3 昭島協会ときどき便り
10月30日
武術太極拳の学習について。
1998年6月、形意拳の学習をと思い、谷川先生に相談、李霞老師に紹介状を書いて頂き、河南省の鄭州に一人でいった。鄭州の体育館に紹介状を携えて言った所、目指す馬老師は出張で不在、代わりに呂老師を紹介された。日本の武術雑誌に呂老師の父君の勇姿が表紙を飾っているのを見ていたので、嬉しさのあまり即決。次の日から一週間指導を受けられることになった。午前中2時間、9時から11時までの学習。次の日から7時前には体育館の近くの公園にいき、集まってくる人たちの体育運動や、社交ダンスなどを眺めながら、公園のフェンスに足をかけ、ストレッチやタントウをしながら練習開始の時間をまつ。向かい側の木立の中で練習をしている若者たちが目に入るが、ひたすら自分の学習がどんな風に始まるのかドキドキしながら時間をまった。
約束の時間の10分前に練習会場で老師がやってくるのを
待つ。
通訳の黄さんと呂老師がやってきて、何をするのか話す。
「四把推」形意拳の基本と六合拳と合わせたようなものだと言うが、イメージが浮かばない。取りあえず絨毯の端から端まで行ったり来たりするようだ。手と足の動作を教えられ、「開始、 走! 快! 快! 快!」足がもつれたり、よろけたりするが、休む間もなく老師の声が体育館の中に響く。頭の中で考える暇もなく老師が「休止」と言うまで続ける。
苦しいけれど嬉しい想いは、付きっ切りで指導を受けられる贅沢な高揚感、何処までついていけるかの自分自身への挑戦、物覚えのわるい私は繰り返し練習しなければならないのだという決意、たった一週間でも食らいついていく気力は養われたと思う。これから三か月近く中国で一人頑張れるような気がした。
私は中国語が話せない。ましてや英語などの外国語を一言も話せないのだ。それなのになぜ一人でいられたのだろうか?公園で練習前にストレッチや柔軟などをしていたら、反対側で練習をしていた連中が近寄ってきて、話しかけてきた。判らないので筆談だ。
「何処から来た?」「日本」「何を習っている?」「呂老師に四把推」「俺たちの老師は燕老師だ」日本の雑誌で知っている。「明日カメラもってこい。俺たちの練習風景を撮っていいぞ」え~?未だかつて人から話しかけられることもなく、近寄るな~のバリアーを2メートル以上は張っていた私にはすごく新鮮だった。