない
また、まだ頻尿ではなかった時分に何度か見た溺れる夢も
22の時代々木プールで実際に溺れてからは
見ていない
話はそれるが60年生きてきて一度も夢精をしていない
それより先に暇に任せてついついしごいてしまうからだが
そんなことより
今日この頃の、還暦の声を聞いてからの夢には
躍動感がない、精彩がない
ガキの頃には確かにあったリアリテーもない
どんよりとぼやけている
ちょっとどころか大いにピンボケだ
とろとろにとろけてしまった脳ミソで
息の詰まるような夢を見たいと願うのは
厚かましいだろうか
俺達は見る夢からぼけはじめ
それが本体にのり移るのだ



いま ひきこもり つつ あるということ


誰にも会いたくない
誰とも話したくない
誰の顔も見たくない
てなことは誰にだってある
ぼくなんぞはしょっちゅうだ
誰が悪いってわけじゃない
偉大なるナルシストを自認するぼくにすれば
ひょっとしたら悪いのはこの俺かも知れない
なんてことは口が裂けても言えない
ぼくが自分を惜しみなく責めたてたのは
おいらの記憶が確かなら遠いとおい昔のことなのだ
いつからだろう、朝、健康公園を走るとき
同世代の一人のファランと黙礼しあうのが慣わしになった
だがまれにそいつとすれ違うのが面倒になり
さぼったりもする
その帰り道に、さまざまな野菜をちょこまかっと袋に詰め込み
オール5バーツという店で、一日分の食材を買い整えるのを
日課にしているのだが
走りに行かなかった日はその店に出かけるのも億劫というか
苦痛になる
そんな日は米を炊き醤油めしで間に合わせる
米が底をついてる時には大嫌いな
セブンイレブンへ行き食パンとインスタントラーメンを
持ち帰る
今回のチェンマイ滞在は4か月と短いのだが
ほとんど詩を書くことができなかった
詩は書こうと心に決めないと書けるものではない
少なくともぼくの場合さあ書くんだと
けしかけたきつけしないと一行だって書けない
悪いのはパソコンだ、インターネットのシステムだ
ユウチュウブで映画を観ると右わきに
見たい映画見逃した映画が次から次へと現れて
やめられなくする
一日最低4本は観ていた
だからってパソコン技術が上達するわけではない
ぼくのあずかり知らぬうちに
おいらのパソコンはウインドウズ10ってことになってしまい
DVDが見られなくなった
友人に頼み込み直してもらったのだが
もう一人の友人はならばウインドウズ7に戻してやると宣言し
あちこちいじくりまわしてくれ
三日後に気づくと果たしてウインドウズ10のままだった
そしてふたたびDVDを見ることができない
ブログを開いて月々10万円20万円と稼ぐ輩がいると聞けば
放っておけなくなり
また別の友人に教えを乞うたのだが
言ってることがきれいさっぱりちんぷんかんだ
いったいぜんたいネットって奴はトサカにくることばかりの
とんでもはっぷんはばかりさまだ
ユウチュウブに青い山脈
の前編を挿入した君よ何でもいいから一刻も早く後編をも
ハメ込んでおくんなしゃい
抜き射ちの竜<拳銃無頼帖シリーズでわが赤木圭一郎が演じた男>のセリフじゃないが
いくら俺だっていい加減にしないとブッ放すぜ
ブッ放す前に日本に帰る前に一言言いたい
オラッ、よも助、撃て、撃つんだ
このパソコンを、ブチ抜きかませ!



あったかそうに光るガラス窓から


新しく広くなった縁側に
淡い日差し
もう冬なんだなあって
座布団持ち出し
ひなたぼっこ
ポカポカ陽気に君を想うと
あったかそうに光るガラス窓から
今にも君が現れそう
そしたらぼくは
抱きしめたいなあって
きっとそう思う

この詩を書いてから一週間もたたないうちに
マル田バツ子に振られたわけだが
今だからそう言えるのであって
当時はおれは振られたのだと認識する
作業に没頭するしかなかった
3年はかかったような気がする
いたずらによちよちふらふらとしをくいまったくなあとひとりごつ



働いてなんかいられない


ぼくは忙しい、すこぶるつきで忙しい
やることが山ほどある
例えば起きなくてはならない
朝昼晩真夜中、刻は選ばずとも
寝たら眠ったら起きねばならない <死んでなけりゃネ>
起きたら即ストレッチをする
イヤ、これはタイ王国でのことだった
日本国だとまずお茶を飲むための湯を沸かす
冬ならばストーブをつける
お茶が入れば仏様にあげわが身もいただく
朝飯を食らう <おかずは夕べの残りと納豆ヨ>
新聞を流し読みする
さあそれからがストレッチだ
たった今そいつを終えてこれを書いているわけだが
こんなペースだと次に予定してる読書にかかれるのが
いつになるかわからないので
ぶっ飛ばしていくぜ、端折っていくぜ
おしっこだってしなくちゃならない
頻尿のぼくは一日最低12回はする
頻便でもあるぼくは糞だって一日最低3回はする
糞すればケツだって拭かねばならない
水も流さにゃならない
下水道料金節約のため3回に1回は
東武日光駅のトイレまで歩かにゃならない
時には
OH くそ忙しいぜ ベイビー 働く隙間なんぞ
このバカ狭い日本のどこにもないぜ 愛してまあす ガタガタガタ
と裏声で歌って忌野清志郎を偲ばねばならない
タイプのおんなを見ればたまにはポッキしちゃうだろう
まれにはマスもかくかもしれない
酒だって時々はいやほぼ毎日飲まねばならない
天気のいい日にゃ昼から大谷川でぼくが発見したテーブル石に腰かけ
ワンカップ焼酎片手に川面を見つめてさよならを言えなかった分だけ
時の流れを知らなきゃならない
昼飯も酒の肴も晩のおかずも作らにゃならない
そいつをしみじみ食わなきゃならない
起きたんだから寝なけりゃならない
そして終には死ななきゃならぬ



まるで夢のような生活


はっきりいってしまおう
おいらこの4月から年金が貰える身の上になった
さあこれから、ものごころがついてからひそかに思い描いていた
夢の生活が始まる
受け取れるのは月々2万5千円でしかないが
もう働きなんかはしない
タイに少し貯金がある
それを円に換え、オキナワへ行き
テント生活を始めるのだ
橋の下にテントを張り、朝になればそこいらを走り
前を流れる川に身を浸し
髭を剃り頭を剃る
ママチャリにテント寝袋を積んで図書館へ行き
こめかみがかみあわなくなるまで
<カラマーゾフの兄弟>を読み耽る
閉店間際のスーパーで60%引きの弁当を二つ買い
サービスのお茶で一つをそこで食い
またテントを張り、蛍の光で、いや月明りもしくは橋を照らす
水銀灯で、借りてきたたとえば<井上靖>の<北の海>を再読し
取り返しのつかない昔をもてあそぶ
そして残りの弁当を食らい
ぼくは静かに目を閉じる



バンビちゃん


アド通信社はサラ金の広告を取りスポーツニッポン紙に掲載するのを生業としているのだが、多分21か2の頃恐らく目黒本町のアパートに住んでいた時期、2週間程度働いたことがある
あるのだが、それがどこいらへんにあったのか覚えていない、だから当然、最寄りの駅も忘れてしまった
入社して3日目か4日目にはぼくは回りからバンビちゃんと呼ばれるようになった
毎朝つぶらな瞳を赤くして出勤するからだがそして普段のぼくは大人しく従順だからだが
毎日飲んでも白目が充血しないひとだっている
ぼかあ天性の慢性結膜炎なんですとか何とか当時はよく言ったもんだ
社員旅行は石和温泉だった
行きの電車で飲み始めてから40分で<よし!飲みに飲みまくってこれを最後に辞めてやるのだ>と固く心に決めるぼくなのだった
先日は醜態を見せてしまい弁解の仕様もありません、とてもこのまま居続ける勇気はありません、どうぞ退職させてください
という手紙の文面を帰りの電車で推敲するぼくもいた
処構わず相手構わず喋りまくったのは確かだし、記憶も10ブロックほどとんでいるが
さほどの醜態は見せてはいない、と思う
この時のバンビちゃんの思考行動がぼくには手に取るようにわかる
バンビちゃんはぼくだ
おれがバンビだ
@気になったので調べてみたらバンビは仔鹿のことなんですね、でもバンビちゃんとぼくを初めて呼んだその人は、蓬田君はいつも赤い目でウサギのようだね、といったのです。



あきらめろ再び


国家を信じちゃダメだ
政治を信じるのはアホだ
宗教、ともだち、情報AないしはCあるいはEを信じる信じないは
それぞれの勝手だ
己は信じろ
信じれば
きっと
あきらめられる



面倒なこころを


面倒はイヤだ
弁当はのり弁がスキだ
めんどくさいのはキライだ
剣道の面は臭い
面倒は見ても掛けてもいけないし
煮ても焼いても食えない
面倒なこころを弄んではダメだ
面!どうだあと
気合いもろとも
丸投げだ



仲良くしようよ


ぼくたちは同じ人間、サル目ヒト科のホモ達なのだから
別々の檻で暮らすなんておかしいよ
クラス対抗リレーならまだしも国別対抗リレーなんてのは
ゾッとしないゾ
国なんていらない
国がなければ国境はない
お金って奴もいらない
春を売るなら米で売ろうよ
夏を買うなら小麦で買おう
ヒトは誰もひとりひとりがひとりぼっちだけれど
もっともっとぼっちぽっちになって
交わろうよ、 仲良くしようよ
男も女も黒も黄色もピンクも白も一緒くたにmaguwaiしようよ
見つめ合わなくたってだいじょうぶ
己の痛みが分かれば他人の痛みも分かるはず
ぼくはまだ自分の痛みを読めないけれど
あなたのことは嫌いだけれど
憎んだり恨んだりはしない
何で国はあるの? どこから来たの?
ソんなもンいらない
仲良くやろうよ
らりるれでれすけラリようよ



よもぎ考 国家と犯罪 船戸与一に捧ぐ


ぼくの姓は蓬田だが草餅はヨモギから作るのだと大昔から知っていたし
蓮田<はすだ>さんとか逢田<あいだ>さんと読まれたり呼ばれたりするたびにおれの
名字は珍しいのだとひとり悦に入っていた
中学の時草刈とどっちの名前のほうが少ないかで賭けになり
電話帳で調べたら草刈70に対しこちらは120で
何者かに裏切られたような気がした
今ならわかる、国家にしてやられたのだ
小学5年の秋の写生会の時だ
片岡勝が近づいてきて足元の葉っぱをもみもみし
それを乾いた葉っぱで包みポケットから取り出したマッチで
火をつけ(これがもぐさだ)と口元に差し出したのだ
ぼくはそいつを吸ったのだろうか
例の地下室のパーテイーの一回目に片岡は参加したがその後は出ていない
仲違いしたのだ
原因は覚えてないが俺より片岡のほうがはるかに自由だった
ぼくより9歳年上の兄はかなりの量の平凡パンチを買い込んであった
土間の片隅にうず高く積まれたそれを引っ張り出しては気に入ったグラビアを
切り抜いて特製ノートに貼りつける、それが高校入試を控えたぼくの
密かな楽しみだった
だが上京して初めて買った雑誌は平凡パンチではなくプレイボーイだった
その中でこの前死んだ野坂昭如がバナナの皮の内側の繊維質を削ぎ落とし
乾燥させパイプで吸えばそこそこの酩酊感を得られると述べ立てていた
今、ほぼほとんどの国が厳しく麻薬を取り締まるというポーズを
とっている
そうしないと国家としての対面が保てないからだろう
しかし、もぐさを吸うのは取り締まれまい
もぐさはヨモギのなれの果てだ
俺はもぐさだ、どこにでも蔓延るヨモギだ
俺は俺自身をもみもみして吸引しいきいきとラリる
誰にも文句は言わせない



朝を待つ街


にぼくはいる
朝は毎日やってくる
ぼくは律儀に息をする
朝を抱えて起き上がり
朝を負ぶって走り出す
朝を跨いで縄跳びし
朝に腰かけ髭を剃る
ぼくが死んでも
朝は飽かずにやってくる
朝が来る街に
ぼくはいる



きっと


ひとひとりひとりはみんないいひとなのに
労働という集合体に投げ入れられると
誰もがイヤな奴に見えてくる
たぶんどの国だってどっこいどっこいだ
そこんとこのその国だけが悪いってことはないだろう
だが依然戦争はなくならない
警官や自衛官の自殺者が一般よりはるかに多いのは
なぜだろう
しつこいようだがくどくどと何回でも言わせてもらう
労働は罪悪、国なんていらない
組織、権力、国家が産み出せるのは
暴力だけだ
きっとひとはこころの拠り所求めて
宗教にすがるのだろう
拠り所はひとりひとりが別個であっていいはずだ
ただ
煎じて飲めばどの宗教もきっとおんなしことを言っている
祈ろうよってことだ
祈るとはこころ静かにあきらめること
民族に優劣なんてないことくらいどの民族のどんな奴でも知っている
ぼくが米を作り、きみが魚を獲り、あのひとがバナナをもぎれば
万事OK、ไม่เป็นไร マイペンライだ
俺たちサル目ヒト科のホモサピエンスは
きっとどこかで取り違えてしまったのだ



恥ずかしながら


と横井さんが <もしかしたら小野田さんの方だったかもしれない>
帰って来た時
ああそうなのかと思った
今更何がそうなのかを事細かく分析する気力体力は
残ってないが
恥ずかしながら
ぼくも今日まで生きてしまった
とてもじゃないが数え切れないほどのマスを
かいてきた
だから何なんだ それがどうしたっていうんだ
と開き直る傲慢さも膂力も
それはそれで持ち合わせてはいない
ヒトの噂をしないのがひでおの唯一の取柄だんべ
と母親から褒められるたびに素直にうれしがった
正直者のぼくに今
残っているのは 保たれているのは
恥ずかしながら
ああそうなのかという
心境だけだ



ビエンチャンアンタッチャブル  パート2


どう考えてもおかしい
本日の行動開始時、50000キープ札は確かに4枚あった
朝飯はビアラオ3本とカオピヤクで45000キープ
昼飯にビアラオ3本もち米とおかず2品でこれまた45000キープ
部屋に戻る前にトマト4個を5000キープで買い 
そのうちの1個をさっき皮を剝いて食したのだが
一息ついて金の計算をしてみると
50000キープ札が1枚しかない
アドレナリンでアツくなってしまったスキンヘッドで
思い当たる節は1つしかない
トマト4個に50000キープ紙幣を使ってしまったのだ
ぼくはトマト大好き人間だが
日本だと高くて1ヶ月に1度見切り品の熟しきったのを
買うくらいだ
その腹いせにタイでは
ちっちゃな袋に3個か4個時には5個詰め込んで5バーツというやつを
ほぼ毎日買っている
これはビエンチャンでの話しだが日本で買うトマトより
どえれえ高い買い物になってしまった
ついでだから書いてしまおう
ビエンチャンからパークセーへと向かった
パークサンと言っていたような気がしないでもないが
市内地図のバス時刻表にはパークセーとかサワナケート、アダプー行きとは
出ているがパークサンとは載っていない
パークセーには7,8年前に行ったことがある
食堂兼カラオケやへ3日連続で昼、夜と通い詰めた
そこの女主人がどうしたわけか
ぼくが行くとぼくのテーブル席に居座って離れようとしない
気分を良くして例によってLOSOメドレーを性懲りもなく
やってしまった
その店でおだを上げるのが今回の魂胆なのだ
南バスターミナルから乗り込んでパークセーと告げると
110000キープだ
ビアラオを除くとラオスは物価の高い国だが
これはべんべらぼうに法外な値だ
110000キープは500バーツ弱
タイでいえばバンコク チェンマイ間 バスで10時間の距離だ
ぼくの記憶ではパークセーまで3時間とかからない
案の定野っ原でのトイレ休憩からいくらもしないうちに
見覚えのある街に出た
ここがパークセーなんざんしょ
と昇降台を降りると
3,4人から パークサンだ と返ってきた
パークセーはもちろんパークサンもやっぱりやっぱしあったのだ
パークサンまでなら30000キープ
80000キープ余分に払ってしまったことになる
ラオスビール8本分だ
そう計算するとじくじくと忸怩たる思いが
里芋の煮っ転がしのように染み付いて絡み合い
今にも焦付きそうだ
ちなみに食堂兼カラオケやは建物はあったものの
中はがらんどうなのでした



頭打ち


ブルーハーツでリンダリンダリンダ
困っちゃうナ
山本リンダを狙い撃ち
たっぱのない俺
頭打ち
セイウチアザラシ足利銀行
困っちゃうナ
金のない俺
頭打ち
あの娘に脈はなさそうだ
おいらの脈は腑抜けに刻む
半端野郎が
たっぱ詰まって切羽詰って
頭打ち



ぼくの使命


その昔<新芽ちょうだい新芽ちょうだい>
と マイケルジャクソンの妹の物真似が得意なお笑い系の女が歌う
砂糖入りの緑茶を販売する会社とタイアップした
田園歌謡ลูกทุ่งがあった
ぼくにはそれが<指名ちょうだい>としか聞こえず
タイでもバーキャバレーお風呂関係者各位は指名確保に
躍起なんだと同情した
そこでぼくの使命だが
どこそこのお風呂へ行ってだれそれを指名することではない
はっきりいってどんな風俗に飛び込もうが行き当たりばったりの
でたとこ勝負 それがぼくのポリシーだ
そこでぼくの使命だが指名はしないということではなく
いささかなりとも物を考えてみようってことだ
50をちょっと過ぎるまで酒に飲まれて溺れしがみつき
考えることを放棄棚上げしてきた
最近それはちくともったいないと感ずるようになった
せっかく生まれてきたのだから おれたちはどこから来てどこへ行くのか
思考錯誤したところで 罰はあたるまい
と思うのだがその答えは歴然としてある
健一とサダ子のはめっこの結果偶然にぼくは生まれ
死んだらハイそれまでヨ だ
へったくれから来てくそったれへ行くのだ
が、つらつらとつづらおりにだいいちいろはざかだいにいろはざかと考えあげれば
何かしらの変異変態を起こさぬとも限らない
さてそこでぼくの使命だが 余命ある限り
張ったり取ったりかまして唱え
益体もなく祈り続けることだ



青白きインテリ


文学青年をめざしていた
無頼派という響きに魅かれもした
いつのまにか青年中年を通り越し暑気<アツ>苦しい初期高齢者
になってしまった
挙句の果てが毎朝ナワトビを振り回す
健康オタクだ
だが星より密かに雨よりやさしく本音を明かせば
いまだに無聊をかこっているし
気分のいい日にゃ陰でこそこそ無頼を気取ったりする
人に後ろ指指されようと指されまいと
ぼくのチャームポイントはケツ青き似非インテリ性
にある



つつましやかに生きよう


ネって君と言い合ったことがあった
それは二人仲良くシンプルに暮らそうって意味合いではなく
5本のビールを4本にさらに2本は無理でも3本にってことだ
君はぼくより数段強くスピードも速かった
君の実家で飲んでいた時近所の同級生がやってきて
モッドはちっちゃい頃から何をやらせても上手くそして早いのだと
自分の手柄のように言うので
そりゃそうだわが意を得たとぼくも同調したのだ
君の料理は手際よく味も使えた
他の人とは知らないが、おまんこも手早くさっさと済ませるのだった
君に似て長身で手のように長く自在な足の指を持つ
おかあさんは元気ですか?
[宝くじは買わない]という詩の中でそのおかあさんを勝手に殺しちゃったけど
あくまで創作ですから
君とは似ても似つかないお兄ちゃんの二人目の嫁さんは
見つかりましたか?
君の実家で飲んだのは2回だけだけど
気がついたら起きてみたら君が隣のいた
なんてことを目論んでいたのに 酔い潰れる前に
君は「お兄ちゃんお願い」と言って
ぼくを市内のホテルまで送らせるのでした
君のともだちのトムボーイとそのパートナーと4人で
カラオケのある食堂で飲んだことがあったよね
「なんか熱っぽい」って君がこっちを見るから
掌をおでこに持っていった時
まるで啓示のように ああ君もぼくを憎からず思ってるんだ
と承知したのです
至福の時でした
君のことを書くのはこれでしまいです



ランのニュースを聞いてすぐ、王様が死んだとだれかがいった


というメールが日本にいるマギーさんから届いた
なんでマギーと呼ばれ出したかについては諸説あるが
いつもどぎまぎしてるからというのには説得力がある
マギーさんとの付き合いは長い
ぼくがタイに滞在してる間にやってきて一週間か10日飲みあげるのを恒例にしていた時期もある
バンコクはバンナーにひきこもっていた時も
パヤオでおにぎりを売っていた時も
チェンマイで酒に溺れていた時も
マギーさんは現れた
数年前回線の状態が悪くて彼との電話が途中で切れた
それを機会にぼくは意図的に連絡を絶った
メールには他のことも書かれてあったが
その一行だけが太字で見えた
これが詩なんだと思った
そうだった、思わずつぶやいていた
王様は死んだのだった



還暦無情

どうも楽しくない なんかつまんない
そんな時はどうにかしなくちゃと躍起になったもんだが
このところそのままにしている
それでも一日は過ぎていく
ぼくの唯一の自慢は今でもその気になれば
やすやすと日に二回は抜けるってことだ
それだ(鼻が詰まってるのでながだになってしまいました)のに穴に入れたいって気にちっともなれない
昔は女を見れば
触りたいハメてみたいと熱くなったのに
誰でもいいから好きになって愛しちゃって穴に入れて
一つになりたいと狂おしいほどだったのに
ぼくの密かな夢は
好きな女と炬燵に入ってみかんの皮をむきむきしながら
足で女をトントンするというか
足と足とでもって意思の疎通を計ることだった
女と暮らしたことがないぼくには叶わぬ夢だったが
たとえば今誰かを好きになったとしても同じ炬燵に入りたい
とは思わない
こんな時は酒を飲むに限るのだろうが
別に飲まなくたって平気なのだ
三日四日飲まないなんてえことはざらだ
昔は夕方になればいてもたってもいられなかったのに
ただ酒乱であるぼくは今でも
飲みだしたら止まらなくなる
意識がなくなるまで否なくなっても飲み続ける
バカと酒乱につける薬はないというが
バカと酒乱は一生モノなのであった



ビエンチャンアンタッチャブル パート3


ビエンチャンに観光ビザを取りに来たのだが
コトバはいらないのではないか
ちょっと待ってくんない!とたぶんタイ語でもしかしたら日本語で
声をかけたのは確かだと思うのだが通じなかったのか
三輪タクシーは勝手に走り出してしまった
ここだ、と言われたから降りて
しかしどうも様子がおかしいので、おい
といったら運転手は素知らぬ顔でいずこかへ走り去ってしまった
というのは嘘八百でなんにもきれいさっぱりに覚えていないので
あとからこんなふうに想像してみたのだ
タクシーに乗ったのは事実である、とは思うのだが
とにかくそこがどこなのかまったくわからない
なんで自分はこんなところにいるのか?
神隠しにあうとはこういうことなのかもしれない
もうあたりは真っ暗だ
ホテルに帰りたいがその方法がわからない
近くに灯りがあったので仕方なくそのホテルにしけこんだのだ
朝起きてポケットを探ると部屋代に900バーツ使っている
ミニバーを開けると水のボトルが2本あるだけだ
1本に口をつけフロントに行き、ビールは?
と聞くと無視された
よし、じゃあ、チェックアウトだ、とかますと
OKと即答だ、水はいくらだ?と聞いてやったら、サービスだ
と返された
そこで泊まるはずになっていたホテルの近くにある朝市場の位置を
しつこく何回も質すのだった
そこから約5キロ離れていた、4連泊で計1200バーツを支払い済みのホテルには無事着いたが
途中で2軒の店に引っかかりビール5本を飲んでしまった
昨夜ぼくが実際に泊まったのは900バーツのホテルで
したがって無駄になった金額は300バーツだ
だが小心者のぼくには900バーツ損したとしか考えられないのだ
愚痴はここらで切り上げる
我が心の師忌野清志郎は外国の曲に日本語をつけ原曲を凌駕させる
離れ業の持ち主だが不肖わたくしめもその真似事をしたい
前のビエンチャンアンタッチャブルという詩の中で
アンタッチャブルの意味は知らないと書いた
だがニュアンスならわからないでもない、つまりアンタッチャブルは
ちょと待っておくんなせえ、お痛をしたのは確かにこのあっしだが
いったいビエンちゃんとはどこのどいつでえ
とかいう意味だ



国旗考


白地に赤く日の丸染めて
とかいうような歌があったのを覚えている
国旗に限らず旗のデザインはシンプルなものがいい
三色を使い横に引いたり縦に割ったりしたのが
その典型だろう
今新しい国ができ国旗を作ろうとしても
だいたいのところは出回っていてシンプルなやつは
まず無理だ
それにしても日本の国旗はいつできたのだろう?
大昔のマケドニアとか樺太にも国旗はあったのだろうか?
調べればすぐわかるだろうが
まあいい
だっておいらは何度もうたってきたように
国家否定論者なんだもん
俺たちが争いを殺し合いをやめれば
国家も国旗もいらない
俺たちひとりひとりが別々の方向を眺めてたってかまいやしない
見つめ合わなくてもだいじょうぶ
めいめいがそれぞれに宇宙に抱かれるだけでいい
俺たちに必要なのは
白いまっさらな一枚の布切れだ
どんな色にも染めなくていい
いかなる意匠もいらない



ストレスを貯めて


俺を知る連中はお前はシャイでナイーブだからなと口々にいう
俺に惚れる女たちはあなたは冷たそうに見えるけどほんとはとっても
あたたかいのとのたもう
まあどっちも当たっているからストレスがすぐ擦り寄ってくる
次々と言い寄ってくる
あっちを見てもストレス 口を開けてストレス
南に行ってもストレス 牛乳飲んでストレス
穴に入れてもストレス やさしくされてストレス
若いうちは酒でどうにかごまかしてきたがすでに限界のようだ
こうなったら折り合いをつけながら貯めこむしかなさそうだ
1ヶ月2万5千円の年金生活者じゃ酒を飲むのもままならないが
つまみはいらねえ
ストレスが肴だ
俺の預金通帳が10万を超えることはもうないのだろうが
ストレスで上乗せし太らせてやる
そして終にその日が来たら
待ちに待ったその日が来たら
そいつをフーっと一気に吐き出して
宇宙の果てへとかえるのだ



最後のためいき


君にはなにも聞こえないかも知れないが
これがぼくの精一杯のつぶやきです
叫ぶのだがその裏返った声はまたたくまに蒸発し
身も蓋もなく跡形もない
おらんでもその恨みつらみは3秒で地球を1周し
ぼくの後頭部を指ピンする
見つめたいのに話したいのに
ぼくにはコトバが見つからない
あきらめてひきこもり
投げ出して飲んだくれ
捨て去って押し黙っても
下腹のその下のさらに下のほうでくすぶり続けるものがある
それをつぶやきでもいいから
声にして訴えたいのだが
あなたにはなんにも聞こえないだろうが
これがわたしのほとんど最後のためいきです



飽きる


ということは確かにある
この十年、日本に半年タイに半年という生活を続けている
タイに来て三ヶ月もすると飽きてきて日本に帰りたくなる
なら飽きた時点で予定を切替え帰るなり行くなりすれば良さそうなもんだが
チケットの問題とかあってそこまではしていない
河岸を変えたところでそれほど気分が変わるものでないことは
骨身に沁みている
ただ飽きるスピードは年々速くなっている
飽きるとは、あきらめる、明らかに究めることだ
ぼくはあきらかにきわめただろうか
人生とはやり過すことだろう
働いたり結婚したりじっとしていたり
やり過す方法はいくらでもある
飽きる前にあるいは飽きるという言葉そのものを知らぬうちに
逝ってしまった人たちには申し訳ないが
ぼくは正直やり過すことに飽きてしまった
人生五十年でよかったのではないか
飽きてきた頃具合よく人生が終わる
それが五十六十もひとつおまけに七十の年の頃なのではないか
五十を過ぎたら働くのを禁じ生きるのなら物乞いとして
そんな法律を作ってしまったらどうだろう
五十を超えたら人は惜しみなくスタコラサッサと死んでいって
いいのではないか
ものごころついてから、永久の命とか不老長寿を夢見たり望んだりしたことはない
そう願う人が実際にいることが、少年の頃、不思議で仕方がなかった
飽きたならもうやり過せないのなら素直にやさしく
死んでいくのもイじゃないか



満天の星に捧ぐ  くだんのくだる


がいってしまった。
まあるい顔とまんまるいお腹がトレードマークのくだるが
満天の星に向かい昇って逝ってしまった。
ちょいと異端を気取った元気いっぱいのいたずら坊主が
おおいに遊びちょっぴり勉強し
ただほんの少しを望んで結婚し離婚しまた結婚し
その節目節目にはまるで己に落とし前をつけるかのように
働きづめに働き
やっとゆっくりできる境遇に見舞われたその矢先だ
どこまでもクソ真面目にいつまでもバカ正直に自分を励ますしか能のない男よ
オラオラオラ
まだ三途の川を渡っていないのなら
目を覚ませ!
オッパイを上下左右に自在に動かすあの芸当で皆を笑わせ
おいらを罵倒しろ
50を過ぎたらスタコラサッサと死んでいけばいいと言ったのは
いったいどこの馬の骨の戯言なのかと



ママチャリブルース パート2


観光ビザの延長にプロムナーダへ行く
俺のアパートから入国管理局までゆうに5キロ以上ある
もちろん我が良き友ママチャリに跨って行く
手続きを終えさらにそこから軽く5キロ以上離れた
友人A宅を目指す
友人Aが借りている一軒家はチェンマイ県に属するが
200メートル先の大家の豪邸は隣県のランプーンで
友人Aはランプーン県の住人を気取っている
さっそく飲み出す 何本空けたろうか
やはりその日プロムナーダで90日出頭をクリアした
友人Bがビールを携えやって来た
帳が下りると俺は月に向かって吠えたくなる
月に向かうかわりに明かりのついた一軒にしけこみ
ひとりグラスを傾けていると大家の旦那が俺を迎えに来た
友人Aに頼まれたのだという
大家と旦那は籍は入ってないもののれっきとした夫婦で
旦那が入り婿の形だ
この男が善良を絵に描いたような奴で
見てくれはゲーリークーパーとは似ても似つかないが
善人サムの何百倍も善人なのだ
俺は大人しく引き返したのだろうか
その店の勘定はどうしたのだ
友人Bは俺がとっちらかってるうちにモーターサイを転がして
チェンマイのヤサに帰ったらしい
気がつけば朝だ
朝市で軽い肴と友人宅から歩いて2分の雑貨屋でビールを仕込む
ここのおかみは間違いなく俺に惚れている
この店へは道路をひとつ渡らねばならないのだが
俺がビールをママチャリの買い物籠に突っ込み
取って返そうとしたら
ちょいとお待ち、とおかみは言って俺からママチャリを奪い取り
道路を横切ってくれた
友人Aを叩き起こしまた飲み始める
いったい何本飲んだだろうか
いつまでも友人Aの厄介になっていては申し訳ない
帰ることにする
友人宅から俺のアパートまで15キロはあるだろうか
3キロも行かないうちに足が上がらなくなってきた
おりしも右手にサラピー警察署が見えてきた
俺は天の救いと飛び込んで
もう自転車を漕ぎ続ける体力がない、送っていけとは言わないが
どうか助けて欲しい、と訴える
警察署の隣はサラピーの郡役所だ
そこが主催のミニマラソン大会が毎年あって
俺はこれまでに3度参加している
そんなことを話し出すと相手の態度が和らいできた
もう一押しだ
俺はデックワットเด็กวัดじゃないからワットスアンドークの中に
住んでいるわけじゃないが俺のアパートは寺のすぐ裏手で
ベランダから見下ろすと観光客の財布の中身までわかるのだ
とかなんとかあることないことぶちまけると
じゃあ送って行ってやろう、との一言を得た
この説得に1時間半ほどかかっただろうか
荷台付パトカーにママチャリを積み込み
警官ふたりが同乗する
着いてママチャリを引きずり降ろしたのももちろん警官だ
いつまでもきりがないので
フロントのターイという太った女の娘と警官ふたりを従え
記念証拠写真を撮ってお開きとした
行きはヨイヨイ、帰りもヨイヨイ
ああこれがおいらのママチャリブルース




最後の言い訳


毎朝走るのを日課にしている
なのだが週に三回走れば御の字だろう
走れないわけじゃない、走らないだけだ
と言い訳する
あしたはきょうの分も走ってきっちりけりをつけてやる
もちろんけりをつけたことはただの一度もない
今はそんなことはないが
若い頃は必要に迫られよくソープランドへ行った
行ってしまったらあしたからの生活に支障をきたす
そんな時は神様に運命を委ねた
十円玉を投げ表だったら行き裏なら行かない
裏だ
あしたから醤油飯で暮らすと固く誓ってまた放る
裏だ
サラ金があるじゃないかと強気に出る
また裏だ
だが五回続けて裏が出ることはまずない
あったとしても怖くはない
十回出続けたことはなかった、よしんばそれがあったとしても
俺は言い訳人間なのさと開き直るまでのこと
俺の引き出しに言い訳以外の物は入っていない
俺の辞書に言い訳以外の文字はない
そんな俺にとって仕事をやめるなんてことは屁でもない
このサイトで何回も自慢してきたように
これまでにやめた仕事は四桁は大袈裟でも軽く三桁は下らない
一日であるいは半日でやめた職も三十は超えるだろう
もう最後の言い訳も用意してある
ものごころがついた時から決めていた
もう言い訳はしない
だから広島長崎のような殺され方は御免こうむる
せめて言い訳する隙間をくれ



フニクリフニクラ


この年になると友人知人が、好きな作家芸能人が
どんどんどしどし死んでいく
好きでもないタレントや有名人、はたまた見知らぬひとまで含めると
一日にいったい何人の人間が死んでいっているのか
百万か一億か
まあ算数の苦手なぼくには百万と一億の区分けはつかないが---
まだ生きていた時ぼくは彼でなかったように
死んでからだってやっぱり彼にはなれない
順調にいけば妥当な線なら
ぼくが殺されるか居眠り運転のダンプカーに突っ込まれない限り
ぼくより先に死にそうな友人知人もいる
電動車椅子に乗り週三回透析を受けているWもその一人だろう
Wが脳梗塞で倒れたのは七年前だが音信普通が続いていて知らなかった
教えてくれたのは糖尿病の悪化から右か左の足の親指の先を
切り落としたCだ
Wが一学年下でCがひとつ上になる
半年前にWとの音信がひょんなことから復活し
つい最近のメールに倒れた時の状況をしるして
これを詩にしてもいいぞ、といってきた
だからこれを書いている
Wは多分二日酔いの重い頭で目覚めたのだ
ゴロリと寝返りを打つとベッドの下に
雨の降る日の配達に新聞を入れるビニール袋が落ちている
その横にはテイツの空箱があった
Wは思いを巡らす
あしたはプラゴミ<ビニールやプラスチックを分別したごみ>の
日ではなかったか、と
乾いた喉でよしとつぶやきビニール袋に手を伸ばそうとした時
ガツーンとあるいはプツンと脳梗塞がWを襲ったわけだ
このメールに返信してだいぶ経つがWは何も言ってこない
何か気に障ることを書いてしまったのではないかと十回は読み返した
まさか死んでしまったのではあるまいなと五回は考えた
その間を行ったり来たりして前へは進まない
あと一ヶ月すりゃあ日本に帰るのだからと
ただじっとしている



夕べときのうの間に


ポッカリと開いた一日があった
ポッカリと開いた一日は
おいらを男にしてくれた
おいらに友を与えてくれた
一瞬だがおいらを奮い立たせてくれた
夕べときのうの間の
ポッカリと空いた一日の
曖昧な温もり



かちゃんへ


茶の間の真ん中に掘り炬燵があり
母専用の箪笥の前が父の定位置だった
母は台所寄りつまり土間側に座った
ぼくはあっちこっち誰かの隣にもぐりこんだ
母の箪笥の一番上は戸棚になっていて
裁縫道具や風呂敷などの小物類それに財布もしまわれていた
兄はちょくちょく母の財布からちょろまかしたらしい
ぼくにそんな勇気はなかった
けれど一度だけ百円を抜き取ったことがある
何のための百円だったかは覚えていない
後悔したがそれが使う前だったか後だったか
また使ったかどうかもはっきりしない
母に、「かあちゃんの百円知らないか」と聞かれたような覚えもある
それで後悔したのだろうか
とにかくその時ぼくの手元には百円玉があり
これを一刻でも早く返さないとこの世は終わってしまう
そんな恐怖に捉われていた
朝を飛び起きて、封筒を引っ張り出し、かあちゃんへと書き
百円を入れた
ところが母の姿が何処にもない
「かあちゃんは?」と姉か誰かに聞くと
「畑へ行った」と姉か誰かが言った
ぼくは駆け出していた
400メートルくらい先で大きな籠を背負った母を見つけた
さらに走った
ぼくは声をかけただろうか?
母が振り向きこっちを見た
近寄り「これ」と封筒を手渡し目を合わせることもなく来た道を引き返した
そのまま一度も後ろを振り返りはしなかったが
母がこちらをぼくの背中をじっと見ているのがわかった
涙ぐんでいるのがはっきりとわかった
ぼくが大きくなってから母がこの時のことを話題にしたことがある
「一緒に行くかって声かけようとしたら、秀雄は背中向けて小走りに行っちゃったんだよ」
封筒にかあちゃんへと書いたつもりがかちゃんへとなっていて
よく下の姉のからかいの材料にされた



母は6月生まれだが


何日かは知らない
いや、覚えていない
母は大正生まれだが何年かは知らない
いや、忘れてしまった
7か9か11の奇数年とは思うのだが
父も大正生まれで母とは2年違いだが
そして同じ6月生まれだったような気がするのだが
調べればすぐ分かることだろうが
そんなわけで正確なところは分からない
何がそんなわけかは問うまい
ふたりの姉に聞けばすぐに分かることだと思うのだが
母の名前は
さだかさだ子かサダかサダ子だ
母は封筒の裏やはがきの差出人のところに
自分の名前を
サダと書いたりさだと書いたりサダ子と書いたりさだ子と書いたりした
戸籍謄本や墓石に何と書かれどのように刻まれていたか
見た記憶はあるがどんよりとしている
子は母があとから自分で付け足したのではないか
時々祖母は母を「阿部定」と呼んで苛めた



乳首からちんぽへ


小学生の中頃までぼくは茶の間で母と一緒に寝ていた
母の乳首をいじりながら眠った
それはいつしか自身のちんぽの先に取って代わった
ちんぽの先をポロンポロンと爪弾くのだ
乳首をいじるのを、もう大きいのだからとたしなめられた記憶はないし
やめなくちゃと自分を戒めた覚えもない
単にちんぽの方が気持ち良かったからだろう
還暦を過ぎた今でも
あしたは早いんだから眠らなくちゃ
とちんぽをいらっている自分に気づくことがある
父が、月に何回か
きょうはとうちゃんと寝んだぞう
と言うことがあった
そんな日は塹壕遊びをした
八畳間の押入れにはたくさんの蒲団があった
それらを組み合わせて作った塹壕にひとりこもって
懐中電灯の明かりでみかんを食べるのだ
朝、目を覚ますといつもの寝床ではない
父と寝たはずなのに父はいない
水を飲もうと茶の間にいくと
父がぼくと母の蒲団で眠り呆けているのだった



うつろい摩訶不思議


大昔は刺激を感じてました
昔は刺激を望んでました
今は何もないのが一番いいと思います
このあとも何やらごちゃごちゃっと書いてそれは覚えてないのだが
これは中学三年か高校一年の時に作った
詩の冒頭の三行です
大昔が何年前で昔が何年前なのかは知らないが
大昔のぼくは考え方は似ていても今のぼくとはまったくの別人です
昔のぼくは人格も性格も今と瓜二つであっても
やっぱりぼくではないでしょう
不思議なことなのですが還暦を過ぎてから
こんなふうに感じるようになりました
還暦前は大昔のぼくが成長して今のぼくになった
と思っていたのに
ただ時間に対するスタンスというか感性は昔のまんまなのです
あの頃と寸分違わぬ心境です
おとといは刺激を感じてました
きのうは刺激を望んでました
きょうは何もないのが一番いいです



信州菅平高原桑田館


は冬はスキー客夏はラグビー合宿の学生
を相手に商いする旅館だが
十九歳の夏と冬、二十歳の夏、そして二十二歳の夏と
四度草鞋を脱いだ
いまでこそ労働は罪悪とうそぶいているが
当時は生きるために働くのは仕方のないことと割り切っていた
根が真面目で正直者でおまけに小心者のぼくは
<それはいまでも変わらないが>
さぼるということができず陰日なたなくそれこそ一心不乱に働いてしまう
そこをおかみさんが気に入ってくれたわけだ
十九歳の夏、ぼくは病気持ちでもあった
尖圭コンジローマという性病である
亀頭の付け根部分に一ミリ大の疣ができ倍々ゲームで増殖し
果ては数の子状になってしまう
旅館の昼休みは長い、ぼくは毎日のように散策に出かけた
高原だけあって散策に適した鬱蒼たる林や森はいくらでもある
時々大木の陰に隠れ小便するような振りをしてマスをかいた
ぼくより一週間あとに働きにきた二人連れの片割れMさんがおかずだった
終わると数の子から出血する
けれどもだけれどもかかずにはおれなかったのだ
お互いに東京に戻った秋口、Mさんから封書が届いた
中にはロードショー館の招待券が入っていた
早速返信をしたためた
「ぼくの映画好きを覚えていてくれたんですね。真弓さんに期限切れの
招待券を送らせてしまったその腹いせに、いやお詫びに是非一度昼食を
もしくは夕食を奢らせてください」
考え抜いた文章だったのにMはウンともスーともいってこなかった
その代わりといっては何だが昭和女子医大病院に出向いた
尖圭コンジローマが限界に達していたのだ
ここまで大きくしたのを見るのは初めてだと担当医師は興奮を隠さず
ぼくの承諾をとってから写真を撮らせた
本来は患部を電気ごてで焼き切るのだがそれじゃ追いつかないので
局所麻酔のあとメスで切り取ったのだ
その痛いことといったらーーーーー
二十歳の夏、某俳優養成所で同期だった
三年前建設現場で作業中居眠り運転のダンプカーに突っ込まれ
あっと言う間もなく死んでしまった大将がぼくの後釜として働きにきた
二人がダブった期間は一週間だったが、おかみさんから
大将の物言いが直裁すぎて怖がってる人もいる、それとなくそれしてくれないか
と頼まれた
ぼくはどうしたのだろう?どうもはっきりしない
お互いに東京に戻った秋口、大将から連絡が入った
バイトで一緒だったSさんを好きになってしまった、打ち明けたいので
ちょっと付き合えと
Sさんなら去年の夏も働いていた、そして恋人もいるはずであった
二人は別れたのだろうか
それに大将が持っている情報がSさんは経堂駅を利用している
その一点のみであった
ぼくらは改札の外で網を張った、奇跡は起こった
電車を降りて改札へ向かう人の群れにSさんを発見したのだ
ただ奇跡はそこまでだった
二十二歳の夏、旅館の昼休みは長い
ぼくは毎日のように散策に出かけた
二キロ程離れたスーパーというかよろずやで
一リットル入りの缶ビールを買うのだ
高原だけあって飲むのに適した草叢や木陰はいくらでもある
一本のビールが時には二本に稀に三本になった
初めて四本目に口をつけた日の夕方
どうも働くぼくの姿話しぶりがおかしいということになった
陰日なたなく働く好青年から若年アル中男へと一気に転落した
その日が桑田館での最後の労働となった



トランプ


を振ってみたの あなたの名前の数だけ
トランプに聞いてみたの あなたの気持ちを
こんなに好きなのにあなたは知らん振り
あなたの気持ちが怖くて聞けないの
だからトランプにあなたの気持ちを聞いてみた
吉田拓郎のこの歌をトランプが台無しにしてしまった
トランプにお伺いをたててはならない 身の破滅だ
トランプにカードを引かせるな この世の終わりだ
トランプの安倍のあの不気味に分厚い面の皮は
煮ても焼いても揚げても蒸してもはたまた活造りにしちゃっても
食えねえどころか反吐にもならねえ
女より男の方がはるかに好戦的なのは明々白々火を見るよりあきらかだ
男に政治を与えるな
まつりごとから男と言う男を抹殺しろ
今地球は
俺の記憶より何百倍も鮮明に
俺の夢見より何億倍もくっきりと
あてどない戦争で彩られている



酔っ払い


という言葉の響きに
物心がつく前から
おふくろの胎内に宿るそのずっと前から
痛烈にあこがれていた
泥酔酒乱アル中トラ箱
そういった語彙に出くわすたびに
心熱く震えた
一秒でも早く大人になって
酒で身を持ち崩したいと切実に願った
果たしてその通りになった
このことは
膨張する宇宙に 収縮する瞳孔に
アインシュタインに ホーキングに
誇っていい
あしたかあさってもしくは十年後
俺は酒で
トラックに轢かれた月亭可朝のように
階段から落ちた中島らものように
白骨死体で発見された義兄のように
死ぬだろう
心やましき政治家よ 心やさしきテロリストよ
跳ぶ前に飲め
殺る前に酔え!



つるむな!


人生は簡単だ
生れ落ちたのは誰のせいでもないし誰のおかげでもない
生まれちまったからにはもう運命に身を委ねるしかない
ただつるんじゃだめだ
つるめばつるむだけ絡み合い縺れ合い
やさしい人生をややこしくする
多数決なんておかしいよ
七十億の人間があれば七十億の性格と人格と考えがある
民主主義なんていらない
何で国はあるの?
好きになっても愛しちゃってもつるんじゃいけない
嫌いになっても殺しちゃだめだ
生き延びようと守っちゃだめだ
しかとしようよ
自分以外の奴らをいや自分も含めて無視することから始めよう
西暦2017年4月30日
おいらの家から歩いて一分三十秒の大谷川辺りの日差しは
どこまでも柔らかく
三組の家族が川遊びをしている
そのうち二組は知り合いで堤のへりに腰掛け
子供らに声を張り上げるふたりの女は三十代だろう
おいらが足を組んでる女を好きになるのは勝手だし
ショートカットの方でマスをかいても何の不都合もない
だがぼくは彼女を彼らを守れないし殺せない
安倍晋三とかいう男をテレビの画面に見る度に
虫唾が走り金臭い吐き気に襲われるが
俺はおまえを殺さないし殺したいと思ったこともない



乞う<ขอ>ご期待


人生は簡単だ
丁度去年の今頃柔軟体操をしていた時
きっと左足太腿付根のお尻っ側の筋肉の筋を
伸ばすか丸めるかしたのだ
振り上げることができなくなってしまった
でもよ、病院なんか行かなくたって一年経ってみりゃ
この通り、ご覧の通りさ
日光杉並木マラソンにエントリーしたぜ
まあ見ててくれ、年代別で二十位以内に入ってみせる
丁度去年の今頃から六ヶ月ほど過ぎた頃、早い話が半年前
酔った勢いで三年振りに女の膣に挿入した
2500バーツ+チップ500バーツは痛かったしシャセイもできなかったが
泥酔してたっておいらバイアグラなんぞに頼らずに
ハメられるんだぜ
宝くじに当たったらヤリにヤリまくってやる
タイ語でもコウはขอコウと書いて<乞う、願う、させてください、何々をください>って意味だ
ขอทานは乞食、直訳すれば<食べさせてください>
俺にないのは金と女と車と家と
あとは死と対峙する観念くらいのもんだ
でもよ、もう少し、あとほんのちょっとなんだ
そんな予感がする



かましんでワンカップ焼酎を


人生は簡単だ
でもよ
最近このふたつの言葉にハマっている
でもよ
人生は簡単だってしみじみ思えるのは酩酊している
時だけね
そういうわけできょうも午前中からかましんで
飲んだくれてる
かましんはスーパーマーケットだ
例えば220ミリリットルのワンカップ焼酎を4本買い
レジを出ると右手にラーメンやそばうどん餃子なんぞを売っている
開放された店<空間>がある
毎月の第一木曜日には焼きそばちぢみたこ焼きをなんと
100円で売ってくれる
でもきょうはごくごくあたりまえの日で
ここではなんにも購入してないので
テーブル席は遠慮して壁際に8個ばかり並んでいる独立した
椅子のひとつに座り見切り品のまるごとソーセージパンと税抜き92円なりの
ねぎとろ巻きを肴に飲んでいる
おいらの頭の後ろに「青少年も利用するので店内での飲酒はご遠慮ください。」
との貼紙がある
半年前にゃこんな貼紙はなかった
だからおいらも青少年を鑑みてさっきトイレで
家からあらかじめ用意してきた空のペットボトルに焼酎を
移し変えたのだ
この店は二人の女で切り盛りしている
両人とも30前後でひとりはたくましく太り
もうひとりは太ってはいないがズボンに隠された太腿はきっと
パンパンだ
どっちかっていうと太った方が太腿の方を頼りにしてる感じだが
二人は強い信頼関係で結ばれている、それが傍目からもわかる
時々太腿がカウンターから出てきて何か持ち上げようと屈み込み
おいらに尻を見せ付ける
なんてやさしい尻なんだ
おいらのペースは一気に上がる
テロリストが一方的な悪で俺たちが善ってことはないだろう
自爆してまで己の信条に殉ずるのはなぜなのか
そのことに思いを馳せても罰は当たるまい
だってよテロリストは俺たちなんだから
おいら昔からこんなふうに公言広言してきた
おいらのような人間はテロリズムの犠牲になっても仕方ないんだと
今も心底そう思う
でもよ
その前に言わせてくれ
oh人生ってやつあ何てステキなんだ!



川の流れる音


少なくとも新緑真っ只中の風薫る
平成29年5月22日のどこまでも柔らかな善意に満ちた日差し差す大谷川流れる
音は
聞こうとしないと聞こえない



ナポリタングラフィッテ


電動車椅子で
週三回透析に通う
この前ボブデランが来た時は名古屋大阪まで追っかけた
という男と
十年振りに会った
男は同級生が経営している喫茶店へといざなった
電動車椅子のスピードは時速五キロだそうで
ぼくは少し早足になった
店は開店前だったがまあどうぞと
女主人は中へ導いてくれた
メニュウを見ると腹が膨れそうなものはカレーとサンドイッチとナポリタンで
ぼくは少し迷ってカレーを選んだ
ちなみに男は俺より一学年下だが
俺らの世代に俺たちが高校生だった時分にパスタは
パスタという単語はなかった
少なくとも栃木県には日光市には俺の周囲にはなかった
スパゲテーといった
俺はちょいと肩を透かしてスパゲッチと書いたりした
スパゲッチ=ナポリタンだった
ミートソースの登場は二十歳を過ぎてからだ
ぼくの初デートは高校二年の時で相手はマル田バツ子だ
絵を描きに行こうというと
じゃあスケッチブックはわたしが持ってくといった
大谷川をあっちに行きこっちに行き
時々大きな石や堤防の隅っこに座ってえんぴつを走らせはしたが
もちろん身には入らない
お昼になり神橋手前の物産店が併設する食堂の
テーブルを五つほどくっつけた細長い席に並んで座り
焼き飯、いや、チャーハンだったか
とにかくそのどちらかを食べた
二度目は宇都宮へ映画を見に行った
ニュー東宝にかかっていた<フレンジー>と<パリで一緒に>だ
ヒッチコックはまあまあだったがオードリヘプバーンの方はスカスカのカスだった
お昼になり同じビルにあった軽食喫茶めいた店に押し入り
ナポリタンを注文した
ぼくたちはくちびるをギトギトにしてナポリタンを食べた
そのギトギトのくちびるで
一度食べてみたかったの
とマル田バツ子はいったのだ
もしもまた男と会うようなことがあって
男が同級生の店へ案内したなら
ナポリタン!と注文しよう
先日のカレーはなかなか美味だった





ばっかりしている
ぼくの日常は屁と共にある
と言い切れるほどによく出る
日本で暮らす時ぼくは姉と同居させてもらっているが
姉も呆れているだろう
数年前ゴールデンウイーク中に「日光千姫物語」といううざいネーミングの旅館で
<ここに舛添某要一が東京都の予算でプライベートに家族と泊まって男をあげたが>
蒲団敷きのアルバイトをした
二人一組で敷くのだが二十歳をいくらか超えた女と組んでいた時
もちろんこらえてはいたのだがちょっとした拍子に洩れてしまった
ぼくも困ったが彼女も困ったろう
旅館の部屋はえてして生温かい、屁は出やすいし匂いはこもる
それでもお互い何もなかったように澄まし合い
五組の蒲団を敷ききった
ついこないだのゴールデンウイークもぼくはそこで働いたのだが彼女はいなかった
ほっとしたというか物足りないというか
アンビバレンツな気持ちを持て余した
本屋に入ると便意を催すという人がよくいるが
ぼくは屁をしたくなる
図書館でもそうで、広い空間がありさえすれば
下手に我慢せず屁の自由にさせている
ストレッチをする時、そして走る時
屁は嬉々として躍動し次から次へと飛び出してくる
スピードも若干上がる気がする
屁は健康の源といわれて久しいが
まったくもって同感だ
屁こき虫のような己をぼくはキライではないし
もっといってしまえば、いとおしい



ノーパンで今市へもしくはおいらは村の消防団


橋の上を除くと日光市に平らな部分はない
平成の大合併で栗山村足尾町藤原町日光市今市市がくっついて今の日光市になったが
標高550メートルのおいらの家から自転車に跨れば
8キロ離れた今市まで一度も漕がずに行けるのだ
そして日光市は日本で二番目に面積の広い市になった
ちなみに全国一平たいつまり勾配のない市は茨城のつくば市だそうだ
突然で恐縮だがおいらはアスリートだ
アスリートの定義は知らないしアスリートと検索仕掛けたこともないが
アスリートという単語と出逢った瞬間おいらはアスリートとなった
アスリートを自認するくらいだからむろんのこと
つくば市を走ったこともあるし毎朝走る
走ると汗を搔くからシャワーを浴びる
その時パンツを履き替える
繰り返すが今市までは自転車を漕がずにたどり着く
ということは帰りは漕ぎっぱなしになる
となれば当然汗を搔く
二時間前に着替えたパンツがすぐまた汗に濡れるのは許し難いので
今市へ行く時はノーパンだ
きょう6月1日は第一木曜なのでついさっきまでかましんで
100円焼きそばを肴に一杯やっていたのだ
で今家を目指して自転車を漕いでいる
漕ぐたびに酔いが回る
邪魔くさいのは自動車と信号だ
自動車がなければ信号はいらない
クルマがなければ交通事故は激減する
どうだい、もういいかげん車を作るのはやめようじゃないか
おいらはきっと家から歩いて30秒の日光警察署に
寄り道するだろう
でもって常日頃考えていることを訴えかけるのだ
自衛隊は違憲だ
だからって憲法を変える必要はまったくない
違憲なモノはいらない
クルマも天皇も国家もいらない
自衛隊員は村の消防団員になろうじゃないの



ゴメン!


よく言うじゃないか
ヒトは生まれてくる時親も場所も時も
選べないって
ってことはおいらが今ここにいるのは
たまたまなのね
メソポタミア文明の頃にチグリス川の畔で生を受けても
何の不思議もなかった
おいらは日本人で日本とタイの間を行ったり来たりして
暮らしてる
日本とタイを同じように愛してるし嫌ってもいる
どっちかに軍配を上げるなんてことはできない
早い話、カッコつけて言っちゃえば
おいらナニジンでもいいのよね
同じ人間じゃん、生き物じゃん
人生は必然じゃなく偶然
あした誰かがうっかりして否意識的にボタンを押し
核で世界が終わってもそれはたまたま
おいらいままでに数え切れないほどのアリを踏み潰してきた
これからも嬉々として豚肉を食らうだろう
それについてはただひたすら頭を下げて
ゴメン!
と責任逃れする振りをするしかない
もう一度言わせてもらえば
もともと人間に生物に命あるモノに責任なんてない
少なくともおいらの辞書に
自己責任なぞと言う得たいの知れぬモノは
ない!



ケンチャンブンヌキ


<おやじへの悪口はこれでおしまいの巻>
という詩を書いたように
このサイトではああだこうだとおやじを貶めてきた
このことに関しての反省はない
いまだにおやじはキライだし許してもいない
今ぼくは姉と同居しているが夕飯はだいたいにおいて
酒を飲みながら一緒に食べる
お互い将来に展望が持てる年頃ではないので
話は自然と昔話的なものになる
ええちゃん{姉のこと}の偉そうなその愚痴り方は
まるでおやじの愚痴を聞いてるようだ、とか
お前の鼻水を啜り上げるその音は
とうちゃんの音色とまったく同じだ、とか
二人ともおやじはキライだが見た目瓜二つなのは
誰もが認めることなのでこうやって忸怩たる思いを
擦り付け合ってるわけだ
ぼくは四人兄弟だが下の姉を除くとおやじ似だ
ただ姉に言わせれば今のぼくの齢に膵臓がんで死んだ兄は
徐々におふくろ寄りになっていったんだと
その姉が夕べこうのたもうた
「沼尻さんがよく言ってた、ヨモギタさんちの兄弟はほんと
ケンチャンブンヌキねって」
おいおい、これはいったいなんなんだ
61年生きてきてブンヌキなんて初めて知った
これは日本語か?だれんちのどこんちの言葉だ?
だが辞書は引かずとも姉に確かめるまでもなく
意味はわかる
瓜二つどころか瓜一つそのまんまそのもの、ってことだろう
似てるのは見かけだけその自負心がだんだん怪しくなってきた
6年前姉の幼馴染ののりちゃんに
「さっきひでおちゃんが歩くのを後ろから見たんだけど
ケンチャンに生き写しだった」
と言われたショックから今も立直れていない
ちなみにおやじの名前健一ネ
ナルシストのぼくだって還暦を過ぎればさすがに
己を客観的に突き放す術もわかってくる
そして今じくじくしみじみ悟るのだが
ルックスは言うに及ばず
思考回路というか思考経路も
おまけにその行動パターンもぼくは
ケンチャンブンヌキ
なのだった



詩作思索試作


詩作とは考え試みることだ
このサイトの詩の八割は
酒を飲み酔っ払い酩酊している時に作った
酔うと口は回らなくなるが頭は滑らかになる
ぼくは天才なのか酒が入ると意図も簡単に<詩が>出来上がってしまう
だがあとあとまでちゃんと覚えているのは
その二割程度だろうか
随分前にこんな詩を書いた


          常識から海へ


吉行淳之介やつげ義春にならって夢日記をつけようと
枕元にえんぴつとノートを用意した
さあここで今さっきの夢を書きつけるのだと起きかけたが
もすこし続きを見てみようとタイセイヲトトノエタ
夢の続きは見たのだろうか
起きたらみんな忘れてた
それなのにノートを開くと 常識から海へと一行
確かにぼくの筆跡でしるされてある

でもこれはウソだ、でっち上げのヤラセだ
翌日になると寝て起きるとせっかくの傑作が跡形もなく消え去ってしまうのを
何とかしようと
飲みに行く時メモ用紙ボールペン持参という手を考えついた
今でも覚えている
チェンマイのミャンマー料理の店で書き付けたメモの中に
この一行はあったのだ
字が汚くてほとんどを判読できなかったが
かろうじて常識から海へとだけは読み取れた
そいつにどんな意図を込めたのかはすっかり忘れてしまったが
捨てるのには忍びなくこんな詩にした
夢日記をつけたことなんざただの一度もない
さてヘベレケ状態で出来上がったモノを酩酊詩と呼ぶことにしよう
仮にそれを全部覚えていてここに打ち込んでいたとしたら
このサイトにおける酩酊詩の占める割合は
八割どころか限りなく十割に近くなる
そしてこのサイトの素面状態での詩はほぼ高校時代のモノだ
酒を飲まなくても詩は書けるかと思って始めた禁酒じゃないが
極度の体調不良でおのずと始まった禁酒だが
きょうで一週間になる
詩はひとつもできていない
でもせっかくなのでもう少し続けてみる



てれび


蝶のように舞い蜂のように刺す、のはカシアスクレイだが
渥美清は<夢で会いましょう>の中で
司会者の中島~何て言ったっけ?
ええ、京子とたい子は作家だしみゆきは唄い手でらもは階段から落ちて死んだのだったが
とにかくその中島何とかという知的で詩的で見目麗しい女の周りを
「わたしは蝶々、あなたはそよ風」と両手をひらひらさせ歌いながら
飛び跳ねていた
ぼくは笑いをこらえ、「蝶々蝶々菜の葉にとまれ」
渥美清がいまにもテレビから脱け出てきそうになるのを
待ち受ける心構えをしたものだ
ところがどうしたことだろう
液晶だデジタルだとわけのわからぬうちに
テレビはだんだん薄くなりおとなしく不自由になった
もはやクレイは蝶のように舞えないし
ロープを背にして起死回生のアッパーカットを突き上げることもできない
今日日のテレビはなんて窮屈なんだ
安倍晋三のあの分厚くにやけた顔がきょうもテレビに納まっている
まるで猿芝居紙芝居だ
月光仮面の敵役にああした顔がよくあった
バラエテイー番組に出てくる芸能人はみんながみんな
卑屈に空気を読みあって好き勝手に消耗している
テレビに登場する誰もが画面を通すと
ふやけっちまう
特に安倍晋三、君は傲慢に振舞っているつもりかも知れないが
画面に透かせば卑屈退屈丸出しだ
薄さ自慢のテレビがさらに薄っぺらな安倍を日本を
もったいぶって映し出す
さようなら、テレビ君
さようなら、恥ずべきモノたち



痙攣


体中頻繁に痙攣する
手の指手の平足の指足の甲はもとより
脇腹手首と肘の間お尻の頂上睫毛の生え出し部分
咽喉ちんこちんぽの先
なんてところもひくひくひきつく
経験則からいって疑いなく酒のせいだ
たいしたことではない
時々ストレッチの途中で
太腿の裏側が攣り足を伸ばそうにも伸ばせず
その痛みに七転八倒することもあるが戻らなかったことはない
現にこうしてぼくは生きている
痙攣は生きている証なのだ
ぼくは敬虔な痙攣教患者否信者だ
死ぬまで寄り添っていく



その昔


国鉄スワローズにサンケイアトムズに
石戸四六いうピッチャーがいた
ぼくが今チェンマイで乗り回しているママチャリの鍵はダイヤル式だ
4639なのだが
肝硬変石戸四六は39
と記憶している
石戸は肝臓を悪くして29歳で引退し39で死んだのだ
石戸は全盛期主戦投手の名をじゃなかった酒仙投手の名を欲しい儘にした
ここに何度も書いてきたようにぼくはものごころつくまえから
酔っ払いにあこがれていた少年だったからすぐさまファンになった
それ以前に兄の影響で国鉄ファンでもあったから自動的に
巨人へ移籍する前の金田のファンでもあったが
天皇と謳われ監督よりも偉く勝手放題だった金田が唯一
手なずけられなかったチームメイトが石戸だった
ストイックに自己管理する金田はスマートだったが石戸は
ぶよぶよに太っていた
だが酒で鍛えただけあって守備は良かった、金田もそうだがピッチャーは
我が強ければ強いほどフィールデイングがいい
石戸は酒を飲むのと同じスタンスでバッターと対峙したのだった
中学の時クラスは違うのだが同学年に石戸零個がいた
それなりの成績でちょいと斜に構えた学級委員でもあったぼくから見れば
石戸零個は埒外だった
彼女は高校に行かなかったが誰よりも早く僅か一年半のあいだに
妊娠し結婚し子供を産み離婚した
いまからおもえば石戸零個は顔立ちも体つきも醸し出すその雰囲気も
石戸に似ていた
この齢になっても石戸という姓に出くわすたび
ひれ伏したい気分になる



茅場町


共同ビル三階の産業新潮社に高卒後おやじのコネで入社し
計画通り三ヶ月で辞めるのだが一階には写真やがあった
といってもスタジオはなく受け渡しだけの店だから広さは三畳ほどだ
産業新潮社は産業新潮という月刊誌を刊行し企業の提灯記事を載せては
広告を取る会社だが
名古屋と福岡に支社があり大阪と東京に本社があった
副社長束ねる東京本社は総勢十数人だが
そこに二十七歳の山本さんがいてぼくは懐いだ
一階の写真やの店番をする佐々木さんは山本さんより一つか二つ下の
女だが二人は仲が良かった
山本さんは共産党のシンパで佐々木さんは党員だった
ぼくはYシャツのカラーや手首の内側の部分が一日で汚れるのが
悔しく許せず首と手首に包帯を巻いて出社した
営業部長の吉村さんが「風邪かい?」と問うので正直に事情を説明したら
それは止めてくれということになり
そこで襟と手首部分の裏側にセロテープを貼り付けたのだった
これは洗濯するとセロテープの糊が黒く残ってしまい常習できなかったが
山本さんと佐々木さんはそうした行為を面白がってくれた
会社を辞めたあとも山本さんとは一年以上連絡を取り合った
また共同ビルから歩いて十分の夫婦でやっているソケット工場に短期のバイトを見つけ
通ったこともある
昼休みになるとぼくは写真やを目指した
カウンター越しに突っ立っていては邪魔になるだけなので
身を屈めて中にもぐりこみ佐々木さんの隣に座って時を過ごした
山本さんが顔を覗かせることもあったが
いったいどんな話をしたのだったか
山本さんとの飲む約束を娘の愛ちゃんが熱を出したとかで
ドタキャンされたことがある
山本さんは佐々木さんに代役を頼んだ
八重洲地下街のうどんやだったと思うが何を食べたのか
酒は飲んだのかどうか、どんな話をしたのか
これまたまったく覚えていない
ただその日は雨降りだった
佐々木さんは傘を手に黒いレインコートで地下街を歩いていた
淺川マキに似てると思った
淺川マキをもっと普通にしたとでもいえばいいのか
で、少しびっこをひいている
「佐々木さん、足が悪いの?」と問うと
「癖よ、せめてびっこでもひかなくちゃとひきずりだしたら
癖になっちゃったの」
と答えたのだった



男体にひれ伏す


ケンチャンブンヌキのぼくはおやじ譲りの大食いだ
従って排便も大量だ
敬愛する田中小実昌は四十を過ぎてからただの一度も
一日最低五回は便器にしゃがみこむのに
固いうんこをしたことがなかったそうだ
酔っ払いの王道をひた走るぼくもその八割がたは軟便だ
我が郷土の誇り男体山は富士山と同じ休火山だが
何年か前に大爆発した時堰き止めて中禅寺湖を
造った
その時に流れ出た溶岩の量に比べたら比べる大儀は
少しもないが
ぼくが六十二年をかけてひり出した下痢便は
微々たるものだ
あえて言うのもおこがましいが
おいらってなんてちっぽけなんだろう



蝶々


に季語はあるのだろうか
気がつけば気をつけてみれば蝶は
年がら年中その辺りを舞っている
厳寒の日光で雪の降る中ひらりひらりと踊ってた
そんな記憶を掘り起こしてるぼくがいる
ぼくがいってるのは紋白蝶紋黄蝶のことだ
彼らはとんぼのように群れて数を頼りに訴えかけたりはしない
あっちに行きこっちに来左に外れ真上に浮いて好き勝手に浮遊する
そしてきょう2017年6月24日の日光大谷川河川敷堤周りの草叢
を飛び回る蝶たちは決して翅を休めない
いまはもう菜の葉も枯れ桜の花も散ったが
どこかにとまって翅を閉じるそんな蝶は一匹もいない
よく疲れないもんだとあっちの蝶そっちの蝶に目を回す
彼らは蛾とは別の種だが自分の思い通りに飛び跳ねる
彼らが我を忘れるのは交尾を仕掛ける時くらいだが
まあとにかくぼくに興味を
示すことはない



消えた時間


を捜している
それは忘れてしまった、記憶を失くした
時間ではない
また俺の十八番の酔っ払って意識をとばしている
時間でもない
ヒトは年取るごとに
一日を生き抜こうが、やり過ごそうが
時の経過とともに刻一刻死期に近づいていく
死後のことは誰にも分からない
だが死んだらそれでおしまいと考えるのは
俺の勝手だ
俺に生まれる前の記憶はない
少なくとも今の俺に俺の前世はない
ただ死んだあとのことは死んでみなけりゃ分からない
っちゅう言い草には
抗し難い魅力がある
俺が捜している消えた時間は
宇宙誕生以前言い方を代えれば宇宙の成れの果てに
ありそうな気がする
そいつが見つかったにしても
俺はそこにいないのだろうが



チブスのマーチ


俺が小学中学の時は腸チフスは法定伝染病で罹患すれば
即隔離と教わったが
30年前のタイでは「これが飲み終わる頃には熱は引いてる」
と2週間分の薬を渡されそれでおしまいだった
罹ったのは潜伏期間から逆算すれば
フィリピンルソン島バギオからジプニーで数時間で行き着いた
ナントカカントカ温泉の一軒宿だ
今はタイと日本の間を行ったり来たりしてるだけだが
30代前半はちゃんとした旅行をしていた
当時エジプト航空とパキスタン航空のバンコク行きはマニラ経由で
ストップオーバーってやつをしたわけだ
マニラからバンコクに飛ぶ日時間が有り余ってしまい
とある食堂でサンミゲルを飲みだした
するとそこの女主人がどういうわけか俺のテーブルに居ついてしまって離れない
団扇で風を送ってくれるわ、コップを空ければすぐに注ぎ足すわ
その時すでに感染していたわけだ
まずは微熱だった
解熱剤を飲み大蒜生姜を生で齧りサウナで汗を吐き出したが
徒労に終わった
もう注射しかないとチュラロンコン大学病院に駆けつけあっちこっちたらい
回しにされた後注射だとボデイランゲージで訴えたが
なぜか点滴をされてしまった
そのおかげじゃないだろうが熱は42度まで跳ね上がりこれは尋常ではない
タニヤ通り雑居ビル7階のエスポという俺が汗を掻いたサウナの支配人は
確か日本人だった
その男に頼んで日本語の話せる医師を紹介してもらったのだが
それがちょっと前の首相と同じ名前を持ったピブンで
君は腸チフスだとのたまうたのだ
ノービザでは2週間しか滞在できないのであさってには
マレーシアへ脱けねばならない
だが俺は一応腸チフスの身だ
ガイドブックがいうマレーシアホテルエリアにあるナントカカントカゲストハウスの
女経営者が何かと親身になってくれ
俺は1週間滞在延長の許可を得た
まあそのあと汗まみれの「シーツを替えてくれ」の一言が言えずに宿を
替えてしまったのだったが
さて薬を飲み切った2週間後俺はマラッカにいた
体調はすこぶるいい
つい食い過ぎてしまいホテルまでの我慢がきかず道端の
物陰に隠れ野グソをキメテしまった
熱も完全に下がったことでもあるしそいつに菌は
ないと思うのだが



また


働いている
働きたくなんかないのに去年と同じ
江戸川区日光林間学校で働いている
働くと考えられない
っていうか考える時間がぐぐぐっと減って
あれやこれやがなかなかできなくなる
働くのは金を得るためだろう
金を得るのは食うためだろう
もし霞を食って生きていけるなら金なんていらない
働くなんて間抜けな真似はしない
働くと
読書する時間も走る時間もぼうっとしてる時間も寝る時間も吞む時間も
浸食され汚される
働いて得られるのはストレスとストレスを発散させるための金だけだ
死期が刻一刻近づいている
残された時間とわが身を
霞を食らって生きていく方法の発見にすべて
擲とうじゃないか



言葉


は音の一つだろう
たとえばサルやウシやニワトリは、ヒトと
同じように同じような音を聞いているのだろうか
音には二つあるのではないか
外界の聞こえてくる音と内界の音と
内なる音はただそこにある
聞こえないとか聞かないという次元の裏側にその音は
いるのではないか
ナメクジに俺の歌ううたが聞こえるかどうかは知らない
ナメクジも内なる音を持っているはずだ
俺が塩を振りかけその身体がとろけて消えても
ナメクジの内なる音はそこかしこにあるのではないか
すれば
言葉はいらない



山久保<ヤマクボ>


は昔から山久保だった
俺のかあちゃんは山久保で生まれた
なもんで小さい頃何度も山久保へ行った
スイカを食い過ぎて小便をむらした
のだと行くたんびに言われた
家の横っちょには沢水を引き込んで板で囲い二段構えにした流しがあった
こぼれた水が池を作りそこへ下の姉が落っこちて大騒ぎになった
羊のいる家があった、松本さんちだ
山久保には松本と吉新しかなかった、あと阿久津が少しと
かあちゃんの旧姓は福田だが分家したからだろう
本宅は松本だ
ほんの四、五分坂を上ると土葬用の墓があった
かあちゃんのかあちゃんは俺が小学五年の時死んだ
かあちゃんのとうちゃんはそれよりだいぶ前で
金ノ助と言いつるっ禿げだった
田圃の真ん中に何かあった時に鐘で知らせる見張り塔があり
それを撞く役目であることを自慢にしていた
そんな記憶がある
中学に上がると山久保小学校の奴らと一緒になった
野球部へは吉新と阿久津が入ってきた
休みの日阿久津と一年三組の教室で待ち合わせて
将棋を指した
阿久津は五キロの山道をお握り持参でやってきた
初めは互角だったがそのうち敵わなくなり自然消滅した
同じクラスに吉新奈美という女がいた
自己紹介の時
奈美と言う名は兄がつけてくれた、わたしはこの名前を気に入ってる
とまっすぐに言った



山久保 パート2


平成の大合併で新しい日光市になっても
山久保は山久保で一ミリもズレ動くことはなかったが
かあちゃんの生まれたうちは消えてなくなった
従姉弟のケイコちゃんもヒロシ君も家を出て
所帯を持ったからだ
かあちゃんのおふくろさんが死んでからというもの
ずっとかあちゃんの実家へは行ってなかった
かあちゃんの弟のモリゾウさんの葬式に
三十数年振りで行ったのが最後になった
ただ山久保になら何度も行っている
中学の時には三度行った
野球部の伝統行事に山久保稲荷神社行って帰ってマラソン
というのがあったからだ
吉新と阿久津には面白くともなんともなかったろう
そして五十を過ぎて走り出してから
日光に腰を据えてる時は、気が向けば
山久保まで走る
何度かうちのあったところまで行ってみようと試みたが
何故か遂に行き着くことができなかった
かあちゃんのもう一人の弟ケンちゃんは埼玉の朝霧で
妹ミッちゃんは高根沢でまだ生きてるはずだ
だがもう会うことはないだろう
二人が死んでも葬式には金がないから行けないだろう
俺が先に死ぬことも有り得ぬ話じゃないがまあそれはともかく
かあちゃんがかあちゃんのおふくろさんと
どんなふうに接していたのかを忘れてしまった
というかイメージできないのだが
それが少し心残りだ



なんで


人は人の悪口を言うのだろう
なんでおばさんたちはあんなにも人の噂話に夢中なのだろう
なんで俺はおじさんというよりもういいかげんじいさんなのに
あのおじさんよりはそのおばさんよりは
ちょっとはマシだんべ
と比べてしまうのだろう
人はみんな一緒なのに
俺たちは命あるものはそこにあるものは
みんな同じなのに
なんで人は戦争をするのだろう
俺たちは少なくとも人間は
みんな同じモノであるはずなのに





は厳かだ
ふてぶてしく屹立している
死はひとを選ばない、何も求めない
俺たちは少なくとも俺は
死から生まれ死とへと帰る
産声を上げたその時から
従順に同じスピードで歩き出した
っていうか絶対に故障を起こさないエスカレーターに乗っかってしまったわけだ
それこそ暗黙の了解ってことで
寝ている時も飲んでる時もマスかいてる時も
同じ速さで正確無比に俺は死に向かっている
何人の女と嵌めようが一時間半でハーフマラソンを走ろうが
いつだっていかなる時も
俺は死に一歩一歩近づいている
寄り添うと楽になれる瞬間がある
添い寝するとすべてが許されるような気になる時がある
俺が泥酔しクダを巻いても死は屁とも思わないだろう
あいつを憎み奴らを恨み彼らを妬み全部を嫌っても
死は受け入れてくれるのではないか
たとえひとを殺したところでーーー
いや、そうではない
双子でも六つ子にしてもひとはひとりで生まれ出てくる
だからひとりで死んでいく
それが死ととの約束契約だろう
ひとを殺してしまったらひとはひとりで死んでいけない
俺が誰かを殺しちまったら
死はおいらをその懐に収斂させてはくれまい
生まれ出てくる前と同じように
ぼくを抱きかかえてはくれないだろう



ホームレス行進曲


俺が高校生の頃「家をつくるなら」
という歌を加藤和彦が作ったが
時代は変わった 俺も変わった
って言うか年取った
家をつくらなければ家がなけりゃ
毎日毎日家に帰る戻る必要はない
部屋の掃除もしたくともできない
代わりに道端の草でもむしろうや
自由とかいう面倒なモノはいらないが
どこで寝ようがいつマスをかこうが俺の勝手だ
大昔に家なんてなかった
ひとはその辺で眠りその辺で嵌め合った
昔に帰ろうと俺がいうのは勝手だが
誰も相手にしないだろう
とにかく俺は家をつくらない
いや言い方が悪かった
俺には家をつくる甲斐性が
おまけにガキをつくる甲斐性もない
というわけなので
きょうは道路の真ん中で
あしたは橋の端っこで寝ることになる
みなさんよろしく!ネ



急に


走れなくなってしまった
いや歩けるし走るには走れるのだが
2ヶ月前から前のようにまともには走れない
1キロも行かないうちに息が上がってしまうのだ
原因がわからない
試行錯誤暗中模索した
酒を何度もやめてみた
ストレッチをああしてそうしてこうしてみた
長い距離を早歩きした
ナワトビの回数を倍にした
が、何をやってもダメだ
8月6日には日光杉並木マラソンがあるというのに
あきらめることにした
とたんにすっきりした
参加費を払ってしまったから出るには出るが結果は求めない
そんなことより何より今後このまま調子が戻ってこなくても
かまいやしない
そう観念したら心が澄み渡った
そこらじゅうに感謝したくなる
すべてのモノを祝福したい
これまでの女の又に力がバカみたいに水の泡だが
それでいいのだ
走れなくても
俺には酒とナワトビがある
ただしそのナワトビだが前は1万回なんて
軽かったのに最近は5千回もいかずにダウンしてしまう
それもまあいい
走れなくとも跳べなくとも
おいらには酒が
ある



まあ


こんな俺でも
つまり俺はもう62で甲斐性のカの字もないから
結婚は無論のこと恋愛にしたってもう
できなかんべとすっかりあきらめちゃっているが
まあそんな俺でも
姪の6人
別に俺の手柄じゃないが
甥の2人
くらいはいるのだ
そんなこんなでそのうちの姪のひとりが長崎から
子供をふたり引き連れてフェリーと飛行機と電車に乗って
母親の実家へ俺からみれば姉の実家へ
それは俺の生まれた家なのだが
遊びに来たのだ
5歳と2歳の兄弟なのだが
実によく泣くのだ
まだ見ぬあしたに恋焦がれ
ピイピイとあるいはさめざめとこれでもかこれでもか
と泣くのだ



とっちらかって寝違えて


働くのはキライだし
っていうか労働は罪悪
と考える者だが
根が真面目なもんだから
実際に働くとなると
ついつい一所懸命に働いてしまうのだ
江戸川区日光林間学校はお盆前がかきいれどきで
それこそ朝昼晩と
一心不乱に骨身惜しまず
働いたのだ
やっと一息ついて
我が身可愛く我が身へのご褒美に
懐深く飲んだのだった
そして15時間は眠ったろう
そしたら寝違えたのだ
確信は持てないが多分
あっちこっちとっちらかって寝違えて
身体中が痛いのだ



遠い昔


そこには母がいるはずなのだが
ここまでだらだら生きてきてしまうと
遠近感が損なわれ
どうも焦点が合わない
うまく像を結べない
遠いのか近いのか遠いのならどのくらい
遠いのかまだボケてはないが認知できない
ほんとうはそこへ行って温もりたいのに
日向の匂いを皮膚呼吸でもって取り込みたいのに
柔らかな情景にくるまれたいのに
どうにもこうにも後戻りはできないようだ
ならば、ちょっくら未来たって
無理無残無様
それどころか
ここまでだらだら生きてしまえば
一寸先の闇を覗こうにも
そのなんだ、スキルってやつがありゃしねえ
だらだらと生きだらだらになっちまった自分に
悔いなぞないが
ただ一度、一度でいいから
きっと互いに照れるだろうが
生きてる母を
抱きしめ
たかった



日光杉並木マラソン 結果報告


たかが10キロのミニマラソンなのに
1キロも行かずに棄権してしまった
言い訳をする
大会前にゼッケンと計測チップが送られてきたのだが
チップはシューズにしっかり装着してください
とあり、ビニタイ(ビニールの紐?)2本を使ってのその方法までが
ご丁寧に記してあった
俺はこのサイトに「幻の69」という詩を書いてからあと
裸足で走っている
俺は炎のそして裸足のランナーなのだ
仕方なくチップの穴に輪ゴムをひっかけ足首に巻きつけたのだが
チップはあっちにいきこっちにずれして~~
それが原因のすべてとは言わないが一因だ
アスリートは少なくとも俺はナイーブでナーバスなのだ
ランネットよ、チップはゼッケンに仕込みなさい
タイのチェンマイでもよく大会に出るが
裸足仲間は大勢いる
子供に限れば7割以上が裸足で走る
それが世界の流れ趨勢なのだ
世界は裸足に向かっている
交通規制なんて必要ない
車輌という車輌はこの世から追放だ
東京オリンピックもいらない
おそらく世間のほとんどがそう思っているのに
為政者は何を浮かれているのか
いや、話が広がりすぎてしまった
棄権してしまった腹いせに否反省にそれ以降
酒は毎日飲んでいる
その原因を見極めようと
腹の奥底にまで沁みこむようにと
ひとり反省会をし続けている

        再録 幻の69

ぼくがこの魔法の靴とであったのは、泥酔し警官に追われ結局は逃げ切ったのだが、それが現実のことなのか幻覚なのかあるいは夢の一コマにすぎないのか、おそらく一生謎のままだが、その翌朝というか翌昼だ
気がつくとビール腹のオヤジにおたまの底でほっぺたをつつかれていた
お前のイビキにはまいった、本当なら十時には店を開けるのだ、迷惑料としてポケットから五百バーツ頂戴した、これはお情けだ
と放り投げられたのがこの靴だ
晩年を走ることに捧げた輩ならわかると思うが一万メートルの記録を一分縮めるのは並大抵のことではない
ところがこれで走ってみると二分近く縮まった、偶然ではない、翌日もとの靴で走ると記録ももとに戻った、計り間違いではない
翌々朝またこいつで走れば同じ結果が出るではないか
早速二足目を求めて太鼓腹のオヤジをたずねたが、そいつはとっくのむかしに潰れたさあ、と不敵に笑いおまけに手鼻をかんだのだ、話はこれで終いだがこの靴の商標は69シックスナインという
ナイキの靴でかかとをいためミズノの靴で膝をやりアデイダスで肉離れ、こいつらはおなじ穴のムジナだ、足より靴をいたわって靴より金に寄りすがる
さようなら、ナイキのぼったくりシューズ、69の奇跡を体験してからあと靴底が減るのが怖くて履くことはできても走り出すことがどうしてもできない、さようなら、アデイダスの上げ底靴
あしたからぼくは、裸足で走ります



美玲大浴室


は今はもうないが、32年前
その店構えを見た瞬間
ああ、その手の店なんだ
とピンときた
このサイトにも何度か書いたが
ぼくの最初の海外旅行はインドでバンコク経由だった
バイト先で知り合ったコーローミサトさん夫妻プラス
爽と快の幼い兄弟で構成される伊藤一家に紛れ込んでの旅だったが
チケットの手配から何からすべてコーローさんにおんぶにだっこだった
バンコクには4日いたはずだがそれは何日目だったろう?
ぼくは初めてひとりだけでバンコクの街の散策にでかけた
その時発見したのが美玲大浴室だった
さっそくホテルへ取って返しパスポートと旅行者用小切手をコーローさんに
預けてから
美玲大浴室の扉を押したのだ
いきなりバカでかいフロアーに踏み込む形になった
とまどいながらも100メートルくらい向こうに所謂金魚鉢を認めた
ぼくはかなりの近視なのでまずは近づかねばとテーブル席を縫うようにして
金魚鉢を目指す
とあっちからマネージャーかボーイなのかは知らないが
男が一人近寄ってきて何事か喋り散らす
どうやらどっちかを選べと言ってるらしい
確かに男は両肩に女を従えている
ぼくは金魚鉢で侍る女たちを一目見ることもなしに
右側の女を指名する破目になってしまった
名前は覚えていない
顔も忘れてしまった
だがとにかくぼくはその娘と2回した
その最中彼女は鋭く息を吸い込むのだったが
それがシーシーと歯笛となって響いた
出掛けにコーローさんが持たせてくれたコンドームは使わなかった
エイズが騒がれだすのはそれから1年あとだ
その部屋は彼女専用のようで戸棚の小引き出しから大量の写真を取り出して
一枚一枚解説を加えながらぼくに見せるのだった
なんでも彼女は千葉の佐倉で1年近く働いたらしいのだ
写真観賞の合間に2度におよんだコトが終わってぼくは満足だった
達成感があった
美玲大浴室はラーマ4世道路をクロントーイの方に向かって
ルンピニスタジアムを通り越し高速道路を潜り抜ける
少し手前の右側にあったが
すでに述べたように今はもうない



夢を見た


なんだかくっきりした夢だ
色はないのにあざやかだった
起きたらキレイに忘れてた
夢を見た
もうずうっと墜ちる夢を見ないので
飛び降りようと閃いたのだ
屋上に駆け上がろうとエレベーターを抉じ開ける
開いたところで目が覚めた
おいら羊水にくるまれひとり眠っている
ってな夢を見たいもんだと眠りについた
夢を見た
おいらが死んだせつない夢だ
ってことはまだ死んではないってわけだ
そんなこんなでほっとして
おいら再び眠りについた



石川秀美


は、いまちょっと度忘れして出てこないのだが
ナントカという男3人グループのヤックンと結婚したはずでヒット曲に
「まちぶせ」がある
とここまで書いて念のため石川秀美と検索してみたら
彼女の歌にまちぶせはなかった
まちぶせもB型肝炎も石川ひとみのものでした、失礼
一方ぼくはこれまでの人生で3度まちぶせをした
1度目は高校2年の時で相手は例のマル田バツ子だ
振られた事態を受け入れることがどうしてもできなかった
バツ子は日曜日、当時は所野にあった日光スケートセンターで
アルバイトをしていた
その帰りをふれあい橋の袂でじっと待った
このことはこのサイトの「マル田バツ子への3通の手紙」の中ですでに触れている
~今、時間ある?
と、飛び出していったぼくを認めたバツ子は
~どうしてここがわかったの?
と咎めるように言うのだった
~バイトからの帰りと思った
~家に電話した?
首を振ると
~きょうはバイトじゃにもん、エッコんちへ行った帰りだもん
と小走りで去っていった
2度目が高3だ
ラブレターを書くことで退屈な高校生活をやり過ごしていたぼくは
いいなあと思うのがいるとすれ違う時何気なく足元を見て
上履きの名前を読み取り在校生名簿で住所を調べ
6人の女に手紙を書いた
バツ田マル子もそのひとりで彼女の家は栗山村だったが通学は物理的に無理なので
今市に下宿していた。
下宿先の住所まで在校生名簿はちゃんとフォローしていた
学校帰りをまちぶせたのだがぼくは早引きかなにかしたのだろうか
マル子が必ず通るであろう
JR今市駅に寄り添って走る道路に面した餃子やの立て看板の横で
ぼくは彼女を待った
マル子はやって来た
~つきあってください
というつもりで通せんぼするように彼女の行く手をふさいだのだが
~あの、あの
と10回くらい繰り返してから出てきた台詞は
~いま、つきあっている人はいるんですか?
だった
マル子はなんだかうれしそうに
~ハイッ!
と一言答えたのだ
3度目は高卒で就職した産業新潮社に通う満員電車で
ついついお尻を触ってしまった女子高生を遅刻覚悟で
3日連続三田の駅でまちぶせた
こんなことをバカ正直に語れば
人間性を疑われるどころか変態と罵られるのは必至
もう手遅れだろうがこれ以上は書かない



オイ!安倍、俺の携帯勝手に鳴らすなよな


別に欲しくてこの携帯を買ったわけじゃないんだ
3年前除染作業車を誘導する仕事に就こうとした時
ケイタイはあったほうがいいんじゃないの
と暗にほのめかされたのだ
ソフトバンクのプリペイド方式で本体と会わせ6000円ちょっとだったと記憶するが
こっちから掛けられるのはプリペイドカードを追加しないと1ヶ月か2ヶ月で
ただ受け取るだけなら1年はOKなのだ
携帯を持つなんて俺のポリシーに反するのだが
恥と人目を忍んでこれまでに2度3000円のプリペイドカードを補充した
時計替わりに使えるしストップウオッチの機能もついてるし
せっかく買ったのに無効にしてしまうのもアレだし
きのうは久方ぶりに日光仲よし会のメンバーと気持ちよく飲んだ
普段俺は4時に起きるのだがあしたは眠れるだけ寝てやろうと
飲んでる時からずっと思ってたんだ
それが何だよ、緊急速報とやらで携帯鳴らし起こしやがって
俺は北朝鮮もミサイルも趣味じゃないし
金ナントカという小太りの男もどっちかっつうとタイプじゃない
オイ、安倍、お前に何の権限があって俺の携帯鳴らすんだよ
俺を怒らせないでくれよ
この携帯来年の5月17日までは受信できる
そのあとはもう3000円の追加はしないから
それまではおとなしくしていてくれ
トランプが核のボタン押したって
この携帯鳴らさなくていいからな



吉田拓郎


に「ともだち」という歌があった
「今日までそして明日から」とカップリングされ
シングルレコードになった、そいつを
少なく見積もっても3万回は聴いた
ぼくはたくろうの大ファンだがたくろうとぼくはともだちではないだろう
サインを貰い握手もしたがやっぱりともだちではない
面識のないともだちって有りうるだろうか
いったい「ともだち」の定義ってどんなもんなんだろう?
よくわからないがわからないなりに
多分ぼくにはともだちが何人かいる
ガキの頃からのともだちとはしょっちゅうそれこそ毎日のように会った
同級生ならそりゃそうだ
齢をとるごとに会うペースは間延びしていく
どうしたって大人になればいろいろあるからね
ぼくが来年予定通りにホームレスになれば
ますます会えなくなるだろう
それどころか二度と会えないかもしれない
だけどそれは大した問題ではない
何の不都合もない
ぼくにはともだちがいると思えれば満たされる
モスコシ生きてミッカ
って気にもなる



洗剤負け


に苦しんでいる
手の甲が指が無数にひび割れそこから膿がほとばしる
痛く痒く不愉快極まる
人生のここぞという勝負にはことごとく負けてきたぼくだが
洗剤にも負けるとは不覚だった
5年いや6、7年前突如として花粉症になった
だがそのシーズンこっきりだった
それを期待したのだが
江戸川区日光林間学校では
右手でスポンジを握った途端去年同様
あっさりと負けてしまった
どんな軟膏もクリームも液体も効かない
塗っても飲んでも、煮ても焼いても効かない
眠れない、遣り切れない、落ち着けない
せめて泥酔して耐えがたき煩わしさを
忘れ飛ばすしかない
圧倒的な負け組みであるぼくは
誰に負けてもどんな負け方をしても
イタクモカユクモフユカイでもないが
洗剤だけは別の世界だ
痛く痒く不愉快極まる
藤井聡太
まだ少年の君はこれまで洗剤に負けたことなどなかったろう
きっとあと3年でタイトルを取りその数をどんどん増やすだろう
そして洗剤負けの経験をすることもなく一生を終えるだろう
藤井聡太の出現はひふみんこと
歯なし加藤一二三の男を上げた
敬虔なクリスチャンで家族想いで負け数の記録保持者でもある彼ならば
一局くらいは
洗剤負けもあったのではないか



感謝感激雨霰


誰が言い出したのかは知らないが
流石の谷川俊太郎もあのアラレちゃんも
真っ青なフレーズだろう
三好達治は <雨は簫蕭と降っている>
と、宇宙の最果てを描き獲ったが
この一行は、宇宙誕生以前の混沌を解き放った
例によって裸足で走っていると警官に呼び止められた
霧降大橋を渡っている時
向こうからパトカーがやってきて擦れ違う直前に停車し
中から出てきたおまわりが
~さっき裸足で走ってる男がいて不安だ
という通報を受け取ったので確かめに来たのだ
とかなんとか因縁をつけるのだ
~名前は? どこを? 何時ごろ? 何キロぐらい?
と、馬鹿みたいな質問を次々と浴びせてくる
~名前なまえってしつこいんだよ、ヨモギタだよ
下の名前だと? 秀才の秀に英雄の雄だよ
パトカーからもう一人見習いみたいのが出てきて
俺と警官の遣り合いをオロオロと見守っている
俺が警官を振り切るようにして我が家へと早足になると
若いのはパトカーに取って返しバックでついてくる
~ほら、あの青い屋根が俺んちだよ
目と鼻の距離さ、安心だろ、署まで歩いて30秒だよ
~下の名前をちゃんと言えだと?
そんなの台帳で調べろよ、俺はシャワーを浴びるんだよ
と、玄関の戸を開け中に入る
と、おまわりも乗り込んでくるではないか
~何だよ、人の家、勝手に入るなよ
押し返すと
騒ぎを聞きつけた姉が奥から現れた
~さっき通報がありまして
と、警官が繰り返す
~通報した人って男?女?
その人名乗りました?
あなたが直接受けたのですか?
俺っちの姉貴はなかなかやるのだ
いや、わたしじゃないんで 上から至急確認を取れと
そ、そしたらい、い、いきなりケンカ腰なんですよ
と、突然おまわりがドモリ出して訴える
聞いてられっかと中に上がって風呂場に向かうと
~ちょっと旦那さん!
と、おまわりが喚いた
旦那じゃネエよ
俺はブチキレタ
おいらきょうまで61年と10ヶ月生きてきたが
旦那になったことなど1秒たりともありゃしねえ
旦那呼ばわりされる覚えは小指の先ほどもねえんだよ
ぼくはどこまでも果てしなく純な男なのだ
シャワーで怒りを醒ます
おまわりは帰ったようだ
いや、大人げなかった
こないだこのサイトに「急に」という詩を書いたように
ここ4、5ヶ月思うように走れず走るたびにイライラしてたのだ
俺たちの公僕あのおまわりの奥歯に
俺自身の胃袋に
この言葉を噛み締めさせよう
とにかく、ダ
感謝感激雨霰なの、ダダダダダ
あーめん!



羽田国際空港


には時計がない
駅舎とかバスターミナルとか
乗り物が発着する場に時計は付き物だろ
それが一切ないってこりゃどういう了見なんだろ
乗り遅れちゃ困るから
おいら何度もコンビニに足を運んだ
そこには時計があったんだ
時計見るだけじゃ済まない気がして
そのたんびにビールを購入
お陰ですっかり出来上がっちまったぜ
俺はネクタイやベルトや靴下や
時計のバンドも含め締め付けるものは
大嫌いなんだよ
ケイタイはすぐに失くすんで
普段は携帯しないのよ
この空港、誰が経営してどこの馬の骨が
運営しているのかは知らないが
時計のひとつやふたつやいつつやななつ
置いておけよな



またタイにやって来た


落っことしてパソコンを壊してしまった
新しいのを買わねばならない
パソコンなんぞなくても生きていけると自負しているが
いろいろあって 一刻も早くと
焦るのだ
ああ なんてこった
パソコンがこの世になければ
壊れることはなかったのに
とすれば早く替わりをとじりじりすることもなかった
ところがそいつは壊れてなかった
壊れていたのはコンセントだった
空きがなくてホテル用の部屋で待機していた俺は
本日めでたくアパートの方へ移れたのだが 
落っことしたのは元の部屋で
使えるかどうか少し不安もあったのだ
俺は電器釜をふたつ持っているが
そのプラグ挿入させても
どちらもうんともすうとも言わないんだもん
ああ なんてこった
さっき新品買っちまったぜ
いろいろにもいろいろあっていろいろ考えてるうちに
いろいろいらつく俺なのだった



3.11

の時はタイのチェンマイにいた
その前の阪神淡路の時はバンコクだった
栃木県新大平下にある日立の工場で派遣工として働いていた時
タイから研修に来ていた何人かと仲良くなった
研修とはいえ彼らは普通に働いているだけのように見えたが
ぼくの日当は1万円で彼らは3千円だった
タイへ行った時は彼らの仕事が終わるのを
パークナーム行きの29番のバスに乗って1時間ほどで降り
サムットプラカーンにある工場の正門の脇で待つようになった
その日が何回目だったろう
出入り口から出てきた彼らは興奮した顔をしていた
そして口々に何事か叫ぶ
ペンデンワイと聞こえる
久々にぼくに会えた高まりではなさそうだ
ペンデンワイ?何だったっけ?
一人が新聞を広げて見せる
断ち切られた高速道路の残った方に乗用車が車体半分せりだし
かろうじて踏みとどまってる写真があった
ペンデンワイは地震だ
呆然とした
呆然としたのは確かだが他に何を感じ何を思い何を考えたかは
遠いとおい昔だ、覚えていない
その日は3軒はしごし最後はカラオケで締めた



エッコちゃん


近所で初めてテレビを入れたのは
路地一本隔てて並ぶ名無しさんの家だ
それからうちがテレビを買うまでどのくらいの時間差があったのだろう
覚えているのは大村崑の「とんま天狗」は名無しさんちの
縁側から見たということだ
あの頃夏休みには町内レクレーションと称した組内の日帰りバス旅行があって
阿字ヶ浦とか幕張の海水浴場へ行った
これはまったく記憶にないのだが将棋覚えたてのころ
そのバスの中でエッコちゃんのおかあさんにせがんで将棋を指してもらい
負けてしくしく泣いたのだという
名無しさんちには子供が三人いたが末っ子がエッコちゃんで
ぼくより二歳か三歳上だった
エッコちゃんのお兄さんとお姉さんは勉強ができて県内一の進学校に進んだが
二人の名前は忘れてしまった
またバスの中に戻るがぼくが調子に乗って
かあちゃんが申でばあちゃんが戌だから二人は仲が悪いのだ 
と口走ると面白がって、ひでおちゃんは頭がいいと褒めてくれたのも
エッコちゃんのおかあさんだった
下の姉と缶詰を前に缶切りが見つからず困っていた時のことだ
結局名無しさんちから借りようということになった
姉が出かけて行ったのだがエッコちゃんを伴って引き返してくると
エッコちゃんの目の前で缶詰を開け缶切りを返し
そのままバイバイしたのだった
エッコちゃんは不二家のお菓子のキャラクター
ほっぺたをいっぱいにして笑って見せる女の子にそっくりだった
ぼくが小学校五年か六年の時
エッコちゃんのおとうさんが事件を起こした
もうその頃は組内のバス旅行はなくなっていたのではないか
いや参加しなくなっただけのことか
その後、名無しさんちの周辺がひっそりとした感じになったのは
否めなかった
よしだたくろうが「元気です」をリリースしたのは高校二年だ
あれっ?いつのまにたくろうを掛けたんだろ?
と訝っていると「春だったね」は隣の名無しさんちの方から聞こえて来るのだった
土曜日や日曜の午前中はよく「元気です」の競演になった
隣から「旅の宿」が聞えて来るとここぞとばかりに窓を開け
「たどり着いたらいつも雨降り」のボリュウームを上げるのだった
ある日の夕方エッコちゃんが我が家を訪ねてきた
この前たくろうのコンサートに行ったんだけどその時の写真が
出来上がってきたの
ということだった
ステージで歌うたくろうの写真が三枚引き延ばされ
白い大きな封筒に入れられていた
名無しさんちはぼくが上京して二年目に引っ越していった
おとうさんの判決が下るのを待って越したのだという



おでんでんでんみそおでん


何かあたたかいものが欲しい
熱帯夜が続くのに
俺の周囲はこの世は空々しい
チェンマイは、そしてあの世はうすら寒い
桑田佳祐のフレーズに
胸騒ぎの腰つき、というのがあったが
俺の腰つきは腰回りはこんなにも重苦しい
ラーメンではない
舌をやけどしそうな番茶でもない
そう
みそおでんがいい





はムズカシイしムズガユイ
難解で懐柔で短絡で
何の段落も段取りも脈絡もない
見るにしても覚めるにしても
思い通りにいったことなどただの一度もない
何でこんな夢をこんな時にと十万回は思ったが
その大半は起きるとすでに忘れてた
やり直したい人生などどこにもないが
もう一度見たい夢ならいくつかある
もし日々の営みの中に夢の介入がなかったら
俺の一生は夢よりもはるかにはかないものに
なっただろう



ナースチェンマイ大学ミニマラソン


日本でのマラソン大会の申し込みはすべて
ネットを通して行われているが
大会当日発走一時間前に身体ひとつ持って行きさえすれば
簡単に登録出場できたこのタイでも
最近はネットのできない奴は走らなくて結構
毛だらけ猫灰だらけ
という大会が増えてきた
まあこんな俺でも少しは上達したらしく
ナースチェンマイ大学ミニマラソンに
買ったばかりの8900バーツのパソコンから
無事申し込みを済ませ
電光石火の早漏男よろしく最寄りのバンコク銀行に押し入り
350バーツの参加費の振り込みもこれまた
いとも簡単に完了させたのだった
ところが、ちゃんと払いましたよ、という証明が必要なのだが
これができない
多分振り込みを済ませた用紙の写しを写真に撮りそれをネットで主催者に
送ればどこからも文句はでないのだろうが
そんな芸当がこの俺にできるはずはない
ナースが頭にくっつくことが示すように
これはチェンマイ大学看護学科主催のマラソン大会なのだ
だからこだわる
何年か前売れることのないおにぎりをつまみ替わりに一杯やりながら
売っていたパヤオでも
パヤオ病院付属の看護学校が主催するマラソン大会があった
これが大変なもので
給水所という給水所に看護婦じゃなかった女の看護師の卵たちがむせあふれ
ランナー一人ひとりにペットボトルを手渡してくれるだけでなく
ゴール手前100メートル地点にも
卵がズラリゾロリと並んでタイ国国旗とセットで耳の中の汗と
鼻の奥の分泌液を拭いとるちょいと長めの綿棒をこれまた一人
ひとりに握らせてくれたのだった
そういうわけなので俺は直接証明しようと
振込用紙の写しを手にチェンマイ大学に出向いたのだ
このレースが大学の敷地内だけで争われることが示すように
チェンマイ大学は広大だ
それが入った門の少し先に座っていた守衛に尋ねると
すぐそこの建物が看護学科なのだという
なんて運がいいんだろうと早速その建物の中を
あっちに行きこっちに行きあれやこれやとやりあうが
さっぱり埒が明かない
一時間掛け合って分かったことはそこは看護学科ではなく
犬猫病院ということだった
ちなみにタイ語の発音でカタカナ表示すると
犬猫病院がローングパヤバーンサドで
看護学科がカナパヤバーンサートだ
一体全体看護学科はどこにあるかというとここから1キロは離れた
スアンドーク病院の中なのだという
これがまたバカでかく俺は2度迷子になっている
チェンマイの生き字引を気取ってる今だって入った門と同じ門から
外に出られるなんてことはめったにない
ごめん話が長くなった
結局それから俺は約30人の男や女に道を聞いて看護学科にたどり着き
わたくしは12月17日のレースを走ることになっているランナーだが
そのことに関して話がある、さてこれからどこに行って誰と会えば
いいのでしょうか?
みたいなことを係員というか看護学科に従事する3人のおばさんに
2時間を使って別々に聞き遂に目的を果たすのだが
10キロのミニマラソンを走る以上に疲労困憊した



マウスの秘密


バッテリーの寿命が尽きたパソコンだって
コードをコンセントに差し込まずとも1分や2分3分くらいは
電源は通るのだ
俺はそいつを知らなくて壊れていたコンセント
まだその時は壊れていたことを知らなかったわけだが
そこへコードをぶち込んで一度は点いた電源がプツリと消えたもんだから
そのあとどういじくっても画面は暗いままだから
壊れたのはパソコンだと決めつけ
新しいパソコンを買ってしまったわけだ
そのパソコンの調子がおかしい
すぐ画面が止まるし止まらずとも指一本どこにも触れていないのに
画面は勝手に元の場面へとどんどん戻っていっちゃうし
挙句の果てにシャットダウンができなくなる
買うときにこれはインドで作られたコピーだとの説明を受けたが
それだって一年間の保証はついている
そこで店に持っていくと二時間後に電話が鳴り直ったという
ところが直ってなんかいなかった
やっぱり画面は動かない
すぐにでも取って返したかったがしつこい男は嫌われると
眠れぬ夜を一晩過ごして翌日
朝一番で駆け込んだのだ
ところがどうだ店員は涼しげに画面を動かして見せるではないか
シャットダウンもちゃんとできる
きのうだってほんとうは修理なんかしなかったんだと
ってことは俺のアパートのWiFiに問題があるってことだが
苦情が出ている様子はまったくないのだ
お陰様で案の定部屋に戻れば画面は滞ってしまう
俺の部屋には悪魔がいるとフロントに持ち込めば
フロントの太った姉ちゃんもやすやすとパソコンを操作しちゃうのだ
そこで俺はピンときた頭のいい俺は分かってしまった
マウスだとマウスが元凶なんだと
修理に出すとき荷物になるからとマウスは抜いていった
フロントに運ぶ時もぶらぶらさせてはと抜いていった
マウスは意図を持ったのだ
ネットの知識もろくすっぽないくせに
マウスを乱暴に扱う俺に思い通りにいかないと
八つ当たりしてマウスを叩きつけるこの俺に反乱を
企てたのだ
いや待てよ
俺はこのサイトにネットのパソコンの悪口を散々書いてきた
これは本体このノートブックとの共謀なのかもしれない
とすればマウスを抜いたところで
いずれまた画面を止められてしまう可能性はおおいにある
うーん
マウスさんパソコンさんわたしが悪うございました
深く反省してますんでどうかご容赦を



ラオスビールの秘密


みかんを大量に摂取すると手が黄色くなる
無論のこと糞もみかん色になる
白目の部分も気持ち黄色味を増すがこれは黄疸ではない
急性アルコール肝炎は黄疸の症状を呈するが
便は黄色にもみかん色にもならない
脱色されふやけて白色になる
人参を大量に摂取すると糞は赤みを帯びたあざやかな橙色になる
所々に未消化の欠片を点在させる
ラオスに来ると糞が黒色になる
黒褐色というよりもっとストレートなブラックだ
ちなみにウヰスキーのストレートをタイ語で注文すると
一つピアオピアオででっち上げてくれ
となる
ビエンチャンで俺が口にするのはカオピヤクと
ビアラオぐらいだ
カオピヤクが便を黒くするとは考えにくいから
原因はビアラオってことになる
そこで俺の使命だが残された余命を投げうち
その解明に当たることにある



霧笛が俺を呼んでいる


中国へ行ったのは30年前だが今もあるのかどうか
鑑真号で行った
あの頃は一週間ごとに大阪から出たり神戸から出たりしていた
食堂のめしがうまかった
また船賃に比較するとビールが安かった気がする
だから食事の度に必ずつけた
カラオケもあったのではないか
「酒と泪と男と女」を歌ったおぼろな記憶がある 
上海のあとは西安に寄りウルムチ、カシュガルと回った
ウルムチで自転車世界一周をしようとしている二十歳くらいの男から
カメラを預かった
俺が帰途神戸に立ち寄るのを知り
壊れてしまったカメラを母親に手渡して欲しいと頼んできたのだ
男がお礼として支払うと言ってきた額があまりにも慎ましやかだったので
カメラの方だけを受け取った
男と顔見知りになったホテルのレストランのめしがこれまたうまかった
夕食に300円程度の定食を注文するとご飯とスープの他に
おかずが4品並ぶのだった
ビールを欠かすわけにはいかなかった
帰りの鑑真号は神戸に入るのだが端からその日は
サウナに一泊と決めていた
男の家は市内にあるという
俺は頻繁にサウナを利用する30男だった
目覚めてサウナ糞しにサウナ汗かきにサウナ酔い覚ましにサウナ
そんな感じだ
アル中オヤジ蔦監督率いる池田高校が桑田清原のPL学園にコテンパンに
やられたのも池袋はフィンランドという名のサウナで見たのだ
サウナから自転車男の家に電話を入れると
母親はすぐにやって来た
食事をごちそうしたいのだがちょっと出られないかという
出ればもう一度入らなければならないしご飯はさっき食べてしまった
サウナ支給のアロハシャツに短パンのいでたちで断ると
その分は払わせてもらうしせめてお茶だけでも
きっと息子の話を聞きたいのだろうが俺は彼のことをほとんど知らない
下痢を恐れるあまりビールを飲まない奴
そんな話をしたところで母親は喜ばないだろう
元気そうにしてましたよとカメラを渡してお帰り願った
その日サウナではカラオケ大会があり景品もつくので
美川憲一の真似をするコロッケの真似で「柳ヶ瀬ブルース」を歌います
と講釈を述べ立て俺も勝負にでたが賞品にありつけないどころか
誰もこっちを見向かなかった
それ以降カラオケでの十八番は「霧笛が俺を呼んでいる」に取って代わる
バブルに突入したのはその頃ではなかったのか
バブルを知らずに俺は年老いたが知った後も俺には無関係だったと
認識していたが
こんな俺にもささやかなバブル期があったのかもしれない
もう15年以上サウナに足を踏み入れてはいない



ぼくたちの特権


ぼくは犬派でも猫派でもないが
仔犬仔猫を見れば素直にかわいいと思う
馬の赤ちゃん鹿の赤ん坊はかわいい上に凛々しい
象にしろ豚にしろ生まれたてのモノは無垢そのものだ
哺乳類に限らず鳥類でも魚類でも両生類でも
生まれたては総じていとおしい
ひよこ、足が生える前のオタマジャクシを見よ
唯一の例外が人間ホモサピエンスだ
これからの不幸を察したかのように苦し気に
生まれ出てくる
生まれたくて生まれたんじゃない、そういう
不機嫌な苦虫を食い潰したような顔だ
まあ三日もすれば少しはましになるが、きっと
本能であきらめちゃうからだろう
火の発見からあとぼくたちの脳みそは重量を増し
人間は傲慢にこれ見よがしに生意気になった
他の生きモノと自分らを区別仕分けしいい気になった
偉そうに
今のこの有様をどうするつもりなのか
自然環境生態系を滅茶苦茶にしたのはぼくたちだ
生きモノで自殺できるのは人間だけらしい
ぼくらだけのせっかくの特権を使わない手はない
ここいらで一発集団自決キメテやろうじゃないの
ぼくたちの大好きな自己責任ってやつさ
そうすれば馬鹿でかい隕石が体当たりをかまさない限り
太陽が朽ちる前に地球が滅びることはないだろう
それこそ気の遠くなるような長い年月をかけてだが
安倍のいう美しい日本になるだろう



奇形児よも助


鼻がとろけてしまったらい病患者
裏返ってしまった足首
エレファントマン
つまり奇形なものあまり見かけないもの
を見ると
背筋がゾーッとしこんちくしょうと思い目の裏が少し熱くなる
ここんとこ小顔ばやりだが
ぼくの顔面はかなり大きい
拓郎の盟友瀬尾一三にはさすがに敵わないが
ただぼくのバヤイ幼稚園児の時に
今とほぼ同じ面積体積を有していたから
下の姉はことあれば奇形児奇形児と連呼してぼくを
からかいいじめた
だが鏡に写る自分を見ても背中がゾーッとすることはない
乙武洋匡氏を見てもそうで見慣れてしまったからだろう
この慣れるという感覚は人間の感情にどえれえ影響を与えているはずだ
奇形を見ると背筋がゾーッとしこんちくしょうと思い目の裏が少し熱くなる
こうした反応の取り合わせというかシステムを
自分なりに分析したことが何度かある
論理的ではないぼくには苦手な作業だが
繰り返すうちにそれなりの結論らしきものは得た
でもよ
そいつを公にするつもりはまったくないんで
あしからず



世界に一つだけの俺の歌


俺は密かに心配してたんだ
俺が心砕いてもどうにもならないんだが
ちょっと前にどう決着がついたかは覚えてないが
小林亜星が服部克久を盗作で訴えたことがあっただろ
ああいったことが際限なく起きてしまうのではないかと
その曲のことはちっとも知らないのに
作った曲がその曲に類似してしまうってことは
あり得ないことではないだろう?
だってこの地球には70億の人間がいるんだぜ
例えば日本ではフォークブームのあとには
猫も杓子も曲作りするようになって何を隠そうこの俺だって
オリジナルが20はある
上の姉と離婚してから数年後に
地下室へと降りる階段にもたれた姿勢のまま白骨死体で発見された義兄は
6畳間の隅っこでギター掻き毟りながら歌う俺に向かって
「ヒデオ君いいかげんその雑音何とかしてくれないか」
とぬかしやがった
義兄が我が家を訪れたのは19歳年下の姉との結婚の
許しを乞おうと酩酊状態で現れた1回こっきりだから
俺が高2の時でそれが初対面だ
彼がいたいけな美少年に対して吐いたセリフを62になっても
まだ俺は覚えていたのだ
話が少しそれたがついでに言ってしまうと
大谷川河川敷ススキ生い茂る中俺はマル田バツ子を前に
ギター爪弾きながらオリジナルを4曲も歌ってしまったこともあった
結論を先に言ってしまうが
専門家を信じれば
どんなに人口が増えようが人類がどこまでも果てしなく生き延びようが
俺が心配しているようなことは起こらないんだとさ
曲は無限なんだって
そう言えば俺が作った曲に似た曲なんて聞いたことないもんな
まあ俺の曲にはリズムといったものがからっきしないので
特殊には特殊だが
数百年の歴史を持つ将棋指しの勝負に同じ棋譜が一つも
ないように人一人一人の来し方にも同じものはない
曲にも俺たちにも限りはないってことよ
ただし人間は死んじゃうがよ
でもよ
俺があした死のうがまだきょうのうちはよ
俺の前には無限の可能性が広がってるって
わけさ



ベロンベレロンベレンベロン


おお!なんて美しい残酔の響きよ
その隙間から残酔の吐息が漏れこぼれ
残酔の匂いが染み渡る
連続飲酒の成れの果て
ただじっとしているしか為す術がない
ただじっとそこにある以外に
己をやり過ごせない
今更ちゃんちゃらおかしくて
後悔反省する由もないが
お天道様が眩しくて
床に直接うつぶせる
瞼の裏で時をうつろう



佇む


  夢に飽いたら
バスに乗ろう
バスを降りたら
歩いて行こう
  歩き飽きたら
自転車買おう
ついでに寝袋テントも買おう
橋の下にテントを張ろう
  雨が降ったら
ずぶ濡れよう
身と心を洗い落そう
土踏まずで雨を踏もう
  風が吹いたら
佇もう
気色を手放し埋もれよう
夜を渡って次の朝まで



金がないと


恋ができない
できたとしてもデートに誘えない
一歩譲って誘えても
まず、成就することはない
金がないと
おいしいものが食えない
一銭もないと
まずいものも食えない
ただ、万引き泥棒無銭飲食の手がある
捕まっても刑務所でメシは
食える
ゴミ箱をあさろう
恵んでもらうのもいい
金が無くったって
生きようという意志さえあれば
ぼくたちは生きていける
と、思う



足を伸ばしちゃダメだ


膝を伸ばしちゃダメだ
伸ばせばまた眠ってしまう
目をつぶっちゃダメだ
つぶればまた寝付いてしまう
これから起き上がり屈伸をして
走りだすのだ
夕べは19時前に床に入ったのに
どうしてこうも眠いのだろう
不眠症の俺なのに
いや本音を申せば眠くはないのだ
ただ起きたくないのだ
いや起きたいのだ
ただ起き上がれないのだ
俺たちの意志はなんてか弱いのだろう
いやこれは俺自身の問題だ
俺の意志はなんとまあみすぼらしいんだろう
起き上がれば
ストレッチをするくらいなんでもないのに
走り出しさえすれば
気持ちのいい汗がかけるのに
起きたいのだ
でもよ
どうにもこうにも起き上がれない



強く、我が身を


抱きしめたい
強く、はぐれたい
強く、打ち込みたい
だんだんどんどん
たくましく、おごそかに
終わりが迫ってくる
もうじき終わる、死は正直だ
誰よりも強く、神よりも深く
あからさまに
抱きしめたい
強く自分を
慰撫したい



春夏秋冬


春は
のどかな日が差す縁側に
座布団を重ね
夏に夏にこそと思った
夏は
直射日光にパンツ脱ぎ捨て
インキンさらし
秋に秋には治れと願った
秋は
振られちまった不条理に
不合理にその腹いせに
冬に冬に骨身をうずめたかった
冬は
炬燵に懐深く潜り込み
両手で継ぎ足握り締め
春が春が来るのをひたすら待つのだった





を抜けるとそこは海だった
深海だった
深海魚というソープランドは
新宿歌舞伎町にあった
地下深くへ降りていく店だった
その斜め前のプレイボーイには
斎藤由貴に似た女がいた
若い頃幾度となくソープランド詣をした
それほど若くない頃もタイのそうした店へしばしば通った
だが相手の顔やサービスの内容一挙一動その雰囲気を
この年になっても覚えている女は10人に満たない
プレイボーイの女はその中の一人で
彼女は斎藤由貴を不健康にしたような雰囲気を
醸し出していた
斎藤由貴といえばちょっと前まで渦中の人であった
ここ2、3年日本のマスコミは不倫を叩いて
金儲けする傾向にあるが
もういい加減にしろよ
誰がどこの誰と嵌めようが勝手じゃないか
放っておけよ
不倫相手がパンツを頭から被ろうが
それは各人の恥垢じゃなかった嗜好ってやつさ
確かに倫理には反するかも知れないが
人間が倫理に道徳に則って生きていくのは
かなり難しい
思い通りにいかないのが人生じゃないか
けして不倫は文化ではないが
人を殺すよりは何億倍も崇高な行為だ
戦争に加担する安倍政権を支持するより何百億倍も
人道的ふるまいだ
それよりなにより斎藤由貴には題は知らないが
玉葱人参トマトと連呼する歌がある
この三つは野菜の三大栄養素で
玉葱人参トマトを毎日食べていれば
まず癌に罹ることはない
斎藤由貴はこの歌を歌うことによって
不倫の1回や2回5回10回は許されていい
免罪符を得た
夜を潜り抜けると深海だった
そこには深海魚の他にも
誰かが何かがきっと潜んででいる
トンネルを抜けるとぼくは高校2年生で
仙台七夕の日は仙台赤門ユースホステルに泊まり
無数の蚊に刺され一睡もできなかった
その時「夜」と題して
夜を歩き抜けると
前を行く女たちが何やらキャッキャッとはしゃいでいる
ぼくにはぼくの生き方があっていいはずなのだが
という詩を書いている



もっと


深みに嵌りたい
嵌りたいのに嵌れない
この肴にたかるハエを何とかしたいのに
払い除けても除けなくても
ハエは俺より執拗でずっと自分に忠実で
どうにもこうにもああにもできない
連続飲酒の成れの果て
嵌りたい
だが、嵌れない
そんな俺にだって
偉そうに言わせてもらうが
姉が二人と姪が六人と甥が二人いる
世間体がある
戦争を引き起こすのはおそらく
世間体だ
この日本語を英訳する頭脳はないが
俺には酒がある
嵌りたい
もっと執拗にもっと忠実に
もっともっと深くへ



角筈エレジー とりあえず26


電話したんだ
君の勤め先へ
こんど二人だけで会えないかなあ 
そしたら君はいやにはっきり
わたし決まりそうなの
思わずつぶやいていた
そう、なら、とりあえずさあ
とりあえず俺
どうすりゃいいのさ
とりあえず
じゃあ、また
受話器を置いた



柏戸三重ノ海鶴竜


大鵬より柏戸の方が圧倒的に好きだった
柏戸の相撲はとてもじゃないが怖くて見ていられなかった
だいたい弓取り式の時間になると
隣のクメカワさんちのマサオちゃんからヒデオちゃんと声が掛かって
ついさっきの柏戸の取り口を再現するのだ
大鵬を一方的にいとも簡単に下せるのは
柏戸の左前褌取っての一気の寄り以外にはなかった
まあそんな相撲は一度しか見たことはなかったが
佐田の山の突っ張りも嫌いじゃなかった
明武谷のつり出しは色っぽかった
エホバの証人である下の姉の情報によればあの胸毛の
明武谷も証人なのだそうだ
豊国には大鵬柏戸にのど輪で勝った他は全敗つまり13敗という
すごい記録がある
北の富士と玉乃島なら盲腸炎をこじらせて
死んだ玉乃島を選ぶ
俺のおやじは何か理由があるのだろうが富士錦の
贔屓で確か一度平幕優勝をしている
そのうちにやる気のない顔をして仕切る三重ノ海が
やってきた
そうこうするうちにやる気なさそうな顔つきの鶴竜が
綱を張ってしまった
三重ノ海鶴竜の両人は左前褌取って一気の寄りの
柏戸の系譜に連なる
俺が真正面からファンになったと言えるのは
この3人だ
今相撲界はすったもんだしているが
マスコミは躍起になってそれに相乗りを図っているが
俺にひとつの提案がある
年に3度ある東京場所の1回を
モンゴルウランバートルに持って行くのだ
もっと長い目で見据えれば
ロシア場所バグダッド場所リオデジャネイロ場所ニューヨーク場所も
視野に入れている
日本の国技相撲を世界に広めちゃうのだ
カーネギーホールに土俵を拵えるのも悪くない
いつの日か相撲が世界の国技になるかもしれない
いや、この表現はちょっとおかしいか
だったら別に国技じゃなくなったっていいじゃないの
のたり松太郎
今相撲界が世の中が必要としているのは
お前のような相撲取り、人間なのだ



最近の俺は


立っている時間が異常に少ない
座っている時間も
それはつまり椅子や便器やベッドの端に座るということだが
異様に短い
しゃがんだりすることはまずない
あとは自転車に跨ってる時間が1日に5分ある
その日の食料を5バーツの店まで仕入れに行くためだ
部屋の中の移動以外歩くこともない
最近の俺は
睡眠時間に10時間当てている
19時から5時までだ
もちろんその間ずっと眠っているわけではない
少なくとも6回は小便に立つし
寝返りは数知れない
寝る時俺は枕をしないが
基本仰向けの姿勢を取ることにしている
ベッドはあるが床に直接仰向ける
寝付けない時は仕方ないのでモノを考える
たとえばこの詩もそうした時間帯に作った
なら起きてから寝るまで5時から19時まで
何をしてるかというと
パソコンを直に床に置いてひたすら
ユーチューブを見ている
映画や将棋が多い
この時も仰向けの姿勢で見るがさすがに枕はする
それもふたつ重ねて上の方をさらにふたつ折にする
このような1日に俺は満ち足りている
心身の充足を感じる
最近の俺は
だから仰向く毎日だ
走らないしナワトビもしない
酒だって飲んでねえのよ



たった1キロ


で棄権してしまった日光杉並木マラソン以来
ほぼ4ヶ月振りにレースを走った
レースを主催するサンカンペーン小学校まで
ぼくのアパートから20キロはあるので
前日の夕方にママチャリに跨って会場入りした
150バーツを支払ってゼッケンを受け取り
係員に導かれ宿泊所となる使われていない教室にたどり着く
当人の姿はないが先客が2人いるようだ
係員は門を出て右に曲がればすぐそこがマーケットなのだと言う
市場の場所まで教えてくれるなんて何てお節介なんだろうと
恐縮したが寝るには早いので行ってみると
それは日本語でいうところの歩行者天国だった
かなりの人出でどこまで行ってもキリがないので引き返す
トマトとプリックキーヌーを買った
学校の対面の雑貨屋兼酒屋でビールを買い栓を抜いてもらって
店先に1個だけ据えられた石造りのテーブルで飲みだす
この時間に教室に戻れば先客2人も帰っていて
いろいろ話しかけてくるかもしれない
それが面倒だった
実を申せば知り合いが昼時にビール抱えて訪ねてきたので
すでに少し入っている
だが3本までならレースに影響はないはずだ
ついさっき目をつけておいたパブレストランっぽい店に移動する
このサイトに「オイさんに捧ぐ」という詩を書いたことがあるが
サンカンペーンはそのオイさんが生まれた街だ


オイさんに捧ぐ 再録


今はもうつき合いはないが、昔、ぼくが哲とあだ名をつけた
ぼくよりもだいぶ若いタイ人の友人がいた
哲の彼女がオイさんだった
ぼくは二人を結婚前から知っていたし離婚した後も
知っていた
オイさんには妹と弟が一人ずついて弟はおかまだった
オイさんのご両親と一緒にご飯を食べたこともある
まったくの偶然だが離婚後のオイさんが
ぼくの借りたアパートの敷地内で洗濯屋を営んでいた
時期もあった
ひとは老いる
オイラも老いる
老いをホイルで包みフライパンにオイルはしかずボイルせず
老いを炒るのだが
弾けてはくれない
オイスターソースをぶち込んでも
おいしくはならない
老いては子に従えと言ったところで
オイラに子はない
老いると置いてきぼりにされがちだが
置いていくものは
何もない
哲の糖尿病が悪化してつき合いは途絶えた
オイさんのその後も知らない
オーイ、オイッ!
老いては死に従い給え


2人と出会ったのは30年前のソンクラーン水かけ祭りの初日だった
正方形の中がチェンマイの旧市街だとしたら
右下外側角っこのソムチャイ歯科が診療所を構えるアパートの4階に
初めて部屋を借りたのだったがその日起きるとどうも様子がおかしい
外がざわついている
出てみるとそこら中人だかりでみんながみんな
水を掛け合っている
ぼくはまだその時ソンクラーンの存在自体を知らなかった
これはいったい何なんだと訝しりながらシードンチャイ通りに出て
現在も「すし一番」の隣にしぶとく生き残っているぶっかけめし屋を目指す
人々はこの騒ぎにまったく無関係のぼくにまで容赦なく水を浴びせてくる
中でもひどかったのはめし屋の斜め向かいに陣取っていた10数人のグループで
ぼくの行く手をふさぐと氷入りのバケツいっぱいの水を頭から
ぶっかけたのだ
まあ結局はめし屋に何度も足を運びビールを買い込んではそれを貢ぎ
仲間に入れてもらって一緒に大騒ぎしたのだったが
そこに哲とオイさんのカップルがいたのだ
オイさんがパーヤップ大学の3年生で哲が2年だった
ぼくは例によって泥酔し哲が部屋まで担ぎ込んでくれたのだが
翌日も翌々日もメンバーはあれこれ入れ替わったが哲と
行動を共にした
だいぶあとになってだが女5人のグループบุโดกันブドウカンが歌う
ขอไหัเมือนเดิมコーハイムワンドーム「そのままでいて」の
プロモーションビデオに登場する女優がオイさんにそっくりだったので
驚いたことがある
オイさんはエレガントという言葉そのものだった
それから数年は哲との密度の濃い付き合いが続いた
飲み合いといった方が適切かもしれない
哲は下手をするとボトル2本を空ける男だった
2人の酒席にオイさんが加わることはなかったが
なんだかんだと顔を合わせる機会は多々あった
プーケットのホテルに就職が決まったオイさんを哲と2人
アーケードから見送ったこともある
1年もしないうちにオイさんは舞い戻ってしまったのだったが
卒業すると哲は結婚しまずマーケティング関係の会社に勤めたが
こまめに職を変えた
ぼくが覚えているのはチェンマイ鉄道駅からすぐの
ニッサンの営業所でその近くで何度か待ち合わせした
チェンマイランドでワインの卸売りをしていた時期もある
離婚したのはその頃だ
その後ナイトバザールを少し入ったところにアンティークの店を開いたが
いつしかレストランに変わり次には改装して郵便物を扱うオフィスになった
この私設郵便業がフリーペーパー「ちーお」に取り上げられたことがあったが
もう哲とは疎遠になっていた
あの当時携帯はなかった
日本へ帰る度に哲の職場とアパートの電話番号は控えていったが
哲は住むところも頻繁に変えたしぼくだって借りるアパートは何度も変えた
だがお互いの行き来が途絶えることはなかった
こちらから連絡せずともチェンマイについて1週間もしないうちに
どこかで偶然に出会うからだ
歩いていると自転車に跨っていると
オートバイをあるいは車を運転している哲がぼくを見つけ
声をかけてくるからだ
もちろんオイさんが一緒のこともあった
覚えているだけでそんなことが6回はあった
チェンマイを訪れた姪を哲のレストランに案内したことがある
哲と会うのは久し振りだった
例によって泥酔し意識不明となるのだが哲は車で
ぼくをアパートへ姪をゲストハウスへと送り届けてくれた
姪は哲さんはいい人だと言ったが
そりゃそうさ、同感だ
哲は貧乏ゆすりの達人だった
いつもピリピリしていた
哲とオイさんにはแตงโมテングモウ「西瓜」という娘がいたが
哲が引き取った
西瓜ちゃんを連れて突然哲がぼくのアパートに現れたことがある
2、3日前にぼくがそのアパートへ入っていくのを見かけたのだという
その頃はチェンマイに来ても哲に改めての連絡はしなくなっていた
小学生になる来年からは親戚に預けバンコクの小学校に通わせるらしい
哲と最後に会ったのは3年ぐらい前だろうか
やはり偶然だった
ターペー門の内側のところでナナハンに乗った哲がぼくを見つけた
近いうちに飲もうよと誘ったが
糖尿でもう何か月も飲んでないのだ
と言ったのだった
それからしばらくしてまた例によって泥酔した時
哲のオフィスに近いホテルのコーヒーショップから
今ここにいるから出てこいと電話したがなしのつぶてだった
今から思えば哲とつるんで飲みまくっていた時期
こうしていればオイさんに会えるチャンスも増えるはず
という下心があったのは確かだ
哲はぼくの本心を潜在意識でもって敏感に読み取ったのだろう
その潜在意識が哲をして
チェンマイの街をうろつくぼくを偶然という形で
発見させたのだ
オイさんの洗濯屋はシリマンカラジャンソイ7ガードスアンゲーオの入り口
ベンチャマアパートの一画にあった
ヒデオ、ヒデオでしょう?わたし、わたしなんだけど
オイさんの方が気づいて声をかけてきた
オイさんは全体的に太ってやつれていた
ぼくが日本へ帰るのが先だったのか
オイさんが店をたたむ先だったのか
どうもその辺がはっきりしない
とどのつまりパブレストランだけで4本のビールを飲んでしまった
酒のせいにはしたくないのでレース結果は書かない



ビールを飲まないと


どうにもならない
どうにもこうにも太刀打ちできない
禁断症状ではない
悲痛な心からの叫びだ
55を過ぎたあたりから小便が細くなった
いわゆる前立腺肥大だ
きっと順調に拡大し続けているのだろう
62の今、夜中に小便に起き便器に跨っても
~俺の部屋に朝顔はない
小便がこぼれ出すまでに1分はかかる
それも蛇口をギリギリに絞ったようなこぼれ方だ
終わったと思っても終わってはいない
下腹を振り絞って残りを送り出す
1回2回3回4回
10回超えてもまだ滴が滴り落ちる
ああ、勢いのある小便がしたい
このサイトのトップに
ビールを飲むとビールを飲むと小便がどんどんどんどん美しくなる
という詩を書いた
確かに今でもビールを飲めば少しはましになるが
10本飲んでも往年の迫力には欠ける
いくら透明な尿であっても勢いがなければ
美しいとは言えない
かれこれ2週間一滴のアルコールも体内に取り込んでいない
重度の酒乱であってもアル中ではない証だが
~いや上の姉によれば酒乱もアル中のうちらしいから
依存症ではない証左だが
夜中に幾度となくトイレに立ってもちょろちょろと
ネズミのようなしょん便しか出ないなら
そろそろビールに頼りたくもなってくる
前立腺肥大、とうの昔に全面的に受け入れているが
尿意は尿意だけは一張羅の服のようにピッカピカに光っていて
癪に障る



初期高齢者小躍りワルツ


なぜか小躍りしたくなってくる
ついこの前のナースチェンマイ大学ミニマラソンも
1キロどころか500メートルも行かないところで
棄権してしまったのだけれど
そのあきらめの良さに決断の速さに
自らが潔く惚れ込んでしまい踊りはしなかったが
スキップ踏んでそのままアパートまで帰ったのだ
還暦を過ぎたあたりから心身がすこぶる快調だ
血沸き肉躍るとでもいえばいいのか
決してくじけたりしないのだよ
そりゃあそれなりの努力が結果を生まないことには
忸怩たる思いもあるが
昔の俺から見れば信じられないくらいに前向きなのよ
それならそれなりの二乗の努力をしようじゃないのと考える
それが実際に実行できるかどうかはまた別の話
俺は有言不実行の男
くじけない上に反省もしないのさ
終わりが近い
うまくすればあと5年でぼくはぼくから解放される
下手しても20年もありゃあ確実に俺は解き放たれる
永遠のやすらぎに
おいらではないおいらが包まれる
前にも書いたが40年前のあるいは10年前のぼくは
今のぼくとはまったくの別人だ
5年後の20年後の俺が今の俺と瓜二つでも
それは他人の空似だ
今のおいらには今しかない
小躍りしたくなるおいらがいて小躍りしたくなる今がある
タンゴじゃなくてワルツな今だ
来年の4月に日本に帰るがもうタイにチェンマイに戻ってくることは
ない
オキナワへ行く
橋の下にテントを張って1日500円で生活する
そん時の俺は今の俺とは赤の他人だが
それを思う俺は間違いなくこの俺だ
つい心浮き浮きして今にもワルツを踊り出しそうな
俺だ



寒い朝


寒くなった 寒くなってきた ああ起きたくない
あしたもやっぱり寒いのか
寒さがいやで毎年タイに来るのだけれど
タイといえども特にチェンマイの年末年始は
判で押したように寒くなる
下手うちゃ東京より寒いかもしれない
さすがに鋼鉄のような俺の意志もこの寒さにゃお手上げだ
さぼりがちだった朝のランニング大手を振って取り止めた
命よりも大事にしている朝の儀式頭剃りも即刻中止
さっき寒風の中ママチャリ飛ばしインスタントラーメン
10袋を買ってきた
熱々のラーメンであったまろうって寸法よ
あとは寝袋にこんがらがってひたすらユーチューブを見るつもり
昨夜A級順位戦8回戦で羽生は稲葉に敗れ
名人位挑戦の目をほぼ絶たれたが
その勝負を初手から終局まで眺めていよう
人間が引き起こす現象以外の現象には
どうあがいてもどう抗っても俺たちゃ太刀打ちできないのよ
頭を垂れ、ただひれ伏すしかない
そういえば高2の時「雨が雪に変わる朝」と気障なタイトルをつけ
以下のような詩を書いた
寒くなった 寒くなってきた ああ起きたくない
あしたはもっと寒いんだ
寒くなった 寒くなってきた 臍の芯からかじかんで
君がどんどん縮こまる
寒い朝は為す術がない あまりに寒くて 吐息も凍えて
君に振られてしまいそう
寒さに弱いのは嫌いなのは昔のまんまなんだけど
今のおいらには
もうこんな詩は書けねえ



暇潰し穀潰し


ぼくは穀潰しではない、暇潰しだ
ぼくの半生は暇と共にあったと言っていい
そりゃ忙しい仕事に就いたこともあった
残業を4時間5時間としていた時期もある
でも暇を手放そうとはしなかった
弄ぼうと試みた
時間を放置する、そこが暇を弄ぶコツだ
暇は万人に平等に降りてくる
どんなに傲慢な男にもどれほど高慢な女にも
暇は取り付く、暇は人を選ばない
権力が好きな奴らやそれに擦り寄る奴ら
彼らは暇潰しに権力を使いたがるのではない
弄ぼうとそれに取り入るのではない
あいつらは暇が怖いのだ
暇から逃れようともがいてのたうってそれでもどうにもならない自分を
誇示するには権力を振りかざすしかないのだ
暇を愛せないなんてなんてつまらん連中だ
暇の潰し方にはいろいろあるが
ぼく一番の方法は当然酒を飲むことだ
飲み過ぎて意識と共に暇もどこかに行っちゃった
てなこともよくあったが
その余韻を脳みそは覚えていた
そいつが今のぼくを作ってくれたわけだ
残り暇があとどれくらいなのかは知らないが
せっかくの暇だ
丁寧に丹念におまけに慈しんで
潰していければなと願う



背骨


おっ立て
尾ひれをつけりゃ
あらあら不思議
カナヅチだって泳げちゃう
背筋伸ばして
背骨を立てて
おいらひとりで旅に出る
猫背で短小のおいらだが
床に直接仰向けりゃ
背骨しなって
尾骨がうたう
背筋伸ばして
背骨を立てて
おいらあしたへ舵を切る



煙草個人史


ほぼ40年振りに下田逸郎の「タバコ」を聴いた
ユーチューブで映画や将棋を見ることに清志郎や拓郎を聴くことに
飽き飽きしていた うんざりしていた
そんな気分が横浜放送映画専門学院時代樋野さんから下田逸郎を
それとなく勧められた記憶を蘇らせた
早速下田逸郎と検索し出てきた曲から「タバコ」をクリックした
結局ユーチューブからは逃れられなかったわけだ
初めてタバコを手にしたのは小4の時だった
おやじと歩いていた 少し後ろを歩いていた
前から来た男がタバコを投げ捨てそのまま通り過ぎた
それを拾い上げ口に持っていき吸うのではなく吹いた
どうってことなかった
おやじが振り返り
バカ、何やってんだ
と言った
何かおやじに訴えたいことでもあったのだろうか
小学6年にもなればタバコは吸うもんだと心得ていた
その頃朝散歩の習慣があった
霧降大橋の歩道に捨てられていたタバコの煙が
淡い日差しを透かして朝靄にもやっていた
吹かずにちゃんと吸い込んだ
それから高校を卒業するまでタバコに触れることはなかった
上京しひと段落するとハイライトを吸い出していた
よしだたくろうがハイライトという歌をうたっていた
銭湯が55円でハイライトが75円だった
兄貴はピースを吸っていた 缶の時も箱の時もあった
Yことヤスオちゃんのおとうさんは峰だった
家出少年マサジはショートピース
樋野さんはチェリーで和田さんはいこいがなければわかば
安斉は何だったろう 吸ってはいたんだろうが
大将がハイライト サイちゃんはショートピース
ヒロヨシは多分セブンスター系
酔うと強引に舌を差し入れてきた研さんはゴールデンバットだった
ひとみさんもぼうさんもモッドも吸ってはいなかった、と思う
一番吸っていた時期でもひと箱は空かなかった
徐々に本数は減っていった
口寂しく暇を弄ぶ余裕のない時だけ買いに走った
40代に入ると貰いタバコに専念することにした
それでもねだるのは酒が回りはじめてからだ
55の頃姪のだんなに貰って玄関先にしゃがみ込んで吸っていると
急にくっらっときてオデコがコンクリートを叩いた
オデコの左上の部位が卵大にピンク色に染まった
かすかにだが今もその名残はある
還暦を越え貰いタバコもきっぱりやめた
っていうかたかっていた人たちが
誰も吸わなくなったのだ



夢を夢見る


10年前の自分も10年後の自分も今の自分とは別物だ
ということを何回か言った
まったくその通りで人間は俺たちはその刹那にそこに
あることでしか生きていることを証明できない
実感もできない
いくら長生きしようが10年前のいや今さっきの空気でさえ胸いっぱいに
吸い込むことは不可能だ
これまたまったくその通りなのだが
人間の人格や性格、性質や体質はそう簡単に変わるものではない
変えられるものでもない
少なくとも俺の片意地で気の小さい性質は幼稚園の時から
変わっていない
宝くじを買うと眠れなくなる
当たったらどうしようかと考えてしまうからだ
まず誰にいくらやろうかと分配方法で頭を悩ます
これだけであっという間に3時間ぐらいが経過してしまう
次に考えるのがどうやってあるいはどう言って
その時にしている仕事をやめるかということだ
正直に宝くじに当たって働かなくてもよくなったので
ではあんまりだろう
やむにやまれずこれまでに数百か所の仕事場をやめてきた
いろんな言い抜けを考えた
長野の茅野の修学旅行とかの団体客相手のホテルをやめる時には
円形脱毛症になっちゃったんで
という手を使った
癖になるのか若い頃は何度もハゲて身近な存在だったし
が、今振り返れば冷や汗ものだ
なら、見せてみろ
と切り返されたらいったいどうなっていただろう
極めつけは、耳鳴りがひどいので、だ
八丈島から目と鼻の先の青ヶ島で護岸工事に従事していた
といっても働いたのは1日だけだが
足場の上を歩くことが移動することがどうしてもできなかったのだ
この時初めてこの手を使った
耳鳴りは実際にしてもしなくても本人にしかわからない
医者だって本人がするというものを覆すことはできない
拍子抜けするほどスムーズにやめられたが
海が荒れてフェリーが出ず1週間足止めをくった
いや、宝くじに当たったらの話だった
例えば、周りのみんなと和気あいあいとやっている職場を
耳鳴りがひどいので、の一言でやめてしまっていいものだろうか
しかし虚心に正直にロト6で1億円当たりましたと申告すれば
噂はあっという間に広まって面倒なことになるだろう
いっそのこともうひと頑張りして契約いっぱい働いてしまおうか
と、そんなこんなをあんなそんな考えているうちに
夜はきれいさっぱり明けてるって寸法だ
宝くじに当たったら、って考えちゃうと眠れない
眠れないと夢を見ることができない
となれば夢を夢見るのもむずかしい
うーん、宝くじに当たったらなんて夢想はしない方がいいのかもね
でもよ、そいつが俺の唯一無二のこの世での夢なんだがなあ



日向ぼっこ 中学卒業を前に


感じるほどではない寒さの中でほのぼのとした太陽が全身を照らすと
気持ちのいい脱力感がある 
空は青く高く突き抜けて深い
校庭は校舎より一段低く段差は芝生のスロープで
寝っ転がるには絶好だ
校庭の向こうは若杉町であっちこっちの屋根のトタンがアトランダムに
キラリと光る
もっと向こうの国道119号は見えないが
しょうもなく聞こえてくるダンプのエンジンの唸りが
脱力感に拍車をかける
そのガソリンの切れ端だろう
風に紛れてさすらって鼻腔をくすぐるようにも思うのだ
さてさてさてさて
もうじき昼休みは終わりだが
できればこのままずっとどこまでも果てしなくこのようにこんなふうに
沈没していたいのだ



兄貴


が死んで10年になる
9歳違いだが幼い頃はオヤジと同じように
何の躊躇もなく尊敬していた
中学の時は生徒会長で県で一番の高校へ学区外からいった兄貴は
自慢であり誇りだった
浪人中の兄貴が国鉄巨人のナイターへ連れて行ってくれたことがある
国鉄の先発は村田だった
神宮球場は狭く右翼は90mしかないが90と書かれたフェンスの
丁度0の真ん中に一塁手の左肩をかすめた王の打球が突き刺さった時には
ひっくり返った 運よくそれはファールだったが
試合は国鉄が3-2で勝った
帰りの電車でバナナを食べた
日光に着いたのは0時1時を過ぎてもう2時近かったがあの頃は
そんな時間までまだ電車が走っていた
大学生になった兄貴は帰省すると
焼きそばを買ってこい
と必ず言った
焼きそばの他にも雑多なものを売っていた「千代乃や」は
東武駅前「ほていや旅館」の横っちょにあった
鍋を片手に買いに行くのだが立ち上がるのも大儀そうなお千代さんの作る
ギトギトに脂ぎった焼きそばはぼくも大好きだった
成長するに従いオヤジのことはどんどん嫌いになったが
兄貴に対してそうしたことはなかった
今でもある種畏敬の念を抱いている
ただ9歳の年齢差は当たり前だがずっとそのままだった
余命1年と宣告されてからきっちり1年後に死んだ
死ぬ前だったか後だったか
義姉からブログの存在を知らされた
膵臓がんを公にすることから始まったブログらしい
だが読んでみたいとは思わなかった
義姉にブログの名前を聞いたこともない



年頭に当たって


ぼかあこれで63回目の新年を迎えたわけだが
まあとりあえず年が明けるということは1年があるからだろう
1年というモノが存在しなかったら
年が暮れることも明けることもない
1日が終わったり始まったりするのも
同じ原理システム理屈によるものでけして屁理屈ではない
ぼくの頭がまだとろけきってないのなら
1年は地球の公転で生じ1日は自転で生まれるはずだ
そして多分月は15日か30日をかけ地球を1周するのではなかったか
原始時代のぼくたちは自転も公転も形が丸いってことも知らなかった
でも1日は1年は歴然としてあった
1年が約365日とは知らなくても言葉がなくったって
1日という概念はあったろう
もし1日が3時間だったり53時間だったり1日1日がまったくの
でたらめだったとしてもぼくたちは生きてこれただろうか
ぼくの半分以上とろけてしまった脳みそでは
いくら考えてもわからない
流れ星にあしたはないのだろうか
何かの拍子で地球が流星になっちゃったらもうぼくたちは
生きていけないのだろうか
そうだとしたって過去と未来はあるのではないか
タイムマシンタイムトンネルタイムスリップ
3次元4次元
こいつらいったい何なんだ
バカなおいらにゃお手上げだ
アホなおいらは屁理屈を捏ね回すことで
どうにかこうにか生きてきた
であるからして屁理屈で締めくくる
時は1秒1秒1日1日必ず過ぎていく
ぼくはそう認識している
過ぎ去った過去を取り戻すなんてことは逆立ちしたってできっこない
人は生まれ落ちた瞬間に降って湧いた時間を次々と
切り落とすことで生きていく
与えられた寿命を1グラム1グラム切り捨てながら生を営む
人生が捨て去ることでしかないのなら 俺はそう思うが
俺たちに怖いモノなどないではないか



巻頭のことば


ともだちを脅迫して詩を書かせ「日向没弧」という
同人誌を出したことはすでに言った
それは4号続いたが何かが欲しいと巻頭に
惹句らしきものをひねりだした
僭越ながらそいつを披露したい
1、およそ白人の皮膚の色はおおよそ薄いピンク色をしている
2、この自動車がすべて自転車と化しみんながペダルを
  踏ンダラシャバダバdiscoverjapan
3、金金降れ降れかあさんが今でもくれるよお小遣い
  感謝感激雨霰!
4、あしたあさってやなあさってばいばいさらばいぐっどばい
  さよなら日高さらばじゃ日光



文通


ぼくの初めてのデートの相手はマル田バツ子ではない
文通相手のMさんだ
高校1年の夏休みだった
送り付けた「しあわせ」という詩が「小学6年生」の4月号に載った
13人の女と1人の男が文通しましょうと言ってきた
その中の4人と文通を始めた
Mさんとだけ1度長い中断はあったがずっと続いた
そろそろ会いましょうかとなった
話が少しそれるが浦山桐郎の「私が棄てた女」の中での
主人公と棄てられる女のそもそものなれそめは確か文通だった
Mさんは千葉県市原市東国吉に住んでいた
どんな道順でどのように電車を乗り換え行ったのかは忘れた
待ち合わせた駅も覚えていない
ぼくはMさんに手渡そうと刷ったばかりの詩集を持っていた
何度か述べてきたように高校に入ると詩集を作り始めた
わら半紙にガリ版刷りしたものなのだが「やぶれた風船」と称した
2冊目のやつだった
結局ぼくはそいつをぎゅうっと丸めて背もたれと座席がくっ付き合う
あの隙間へ強引に捩じ込んだのだった
なぜ、そんなことをしたのだろう
読んでもらうのがイヤになったのだろうか
そんなことはない、詩ができれば手紙の最後に添えていた
あまりにもちんけなモノなのでみっともなく感じ出したのだろうか
でもそいつを商品として堂々と売っていた
捨てるならなぜホームとか車内のゴミ箱に放らずにあんなところに押し込めたのだろう
今考えてもさっぱりわからない
文通を始めた頃Mさんの修学旅行の写真が送られてきたが
集合写真だし何年も前のものだ
自然の摂理として想像を膨らませることになる
電車からホームに降り立ち辺りを見回すぼくにおずおずと
近づいてきた女はそのイメージとかけ離れていた
じきに文通は終わるだろうと瞬時に予感した
それは相手も同じだったろう
ナントカ城址公園を歩きどこかに座ったが
昼飯は食ったのかどうか
どこでどんなふうにバイバイしたのかキレイに覚えていない
ぼくは今も昔もファッションに興味を持てない男だが
あん時の服装は目をつぶってもくっきりと甦ってくる
我ながらダサい恰好だった
Mさんはぼく以上のたくろうファンでもあった
Mさんに会う前のぼくは
彼女と連れ立ってたくろうのコンサートを聴きに行くプロセスを
幾通りも夢想したものだ



俺は一休〔いっきゅう อิคคิว〕だ


俺はよも助だが一休でもある
タイのチェンマイのタイ人たちは俺を一休と呼ぶ
ちょっと前まではその辺を歩いていると
あっちこっちから一休と声が掛かったものだ
ちょうど二十歳の時半年間だけ俳優の養成機関にいたことがある
仲間たちは俺をトニーと呼んだ
なぜ彼らは俺をそのように呼ぶのか 呼んだのか
一休と呼んでもかまわない、っていうより呼んでほしい
いくら俺だってトニーと呼ばなきゃぶっ放すぜ
とかなんとか俺自身がお願いしたからだ
どんなに底意地の悪い男でも
凶悪な前科持ちの女でも
他人様からこんなふうに呼んでもらいたいのと頼まれて拒否する
奴はまずいない
~そのフクダさんていうのなんかおかしくない?
ある時マル田バツ子が言った
~じゃあなんて呼べばいいの
と俺は聞いた
~そうね、うーん、やっぱりフクダさんでいい
俺は一度たりともマル田バツ子を
フクダとかレイコさんとかレイちゃんとかレイコとか
呼んだことはないし呼んでみたいと思ったこともない
フクダさんで十二分に満ち足りていた
一休と所かまわず親し気に声を掛けてきた
9割がたは女だ
その半分に見覚えがなかった
といってうろたえる必要はなかった
彼女らの身元は割れている
間違いなく風俗関係の店に従事している方々だ
10年ひと昔、50を少し越えるあたりまで
そうしたところへ足繁く通った
我を忘れるくらいに酔わなければそういったところへ
足が向くタイプではない
彼女らを思い出せないのはそのせいなのだ
ただこの5、6年2回の例外を除けばそうした店には
行っていない
行っても意味を為さなくなったからだ
おかげで一休と呼び掛けてくる者たちも
いなくなった
気がつけばタイ人のともだちもどこかへ
いなくなった
ここらが潮時だろう
今回の滞在を最後にチェンマイは
引き上げる



飛び火


自分で言うのもなんだがガキの頃の俺は繊細だった
研ぎ澄まされた感受性の持ち主だった
一週間に一度は死の恐怖にのたうち回っていた
大江健三郎は「芽むしり仔撃ち」の中で
内臓の押し合いへし合いとその恐怖を表しているが
内臓の外壁と皮膚溜まりの内壁の押し合いへし合いとした方が
的確な気がする
そいつは外壁と内壁の隙間を絞り上げるように
這いずり回るのだった
無論のことその恐怖は脳みそなんかで汲み取れるものではない
俺が小学三年の頃
アメリカの飛行機が北ベトナムに
枯葉剤を撒かない日はなかった
ナパーム弾を落とさない日もなかった
午後の六時台俺んちはNHKを見ることになっていた
天気予報が終われば七時のニュースになる
トップニュースは九分九厘アメリカによる北爆だ
俺はそれを見るのがイヤで素早くチャンネルを替えようとする
意地悪な二人の姉はそんな俺を面白がって押さえつけにかかる
時々俺は泣いてしまった
ベトナムの人に同情しかわいそうで泣くのではない
戦争が拡大し巻き込まれるのが怖くて泣くのだ
同じ頃東照宮の鳴き龍の入った建物が焼けた
明るくなった空が二キロ離れた俺んちの窓からも見えた
こん時も泣いた
鳴き龍の火が飛び火して俺に乗り移り焼けただれるのが怖かったのだ
飛び火といえば俺が二十四五の頃か
新宿歌舞伎町の昌平という中華料理やで出前のアルバイトをしていた時だ
飛び火になった
最初は額にバンダナなんかを巻いていたがそれじゃぜんぜん追いつかない
抗生物質で一発と聞いて病院へ行った
どうせ行くならと信濃町にあった厚生年金病院に行った
マル田バツ子がそこで働いていた
そのあと西新宿の角筈クリニックというところに移ったらしい
だがそれはあくまで噂だ また聞きだ
まだそこにいることも考えられないことではない
この年になって飛び火だなんてまだ俺が少年の心を持っている証拠さ
決めゼリフも用意していたが奇跡は起こらなかった
これってストーカー行為ではないはずだ
飛び火は一晩できれいさっぱり消え失せた
六十二歳の今、俺の感受性は月日の流れに擦り減り鈍麻し
使い物にならなくなった
死の恐怖に襲われるのも一年に一回程度で
長く続くこともない
幼かった頃は、それが永遠に続きどうにかなっちまう
新たな怯えに震えあがり
風呂場に駆け込んでは何べんも何べんも顔を洗ったものだが
当たり前だがあした死ぬ可能性は昔より今の方がはるかに大きい
そのくせ金もないのにのっぺりと快適に一日を送れるのは
すっかり麻痺してしまった感受性のお陰だ
つくづくありがたいと思う



ビエンチャンアンタッチャブル パート4


またまたまたまた、何回目なのか覚えてないが
ビエンチャンに観光ビザを取りに来たのだ
で、思うのだがコトバはいらないのではないか
今朝は5時に起きてメコンの川べりを走った
そのつもりだったのできのうは330mlの缶ビール4本とビール3本とに
軽く抑えておいた
朝飯は、菜っ葉の漬物、ナムプリック、ゆで卵を八角で煮込んだ奴、もち米
それとビール2本で32000ギープ
ラオスは押しなべて食い物が高いが安くあげるなら
もち米のある店に限る
予想以上に安かったので気分を良くして持ち帰りに
500mlの缶ビール1本と切干大根もどきのおかず5000ギープを追加した
11時半にチェックアウト
ビザの受け取りは13時半からなので時間潰しにタラードサオと向かい合う
バスターミナルに寄り添うようにごちゃごちゃっと並んでいるめし屋に入って
ビール3本、おかず2品
さて、パスポートを受け取る前にノーンカーイ行きの切符を15000ギープで購入
パスポートが必要なのだが代わりにパスポートの受取証でもOKなのね
この辺ぼかあ旅慣れているっちゅうわけね
1000バーツと引換えにパスポートを返してもらったが
バスが出る15時半までまだかなり時間の余裕がある
領事館を出てすぐそこのホテルのレストランでビアラオを注文したのだが
15000ギープと言われ即、席を立つ
普通は10000ギープ、シップパン、シップパンよ
次に入った店はなんだか得体の知れない店で奥のテーブルでチンチロリンを
やっているのだ、といってもテーブルは二つしかないのだが
俺はビールの他に煙草2本を1000ギープで手に入れる
煙草吸うなんていったい何年振りのことだろう
ラオス側のボーダーではああしろこうしろそうしろと散々注文を
つけられたがここが我慢のしどころとおとなしく指示に従う
で、バスに戻ってみれば何のことはない
まだ手続きを終えていない輩が大勢いる
ふと目を放てば20m先に葉ぶりのいい一本の木がある
別に俺は切羽詰まってはいなかったのだが念の為にと幹にやさしく寄りかかり
小水を投げかける
さてとバスに帰ろうとすればそのバスがいない
そこにもここにもどこにも影も形もない
これはエライことだと69バーツで買ったサンダル脱ぎ捨てラオス日本友好橋目指して
一目散に走りだす
俺は裸足のランナーだ
だがタイ側のボーダーに着くまでに7回も歩いてしまった
案の定バスはどこにも見当たらない
入国手続きをあくまでも冷静に済まし先を急ぐ
ノーンカーイのバスターミナルまで150と吹っ掛けてきた男は無視し
50と言ってきた乗り合い軽トラに乗り込む
女子高生らしい先客が2人いたが50バーツで独り占めはできないので仕方ない
着いたが1000バーツ紙幣が2枚だけだ
運転手に釣りはない
そんなことより俺はバッグを取り戻さなきゃならない
国際バス切符売り場のボックスで切符売り嬢に向かって俺は滔々と事情を
ぶちまけだした
俺を置いてバスは行ってしまった一体全体俺の荷物はどこにあるんでえ
ところがどうだ一体全体ダ、ダ、ダ、ダ、ダ俺のタイ語がまったく通じないのだ
俺に代わって軽トラの運転手が何事か物申し始めた
これも俺には聞き取れなかった、俺は30年タイに住んでいるのに
運転手が俺の左肘を捉えた
あっちに導かれそっちに引きずられこっちに着いてみれば
昔懐かしい俺のバスがいるのだった
一番前の座席の下に姪から貰ったL,L,Beanの黒バッグが鎮座していた
さて運転手に料金を払わなくてはならないがまさか50というわけにはいかんだろう
運転手に目配せして俺はセブンのドアをこじ開ける
いやもといセブンのドアは自動であった
ビールで1000バーツを崩そうと思ったがここにはアルコールが置いてない
仕方ないので12バーツのキットカットを買った
運転手の手のひらに100バーツ紙幣を1枚2枚3枚と置いていく
4枚目を乗せようとした俺の右手の甲を彼女の右手がつまんできた
いや正直400はちと多いと感じていたので助かったのだった
コトバはいらないのではないか
俺には少なくともタイ語はいらない、必要なかった
信じればコトバがなくとも国家がなくとも何とかなるのではないか
ここ、とは、ノーンカーイのバスターミナルのことだが着けば必ず立ち寄る店がある
そこの外に出してあるテーブル席に座ってビールを注文して
気づいたのだった
俺はほんとうに久方ぶりに半立ちの状態になっていたのだ



俺はお前が


キライなんだよ
反吐が出るほどキライなんだよ
お前がしゃしゃり出てくると虫唾が走る
だいたいお前はエラそうだ
働けだと、働くのは義務だと
ざけんじゃねえ 
働くのは罪悪だ、労働は人を不幸にするだけだ
貧しい俺からさんざんむしり取っておいて
まだ働かす気かよ、気は確かか
もう金なんかいらねえよ
心あたたかい人に恵んでもらうよ
俺がどこで物乞いしようがごたごた言うなよ
学校へ行けだと
ホントは俺ガッコなんか大嫌いだったんだ
行きたかあなかった
俺がこの宇宙のどこで寝ようが俺の勝手さ
俺がこの地球のどこを耕そうが俺の勝手さ
そうだった、俺は自給自足がしたかったんだ
俺の耕す土は、俺の小便を待ち焦がれてる土は
いったいどこにあるんだい
俺を11桁の数字にしたり12桁にしてみたり
やることがせこいんだよ
俺が今市をママチャリで走っていた時だ
パトカーが擦り寄ってきて歩道は危ないから車道に出ろと言った
次の日同じ所を走っていたらまたパトカーが近づいてきて
車道は危険だから歩道に乗れと言った
がたがたつべこべ四の五のうるせえんだよ
だいいちスピーカーの音量でかすぎるぞ
近所迷惑傍迷惑だ
俺はどんなにキライな奴でも殺したいと思ったことはない
ただお前は別だ、刺し違えてもいい
あしただ、あしたの朝5時
ケツ洗ってワセリン塗って
三本杉で待っていろ!



天井裏を


どっどっどっ、どっどっどっ、と怒涛のように
風の又三郎が走ってる
又三郎は鼠ではない
といって、いくらなんでも猪ではないから
ほぼ間違いなく猫だ
4ヶ月前にこの101号室を借りた
となりはヘアファーストサロンという美容室で
そのとなりが中古の靴を床にうず高く積み上げて売る店
そのまたとなりはフロント
この部屋は1階部分の端っこにあるが2階から上は普通に秩序だって
部屋が並んでいるからきっとこの上は201号室だ
そこの住人は又三郎に気づかないのだろうか
4ヶ月前すでに又三郎は上にいた
その駆けずり回る響きは確実に迫力を増してきている
行き違いがいくつか重なって又三郎は天井裏に迷い込んでしまったのだ
そして岩屋の山椒魚のように出られなくなったのだ
食う物には困らない
1日最低10回天井裏を引っ掻き回す物音は
又三郎が鼠を追い回しているのだとしか考えられない
又三郎はすくすくぬくぬく肥満化してるにちがいない
直接の被害はないがこのことを誰かに伝えるべきだろうか
だが、フロントの太めの姉ちゃんに打ち明けるとして
事の成り行き実態を正確に言い表せるだろうか
最近自分のタイ語能力にすっかり自信をなくしている
仮に伝わってもこの部屋が又三郎捕獲の拠点にされてしまう
可能性は大いにある
トイレの天井の隅端をちょこっといじれば天井裏に
這い上がれそうなのだ
そうなったら面倒だ
どうせあと2ヶ月で日本へ引き上げるのだ
かようにこの世は人生は悩ましい
こんな悩ましさとは関わらないように生きてきた
いや、関わり合おうとしたこともあったが
うまく関わり合い切れなかった
又三郎はそのままにして日本に帰ることになるのだろう



めまい


精魂込めて泥酔したその一日後にそいつはやって来た
これまでもめまいにはたびたび見舞われたから
「五塔標行軍散」という漢方薬で対抗したり
その原因を枕をせずに寝ることとして枕を使ったりもしたが
日常生活に支障があるわけじゃなし病院には行かなかった
だが、今度のやつは一味違った
立ち上がれなかったり立ち上がっても体がくるくる
回ってるようで立っていられなくなる
酒がまだ残ってるんだろうと一日放って置いたが
ママチャリで買い出しに出て振り返ろうとしたら
いとも簡単に転んでしまった
危ないところだった
軽い脳梗塞を恐れ
ネットで検索詮索探索をして調べに調べた
おかげでめまいにはすっかり詳しくなった
めまいの監督はアルフレッドヒッチコックで主演女優はキムノヴァクだ
だが、ヒッチはグレースケリーがモナコの公妃にならなかったら
グレースケリーで作りたかったんだそうだ
もし世界に女がこの二人しかいないとしたらどちらを
それはつまりハメるとしたらどっちを?ってことだが
俺ならキムノヴァクだ
最初は「椎骨脳底動脈循環不全」を疑った
まあとにかく脳梗塞には関係なさそうなのでとりあえずほっとする
毎日玉葱人参トマトを食している俺に梗塞などあり得ないではないか
さらに調査を推し進めると「良性発作性頭位変換性めまい」で
まず間違いないことが分かった
まさにいまにもめまいを引き起こしそうな病名ではある
これは女子サッカーの澤選手が患って日の目を見た病気らしい
良性の二文字が示すようにこれでノープロブレム万事OKマイペンライだ
この一週間走らなかったし縄跳びもしなかった
軽めのストレッチも控えてきた
普段は起きると今朝はさぼろうと心に決めていても
走らなくちゃと強迫観念に捉われるのだが
めまいなら大威張りでさぼれる
めまいが教えてくれたのだった
生きていくのに必要なモノは
毎日走ることではない 泥酔することでもない
もちろん金でも愛でもない
生きていくのに必要なのは
めまいを見切ってそこにあり続けること
ただそれだけだ



老いを知るということ


フルチンフリチンどちらが正しいかと調べてみたら
どちらも間違いではないそうだ
チェンマイで暮らす間気温の下がる12月1月を除けば
部屋にいる時はフルチンで過ごしている
もちろん上半身にも何も身に着けないから
滅多にないことだがドアがノックされるとうろたえる
優雅を気取っているわけではなく
インキン汗疹予防のためだが
あのしつこい汗疹の痒みを思えばまだうろたえた方がいい
この部屋にはトイレと洋服ロッカーに鏡がついているが
62歳の初期高齢者の男としては鏡はよく見る方だろう
全裸でナルシストのぼくなのについこないだまでまったく気づかなかった
それを目の当たりにした時はヤラレタって気がした
ぼくは前立腺肥大だし上の奥歯2本は抜け落ちシミはそこら中にあるし
もう起たないし頭に毛はほとんどない
でもそれって年を取れば当たり前のことだろ?
別にどうってこたあない
だが鏡に写った腋の下に毛がなくなっているのを見た時は
どうにかなっちまった
いったいいつからなんだ!
薄くなるとは聞いていたがこんなにきれいさっぱりなくなるとは
目を凝らせば産毛のような奴が数本点在してはいるが
内村航平ほど神々しくはないが
ぼくだって黒々と光り輝いていたのに
老いるってこういうことなのネ
ってことは一つ年上の額と日本語が貧相な総理大臣の腋も
すっかりハゲ上がってるわけだ
オイ!安倍、同じ腋毛レス同士仲良くやろうぜ
ぼくはホームレスになるから
君は一刻も早く隠居しなさい



4三銀成らず


とかいう声を聞いた気がした
惜しいところだった
もったいないことをした
もうちょっとで眠れそうだったのに
最近ユーチューブで将棋ばかり見ている
だからって4三銀成らずなんて聞こえるはずはない
眠りに落ちそうな予感に気をよくしたのはいいのだが
期待が膨らみ過ぎてそれが不安に転じ頭の奥で
4三銀とかなんとかこねくり回してしまったのだろう
この前も藤井聡太が五段昇級を賭けた順位戦をライヴで見ていた
20時には寝ることにしているので途中で止めて
床についた
しかし眠れない
諦めて起き上がりまたパソコンのスウィッチを入れる
もう一度床にはいる、やはり眠れない、再び起き上がってと
そんなことを数回繰り返し
とどのつまり4時に起きて走るのは断念しアラームを解除したのだ
藤井が勝ったのを知ったあとも他の棋戦を追いかけて
3時まで起きていた
似たような日が続いている
別に将棋を愛してるわけではない
映画を見る根気がなくなり歌を聞く元気もないので
将棋を眺めている
その時間の流れが性に合ってるようだ
藤井聡太が贔屓なのでもない
昔は先崎学のファンだったが
弱くなりすっかりふやけてしまった
ふやけてしまったから弱くなったのかもしれない
どうもこの雑文には明確なテーマがない
曖昧なテーマも見えてこない
つまり主題がない
まるでおいらの人生だ
のんべんだらりんのっぺりぞっぺり
俺の人生は過ぎてきた
人生にテーマなんぞはいらない
さて次の文章の主題は何でしょう?
という国語の設問が大嫌いだった
そんなこと書いた本人にしかわからないじゃないか
いやその当人にもわからない可能性も大いにある
主題なき曖昧な人生だからこそ
人は何とか生きていけるのではないか
めまいはすっかり良くなったが2週間走っていない
20時前に寝に入っても眠れずに起きてしまうこの頃だ
で、夜中まで将棋対局にうつつを預けている
もしかしたら、万にひとつだが
俺のあずかり知らぬところでおいらの棋力は
大幅にアップしているかもしれない



ママチャリブルースパート3


  無事アパートに帰りましたか?
サラピーのヨモチャン最後のダンス楽しんで貰えたでしょうか?
  いろいろありがとうございました。
なんと久方振りにベッドの上でねていました。
自転車には乗ってきたんでしょうか?
これから確認してきます。
自転車ありませんでした。
リンピンから乗った記憶はあるのですが。
チェンマイ滞在30年で少なくとも15台は買いました。
ママチャリばかりではありません。
ドロップハンドルのギア付きを買ったこともありました。
1週間でなくしました。
パシフィックマンションは今もあるはずですが
地下に降りていくとカラオケ屋がありました。
裏側は広大な空き地でそこに自転車を置いて何度も通ったものです。
ジョウというメーホーソン出身のタイヤイの女がいて
そいつはちっとも美人じゃないのにその子を前にすると
条件反射のように勃起してしま うのでした。
ある時その子がトイレに行って代わりにママさんが隣についたことがありました。
ママさんは呆れた顔でおいらの股間に目をくれたものです。
ここいらが潮時です。
もう自転車は捜しません。
付記
地下へ降りていく階段は建物に向かって右端にあったが
階段をまだ降りきらないうちに吉田拓郎の「とんとご無沙汰」のイントロが
流れてくるのだった
ぼくはお馴染みだったのだ
あの広大な空き地はまさか今はないだろう
その日冗談で自転車を空き地のど真ん中にポツンと置いたのだ
例によって泥酔し起きるとちゃんと部屋で寝ている
何か食おうと下に降りるといつもの場所に自転車がない
そうだった
きのうはジョウのカラオケ屋で飲んだのだ
ぼくの記憶はめずらしくクリアーだ
ドロップハンドルの高級自転車を置いた位置までしっかり覚えている
ところがどうだ空き地のどこにもここにもそこにも
自転車の影も形もないのであった
さて、もう自転車は捜さないと格好いいことを書いたが
よくよく考えたらビザの延長に10キロ離れたプロムナーダまで
あと1度行かねばならない
というわけなので1日置いたきょうママチャリを捜し歩いた
リンピンにあった
リンピンから乗ったというぼくの記憶はどこから来て
どこへ行ってしまったんだろう



だからなんなんだ


これまでにここに書かれたきたものは
傍目から見れば、ぼく自身が読んでも
だからなんなんだ
と茶々を入れたくなるものがほとんどだ
それはつまりこれまでの俺の人生が
だからなんなんだ的だったんだ
ということだろう
でもまあ人生ってそんなふうなもんだろうし
だからなんなんだ!



五木寛之と吉田拓郎


は俺の人生に最も影響を与えた二人だが
高校の時、拓郎がパーソナリティーを勤める
オールナイトニッポンかセイヤングかパックインミュージックに
いきなり五木寛之がやってきたことがある
予定されてた出演ではなく飛び入りだった
疾風のように現れて疾風のように去っていった
俺は大興奮したが二人は互いに好感を持たなかったようだ
井上陽水とは「青空ふたりきり」という対談集まで出しているのに
その後五木寛之が吉田拓郎について触れたことはない
そんなことを後生大事に時折思い出すのは俺ぐらいのもんだと
高を括っていたわけではないが
イヤびっくりした
ついこないだ、その時のやり取りを録音したものがアップされ
俺のパソコンにユーチューブのあなたへのおすすめの欄に
突如として出現したのだ
俺が抱いた印象に修正を施す必要はないようだが
もし俺が俺でなかったらそのアップされたものが
俺のパソコンに顔を覗かせることはなかったはずだ
大変な時代になったものだがそれをどのように受け止めるのか
測りかねている



肉離れで


走れない
無理をすれば走れないこともないかもしれないが
無理はしないことにした
最近レースに出てもまともに走れたためしがない
前回のレースは1ヶ月以上前だがそれ以降左の脹脛に違和感を覚えて
ずっと走っていなかった
この前久し振りに走ってみたら途端に肉離れだ
しつこい筋肉痛が喜び勇んでここぞとばかりに肉離れ化したのだ
筋肉痛にも肉離れにもきっと言い分があるはずだ
言い分は聞いてあげるべきものなのではないか
クボタ農機とは〔便宜上俺が勝手につけたあだ名だが〕
おにぎりを売っていたパヤオで知り合った
俺より10歳下で口が上手く首が太くつまり太っていて
2人で酒飲んでバカを言い合えば天下無敵だった
タイ人の嫁さんがいて子供が1人いた
2人目を身ごもっていた彼女が
テラス式カラオケ屋で飲んでいた俺たちに何の前触れもなく音もなく近づいてきて
いきなりクボタ農機の横っ面を張り飛ばした時にはひっくり返った
またおにぎりの店にこっそりやってきて
うちのダンナはああ見えて身体が弱いからあまり誘わないでくれろ
と懇願したこともあった
誘いをかけてくるのは100%農機だったが頷いておいた
クボタ農機には離婚歴もあるのだが相手のフィリピン人は別れた後も
南相馬の実家で農機の両親と一緒に暮らしているのだという
そのクボタ農機に70000バーツ日本円で20万円貸したが10年過ぎた今も
貸した状態のままだ
もう返っては来ないだろう
お互い居所も分からなくなってしまったし
クボタ農機にも言い分はあるだろう
初めのうちは返す気もあったかもしれず
少なくとも少しは俺を楽しませてくれた
その報酬分と捉えているとも考えられる
エークเอกには8000バーツだ
貸したのは15年前でその半年後に5歳年下のエークは死んだ
これまた口から先に生まれてきたような男で
調子いいのも噓をつくことに自覚がないところもクボタ農機にそっくりだった
チェンマイで初めて借りたアパートはタニン市場の裏手にあったが
一軒おいた隣がエークの店で週に5回は通ったものだ
一軒家の貸家には庭もあってそこにジュークボックスとテーブルを置いて
酒を売っていた
ポウムพ้อมというパートナーとビアเบียร์とブンบึงの2人の息子がいたが
出会った当時ブンはまだポウムのお腹の中で
それが今ではワロロットに店を構える30前の立派な入れ墨師だ
エークの店には常時何人かデックスープเด็กเสร์ฟ〔女給〕もいて
金額が折り合えばやることもできたが
ぼくはエークに弱みを握られるのを恐れて貞操を守り通した
エークがぼくとポウムとの仲を疑いポウムを殴りつけた
と教えてくれたのもデックスープの1人だった
知り合って何年かが過ぎるともうぼくの方からは連絡をしない
ようにしていたがある真夜中突然訪ねてきて
ブンが高熱を出したのでチャングプアク病院に来たのだが
現金がない、4000バーツ貸してくれ、と言った
眉唾物だと思ったが貸してあげた
それから2時間後にまたやってきて
足りなかったからあと4000バーツ寄こせ、と言う
貸さないなら梃子でもここを動かないぞという凄みがあった
これで縁を切ることができると結局は貸した
日本に帰り半年働いて戻ってみると
エークはエイズで死んでいた
あの時傍目から症状は見えなかったが
エークは気づいていたのだ
それがエークの言い分にもなる
どうせ死んでいくのなら金をいくら借りたところで
屁にも負い目にもなりはしないと
当時進行を抑える薬はまだ出回ってはいなかった
ぼくは平気でエークの嘘の片棒を担いだし尻拭いも何度かした
エークはぼくをともだちと思っていたかも知れない
きっと嫌いではなかった
ぼくから金を借りる行為そのものが2人の友情の証ではなかったか
肉離れにもクボタ農機にもエークにもそれぞれの言い分があった
とすればこの地球上には70億個以上の言い分が溢れひしめき合ってるわけだ
それを全部受け入れるのは生半可なことではないし
人の道から外れてしまう心配もある
だがそれでもあえてなお
そういう人間にわたしはなりたい



川中子はぼくに


何の断りもなく死んでいったが
よくよくつらつら考えてみれば
誰だって人はみな誰にも断りなく死んでいくのが筋なのであって
現にこのぼくも
何の断りもこだわりもわだかまりもたかまりもためらいも
そしてまためまいも耳鳴りも立ち眩みもなく、心静かに
ひとり
死んでいこうと願ってる



普段通りに


いかない時がある
普段通りが一番楽ちんなのは
重々承知なのだが
祭りを懐かしく思うことがある
誘われれば応じる
気が付けば祭りのあとだ
祭りのあとは、どうしようにも、どうしようもない、あとの祭りだ
若い頃は心身ともに動揺した
死の恐怖にさいなまれた
人生にいたずらに場馴れした今はそれほどではないが
吐く息が饐え、心臓の脈打ちがこぼれる
普段通りにはいかなくなる
何もすることができず
トイレとめし以外は
体仰向けて心放りだす
もし仕事持ちの身だったらまちがいなく投げ捨てる
俺はそうやって何百という仕事を失ってきた
朝、起きたら、隣に女がいた
なんてことはこれまでに一度もなかったが
朝も昼も夜も真夜中も
普段通りが一番いい



大森兄弟


神野敬介という20歳の男を主人公に
某映画専門学校の夏休みの課題として書いたシナリオは
RCサクセションスローバラードの歌詞をそのままなぞりタイトルもいただいた
まったくのパクリだった
兄弟といえばマラソンの宗兄弟飛行機のライト兄弟三味線の吉田兄弟
映画化もされた江國香織の小説間宮兄弟といろいろあるが
ぼくにとって一番身近な兄弟はこのサイトにも何度か登場した
大将ヒロヨシの大森兄弟だ
ぼくと兄貴は9歳違うが大森兄弟は年子だ
大将と知り合って1年半後にヒロヨシが上京して来た時
大将が働く渋谷道玄坂ガード脇の居酒屋「ちっちゃな赤鬼」で、ちょうど
飲んでいたぼくはハチ公前まで迎えに行かされた
そしてそのままぼくのアパートに居候することになった
銀座8丁目にあった天ぷら屋天国でのバイトを21時半で終え
目黒本町のアパートに帰り着いてからシナリオに取り掛かるのだが
時々ヒロヨシが話しかけてくる
すべて女の自慢話だった
親しかったのは大将だったのだがだんだんとヒロヨシの方へ
移行していく
いろいろあったが10年20年と時は過ぎ大将が都落ちしヒロヨシが続き
ぼくもアパートを引き払った
5年前チェンマイからの帰り関空で降りて倉敷に立ち寄り
20年ぶりの再会を果たした
最後まで東京に居座っていた2人の幼馴染みサイちゃんも嫌いなはずの実家に
戻っていて3日3晩4人で飲み上げた
その1年後に肝臓をやられてサイちゃんが死んだ
またその1年後には建設現場で作業中居眠り運転のダンプカーに突っ込まれて
大将が死んだ
当時2人は一緒に住んでいてずっと身体を壊していたヒロヨシは大将に
養われる形になっていた
それが有利に働いて何はともあれヒロヨシは一生食うには困らない
身の上となった
そのおこぼれというんじゃないのだろうが
飲ませてやるから倉敷まで出て来いという
墓参りをかね高速バスを飛ばしておととし去年とお世話になった
きっと今年も行くだろう
スローバラードは入選作に選ばれあの「君の名は」の監督元祖慶應ボーイ大庭秀雄をして
ことによったらこの作者は近い将来日本映画界に旋風を
巻き起こすかもしれない、とさえ思ったとその選評で言わしめている
ぼくの人生にもしイケイケドンドンの時期があったとすれば
その時だ
己の可能性をまだ素直に信じていた
ウンコしてやると仲間に見栄を切り横浜駅構内の人だかりの中
実際に脱糞したりした
天国の洗い場に女子高生が2人やって来た
裏口の引き戸を開けた右側にピンク色の上っ張りを着たマル木バツ美を見たその時
目の前がパアーっと明るくなった
正月に帰省中、電話帳で池袋のマル木という消火器やを調べると
すぐに見つかった
マル木バツ美は消火器やの娘だった
マル田バツ子に初めて電話した公衆電話からマル木バツ美に電話して
1月3日に天国と目と鼻の先の喫茶店晴れたり曇ったりでの約束を
取り付けた
ことによればやっと素人と一発できるかもしれない
だが待ち合わせの時間を3時間過ぎても
マル木バツ美は現れなかった
ぼくの人生はずうっとことによることのない人生だった
ヒロヨシの居候は2週間程だったがいつからか彼も天国で
働き出して縁は切れていなかった
ヒロヨシによると
ぼくが待ちぼうけをくらった1週間後にはすでに一発キメていた
のだという





に傷をつけたいと
痛切に
思ったことがある
できればこのまま
年取ればそれなりに老けるだろうが
他人の顔は待たずに
死んでいければなと
願う



そんなはずじゃなかった


のに
どうしてここにいるんだろう
こんなはずじゃなかった
のに
なにゆえにさっていってしまったんだろう
そんなはずでもこんなはずでもなかった
のに



だいじょうぶマイマインド


気を抜いて心仰向ける
目を閉じてじっとそっとさからわずに
だいじょうぶ
脱力して脱色して
後頭部と両肩と尾骶骨とふたつの踵で
大地抱きしめ
だいじょうぶ
キミは悪くない ボクも悪くない 誰も悪くない
と、思ってみよう
唱えてみよう
祈ってみよう



市制15周年


を記念して「日光市の歌」の歌詞が公募され
選ばれたのがぼくノだった
だが平成の大合併のどさくさに紛れて誕生した新日光市のおかげで
それはナキモノとなった
船村徹が作曲し尾瀬ひかるが歌ってレコードにもなったが
買わなかった
作詞者の欄は日光市歌制定委員会となっていて
ぼくの名前はなかった
コロムビアの専属作詞家二条冬詩夫が補作したモノはまったくのベツモノで
同じ部分はああ日光の一節だけだった
ぼくが半世紀前に書いたモノは荒木一郎の「空に星があるように」を
参考にというかまっすぐな気持ちでパクらせていただいたシロモノだ
せっかくなので忘れてしまったところは適当にデッチあげ
ここに再現してみる
1、森には水があるだろう
  野には花があるだろう
  ここにあなたが住んでいる
  川の水は流れてる
  きっとあなたも流れてる
  だからみんなも水になろう
  だからみんなで花になろう
  さあもう少しあとちょっと先まで
  歩いてみよう
  ああ日光 世界の日光
2、天には空があるだろう
  地には土があるだろう
  ここでぼくらは暮らしてる
  空の星は生きている
  やっぱりぼくらも生きている
  だからみんなで空になろう
  だからみんなも土になろう
  さあもう少しあとちょっと先まで
  歌っていよう
  ああ日光 みんなの日光



お知らせ


なんだかんだとあって
最近まったく走っていません
なのでサイト名を変更し場所も移動します


です よろしくお願いいたします