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ひとりだったから歩いたんです
話しかけられる人などいないから急ぎ足だったんです
足が痛いなと感じてもただ歩くしかなかったんです
高山寺の参道も大覚寺の境内も風のように通りすぎたのでした
どこかに腰をおろして一息つく、そんな余裕はなかったんです
のんびり歩くのが苦痛なほど、ぼくはいたたまれなかったんです
足に肉刺ができ破れそれでもまだ歩いたのに
バンドエイドを買って貼りそれからもまだ歩いたのに
ひとりだったから歩いたんです
駆け出しそうになるのをぐっとこらえて急ぎ足だったんです



アルクヨロコビ 再録
 
 
肉離れは癖になるよ、と言われても高を括っていたのだったが
ほんとうだった
56にして初めての肉離れから半年で
右足の太腿、左足の脹脛、右足の脹脛、またまた左足の脹脛と続き
まともに走れた時期がなかったほどだ
保健同人社の家庭の医学ポケット版に肉離れの項目はない
病院へ行く金も按摩を呼ぶ銭もない
どうしたらいいのか
無理にでも走るのか、やっぱし安静が安心か、ナワトビはどうだろう
歩くのが一番なのだった
目覚ましは3時40分にセットしてある
走る時はストレッチを念入りにするのだが
歩きの時は軽く顔を洗い目薬をひとさしして、即、スタートする
7時までの長丁場だからゆっくりでいい
便意を催してもマイミーパンハー問題なしだ
ガソリンスタンド、チェンマイラーム病院、ユニバーシティーアカデミックサービスセンターなどなどすでに数箇所手の内にある
犬に吠えられないよう広く明るい道を選んでは新しいコースを開発する
意外な所に食堂がある、遅くまでやっているのか早くから開けるのか、一度確認しなければならない、ここにはビールが置いてある
土曜と日曜の朝は、バイクの暴走に要注意だ
ついさっきも上半身裸の男が凄い勢いで発車させたと思ったらあっというまにもんどり打った
5時半を目途にペースをあげながら健康公園に突入する、タイにある公園の半分にこの名前がついている
うまく折り合いをつければ一周一キロになる
6時を過ぎて空が明るくなりはじめると、往来は一気ににぎやかになる
ジョキングパンツ乃至タイツ姿の娘もしくは年増の胸またはケツを横目にしてぼくは歩く
団塊、じゃなかった、男根に訴えかけてくる女に出くわすと、7時過ぎでも一周追加したりする
すると女はいなかったりする
朗々と歌いながらしゃなりしゃなり歩く女がいる
#歩く歓びは朝の歓びそれはすなわち生きる歓び、なーのだあ!
と裏声ででたらめに歌ってがなって歩くあるくアルク



もっと歩けばきっと  再録
 
 
またまた自転車をなくしてしまったので 歩いている
チェンマイ滞在はあと二ヶ月だけなので買うのもなんだし 歩いている
タイ人はタイに住む日本人の大半は十メートル先のコンビニへ行くのにもオートバイを走らせるが
ぼくも百メートル先のコンビニまで自転車を漕いでいた
今は
市営グランドへ走りに行くときも
健康公園へ縄跳びに行くときも
市場へ買出しに行くときも
歩いている
「くだんのくだる」という飲み屋兼食堂へ行くときも
気がつけばそこは病室だったという料理好きの男のところへ行くときも
歩いて行く
酒量にも酔い方にも変化はないが 自転車の時より
心が若干余計に弾む
ロシアの農夫の病気に
ある日突然鋤を放り出し地平線に向かってひたすら歩き続けてしまう
というのがあるが
農夫は仕事が嫌になったのではない
地平線に沈む夕日を手にしてみたくなったわけでもない
ただ歩きたくなったのだ
歩き出したら止まらなくなったのだ
ぼくも十年位前起きたら無性に歩きたくて霧降高原よりずっと向こうの六方沢まで行ってしまったことがある
つまり上はTシャツだが下はパジャマ着のまま往復二十二キロを朝飯も食わずに歩き通したのだ
ついでに自慢するがぼくの家と六方沢の標高差は六百メートルだ
その昔高田渡や加川良なんかが
いくら歩いてもいくら歩いても 悲しい気持ちは変わらない
ああああ まっぴらさ
と歌っていた
だがこれはあくまで若い時だけの話だ
年をとれば悲しみなぞという屁にもならない感情は三こすり半で 否
三歩と半歩でズボンの裾からこぼれ落ちる
年寄りには人生に飽いたわけでもないのに
ふさぎこむしかないときが飽かずにやってくる
そんな時こそ歩くのだ
歩いて歩けばふさぎの虫は死んだふりをしてくれる
もっと歩けばきっと
思い出し
笑いを
するだろう




夜と朝のあいだに


的な言い方には
昨日と今日の間
冷静と情熱のあいだ
などなどいろいろあるが
昨日と明日の間 は
井上靖の小説で映画化もされた
朝飯と昼飯の間に
10時のおやつはあり
GとIの間に
Hがあり
明治と昭和の間にあるのが
大正だ
さて群馬と埼玉と茨城と福島の間にあるのは
栃木県
海と海の間に
日本はあり
天と空の間
はたまた星と星との間に
地球がある
そして無と死の間あるいは
無と無の間あるいはまた
死と死の間に
ぼくはいる



転入届


の手続きをしに役所に来たのだが
係員はぼくのパスポートのページをあっちに繰り
こっちに繰りしながら15分程凝視していた
40前だろうかガタイはでかくないもののショートカットで
目がくりくりでまあ俺のタイプだ
で、言ったのだ
「帰国のスタンプはどこにあるんでしょうか?」
手渡されたぼくも己のパスポートをあっちに繰りこっちに繰り
しながら15分程目を泳がせ続けた
帰国HANEDAAP 5 APR  2018 とあるべきはずの青い丸い捺印が
ないのだった
4月4日にタイチェンマイ空港を出国し4月5日正午頃羽田空港に到着
入国した者ですが帰国のスタンプが押されていません。
パスポートコントロールで写真を撮られたのは覚えています。
私はどうすればいいんでしょうか?
TK6872543 YOMOGITA HIDEO
蓬田秀雄
同じ建物に役所と対峙する図書館のパソコンで東京の出入国管理局を
調べ上げ上記の文章をファックスで送った
もちろん住所も電話番号も控えたが電話は高い
ぼくは姉と実家に同居している
世帯主は姉で光熱費も姉に請求がいく国民健康保険料も
そして電話使用料金も姉が払ってくれている
下手な真似はできない
4月6日金曜日の午後だがなかなか返事は来ない
仕方ない決死の覚悟で電話してみる
テープの声が、「只今大変混みあっておりますお掛け直しください」
と告げる
そこで、何度電話しても繋がりません。帰国印がないと転入手続きができません。
電話かファックスでどうすべきかご教示ください。
☎0288 54 2368
どうかよろしくお願いいたします。
と書き加え再びファックスした
電話が鳴った
写真を撮られたとあるがどういうことなのかと問われる 
それはぼくの勘違いでパスポートコントロールでレンズを見つめるのは
写真を撮るためではなくパスポートと本人の認証のためなのだそうだ
少し記憶が甦ってきた
そういえばレンズに向かってチーズと言ったり手を振ったり
さらに審査官にも手を振ってニカっと笑ったりしなかったか
東京の出入国管理局は 「送られてきたファックスを羽田空港へそのまま
転送してあげる 調べるのに時間がかかるかも知れないが一両日中には
連絡がいくと思う」 と言ってくれた
翌7日念のためにぼくの方からも同じモノを出入国管理局羽田支局に送った
ついでに宇都宮出張所にもファックスしといた
夕方羽田支局から電話が入った
ちゃんと入国の記録があるので何の問題もないとのこと
ただし帰国印は一定の時間が過ぎてしまうと押すことはできないと
まあ問題ないならいいだろう
役所は月曜日まで待たねばならない
さてパソコンが使えない
おととい転入届を出しに来た時パソコン持参だったが
図書館のWi-Fiに繋がらないのだった
去年までは大丈夫だったのに
図書館は新しくなった 役所と一緒の建物日光庁舎は完成したばかり
一昨年昨年は仮設図書館だった
今日8日もう一度試してみようと図書館に来たのだが
やっぱりだめだ 館員ABCの3名もそれぞれ手伝ってくれたが繋がらない
いったいどういうことなんだ?
9日月曜日帰国印がないのなら替わりが要ると役所は言った
霞が関にある法務局官房秘書課とやらに出入国記録の開示を請求することになった
これは予想していたことだ
ぼくは前に一度出入国記録の写しを郵送してもらったことがある
国民年金を受給するには300ヶ月必要だが
オヤジが俺に無断で勝手に支払ったのは220であと80足りない
だが外国にいた間はカラ期間として上乗せが効く
それをパスポートで証明しなければならないのだがぼくは二度
パスポートを失くしている
そこで開示請求をしたのだった
お陰様で299ヶ月を満たし残り1ヶ月分1万5千円をキャッシュで払い
おととしの8月からミミズの小便程の額だがめでたく受け取っている
写しが送られてくるまでには2週間以上かかるが
写しが着いたらすぐ出頭するってことで転入手続きは無事済んだのだった
さてさてパソコンだが今政府の政策に反発して学生や労働者がデモを繰り広げる
ニカラグアで日本語を教えている姪がその昔ぼくんちから歩いて2分30秒の
東武日光駅へスマホをいじりに通っていた姿がいきなり啓示のようにでんぐり返ってきた
早速パソコン担いで駆け付ければ何のことはない簡単に繋がった
図書館は新しくなったがWi-Fiの電波は弱くなったツーことだ
出入国記録の写しはまだ届かない
タイへ転出する際に一時返却した通知カードの再発行手続きもまだ終わらない
事あるごとに労働は罪悪とうそぶいている俺だが
今年もまた例によって江戸川区立林間学校で働くことになった
提出書類に個人番号を記入しなければならないので
役所に教わりに行ったのだが
「教えられない 個人番号が記載されている住民票を取ってもらうしかない」
と言われた
それには200円掛かるのだ
かように人生はパソコンは悩ましい
近頃悩ましいという日本語が津々浦々で流行しているが
広めたのはおそらく羽生善治だ
あの藤井聡太もインタビューを受けて
「高校生活は将棋のいかなる局面よりススンデ悩ましい限りです」
と答えていた
そうだった チャーというギター弾きがふた昔前
世の中は気絶するほど悩ましい
とかなんとかうたっていた



風邪


の引きはじめだろうか
どうにも背中が寒いのだ
掻い巻きに包まり毛布を二枚重ね
おまけにバカ重い掛布団も落っことしたのに
どうにもこうにも寒いのだ
頭をズッポリ潜り込ませ
仰向けたり俯けたり横向けたり
捩ったりこじったりもするのだが
小腹のぐるりも寒いのだ
小腹と背中の位置関係はよくわからぬが
小腹は背中に寄り添ってはいないか
そしてそうしてこうしてああしてどうして
つつがなくゆるぎなく
小腹と背中が仲違いしませんように



不眠


に悩む人があると聞く
ボクのバヤイもうだいぶ前からそしてもうしばらく
いつ寝てもいつ起きても
またその時に寝ずにその時に起きずとも
誰にも文句を言われる筋合いのない暮らしなので
真正面から不眠と向き合っている
眠れないのと寝られないのとでは
どちらが不眠の本質を言い当てているのだろうかとか
今度こそ鶴竜は二場所連続優勝賜杯を手にするだろうとか
そんなあんなを不眠の縁に
転がしている
不眠不休不朽の名作一丁上がり
ご破算で願いましては只今朝の3時59分也



あいつ

の出方がどうも気になる
どこの誰かは知らないが
まさかあいつがおいらのぼくなんてことは
滅多にも矢鱈にもないはずなんだが
確かなのはあいつはそいつでもこいつでも
どいつでもないってことよ
そんでまたマル田バツ子でもぼうさんでも
馬場当先生でもヒロヨシでもない
誰のどこかは知らないが
あいつの寝方が微妙に
気になる



おしゃべりの時間


がやってきた
おしゃべりの時間はだいたい午前1時から始まる
ぼくは19時半に寝床に入るのだが22時までは
晩酌から導き出される尿意にひたすら耐えている
隣の茶の間でテレビを見ている姉が下水道料金を払ってくれているので
節約に協力するのだ
それでもどれほど歯を食いしばってもそれまでに最低3回は
トイレの扉を開けてしまう
尿意が収まればうまくすれば運が良けりゃ
1時間か2時間眠ることができる
さてそれからは生活保護を貰うためには世の中とどのように
対峙したらいいんだろうかとか
つまり人生いかにイクべきかみたいなことをついつい考えてしまう
嵌めになる
人生に思索に飽き疲れて
おしゃべりタイムになるわけだ
もちろん声は出さない
2階で寝ている姉におかしくなったと思われては困る
取るに足らないことを天井に投げかけ
また自分で受けるのだ
4時を待って床から這い出し
お湯を沸かしてお茶を入れ朝食へとなだれ込むのだが
大昔まだ俺が若く東京に住んでいた頃高校の後輩の
マル村バツ江と1度だけデートしたことがあった
浅草で待ち合わせ上野を歩いたのだが
その前に数回手紙のやり取りがあった
まだまだ言いたいことが言い足りないオシャベリ星より
トカナントカ
彼女は最後に必ず
ナンダカンダノオシャベリ星より
と書き添えるのだった



ぼく


は まちがってるのかもしれない
ってことは 君もまちがってるのかもしれない
誰だってまちがってるのかもしれない
みんながみんなまちがってていいのだろうか
と言いつつ
地球も宇宙もまちがってるのかもしれない
ビックバンとブラックホールはまにあっていないのかもしれない
アインシュタインもホーキングも山中伸弥も小保方晴子も
まちがってるのかもしれない
だとすれば
俺たちは何を信じればいいのだろうか
俺たちは何をも信じずに生きていけるのだろうか
信じる信じないは取るに足らぬことなのだろうか
揚げ足を取って取られて
この今をこの刹那を信じるってことは
何をかイワンの馬鹿なのだろうか



西暦2018 5月19日 快晴


天気の良さに誘われてうちから歩いて2分30秒の大谷川河川敷
俺が見つけたテーブル石にケツのっかけワンカップ焼酎をヤっている
それにしてもだ
こんなに世の中が景色がはっきりくっきり見えちゃっていいんだろうか
大谷川のずっとずうっと上流の男体山の山肌の襞の
ひとつひとつが手に取るようにわかるのだ
それどころか男体山の裏側にぐーんと向こうまで広がっている
空の質感まで見えるのだ
こんなこたあ年に1回いや30年に1回あるかないかのことだろう
直線距離で300メートル先の小倉山では
ヨモギ色の葉っぱを纏った大量の木々が右に左に揺らいで
こっちに風を流し込む
下流に目を向ければ何と筑波山が墨絵となって見えるのだ
東京スカイツリーがなかったら富士山までもが覗けちゃうよな
イキオイだ
きっと藤井聡太は今将棋盤の駒がこんなふうに
浮き上がって見えているのではないか
こんな天気に身を置けば
金も銭もいりゃしねえ
あったりまえだが仮想通貨もいらねえぜ
で思い出した
箪笥の引き出しの隅っこに永いこと捩れて横たわってる11元を
2日前の新聞記事と一緒にだ
なんでも東武日光駅前に寄り添って並んでいる土産物屋の1軒が
外貨自動両替機を備え付けたんだと
で、いい加減で切り上げてその機械に喰わせる覚悟で
10元紙幣1枚と1元紙幣1枚をば突っ込んでみたら
あら不思議ジャラジャラと170円がこぼれてきたぜ
まあせっかくのことよ
リオンドールでワンカップ焼酎もう1本!



まあなんだ


キレ良く排便が完了すれば
得もいえぬ充足感に浸れるが
そしてついさっき寝る前にも
太い一本をキメたのだが
それのみならず 満足感を味わう暇なく
するするとけして少量ではない量が
するするとそれも下痢便ではないヤツが
ほんとうにするすると肛門を滑り抜けていったのだった
それはきっと薬師丸ひろ子の言う快感!以上のモノで
それをみんなに自慢したくてわかってもらいたくて
どのように説明したらよかんべかと
言葉をあれこれひねくり回しているうちに
気がつけばもう朝方なのだ
あと1時間で起きねばならぬのだが
あの刹那はこの世の終わりと向き合っていた
ような気がしないでもない
もしかしたら我が糞ったれどもは
何かしらの天地異変を嗅ぎ取って
しゃしゃり出てきたのかもしれない
同じような体験をお持ちの方なら
ジェンダー性別に関係なく分かっていただけると思うのだが
まあなんだ
うまく言えないのですが
まあなんだ
なんなんだ
南無阿弥陀仏



カユイ


寝床に入りさあ寝るぞと心構えすると
途端に体中がカユクなる
だから掻く
所により蚯蚓腫れになったりする
爪先のひび割れ部分で掻くと
赤い糸のような筋が脇腹や太腿の外回りに
何十本とできたりする
特に冬場は大変なのだ
だけれどもほんとうに正真正銘カユイのだろうか
さっきまでは何ともなかったはずなのに
さあ眠るぞという思いが呼び水となって
条件反射でついつい掻いてしまうのではないか
カユクなるのはそれからなのかもしれない
カユイのが先か掻くのが先かかなりの難問だが
どっちにしてもカユイから不幸ってことはないだろう
カユクないから幸せってこともないだろう
不幸でも幸でもない状態
もしかしてこれって幸せ?
矛盾しちゃうがそんな気がしないでもない
他のひとはどうなんだろう
床に入った途端にカユクなるようなことはないのだろうか
そしてカユイからって不幸だなんて限らない
とか考えたりしないのだろうか
そんなひとが性別ジェンダーに関係なくきっといる
挙句に幸せでも不幸せでもないって
きっと幸せなんだわと楯と矛を持ち出すひとも
数知れずいる



ぼくの好きな色は


黄色?
黄色はアニキが面と向かってはあんちゃんと呼んでいたのだが
アニキの好きな色だった
緑?
ぼくが覚えているぼく自身が着た一番古いセーターは
緑と白の横縞模様だった
緑というより竹色か
よっちゃんが編んでくれたらしい
よっちゃんはおやじの妹だが大嫌いだった
とにかくエバッていた
おやじは誰の意見にも耳を貸さず好き勝手に生きたが
ばあちゃんとよっちゃんには
頭が上がらなかった
黒?
黒が似合うと思っていた
白よりは断然黒だ 汚れも目立たないし
だからどんなに暑くても学生服は脱がなかった
夏休みの登校日にも学生服を着こんで行った
今思えばそれは
不良と称される奴らが学生服を長くしたり
学生ズボンを太くしたりするのと同質のものだったようだ
灰色?
マル田バツ子に好きな色は?と聞かれた時
灰色と答えた
編んでくれたのは手袋だった
それをどこにどうしてしまったのか
記憶にない
灰色に指先が茶色だったのか茶色に指先が灰色だったのか
その辺もはっきりしない
マル田バツ子は結婚してマル川バツ子になったが
クサカリは里帰りしたマル田バツ子を偶然見かけ
娘さんがフクダさんと瓜二つだった
となんだかうれしそうに言っていた
もし神様がさもなきゃ国家権力が
もう一度マル田バツ子に会わせてくれるなら
それよりもあの手袋をもう一度この目で見たい
8-2で灰色に指先が茶色だった
と思うのだが



トートバッグ


最近の小説を読んでいるとトートバッグという言葉が
あちらこちらで登場する
それほど大きなモノではなく背負込むスタイルではない
くらいのことは分かるが
正確なところは分からない
この前姉に聞いて一応の説明を受けたのだが
忘れてしまった
きっと真剣に聞いていなかったのだ
正しく知りたいという欲求が湧いてこない
新聞を読んでいても意味不明の言葉が次々と
立ち現れてきて内容を把握できなかったりするのだが
放って置く
だからって人生に、少なくともぼくの生活には
支障ないような気がする
今ほどではないが小さい頃から分からないモノコトと出会っても
そのまま棚上げしておく、傾向があった
だからなのか安倍の言ってることがさっぱり理解できない
安倍晋三のような男がこの世に存在できてることが不思議でならない
パソコンをいじっているとこちらが望んだわけでもないのに
いろいろな画面が突如としてやってくる
その画面が何を言わんとしてるのか
指し示そうとしてるのかほとんど分からない
それでもこうして詩のサイトを作りこのように
打ち込むことはできる
トートバッグの形が分からなくても
その小説に入り込むことはできる
昔、このサイトにパパラギという詩を書いた
大昔に、会って別れた人とのことを書いたのだが
最後の日、去っていく彼女は肩からバッグを吊るしていた
その名前が分からないので
ただ、会うと肩から提げていた入り口の広い逆台形の少し大きめのバッグの柄と色は今も目にやきついている
というように表現した
拙くて読んだ人には伝わっていないかもしれない
またぼくの技術ではこれ以上の説明はできそうにない
調べれば分かるだろうが
それは一生しないだろう
だって今この時もそいつは
手に取るようにありありと
ここにあるんだから



1234


快晴に誘われて例によって我が家から歩いて2分30秒の
大谷川河川敷 ぼくが見つけたテーブル石に腰を下ろして
心地よくワンカップ焼酎を飲っていた時
何気なく前屈みになって気づいたのだが
短パンの田中小実昌言うところの半パンの
お尻と急所の間の十文字に繋ぎ合わせてある部分が
繕われているのだった
その下手さ加減からぼく自身が縫い合わせたことに
100%間違いないのだが
それがいつ どういう状況でだったのか
てんで思い出せない
もうこの年齢になると前を向いても夢も
希望もないから過去をいとおしんであれこれと
感慨に耽ることにしているのだがどうしても
そこのちょっとしたところ こそばゆくきゅんとしてしまうそこいら
が思い出せない思い当たらないってことはつくづくとある
そんなこんなで短パンの綻びに思いを馳せていたはずなのに
それとはちっとも向かい合わないひとつの記憶が
よみがえってきてしまった
タイはチェンマイシリマンカラジャン通りに
これまた名前は思い出せないのだが
よく通った店があった
店頭になぜかお相撲さんの人形が鎮座しているのだった
そこの従業員にトムボーイらしきのがいてそいつは
パンクよろしく髪の毛をおったてているのだった
激しく酔っている時はそれは毎度のことだが
触ってもいいか?と右手を彼女の頭上に掲げ聞くのだった
ダメと言うので結局触れる機会には恵まれなかったが
電話番号は聞き出せた
下4桁が1234なのでかまされたかなとも思わないわけでも
なかったのだがまあとにもかくにもとしてみたら
繋がった
それにしても女にいや誰に何処にしようとそうなのだが
電話するってどうしてこんなにも緊張するのだろう
還暦を過ぎてもまったく慣れることができない
一緒にご飯を食べよう
と誘ったら19時までに私の方から連絡する
ということになった
しかし19時過ぎても次の日の19時になっても
携帯が震えることはなかった
それ以来遠回りをして店の前は通らないようにした
そのうちにその店は潰れ回り道の必要は
なくなったのだったが



 
件名 途中経過報告 to nile10101010@yahoo.co.jp 東武日光駅からメール


毎度!こんなところで イヤ どんなところでも
もう働くのはイヤだ と啖呵を切ったのは覚えていますが
今年もまた江戸川区立林間学校で働くことになり
そしてもう働いているのに 免疫ができたのかどうか
まだ洗剤負けにはなっていません
さてぼくは目覚ましを18時半に2時半にかけ寝て
眠れても眠れなくともとにかく2時29分に起きて
目覚ましをつまりアラームを解除しそのまま仰向けになったまま
右と左の足を交互に頭を目指して持ち上げます
これを1000回やろうとする
これまでに1000回やることはなかった
なぜってそれまでに便意を催し脱糞したから
つまりつまり足上げは心地よく働くための儀式なのです
説明解説能書きが長くなりそうなので端折っていきます
4時から8時30分まで働いて時給は1400円
でも5時まではその2割5分増し
どうですか?
初期高齢者としてはなかなかなもんでしょう
家から就業場所までほぼ2キロ
3時25分に家を出て急坂を登りつめ3時45分に着き
着替えてサービス残業承知で即働き出す
何て美しいぼくでしょう
そして仕事が終われば坂道を転げ落ちるように駆け下りて
シャワーを浴びる前にまず朝酌です
シャワーの後は昼酌です
でも晩酌はしません
仕事師のぼくとしては翌日に酒は残しません
それよりなにより寝てる間に15回もトイレに立つのは
御免被るのです
さて酒の肴ですがおさんどんはすべてぼくの役目です
ニカラグアで日本語を教えていた姪が政情不安定のため
一時帰国しているので姉と合わせ3人分
ちまちま何種類も作る君と違って
いちどに大量に豪快に好きな物を作ります
それをタッパにいれて4日保存すれば毎日一品作るだけで
常時4種類の肴で飲めるのです
仕事は10月6日までです
そのあとはオキナワです
そこで再会するのでしたね
だけれども明日トランプがトランプって核のボタンを押してしまうかも
しれないし
気づかないだけでただいま現在膵臓がんのステージ4
かもしれない
先のことはまったく闇蜘蛛なのだけれど
オキナワでのオリオンビールもしくは泡盛での
朝酌から始まっての晩酌さらについでの朝酌を楽しみに
今朝もこうして急坂を行きたくはないけれど
江戸川区立林間学校へと踏みにじっているのです


近づいている


気づかぬうちに
知らぬ間に間に
瞬く間に
月が地球に近づいている
起こったことは必ず終わる
生あるモノは必ず滅ぶ
今あるモノはいつか消え去る
ここそこにあるこのモノは未来永劫なくなる
近づいている
だんだんどんどん
大手を振ってゆるぎなくためらうことなく
誰だって
あいつだってお前だってこの俺だって
一歩一歩間違うことなく確実に順調に
近づいている
月が地球に近づいている
月は最後のその時を
俺の懐深くで迎えたいのだ
こぼれて消えるその時に俺はそいつを
抱きしめよう



イマワノ


キヨシローが死んで何年経ったのか?
で、それとは何の関係もかかわりもないのだが
今は過渡期なのだ
日本があるいはこの地球が過渡期なのではない だって
この世はもうすぐお仕舞いだあ~マリリンモンローノーリターン
なンだから
過渡期なのはぼくだ ぼくの腰だ
前に、腰を左右対称に戻すのだと称して
腰回しをテッテ的にやったことがあった
だがあれは失敗だった
腰回しは立ってやった 腰を支えるのは2本の足だ
その足を支えているのは腰だ
腰で腰を支えながら腰を回したところでナンにもならない
かえって腰部変形性脊椎症を加速させてしまった
腰は自由にさせなければならない
腰の負担を負荷を0にするのだ
なので今は仰向けだ
その体勢で両足を持ち上げると
腰は誰からも後ろ指指されない自由の身となる
そこで持ち上げたままの両足を代わりばんこに
天空に向かって突き上げるのだ
それを毎日3200回やる
効果はてきめんに2ヶ月であらわれた
まず顔面から左右対称に近づいてきたのだ
おかげで男前の初期高齢者がさらに男前になってしまった
それはいいのだが同時に右腰に痺れが生じた
1ト月経っても痺れたままだ
走れないし縄跳びも100回が限度だ
だがこれは腰が左右対称に収まるためのステップなのだ
あくまで過渡期通過点に過ぎない
この世が終わればぼくもなくなるわけで
ぼくは今いまわの際にいるってことだが
それにしたって
ぼくの腰が過渡期であることに
変わりはない



国家にこんがらがって


建付けの悪いこの家に生まれ育った俺は
建付けの悪い身体になってしまった
それでだろう
社会と上手く折り合うことができずにここまできた
俺の言う社会とは世界でありこの世であり
時には組織だったり
そしてどうしようもなく国家だ
年をとればとるほどに
国家という日本語が容れモノが気色悪くなってきた
コッカにゃまったく虫唾が走るぜ
案外ゆがんでいるのは建付けが悪いのは
国家の方かも知れない
もはや修繕不能だ


代々木オリンピックプール


ぼくは泳げない
小学校にプールはあったが
結膜炎でプールには入れなかった
それも慢性結膜炎でプールの時間は見学と決まっていた
決して詐病ではない
その証拠に小6の時には結膜炎の診断がくだらなかった
水上運動会に出る羽目になってしまった
泳げない連中のために10メートルの距離が用意されていた
歩いても潜ってもゴールさえすればいいいのだ
それならどうとでもなる
他を寄せ付けず圧勝しようとバシャバシャゴチャゴチャやったのだったが
いつまでたっても着かない
苦しくなって立ち上がるとまだ3メートルと進んでいない
他の奴らはみんなゴールしているのだった
ぼくにはそのあとの記憶がない
が、それは昔の話だ
中学高校とプールはなかったから
あれ以降泳ごうとしたことはない
で、ぼくは今代々木オリンピックプールにいる
このサイトに何度も登場した青山杉作記念俳優養成所の同期生
大将と一緒だ
夕べは成城の片田舎大将のアパートでしたたかに飲んだのだ
多分大将が誘ったのだと思う
きのうの酒はしっかりと残っていた
万能感もちゃっきりめっきり維持しているようだ
すっかり成長して大人になったこのぼくの泳げなかった記憶は
宇宙より遥かに遠いことなのだ
泳げる ようになっている
そんな気がした
代々木オリンピックプールが今もあるのかどうかは知らないが
あの時1975年当時深さは一定ではなかった
中心に向かっていくに従い深くなっていった
プールの端4辺のうち1辺はそれでも足が底についた
溺れたらなんとでもしてやるという大将にそそのかされて
ふたり同時にへりを離れた
3メートルも行かないうちに沈み始めた
そしていくらいくら沈んでも足が地に着かない
大将が後ろからぼくを羽交い絞めというかヘッドロックにして岸に引きずっていこうとする
ああ死ぬんだぼくはプールで溺れて死ぬんだ
と深く重く納得しようとするぼくがいた
あとはよく覚えていない
大将の話では
監視員がロープを投げ入れ大将はそれにつかまり
監視員がふたりがかりで引っ張りあげてくれたそうだ
ふざけるのもたいがいにしろ
白髪交じりの監視員は吐き捨てたのことだ
ぼくは大将から離れ屋外に出て日陰を探しそこにうずくまって
寝たふりをずっとしていた
死んだはずのぼくを確かめていたかった
そしてさらに40年以上が過ぎた
大将は3年前建設現場で作業中居眠り運転のダンプカーに突っ込まれ
即死した
時代は変わった ぼくも変わった 老人になった
いつの間にか知らぬ間にぼくの比重が0.1ポイント軽くなり
ある日突然もうすでに今度こそ泳げるようになっている
可能性がないでもない
ただ
それを試す気はない



頼みの綱


に頼らなくても
生きていけそうな気がする
ぼくは別に頼みたいこともお願いしたいことも
普段通りにないようだ
ただこんなふうに祈っていることが
どうも 最近よくある
どうぞ 残りの人生も
このままそのまま
寄る辺なき我が身でありますように



記憶のかなた


めざしてあるく
忘却のむこうになにがあるのか
宇宙のかなたをはるかにこえると
ひかりのささない
ひなたがあった
胎児のぼくがまどろむうつつを
いつか
ゆめみた



ヒト


はひとり言だけで生きていけるのだろうか
他人と話すって
何と
面倒で難解でやるせないのだろう



ほっと、凸凹


仲宗根美樹が今も健在かどうかは知らないが
川は流れる、今も流れている
河口付近は逆流もするだろうが
普段は高い方から低い方へ流れる
滞っている部分が湖であり沼池であるわけだ
だがカスピ海と琵琶湖を足したとしても
地球上の川の総流域面積には敵わないだろう
つまり地球はでこぼこってわけだ
山と海溝を考慮に入れれば
でこぼこどころかぼこでこと言っていい
俺たちはぼこでこの地球に乗っかかって
暮らしているのだ
それを思うと
すこし、ほっとする



オイ!


トンボよ
勝手に俺の行く手を阻まないでくれ
俺は毎朝ママチャリサイクリングを2時間する者だが
ほぼコースは決まっていて
基本、車道の端っこを走っているのだが
このところトンボがやたらと多い
それも地べたに地面につまり道路にアスファルトに
列をなして、羽を休めているのか、とまっているのだ
まるで佇むように
自転車が近づいても俺を無視して
微動だにしない
とてもじゃないがよけきれない
よければ俺が轢かれてしまう
昔、群れを成してとまっていたのはたかっていたのは
電線とか屋根の上ではなかったか
そういえば国道119号線ではもう長いこと
電線を植え込む工事が続いている
オイ!
トンボよ
何とかしてくれ
さもないと
俺がお前になっちゃうぞ



ぼくひとり


だれかとしゃべりたいときがある
だれともしゃべりたくないときもある
ひとりでいたいときがある
ひとりでいたくないときはない



ぼくの帰る家


は、いったいどこにあるんだろうか
只今現在姉と住んでる家で生まれたのだが
世帯主は姉でいわば同居させてもらっている
一か月後俺は沖縄へ行く
そしてそのままテント生活になだれ込むのだが
テントは家ではないだろう
ひとはひとりひとりそれぞれに
それなりの家を持っているのではないか
いつのまにかわたくし自身の中に
建てられ居座ってしまっていた家
その軒下に横たわり安眠を貪るわたくし
そんな夢を夢見るわたくし
おいらの帰るべき家は
どうもその家らしい



場所


いくつものトンネルを潜り抜けると
いつもの場所についた
いくつもの退屈をやり過ごすと
いつもの場所についた
3トンの酒を飲み干し
いつもの場所についた
ぼくが生まれる前の
いつもの場所



オキナワ


へやってきた
沖縄の歴史も文化も知らずに
オキナワへやってきた
イヤ、これはデタラメだ
きょうは10月9日
俺がオキナワへ行くのはあさってだ
心奮ってつい先走り液を漏らしてしまった
俺はオキナワの字面と語感が大好きなのだ
これまで行かなかったのは
たんに金がなかったからだ
金は今だってないが
前から言ってるように
俺はオキナワで
1日500円のテント生活をするんだもんね
オキナワのナントカ川のナントカ橋の下が
俺の終の棲家だ



フェデリコ・フェリーニに捧ぐ


ぼくはフェリーニも巨大な女も好きだ
従って女子バレーボール選手の
ほぼほとんどが許容範囲だ
それどころか 例えば
タイのプルンチットは特にその太腿は
非の打ち所がない120%完全無欠な
掘り出し物だ
埋もれたい 包まれたい
蝉のようにとまりたい
蚤になってたかりたい
やさしく時にはがさつに
いい子いい子
されたい



痛イ


のはイヤだ
我慢はしたくない
だいじょうぶ
だってまだ痛クはナイ
まだそこまではイッテいない
ほんとにだいじょうぶ?
ダイジョウブ
だいじょうぶじゃなくてもだいじょうぶ
だってヒトは誰もが
モノはナンでも
キレイサッパリ
こぼれて消えて
なくなるンだもの



誰も


エラクなんかない
この地球上の70億個の人間の誰をもが
エラクない
だからイバッテはならない
エバッテもいけない
空気を読めたって
エラクなんかない
空気を読めないからエライということもない
空気はそこにいる
ぼくもそこにある



朝は猫めし


と決めてから何年経ったろう
もちろんレンジでチンだ
手軽で気軽で
ローカル感や尻軽感も味わえる
レンジがやって来る前は
こんな具合じゃなかったはずだ
たぶん
猫めしかどうかで迷い
あっためるか否かで悩んだ気がする
レンジは
俺の思想思索を奪ったのだ
だからって
どうのこうのいう筋合いではない
しかしだ
猫飯や詩想詩作でかきこんで
             世も末



金がバラまかれ


地球がおかしくなってしまった
金がバラついて
宇宙もおかしくなってしまった
金にバカされて
おいらはかなしくなってしまった
もうだまされない
二度と働かない
金なんかいらない
じっとこうしてる



人は誰も


自分の人生しか生きられない
ぼくはマーロンブランドにはなれない
マリアシュナイダーに挿入できない
人は他人の死を体験できない
他人の痛みを具現できない
どんなに羨んでも
どんなに蔑んでも
人は他人を所有できない
無論のこと
その他人をその他人と共有もできない
人は自分の人生しか生きられないが
いついかなる時も死に至る過程は無限にある
だから殺されても仕方ない
ということではないが
殺されるチャンスは巷にバブルぶ
といって
ぼくには四六時中死と向き合い続ける度量はない
何はともあれ
我の存在が喪失するまで
なくなるまで
ありつづけるしかない



乾燥肌


に悩まされている
痒く、痒く、痒く、痒く
やっぱり痒い
冬の寒夜の蒲団の温みは
残余僅かな人生の痒みだ
こんな痒みはどうにもこうにも
数えて吃もって
あ、愛さずには
か、かかずにはいられない
藤井聡太!
君はぬくぬくと律義に強くなっている
前にこのサイトで
洗剤負けなぞ体験せずに多分一生を終えるだろうと書いたが
アベマテレビニコニコ動画を覗いてみると
君もやっぱり乾燥肌のようだ
悩むことはない 
ぬくぬくと律義に若いのだから
かいてかいてかきまくって
その痒さを糧に
番勝負へとなだれこめ



不眠への招待


キーン
というかすかなこの金属音は
いったいなんなんだろう
幻聴なら
実にこまめに寄り添えると
感心せずにはいられない
そうでないのなら
どのようにあしらっても
その音源を突きとめられないし
実にかいがいしく付き合えると
感心するわけにはいかない
といって
音源をあくまで追求する執念も
持ち合わせていない
スイッチが入るようにして唸りだす
キーンという正体不明の音を懐深く抱きしめ
寝床に佇むしかないようだ